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このページは、吉田篤弘さんの本の感想のページです。

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「フィンガーボウルの話のつづき」新潮社(2003年8月読了)★★★★★

世界の果てにある、小さな食堂を舞台にした物語を書こうと思っている「私」は、しかしいつまでたってもその物語を書き始めることができないでいました。その食堂は頭の中にずっとあり、夜になると暖かい灯がともり、客のざわめきが聞こえ、食堂の上に広がる夜空までもが目に浮かぶのに、いざ机に向かって原稿用紙を広げると全てが消えてなくなってしまうのです。相談したゴンベン先生に、「何かきっかけをつかむより他にないね」と言われた「私」は、良く分からないながらも、日がな一日音楽を聴き、ゴンベン先生に会いに行く時の、渋谷から桜木町までの東横線の35分間を楽しむことに。そしてある時、ふと<小さな冬の博物館>に入ったことから、謎のイギリス人作家ジュールズ・バーンについて知ることになり、ビートルズのホワイトアルバムについて考えるようになるのです。

16の物語が入ってます。それぞれ直接的な繋がりはないものの、思わぬ言葉がリンクしてるので、まるで連作短編集のよう。世界がどんどん広がる感覚です。それらの物語に共通するキーワードは、ビートルズの「ホワイトアルバム」。そしてその根底に流れているのは「静けさ」。音楽がキーワードとなっているはずなのに、なぜか音楽ではなく、その真っ白なジャケットの静けさだけが感じられるのです。そして普通の生活の中の、ほんのちょっぴりの「不思議」。嘘をつく時は、真実の中に嘘をちょっぴり混ぜるといいといいますが、そんな風に「普通」の中にほんのちょっぴり溶け込んだ「不思議」が、とてもしっくりとして、まるで「本当」のことのよう。私がこの中で好きなのは、「6月の月放送局」の静かな声の女性の話、そして余白に言葉を書き込み続ける詩人の話。「私は殺し屋ではない」のくすりと笑えるところもいいですね。

「彼ら」の静かなテーブル、ジュールズ・バーンの話のしっぽ、ジョン・レノンを待たせた男、シシリアン・ソルトの効用、閑人カフェ、私は殺し屋ではない、その静かな声、キリントン先生、小さなFB、白鯨詩人、ろくろく、フェニクス、ハッピー・ソング、ピザを水平に持って帰った日、フールズ・ラッシュ・イン、Don'tDisturb,Please 起こさないでください


「つむじ風食堂の夜」筑摩書房(2003年7月読了)★★★★★

月舟町の十字路にぽつんと1つ灯りをともす名無しの食堂は、いつしか<つむじ風食堂>と呼ばれていました。パリ帰りのあるじの心意気が、そこいらの安食堂と一線を画すこの食堂は、皿にも古めかしい飴色のテーブルにも、コップにも、四方の壁にも大小長短さまざまな傷が重なり合い、客にどこか懐かしさを感じさせる居心地の良い場所。あるじは極めて無口にもかかわらず、居並ぶ客人たちは皆押しなべて饒舌となってしまいます。そんな食堂に夜毎集う面々。雨を降らせる研究をしていると言ったことから、いつしか「先生」と呼ばれるようになった「私」と、「私」めぐる人々の物語。

日本であって日本でないような不思議な異国情緒と、「モダン」という言葉が持つノスタルジーが同居する物語。職人気質の食堂の店主、<二重空間移動装置>を売りつけようとする帽子屋、手元にオレンジをころがし、そのオレンジに反映する淡い光の中で本を読む果物屋の青年、ロバート・デ・ニーロが日本の大工の親方に扮したような古本屋の主人、いつも主演女優と対立する役ばかり回ってくる舞台女優の奈々津さん、そして人工降雨について研究する傍ら、ありとあらゆる雑文書きを引き受けている「先生」。白と黒が丁度半分ずつの猫、オセロ。ファンタジックでありながらも、きちんとした現実感もあり、どこにでもありそうだけれど、探すとなかなか見つからない、そんな世界です。この中では、唐辛子にまつわる伝説を書かなければいけなくなった「先生」と、古本屋さんと果物屋さんの話がいいですね。「唐辛子千夜一夜奇譚」をめぐる3人のやり取りが、なんとも言えず微笑ましいです。そして舞台女優の奈々津さんの話も好き。この後はどうなるのでしょう。普段は生意気な奈々津さんの意外な可愛らしさが光ります。
ほんのりと星明かりを感じる物語です。

