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このページは、ロード・ダンセイニの本の感想のページです。

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「ぺガーナの神々」ハヤカワ文庫FT(2005年3月読了)★★★★★お気に入り

【ぺガーナの神々】…まだこの世が始まる前の深い霧の中。<宿命(フェイト)>と<偶然(チャンス)>が賽をふり、勝者が霧を超えてマアナ=ユウド=スウシャイに近づいて神々を創るようにと話しかけ、マアナは<ちいさき神がみ>を創り出すことに。しかしマアナは、創り出した神々の1人・スカアルの太鼓の音に耳をかたむけている間に睡りに落ちてしまったのです。その間、<ちいさき神がみ>は<世界>と<太陽>を創り、<輝くもの>と<月>、<とどまりの星>、<地球>を創り出します。地球の上にはキブによって獣と人間という生命が創り出され、ムングによって死が生まれることに。そしてマアナの睡りは、スカアルの太鼓の音が止まる時まで続くのです。
【時と神々】…年老いた神々が見つめる世界創造。どこまでも暗く、神々の住まう聖地・ぺガーナも闇が閉ざしていた頃、全ての神々の娘である黎明王女(ドォン・チャイルド)のインザナは、黄金の鞠を見つけて空へ投げ上げます。すると日が昇り、この世に光が溢れることに。しかし夕べが近づいた頃、黄金の鞠は下界の黒く醜い山々のために持ち去られてしまうのです。黄金の鞠はウムボロドムと飼い犬の雷によって無事に取り戻されるものの、その後も幾度となく失われ、そのたびに神々の必死の努力によってインザナの元へと戻ってくることに。(「THE GODS OF PEGANA」「TIME & THE GODS」荒俣宏訳)

ダンセイニの創り出した神話の世界。「ぺガーナの神々」では、マアナ=ユウド=スウシャイが創り出した<ちいさな神がみ>や、その神々と関わりがある人々が紹介され、「時と神々」では神と人間の関わりが描かれていきます。マアナの創り出した<ちいさな神がみ>は、ギリシャ神話や北欧神話、ケルト神話といった多神教の神話のようでありながらも、それらの血の気の多い神々とは違い、ほとんど人間味を感じさせず、どちらかといえば冷たく突き放すような神々なのですね。死の神ムングも何の感情も挟まずに冷静に仕事をこなしているという印象。彼ら自身が作った世界や生命への愛情というのはないのでしょうか。しかしその<ちいさな神がみ>もまた、マアナが目覚めてひとたび手を振れば、忽ち消えてしまうような存在。そしてマアナ=ユウド=スウシャイはこの世で唯一の存在のように書かれているのですが、マアナが<ちいさな神がみ>を生むきっかけとなったのは、実は<宿命>と<偶然>の賭け。マアナよりも上位にいるらしいこの<宿命>と<偶然>とは、一体何者なのでしょう。そしてその勝負の結果は宿命だったのか偶然だったのか…。人々は<ちいさな神がみ>には祈りを捧げても、マアナにだけは祈りを捧げません。ましてや<宿命>と<偶然>には…。この辺りに強烈な皮肉を感じます。そして「時と神々」にも<宿命>と<偶然> がちらりと登場。このシーンはまるでエドモンド・ハミルトンのフェッセンデンの宇宙のようで、うすら寒さを感じました。


「エルフランドの王女」沖積舎(2006年10月読了)★★★★★お気に入り

善政ではあっても新しい変化のない世の中に倦んだアールの郷の人々は、国主に「魔を行う国主さまに治めていただきたい」と申し出ます。国主は古からの慣習に倣って、評定衆に従うことを了承。早速、長男のアルヴェリックを呼び、エルフランドに行くことを命じます。魔の家系の王女、エルフランドの王の娘と結婚しろというのです。アルヴェリックは父王の大きな剣と、魔女・ジルーンデレルの作った魔力を持つ剣を持ち、エルフランドへの旅に出ます。そしてエルフランドの王女・リラゼルを連れて帰ることに。(「THE KING OF ELFLAND'S DAUGHTER」原葵訳)

