Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、篠田節子さんの本の感想のページです。

line
「贋作師」講談社文庫(2002年12月読了)★★★★

石膏デッサンと模写では常に最高点、最難関と言われる国立美大に現役入学した栗本成美。しかし彼女は自分の卓越した技巧の向こうに見える空虚な内実に気付いていました。権威ある芸術の賞にも学生のうちに佳作入選するのですが、早々に自分の才能に見切りをつけ、絵画修復を仕事として選ぶことに。そんな彼女も39歳。今回舞い込んだのは、先日自殺した日本洋画界の大御所・高岡荘三郎画伯の膨大な遺作の修復の仕事。保管状態が悪いため、変色やひび、汚れで、物によっては運搬すらできないほどのひどい状態となっていました。そして成美は高岡邸での本格的な作業を始めます。しかし荘三郎の絵、特に晩年の風景画は、億単位で取引されているものの、成美の目から見るとただの量産品。そしてアトリエには傑作と言える作品も残されていました。そこに描かれていたのは、かつて成美が大学で一緒だった阿佐村彗。成美とまるで同じ欠点を持っていた阿佐村は、荘三郎の愛弟子であり、しかし荘三郎の死の1年前武蔵野線に飛び込み自殺していました。

篠田節子さんが1990年度の乱歩賞に応募した「闇の図象学」を加筆修正したという作品。
阿佐村彗が実は荘三郎の名前で作品を描いていたのではないのかという疑問に始まり、さまざまな謎が2重3重に絡み合っています。それらの謎をめぐって、成美は荘三郎の姪・芳子とやり合うのですが、これがまるできつねとたぬきの化かし合い。成美の行動は、あまりに男性的で直線的すぎるきらいはあるのですが、そんな成美の強い行動を、ねっとりとした味わいの芳子がカバーしているようです。そして2人のやりとりの中に、荘三郎を中心として、妻・雅代や弟子の彗などが繰り広げていたどろどろとした世界が描かれていきます。なかなか迫力のあるミステリ&サスペンス。しかし成美と彗の結びつきが少々弱い気がしますね。生々しい恋愛的な繋がりではない方がいいとは思いますが、お互いに分身的な、運命共同体的な、精神的な繋がりの描写がもう少し欲しかったです。
私が一番気に入ったのは、成美の同業の友人・滝沢才一。成美の男性的な面を和らげてくれる絶妙な存在ですね。言葉遣いの割に、意外とタフな面も見せてくれますし、才一が主人公となる作品もぜひ読んでみたいと思うほどのキャラクター。そして絵画修復という仕事の技術的な面が詳しく描かれているのも、とても興味深かったです。


「アクアリウム」新潮文庫(2002年7月読了)★★

奥多摩の原生林の中にある地底湖でダイバー仲間の有賀純一が行方不明に。警察や地元の青年団によって捜索されるものの、何の手がかりもつかめないまま2週間が経過。その頃、長谷川正人の元に、純一の彼女だった澪から電話がかかってきます。警察が危険だという理由で捜索しなかった地底湖の横穴の中を、もう1度探して欲しいというのです。澪と共に奥多摩に向かい、1人で迷路のように入り組んだ水没鍾乳洞へと入って行く正人。その鍾乳洞の奥の空間で正人が見たのは、純一の死体と、白く揺らめく影。全長3メートルほどの半透明の薄紅色をした、柔らかな潜水艦のような洞窟性生物でした。その生物を恐れて地上に戻ろうとした正人ですが、間違った通路に入り込み、道を見失ってしまうことに。しかし不思議な感覚に導かれ、正人は無事に地上へと脱出。正人は東京に戻ってもその不思議な感覚が忘れられず、後日再び奥多摩へと向かいます。

ジャンル分けの難しい作品ですね。最初は冒険風味の青春小説かと思えば、途中はSFファンタジー、そして環境問題にも深く入り込み、物語はどんどん変貌していきます。
イクティと呼ばれることになる生物の描写がとても幻想的。地元の青年団には「真っ暗で冷たくて水は濁っているし、とにかく嫌なところだ。こんなとこに潜る人間の気がしれない」と言われる湖は、物語が進むにつれて、どんどん幻想的に美しい情景となっていきます。そしてイクティにも、不思議な存在ながらも、リアリティが感じられます。
ただ、この幻想的な部分は良いのですが、後半の環境問題が絡む部分はどうなのでしょう。話の流れとしては分かるのですが、少々唐突な気がします。最初は環境問題運動を警戒していたはずの主人公が、気がついたらすっかり入り込んでいたという部分も、唐突すぎて説得力に欠けているのでは。そして特に解せなかったのは、ラスト近くの主人公の行動。どうも性急すぎるというか、子供っぽすぎるというか、なんとも現実感がありません。大学紛争の時代の話ならともかく、現代の日本が舞台なのです。しかも澪と伊丹の存在意義もよく分からないですね。環境問題などを絡めるよりも、幻想的な正人とイクティの恋をメインにした方が、素敵な物語になったのではないかと思います。