食堂、エスプレーソ、月舟アパートメント、星と唐辛子、手品、帽子と来客、奇跡、つむじ風


「針がとぶ」新潮社(2004年2月読了)★★★★

【針がとぶ】…詩人であり翻訳者の伯母・柚利子が亡くなり、ユイは伯母の家の中を整理することに。
【金曜日の本-『クロークルームからの報告』より】…ホテルのクロークに忘れられた1着のコート。
【月と6月と観覧車】…海辺の遊園地の駐車場のアルバイトをする「私」たち5人と、黒猫のコクテン。
【パスパルトゥ】…ロング・スリーヴスで絵を描き始めた文四郎と、万物雑貨屋のパスパルトゥ。
【少しだけ海の見えるところ1990‐1995】…伯母の日記。
【路地裏の小さな猿】…ショート・スリーヴ半島に住み着いた作家と、図書館の司書の話。
【最後から二番目の晩餐】…女性カメラマンは草原を歩いているうちに、一軒の食堂に辿り着きます。

一見普通に見えながら、実は不思議な世界に迷い込んでしまったような7つの物語。それぞれの短編の世界がお互いに少しずつ静かに響き合ううちに、1つの世界を作り上げているような感覚です。「フィンガーボウルの話のつづき」や「つむじ風食堂の夜」と共に、世界は少しずつ広くなっていくのですね。「Think」「Bolero」とも既に繋がっているのかも。読んでいるとしみじみと余韻が残ります。そしてこの中で私が特に気になったのは伯母の存在。若い頃の彼女の姿、そして老いていく彼女の姿。その変化を色々と想像してしまいます。外見は変わっても、きっと本質は何も変わらなかったのでしょうね。「少しだけ海の見えるところ」の日記がとても好きです。
さらに本には「水曜日の帽子-クロークルームからのもうひとつの報告」という物語の折り込まれています。どうやら既に、クラフト・エヴィング商會まで地続きとなっているようです。


「百鼠」筑摩書房(2005年9月読了)★★★★★お気に入り

【一角獣】…モルト氏が拾ったのは、1本の角がある自転車。パンクした自転車をアパートまで引きずって腰を痛めたモルト氏のために、卓上灯のデザイナーをしている彼女が来ます。
【百鼠】…天上界に住み、担当する下界の作家が執筆する時に側にいて物語を朗読していく<朗読鼠>。しかし3人称が全ての天上界で、イリヤクは1人称小説に興味を引かれていたのです。
【到来】…12月12日生まれの渚は、中村屋くんをおいて誕生日は京都のホテルに宿泊へ。そして母の家へ。母は小説家で、その作品には常に姿を変えた渚が登場していました。

ちょっと不思議な3つの物語。「一角獣」のモルト氏の最初の仕事は校正者、「百鼠」の朗読鼠たちは、作家にとっての神の声、「到来」の主人公は作家の娘で、自分の分身が常に母の作品に登場するという、どの人物も「物語」に繋がりがあるのですね。3編ともそれぞれに読んでいて心地良かったのですが、一番印象に残ったのは表題作の「百鼠」。ここでは、地上の作家たちが実は彼ら自身の力だけで作品を書いているのではなく、天上の力を借りているということが書かれています。確かに何事においても、「創作」というのはどこか別次元的な部分がありますし、「声を借りる」「神の視点で書く」などの言葉も、確かにそう言われてみればそうなのかもしれない… と読んでいるうちに思い始めてしまいそう。となると、ライターズハイと呼ばれる状態は、やはり鼠の朗読が乗ってきたという証拠なのでしょうか。こういった物語を吉田篤弘さんが書くというのが、何とも面白いですね。
そしてこの作品で楽しいのは、<朗読鼠>たちが<鼠>を作り出す過程。起床時や一仕事終えた時のリセットのために、<黒>と呼ばれる顔が歪んでしまうほど苦いブラックチョコレエトをひと齧りする<朗読鼠>たちは、その時に必ず<白>と呼ばれるミルクを一緒に飲み、自らの身の内に、混合物であるところの<鼠>を作り出すのです。この鼠とは生き物の鼠ではなく、色の名前としての鼠。「百鼠」とは、江戸時代の粋人たちが作り出した、 銀鼠や桜鼠、鉄鼠、鳩羽鼠など、様々な色合いをもった鼠色のことなのです。そして作り出した<鼠>を吐き出すことが、百鼠たちの主な仕事の役割。彼らは地上にいる作家を管理し、その即興の朗読によって作家たちを導いていきます。
そしてさらに面白かったのは、この天上の世界では、1人称や2人称は禁じられていて、認められるのは3人称のみだということ。管理している作家が勝手に人称を変えてしまうことは「人称改め」と呼ばれて忌まれていますし、天上世界で1人称の作品を入手することは大罪。1人称を読んだり書いたり口にしたりするのは、地上で無修正ポルノを売買するより遥かに罪が重いといいます。例えばサリンジャーの作品で言うと、「ゾーイー」はレベルC、「大工よ、屋根の梁をーー」がレベルB、「ライ麦畑」になるとレベルA。その規準が何となく分かるだけに可笑しいですね。
この物語の<風司><雷楼><命名師><吹聴手><百鼠><朗読鼠><読心房>といった言葉も素敵です。読んでいるだけで想像が膨らんでいきます。
この「百鼠」があるからこそ、「到来」の最後の一節が意味深長で素敵ですね。


