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このページは、菅浩江さんの本の感想のページです。

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「オルディコスの三使徒2-紅蓮の絆」角川スニーカー文庫(2004年6月読了)★★★★★
王都・ラズルドーンにやってきたブラウリカ、イシュラーマ、そしてタグロット。イシュラーマは、早速ラズルド・メラス王への庶民たちの陳情の列に並びます。そんな3人の目の前では、腐りきった貴族の実態があばかれるような出来事が起こります。そして現れたのは、イシュラーマの従兄弟だというサッターハイン。イシュラーマはこの王都が故郷であり、れっきとした貴族の生まれなのです。サッターハインに連れられて、3人は王宮へと向かいます。

オルディコスシリーズの2作目。
願いを叶えてくれるラウラに頼りきり、自分では何事も成そうとしなくなってしまった人々。彼らにとって、良いことはともかく、悪いことは全てラウラが力を失ってしまったせいなのです。1巻ではソテの村民を始めとする貧しい人々が描かれていましたが、この巻では王族や貴族たちの堕落ぶりが描かれていきます。村の人々の心が貧しさによって歪んでしまったとすれば、王族や貴族たちは、一体何によって歪んでしまったのか…。ニルフロアのルキルマスの言葉に、「神に願う」ということの危うさ、その結果に潜む光と闇のことを考えさせられます。神とは人間にとって一体どのような存在なのか、どのような存在であるべきなのか。神に祈っても願いが叶えられず、この世に本当に神はいるのかと疑問を感じたことのある人は多いと思いますが、案外、このオルディコスの世界の問題が解決し、その延長上に存在していのが、今のこの世界なのかもしれませんね。
脇役としては、イシュラーマの従兄弟のサッターハインがとてもいい味を出しています。しかし彼がここまでやってくれるとは… これには驚きました。

「オルディコスの三使徒3-巨神の春」角川スニーカー文庫(2004年6月読了)★★★★
オルディコスの三使徒はバラバラになり、ブラウリカは心を閉ざしてしまいます。そんなブラウリカの世話をみていたのはイシュラーマ。彼はブラウリカに濃やかな愛情を注ぎ、彼女の心を現実の世界に呼び戻そうとします。しかし完全に心を閉ざしてしまったブラウリカには、イシュラーマの香りも全く届かないのです。そんな時、去っていったはずのタグロットからイシュラーマの元に連絡が入り、イシュラーマはブラウリカを連れてタグロットを訪ねることに。

オルディコスシリーズ3作目。最終話です。
物語の前半ではブラウリカやタグロットが小休止、イシュラーマが1人前面に出てくることになります。1人になってしまったイシュラーマは切なさ全開。彼は自分の弱さや強さを素直に見つめ、ありのままの自分の姿を受け止めています。貴族の世界で育つうちに心を閉ざしてしまった彼ですが、実は不器用なだけだったのですね。もちろん不器用な人間であることは想像通りではありますが…、しかしこれほどまでだったとは。今までの仮面をかぶったような無表情と無関心にも納得。今までも好きなキャラクターではありましたが、これほど魅力的な人物だったとは思いもしませんでした。好感度も一気に上昇。
そして肝心の神に関しても、この3冊目でようやく決着がつくことに。「願いを叶える」と一言で言っても、「今年も豊作になるように」「皆が健康で生きられるように」という大きな願いはともかく、個人的な願いに関しては、常に落とし穴が潜んでいます。願いを叶えられた人、その陰で泣くことになる人。全ての人の願いを叶え、全ての人を幸福にするなどということはどだい無理なこと。この物語では、神を一旦地に引き摺り下ろしてしまいましたが、解体された神の存在も無事に再編成され、落ち着くべきところに落ち着くことに。ただ、「光、あれ」という言葉は、あまりに創世記のイメージが強すぎるもの。キリスト教の神という特定の存在をイメージさせる言葉には違和感が残りました。