重厚な美しさを描き出すダンセイニの作品の中でも、特に美しい作品ですね。この幽玄な美しさにはうっとりしてしまいます。中でも印象に残るのは、魔女が、庭から落雷を掘り出して剣を作る場面、アルヴェリックが黄昏の国境いからエルフランドへと踏み出す場面、そして「時」がなく、永遠の静謐の中にまどろんでいるエルフランドの場面。特にこのエルフランドの描写が凄いです。今まで様々な「妖精の国」の物語を読んできましたが、これほどまでに静かな存在感がある場所があったでしょうか。このような妖精の国は、正直初めてです。しかしとても初めて訪れたとは思えないほどの存在感があります。「序」でダンセイニが、エルフランドはイングランドのごく普通の場所から30〜40キロの距離にあると書いているように、このエルフランドはすぐそこにあるのですね。この本の1ページ目を読み始めた時、そこはもう異世界との境目。エルフランドの場面、特にリラゼルの登場する場面は、読んでいる間中ずっと歌が聞こえてくるような気がして、すっかり雰囲気にのみこまれてしまいました。そして静謐な雰囲気なだけに、エルフランドの王の静かな怒りが一層際立っているような気がします。そしてラストに漂うのは、何とも言えない物悲しさや諦観。しかしここでアールの民たちと一緒にまどろめたら、どれほど幸せでしょうね。物語の中の出来事とはいえ、羨ましくなってしまいそうです。


「影の谷物語」ちくま文庫(2006年11月読了)★★★★

スペインの黄金時代。自分の死期を悟ったアルゲント・アレスの谷地の領主は、長男のロドリゲスにはカスティーリャの古い長剣とマンドリンを、次男には土地を遺します。己自身では何かを勝ち取る力を持たない次男のことを考えたのです。父の葬儀を終えた後、ロドリゲスは父の言葉を命令だと考えて剣を佩き、マンドリンを背負うと、戦さを求めて旅に出ることに。龍騎亭という宿屋で出会ったモラーノもドン・ロドリゲスに同行します。(「DON RODRIGUEZ : CHRONICLES OF SHADOW VALLEY」原葵訳)

「魔法使いの弟子」に、「影の谷」を治め、スペイン王とも懇意の公爵という人物が登場していました。舞台も書かれた年代的にもこちらの方が先の物語です。初出の時の題名は「影の谷年代記」。
訳者あとがきでも、この「影の谷物語」がセルバンテスの「ドン・キホーテ」を意識的にモデルにしているようだと書かれているのですが、確かにドン・ロドリゲスはドン・キホーテ、モラーノはサンチョパンサ、セラフィーナはドゥルシネーアといった役回り。しかしその性格はまるで違います。ドン・ロドリゲスはドン・キホーテほど滑稽な人物ではなく、むしろ非常に真面目。父の遺言を自分の目的にすり替えてしまうという部分はあるものの、基本的に現実をまっすぐ認識しています。スペインには戦がないと分かっていながら、戦を探すために敢えてピレネーを越えようとするのですから。そのため、物語自体の雰囲気も「ドン・キホーテ」とはまるで違うものになります。
ダンセイニらしく物語は淡々と進みます。主人公はドン・ロドリゲスだと思うのですが、この作品ではモラーノがとても魅力的ですね。常にフライパンを大切に持ち歩き、朝食になるとベーコンを焼くところはほのぼのとしますし、ドン・ロドリゲスがドン・アルデロンと戦っている時にとる行動などには、思わず笑ってしまうほど。純朴で真っ直ぐな愛すべき田舎者です。


「牧神の祝福」妖精文庫(2009年5月読了)★★★★

ここ数日というもの悩みごとを抱えていたウォルディングの司祭・エルドリック・アンレルは、この日ようやく主教宛の手紙を書き上げます。司祭が思い悩んでいたのは、春になってから毎夕のように聞こえてくる笛のような調べ。司祭が初めてその音を聞いたのは前年の冬の夕方で、始めはどこかの若者が村の娘に合図を送るために奏でている音だと考えていたのですが、どうやらそうではないらしいのです。その笛の調べは、司祭が生まれてこの方聞いたことがないようなもので、夢みたこともないほどの力を持っていました。そして笛の音が聞こえるたびに、娘たちがその調べを求めて丘を越えていく道を上がって行くのです。(「THE BLESSING OF PAN」杉山洋子訳)