「78(ナナハチ)」小学館(2006年1月読了)★★★★★

【オリエンタル・ツイストドーナツ】…10歳の夏、「僕」はハイザラと2人で<終点>へ。
【二段ベッドの神様】…誘われるように教会に通う「私」。バンシャクの拾ったSPの話をします。
【第三の男】…マンチェスターからボストンへ、そして今回<78>へとやって来た「私」。
【トゥインクル、トゥインクル】…繰り返しみる夢から目覚めると、決まって喉が渇いている「わたし」。
【ゆがんだ球体の上の小さな楽団】…ギターのロベルトと歌姫・ジングルと「僕」の楽団。
【アーサーのねじ回し】…SP盤を手に入れた「私」は、幻の楽団について調べることに。
【中庭の王様】…古書肆が軒を連ねる町に来た「私」は、居心地の良さにしばらく滞在することに。
【夜の箱】…途中までの楽譜を持って来た青年。「わたし」はSP盤を聴いては曲を探します。
【七つの夜の箱】…演奏会の合間に古道具屋に通う「私」は、ある日夜の塔の話を聞きます。
【七つの夜の箱のつづき】…アイボリー氏に話を聞いた10年後、「私」は夜の塔へ。
【クローディアと靴箱の都】…7階の姉が「わたし」に書いてくれたのは、靴の物語でした。
【カワセミ】…香奈の様子がおかしいと言い出したハイザラ。靴を替えてからだというのです。
【犬を見に行った日】…外国の町で靴のヒールが外れて困った「わたし」はツェツェの店へ。

蓄音機がないと聞けない78回転の古いSPレコードをモチーフに物語は進んでいきます。短編ごとに語り手も変わり、「オリエンタル・ツイストドーナツ」はバンシャク、「二段ベッドの神様」はハイザラ、「第三の男」はSP盤、「トゥインクル、トゥインクル」は香奈、「ゆがんだ球体の上の小さな楽団」はディー、「アーサーのねじ回し」と「中庭の王様」は作家、「夜の箱」は香奈、「七つの夜の箱」「七つの夜の箱のつづき」はチェリスト、「クローディアと靴箱の都」は夜の塔の末娘、「カワセミ」は香奈、「犬を見に行った日」はジングル。
時代も登場人物も様々な物語たちが立体的に交錯。登場する人物や小道具が次の物語へと繋ぐ役割をしていて、読んでいるとそれぞれの物語が共鳴して響き合ってくるような感覚です。まさか繋がっているとは思わないような場所や人物、出来事が繋がっていくのは、不思議でもあり当然の帰結のようでもあり、でした。全体的にとても静かに柔らかく情景が浮かんできます。今回も吉田篤弘さんらしい独特の世界ですね。何度も読み返してはこの世界に浸っていたくなりました。
これまでも「フィンガーボールの話のつづき」でビートルズのホワイトアルバムがモチーフとなっていたりと音楽的要素は見え隠れしていたのですが、今回のSPレコードというのも素敵ですね。ハイザラの言う「SPは、空気を聴くためのものだから」という言葉や、香奈の「演奏者が盤に刻んだ音を聴きながら、同時にそれを繰り返し聴いてきた人たちが刻んだ『傷』の方も聴いている」という言葉は、私もSPレコードでないながらも、33回転のレコードで感じていたこと。そして同じレコード盤でも78回転、45回転、33回転ではまた違う世界が広がっているのでしょうね。ひっそりと感じていたことをいきなり言い当てられてしまったようで、なにやら不思議な気分です。


