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このページは、宮部みゆきさんの本の感想のページです。

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「とり残されて」文春文庫(2002年11月読了)★★★★
【とり残されて】…小学校の保健教諭の「わたし」が殺したいと思うのは、結婚直前だった婚約者を殺した女。そんなことを考えている時、保健室のドアの外に子供の足音が。しかし誰もいませんでした。
【おたすけぶち】…10年前、兄はサークルの仲間3人と共に山道を飲酒運転で疾走、深い淵に車ごと転落して死亡。遺族間の泥沼の裁判もようやく終わり、相馬孝子はその「おたすけ淵」を訪れます。
【私の死んだ後に】…プロ野球で二軍落ちしていたピッチャーの佐久間は、ある夜、ファンの1人に絡まれて刺殺。魂となった佐久間の元に若い女の子がやって来て、行きたい所はないかと尋ねます。
【居合わせた男】…上諏訪から東京行きの特急に乗った鳥羽修二郎は、2人連れの若い女性の会社の自殺の話を聞かされます。ある社員が自殺したのは、以前いじめ殺した社員の仕返しだというのです。
【囁く】…雅子の勤める銀行の上司・高梨次長が、ある日500万円の札束を持ってふらふらと外へ向います。警備員に止められた彼は、夢から醒めたように、お札が話しかけてくるのだと話すのです。
【いつも二人で】…真夜中ぐっすり寝ている所を起こされて、若い女の子に乗り移られてしまった相原真琴。その女の子は、以前にこの部屋で自殺をした幽霊だったのです。
【たった一人】…永井梨恵子は、毎晩のように見る夢の風景の場所が知りたくて河野調査事務所へ。しかし夢の風景のスケッチを描いて見せてみると、どうも河野の反応がおかしいのです。

どこか不可思議な出来事の起きる物語を集めた短編集です。しかしその不思議なことが、作品を読んでいると本当に有り得そうに思えてきてしまうのがまた不思議。おそらく、その取り入れ方が絶妙なのでしょうね。読んだ後に背筋が寒くなったり、微笑ましくなったり、狐につままれたような気持ちになったりと、作風のバラエティも豊かです。「おたすけぶち」は、アンソロジー「緋迷宮」にて既読。
この短編集で私が特に好きなのは、「とり残されて」と「いつも二人で」。「とり残されて」では、この主人公の世界に引きずり込まれてしまったようです。いつかきっと。本当に、きっと。「いつも二人で」は、この切ないコミカルさがとても好きです。「私の死んだ後に」も、ありがちな物語なのに、とても爽やかでいいですね。
この短編集を読んで思ったのですが、宮部さんは題名のつけ方というのも上手いのですね。どれもそのものずばりの題名なのですが、どこか柔らかな余韻があるような気がします。

「震える岩-霊験お初捕物控」講談社文庫(2001年4月読了)★★★★★お気に入り
享和2年(1802年)6月末、江戸深川の十間長屋で、死んだはずの吉次が急に生き返って起き上がるという事件が起こります。死人憑きだと大騒動になり、それに興味を持った当時の江戸南町奉行・根岸肥前守鎮衛は、岡引きの六蔵の妹・お初と、与力の嫡男・古沢右京之に密かに探りを入れさせることに。実はお初は、幼い頃から他人には見えないものを見聞きしたり感じたりする能力があり、以前から密かに六蔵の仕事を手助けしていたのです。しかし2人が連れ立ってお初の住まいに向かう途中、お初は早速油樽の中に少女の死体の幻を見てしまいます。

お初というのは、「かまいたち」の中の「迷い鳩」と「騒ぐ刀」にも登場したお初。宮部さんお得意の特殊能力物です。しかし前回同様、超能力は物語のエッセンスとして使われる程度で、肝心の謎解きはあくまでも論理的。死人憑き事件が、一見全く関係なく見える話を巻き込みながら、どんどん意外な方に展開していくさまには驚きました。
お初はもちろん、六蔵とおよし、文吉、お奉行などの登場人物が、それぞれにいい味を出していますね。皆個性がくっきりしていて、とても印象に残ります。特に、今回お初と一緒に行動している古沢右京之介という人物がとても魅力的。世間知らずの何もできないお坊ちゃんと思いきや、意外な所で意外な冴えを見せてくれます。そして今まで語られ尽くした感のある忠臣蔵に関しても、新しい角度から解釈されているのがとても新鮮。これほど切ない話が生まれるとは、改めて驚かされました。