ウォルディングは、イギリスの村として設定されています。包容力のある司祭と善良な人々が住み、日々労働に汗し、日曜日になれば皆教会に集まり司祭の説教を聞くという、キリスト教的に模範と言えるような村。しかしそんな理想的な村が徐々に異端のものに侵食されていってしまいます。身も心も異界に連れ去ろうとするかのような笛の音。理性ではその音にいくら抗おうとしても、感情はその音に連れ去られたがっているのです。まるで「ハンメルンの笛吹き」の笛のように。
タイトルの「牧神」とはパンのことであり、これは半人半獣の姿をしたギリシャ神話の森の神。天候や風を司り、農業、牧畜、狩猟、漁業の守護神。(パンと似た神にはサテュロスやフォーンがいますが、サテュロスは同じギリシャ神話の存在でもパンよりも格下で、フォーンはローマ神話の森と田園の神)
キリスト教の登場と共に異郷の神として追放されることになったパンですが、そのパンが19世紀末から20世紀初頭の英文学に頻繁に現れるようになったのだそうです。その役割は、文明の批判者として、あるいは物質主義に抗議する大自然の呼び声として。しかしこの「牧神の祝福」もその頃書かれた作品なのですが、この作品には「批判」や「抗議」という否定的な言葉はあまり似合わないような気がします。確かに「キリスト教批判」「現代文明への批判」と取れないこともありませんが、それほどの主義主張を持っているというよりも、古い異教時代の居心地の良さへの憧れとでもいうのでしょうか。自然への回帰などといった大層なものではなく、もっと心が求める方向へと素直に向かっているという印象です。
そしてこのウォルディングは「エルフランドの王女」の国へと通じるのかも、なんて思ったりもします。ウォルディングそのものがエルフランドとなったということはあり得ないでしょうか。


「ダンセイニ戯曲集」沖積舎(2009年4月読了)★★★★★お気に入り

【アルギメネス王】…3年前に敵であるダルニアック王に敗れ、今は奴隷の身となっているアルギメネス王。奴隷たちと一緒に土を掘っている時に古い刀を見つけます。
【アラビヤ人の天幕】…夕方にはタランナ市を出て、聖地メッカに向けてまた駱駝で沙漠を旅することになるベルナアブとアオーブ。一度旅立つと、もう幾週間も市(まち)を見ることはないのです。
【金文字の宣告】…ひどく暑い日。王宮の門に近づいたのはセサリイからの1人の旅人、そして少年少女。少年は少女の作った詩を門の鉄の扉に書き付けます。
【山の神々】…神々が眠くなってしまったためか人々の施しも少なくなっていたある日。乞食たちが思いついたのは、アルマという土地にある山の緑の石で彫った神々に成りすますことでした。
【光の門】…盗みに入った家の主人に射殺されて死んだビルは、歩いているうちに天国の門にたどり着きます。そこにいたのはジム。ジムはビルが小さいころに錠前切りを教えてくれた人でした。
【おき忘れた帽子】…ある家の前に立っている1人の客は、そこを通りかかった労働者に声をかけます。何か口実を作ってその家に入り、客間に忘れた帽子を取ってきて欲しいというのです。
【旅宿の一夜】…船員のトッフとビル、アルバアトとスニッガースの4人は宿屋の1室に足止めされていました。彼らは3人の黒人の僧侶から小さな鶏卵ほどのルビィを盗んだのです。
【女王の敵】…六代王朝の女王は神殿で宴を開き、ホーラスの祭司や四つの国の王、エチオピアの双子の公爵など敵の男たちを招きます。
【神々の笑い】…カアノス王はイクタリオンやルデブラスの言葉を受け入れて、バアバル・エル・シャアナックから竹藪の市・テックへと移り住むことに。(松村みね子訳)