「十字路のあるところ」朝日新聞社(2006年1月読了)★★★★

【雨を聴いた家】…映画の脚本を依頼された私。詳しい話を聞くうちに、いつか旅先の古本屋でもとめた無名の童話を思い出します。それは「水読み」と呼ばれる青年の物語でした。
【水晶萬年筆】…斜めに射した陽が大きな壁に作り出す絵のような影が面白くて、その街に住み着いたオビタダ。画家の彼は、携帯用のスケッチに丹念に影の絵を描きます。
【ティファニーまで】…正午すぎ。「わたし」は一等いい靴を履いて坂の上のティファニーへ。助手のサクラバシ君は渋い顔をしながらも慌てて付いてきます。
【黒砂糖】…今は亡き伊吹先生から譲り受けた本物の「夜の上着」をまとって、夜を拾い、植えてゆく黒子の吉田。「夜の息づかい」のリズムに合わせながら、種を蒔いては水を撒くのです。
【アシャとピストル】…買えないものがあるなら、それを売ってやろうと考えたアシャ。しかし買えないものとは何なのかしきりに呟くうちに、「鴉射」のふた文字にいきなり射ち抜かれて…。
【ルパンの片眼鏡】…かつて「ルパン」と呼ばれた男が、怪盗稼業から足を洗って路地の奥の一軒家にカヲルさんと普通に暮らしており、僕はいつからかそこに入り浸るようになっていました。

6つの短編と6つのインターバル。それぞれの物語の後には「水の行方」「銭湯の壁画」「道草の迷宮」「見えない森」「眠い街」「雨のあと」という題で短い文と坂本真典さんの写真が挿入されています。
「十字路のあるところ」という題名の通り、読んでいると十字路を多く感じる物語です。決して大きな交差点ではなく、人間や自転車しか通れないような細い道同士が交差する十字路。今ではそのような、「路地」「路地裏」「横丁」と呼ぶのが相応しいような道細い道はすっかり少なくなってしまいましたが、少し昔にはいたるところにあったような懐かしい情景です。十字路がいくつもあり、ティファニーに向かう「わたし」ではありませんが、全ての道がどこかに通じているのが良く分かります。
物語の後には、その物語に登場する場面を切り取ったような写真。物語に挿絵が添えられることはよくありますが、まさにその風景を舞台にしたような場面が写真として添えられていると、どこか不思議な感覚がありますね。現実と幻想の狭間に落ち込んでしまったような感覚がありました。物語としては、最初の2つが面白かったです。


「という、はなし」筑摩書房(2006年4月読了)★★★★

筑摩書房のPR誌「ちくま」の表紙に、2年間に渡って掲載されていたフジモトマサル氏のイラストレーションの通しテーマは「読書」。そして描きあがったそのイラストを受け取った吉田篤弘さんが、そのイラストに文章を添えたのだそうです。24枚のイラスト全てが動物の絵であり、それらの動物が本を読んだり、本を手に持っている場面が描かれています。