「淋しい狩人」新潮文庫(2002年11月再読)★★★★★お気に入り
【六月は名ばかりの月】… 荒川の土手下にある「田辺書店」は、イワさんこと岩永幸吉が雇われ店長をしている古本屋。週末には孫の稔も手伝います。ある日イワさんを訪ねてやって来たのは、2ヶ月ほど前にイワさんが痴漢から助けた若い女性でした。彼女はイワさんに、その時の男の顔を覚えているか尋ねます。彼女の姉が行方不明になり、その男が何か関係しているのではないかと言うのです。
【黙って逝った】…永山路也は、急死した父親の遺品を整理している時、本棚に全く同じ本ばかりが並べられているのに気付きます。その数なんと302冊。父親が書いた本でないのは確実なのですが…。
【詫びない年月】…近所の荒物屋の柿崎さんの家には、以前から幽霊が出るという噂がありました。母子の幽霊を見るというご隠居の希望で古い家を取り壊してみると、なんと2つの白骨死体が。
【うそつき喇叭】…イワさんが万引き少年を捕まえて調べると、その少年の体は傷だらけでした。そして盗ろうとした「うそつき喇叭」という本は、児童書とは思えない暗い内容だったのです。
【歪んだ鏡】…電車の網棚の上に忘れられていた文庫本は、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」。本を手にとってみた久永由紀子は、中に1枚の名刺がはさまったままになっているのに気付きます。
【淋しい狩人】…昭和30年代から50年代にかけて活躍した推理小説作家・安達和郎が行方を絶ち12年。イワさんは残された蔵書の整理を手伝っていました。そんなある日安達家に届いたハガキに書かれていたのは、安達和郎の遺作「淋しい狩人」の結末を創作することができるという内容でした。

私自身が本好きのせいか、古本屋が舞台となる物語はやはりとても楽しいです。登場するのが稀覯本や古書マニアではなく、ごく普通の本とごく普通の人々というのがまた嬉しいところ。少々重い物語も多いのですが、それでもイワさんと孫の稔の軽快なやり取りや、イワさんの含蓄のある言葉、稔の素直な反応によって、冷えそうになった心が暖まる物語ばかりです。
「六月は名ばかりの月」わざわざバリンジャーの作品を出す意味があるのかどうか… それともこの作品を使って書きたいというのが先だったのでしょうか。あまり好きなタイプの話ではないのですが、それでもやは上手いですね。この題名もすごく良いです。「黙って逝った」その時のお父さんの顔を想像すると、かなり楽しくなってしまいます。「詫びない年月」いいですね。どこがどうだというわけではないのですが、とても好きな物語。「うそつき喇叭」本当にありそうなところが怖いです。デモシカ、ですか。「歪んだ鏡」こういう思考回路は淋しすぎます。このやり方は決して肯定できませんが、それでもこういう本との出会いは本当に素敵なことですね。「淋しい狩人」稔の恋が切ないです。こうしてまた一歩大人になってしまうのでしょう。
「詫びない年月」に出てくる、駆け出しのミステリ作家というのは、もしかして宮部さんご本人のことなのでしょうか。小さなエピソードまでとても楽しめました。おそらく宮部さんは、おじいちゃん子だったのでしょうね。おじいちゃんの元に嬉々として通う稔の姿は、最近ではあまり見られない光景となってしまいましたが、とても素敵です。稔が大人になるに従い、自然と距離が出来てしまうのは避けられないことだと思いますし、周囲の大人にとっては淋しいものだろうと思います。しかし一度確固とした信頼関係を築き上げていれば、おそらくまた改めていい関係が築けるでしょうね。こういう時は、何もしないで見守ってあげるのが一番かも。稔は素敵な男性になりそうですし、その姿もまたいつか見たいものです。