劇作家としても有名だったロード・ダンセイニの戯曲全9編。
かつて王であったことを思い出すと怖くて仕方がないと言うアルギメネス王と、そういう思い出があることが幸せだと言う奴隷の子に生まれたザアブ。自分が反乱を起こしたら従うかと訪ねるアルギメネス王に向かって、たとえ王ではあっても奴隷の外見をしている者にではなく、王らしい外見に従うと言うザアブ。短い戯曲の中にも人間の本質に触れるような様々なやりとりが潜んでいて、はっとさせられる「アルギメネス王」。「何千の悪魔の親の、ひからびた欲深じじい奴!」と言われながらも沙漠の美しさが目の前に広がるように感じられ、王の沙漠への渇望が感じられる「アラビヤ人の天幕」… ここに共通するのは追憶でしょうか。「金文字の宣告」は皮肉なユーモアに満ちた作品ですが、案外こういうものかもしれない、と思ったりもします。「信じる」ということが基本。そして信じる人々の強さ。「山の神々」「神々の笑い」もこの「金文字の宣告」と似たタイプですね。こちらは「金文字の宣告」とは逆に、信じようが信じまいが、一度口に出したことには責任を持たねばならないという感じですが。「光の門」は、最後の「無」がとても印象的。聞こえてくる笑い声が何とも言えません。ダンセイニの描く神は、一貫して異教的な神々ですね。いいように人間をもてあそび、それを文字通り「何とも思わない」ような残酷な神々。その神々の姿が、無駄をそぎ落とした戯曲という形式によって、普通の小説作品よりも際立っているような気がします。
作品もそれぞれに面白いですし、これらの劇が実際に演じられているところを観てみたくなりますね。どこかギリシャ悲劇に通じるようにも感じられます。その場合はエウリピデスではなく、アイスキュロスとも少し違い、ソフォクレスでしょうか。松村みね子さんによる訳もとても美しく、最初のままの旧字・旧かな遣いの訳も読んでみたくなります。最初に日本に知られるようになった時は、戯曲家としてのダンセイニだったというのも納得してしまうような作品群です。


「魔法使いの弟子」ちくま文庫(2005年3月読了)★★★★

スペインの没落貴族の息子・ラモン・アロンソは、塔の岩森の主である父親に言われて、魔法使いの弟子となって錬金術について学ぶことに。家にはまるでお金がなく、もうじき15歳になる妹・ミランドラの持参金にも困る状態だというのです。アロンソの今は亡き祖父が、80年ほど前にその魔法使いにいのしし狩について伝授したことから、無事に魔法使いの森の家に迎え入れられるアロンソ。しかしその魔法使いの家でアロンソが出会ったのは、不死とひきかえに自分の影を魔法使いにあげてしまい、ひどく後悔している老いぼれた掃除女・アネモネでした。彼女はアロンソに、影だけは決してあげてはいけないと忠告します。しかしアロンソは錬金術の秘密と引き換えに、影を魔法使いに渡してしまうことに。魔法使いはその影の代わりに、本物そっくりの「嘘影」をアロンソに渡すのですが…。(「THE CHARWOMAN'S SHADOW」荒俣宏訳)

日頃特に何も考えず、当たり前のように存在している影のことを描いた物語。その人が本来持っている本当の影と、魔法使いが切り抜いて作る嘘の影。そういえば影をこういう風に描いたファンタジーというのは、今まで読んだことがないですね。影というモチーフの取り上げ方もそうなのですが、ダンセイニの雰囲気はとても独特で、普通のファンタジー作品とはまるで雰囲気が違うのですね。寓話のようではあるのですが、昔ながらの童話とはまた違っていて、どちらかといえば吟遊詩人の語る物語を聞いているような雰囲気でした。
魔法使いとアロンソの利害はまるで一致しません。アロンソが魔法使いから教わった「文読み」の術はともかく、アロンソが魔法使いから教わった「あらゆる物質は1つの元素から成り立っている」という理論はアロンソにとって何の意味も持たないですし、アロンソが教わりたいと思っていた黄金創りは、魔法使いにとってはまるで値打ちがない術。人が死んだ時にその影が力を持つという神父の話のように、魔法使いとアロンソは同じ森の家にいるようでも、実はまるで住む世界が違うようですね。価値観もまるで違い、しかしだからと言って全く別に存在しているのではなく、その関係は人間とその影のように表裏一体。そんなアロンソに大切なことを教えたのは、魔法使いの掃除女のアネモネでした。しかも物語終盤の魔法使いの態度…。その辺りに皮肉と面白みを感じます。
この作品は、ダンセイニの「影の谷年代記」と繋がっているのだそうなので、そちらもぜひ読んでみたいです。


