Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、辻邦生さんの本の感想のページです。

line
「西行花伝」新潮文庫(2005年3月読了)★★★★★お気に入り
蹴鞠や弓に優れ、鳥羽院に寵愛されるものの、23歳の若さで出家。73才で亡くなるまで花鳥風月をこよなく愛しながら、当代随一の歌びととしての生を送った西行(円位上人)。21歳の時に西行の弟子となったという藤原秋実が、生前の師に関わりあいのあった人々をくまなく訪れ、話を聞き出しながら、西行という人物の姿を描き出していきます。紀ノ川のほとりに住む乳母葛の葉(蓮照尼)には、幼いながらも利発だった「紀清丸」時代について。親しい従兄であった佐藤憲康には、8歳の頃に父・佐藤康清を亡くすものの、明るく朗らかな母・みゆきに愛情深く育てられ、蹴鞠や弓馬に精進した少年時代の「佐藤義清」のことを。鎌倉二郎源季正(西住上人)には、15歳で母を亡くした後、一族の長として紀ノ川田仲の荘の管理をこなしながら歌に熱中し、18歳で兵衛尉として任じられ、鳥羽院に寵愛されて北面の武士に取り立てられたこと。そして待賢門院の側で使えた堀河尼は、遠い昔の思い出を語ります。

第31回谷崎潤一郎賞受賞作品。
西行が弟子である秋実に直接語ったという言葉や、西行の周囲の人々の言葉によって、徐々に西行という人間が浮かび上がってきます。西行に関する知識が皆無に等しい私にとっては、その人間関係を掴むまでが多少大変だったのですが、しかしこの美しい文章にはあっという間に惹きこまれてしまいました。柔らかく、しかし芯の強さを感じる語り口は、まるで森羅万象を愛しむ西行自身の懐の深さのよう。まるで大きな温かいものに包まれているような気分になりました。和歌の説明が特になくても、この文章を読んでいれば、その意味は自然と分かってくるような気がしますね。
前半のクライマックスは待賢門院との恋。そして出家を経て、後半になると、保元の乱の折に崇徳上皇のための奔走したことにかなりのページ数が割かれています。西行といえば、もっと世を儚み、厭世的な気持ちで出家したのかと思い込んでいたのですが、この作品によると、そうではなかったのですね。歌に生きるため、この世の全ての物を愛するがため、この世を美しく豊かに生きるための出家。現世(うつせみ)が好きだからこそ、現世を棄てる。現世から一歩離れてこそ、その良さが見えてくるし、現世の人々のために奔走することができる…。「現世にとどまると、現世のしがらみにとらわれ、現世のよさが見えてこないのです」という寂超(藤原頼業)の言葉がとても分かりやすく、印象的でした。待賢門院との一度きりの逢瀬、その想いを大切に愛しむ西行、そして崇徳上皇と後白河天皇との間に立ち、何とかこの争いを防ごうと奔走する西行。花鳥風月を愛でながら、歌を詠む西行。どの姿も僧侶らしからぬ姿ではありますが、この作品を読むと、西行にとってはどれもごく自然な行いであることが分かります。現世から1人解脱してしまうためでなく、より深く現世に関わるための出家。澄んだ眼差しを持った西行の姿が浮かんでくるようです。そして藤原秋実とは、おそらく辻邦夫氏本人なのですね。彼の西行への圧倒的な想いが柔らかく、しかし確実に伝わって来ます。
Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.