「地下街の雨」新潮文庫(2002年11月再読)★★★★
【地下街の雨】…森井曜子と出会ったのは1年前。麻子が結婚退職の後、破談となり、バイトをしていた喫茶店に連日のように来ていた時でした。お互い男も仕事もなく、話をするようになるのですが…。
【決して見えない】…先月結婚したばかりの三宅悦郎は、終電を降りたあとタクシーを待っていました。待っているのは悦郎と老人の2人だけ。もし同じ方向なら相乗りすればいいと悦郎は考えます。
【不文律】…片瀬一家が埠頭から死のダイビング。一家4人で車ごと海につっこんだのです。周辺の人々の話から、徐々にその輪郭が明らかになっていきます。
【混線】…半年ほど夜中の迷惑電話が続いており、今日は妹の代わりに兄が電話に出ることに。そしてかつて知っていた電話魔の話を物語ります。
【勝ち逃げ】…伯母・勝子が亡くなります。聡明で、生涯仕事に生きて、独身を通した勝子。しかし佐山浩美が見つけた伯母宛の手紙には、親戚中が驚くようなことが書いてあったのです。
【ムクロバラ】…橋場秀男、47歳。彼は新聞に載っている殺人事件を全て「ムクロバラ」の仕業だと思い込みます。骸原とは、かつて橋場を襲い、橋場が刺し殺してしまった覚醒剤中毒者の名前でした。
【さよなら、キリハラさん】…歓迎コンパからの帰り、突然音が聞えなくなった道子。次の朝は元に戻っていたのですが、それからというもの、家族全員が次々に音が聞こえなくなる体験をすることに。

ミステリからホラー寄りの短編集。雨のせいではないですが、全体にひやりとする物語が多かったように思います。宮部さんの筆力でホラー寄りの物語を書かれると、本当に怖くなってしまうので困ります。この中で一番好きだったのは、「地下街の雨」。ラストのオチがとても好き。この7編の中では一番心が温かくなる物語です。
「地下街の雨」途中までは本当にどうなることかと…。しかしこういうことだったとは。このタイトルの元になる会話がとてもいいですね。「決して見えない」背筋がぞわぞわとするような怖さをもった作品。終電にもタクシーにも乗れなくなりそう。「不文律」これも薄ら寒くなるような物語。「混線」ただひたすら怖いです。一応正義の味方なので、怖がる必要はないのですが…。「勝ち逃げ」ラストがいいですね!この題名が最高です。「ムクロバラ」他人事だとばかり思っていたら…。デカ長も少し休まなくちゃイケマセン。本当にこんな風に聞こえたら、ぞっとしますね。「さよなら、キリハラさん」SFではなかったのですね。てっきりその手の話かと… こういうオチだったとは、驚きました。切ないですね。
室井滋さんの後書きが楽しいです。本の読み方も、女優さんなのですね。

P.190「世の中には、神も仏も確かにいる。だが、あんたが必要としているときには、みなさん、必ず休暇をとっておられる。」(デカ長)

「幻色江戸ごよみ」新潮文庫(2002年11月読了)★★★★
【鬼子母火】…師走も押し迫った28日の夜、酒問屋の伊丹屋から不審火が。幸い火はすぐに消しとめられるのですが、燃えた神棚の注連縄の中から、何者かの髪の毛が見つかります。
【紅の玉】…腕のいい飾り職人にも関わらず、ご禁令のため仕事が全くない状態の左吉。そんなある日やってきた老人は、見事な珊瑚の玉を簪に仕立てて欲しいと依頼します。
【春花秋燈】…古道具屋にやってきたのは、若くて身形の良い男。古くて良い行灯を求めにきたとのことで、主人は蔵に仕舞っている2つの曰く付きの行灯の話を語ります。
【器量のぞみ】…五尺八寸の大女・お信は、自他共に認める醜女の自分を、器量望みで嫁に欲しいという話があると聞き驚きます。相手は下駄屋の1人息子・繁太郎。深川近辺では評判の美男でした。
【庄助の夜着】…五郎兵衛の居酒屋の手伝いをしている庄助が、どんどん痩せていきます。五郎兵衛が心配して尋ねると、新しい夜着で寝ると出てくる若い女性の幽霊に惚れてしまったと言うのです。
【まひごのしるべ】…長屋住まいのつやと差配の市兵衛は、盆市迷子になっていた男の子を親元に連れて行こうとするのですが、迷子札に書かれている辺りに行っても、親らしき人間の姿はなく…。
【だるま猫】…火消しに憧れ、頭に頼み込んで組に入れてもらった文次。しかし実際に火事場に出ると、怖気づいてしまうのです。文次は頭に言われて、しばらく角蔵の一膳飯屋の手伝いをすることに。
【小袖の手】…そろそろ自分の小袖ぐらい見繕ってもいい頃だと言われ、1人で古着屋巡りをしてきた娘。しかしせっかくの小袖を、母親は反故にしてしまいます。母が娘の頃に見た不思議な話とは。
【首吊り御本尊】…丁稚奉公の辛さに耐えかねて親元に逃げ帰った捨松。しかしすぐに番頭に連れ戻されることに。数日後、捨松は大旦那様に家宝だという首くくりの神様の掛け軸を見せられます。
【神無月】…毎年神無月に1回だけ押し込みを働き、あとの1年はなりを潜めているという律儀な賊の話。手際が良く、盗る金も少ないため、大事にならずに済んでいるというのです。
【侘助の花】…質屋の吾兵衛の元にやって来た、碁仲間の要助。要助が看板に侘助の花を描くのは、生き別れになった娘と再会するためという話を真に受けて、本当に1人の娘が名乗り出て来たのです。
【紙吹雪】…因業な井筒屋で3年間もの間真面目に女中奉公していたおぎん。彼女は3年という時が経つのを待っていたのです。そして3年が経った時…。