「魔法の国の旅人」ハヤカワ文庫FT(2005年12月読了)★★★

ロンドンで友人のマーコートに連れられて行ったクラブで聞いた物語の数々。敷地もあまり大きくなく、部屋数もたかが知れており、ビリヤード台もなく、特別美味しいワインがあるわけでもないクラブなのですが、そのクラブに折よくジョーキンズという古株が来ていて、彼に好物のウイスキーのソーダ割を振舞えば、必ず面白い物語を聞かせてくれるのです。(「THE TRAVEL TALES OF MR. JOSEPH JORKENS」荒俣宏訳)

ビリヤードクラブで語られるホラ話の数々。それは世界中を旅してきた、一度は人魚と結婚までしたたというジョーキンズ氏が語る物語です。これまで読んだ中世的なファンタジー、「ぺガーナの神々」や「魔法使いの弟子」とはまるで違う作風に驚かされました。こちらにも妖精や魔女、人魚などは登場しますし、蜃気楼が幻想的な情景を作りますが、こちらはもっと日常に近い物語。そして「電気王」では火星旅行、「ビリヤード・クラブの戦略討議」ではなんと原爆戦争について書かれているのです。この作品が発表されたのは、広島の原爆投下から3年後。一体どのような物語になるのかと思ったのですが、ラストのオチの付け方はとても良かったです。
これまでの中世的なファンタジーとは違い、軽妙洒脱な雰囲気。ダンセイニ自身もここに登場する語り手のような生活を送っていたのでしょうか。ダンセイニといえばやはり重厚さを持つファンタジーを読みたいと思うのですが、魔女の住む森や丘の上に現れる蜃気楼の情景は、やはり美しいですね。

収録作品:「ジョーキンズの奥方」「柳の森の魔女」「妖精の黄金」「大きなダイヤモンド」「最後の野牛」「クラコヴリッツの聖なる都」「ラメセスの姫君」「ジャートン病」「電気王」「われらが遠いいとこたち」「ビリヤード・クラブの戦略討議」


「妖精族のむすめ」河出文庫(2006年7月読了)★★★★

創土社版「ダンセイニ幻想小説集」「ペガーナの神々」から、創作神話を除外して純粋ファンタジーだけを集めたという短編集。(荒俣宏編訳)

最初の短編20編は、ほとんどが「世界の涯の物語」「夢見る人の物語」にも収められているもの。そちらの2冊を読んだ直後にこちらを読んだのですが、訳者が違うせいか読みやすさも違っているのですね。個人的には、これらの短編で一番読みやすく情景も目の前に広がりやすいのは荒俣訳のように思います。同じ物語も新鮮な気持ちで読めました。照らし合わせて読み比べたわけではないのですが、「世界の涯の物語」の「女王の涙を求めて」では意味が分からなかった「キャベツ」が、こちらで「ねこばばしてきたもの」という意味もあると説明されていたり、同じく「世界の涯の物語」の「老番人の話」では「秘薬」と訳されてる言葉が、こちらでは「ゲンコツ」になっていたりと、明らかに違っている部分も目について、とても興味深かったです。
「五十一話集」の方は、それらの短編よりもさらに短く、1〜2ページ、多くても3ページほどの掌編。「兎と亀の競走に関する驚くべき真相」では、イソップのウサギとカメの話が語られていたりするのが面白いです。稲垣足穂氏は、これに触発されて「一千一秒物語」を書いたのでしょうか。

