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このページは、荒俣宏さんの本の感想のページです。

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「別世界通信」ちくま文庫(2006年12月読了)★★★★
月が人々の想像力を掻き立てなくなってしまったのは、現代科学技術の発展が、月を「地球を照らしだすただのの光球」「既知の土地(テラ・コグニダ)にしてしまってから。それまで月は人間にとって「遥けきものであり」、もっとも身近にある別世界として人間を魅了し続けてきました。つまり月の喪失とは、別世界の喪失でもあったのです。そして月を奪回する方法を模索し始めた人間たちは、別世界の創造を目的とするファンタジー作品の復活によって、夢の中で別世界の生活を手に入れることに成功します。

「夢の文学(ドリーム・リテラチャー)」が、今若い世代に及ぼしている影響について。主に社会的風俗的な面からの考察。
【索引と暗号】…小説という形式が持つ世界拡大機能について。小説を通して他人の体験を自らの体験に同化する時、人間の意識は無限に広がる。ナルニアやゲド、ステープルドン「最初と最後の人間」など、“アダルトファンタジー”とも呼ばれる準世界創造型の幻想小説は、社会学的な分析診断の対象にまでなることにより、ファンタジ文学ーは単なる逃避ではなく、世界創造の秘密を解き明かすヴィジョンとして、自然科学同様「現世」の役割を積極的に担っていることを示す。
 中世の自然誌・航海誌が世界の大きさに関する驚きを伝える→宇宙小説の誕生
 英雄伝説の反復によって過去と現在を結び付ける→中世のロマンスや騎士道的恋愛詩の誕生
【現代ーファンタジーの復活】…周囲の環境が苦痛であればあるほど、現実への反撥は激しくなり、夢の中、あるいはもう1つの世界で新しい生をまっとうする可能性を思考し始め、文学の中で夢は既にそれ自体が別個の生としてリアリティを持つようになる。虚構であることは既に問題ではない。そこで伝えられようとしている問題こそが重要。小説は現実認識の手段として、巨大な日常生活の一部を凝縮させて、虚構を通して神話を生み出す。
【飛翔の方法】…時間と空間という地上的な足かせから逃れる「飛翔」。別世界に到達し、そこに実在するための方法は2つあり、1つは「手」の延長である道具を使って、順次的に道筋を作り、到達すること。そしてもう1つは、手段を用いず、距離と時間を新しい眼で捉え直すことによって、「変革するものとされるものとの間に生じる落差に呑み込まれること」。

ファンタジーという文学形態そのものの考察。「どうしてもうひとつの世界を創らなければならないのか」「どうしてファンタジーが闘いと遍歴の物語でありつづけるのか」
【神話の森を超えて】…神話とは太古の歴史の集成ではなく、ましてや1つの哲学や思想が完成される以前の記録でもなく、生贄の家畜同様、神々に捧げられた神聖な供物であった。神の愛でる知識を求めるために人々は宇宙の生成に関する知識を競い合うことになる。記憶では捉えられない現象、答えられない問題を解き明かすために神話は生まれる。神話とは根本的に謎かけの儀式なのである。神話それ自体が自らを読むものに対して謎をかけ、試練を与える。その謎は解答を求め得ないものではあるが、そこには謎に答えられなければ死をもって償うという鉄則が存在する。そしてその「試練」は、ファンタジーにおける「遍歴(クエスト)」と機能的には全く同じなのである。
【年代記の発見】…年代記とは、記憶に残されるべき出来事を冷たく事務的に文字で記録したもの。年代記記述者とは、人間の住む世界に最初の測量を試みた人種。そしてその年代記が読み返された時、「現在」の積み重ねでしかなかった年代記は点から線へと変身し、未来、そして別世界へと伸びていく線になる。
【ロマンスの誕生】…本格的文芸作品としての古典が果たしてきたファンタジーへの貢献について考察するために、中世(ロマンス)、ルネッサンス期(旅行・航海譚)、近世(東洋小説)の3つのカテゴリーを見る。中世のロマンスは「ガウラ国のアマディス」やアリオスト「狂えるオルランド」、ルネッサンス期の旅行・航海譚は「ジョン・ド・マンドヴィル卿航海記」やカンタンプレ「万象論」など、近世の東洋小説は「千夜一夜物語」のような異国情緒に溢れる作品。
【夢を開く鏡】…博物誌編纂者や大航海者の世界を拡大しようとする情熱は、現代の準世界創造者たちの熱意と一致する。そして中世からルネッサンスにかけて、一時はキリスト教によって命脈を絶たれたかに見えた異端の古代宗教=神秘派が復活。吟遊詩人によって宮廷風恋愛や騎士道物語が、異教的な憧れとともに広がりを見せる。ロマンスはやがて北方民族の万霊信仰と呼応し、やがてシェイクスピアの時代にこの異教的宇宙は妖精物語として再燃する。
【世界言語とユートピア】…オックスフォードのウォダム・カレッジに集まっていたのは、ロバート・ボイルやウィリアム・ぺティ、建築学のクリストファー・レン、日記作者のジョン・イーヴリンらの科学者たち。その部屋の持ち主・ジョン・ウイルキンズが発明した数多くのものの中で最も驚異的なのは、世界言語(ユニバーサル・ランゲージ)である。
【ユートピアの経済学】…18世紀以降、産業革命下のイギリスが推し進めていた自然開発は逆に、人間の自然への回帰を促すことになる。オックスフォードのクライストチャーチで学んでいたジョン・ラスキンは、芸術のあらゆる霊感と技術を自然から学ぼうとする方法論を確立し、イギリスは新しいユートピアの創造に参与することになる。
【怪物の博物誌】…18世紀後半の自然賛美の時代が訪れ、聖書には載っていない自然界の現象に直面することによって、自然の完全さの神話が破られ始める。博物学も、永遠の連鎖を確かめる学問から怪物探しへ、生物学も怪物造りと畸形造りの実験場へと変容していく。
【来るべき宇宙誌】…20世紀の文学者たちは、夢の人生として描いていたファンタジーの領域が実は「地球照(アースシャイン)」であることに気付き始め、逆に「地球照(アースシャイン)」としてのファンタジーを最大限に利用し始める。日常的な現実世界の照り返しを、完全な別世界として眺める方法が確立し、ファンタジーは現実そのものに再アプローチし始める。
【終末の儀式】…時間の混乱と空間の逆転は、ファンタジーの唯一の方法論であるとも言われる。「「現在」のみで発展性がない、完全な円環として隔絶して準世界を築いていた神話世界に祖先の記憶としての「過去」が入り込んだ時、神話世界は伝説世界へと変貌し、やがて現代という直線状の一点に組み込まれて近代的なファンタジー小説として登場することになる。科学とファンタジーの逃避的な性格は準世界創造という作用を持ち、人間の知恵の中の世界意識の拡大に深く関わり合っている。