「聖域」講談社文庫(2002年11月読了)★★★

山稜出版の実藤は、入社7年で念願の文芸誌「山稜」編集部に異動することに。しかし異動したその日、掲載予定の原稿の山を見て幻滅を感じることに。鋭い切っ先も、透徹した眼差しも、斬新な言語感覚も、綿密に構成された世界も、泣かせる人情味も、手に汗握るサスペンスも、何ひとつ感じられない作品群。彼は文芸誌の仕事に胸の躍るような期待を抱いていたのです。しかし米山編集長に言われて、退職した篠原のデスクにあった荷物や原稿を片付け始めた彼は、水名川泉という人物の書いた「聖域」という原稿に夢中になってしまいます。しかし500枚以上に渡って書かれたその原稿は、なぜか未完のままだったのです。続きがどうしても知りたい実藤は、早速水名川泉を探し始めることに。しかし水名川泉に関わった人間の誰もに、危険だから関わるのはやめろと止められて…。それでも実藤は彼女を追い続け、とうとう「聖域」の舞台である東北にまでたどり着きます。

まず、水名川泉によって書かれた「聖域」という作中作が魅力的。比叡山延暦寺で神童と言われてきた僧侶・慈明が主人公の壮大な歴史ドラマなのですが、この小説の続きがどうなるのかというのが気になって、一気に読み進めてしまいました。その間にも実藤が水名川泉を探している間に耳にする様々な話や、水名川泉と関わりあうことによって人生を狂わせてしまう人々のことなど、興味を持続させてくれるエピソードには事欠きません。まるで、この作品自体が大河ドラマのようです。
しかし実藤が水名川泉を探している過程までは良かったのですが、実際に続編を書かせようとする頃から作品全体の雰囲気が変わっていってしまったような気がします。モチーフが満載なのはいいのですが、方向性の異なるモチーフを詰め込みすぎて、肝心の柱がボヤけてしまったような印象。水名川泉に原稿を書かせようとする実藤の姿もはっきり言って見苦しいです。編集者とはこんなもの、と言われてしまえばそれまでなのですが、実藤のイメージが元々オタクに近いことから、どうにもやりきれないですね。生と死、魂と肉体、に関する説明なども、今ひとつ説得力がありません。こういったモチーフに関しては、読者が日頃どのように捉えているかによって読後感がかなり左右されると思いますし、やはりかなり難しい存在なのではないでしょうか。
作中作の最後の結末が明示されなかったのがやはり残念。おそらく読者自身が、それぞれに創っていかなければならないのだとは思うのですが、それでもやはり完成させて欲しかったです。


「カノン」文春文庫(2002年12月読了)★★★★

小学校の音楽教師をしている小牧瑞穂は、香西康臣が自殺したという話を小田嶋正寛から聞き、驚きます。瑞穂と康臣と正寛は20年前、瑞穂が大学生2年の時に、三重奏を完成させるために20日間の合宿をした仲間。当時チェリストとしてプロの演奏家を目指していた彼女は、しかし合宿が終わった後、プロへの夢を失って音楽教師への道を進んでいたのです。天才的なヴァイオリンを弾く康臣と、康臣を通して知り合ったピアノの小田嶋正寛もまた、それぞれに違う道を歩いていました。正寛の都合が悪くなり、仕方なく1人で松本にある康臣の家へと向かう瑞穂。そこで康臣の弟の有助から1本のテープを渡されます。そこに録音されていたのは、バッハらしきバイオリン曲。明らかに康臣の演奏でした。しかしアクセントが不自然すぎ、音がぽつりと切れる奇妙な旋律なのです。その曲を聴いた途端、瑞穂は死んだはずの康臣の姿を見てしまいます。それ以来、瑞穂の周囲で次々に奇妙な出来事が起きることに。薄気味悪く思った瑞穂はそのテープを捨てるのですが、しかしその旋律は瑞穂の頭の中で鳴り続け、ダビングしたはずのないテープに勝手に録音され、瑞穂はその旋律から逃れられなくなってしまいます。

自殺した男の残したカセットテープが奇妙な現象を引き起こす、という部分はまるでホラー作品なのですが、ありきたりのホラー作品とは一味違う作品。怪異現象の原因は何かということよりも、なぜそれらの現象が登場人物の上に起きるのか、死んだ康臣からのメッセージなのか、という方向に話は進みます。それによって登場人物たちは自分を見つめ直す機会を得るという物語。40歳という、家庭も仕事も一番充実している時に突きつけられる、20年前に封印したはずの想い。これまでの20年間が間違っていたのではないかという苦悩。やり直すことはできるけれど決して早いとは言えず、失う物も大きいこの年齢。きつい設定ですね。人は日々色々と忘れていくからこそ生きていられるのですし、意識的に、そして無意識に、妥協や取捨選択を繰り返しています。20歳の頃の夢のままに人生を歩めている人間など、そう多くはないのです。しかし康臣は、それらの想いを容赦なく突きつけます。まるで自分が上手くできなかった取捨選択をすることを、他人にも許さないかのよう。天才には変人が多いと言われますが、その原因の1つに、このこの妥協や取捨選択が上手くできないというのもあるのかもしれませんね。彼らの創りだす芸術がそれらの犠牲の上に成り立っているのかと思うと、なんともやるせない気はしますが。
音楽には聴いた時に情景を喚び起こす力があると思いますが、その働きは人間の想像以上のものなのかも。音楽によって、その時の情景だけでなく感情すらも生々しく甦ってしまうのですから。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.