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このページは、宮部みゆきさんの本の感想のページです。

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「堪忍箱」新潮文庫(2004年2月読了)★★★★
【堪忍箱】…本所回向院脇にある菓子問屋・近江屋が火事に遭い、当主・清兵衛は焼死、息子の嫁のおつたも意識不明に。14歳のお駒が、近江屋に代々伝わるという「堪忍箱」を預かることになります。
【かどわかし】…見知らぬ子供に、かどわかして欲しいと頼まれた畳屋の箕吉。それは料理屋の辰美屋の総領息子の小一郎。母親代わりに育ててくれたお品に会いに行くために金が必要だというのです。
【敵持ち】…深川元町の居酒屋・扇屋の板場に雇われることになった加助は、おかみに惚れる常連客に逆恨みされることに。加助は命の危険を感じ、同じ長屋の浪人・小坂井又四郎に用心棒を頼みます。
【十六夜髑髏】…数えで15の年に小原屋に奉公に上がったふきは、住み込みの女中・お里と仲良くなります。一月ほどたったある日、ふきはお里に、少し気味の悪いことが起きるが我慢だと言われ…。
【お墓の下まで】…深川富川町の市兵衛店の差配人・市兵衛は、女房のお滝と共に、自分の月番の時に連れてこられた迷子や捨て子のおのぶ、藤太郎、おゆきをそのまま貰い子として育てていました。
【謀りごと】…10年火事を出していないことが自慢の深川吉永町の丸源長屋。しかし差配人の黒兵衛が店子の家の中で死んでいたのです。その部屋の住人の「先生」は、留守。店子たちが集まります。
【てんびんばかり】…深川浄心寺脇にある徳兵衛長屋のお美代が大黒屋に後添いに入り、久しぶりに徳兵衛の元を訪ねて来ていました。ひさご屋で働くお美代の幼馴染のお吉の元に、新次が呼びに来ます。
【砂村新田】…屋根職人の父親の角造が目を患って仕事中に足場から転落。おきんおばさんの紹介で、お春は砂村新田の地主の家に下働きの女中奉公に出ることに。お春に1人の男が話しかけてきます。

8編が収められています。連作ではない、純粋な短編集。
帯に「だれの人生にだって開けちゃいけない『箱』がある」という言葉が書かれているように、人それぞれに心の奥底に隠し持っている秘密に触れる物語ばかり。そして、この中でそれが一番印象に残るのは、「お墓の下まで」でしょうか。思わぬ深淵を覗き込んだような気がしましたし、思いもしなかった展開にも意表をつかれました。
ラストが曖昧で、白黒がはっきりしない物語が多いのですが、しかしこの吉とも凶とも一口には言い切れない結末に、逆に現実味を感じました。それは「謀りごと」にあるように、1人の人間が相手によって色々な面を見せるというのと同じ。1つの出来事を良く受け止めるのも悪く受け止めるのも、その人間次第だというのと同じことなのでしょう。そして私がこの中で一番好きだったのは、「敵持ち」。命を狙われているというのに、女房のおこうは用心棒代を値切ったり、期限を10日で切っていたりとコミカルな味わいがいいですね。ミステリ的な展開も良かったですし、用心棒役を務めることになる小坂井又四郎もいい味を出しています。

「天狗風-霊験お初捕物控2」講談社文庫(2002年11月読了)★★★★★お気に入り
下駄屋の1人娘・おあきが、祝言を間近に迎えたある朝、神隠しに遭います。朝早くおあきと父親の政吉が一緒に仕事部屋にいる時の出来事でした。朝焼けに空が血のように赤く染まり、一陣の突風が吹き、気づいてみるとおあきはもう消えていたのです。しかし町方は、嫁ぎ先との落差を苦にした政吉が娘を殺したものとみて追及、政吉は自分がやったと言い残して首をくくってしまいます。お初は南町奉行・根岸肥前守鎮衛の密命を受けて、古沢右京之介と共にこの事件を追うことに。そして数日後。2人目の娘が神隠しに遭います。今回消えたのは、八百屋の娘・お律。お律が消えた時もおあきの時同様、空は真っ赤に染まり、突風が吹いていたのです。そしてお初の目の前で怪異現象が起こり、さらには観音さまの姿をした物の怪までもが現れて…。