別世界が創造されるに至った背景と、別世界の必要性を中心にしたファンタジー論。文章があまり合わず、読むのにかなり苦労したのですが、内容的にはとても興味深く読みました。別世界の象徴としての月の存在に関する考察も面白いですし、随時紹介されている作品群も、それぞれに独特の雰囲気を持っており、読みたいと思わせます。全体的な論理としては、飛躍していたり、結論が甘かったりするようにも思えるのですが、「書棚の片すみに捧げる180+2冊」も参考になりますね。 妖精文庫から出た当時は100冊が選ばれていたようですが、これはちくま文庫版で180冊まで増えたようです。現在では入手が難しい本もあるとは思いますが、簡単なコメントが添えられた見やすいリストになっているのが嬉しいところですね。

「帝都物語」1〜6 角川文庫(2004年5月読了)★★★★
【第壱番・神霊篇】…明治40年。平将門の怨霊を目覚めさせようと、陸軍少佐の加藤保憲が帝都に侵入。大蔵省の若い官僚・辰宮洋一郎の妹・由佳理に依童として目をつけます。
【第壱番・魔都(バビロン)篇】…由佳理は巣鴨病院の森田医師の下で治療中。加藤から由佳理をかどわかすという予告状が届き、老陰陽師・平井保昌や幸田露伴、鳴滝純一郎らが由佳理を守ります。
【第弐番・大震災(カタストロフィ)篇】…由佳理が生んだ雪子も8歳に。空には巨大な月が冷たく輝き、大正12年9月1日の関東大震災が起こります。非難した雪子に加藤が薬売りを装って接近。
【第弐番・龍動篇】…大震災から4年。風水師・黒田茂丸と、辰宮洋一郎の妻となる俤神社の巫女・目方恵子との出会い。地竜を完全に駆り切れなかった加藤は、今度は天空の竜・北斗七星を狙います。
【第参番・魔王篇】…昭和10年。大正の復興熱も世界恐慌と共に急激に冷え、不安の時代に突入。五・一五事件では犬養首相が射殺され、二・二六事件が勃発。日本は戦争へと突入していきます。
【第参番・戦争(ウォーズ)篇】…昭和20年。B29の落とす焼夷弾によって東京は焼き尽くされ、雪子と由佳理は府中に疎開。しかし鉄塔の送信実験のたびにトマーゾという存在と共鳴します。
【第四番・大東亜篇】…敗戦間際の満州国の帝都・新京。満映の理事・甘粕正彦は地下工事を妨害する鬼の映像を使って映画を撮ろうと考え、風水師の黒田茂丸を呼び寄せます。
【第四番・不死鳥篇】…香港で屍解仙となった加藤は、日本に舞い戻ることに。そして加藤から解放された恵子もまた日本に戻り、加藤の残した骨笛を由佳理に渡します。
【第五番・百鬼夜行篇】…昭和30年頃。雪子は小説家になった平岡公威こと三島由紀夫に頼まれ、彼に20年来取り憑いた怨霊・中島莞爾を取り払います。しかしその三島に加藤が目をつけたのです。
【第五番・未来宮篇】…昭和70年頃。東京周辺の火山が活動を始めて10年ほどたち、東京は大きな様変わりを見せていました。目方恵子は、自分の後継者の神女として大沢美千代を呼び寄せます。
【第六番・喪神篇】…昭和73年。鳴滝邸の地下には大正12年9月1日の銀座が再現され、それと共に辰宮由佳理をこの世に呼び戻すという鳴滝純一の妄想は着々と実行に移されていました。
【第六番・復活篇】…とうとう加藤保憲は海竜を駆り、東京で大地震が発生します。東京は崩壊へ。そして加藤保憲の前には、土師一族の若き棟梁・土師金鳳が立ちはだかります。

