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このページは、ラッセル・ホーバンの本の感想のページです。

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「ボアズ=ヤキンのライオン」ハヤカワ文庫FT(2006年11月読了)★★
既にライオンが絶滅して久しい時代。海から遠い、ある町に住んでいた地図屋のヤキン=ボアズは、何年もかけて息子にやる親地図を作り続けており、息子のボアズ=ヤキンが16歳になった時、その地図を息子に見せることに。そこにはヤキン=ボアズが知っている全ての物事が書き込まれていました。しかし息子が発したのは「ライオンは?」という言葉。そして数ヵ月後、数週間の予定で旅に出たヤキン=ボアズは、1ヶ月経っても戻って来ませんでした。親地図がしまってある引き出しには地図がなく、預金が半分引き出され、妻の名義に変えられた銀行の通帳と家の権利書、そして「ライオンをさがしに行った」という書付が残されていたのです。(「THE LION OF BOAZ-JACHIN AND JACHIN-BOAZ」荒俣宏訳)

とてもアレゴリカルな物語。訳者あとがきによると、まず百獣の王ライオンは「力」「王位」「高貴」、そして西洋で発展した象徴学では8月と太陽の関係、獅子座のシンボリズム。生きている太陽のイメージであり、ライオンを殺す英雄こそが太陽に匹敵する地上の王と考えられたのだそう。これがキリスト教になると、「力」「王」「イエス・キリスト」の象徴に。そして「ヤキン」と「ボアズ」はユダヤ教とキリスト教にとっては極めて重要なシンボル性を持つ言葉で、ボアズとはソロモンの神殿の2本の青銅の柱のうち北側のもの、ヤキンとは南側のもののことなのだそうです。荒俣氏は「ボアズ→右→力→陽→若さ」「ヤキン→左→直感・叡智→陰→老練さ」とした上で、人格化したボアズとヤキンは、「力と叡智という別の方法によって神に接している人間を意味する」としています。確かにヤキン=ボアズとボアズ=ヤキンという父と息子、その老練さと若さといった対照的な象徴に彩られた物語。普通の物語であれば、若い息子が冒険を求めて旅に出て、父親は家にいるのが普通だと思うのですが、この物語ではその逆。年老いた父親がまず家を出るのです。探し求めるのは、既に失われてしまった「力」。父親は既に自分の妻の夜の相手ができなくなっているのですが、家を出てグレーテルに出会うことによって、「力」の1つを取り戻しています。そして息子もまた父親を探す旅に出るのですが…。
帯にはピーター・S・ビーグルの「くやしい。ぼくは本書のような物語を書きたかったのだ!見事に先を越されてしまった」という言葉が載っているのですが、ピーター・S・ビーグルにそこまで思わせたものは何だったのか…。やはり私にとって、一読しただけではこの作品を理解するのは困難なようです。
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