「かまいたち」や「震える岩」にも登場したお初のシリーズ。そして今回は最初から、お初の能力を十分に生かした物語。今までのように、ふとすれ違った人物に何かを見て、それが捜査の役に立つというレベルではなく、お初は積極的に事件の中に飛び込んでいきます。おあきもお律も、神隠しに遭う以前から妙な夢に悩まされていますし、その夢の原因となるかなり強力な念を持った物の怪も登場、人間の言葉が話せる猫まで大活躍と、超日常的な現象も目白押し。
しかし超常現象ばかりではありません。お初たちの動きと平行して、六蔵ら岡っ引きも現実問題として起きた事件を追っており、この2つの動きの兼ね合いがとてもいいのです。おそらく、自分のできることから取り組んでいこういう姿勢が、この物語を地に足をつけたものにしているのでしょうね。お初の能力に多少都合の良すぎるものを感じる人もいるかもしれませんが、しかしそれも六蔵らの存在があってこそ。もちろんお初と一緒にいる右京之介も見事な推理を披露します。
登場人物たちは、皆とても魅力的。おあきとお律という2人の娘たちにこの怪異を呼び寄せしまった心の闇も十二分に描かれていますし、それがとても痛みを持って迫ってきます。脇役陣も大活躍。この中では、特に車屋のお美代がいいですね。彼女にはぜひこれからも登場してもらいたいものです。それに右京之介の父上もいい味を出していますし、猫の鉄もとても可愛いのです。そして忘れてはいけないのが、お初に対して逃げたり照れたりしない右京之介。彼が本当に素敵です。この2人が今後どのように展開するのかというのも、楽しみになってしまいます。

「心とろかすような-マサの事件簿」創元推理文庫(2002年11月読了)★★★★★
【心とろかすような】…蓮見家の次女・糸子が諸岡進也と朝帰り。2人の説明は、まるでドラマのような展開でした。しかし長女・加代子は2人が嘘をついていないと判断、事情について調べ始めます。
【てのひらの森の下で】…マサと加代子は、散歩コースの「てのひらの森」で血塗れで倒れている男性を発見します。早速警察に通報する加代子。しかし警察官と戻ってくると誰もいなかったのです。
【白い騎士は歌う】…蓮見探偵事務所に訪れたのは宇野友恵という女性。彼女の依頼は、強盗殺人の容疑で指名手配中の宇野敏彦について。200万もの借金の理由を調べて欲しいというのです。
【マサ、留守番する】…蓮見探偵事務所は、3泊4日の慰安旅行で台湾へ。マサの世話は近所の翻訳家・小早川純子が引き受けることに。しかし最初の晩、事務所の前に5羽のウサギが捨てられて…。
【マサの弁明】…今回やって来た依頼人は、推理作家の宮部みゆき。ここ10日ほど、夜中に仕事をしていると、誰かがつっかけを履いて歩いてくる音がするというのです。

「パーフェクト・ブルー」に登場した、蓮見探偵事務所の面々と元警察犬のマサが活躍する作品。
どの話も、最後に切なさやほろ苦さが残りますが、読後感はとても良いのです。どれほど痛々しい事件が起きても、宮部さんの視線が基本的に暖かいからなのでしょうね。
「心とろかすような」少女の「おじさん、この犬いくら?」という台詞がなんとも怖いです。進也の「キッタネエよ」の微笑ましさとは正反対。この題名からイメージしたのとは、物語の雰囲気が全く違っていて驚きました。「てのひらの森の下で」マサが犬という設定が、とても生かされている作品。上手いですね。「白い騎士は歌う」セーターの行方を考えると哀しいです。何も殺さなくても…。「マサ、留守番する」蓮見探偵事務所の面々は留守ですが、私はこの作品が一番好きです。しかしジュンコさんの存在で少し痛さが薄れましたが、やはり痛い話ですね。ハラショウのことも。「マサの弁明」読者サービスの作品ですね。本筋とは全く関係ありませんが、宮部さんは本当にタバコを吸われるのでしょうか?(笑)
この本が出版されたのは、「パーフェクト・ブルー」から9年近く経ってからのようですが、しかし書き下ろしの「マサ、留守番する」以外は、「パーフェクト・ブルー」とほぼ同時期に書かれた作品です。

