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このページは、水村美苗さんの本の感想のページです。

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「私小説-from left to right」新潮文庫(2005年11月読了)★★★★★

12歳の時、両親と2つ年上の姉・奈苗と共に渡米してから、その日で丁度20年。父は痴呆症が出て施設に入り、母は年下の男と共にシンガポールへ、姉はニューヨークのソーホーで1人暮らし。美苗自身も1人暮らしをしながら、イェール大学の大学院の仏文科に在学中。しかし残るは口頭試験のみにも関わらず、先送りにして今は何もしていない状態。今度こそ口頭試験を受け、それが終わったら博士論文にはすぐに取り掛からずに、しばらく日本に帰って日本語で小説を書きたいと美苗は考えていました。そして今日もそんな美苗と奈苗の長い電話が始まります。

平成7年度、第17回野間文芸新人賞受賞作品。日仏英が入り混じった「本邦初の横書きbilingual長編小説」。題名に入っている「from left to right」という言葉は、縦書きの日本語文学に対する、横書きを意味するのでしょうね。特にストーリーがあるわけではないのに、一気に読ませてしまう水村さんの筆力には驚かされます。
美苗と奈苗の長い長い電話からみえてくるのは、2人の今の暮らしやこれまでの20年間のこと。アメリカに来てからまるで言葉が分からないまま、英語から逃れるために明治の文豪の文学を読みふけった少女時代の美苗。そして大学院に行っているとは名ばかりで、実は口頭試験を先送りにしている今の美苗。子供の頃からピアノを続けていたにも関わらず、甘やかされて育ったために結局「お稽古事」で終わってしまい、かといって彫刻で食べていくこともできないでいる2歳年上の姉・奈苗。既にばらばらになってしまった家族。アメリカの家は既に売り払われ、日本にも帰ることができる家はなく、2人は「HOME」と呼べる場所を持っていないのです。
2人の「なぜこんなことになってしまったのだろう」という思いの底には、その立場の不安定さが常に付きまとっているようです。英語にも日本語にもフランス語にもなりきれない会話。「帰国子女」として日本でもてはやされるには、少し長くアメリカに居過ぎた自分たち。1人で十分食べていけるようなきちんとした職はなく、30代前半という独身女性にとっては不安定な年頃。 「つらいわねえ。」「つらいわよ」「あああ、つらい。人生なんか何にもいいことないわあ。」「なにしら、あたし、なんだかもう疲れちゃった。」「ああ、もう死んだ方がましだわ。」という言葉から伝わってくるのは、どうしようもないほどの孤独感。それが雪の舞う情景と一緒になって、しみじみとその寒さが伝わって来るようです。
美苗も奈苗も、いかに恵まれた暮らしをしていたお嬢さまというプライドを持とうと、どれだけ英語が上達しても、所詮はアメリカの東洋人に過ぎなかった自分たちの姿に気づいています。アメリカでは白人がまず基本であり、「色」を少しでも持ってしまった時点で異邦人となるという現実。美苗はクラスメートの中国人と間違えられて憤慨し、そして奈苗は高校の時に友達に誘われたブラインドデートで韓国人の学生を紹介されてショックを受け、そこで初めてアジア人としての日本人の立場を知ることになります。無意識のうちに他のアジア人を排斥し、「日本人」としてのプライドを持ってはいても、アメリカ人にしてみれば皆同じ。この認識はこれから少しずつ変わっていくのかもしれませんが、しかし基本的にはそのままなのでしょうね。「無邪気」という意味であると同時に「認識不足からくる無神経」を意味するnaiveという言葉を使ったのは、美苗の大学のクラスメートの日系3世の青年ですが、これは美苗たち自身にも返ってくる言葉。
そしてそんな2人の会話の中の、「でも、アメリカ人だってつらいんじゃない」という言葉が妙に心に残ります。2人のその言葉には多少強がりがあるのでしょうけれど、しかし大学院の口頭試験で狂ってしまった優等生のRebecca Rohmerにしても、マンハッタンで友人に囲まれて生活しているSarah Bloomにしても、フランス語文学の教師のMadame Ellemanにしても、やはり淋しかったのかもしれませんね。外から眺めているだけでは、個人主義の国だという程度しか分からないのですが、純粋なアメリカ人にすら孤独を感じさせる、アメリカという国の生み出す歪みが伝わってくるような気がします。