「不屈の女神-ゲッツェンディーナー」角川スニーカー文庫(2004年7月読了)★★★
王の一粒種、貴(キシュ)を冠する姫巫女・キシュ・リム・ミーサが魔神に攫われて半月。王に宝珠のついた剣を授かった勇者は、仲間たちと共に、姫巫女が囚われている絶海の孤島へ。しかし化け物たちとの戦闘で仲間を全て失い、1人塔の最上階にたどり着いた勇者は、なんと魔神と相打ち。勇者に助けられて父王の元へ帰ることを夢見ていたミーサは、国に帰るために、自力で魔神の島から脱出しなければならなくなってしまいます。

PCエンジンのゲームソフト「ゲッツェンディーナー」のノベライズ作品。勇者とラスボスが相打ちし、そこから物語が始まるという、なかなか面白い設定の作品です。
ノベライズとは言っても、執筆当時はまだゲームの原型が定まっておらず、菅さんのオリジナルの物語とも言える作品となっているようです。しかしゲームのノベライズのせいか、対象年齢が低めのようで、文章も軽め。少々読みにくかったです。そして菅さんご自身が「オルディコスの三使徒」「氷結の魂」と共に「神様三連荘(さんれんちゃん)」と呼んでいるというだけあり、神のあり方、神と人間の関係を問う作品となっているのですが、私は「オルディコスの三使徒」「氷結の魂」を先に読んでいるため、その2作とどうしても比べてしまうことになり、そうなると書き込み不足の世界の浅さが目立ってしまったような…。これだけを単独で読めば、ゲームのノベライズにしてはなかなか深い内容だという印象を持つのではないかと思うのですが、どこか中途半端な印象が残ってしまいました。

「アンパン的革命」アスペクト(2004年7月読了)★★★★★
情報センター発行の「天職発見マガジンS'agas」に連載されていたエッセイをまとめたもの。

とにかく面白くて、読みながら思わず笑ってしまう部分も沢山。京都出身の方なので、笑いのツボが似ているというのもあるとは思うのですが、大阪では賛辞になる「おもろいやっちゃ」という言葉が、そのまま菅さんに当てはまるかと。小説の雰囲気から、もっとお嬢様っぽい大人しい方を想像していたのですが、身を挺して笑いを取るというのは、まさに関西人ですね。京都の方には、大阪など他の関西圏を問題にもしていないと感じさせられることもあるのですが、そういう所も全くなく、むしろ世間一般の「京女」のイメージともまた違う、捌けた人柄が見えてくるような楽しいエッセイでした。
「化粧は、違う自分になって頑張らなきゃいけない時に必要な、華麗極まる儀式」「年を追うごとにだんだん下品になっていく気がする」バレンタインデーなど頷ける話も多いですし、「あと一歩」を詰められずにプロになれなかった人や、「イザというときのために、瑣末なことでは自己主張しない」引き際の美学を知っている人の話など、なるほどと納得する話も。そして軽めの話題に、さりげなく京都の街や今の若者、ひいては日本の未来を憂うような文章が挟まれており、なかなか考えさせられる1冊となっていました。
しかし綾辻さんが、原稿が遅れたばかりに死亡説が流れたという話は知りませんでした…。

「鬼女の都」祥伝社(2002年5月読了)★★
歴史小説系の同人誌で活躍し、京都を舞台にした物語では他の追随を許さないと言われた藤原花奈女が、プロデビューを目前に自殺。彼女は鍵の掛かった仕事部屋の、色鮮やかな小袖を撒き散らした中で手首を切って死んでいました。遺体の第一発見者は花奈女の母親と、花奈女の親友で一緒に暮らしていた梶久美子。花奈女の大ファンだった吉田優希は、同人誌仲間の益子山ちなつ、きしの櫻と共に葬儀に参列するために入洛します。悩みを聞いてあげられなかったと悔やむ久美子や、自分が変な話をしたせいだと泣くちなつに、優希は花奈女を死に追いやったのは「ミヤコ」と呼ばれている存在だと主張。「ミヤコ」は、花奈女の小説の京都の風俗・歴史面のアドバイスをしていたという存在。しかし花奈女に一番近い場所にいた久美子ですらも、会ったことがないのです。死の直前、花奈女から新作の粗筋を聞いていた優希は、そのアイディアを受け継いで追悼作品を書き上げることを決意します。