「読書」というテーマらしく、本好きには堪らない企画です。どのイラストも読書を想起させる絵ですし、そこに添えられた短編小説のような小文には、何かしら心にひっかかり、そのまま残っていくような文章が入っていました。
それは「夜行列車にて」の、ひっそり、のんびりといきたいと思っていても、「静けさと余裕はこの世で最も高価なものになりつつある」という文章や、「知ったかぶりは若さの特権であって、若さゆえの荒技であったのだ」という文章。あるいは、「書くときも読むときも、ひとりぼっちじゃないってことだ」(「背中の声」)、「理由を訊かれても困るが、人はそんなふうにちょっとでも淋しくならないと、本当に『考えるべきこと』を考えない」(「灯台にて」)という文章。そして一番印象に残ったんは、「死因は、携帯電話による『情報過多死』。」(「待ち時間」)と、今の情報過多ぶりを嘆くアンテナ氏の言う、「十年前はこれほどではありませんでした。いま思うと、まだほどよい時代だったんです。ああ、西の空にNHKの『みんなのうた』が飛んでゆくなぁ、とはっきり確認できたんですから」(「何ひとつ変わらない空」)、「小説=行き先のわからないもの」(「話の行き先」)という言葉。
文章そのものでなくても、「背中合わせ」の、何も知らない時に読書をする幸せや、「稀有な才能」に書かれた、「降りるべき駅に到着したとき、必ず『あと五ページで読了』というタイミングになる」のが困りものだけど、「ときに車中で読み終えてしまうと、なんだか味気ない気にもなる」話、「暗転」の、いきなり停電になってしまっても、それまで読んでいた本の場面は頭の中にくっきり浮かんだままだという状況の話も、とても印象に残ります。
決して派手ではありませんが、本が好きな人でなければ書けない文章。そして本好きでないとなかなか反応できないのではないかと思われる文章。吉田篤弘さんご自身が本がお好きなことがとても伝わって来ますし、読んでいて穏やかな気分になれました。

収録作:「夜行列車にて」「背中の声」「読者への回復」「灯台にて」「虎の巻」「待ち時間」「地上の教え」「何ひとつ変わらない空」「居残り目録」「眠くない」「かならず」「影の休日」「寝静まったあとに」「話の行き先」「寝耳に水」「ひとり」「背中合わせ」「とにかく」「海へ」「稀有な才能」「日曜日の終わりに」「暗転」「時間を買う」「恋と発見」「あとがきのまえがき」「あとがきのあとがき」


「空ばかり見ていた」文藝春秋(2006年5月読了)★★★★

小学校の頃に父親と行っていた床屋にいたホクトさん。高校を出ると当然のように理容学校に通い、フランスに研修に行くものの、たまたま出会った高名な女性パントマイミストの舞台に魅せられて、彼女に弟子入りしてしまったというホクトさんですが、父親が急逝してホクト理容室を継いだのだという話。いつもきれいな鋏さばきを見せていたホクトさんですが、色んな人の髪を切ってみたいという思いから、突然床屋を閉じて放浪の旅に出てしまうことに。

流しの床屋・ホクトさんを中心にした12の短編集。店を閉じてしまった後も、他の物語に流しの床屋として誰かの髪を切っているホクトさんの姿が垣間見えてきます。最初は日本の街角にいたホクトさんですが、フランスに留学していたということもあり、活動の場は日本だけとは限りません。気がつけば外国の街角にも姿を現し、その風景にしっくりと溶け込みながら、そこにいる人々の髪を切っています。そして、気づけば「ある小さな床屋の冒険」という映画の中にも、トナカイの肉と引き換えに見知らぬ男の髪を切った「ノア」と呼ばれる男の物語の中にも、ホクトさんの姿が見えてくるのです。繋がっているようでいて繋がっていない、しかし繋がっていないようでいて繋がっている物語の世界は、吉田篤弘さんならではですね。しかし確かに鋏1つあればどこででも商売ができる床屋ですが、町の噂話の集積所となりやすい床屋という場所の性質から言っても、流しの床屋という存在は、なぜだかとても意外でした。しかしホクトさんの姿は、すぐに思い浮かべられます。とは言っても、髪を切っている姿よりも、商売道具の鋏の入った鞄を持って静かに去っていく後姿の方が思い浮かべやすいのですが。
北斗七星と鋏をあしらった空の色の装幀もとても美しいです。晴れた空、雨の空、夜の星空など沢山の空が登場しますが、この色がこの物語には一番ぴったりですね。

収録作品:「七つの鋏」「彼女の冬の読書」「星はみな流れてしまった」「モンローが泊まった部屋」「海の床屋」「アルフレッド」「ローストチキン・ダイアリー」「ワニが泣く夜」「水平線を集める男」「永き水曜日の休息」「草原の向こうの神様」「リトル・ファンファーレ」


「それからはスープのことばかり考えて暮らした-Depuis lors, je passais mon temps a ne songer qu' a la soupe.」暮らしの手帖社(2006年9月読了)★★★★★