「続明暗」新潮文庫(2005年11月読了)★★★★★

明暗」は夏目漱石最後の作品であり、新聞での連載途中で漱石がこの世を去ったため、絶筆となってしまった作品。津田と清子が対面を果たしたところで終わってしまったこの物語に、水村美苗さんが続編を書いています。

芸術選奨新人賞受賞作品。
一読して、夏目漱石の「明暗」を相当読み込んだ上での続編だということが良く分かります。文章は夏目漱石の文体を踏襲。「明暗」の最後の188章がこちらにも掲載されているのですが、見た目にはまるで同じ。違和感もありません。しかし「明暗」と続けて読まなければ分からない程度ですが、読んでいくとどこか違うのです。一体どこが違うのか読んでいる間は良く分からなかったのですが、「あとがき」によると、現代の読者の好みに合わせて段落を増やしたとのこと。おそらくその辺りなのでしょうね。やはり現代の作家が書いたせいか、こちらの方が圧倒的に読みやすかったです。
「明暗」では、お延もその見る眼を惑わされたように、津田の内面のずるさや弱さ、自分勝手な部分が、外側の「好男子」という見かけに隠されていた感がありますが、こちらではそのずるさや弱さが露呈されているのが興味深かったです。お延の気持ちなどまるで考えようとせず、保身に走った意味のない言い訳をくどくどしている津田。それまでの自分の感情の揺れを棚上げして、具体的な間違いがなかったことを逆に喜んでいる津田の姿は、その最たるものですね。かつて清子を関のもとに走らせたその要因が、今またお延を決意させようとしているというのに、それに全く気づかない津田の姿が情けなく、そしてとても説得力がありました。
吉川夫人に見られるような女の恐ろしさも、「続明暗」では「明暗」以上に具体的に迫ってきますし、女性の描かれ方が「明暗」よりも真に迫っていたような気がします。そして生活の貧しさが人格の貧しさに繋がっているような、いやらしい人物だった小林が、こちらではどこか愛嬌のある人物に感じられたのが面白かったです。
「あとがき」によると、水村さんは「明暗」のような煩雑な心理描写を「続明暗」では減らし、筋の展開を劇的にしようとしたとあります。それが功を奏していると思いますね。漱石が用意していた結末はまた違うのかもしれませんが、「明暗」における伏線も見事に生かされていたと思いますし、私には、この続編の流れはとても自然に感じられました。何よりも面白かったです。漱石の作品の続編という形を借りながら、水村さんの作品として素晴らしかったと思います。他の作家さんの書いた続編というのも読んでみたくなりますが、ここまでの完成度を出すのは相当難しいかもしれませんね。


「手紙、栞を添えて」朝日文庫(2005年11月読了)★★★★★

朝日新聞の読書欄に連載されていた辻邦生さんと水村美苗さんの往復書簡。本当は先に会って打ち合わせをするはずだったのが、水村さんの「できれば辻さんには一面識もないままに書いてみたい。新聞紙面でいただくお手紙から想像されるだけの辻さんに宛てて書いてみたい。また、新聞紙面でしか通じ合えないという状況のもとで書き、二人の手紙をより必然的なものにしたい」という言葉から、事前の顔合わせもなく、その最中に会うこともなく、進められたのだそうです。