旧暦の1月から12月までの毎月に、江戸の町で起きた出来事を収めた短編集。「器量のぞみ」のようにほのぼのとした物語から、「庄助の夜着」「まひごのしるべ」のように切ない物語、「春花秋燈」のような不思議な話、「だるま猫」や「小袖の手」のような不気味な話、「紅の玉」のように悲痛な叫びが聞こえてくるような物語まで作風は様々。どちらかといえば、怖かったり不思議だったりする物語が多く、哀しく切ない読後感を残します。この中で私が特に好きなのは、「器量のぞみ」と「神無月」。「器量のぞみ」のお信の前向きな姿勢がとても好きです。彼女なら器量など2の次で、皆に好かれるでしょうね。気立てさえ良ければ、醜女も醜女に見えなくなるものです。「神無月」は、どうか逃げ切って欲しいという気持ちだけ。哀しいですね。そして好きではないのですが、インパクトが強かったのは「紅の玉」。読んでいて、感情のやり場がなくて困ってしまいました。やるせないですね。私が一番苦手なタイプの物語なのですが、しかし目が離せなくなってしまう作品でもあります。

「夢にも思わない」中公文庫(2002年11月読了)★★★★
緒方雅男は、同じクラスの憧れの工藤久実子が家族で白河庭園の「虫聞きの会」に出かけるということを聞き、今まで全く興味のなかったその催しに、今年は行ってみようと思い立ちます。しかし白河庭園に着いた雅男の耳に飛び込んできたのは、中学生ぐらいの女の子が倒れていると言う声。もしやと思って駆け付けてみると、そこには死体が。しかしそれは久実子ではなく、久実子の従姉の森田亜紀子でした。亜紀子は高校を中退後、家を半ば飛び出すようにして風俗営業に関わっていたという悪い噂があり、それらの噂に苦しめられる久実子を慰める雅男たちは、事件の真相を探り始めます。

中学1年生のコンビのシリーズ第2弾。前の騒動の時は丁度夏休みにかかる時期でしたが、今回は秋の虫の音を聞くという風流な会から物語が始まります。序盤から中盤にかけては、雅男と島崎を中心とする中学1年生たちの淡い恋心や友情が描かれ、殺人事件が起こりながらも、ほのぼのとした雰囲気。しかしこの中学生らしい語り口に油断していると、中盤以降の宮部さんの鋭い切り口には驚かされてしまいます。実は社会派小説でもあったのですね。
「悪意の不在」とでも言うのでしょうか。はっきりとした悪意が存在して問題を起こす場合よりも、この方が実は相当たちが悪いかもしれません。恐怖のあまり、その恐怖から逃れるために、苦し紛れにやってしまったこととはいえ、本当は許されることではないはず。しかしこのように突き放されてしまったら、その後どうなってしまうのでしょうか。このことを本人が本当に理解できる時、頭で理解するだけでなく、体の底から納得できる日は、まだまだ先のことかもしれません。しかしいくらその場で説明しても無駄だと分かっていても、それが残酷な仕打ちのように見えても、やはり言葉だけでも尽くすべきなのではないかと思います。後でその言葉を思い出して、改めて理解することもできるのですから。
この結末となってしまったのは、やはり中学生らしい純粋さ故なのでしょうね。秋の夜は雅男を大人にしてしまったようです。ほろ苦さが残る物語でした。

