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このページは、ポール・オースターの本の感想のページです。

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「シティ・オヴ・グラス」角川文庫(2004年3月読了)★★★

現在35歳の作家・ダニエル・クィン。結婚歴はあるものの妻子は既に亡くなり、現在はニューヨークの小さなアパートに1人暮らし。かつては詩集や戯曲、評論、翻訳などを精力的に手がけていたものの、現在はウィリアム・ウィルソン名義で私立探偵・マックス・ワークが活躍する推理小説を1年に1作発表するのみ。そんなクィンの元に真夜中にかかってきた電話は、オースター探偵事務所のポール・オースター宛。一旦はそのような人物はいないと電話を切るクィンですが、再びかかってきた時、クィンはポール・オースターとして、依頼人のピーター・スティルマンに会いに行くことに。(「CITY OF GLASS」山本楡美子・郷原宏訳)

ポール・オースターのデビュー作。ニューヨーク三部作の1作目でもあります。
7ページに「かつてのクィンから分かれた三人のうち、ウィルソンは腹話術師の、クィン自身は人形(ダミー)の、ワークは人形の演技に生気を与える声の役割を果たした」とあります。「ウィルソンは幻想であるにもかかわらず、彼は他の二人の生活を保証した。ウィルソンは存在しないにもかかわらず、彼はクィンがワークの世界へ入っていく橋となった。少しずつ、ワークはクィンの存在の一部に、内なる兄弟に、唯一の友だちになっていった」。ここに探偵としてのポール・オースターとしての人格が加わることになります。3人の人格で、際どいながらも微妙なバランスを保っていたはずなのに、ここに探偵の人格が加わることによって、そのバランスは崩れてしまうことに。本来、分身は本体のために存在していたはず。しかしいつの間にか本体は分身と同一線上の存在となり、特別な存在価値は認められなくなります。そして気づけばそこには分身があるのみ。本体は一体どこにいってしまったのでしょうか?「存在」と「不在」さえも、明確に区別がつかなくなってしまう世界。名前など意味はないとしながらも、やはり名前にも重要な価値があるということを感じます。不思議な感覚の作品です。


「幽霊たち」新潮文庫(2001年12月読了)★★★

ある日、私立探偵のブルーがホワイトと名乗る男から受けた依頼は、ブラックという男を見張ってくれというもの。ブラックのアパートの真向かいの部屋が用意され、ブルーは早速その部屋に引っ越してブラックを見張り始めます。しかしブラックの日常は単純そのもの。一人暮らしで、一日中机に向かって書き物をしたり読書をしているだけなのです。そうこうしているうちに、数日、数週間、数ヶ月が過ぎて…。暇をもてあましたブルーは、思い切って行動を起こすことになります。(「GHOSTS」柴田元幸訳)

なんとも不思議な小説でした。登場人物の名前はすべて「ブラック」「ブルー」「ホワイト」など、色の名前ばかりなのですが、作品自体は全くの無彩色。そして全ての物の存在感がとても希薄です。人の名前も物の名前も、結局は単なる記号にしかすぎないということなのでしょうね。そして一旦記号になってしまうと、自分と他人の境界線もとても曖昧になってしまいます。見ているブルーと見られているブラックの位置は、実はふとした拍子に反転し得るもの。ブルーはブルー自身ではあるけれど、同時にブラックであり、ホワイトであり、ブラウンであり…。他の人間を見張っていると思い込んでいながら、実は窓に映る自分を見張っていただけなのかもしれません。私立探偵は登場するのですが、期待されるような事件は特に何も起きず、過去に起きた事件や出来事の話ばかり。まるで抽象画を見ているような気分にさせられる作品です。
この雰囲気は確かどこかで読んでいると思っていたら、訳者の柴田元幸氏の後書きに「オースターは、カフカ、ベケット、安部公房といった作家たちと比較されてきた」という文章が。まさにその雰囲気です。


「ムーン・パレス」新潮文庫(2005年5月読了)★★★★★

生まれた時から父がおらず、11歳の時に母・エミリーを交通事故で亡くしたマーコ・スタンリー・フォッグが、唯一の身寄りである伯父のビクターを亡くしたのは、人類が初めて月面を歩いた夏、マーコがコロンビア大学3年生の時でした。伯父はお金をまるで残しておらず、逆にその葬儀の出費などで貯金は激減。このままでは大学を卒業するまでお金がもたないと悟ったマーコは生活をぎりぎりまで切り詰め、それまで手をつけていなかった伯父の1492冊の蔵書を読んでは古本屋に売り払って食費にするという生活を送り始めます。しかしとうとう家賃を滞納。親友のジンマーと連絡が取れないまま部屋を追い出されてしまうのです。セントラル・パークに寝起きし、飢えと病気のために死ぬ寸前だったマーコを見つけて救出したのはジンマーと、ジンマーを探している時に偶然知り合ったキティ・ウーでした。マーコはジンマーの部屋で介抱されて健康を取り戻し、キティ・ウーと恋人同士になり、車椅子に乗った盲目の老人トマス・エフィング相手の住み込みの仕事をみつけます。(「MOON PALACE」柴田元幸訳)

