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このページは、夏目漱石さんの本の感想のページです。

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「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫(2007年2月読了)★★★★
【倫敦塔】…2年間の留学中にただ一度だけ見物した倫敦塔の思い出。漱石は、この塔の見物は一度に限ると考えていました。
【カーライル博物館】…チェルシーを眺めるたびに、イギリスの歴史家であり評論家であるカーライルのエピソードを思い出す漱石。ある朝ついにカーライルの家を訪ねます。
【幻影の盾】…ウィリアムは、自分の主である白城の城主・狼のルーファスと夜鴉の城主の間に起きた確執に心を痛めていました。ウィリアムは夜鴉の城主の娘・クララを想っていたのです。
【琴のそら音】…幽霊の書物を愛読している津田は、満州へ出征していた陸軍中尉が鏡に病気にやつれた妻を見て驚いたという話をします。妻は丁度その時、肺炎で息を引き取っていたのです。
【一夜】…髯ある人、髯なき人、涼しき眼の女の一夜の語り。
【薤露行(かいろこう)】…アーサー王の催す北の方の試合に遅れて出かけたランスロット。その姿を、高い塔に1人住むシャロットの女が一目見て倒れ、ランスロットに呪いをかけます。
【趣味の遺伝】…前年に旅順で戦死した浩の墓参りへと向かった「余」は、そこで白菊を手向けた若く美しい女性と出会います。

漱石初期の短編集。「倫敦塔」と「カーライル博物館」は小説というよりはエッセイ、紀行文と言うべきようなもので、他の5編が小説。「幻影の盾」と「薤露行」は、アーサー王時代の騎士道物語に題材を得て書いたものですが、「琴のそら音」「趣味の遺伝」は、戦争の色の濃いその当時の様子が垣間見られますし、「一夜」は「夢十夜」のような雰囲気。しかしどの作品にも共通しているのは、愛のロマンティシズムと夢のような幻想味。特に「倫敦塔」の、漱石がただ一度倫敦塔を訪ねた折に感じる、血塗られた過去の塔、現在の観光地としての塔の情景の交錯はとても幻想的で、読んでいるとその時代の情景に引き込まれるようです。
「薤露行」は、トーマス・マロリーの「アーサー王の死」、アルフレッド・テニスンの「シャロット姫」「国王牧歌」を元に作り上げた物語。漱石が英文学に強いということは当然知っていましたが、こういった作品も書いていたとは知りませんでした。冒頭の説明文に、マロリーが面白いから紹介しようというのではなく、「古代のものだから一部の小説として見ると散漫のそしりは免れぬ」と、不満が募ったせいで書きたくなったようなことが書かれているところが面白いです。そしてテニスンの「シャロット姫」では、ランスロットに恋し、その恋によって死ぬのはシャロット姫ただ1人なのですが、漱石の「薤露行」では、塔からランスロットを見てしまい亡くなるシャロット姫と、船でキャメロットへとたどり着くエレーンという2人の女性がいます。この女性のどちらもが、テニスンのシャロット姫とはまるで違うようなのが興味深いですね。塔のシャロット姫は亡くなる間際に「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪いを負うて北の方へ走れ」とランスロットを呪い、「どうと仆(たお)れる」ほどの情の強さを持つ女性。逆にランスロットが道中出会うエレーンは、深くランスロットのことを思いながらも、自分を憐れに思って欲しいという手紙を書く女性。思いが深いという点では共通していますが、その表れ方は正反対です。そしてこの2人はテニスンのシャロット姫ともまた違うのです。しかしこれを読み返しているうちに、テニスンのシャロット姫の中には、「薤露行」のシャロット姫とエレーンの2人の女性のような面がどちらもあったのかもしれないとも思えてきます。相反するようでいて、1人の女性の中に同時に存在していてもおかしくないものなのかもしれないですね。

「明暗」新潮文庫(2005年11月読了)★★★★
勤め先の社長夫人・吉川夫人の仲立ちで23歳のお延と結婚してから半年あまり。30歳になる津田由雄は、突然の父からの送金を取りやめるという手紙に困惑していました。毎月、生計の不足分を補うための父からの送金を当てにしており、しかも現在痔を患っている津田は、近いうちに入院して手術をする必要があったのです。しかしそれは父からの送金を盆・暮れの賞与で少しずつ返済するという条件を、この夏、津田が履行しなかったため。官吏を引退した後、京都に住んでいる父に再度手紙を送るものの、けんもほろろに断られる津田。しかもそこには、お延を嫌っている津田の妹・お秀も一役買っていました。そして入院した津田や自宅にいるお延の元を、お秀や津田の旧友の小林、吉川夫人らが訪れ様々な波紋を残していきます。実は津田には結婚前、清子という女性に一方的に去られたという過去があったのです。

絶筆となった夏目漱石最後の作品。
津田とお延という、まだまだ心のうちを完全にはさらけ出していない夫婦を中心に、津田の妹のお秀や、津田が未だに頭が上がらない吉川夫人、旧友の小林、お延の実の家族代わりの岡本家の人々が現れ、様々な思惑がせめぎあいます。この作品でまず面白いのは、それらの人々の会話の場面。夫婦間で、親子間で、はたまた友達(知り合い)同士で常に、そして執拗に、腹の探り合いが行われるのです。表面上は終始にこやかに応対していながら、水面下では駆け引きや丁々発止の対決があり、それぞれの見栄を張り、少しでも優位に立とうとしている人々。そしてそんな人間の目を通して徐々に浮かび上がってくるのは、津田とお延、そして津田の以前の恋人・清子の存在。物語自体には特に大きな起伏はないのですが、やはりこの会話が面白いですね。漱石作品には珍しく1人称ではないということも効いているのでしょう。特に面白いのは、自分の立場とプライドに左右されつつ、なけなしの見栄を張ろうとする津田夫婦の会話、父親代わりの岡本氏の暖かい言葉と素直になりきれないお延の会話、お延とお秀の水面下の戦いとも言える会話でしょうか。津田とお延が似たもの夫婦だというのも、会話から良く分かります。
そして強く印象に残るのは、やはり津田を巡る女性たち。自分の意思で津田と一緒になった以上、岡本の手前もあって、幸せになってみせるという強い信念を持つお延。器量好みで望まれて嫁にいき、2人の子供をもうけたものの、外で遊ぶ夫や姑に今ひとつ幸せとは言いがたく、仲睦まじくみえる兄夫婦のことが面白くないお秀。お秀に関しては、兄夫婦が本当に仲が良いかどうかというよりも、お延のしている宝石の指輪が癇に障っているようにも見えます。そして津田を自分の手の内に抑えておきたい吉川夫人。そして登場してすぐに物語が終わってしまったため、あまり人柄が見えてこないままだった清子。しかしお延にしてもお秀にしても、結婚する前とした後の変化が自分自身、あるいは近しい他人によって指摘されています。このことを考えると、津田は以前の清子の幻影を追っているようですが、清子もまた関との結婚によって大きな変化があったのではないかと思い至ります。
新聞での連載途中で漱石がこの世を去ったため、津田と清子が対面を果たしたところで、この小説は未完のまま終わります。読み終えてみれば、10日ほどの出来事だったのですね。

P.458「じゃ話して頂戴。どうぞ話して頂戴。隠さずにみんな此処で話して頂戴。そうして一思いに安心させて頂戴。」
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