第8回日本SF大賞受賞作品。
物語は明治末期から大正の関東大震災、昭和の第二次世界大戦を経て、昭和70年代という書かれた当時にとっては「未来」の世界へと進んでいきます。
この中で特に面白かったのは明治から昭和にかけて。第二次世界大戦に敗北する辺りまででしょうか。寺田寅彦や幸田露伴、森鴎外、甘粕正彦など歴史上に実在する著名な人物が多く登場するのも読んでいて楽しかったですし、それ以上に、風水や陰陽道などの東洋の魔術とされる存在の描かれ方がとても良かったです。加藤との戦いで繰り広げられる戦いの非科学的な部分が、単なるオカルト合戦で終わることなく、長い歴史に裏づけされた知識と技として自然に存在しているのがいいですね。近代的な都市計画の中での科学との共存も、非常に自然。科学で割り切れることばかりではないと頭では理解していても、このようにもごく当たり前のようにに風水の観念が存在しているというのは新鮮。そして、この物語はやはり明治から大正にかけての時代の雰囲気に一番良く似合うと思いますし、途中の学生闘争時代や「自転車乗り(サイクラー)」が横行する未来の姿には違和感を感じてしまったのですが、しかし三島由紀夫とその自決に関する部分はまるで歴史ミステリを読んでいるようで、とても面白かったです。
そしてこの物語で一番大きな存在となっているのはやはり、強大な力を持ちながらも、なかなか目的を達成できない加藤保憲。この憎々しい人物は、私にとって単なる悪役では終わりませんでした。途中、目方恵子の目を通して見た彼の存在に、なんとも言えない切なさが感じられると思っていたのですが、最終巻を読んだ今、その思いが一層強くなりました。彼の行き場をなくしてしまった強い想いはどうなるのでしょう。彼もまた1人の犠牲者だったのかもしれないですね。本当に切ないです。

「花空庭園」平凡社ライブラリー(2005年12月読了)★★★★★お気に入り
「もうずいぶん古い話になったけれども、かつて異端や博物学の分野にあって神のように崇敬を集めていた故澁澤龍彦大魔王が、いちどだけ、筆者の目の前まで降臨したことがあった。それは『フローラ逍遥』の挿絵に使えるような古い植物図を所持せるや否や、と、筆者に下問あったのである。当時はろくな図譜を所持していなかったが、その後、筆者は一念発起して植物図譜をあつめだした。澁澤大魔王がいずれ第2の花の本を書かれる際、今度こそは喜んでもらえる傑作が手渡せるように、と願いつつ。 …だが澁澤大魔王は筆者の集めた図譜を見ることもなく鬼籍に入られた。本書は、本来ならば、澁澤龍彦その人が手がけるべきテーマの書物であるはずだ。あの『フローラ逍遥』に一歩でも近づこうと努めたが、いまだ力及ばず、ただ畏れつつも冥府なるわが大魔王に本書を捧げるよりほかはない。」
ルドゥーテの『バラ図譜』から高木春山の『本草図説』まで、古今東西のボタニカル・アートを集めた博物図譜。200点ものカラー図版が収められています。

まず最初に「白い花譜」と「黒い花譜」があるという紹介があります。白い花譜とは、背景に一切彩色をしない、博物学誌としての花譜であり、黒い花譜とは、17〜8世紀にオランダ=フランドル地方でさかんに制作された花の静物画のこと。白い花譜が水彩画で描かれているのに対し、黒い花譜は油絵。そしてこの本に収められているのは、そのほとんどが「白い花譜」です。
図版が沢山収録されており、ボタニカル・アートの歴史やそれぞれの描き手に関する薀蓄もとても面白かったのですが、その中で一番驚かされたのは妖精画。まさか妖精画が闇の猥褻画だったとは、全く知りませんでした。きのこと一緒に描かれている妖精の姿を、貴婦人たちは顔を赤らめながら見ていたのだとか…。今まで妖精画といえば「可愛い」という印象がまず最初だったのですが、色々あるのですね。奥が深いです。そしてこの本を作るにあたり、荒俣氏はページ構成で相当苦労なさったようです。「高度テクノロジーは多様性を高めるのではなく、形式を統合化する方向にしか機能していなかったのである」という言葉が印象的。しかし各章の冒頭にアールデコ調の挿絵と、その章でとりあげる植物に関係のある文学作品の一節が引用されているのがとても素敵でした。澁澤氏の「フローラ逍遥」と共に楽しみたい1冊です。
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