収録作品:「妖精族のむすめ」「サクノスを除いては破るあたわざる堅砦」「ケンタウロスの花嫁」「老門番の話」「女王の涙をもとめて」「サルダニクの慈悲」「三人の文士にふりかかった有り得べき冒険」「バブルクンドの崩壊」「アンデルスプラッツの狂気」「海を望む峰ポルターニイズ」「ベツムーラ」「ギベリンの宝蔵」「宝石屋サンゴブリンドの平穏ならざる物語とかれにくだされた運命」「かれはいかにして予言の告げたごとく有り得べからざる都市に至ったか」「赤道の話」「オットフォードの郵便夫」「エメラルドの袋」「追剥」「ヴェレランの剣」「カルカッソンヌ」
「五十一話集」…「約束」「カロン」「(牧神)パンの死」「ギゼーのスフィンクス」「めんどり」「風と霧」「いかだを作る人」「職人」「客」「死とオデュッセウス」「死とオレンジ」「花の祈り」「<時>と職人」「小さな町」「草の生えない草原」「蛆虫と天使」「歌のない国」「最新のもの」「デマゴーグとドゥミ=モンド」「大きなケシの花」「薔薇」「金の耳飾りをつけた人」「カルナ・ヴートラ王の夢」「嵐」「勘ちがい」「兎と亀の競走に関する驚くべき真相」「不滅者」「教訓的小話」「歌の復活」「街角の春」「敵はいかにしてトルーンラーナを訪れたか」「負け試合」「ピカデリーを掘り取る」「火災のあと」「市(まち)」「死の食物」「さみしい偶像」「テーベのスフィンクス(マサチュセッツ)」「報酬」「葉緑の街に起こったできごと」「あぜを掘る人」「エビのサラダ」「亡命者の帰還」「自然と時」「くろうたどり(ブラックバード)の歌」「使者たち」「背の高い三人の息子」「和解」「風景」「牧神(パン)の墓」「詩人と大地の対話」


「世界の涯の物語」河出文庫(2006年7月読了)★★★★

ダンセイニ初期の四大幻想短編集のうち、「驚異の書」「驚異の物語」を完全収録したもの全33編。オリジナル短編集と同じく、シドニー・H・シームの挿絵も全て収録されています。(「THE BOOK OF WONDER/TALES OF WONDER」中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳)

ロード・ダンセイニの幻想短編集成の第1巻。
J.R.R.トールキンやH.P.ラヴクラフト、アーサー・C・クラークを始めとするファンタジー、ホラー、SF作家たちに、日本でも稲垣足穂氏に多大な影響を与えたというダンセイニ。1878年から1957年という年代に生きていた作家さんに相応しく、現代のファンタジーのようなサービス精神は感じられず、むしろ説明が少なくてそっけないほどなのですが、じっくりと読めば雰囲気はたっぷり。文章を少し読むだけでダンセイニによって書かれたというのが分かりそうなほど、どの作品も個性がくっきりと鮮やかです。
「ケンタウロスの花嫁」「女王の涙を求めて」のように重厚な異世界を感じる作品もあれば、異世界と現代のロンドンを繋ぐような「ミス・カビッジと伝説の国のドラゴン」や「驚異の窓」もあり、盗賊である宝石屋サンゴブリンドやその息子が登場する「宝石屋サンゴブリンド、並びに彼を見舞った凶運にまつわる悲惨な物語」「強情な目をした鳥」、海賊船長シャードが活躍する「ボンバシャーナの戦利品」やその前日譚「陸と海の物語」のような冒険物もありと、とてもバラエティが豊かなのですね。「魔法の国の旅人」で既に、幻想的なばかりではない、時にはユーモラスなダンセイニの姿には気付いていましたが、やはりこの短編集だけでも十分にその姿は現れていました。その結末も、ハッピーエンディングと言えるものもあるのですが、大抵は思わぬ冷たさに突き放されたり、意地悪なほど現実的だったり。
そして驚いたのは、まるで違う雰囲気の短編が隣同士に来ていてもまるで違和感がなく、それどころか、異世界もロンドンも北の海も南の砂漠も、全てがどこかで繋がり合った1つの世界のように感じられたことです。「驚異の窓」の窓のように、そのような世界が実は隣り合い、どこを旅していても、たとえ世界の涯から落ちようと、そこはロンドンからすぐそこにある場所なのではないかと思ってしまうほど。ただ、この世界の根底には当然「ペガーナの神々」が存在しているのだろうとは思うのですが、短編ばかりのせいか神話的な要素はあまり感じられず、それだけは読んでいて少し不思議でした。

