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このページは、柴田元幸さんの本の感想のページです。

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「つまみぐい文学食堂」角川書店(2007年10月読了)★★★★

「Menu」「Aors d'Oeuvre」「Fish」「Meat」「Specials」「Beverages」「Desserts」と、本当のフルコースのメニューになぞらえた章立てで、翻訳家である柴田元幸さんが主にアメリカ文学の中の食べ物を紹介していく本。あとがきとして、挿絵を描いた吉野朔実さん、一日従業員だという都甲幸治さんとの対談付き。

美味しそうな料理が登場する本は、それだけでも得した気分になりますし、実際日本の作品にはとても美味しそうな食事の場面を描いた作品が多いです。しかしこの本を一読して驚いたのは、これだけ料理の場面を紹介しておきながら、美味しそうな料理がほとんどないこと。たまに美味しそうだと思えば、それはポール・オースターのチキンポットパイのように、紹介されるだけで品切れと判明、結局登場しないまま終わってしまう料理なのです。「オードブル」の中の「根菜類等」の章に登場するじゃがいもなど、かつてミスター・ポテトヘッドというゲームで使われてそのまま箱の中に放置され、今はすっかり萎れているじゃがいもだったり、83歳の老人の腸から取り出した良性のポリープがキクイモとして料理されていたり…。海外作品で料理が美味しそうな本、と言われてすぐに思い浮かぶ作品はいくつもありますし、それほど不味そうな料理ばかりではないはず。それがなぜそのような料理ばかり登場するのか不思議に思っていたら、あとがきの対談に「上手くいってる恋愛の話なんか聞きたくないじゃないですか。それと同じように、旨い食べ物の話を聞くぐらいなら自分で旨いものを食べたいと思うから、人は旨い食べ物の話なんか読みたくないだろうというのが、僕の頭の中のロジックなわけです」「やっぱり、だから『アンナ・カレーニナ』の出だしの、幸福な家庭はどこも似たようなものだが、不幸な家庭はみんなそれぞれ違っている、それぞれの不幸があるという、あれですよ。あれと同じで、おいしい食べ物はみな似たようなものだが、不味い食べ物には、それぞれ独自の不味さがある… 違うか。(笑)」という言葉。これには驚きました。しかしそれも一理あるかもしれませんね。そこには、アメリカの日々の食事としてのベーシックな料理が非常に不味いということも関係しているようですが…。そして吉野朔実さんの「あんまり不味いものの話を聞くと、ちょっと心惹かれるんですよね。一度ぐらい、それを口にしてみようかなって」という言葉も可笑しいですね。不味いものを食べてみたくなるかどうかは個人差が激しいところだと思いますが、これはむしろ読書に当てはまる言葉なのではないでしょうか。少なくとも、怖いもの見たさで読みたくなる本というのは、私には確かにあります。
そしてここに登場する料理が不味そうである以上に、紹介されている本も「面白そう」というよりは、むしろ「妙」や「変」という言葉が相応しい作品たち。柴田元幸さんの読み方も時々妙にマニアックで作品への興味を一層そそりますし、料理の「不在」について、または料理が料理として純粋に存在しているのではなく、小説の中の負の要素を強調するような使い方をされていることなどが分かりやすく解説されており、とても興味深いです。
ちなみにこの本の中での「柴田元幸」は、まるで冴えない情けない3流翻訳家のように書かれていますが、実際の柴田元幸さんは東大の教授でもあり、翻訳家としても超一流。本来なら雲の上にいてもおかしくないはずなのに、敢えて親しみやすいスタンスで書かれているのがいいですね。

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