「理由」朝日文庫(2004年2月読了)★★★★
1999年6月2日。雨の夜に、営団地下鉄日比谷線の北千住駅に程近い25階建ての高層マンション・ヴァンダール北千住のウエストタワー20階、2025号室で起きた殺人事件。後に「荒川の一家4人殺し」と呼ばれるその事件は、1人の男性の墜落死体から始まりました。通報によって駆けつけた警察によって、2025号室では3人の男女の他殺死体が発見され、当初はこの部屋の住人・小糸信治と静子、その息子である孝弘の死体と思われます。しかしそれらは、実はまるで違う人間の死体だったのです。近所の住人やマンションの管理人、関係者の目から、姿を消していた小糸家の実情や事件の詳細が少しずつ明らかになっていきます。

120回直木賞受賞作。第17回日本冒険小説協会大賞受賞作品。
「荒川の一家4人殺し」を調べ上げたルポルタージュという形式で書かれた作品です。ルポ形式をとり、全ての登場人物から距離を置くことによって、3人称で書かれる小説とはまた全然違った趣きが生まれています。これは現代の人間関係の希薄さを出そうという意図のように思えたのですが、実際のところはどうなのでしょうか。警察などが本気になれば辿れるけれど、実際にはほとんど付き合いらしいものもなく、隣の部屋ににどのような人間がいるのかも知らないまま生きている人々。その人間関係の希薄さは、今や家庭の中にも入り込み、家族の間でも無関心が横行しています。しかも、物のはずみで人を殺してしまっても、それほどの衝撃を受けない人間もいるようです。作中で康隆が八代祐司に対して、「二次元の人間」でしかなかったといったような感慨を覚えていますが、実際に自分の周囲に、どれだけ「二次元の人間」が多いことか。そんな、血や肉を感じない人々に、ルポ形式という作風は血肉を与えるものなのでしょうか。それとも希薄さを強調するものなのでしょうか。しかしどちらにしても、何人もの人物の目を通し、徹底して客観的に描くことによって、浮き上がってきた本質に真実の重みを加えることができているように感じます。静かで、それでいて圧倒的な迫力。
ルポ形式という新しい試みに挑戦することによって、宮部さんがご自分の力量に挑戦しているようにも思えました。ルポ形式だと、普通のサスペンス小説特有の怒涛の迫力は出ませんし、誰か特定の人物に感情移入させることも難しいはず。それでもミステリ的興味は十分で、一気に読ませてしまう力を持った作品。さすがですね。

P.119「現代ではね、隣近所は頼りがいのある存在じゃなくて、警戒するべき存在なんです。排他的でいるくらいが、ちょうどいいんですわ」
P.123「どうも集合住宅というのは、住宅としてのクオリティがあがればあがるほど、入居者同士の交流の度合いが下がる傾向にあるみたいなんですよ」

「平成お徒歩日記」新潮文庫(2004年2月読了)★★★★
江戸時代を舞台にした時代小説も書いている宮部みゆきさんが、江戸時代の「時間と距離感」を体感してみようと、実際に色々な場所を歩いて回る紀行エッセイ集。吉良邸討ち入りを果たした赤穂浪士が泉岳寺まで引き上げた道筋や、毒婦みゆきの「市中引廻しの上、獄門」コース、越すに越されぬ箱根の八里の山越えルート、江戸城一周、八丈島島流し体験、「本所深川ふしぎ草紙」にも登場する本所七不思議巡り、江戸の人たちの憧れの地、善光寺・伊勢参り、そしてこの企画のきっかけとなった深川散策という、なかなか面白そうなコースばかりです。宮部みゆきさん初のエッセイ集。