ポール・オースターが「私がいままで書いた唯一のコメディ」と言っているという作品。そう言われてみると、確かにそうかもしれないですね。少なくとも、これまで読んだオースターの作品の中では、一番「物語」的な作品だと思いますし、限界の生活の中で自虐的になりながらも、あくまでも虚勢を張る主人公の姿はとてもコミカル。本来なら、実に様々なものを手に入れながらも、その全てを失い、結果的には何1つとして手元には残らない主人公の姿はかなり暗い雰囲気となってもおかしくないはずなのですが、主人公のスタンスは、他の人間とはまるで違う次元のようにも感じられます。決定的な暗さや悲壮感がまるでないのです。
マーコの人生は様々な人間の人生と錯綜しますし、この1冊の本の中に詰まっているのはマーコ1人の人生だけではありません。確かにマーコ・フォッグの物語でありながら、同時に奇矯なトマス・エフィング老人や巨大な歴史学者・ソロモン・バーバーの物語でもあります。この3人の関わり合い、そしてそれぞれのルーツ。これは既に人生の途上における交差点といったレベルではありませんね。この3人の人生が丸ごと入り込んでいるこの作品は、とても充実していると共に濃密。そして読む場所によって受ける印象がこれほど変わる作品も珍しいのではないでしょうか。基本的には青春小説だと思うのですが、場所によっては恋愛小説になったり、冒険譚となったり、はたまたSFとなったり、表情がくるくると変わります。寓意にも富んでいますし、読むたびに新たな発見がありそう。1度きりしか読まないのは勿体無い作品ですね。そして読んでいるうちにどんどん好きになっていきそうな作品でもあります。


「ミスター・ヴァーティゴ」新潮文庫(2007年11月読了)★★★★★

1927年、ベーブ・ルースとチャールズ・リンドバーグの年。両親を亡くし、セントルイスの街で小銭をせびって暮らす悪ガキだった9歳のウォルトは、イェフーディ師匠によってスリム伯父とペグ伯母の家から救い出され、一緒にカンザス行きの汽車に乗ることに。イェフーディ師匠はウォルトには天賦の才があるといい、13歳までに必ず空の飛び方を教えてやると約束したのです。連れて行かれたウィチトーの家にいたのは、歯が2、3本しかない太ったインディアン女のマザー・スーと、体中の骨ががねじれて歪んでいる15歳のせむしの黒人少年・イソップ。なかなか新しい生活を受け入れることのできないウォルトですが、やがて空が飛べるようになるための33の階段を、少しずつ上り始めることに。(「MR. VERTIGO」柴田元幸訳)

9歳で拾われて、12歳の時に空中を歩けるようになり、「ウォルト・ザ・ワンダーボーイ」として一世を風靡した少年の、77歳までの人生を描いた物語。少年視点の物語ということで、その語り口調からしても今までの作品とは少し雰囲気が違いますが、とても読みやすくて面白かったです。人種差別やKKK団、禁酒法やギャング、大恐慌などの背景をさりげなく絡めて1920年代の雰囲気を出しているところも良かったですし、詳細な修行の様子を見ていると、本当に人間は空を飛べるようになるのかもしれないという気にさせられてしまいますね。しかし実際に空を飛べるようになり、巡業が成功して名前が知られるようになっても、ウォルトにとってそれはゴールではありませんでした。ウォルトの人生は飛翔と落下の連続。一度は地上の重力から完全に逃れられたように見えるウォルトですが、実はまだ地上のしがらみが絡み付いており、地上に引き戻されることになります。そして飛翔と落下の連続の人生を歩んでいるのは、当然ウォルトだけではなく、イェフーディ師匠もマザー・スーも、イソップも同様。結局ウォルトはそのせいで、激動の時代の中で何度も人生の岐路に立たされ、再度の方向転換を強いられながらも、最後まで「生き抜いて」いくことになります。ウォルトの人生を68年にもわたって描いているせいか、波乱万丈でありながらどこかゆったりとした印象もあります。途中でも「これが映画だったら」と映画的な場面の説明がありますが、古き良きハリウッド映画を見ているような感覚も。
ちなみに終盤で登場するウォルトのお気に入りの甥の名前はダニエル・クィン。大学教授で妻と1人息子と共にデンヴァーで暮らしているとのこと。実は「シティ・オブ・グラス」に繋がっていくのですね。

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