「初ものがたり」PHP文庫(2002年11月読了)★★★★★お気に入り
【お勢殺し】…回向院の旦那と呼ばれる岡っ引きの茂七の元に届いたのは、女の土左衛門が上がったと知らせ。それは天秤棒を担いで醤油を売り歩いていたお勢でした。今回の初物は蕪。
【白魚の目】…道端に暮らす子供たちが目につくようになり、寄付を募ってお救い小屋を作るという話が出ます。しかしお稲荷さんに供えられた稲荷寿司で子供5人が毒殺され…。初物は白魚。
【鰹千両】…茂七の所に相談に訪れたのは、棒手振りの魚屋・角次郎。日本橋にある伊勢屋という呉服屋の番頭に、なんと鰹を一匹千両で譲って欲しいと言われたのです。初物は鰹。
【太郎柿次郎柿】…平穏無事な日々が続いた茂七は、仕立て物をしているかみさんに日道と呼ばれる霊感坊主の話を聞き驚きます。そして茂七は、殺しの現場で日動と出会うことに。初物は柿。
【凍る月】…酒屋問屋河内屋の当主・松太郎が茂七親分を訪ねてきます。数日前、新巻鮭が盗まれた松太郎。盗んだのは自分だと書置きを残して女中のさとがいなくなったのです。初物は新巻鮭。
【遺恨の桜】…商家に拝みに出かけた帰り道、数人の男に襲われて怪我を負う日動。命に別状はないものの、しばらく寝付いてしまい、茂七は苦々しく思いながらも下手人探しを始めます。初物は桜。

「震える岩」のお初の物語かと思えば、季節の初物の「初」だったのですね。これは「本所深川ふしぎ草紙」にも登場する、回向院の旦那こと、岡っ引きの茂七が活躍する連作短編集でした。
物語は事件を絡めながらも、宮部さんお得意の人情物。やはり江戸が舞台だけあって粋ですね。短い文章からも、江戸らしい粋や酔狂を感じることができます。そして茂七はもちろんのこと、周囲にいる人物も皆魅力的。その中でも一番興味をそそるのは、やはり富岡橋に稲荷寿司の屋台を出している親父でしょうか。茂七は考え事に詰まったり、考えた挙句気が滅入ってしまった時は、ふらりとこの稲荷寿司屋に向かっています。この親父は物腰が柔らかく穏やかで、口数も少ない人物。しかし地元のならず者たちをまとめている梶屋の勝蔵も一目置いており、所場代をとらないどころか、先走った手下がこっぴどく叱られる始末。肝心の料理に関しても、料亭顔負けの腕前。どうやら元は武士らしく、しかし町方のことにも詳しいのです。しかし勝蔵との因縁を含め、その辺りのことは、最後まで明かされないままでした。またいつか分かる日が来るといいのですが。
時代物ではありますが、現代に通用する物語ばかりですし、時代物が苦手な人にも違和感なく読めるのではないでしょうか。私のイメージとしては、TVドラマの「鬼平犯科帳」。特にエンディングの美しい映像のイメージです。それに、美味しい食べ物が沢山登場するのも魅力的。その中でも特に惹かれたのは白魚蒲鉾。白魚を同量の水の中に一晩つけて、その濁った水をよく煮詰めて固まった部分を掬う。そして葛あんをたっぷりかけ、山葵で食べる… なんとも美味しそうです。

P.36「降り始めの雪は、雪の子供なのかもしれねえ。どこへ行くにも黙って行くってことがねえから。やーいとか、わーいとか騒ぎながら降り落ちてくる。そうして、あとからゆっくりと大人の雪が追いついてくるーー」