収録作品:I「脅威の書」…「ケンタウロスの花嫁」「宝石屋サンゴブリンド、並びに彼を見舞った凶運にまつわる悲惨な物語」「スフィンクスの館」「三人の文士に降りかかった有り得べき冒険」「偶像崇拝者ポンボの身の程知らずな願い」「ボンバシャーナの戦利品」「ミス・カビッジと伝説(ロマンス)の国のドラゴン」「女王の涙をもとめて」「ギベリン族の宝蔵」「ナス氏とノール族の知恵比べ」「彼はいかにして予言の告げたごとく<絶無の都>へいたったのか」「トーマス・シャップ氏の戴冠式」「チュー・ブとシーミッシュ」「驚異の窓」
II「驚異の物語」…「ロンドンの話」「食卓の十三人」「マリントン・ムーアの都」「なぜ牛乳屋(ミルクマン)は夜明けに気づいたときに戦慄き震えたのか」「黒衣の邪な老婆」「強情な目をした鳥」「老番人の話」「ロマの掠奪」「海の秘密」「アリが煤色の地(ブラックカントリー)を訪れた顛末」「不幸交換商会」「陸と海の物語」「赤道の話」「九死に一生」「望楼」「こうしてプラッシュ・グーは<誰も行こうとしない国>にやってきた」「チェスの達人になった三人の水夫の話」「流浪者クラブ」「三つの悪魔のジョーク」


「夢見る人の物語」ちくま文庫(2006年7月読了)★★★★

ダンセイニ初期の四大幻想短編集のうち、「ウェレランの剣」「夢見る人の物語」を完全収録したもの全28編。「世界の涯の物語」と同様に、オリジナル短編集と同じシドニー・H・シームの挿絵が全て収録されています。(「THE SWORD OF WELLERAN AND OTHER STORIES/A DREAMER'S TALE」中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子他訳)

ロード・ダンセイニの幻想短編集成の第2巻。
こちらも「世界の涯の物語」と同じようにバラエティに富んだ1冊。荘重な雰囲気の作品もあれば気軽な掌編もあります。しかし「世界の涯の物語」では、あまり神話が感じられなかったのですが、こちらはもっと「ペガーナの神々」に近く感じましたし、こちらの方が一層ダンセイニらしさが濃厚だったようにも思います。
そして、「世界の涯の物語」でもマリントン・ムーアの都のような魅力的な場所が描かれているのですが、こちらではさらに「ウェレランの剣」のメリムナの都や、バブルクンドの都(稲垣足穂氏の「黄漠奇聞」にも登場します)、他にも様々な都、それも幻想的な古の都が登場するのが特徴でしょうか。これらの都はどれだけ魅力的ではあっても、一様に滅びる運命を背負っています。そしてそれらの都と対照的なのが、「妖精族のむすめ」に登場するような現実のイギリスの町。この作品の主人公である妖精族のむすめは、沼地で魂を得て人間となるのですが、人間の生活の中で農村地帯から工業地帯へと厄介払いされ、この工業地帯のことを「ここにあるものはすべてが醜かった」と感じています。これはおそらく、ロード・ダンセイニが感じていたことそのものなのでしょうね。
私が特に好きなのは、古い叙事詩を感じさせる「ウェレランの剣」。栄光のアーンの都の天高く聳える王の館に住みながらも、「あなたさまは決してカルカソンヌに行きつくことはございませぬ」という占術師の言葉にカルカソンヌを目指したカモラク王の物語「カルカソンヌ」。一度海を見てしまうともう戻って来ない「海を臨むポルターニーズ」も良かったです。

収録作品:I「ウェレランの剣」…「ウェレランの剣」「バブルクンドの崩壊」「妖精族のむすめ」「追い剥ぎ」「黄昏の光のなかで」「幽霊」「渦巻き」「ハリケーン」「サクノスを除いては破るあたわざる堅砦」「都市の王」「椿姫の運命」「乾いた地で」
II「夢見る人の物語」…「海を臨むポルターニーズ」「ブラグダロス」「アンデルスプラッツの狂気」「潮が満ちては引く場所で」「ベスムーラ」「ヤン川を下る長閑な日々」「剣と偶像」「無為の都」「ハシッシュの男」「哀れなビル」「乞食の一団」「カルカソンヌ」「ザッカラスにて」「野原」「投票日」「不幸な肉体」

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