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このページは、ラドヤード・キプリングの本の感想のページです。

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「キプリング短篇集」岩波文庫(2009年1月読了)★★★★

【領分を越えて】…市街の中心に深く入り込んだところにあるアミール・ナトハ横丁。そこに住む若く美しい寡婦・ビセサは、ある日イギリス人のトレジャゴが躓いて転ぶのを見て笑い出します。
【モロウビー・ジュークスの不思議な旅】…土木技師のジュークスが偶然出くわした不思議な村。その村には死者とは言えないにせよ生者とも言えない人々が暮らしていました。
【めえー、めえー、黒い羊さん】…パンチとジュディは両親一時的に別れて暮らさなければならなくなります。そして引き取られた先でパンチを理解してくれるのは、アンクルハリーだけだったのです。
【交通の妨害者】…トリニティ組合の規定では、夜間、職務と関係ない者を灯台に入れてはいけないにも関わらず、「私」はフェニックに「崖の下の聖セシリア灯台」に入れてもらい、話を聞くことに。
【橋を造る者たち】…土木技師のフィンドレイソンが監督として従事していたのは、ガンジス川に橋をかける事業。助手のヒッチコックと元船乗りのペルーと頑張ってきたのです。
【ブラッシュウッド・ボーイ】…6歳になったジョージ坊やは、ベッドに寝ている間に様々なお話を作り出します。自分の頭から出てくる話が、どれも初めて聞いたもののように面白いのです。
【ミセス・バサースト】…友人のフーバーと偶然出会った「私」は、貨車の到着を待つ間、食べ物と飲み物を手に入れてグレンガリフの引込み線へ。
【メアリ・ポストゲイト】…ミス・メアリ・ポストゲイトは付き添婦(コンパニオン)として60歳近いミス・ファウラーの家で仕事をすることに。じきにミス・ファウラーの甥も引き取られます。
【損なわれた青春】…グレイドン氏が小説供給のために作ったシンジケートはやがて大成功を収めるようになります。そこには後にチョーサー研究家となるカストレイもいました。(橋本槙矩訳)

一番印象に残ったのは、「めえー、めえー、黒い羊さん」。これはキプリング自身の幼い頃を描いた自伝的な作品なのだそう。「黒い羊」というのは厄介者という意味。「There's a black sheep in every flock」は、どこにでも厄介者はいるという意味のことわざです。両親と一時的に別れて暮らすことになった幼いパンチとその妹・ジュディですが、引き取られた家でパンチは文字通り「黒い羊」となってしまいます。ジュディはみんなに気に入られて可愛がられるのに、パンチ1人がローザ叔母さんとその息子ハリーにいじめられる日々。パンチ視点の物語なので、ローザ叔母さんがなぜそこまでパンチのことを嫌いになったのかは分からないのですが…。日々酷い扱いを受けたパンチは物語の本に逃避し、とうとう視力を失う寸前までいってしまうのです。そして最終的に2人の「ママ」が迎えに来た時、パンチはその愛情を素直に信じることができないのですね。夜部屋を訪れた母親を見て、「暗い中をやって来て叩くなんて卑怯だ。ローザ叔母さんだってそんなことはしなかった」と思うほどですから。そしてそんなパンチとは対照的に「気紛れなジュディはすでにローザ叔母さんから離れつつあった」という一文が皮肉。
解説では、キプリングが投影されている作品としてはこの「黒い羊」しか挙げられていませんでしたが、「ブラッシュウッド・ボーイ」という作品では主人公のジョージが様々な物語を作り出しています。この作品もキプリング自身を投影しているのでしょうか。ジョージの外見的な造形は当時の典型的な帝国主義的な帝国の少年で、キプリング自身の憧れも入っているようですが。
あと印象が強かった作品としては、やはり「領分を越えて」でしょうか。2人を引き裂いた義兄にそこまでする権利があるのでしょうか。インドではあるのかもしれませんね。この作品や「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」は、キプリングの作品の1つの大きな特徴であるインドの存在、そしてそのインドの奥深い迷宮のような様子がとても印象に残ります。