菅浩江さん初のミステリ作品。古都の業に捕らわれた者たちの物語です。主人公の優希、ちなつ、櫻、そして死んだ花奈女はいずれも同人誌で活躍中。しかし杳臣も指摘していますが、この3人は本当に思い込みが激しいですね。花奈女を盲目的に崇拝し、しかし「女らしさ」という言葉には反発する優希、舌足らずな喋り方で女らしさを逆手にとるちなつ、負けん気丸出しの学者肌の櫻、考え方や話すことも子供っぽいですし、何か起きるたびに京都の怪異だの怨霊だのという発言。最後まで感情移入ができませんでした。しかし逆にそれが京都側の人間、特に杳臣の存在を際立たせていたように思います。
「つつましやかな上品さと隠し事の陰険さが表裏一体」の京都、そして自由に自分を表現でき、人それぞれの個性がそのまま認められる同人誌という2つの特殊な世界。源氏物語の「葵上」と能楽における「葵上」。それぞれに交差し、裏に隠された意味が幻のように浮かび上がってきます。京都特有の仄めかしのせいでじれったくもありましたが、こういう面もあってこその京都なのですね。
陶子や杳臣の京都についての説明を聞いていると、本当に奥の深い濃厚な世界だと感じます。だからこそ、一旦捕らわれてしまった人は逃げようがないのでしょう。京都の出身で、京都の良さも悪さも知り尽くしている菅さんならではの物語。京都の出身ではない人には、このような物語は書けないのではないでしょうか。特に京都に対して自嘲する部分は、京都の人間以外には絶対無理なはず。普段表向きに見せている上品な光の部分だけではなく、陰険さをも併せ持つ影の部分を強調することによって、京都に憧れを持つ人を絡めとってしまうような物語。ぽっかりとあいた深淵のようです。私にとっては京都は身近な存在なので呪縛は受けないのですが、一旦捉えられたらなかなか逃れられないものかも。

P.97「古い都て言うたら奈良のことどすやんか。京都の者(もん)は、今でもこここそが都やて思てますのン。」

「末枯れの花守り」角川文庫(2002年4月読了)★★★★★お気に入り
美しい花に想いを託した人々の前に現れる、見目麗しく絢爛たる異界の姉妹・永世と常世。彼女たちの着る着物は、柄である観世水がゆるゆると動き、柳はしおしおと揺れ、煌く銀の月は光を増し、濃桃の蓮の蕾は花を開かせる。彼女たちの館では、花は枯れることなく常永久に咲きつづける。そして彼女たちは人に、その花を譲ってくれれば、代わりに永遠を与えようと申し出る…。花を愛でる想い、花に託す想いである「花芯」を人から抜き取り、花の一番美しい時と共に封じ込めてしまおうとする彼女たち。人の心の弱みにつけこむ彼女たちから人を守るのは、黒い学生服を着た美青年・青葉時実。彼は「咲けば枯れる、それが当たり前なのだから」と、花に捕らわれすぎてはいけないと、姉妹に見込まれてしまった人々を諭します。永世と常世の姉妹は時実のことを鬼と呼び恐れますが、しかし彼は実は、花と花への想いが強くなりすぎてしまった人を、守り助ける花守りなのです。