まずお2人の文学的素養の深さが素晴らしいですね。ここでは主に名作として名高い作品が取り上げられているので、私が読んだことのある作品ももちろんあるのですが、お2人のその作品との出会いや、その作品に対する思い入れ、その作品に関する考察、そして文学に対する思いなどを読んでいると、いかに自分の読み方が浅いか反省させられます。同じようにベッドに寝転がってお煎餅を齧りながら読んでいても、なんという違いでしょう。お2人の語る文学は、自由自在に古今東西を駆け巡ります。「文学論」と言うと難しく捉えがちですが、書簡ということもあり、読みやすく分かりやすい文章。しかもその文章の美しいこと。内容の濃く深みのあること。難しいことを伝えるのに難しく書く必要は全くなく、平易な文章でも十分伝えられるのだということが良く分かります。いつまででも読み続けていたい、こういう文章が書けるようになりたい、と強く感じさせられました。
水村さんの才気溢れる考察を、辻邦生さんが深い懐で受け止め、さらに発展させていく…。相手がどのように受け止めてくれるのか、そしてどのように発展させてくれるのか、それを期待しながら待つという緊張感があり、しかも想像以上に発展させてくれた相手に対しての素直な感嘆、そして1つの仕事である以上に、やりとりをするのが楽しくて堪らないという気持ちが伝わってくるのが素敵です。同じように深い文学的素養を持つ人間同士による書簡とは、これほど楽しいものなのですね。お2人の紹介されていた本にも純粋に興味が湧くのですが、それ以上にこの世界に自分も入りたい、そのためにもきちんと文学と向き合いたいと強く思います。
この中で一番印象に残ったのは、トルストイの「イワンのばか」についての考察。「イワンの国の価値は文学を通してしか解せないのに、その国には文学を解する人は入れないのです」という水村さんの言葉は、確かにその通りですね。これまで面白い童話として読んできたこの作品も、そう考えるととても深くて驚かされます。それに「プロローグー最後の手紙」にある「文学とはそれが面白いから読むのです」「文学とは、それが面白い人のためにだけ存在している」 「文学を面白く読めるというのは、『幸福』を知るということと同じ」という言葉にも同感。スタンダールの言う「To the happy few」に、私も連なっていきたいと思います。


「本格小説」上下 新潮社(2005年10月読了)★★★★★お気に入り

まだ2冊しか書いていない小説家・水村美苗は、果たして自分が天職として小説家であるかどうかという疑問を抱いていました。しかしそんな美苗に奇跡が訪れます。それは美苗がカリフォルニア州にあるパロ・アルトという町に滞在して3作目の小説を書いている時のこと。カリフォルニア北部を数十年ぶりに襲ったという大雨に閉じ込められた夜中、日本からやって来ていた青年が、美苗がかつて知っていた東太郎という名の男のことを語ったのです。それは美苗が両親や姉の奈苗と共にニューヨークに住んでいた時に知り合った男。無一文でアメリカにやって来て、まず裕福なアメリカ人のお抱え運転手から始め、そしてまたたくまにアメリカン・ドリームを絵に書いたような出世を遂げ、富をなした男の話でした。

「嵐が丘」を下敷きにした大河小説。少し古めかしい作風は、しかしとても読みやすく、これこそが文学であるという満足感をもたらしてくれます。冨美子の語りが始まる前の、前置きとも言える「水村美苗」の日常生活や、東太郎についての物語を語る加藤祐介の登場までが非常に長く、1巻の前半を費やすほどなのですが、その部分も面白かったですし、戦争直後の東京と軽井沢を舞台にした本筋の物語に入ってしまうとさらにパワーアップ。とても面白かったはずのその前置きの部分が、すっかり霞んでしまうほどの面白さでした。戦前から戦後にかけての富裕な名家の3姉妹を中心にした華やかな生活やその斜陽ぶりでは、全く知らない世界の住人であるはずの3姉妹がとても身近に感じられ、特に軽井沢での「サンディー・ランチ」などの場面は、まるで自分の目で見知っている場面のように感じられましたし、「嵐が丘」のヒースクリフに当たる東太郎の受ける差別や彼自身の捨身で一途な恋心は、切なく苦しく、たとえ彼が億万長者になろうとも、その心の奥底には子供だった頃の思いがそのまま残っているのがひしひしと感じられました。冨美子の語る物語は悠大な時の流れを感じさせ、まるでその話が終わることによって1つの時代が終わったようにも感じられるのですが、しかしこれは冨美子だけの物語。宇田川武朗の言う「ヒストリカル・ミッション」を終えたのは、時代そのものではなく、冨美子だったのですね。
ただ、祐介に美苗が、冨美子に迷惑にならないように名前や設定を変え、人が登場人物の正体が簡単にはわからないように書くつもりだと述べている、その言葉から10ページもたたないうちに「東太郎というなは実名である」としているのは、当然作り物の小説であるにしてもどうなのでしょう。
作中の「水村美苗」がこの物語を得たのは天啓であったのと同様に、作者の水村美苗さんにとっても、この物語は天啓だったのかもしれないですね。読み始めた時は、どこが「嵐が丘」なのだろうと思っていたのですが、読み終えてみると確かに水村版「嵐が丘」でした。素晴らしかったです。