江戸時代といえば、最早テレビの時代劇の世界。平成の前に「昭和」「大正」「明治」とあり、しかも間には第二次世界大戦が挟まっていることもあり、今の東京にとって江戸時代はかなり遠い存在となっています。しかし明治になってから、実はまだ150年も経っていないのですよね。このお徒歩日記を読んでいると、確かに江戸と東京は地続きなのだということを実感。文章から宮部さんの人柄、特に気さくでお茶目な部分が見えてくるのも楽しいです。
そしてそれぞれの章の中で、現代日本との比較論とでも言うべき部分があるのが特徴でしょうか。私にとっては、この部分がとても面白かったです。その中でも一番納得したのは、其の六「七不思議で七転八倒」の5「ちょっと蛇足だけれど」部分。「各地に流布する『七不思議』も、昔はどこの町にもひとつはあった『お化け屋敷』も、みんな一定の機能を持っていたのではないかということです」というくだりです。確かに日常の「魔」を吸収してくれる機能を持つ場所というのは、人間の生活の中ではとても重要な存在なのかも。日々の生活の中でも、「心のゆとり」は人間にとってとても必要なものですし、毎日仕事や勉強に追われるだけで、他に何もない生活をしていたら、息が詰まってしまいます。ここでは神戸の事件が引き合いに出されていますが、某学園都市が出来た後、あまりに整然とした街並みのせいか自殺者が多かったという話を聞いたことがあります。(真偽のほどは未確認ですが)街の構造というのも、実は人間の精神状態に大きな影響を与えるのかもしれないですね。

「クロスファイア」上下 光文社文庫(2002年11月読了)★★★★
体の中に力が溜まってしまっているのを感じた青木淳子は、それを放射し解放するために深夜の廃工場へ。しかし、まさに放射しようとした瞬間、複数の人間がやって来るのに気づきます。少年たちが、自分たちが殺した人間を遺棄しにやって来たのです。淳子は、その人間にまだ息があることに気付き、力を放って3人の少年たちを焼殺。しかし肝心の「アサバ」に逃げられてしまいます。瀕死の男性に連れの女性「ナツコ」が拉致されたことを聞いた淳子は、その女性を助けるために、浅羽敬一の行方を追うことに。一方、警視庁放火捜査班の石塚ちか子は、再び奇妙な焼殺自体が現れたことを聞いて動き始めます。

「鳩笛草」の収蔵の「燔祭」に登場していた青木淳子が再登場する作品。「燔祭」の後日談です。
青木淳子は、目線も物言いも行動も、とにかくまっすぐで強い女性です。その強さ故に、逆に痛々しさを感じてしまうほどの強さ。彼女の持っている能力は、物を燃やしてしまう「パイロキネシス」なのですが、彼女自身、自らを「装填された一丁の銃」だと表現し、その能力が神に与えられた使命とでも考えなければバランスを取ることができなくなっているように見えます。この不必要な能力のおかげで、彼女自身がこれまで払ってきた犠牲の大きさは、「燔祭」で受けた傷と共に心の一部を凍らせてしまっているようです。
淳子はまるで神の立場のように少年たちを処刑していきます。これは「粛清」という言葉が相応しいほどの激しい行動。確かにこの種の犯罪が許せないという気持ち、それらの犯罪の裁きを法に委ねることへのもどかしさというのはよく分かりますが… しかしだからと言って、このように殺してしまってもいいものなのでしょうか。いくらなんでも、人が人をこんな風に裁いてしまう権利はあるのでしょうか。…「スナーク狩り」にも通じる問題ですね。
そして淳子と対照的だったのが、中年のおばさん刑事である石津ちか子。彼女が良い意味で、物語の「良心」となって、バランスを取っていたように思います。物語後半、淳子の心の氷を溶かしていったのは、直接的にはあの人物かもしれませんが、しかし実際にはちか子の暖かさだったようにも思えるのです。自分のことも周囲のこともきちんと見て分かっているこの石津ちか子という人物の大きさは、傍にいる警察の同僚にはあまり気づかれないかもしれないですが、でもとても貴重なものですね。
読後感はあまり良くないのですが、とても強い吸引力のある物語。この結末はあまり好きではないのですが、しかしそれしかなかったのかもしれないとも思えます。最後に至る展開は、結果的に彼女にはとても良かったのではないかと思えて、それだけは救われました。