花の題名がついた5編の物語は、どれも花と、その花を愛でる人の心が中心となっています。
本当になんとも言えず美しい物語です。「珠玉の」という言葉がぴったり。まず言葉が美しいですね。もし意味が分からない言葉があったとしても、漢字を見ているだけでこの雰囲気を感じることができるはず。そしてその言葉が連なった時に作り上げる情景。これがまた美しく色鮮やかで、古い絵巻物のように華麗なのです。古い時代から日本人が作り上げてきた日本文化とその様式美。本文中では歌舞伎が何度か引き合いに出されていましたが、この雰囲気はむしろそれより能のような幽玄で静謐な世界を感じさせます。
人が花に想いを託すというのは、古今東西行われてきたこと。人は花を愛でて慈しみます。しかしその想いが執着に変わってしまった時、人は「気持ち良く後ろ向きに」生き始めてしまうのですね。その弱い心につけこむのが永世と常世。しかし彼女たちから人を守る時実や、その主人である滅びの帝・日照間も、自分たちのやっていることが絶対だと思っている強い存在というわけではないのです。日照間と時実、そして朧姫… まだ分からないことが残ったまま終わってしまったのだけが少し残念。いつかまた分かる日がくればいいのですが。
5つの短編は、どれも同じようなモチーフに見えて、実はどれもまるで違う心を描いています。最後まで読んでもう1度「朝顔」を読んでみると、これはほんの手始めだったのだなあと感じさせられてしまいました。「曼珠沙華」「寒牡丹」「百合」と続くに従って驚かされっぱなし。そして目次を見た時は最後の「老松」だけなぜ花ではないのだろうと不思議に思っていたのですが、読んでみて納得。フサお婆ちゃんいい味を出していますね。連作短編集のラストに相応しい物語でした。

収録作品:「朝顔」「曼珠沙華」「寒牡丹」「百合」「老松」

「永遠の森-博物館惑星」早川書房(2002年5月読了)★★★★★お気に入り
地球の衛星軌道上にある、博物館惑星アフロディーテ。ここには古今東西の、人類が手に入れられる美術品が全て集められています。美術品は音楽・舞台・文芸担当の<ミューズ>、絵画・工芸担当の<アテナ>、動・植物担当<デメテル>の3部門に分けられ、脳外科手術によってデータベース・コンピュータを頭脳に直接接続した学芸員たちによって、日々分析・鑑定されています。しかしこれらの部署同士の争いが絶えず、そのために統合管轄部署として<アポロン>が置かれているのです。<アポロン>の学芸員・田代孝志の元には、日々様々な厄介事が持ち込まれ、孝弘は上位のデータベース・ムネーモシュネーによって解決していきます。本来の学芸員としての仕事、実際に美術品に触れる時間が全くないと嘆く孝弘ですが、厄介事を通して、孝弘は芸術に関わる様々な人々の思いに触れていきます。