「少年キム」晶文社(2005年10月読了)★★★★

19世紀末、インドのラホール。アイルランド人の軍旗護衛軍曹・キンバル・オハラとインド人の母親の間に生まれ、幼い頃に両親を亡くしたキムは、白人ながらも土地の者と同じぐらい黒く焼け、土地の言葉を使いこなし、ラホールの町を知り尽くして奔放な生活を送っている13歳の少年。そんなある日、ラホール博物館の向かい側にあるザムザマ大砲にまたがっていたキムは、見たこともないような男がよろよろと歩いてくるのを目にします。その男は高地からやって来たチベットのラマ。釈尊が腕自慢と力比べの弓引き競技をした時に、その矢が落ちて泉が湧き出した地を探すためにインドにやって来たのです。ラマを連れて博物館に入り館長に紹介し、食べ物を持たないラマのために托鉢をするキム。そしてキムはラマの弟子(チェイラ)になって、聖なる河を探す旅に同行することに。キム自身、父親が予言していたという、自分を助けてくれるはずの「緑野の赤牛」を探しに行きたいと思っていたのです。(「KIM」斉藤兆史訳)

英国人初のノーベル賞文学賞受賞作家となったラドヤード・キプリングの最高傑作と言われる作品。キプリング自身、インドのボンベイで生まれたそうで、それだけに英国の植民地としてのインドの様子がリアルに描かれています。そしてこの作品の主人公は、英国人でありながらインド人として育った少年・キム。ラマと出会い旅をするうちに、「緑野の赤牛」に出会って英国の教育を受けることになり、少年ながらもスパイとして「闇戦争(グレート・ゲーム)」で活躍するという冒険譚。
このキムがとても魅力的です。少年の頃のすばしこさや利口さ、抜け目なさは、教育を受けて機敏さと賢さに変わりますが、しかし終始変わらず生き生きとしています。キムの瞳の輝きが目の前に見えるよう。このキムはもちろん、ラマもまた、一寸の迷いもない聖者というわけではなく、とても人間的なのがいいですね。この2人のお互いを思いやる愛情がとても優しく和みます。そしてキムとラマが旅先で出会う多くの人々、表向きは富裕な馬商人でありながら、実はスパイとして動いているマハブブ・アリ、同じくスパイのえせ医者・バーブーことハリー・チュンデル・ムーケルジーといった人々も魅力的。特に独特の口調で相手を煙に巻くバーブーがいい味を出していていいですね。最後にフランス人やロシア人の面倒をみなくてはならなくなったバーブーの姿が、気の毒ながらも可笑しかったです。
序盤から中盤も、おおらかで猥雑な独特のエネルギーに満ちているインドの雰囲気がたっぷりと味わえて楽しいですし、終盤の高山のシーンは素晴らしいですね。山に登るに連れて本領を発揮し始めるラマ、そしていくつもの葛藤を経て聖河を発見するシーン。この辺りはさすが仏教をベースに敷いているだけあって象徴的であり、果てしない未来までも予見しているように感じさせられます。


「プークが丘の妖精パック」光文社古典新訳文庫(2007年3月読了)★★★★★お気に入り

夏至の前日の夕方、イースト・サセックスのペベンシーに住む兄妹ダンとユーナは<野外劇場>と呼んでいる場所に行き、3頭の牝牛相手に「夏の夜の夢」を演じます。おとうさんにシェイクスピアの戯曲を短く書き直してもらい、おかあさん相手に何度も練習して、台詞を暗記したのです。<野外劇場>は、彼らの両親の地所で、ロングスリップと呼ばれる牧草地にありました。草が一段と濃くなった大きくて古い<妖精の輪(フェアリー・リング)>が舞台。上手く演じられて嬉しくなった2人は最初から最後まで3回も演じます。そして腰を下ろしてゆで卵とビスケットを食べようとした時、そこに現れたのは妖精のパックだったのです。