「ぼんくら」上下 講談社文庫(2004年7月読了)★★★★★
【殺し屋】…お露の兄の太助が包丁で刺されて殺されます。お露によると、その下手人は、以前差配の久兵衛を逆恨みして襲ってきた正次郎。しかし皆、お露の嘘を見抜いていたのです。
【博打うち】…桶職人の権吉が博打で大負けをしてしまい、10両の借金の形に、深川北町一の器量良しと謳われた1人娘のお律を、岡場所に売り飛ばす約束をしてしまいます。
【通い番頭】…お徳の店を出た同心・平四郎にむしゃぶりついてきたのは、垢で黒ずんだ痩せこけた子供。平四郎はその子供を差配の佐吉に預け、着物の継あてを手がかりに親を探し始めます。
【ひさぐ女】…今度鉄瓶長屋にやって来ることになったのは、女郎あがりのおくめ。おくめはお徳の死んだ亭主とも付き合いがあり、引っ越す前からお徳と揉め事を起こすことに。
【拝む男】…鉄瓶長屋に住む八助一家が突然妙な信心にかぶれ、壷を拝み始めます。そして長屋の住人たちに、信心を説いて周り始めたのです。
【長い影】…佐吉の言葉に改めて湊屋のことを考え始めた平四郎は、幼なじみである隠密同心・辻井英之介に、湊屋とその周囲のことを調べさせます。
【幽霊】…全てが片付き、お徳や佐吉も新しい場所に引っ越すことになります。

深川北町にある鉄瓶長屋が舞台。読み始めは連作短編集かと思っていたのですが、6作目の「長い影」は、たっぷり400ページあろうかという長編。実は最初の5編は、プロローグ代わりの5つの情景だったのですね。この物語が始まった時点での鉄瓶長屋の差配は、地主の湊屋総右衛門が営んでいる料亭「勝元」の番頭だった久兵衛なのですが、久兵衛は突然姿を消してしまいます。そして1ヵ月後に新しく差配としてやってきたのは、まだ27歳の佐吉。総右衛門の遠縁とは言え、老人の世間知が必要な差配という仕事にはあまりに若い佐吉に、住人たちは不信感を隠しません。長屋の店子は1人また1人と減っていきます。そして佐吉の「俺、ここでいったい何をやってるんだろう?なんで俺、ここにいるんだろう?」という言葉によって、連作短編集は1つの大きな長編へと変化することに。この構成がなんとも新鮮ですね。
湊屋や鉄瓶長屋に隠されていた真実は、あまり後味のいいものではありません。しかし面倒ごとが嫌いな「ぼんくら」平四郎を始めとして、世話好きで頼りになるお徳や、品は悪いが人の良いおくめ、地道に頑張っている佐吉、何でもつい計ってしまう美少年・弓之助や、人の話をテープレコーダーのように覚えてしまう「おでこ」こと三太郎といった面々がとてもいい味わいを出していて、温かい読後感が残ります。平四郎のぼんくらぶりも、白黒はっきりさせるだけではない、まさに大人の始末のつけ方を見せてくれます。「幽霊」の章によって一部の後味が一層悪くなってしまったのが少々残念だったのですが、全体的にはとても楽しかったですし、また機会があれば、この面々に再会したいものです。
ちなみに、「初ものがたり」に登場する回向院の旦那こと、岡っ引きの茂七が、この作品では米寿。岡引の仕事も事実上引退していて、その右腕だったという政五郎という岡っ引きがその後を継いでいます。