第54回日本推理作家協会長編・連作短編集部門賞受賞作品。
連作短編集。設定はまさにSF。宇宙の中に、世界中の美を集めて管理する博物館惑星という場所があるという設定が、まず素敵ですね。国境や人種による分け隔てが全くなく、もちろん国家間の戦争も関係なく、そこにあるのはただ美を愛する心のみ。頭にデータベースが直接繋がれている「直接接続員」は、何かを心に思うだけで、その意図を汲み取って検索してもらえるという設定も面白いです。でもその反面、学芸員同士、また外部の人間とのやりとりはとても人間臭いもの。美術品がなんとか自分の部署の管轄にならないかと画策し、喧嘩をしている姿、自分よりも高機能、もしくは新しいバージョンの機能を持つ人間に嫉妬し、焦りを感じる姿。マシューのような権威主義者を生み出しているのは、アフロディーテの根底に問題があるのだと思うのですが、それでも人間の心というのは技術の進歩のようには割り切って進化することができないもの。切ないですね。
どの話も素敵ですが、私が特に好きなのは「享ける形の手」と「永遠の森」、そして「きらきら星」。特に「享ける形の手」がいいですね。かつて頂点を極め、今は下り坂にあるダンサー・シーター・サダウィと、彼女を迎える<デメテル>のロブ・ロンサールの物語。この話だけは孝志は脇役に回ります。ただ踊ることが好きなだけのシーターが、いつしか自分自身の踊りを見失いかけた時。ロブの暖かくも厳しい言葉が心に染みます。最後に救われるのが素直に嬉しい物語。孤独な芸術なんてない、というのは本当にそうだと思います。
自然によって作り上げられた物、人間の手によって作り上げられた物。目に見える価値のあるもの、そして目には見えない価値のあるもの。それぞれの「物」を見た時の人間の感情や反応は人それぞれ。本来、美は枠にとらわれない存在のはずですが、美術品はある一定の価値基準によって評価が下され、価値が決まってしまいます。しかし知識があるからといって感動できるとは限らないですし、「感動」に規則性を探しだすことはできても、その規則性によって感動できるとは限らないのです。…それらの葛藤も、最後の「ラヴ・ソング」で気持ち良く昇華されていきます。綺麗なものは綺麗だとただ感動する心、その素直な心を取り戻せるラストは本当に素敵。純粋に感情した時の気持ちをそのまま覚えていられたら。そういうことなのですね。
菅さんの作品はどれも情景の美しさが印象的ですが、この作品では情景の美しさはもちろん、全編に流れる音楽、音のない音を感じました。とても素敵なファンタジックSFです。

P.151「品物の善し悪しはまず肌に伝わるものよ。肌の感覚はたくさんの物にあたってだんだん敏感になるの。」

収録作品:「天上の調べを聞きうる者」「この子はだあれ」「享ける形の手」「抱擁」「永遠の森」「嘘つきな人魚」「きらきら星」「ラヴ・ソング」

「夜陰譚」光文社(2002年5月読了)★★★
【夜陰譚】…太りすぎの自分に絶望する「私」は、ある晩不思議な露地に迷い込みます。1人の男性が木に変身するのを目撃。電柱に3回傷をつけると、4回目に自分の希望通りに変身できるというのです。
【つぐない】…DV(ドメスティック・バイオレンス)によって傷ついた女性を取材する事に決めたフリーライター・石沢典恵。久御山津和子という女性を紹介され、最初は順調に取材が進むのですが…。
【蟷螂の月】(とうろうのつき)…気がつくと水辺の光景を夢に見るようになった「私」。夜陰に一条の月光が射し込む沼のほとりにいるのは1匹のカマキリ。夜寝る時はもちろん、白昼夢としても。
【贈り物】…沖縄の海で出会った魅力的な男に街で再会し、「私」は乳白色で涙型の「人魚の鱗」をプレゼントされます。私が部屋でその人魚の鱗を目の前にかざした時、誰もいない部屋に女性の声が。
【和服継承】…いつも着物を着ている叔母は、子供心にも色っぽい存在でした。「私」に着物が似合うと言いながらも、その後に必ず「可哀想に」とつけ加える叔母。「私」は叔母に着付けを習うことに。
【白い手】…インテリア会社に入社した佐伯敦子は、雑用ばかり押し付けられている2年先輩の脇屋香津美を自分のプロジェクトに引っ張り込みます。それがきっかけで香津美は仕事のできる女性に。
【桜湯道成寺】…以前日本舞踊の家元親子に影で仕えていた老人。引退する前の一世一度の晴舞台となった「道成寺」についての思い出を語ります。
【雪音】…無農薬野菜とエコロジー関連商品のネット販売をしている「私」は、自分の理想を追求し、部下を叱咤激励。しかし雪の日に謎の女性に出会ってから、思っていないことを口にするように。
【美人の湯】…自分の姿を見られないために、深夜に温泉に入りにくる女性たち。声だけで顔が見えないことに安心して楽しむ、くつろいだ本音の話。