「鳩笛草」光文社文庫(2000年10月読了)★★★★
【朽ちてゆくまで】…幼い頃に両親を事故で亡くし、そして今またたった一人の身寄りである祖母を心臓発作で亡くした麻生智子。家の中を整理していた彼女が物置の奥から見つけたのは、ダンボール箱に封印された彼女自身の幼い頃のビデオ。彼女自身の不思議な力を現している物だったのです。
【燔祭】…車の轢き逃げ事故で、年の離れた妹を失った多田一樹。容疑者らしい少年は浮上するのですが物証はなく、捜査は難航。そして2年後。犯人を殺してやりたいと思う一樹の元に現れたのは…。
【鳩笛草】…本田貴子の能力は、人や物に触れると心の中が読めるというもの。警察に勤める貴子はその力を日常的に仕事に生かしています。しかしある時、自分の能力の衰えを感じるのです。力がなくなってしまっては刑事が続けられないとあせる貴子。そんな時、誘拐事件が起こります。

特殊な能力を持つ3人の女性の短編集。超能力という非日常的なテーマを扱いながらも、その扱いはまるでごく普通の人間の能力の1つようで、3人の女性たちも等身大に描かれていいます。本当に鳩笛草の貴子が言うように、超能力とはなにも特別なことではなく、「使うことのできない脳のある部分を使うことのできる力」なのでしょうね。能力に対する考え方は三者三様なのですが、この3人の女性たちがごく普通の人間として描かれているので、彼女たちの悩みや苦しみが直に伝わってき共感させられてしまいます。しかし悩みながらも自分でしっかりとその現実を受け止めている姿勢がいいですね。読み終わった後は、ほっとさせてくれるような優しさを持った作品でもあります。超能力に限らず、突出した才能を持つ人間は、多かれ少なかれ同じように悩むものなのかもしれませんね。(燔祭は「クロスファイア」の前編とも言える作品です。)

「人質カノン」文春社文庫(2002年11月読了)★★★★
【人質カノン】…忘年会の帰り、終電を降りて近所のコンビニに入った遠山逸子。そこに現れたのは、なんとピストル強盗。強盗は尻ポケットから、黄色いアヒルの絵のついたガラガラを落とします。
【十年計画】…偶然出会った中年の女性が語ったのは、10年越しで自分を裏切った男を復讐する計画を立てていた話。運転免許をとり、その男を交通事故に見せかけて殺すはずだったと言うのです。
【過去のない手帳】…田中和也が電車の網棚で拾ったのは、コレクションという高級女性誌と、その中に挟まった青い手帳。手帳の中には、吉屋静子という女性の住所と電話番号だけが書いてありました。
【八月の雪】…中学の同級生・飯田浩司がいじめを苦にして自殺。いじめっ子たちを挑発した石野充は、トラックに撥ねられ、右足を切断。事故の後に充の祖父が亡くなり、文箱からは遺書らしい物が。
【過ぎたこと】…電車の中にいた見覚えのある青年。それは5年前に事務所を訪ねて来た少年の成長した姿でした。その時少年はいじめられており、エスコートサービスを希望していたのです。
【生者の特権】…恋人に捨てられ、自殺するためにやってきた街で、田坂明子は1人の小学生と出会います。同じ団地に住むいじめっ子たちの目を避け、夜中に学校に忘れ物をとりにやってきたのです。
【漏れる心】…マンションの部屋を売却のためにオープン・ルームする日の朝、階上からの漏水で水浸しリビングが水浸しに。真上の部屋には、早稲田大学の学生が住んでいるとのことなのですが…。