無職のまま、新しい町に引っ越した大里ことオーリィは、すれ違う人が皆、「3」と白い数字が1つ刷ってある茶色い紙袋を持っているのに気づき、不思議に思います。それは近所のサンドイッチ屋の袋。アパートの大家のマダムの「なかなかおいしいわよ」の言葉に、オーリィは隣の月舟町の映画館に行く時にサンドイッチを買ってみることに。そしてその美味しさに驚いたオーリィは、それから毎日のようにサンドイッチを買いに通い、とうとうそのサンドイッチ屋で働くことに。

のんびりとした主人公を取り囲む、安藤さんやその息子のリツくん、大家のマダム、濃い緑色のベレー帽をかぶった女性。素敵な人々がそれぞれにきちんと前を向いて進んでいて、それでいて全くあくせくせず、自然体のまま存在しているのがとても気持ちの良い作品。彼らは彼ら自身の人生の主役ではあっても、主役ならではの華やかさを持っているわけではなく、むしろ「脇役」的味わいを持った人々。それは古い日本映画に、ひたすら脇役として登場する「松原あおい」の姿にも重なりますし、物語の最後にオーリィ君の作る主役不在のスープにも重なります。名もない人々の「名なしのスープ」ではあっても、無理に前面に出ようとしたり、主張しようとがんばりすぎたりしない人々の調和が醸し出した味わいは格別。本の表紙にも手書き風の味わいのある絵にフランス語が添えられていて、まるでフランスの料理本のように見えますし、日本人しか登場しないにも関わらず、パリの街角が思い浮かぶようなお洒落な雰囲気。それでいてどこか懐かしい印象。美味しいスープのほんわかした湯気がとても良く似合います。
安藤さんの作る「3」のサンドイッチもとても美味しそうですし、オーリィ君のスープも美味しそう。このレシピも素敵。ぜひ試してみたいです。

「サンドイッチ」「月舟シネマ」「電報」「夜鳴きそば」「レインコート」「うわの空」「口笛」「遠まわり」「宙返り」「秘密と恋人」「名なしのスープ」「アンテナ」「時計」「名なしのスープのつくり方」


「小さな男*静かな声」マガジンハウス(2009年2月読了)★★★★

百貨店の寝具売場に勤めながら百科事典の執筆に勤しみ、最近<ロンリー・ハーツ読書倶楽部>に讃歌した「小さな男」。そしてラジオのパーソナリティで、最近日曜の深夜1時からの2時間の生番組に抜擢されたばかりの34歳の静香。そんな2人のそれぞれの物語。

「小さな男」と静香の2人の小さなエピソードが沢山積み重なってできている物語。この2人、仕事も行動範囲も違いますし一見何も接点もありません。物語なので、当然2人の人生がどこかでクロスするのだろうと予想できますし、序盤で早速、昔ジァンジァンでモギリ嬢をしていたという「ミヤトウ」さんが接点だと分かることになります。ミヤトウさんは、<ロンリー・ハーツ読書倶楽部>の最古参の1人であり、そして静香の勤めるラジオ局のロビーにある小さな売店で働いていたことがあるのです。しかしクロスするのは、そこからではなかったのですね。手帳や自転車など小さいところから、少しずつ少しずつゆるやかに重なっていきます。それはシンクロしているといえばしているし、気がつかなければ特に大して問題にもならない程度。それは「結局、いちばん残しておきたいものはいつでもこうしてこぼれ落ちてゆく。人の記憶なんてそんなものだ。(中略) 代わりに、どうでもいいことばかりが克明に記録されてゆく。」ということを、特定の出来事に置き換えてみたかのよう。
私が気に入ったのは、静香さんの弟で手作りの「あかり」を購入者に届けているというシン。あかりを作るきっかけとなった古詩集屋<午睡屋>も素敵。ここの店長は、昭和30年代の時刻表や「熱帯果実図鑑」「卓上灯製作の実際」といった本を「詩集です」と断言し、「つまり、いったい何が詩で、何が詩ではないか、という根源的な問題に関わっているのです」と澄ました顔で説明する白影くん。彼に言わせれば、詩集とは静かな声を閉じ込めたもので、詩集屋というのは静かな声を売る店なのですね。なんだかとても素敵です。

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