幻想的だったり現実的だったりと、様々なテイストのホラーが集まった短編集。美しさと醜さの極限で、じわりじわりと怖さが忍び寄ります。特に「つぐない」がとても怖いですね。「和服継承」と「桜湯道成寺」は特に怖くはないのですが、和の情景がとても綺麗で素敵な作品。
「夜陰譚」この露地に行ってみたいです。私だったら、とつい考えてしまいます。しかし主人公には、もっと現状打破の努力が必要でしょう。「つぐない」ごく普通に見せかけた優しげな狂気が怖いです。「蟷螂の月」幻想的なのですが、これはどうなのでしょう…。「贈り物」かなり怖いですね。しかし人魚の鱗は、見てみたい気もします。「和服継承」は「エロティシズム12幻想」にて既読。こういう和風の色気はやはり好きです。「白い手」だから女同士に友情が存在しないと言われるのですね。「桜湯道成寺」和風の雰囲気が素敵。舞台の情景が目に浮かびます。しかし話には騙されました。「雪音」こういう人は多いですね。気をつけなくては。「美人の湯」微笑ましくも可笑しくもあり… しかし実は誰にとっても他人事ではない話。本当はこういうのが一番怖いのかもしれませんね。しかしどんな女性にとっても、「美人の湯」という言葉には魔法の響きがありますね。

「アイ・アム-I am.」祥伝社文庫(2002年4月読了)★★★★★お気に入り
突然視界が開けると、「私」はドラム缶のような円柱形のボディと特殊ラバーの腕をもったロボットになっていました。ミキと名づけられた「私」は、その日から早速私立エナリ病院で介護ロボットとしての仕事を始めます。まずは外科病棟へ。そして小児病棟を経てホスピスへ。ミキのロボットとしての姿に嫌悪感を示す患者、好奇心を顕わにする患者、そしてどう扱ったらいいのか分からず遠巻きにする患者など、反応は様々。しかし中には人間と同じように扱ってくれ、いろいろと話しかけてくれる患者の存在も。ミキはどの患者にも分け隔てなく接し、自分にできる勤めを精一杯果たしていきます。しかし患者とのふれあいを通して、ミキは時々自分の中に人間の記憶めいたものが甦ってくるのを感じるのです。自分は本当にロボットなのか、それとも人間なのか。そして人間とは何なのか。ミキは考え始めます。

近未来の日本が舞台となっています。
ロボットと人間については、既に色々な作品で描かれてきていると思うのですが、やはりそのポイントは、「ロボットは人間になれるのか」ということではないでしょうか。しかし、いくら理性を失っても人間として生まれてさえいれば人間なのか、人間的な感情を持つことができたとしてもロボットはロボットに過ぎないのか、という命題にはなかなか書ききれないものがありそうです。
始めは人間ではないからと割り切って行動していたミキが、患者の中の「人間」を見て「人間の生き方」「人間とは何か」ということを模索しているうちに、徐々に自分の中の「人間」に気がつくようになるという過程がとても上手いですね。病院という、自分の「生き方」や「死に方」から目をそらすことのできない場所での話なので、尚更それが生きていると思います。ミキについては比較的早い段階で予想がつくように書かれていると思うのですが、それでもこのラストにはやはり感じるものがありますね。このストレートさがとても痛いです。150ページほどの短い物語ではありますが、中身はとても濃厚。そしてSF的な設定ではありますが、内容はSFと限定するにはあまりにもったいないかも。本当に身近で現実的な問題が数多く含まれています。

P.109 院長先生
「思考能力のあるモノが、自分が何であるかを知りたいと思うのは当然のことだ。けれど、自分の本質を知った瞬間、本質に似合う限界も我知らず判断してしまうんだよ。」