ノン・シリーズの短編集。
「人質カノン」こういう場面に遭遇すると、人生が変わりそうですよね。中年サラリーマンもきっと強く生きていけることでしょう。しかしカノンという女性の話ではなく、この人々の関係がカノンだったのですね。「十年計画」大きなインパクトはないものの、なるほどと唸らされた作品。お洒落です。「過去のない手帳」こういう物を拾っても、普通はそこまでするかどうか…。しかし主人公にとっては重要な行動だったのでしょう。こういう小さなモチーフでも読ませてしまうのは凄いです。「八月の雪」何がどうであれ、誰にも死に急いで欲しくないです。立ち直るきっかけというのはどこにでもあり、ふとした拍子に出会えるものなのですから。「過ぎたこと」5年の間に何があったかは一切分かりませんが、しかし想像することはできますね。小気味良いテンポの作品。「生者の特権」結末は予想できますが、途中の展開がいいですね。夜の学校は確かに怖いです。明子の元恋人・井口信彦の言っていることに納得。「濡れる心」似たような経験をしたことがあるので、やり場のない気持ちは良く分かります。
この中には、いじめをテーマにした短編「八月の雪」「過ぎたこと」「生者の特権」の他、様々な出来事がきっかけで孤独を感じている人々を描いた7つの作品が集められています。どの作品もミステリ色は薄く、どちらかといえば、人間模様を描いた作品です。しかし宮部さんらしい暖かさを、しみじみと感じられる物語ばかり。心が弱っている時に読むと勇気付けてくれそうです。

「蒲生邸事件」光文社文庫(2002年11月読了)★★★★★お気に入り
平成6年2月。大学受験にことごとく失敗した尾崎孝史は、今回は予備校受験のために上京。前回の時と同じ平河町一番ホテルに宿泊します。このホテルは、昭和初期までは陸軍大将だった蒲生憲之の屋敷だった建物をホテルに改装した物。蒲生大将は、2.26事件の翌日自決して亡くなっている人物でした。そのホテルで、孝史は何とも言えない暗い雰囲気を持つ男に目を奪われます。周囲の光を吸い取り、闇を発散しているように見える男。その男とは映画館で、更にホテルの中でも再会。しかし男はホテルの2階の非常階段から突然消え失せてしまうのです。驚く孝史にホテルのフロント係が語ったのは、ホテルの中に蒲生大将の幽霊が出るという噂でした。そして2月26日の夜。平河町一番ホテルが出火し、孝史は危うく焼死しそうになっているところを、その男に助けられます。男が孝史を連れて脱出した先は、2・26事件の勃発当日の蒲生邸。なんとその平田と名乗る男は時間旅行者だったのです。孝史は、住み込み先から逃げ出してきた平田の甥という触れ込みで、蒲生邸の従業員の部屋にかくまわれることになります。平田が再び時間旅行をできる程度に体力を回復するまでの辛抱だというのですが…。

第18回日本SF大賞受賞作品。
タイムトリップ物といえば、作中にも出てくる筒井康隆氏の「時をかける少女」が有名ですし、映画でも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など様々な作品があります。それらの作品はSFというジャンルであり、主に問題となるのは、無事に自分の元いた時代に戻れるか、更に過去に旅立ってしまっていた場合は、そこでの不用意な行動によって未来の歴史が変わってしまうことにならないか、ということ。しかしこの作品では、歴史の細かい部分は変えられても、大きな流れとしての歴史は誰にも動かすことができない、と定義している部分がとても興味深いです。例えば日航ジャンボ機墜落事故にしても、平田は一度は飛行機が墜落するのを防ごうと、わざと爆弾騒ぎを起こしています。しかしその飛行機が落ちることは防げても、別の飛行機が落ちてしまうのです。確かに、戦争や革命に向かいつつある国の勢いは誰にも止められないですし、1人2人を暗殺したところで、代わりの人物が出てくるだけ。宮部さんが書かれていることにはとても説得力があります。このように歴史を歴史として受け止めるという姿勢がとても新鮮でした。
私自身、2.26事件についてあまり知識があるわけではないのですが、丁度その頃祖母が東京在住で、事件当日に陸軍の兵隊達が歩いていく「ざっざっ」という足音を耳にしたという話を聞いたことがあります。そのような話を聞くだけでも、歴史は生きているものなのだなと感じましたが、そんな生きている歴史を目の当たりにした孝史が、どれほどの衝撃を受けたことか。普段人の生死から遠く過ごしている孝史にとっては、人生観を根底から揺るがせるほどの出来事だったでしょうね。そんな孝史の心のささえとなるのがふき。この時代に精一杯生きているふきの姿がとても可憐です。更に平田がこの時代に拘る理由にも、はっとさせられました。
物語は超能力物でありながら、しっかりとしたミステリ。結末はとても切なく、しかし読後はとても素敵な気分に浸れました。かなり長い作品ですが、一旦読み始めれば長さは感じないと思います。
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