「あやし」角川文庫(2004年4月読了)★★★★
【居眠り心中】…万年屋の親父の口利きで、木綿問屋の大黒屋に奉公に出ることになった14歳の銀次。ある日、若旦那の子供を身篭ったおはるにお使いに出た銀次は、眠り込んで妙な夢を見ることに。
【影牢】…深川六間堀町の蝋問屋・岡田屋の一番番頭だった松五郎の元に、岡田屋の1人娘・千代が行儀見習いに出ていた磯部家の跡取り息子が訪ねて来ます。しかし岡田屋は最早ないのです。
【布団部屋】…深川永代寺門前東町の酒屋・兼子屋は、代々の主人が短命で有名。100年余りの間に7代も代替わりをしていました。しかし兼子屋の奉公人は、実によく出来た者ばかりだったのです。
【梅の雨降る】…箕吉の姉のおえんが病で死んだとの知らせが入ります。おえんは15年前、神社のおみくじで大凶をひいたのがきっかけで体調を崩し、15年間臥せったままの生活でした。
【安達家の鬼】…女中の身で、筆と墨を扱う店・笹屋に嫁いできた「わたし」。半分寝たきりの義母の面倒を看ているうちに、義母に不思議な鬼の話を聞くことになります。座敷に鬼がいるというのです。
【女の首】…10歳の時に母親を亡くした太郎は、長屋の差配の紹介で葵屋という袋物屋に奉公に上がることに。そして納戸の唐紙に女の首の絵を見る太郎。しかし見えるのは太郎だけのようで…。
【時雨鬼】…おかみさんに嘘をついて「男女奉公人口入所」に走ったお信。しかし主人は急病で、お信はおつたに事情を説明することに。好きな重太郎の言葉で、料理茶屋に変わろう考えていたのです。
【灰神楽】…本所本町の政五郎の元に、平良屋での刃傷沙汰の知らせが入ります。駆けつけてみると、主人の弟が女中に斬りつけられていました。しかし2日前に会ったばかりだというのです。
【蜆塚】…父親が亡くなり、桂庵の跡を継いだ米介は、御蔵蜆を持って父の碁友の小河屋の番頭・松兵衛を見舞った時に、不思議な話を聞くことに。小河屋の六太郎が、年を取らないというのです。

ハードカバーの時は「怪」と副題がついていた、江戸の町を舞台にした短編集です。「あやし」という題名通り、日常生活の中に潜んでいる恐怖を描いている作品集。その恐怖は、怨念だったり物の怪だったり、鬼だったりするのですが、しかしホラーというほどの怖さはないようです。いつもの宮部作品らしく、人情の温かみも感じられます。結局のところ、鬼も怨念も物の怪も、人の心の闇から生まれたものなのですね。登場する江戸時代の人々が、それらに恐ろしさを感じながらも、「怪」の存在を素直に受け止めて受け入れ、共存しているところが素敵でした。
私がこの中で特に好きなのは、「安達家の鬼」と「女の首」。「安達家の鬼」は、恐ろしいはずの鬼の存在が、なぜだか妙にほのぼのと感じられる柔らかい印象の作品。何も感じることのなかった嫁の存在が、とても切なく感じられます。あと、「時雨鬼」のその後がどうなったか気になりますし、「蜆塚」のお米を食べて育った蜆は味が良いというエピソードも面白かったです。

「R.P.G.」集英社文庫(2002年1月読了)★★★
渋谷の雑居ビルの非常階段で殺されたのは、今井直子という女子大生。そして3日後、今度は杉並の建築現場で所田良介が殺されるます。当初は別件として捜査が進むのですが、今井直子と所田良介が不倫関係にあったことが判明し、渋谷と杉並の警察は合同で捜査をし始めることに。やがて捜査線上に、重要な容疑者であるA子の存在が浮かび上がります。彼女はボーイフレンドを今井直子に奪われており、その話し合いの場で、所田とも面識があったのです。所田は何年も浮気を繰り返し、妻は黙認している状態。さらに所田には、インターネット上でカズミ(娘)、ミツル(息子)、お母さん(妻)という擬似家族の存在があったことも判明。父親が駐車場で見知らぬ人間と一緒にいたのを目撃したという娘の一美の証言から、擬似家族を取調室に呼び、一美に面通しさせることに。
ここに登場する武上刑事は「模倣犯」に、石津ちか子刑事は「クロスファイア」にも登場します。