【ウィーランドの剣】…ウィーランドは北欧神話の雷神(トール)の血筋の鍛冶屋。オールドイングランドにキリスト教が入り、ウェイランド・スミスという名で鍛冶屋をしていたウィーランドを解放できるのは、心からの感謝と幸あれという祈りのみ。そんなウィーランドを解放したのは、見習い僧のヒューでした。
【荘園のふたりの若者】…ウィーランドの剣の今の持ち主は、ノルマン人のリチャード・ダリングリッジ卿。ウィリアム征服王とイングランドにやって来た時、サクソン人のヒューを助けたのです。
【騎士たちのゆかいな冒険】…エルーヴァ嬢が亡くなった後、リチャード卿は旅に出ることにして、ヒューと共にボルドーに向かうワイン船に乗り込みます。しかし霧の中近づいてきたデーン人の船に囚われてしまいます。2人はデーン人の船長・ウィッタと共に南の地を冒険することに。
【ペベンシーの年寄りたち】…1年後、イングランドに戻ったリチャード卿とヒューはアクイラの元へ。2人は金をアクイラに預けます。アクイラはその頃、バトル修道院から来て領地の帳簿をつけていたギルバート神父のことを怪しいと考えていました。
【第三十軍団の百人隊長】…ブリテン生まれのローマ人・パルネシウスは、ピクト人との戦いでテオドシウスの右腕の将軍だったマクシムスによって、第三十軍団第7隊の百人隊長に任命されます。マクシムスの目に留まったと喜ぶパルネシウスでしたが、実は父親が、マクシムスの古い友人だったのです。
【大いなる防壁にて】…部下と共に20日間の行軍をしたパルネシウスは、新しい駐屯地である帝国の防壁・ハドリアヌスの長城にたどり着きます。そして親友となるパルティナックスに出会います。
【翼のかぶと】…アロの約束した3年間をパルネシウスとパルティナックスは半数の兵力で凌ぐのですが、マクシムスの死の噂が流れ、ローマの支配の及んでいない北の地からやって来た「翼のかぶと」の7人が使節としてやって来ます。
【図面ひきのハル】…図面ひきのハルことハリー・ドー卿は、少年時代仕事をしないで絵ばかり描いていたことから、画家の見習いとして弟子入りすることに。後に素晴らしい建物をいくつも作るのですが、故郷の聖バルナバ教会の再建には苦労をさせられることになります。
【ディムチャーチの大脱出】…ホブデンじいさんの所に現れたトム・シュースミスは、湿地(マーシュ)の民がデイムチャーチの大脱出と呼んでいる話を始めます。宗教改革のせいで怯えたフェアリーたちは湿地に集まってきており、フランスに渡るための船と人手を欲しがっていたのです。
【宝と法】…ユダヤ人のカドミエルは、ジョン王の時代、医学を修めたカドミエルはマグナカルタのある言葉を変更させ、王や貴族たちに金を貸しているユダヤ人の長老であるベリーのエリアスがそれ以上金貸しをしないように、隠された金を海に沈めます。(「PUCK OF POOK'S HILL」金原瑞人・三辺律子訳)

パックが連れてくる歴史上の人物が、自分の体験談をダンとユーナという兄妹に語り聞かせてくれるという形式の連作短編集。夕方、家に帰る時間になると、子供たちはオークとトネリコとサンザシの魔法で全てを忘れてしまい、次にパックに会った時にようやく全てを思い出すというもので、2人の両親はその冒険を全く知らないままなのですが、おそらくホブデンじいさんには全てお見通しなのでしょうね。かつては神々であった妖精たちがいつしか<丘の住民>となり、最終的にイングランドを去っていったという辺りもとても説得力があるもの。
パック自身が、「どうだった? ウィーランドが剣を与え、その剣が宝をもたらし、宝が法律を生んだ。オークが伸びるように自然なことだ」と言っているように、これらの物語は大きな歴史の流れを追うという意味でもとても興味深いもの。様々な人々が2人にそれらの物語を語ることによって、読み手にとっても2人の子供たちにとっても単に歴史の教科書に載っている昔の出来事というだけの存在に血が通い、生き生きと再現されたように感じられました。この作品には多くの作家が影響を受けているようですが、ローズマリー・サトクリフもその1人なのだそう。読んでいる間、サトクリフの本の題名を連想したりしていたのですが、それもそのはずだったのですね。
ちなみにパックという妖精は、ケルト神話のプークが原型と言われています。

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