「五人姉妹」早川書房(2002年5月読了)★★★★★
【五人姉妹】…父の死後、会ったことのない4人の姉妹を順番に朝食に呼ぶ葉那子。彼女たちは、バイオ企業の社長である父が身体の弱い葉那子のために作ったクローンだったのです。社運を賭けた成長型人工臓器を身体に埋め込まれている葉那子は、既に普通の人工臓器で十分になっていました。
【ホールド・ミー・タイト】…松田向陽美は、現実世界では仕事に生きる女性、ネットの世界ではホスト。嘘の世界の嘘の恋人、嘘の言葉。しかしその嘘の言葉に本当にすがっているのは…。
【KAIGOの夜】…新しく開発された介護ロボットは、介護する側のロボットではなく、なんと介護される側のロボット。ケンとユウジは、ロボットを実際に介護しているという元弁護士を取材します。
【お代は見てのお帰り】…紙の科学者・バート・カークランドは、息子のアーサーを連れてアフロディーテへ。理性と静謐を好むバートにとって、アフロディーテは理想的な世界。アーサーにもその世界を味わって欲しかったのですが、今回訪れたアフロディーテでは、なんと大道芸人のフェスティバルが開かれていました。バートはアーサーを極力大道芸人から遠ざけようとするのですが…。
【夜を駆けるドギー】…ネットで「コープス(死体)」と名乗る少年がネットで知り合ったHANZは、筋金入りのハッカー。近頃の愛玩ロボット犬人気で、HANZはコープスのためにファンサイトを作ることに。サイトは順調にアクセスを伸ばすのですが、しかしその愛玩犬について妙な噂が流れ始め…。
【秋祭り】…林絵衣子とムサシは、大規模農業プラントの後継者募集に応えて、農場を見学に訪れます。すべてが機械化され、害虫や病気の心配も全くない理想的な農業。季節感がまるでなく、ドームごとにたわわに実る果実や野菜。そして農場では、毎年恒例のノスタルジックな秋祭りが開かれます。
【賎の小田巻】…大衆演劇の役者だった父についての取材を受ける入江雅史。父は座長を引退して、人格トレース終身保養施設(AI)に入っていました。雅史は、取材の後に初めてAIに父を訪ねることに。
【箱の中の猫】…恋人の普久原敦夫は、地球から400キロメートル離れた宇宙ステーションの中。守村優佳は、10日に1度のプライベート通信を楽しみにしていました。しかし話すことといえば、米の話や猫の話、そして同僚のクリスの話。クリスの話が出るたびに、優佳の心はちくりと痛むのです。
【子供の領分】…記憶喪失になったマサシは、ドレイファスという医師に言われる通り、孤児院での生活を送り始めます。自分の名前しか持っていないマサシ。一緒に過ごしている仲間達に比べるとどうやら特別優秀な存在らしいのですが…。

SF短編集。
菅さんのSFを読んでいると、舞台が近未来であれ遥か遠い未来であれ、人間の心というのは、科学のようには進化しないものなのだなあということを痛感します。どれほど身の回りの物が発達し、ロボットが発達し、宇宙旅行ができる時代になっても、人はあくまでも人のまま。人の心がそのままであることが、嬉しくもあり、哀しくもありますね。しかし、だからこそ、どの作品も心に沁み入ってくるのでしょう。繊細でひっそりとした文章によって描かれる心は、幸せであったとしても、どこかに切ないです。
「老い」が描かれている作品が多かったのも、この短編集の特徴でしょうか。「2人は結婚して、幸せに暮らしました」というエンディングではなく、そのまま老いていくまでを描いた「五人姉妹」や「箱の中の猫」のような作品、「KAIGOの夜」「賎(しず)の小田巻」のように「老い」を真正面から捉えた作品。美しいとは言えない部分も多い「老い」。しかしそれを見つめる菅さんの目はあくまでも優しく、自然に老いていく勇気を与えてくれるようです。
私がこの中で特に好きなのは、「五人姉妹」「お代は見てのお帰り」「箱の中の猫」の3編。「お代は見てのお帰り」は「永遠の森」のアフロディーテが舞台。でも「永遠の森」を読んでいなくても全然大丈夫だと思います。「ホールド・ミー・タイト」のストレートに伝わってくる愛しさもいいですね。
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