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このページは、寮美千子さんの本の感想のページです。

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「小惑星美術館」パロル舎(2003年11月読了)★★★★★
遠足に行く日の朝、集合場所の中央広場で皆が来るのを待っていたユーリは、オートバイにはねられて銀河盤に激突。ふと呼ぶ声に気がつくと、そこにいたのは友達のニニやタク。しかし立ち上がったユーリの目に映ったのは、地面が空までめくれあがっている景色でした。よく知っている景色のはずなのに、巨大なレンズで歪ませたようになっていたのです。気がつくと、銀河盤が裏返しに、はねられた瞬間に見たはずの犬のランはおらず、ニニやタクもなにやら様子が変。しかも死んだはずの母が生きていると聞かされてユーリは驚きます。ユーリは状況がよく飲み込めないまま、無理矢理遠足へと連れて行かれることに。その行き先は、12歳の子供だけがいける小惑星美術館でした。

全てが「マザー」の力で動く世界・れんがの月。そして「よけいなことを考えるのは罪だわ」と言う教師。
れんがの月の世界は、現在の地球とは違って、全てが人工的に管理されています。野菜や果物が浴びている光は、太陽光線からは有害な波長の光だけが取り除かれた生温い光。その木の根元にあるのは土ではなく、必要となる全ての栄養素が含まれた水の入った大きなガラスの球。ネモ船長は、植物が土や光に邪魔をされずに、のびのびと育っているのだと説明します。海洋牧場ではたった1種類の魚が綺麗な青い水の中で泳ぎ、牧場では、きっちり並んだ巨大なガラスの蜂の巣の中で、クローンの牛や鶏が育てられています。人間以外の生き物は、全て人間のために存在しているのです。それは1つの円の中で完結している世界。一見理想的な世界にも見えるのですが、実はガラスのようにとても脆い世界。しかし全てが人工的であるにも関わらず、皮肉なことに、そこで作られた物は食べ物としてとても美味しいのです。それに対し、ユーリが知っている地球は、螺旋のように連続し発展していく世界。エネルギーは外へ外へと向かいます。しかしそれは二度と元の位置に戻ることはなく、一旦方向が狂ってしまうと歯止めが効かない可能性もあるのです。…非常にメッセージ性の強い作品なのですね。
小惑星帯の軌道にある、巨大なアンモナイトや何千頭もの動物の彫像。宇宙船の窓から見えるそれらの光景はとても幻想的。しかしそれらは絶対零度の宇宙に浮かぶ、命のない冷たい物体です。そしてそれとは対照的に、クルーロボットのラグことラジオグリーンは、機械であるにも関わらず、とても暖かい存在。この人工的な世界で、一番ほっとさせてくれる存在でした。

P.253「ぼくたちが知っている重力は、遠心力だった」「遠くへ遠くへと、遠ざける力だ。だからぼく、いつもさみしかったんだ」

「ラジオスターレストラン」パロル舎(2003年11月読了)★★★★
二両編成の高原列車の止まる小さな別荘地の駅「十一月の町」。8月の星祭りの日、学校にやってきた天文学者のモリモ博士の話を聞いたユーリとイオは、ギガント山の天文台へと行ってみようと考えます。本当は星祭りの日に山に入ると恐ろしいことが起こると言われ、モリモ博士ですら天文台に行くことを禁じられているのです。しかしユーリもイオも、街にとっては所詮余所者。どうせ星祭りにも参加できないのです。そして入った山の中で、2人は遠い昔に死に絶えたはずの牙虎と遭遇。イオとはぐれてしまったユーリは、1人で天文台にたどり着きます。ユーリを出迎えたのは、ブリキで出来た緑色のロボット、「ラグ」ことラジオ・グリーンでした。

「ラジオスター・レストランへようこそ。ずっときみを待っていたんだ」という言葉で始まる物語。「小惑星美術館」と同じく、少年・ユーリが登場しており、同じようになかなか重い物を内包しています。
やはりこのシリーズは、まるで宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のようなイメージですね。イメージ喚起力がとても強く、目の前に様々な美しい情景が広がっていきます。例えば、ユーリがラジオスター・レストランで出される銀河料理のフルコース。アペリティフの土星のカクテルやオードブルの星の卵のキャビア、そして銀河の火魚… それらのものを食べるたびに、ユーリは不思議な世界へと連れていかれ、地球の生まれる前からの宇宙を流れる悠久の時と無限の広がりとを疑似体験することになります。それは果てしなく孤独で寂しい旅。全ての生まれ来る物への愛情と、滅び行く物に対する哀しみが感じられるもの。そんな感情も相まって、一層独特な情景が生まれているのでしょうね。
しかし正直にいえば、あまり直接的なメッセージ性よりも、この情景をそのままを楽しみたいという気持ちの方が強いです。もっとほんのりとしたメッセージでも十分なのではないかと…。そう思いながら読んでいたので、「核」という言葉が登場した時は、そのあまりに直接的な言葉に少々戸惑ってしまいました。しかし本当は、私には分からないだけで、実はその言葉が一番重要だったのかもしれませんね。
「小惑星美術館」と「星兎」と、同じ名前のユーリ少年が登場しますが、この3作の関係はまるでパラレルワールドのよう。なんとも不思議な物語です。

「星兎」パロル舎(2003年11月読了)★★★★★お気に入り
ある風の強い春の土曜日の午後、バイオリンのレッスンをさぼってショッピングモールを歩いていたユーリは、人混みの中で1匹のうさぎと出会います。等身大の直立した本物のうさぎ。ユーリとうさぎは、目が合った瞬間、強い磁石が引き合ったようにお互いから目をそらすことができなくなり、一緒にドーナツを食べ、チャイナタウンへ行き、海岸通りを埠頭へと向かって歩いて行くことに。

無邪気なうさぎの言葉の1つ1つが印象に残ります。「ねえ、どうしてきれいなだけじゃだめなの?この世界では」「ぼくは、誰のものでもない。ぼくは、ぼくのものだ」「ぼく、なんにもいらないんだ。例えば名前だって、持たなくてもすむものは、いらない」… 綺麗なものは綺麗、好きなものは好き、うさぎはうさぎ。そんな風にあるがままを認めることを当然として生きてきたうさぎにとって、人間の世界はちょっぴり生きにくい場所。なかなか誰もうさぎがうさぎであることを認めてくれないのです。見て見ぬふりをして目を背ける、目をこすって見なかったことにする…そんな中、ただ1人うさぎをうさぎとして受け止めたのがユーリでした。何の変哲もないガラス玉がかけがえのない宝物だったりする子供時代を忘れてしまい、いつの間にか自分に素直になるのに大きな勇気が必要になってしまう人間のどれほど多いことか。実際、うさぎのくれた「なんでもない銀色の王冠」は、ユーリのかけがえのない宝物になります。
昼間の場面も多いのに、なぜか夜空のイメージの強い物語。どことなく宮沢賢治氏の世界のようでもありますね。「ぼくと出会ってくれて、ありがとう」、最後にこの本にそう言われたような気がしました。そして繋いだ手から伝わってくる肉球のあたたかさに、心まで暖めてもらったような気がします。うさぎが目をつむっている時に見える、「どこまでも透きとおっていて、月よりも、太陽よりも、星よりも、もっと遠くが見える空。永遠が見えてしまいそうな、青」色が見てみたいです。
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