「日本語が亡びる時」筑摩書房(2009年1月読了)★★★★★お気に入り

体調を崩していたにもかかわらず、転地療養のつもりで9月のアイオワ・シティで行われるIWP(International Writing Program)という長期プログラムに参加した水村美苗さん。そのプログラムに参加している作家は総勢20名以上。日本人は水村さんのみ。中国、韓国、ヴェトナム、ビルマ、モンゴル、ボツワナ、イスラエル、ポーランド、ルーマニア、ハンガリー、ウクライナ、リトアニア、ボスニア、イギリス、アイルランド、ドイツ、ノルウェー、チリ、アルゼンチンの詩人や小説家という多彩な顔ぶれとなります。そして水村美苗さんは、地球のありとあらゆるところで、金持ちの国でも貧乏人の国でも様々な政治状況のもとで、様々な言語によって人は書いている、と実感することに。

日本語と日本語の文学に対する危機感について論じる作品。「日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである」として、「普遍語」「現地語」「国語」の3つの概念で考えていきます。
この「普遍語」「現地語」「国語」の概念がとても面白いですね。日本の場合の説明も、とても興味深く読みました。日本の場合、かつての「普遍語」は漢文であり、「現地語」が日本語。漢文という「普遍語」が日本に入ってきて、それを翻訳しようとした時、平安時代の人々は漢文の横に返り点をつけ、助詞や語尾を書き添えるようになったのだそうです。そのために最初は漢字を表音文字として使用していたそうなのですが(真仮名)、その文字はやがて省略され、カタカナとひらがなという2種類の文字体系を生み出すことになったのだとか。そしてその書き言葉が日本語として成熟した言葉となっていった理由は、まず島国である日本が、中国からの政治的・文化的自由を持っていたこと。日本の二重言語者たちは「普遍語」である漢文を読み書きしながら、「現地語」でも読み書きするようになり、それが日本語を「普遍語」に近づけることになったのだそうです。そして江戸時代の印刷資本主義の発達によって識字率が向上したこと。市場と書物によって書き言葉は成熟し、西洋列強の植民地とならなかったことも幸いして、明治以降、改良を加えられた日本語が「国語」となったとのこと。しかしかつての日本にとっての「普遍語」が漢文であったように、世界ではギリシャ語やラテン語、その他聖典や教義書を書くのに使われた言葉が世界における「普遍語」だったにもかかわらず、現在は英語の一人勝ちといった状態。
多少冗長に感じられた部分もありましたし、近代日本文学に対する個人的な感傷も感じましたし、最終的な結論も少し急ぎすぎているような気がします。それでも1章のアイオワ大学での話、パリでの講演から続いて自然に展開していく論はとても面白かったですし、興味深く読みました。ただ、確かに1人1人が日本語を大切にしていかないと日本語の存続も危ぶまれる状況にはなるのかもしれないですし、既に「美しい日本語」が失われつつあるというのは日々感じているのですが、やはり日本語とその文学が亡びることはないと思いますね。たとえ全てが英語に置き換えられてしまっても、ギリシャ・ローマ文学といった過去の言葉で書かれた文学の原典を参考にする人間は決していなくならないのとは同じように。そもそも第1章で、自分の言葉で書き続けている作家たちのエピソードがあったはず。もちろん、そのためにはそれぞれが意識を持つことがとても重要なのですが。
「私小説From Left to Right」を唯一訳すことのできない言語は英語。確かにその通りですね。

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