まず事件の概要や関係者たちや刑事に関する説明が延々と続きます。刑事たちが何か特別なやり方をしようとしているのは分かるのですが、実際に何をしようとしているのかということはなかなか語られず、いつまでたっても本題に入らないというじれったさがあります。しかし擬似家族の面々が取り調べ室に呼ばれ、一美がマジックミラー越しに彼らを見るようになると、何時の間にか物語が動き始めていました。3人に対する取り調べを通して、インターネットでのコミュニケーションとはどういうものなのか、そして3人がそれを通して求めていたものが浮き彫りにされていきます。この辺りに関しては、読者が実際にネットをしているかどうかによって、受け止め方がかなり分かれそうですね。インターネットは現実生活からの逃避なのか、それとも現実生活での空虚さを埋めるものなのか、純粋にコミュニケーションの道具なのか、それとも結局単なる「いいとこどり」にすぎないのか。しかしインターネットでの付き合いは断片的・刹那的だという欠点はあるのですが、逆に性別や年齢、外見、社会的地位、しがらみなどに左右されない、純粋に人間同士の付き合いだと言うこともできると思います。現実の世界とインターネットの世界のどちらに「本当の自分」がいるのかと考えた時、必ずしも現実の世界にあるとは限らない人間も相当数存在するような気がします。
最後に、実際には何が行われていたかが分かった時には驚きました。読み終えてみると、ごく当たり前のミステリのように犯人を推理する作品ではなく、動機や動機の生まれた素地、そしてそれらを炙り出していく過程に主眼を置いた作品だったのですね。少々読み方を間違えてしまったようです。

「ドリームバスター」徳間書店(2004年7月読了)★★★
【プロローグ JACK IN】…なぜか、8歳の冬の晩に起きた近所のシロタさんの家の火事の夢を続けざまにみた道子。その火事の時、道子はへんてこな踊りを踊る黒い人影を目撃していました。
【First Contact】…母の伊勢旅行中に毎晩実家に戻っていた本村伸吾は、父親の胃痛に付き添って救急車で病院へ。父親は手術を受けることになり、伸吾は父の血液型を初めて知ることに。
【D.Bたちの“穴(ビット)”】…港湾都市の中でも首都ゴリアテからもっとも遠く離れたミクバ市。研究都市アスラでの大災厄の前から営まれていた老人の店に現れたのは、1人の余所者の女性でした。

今の地球とはまったく別の位相に在る世界・テーラ。急速に科学が発達したこの世界では、政府直属の特命を受けた科学者グループが、プロジェクト・ナイトメアと呼ばれる極秘実験を行っていました。それは人間の意識を肉体から切り離し、限りなく不死に近づけるというもの。しかし12年前、大掛かりな実験装置「ビッグ・オールド・ワン」は暴走事故を起こし、時間軸まで真っ直ぐ突き抜けた巨大な抜け穴が出来てしまったのです。被験者として集められていた凶悪犯のうち50人が、意識だけの状態で抜け穴を通って地球に脱走。地球人の夢を渡り歩き、その肉体を乗っ取ろうとする凶悪犯たちを、ドリームバスターと呼ばれる人々が追いかけてきます… という物語。賞金稼ぎのドリームバスターとして登場するのは、マエストロと呼ばれる老人と、シェンという16歳の少年。

ジャンルとしては、SFファンタジーでしょうか。連作短編集となっていたのですね。地球とはまるで違う世界の人間が登場しながら、その基本となる舞台は地球の日本。まるでテレビアニメのような設定と展開。山田章博氏の挿絵もあって情景が浮かびやすいですし、話のテンポも良くてさくさくと読めます。面白いことは面白いのです。しかしどこか決定的な物足りなさが残ってしまいました。あまりに口当たり良く読めてしまうせいでしょうか。人間の心の奥に潜むものを扱いながらも、あまり深みが感じられなかったせいかもしれません。そして一話完結かと思いきや、大きな謎を残したまま「To be continued」というのも、少々あざとく感じられます。
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