Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、今野敏さんの本の感想のページです。

line
「ST警視庁科学特捜班」講談社文庫(2002年12月読了)★★★★
警視庁科学捜査研究所に新設された科学特捜班、通称ST。ここには5人の個性的なメンバーが揃っています。まずは法医学担当の、男の色気を感じさせる一匹狼、しかし実は女性恐怖症の赤城左門。 毒物などを扱う第一化学担当は、嗅覚が鋭敏で、寡黙な武道の達人・黒崎勇治。文書鑑定やプロファイリングの担当は、男でも見惚れるほどの端整な顔立ちを持ち、しかし秩序恐怖症でもある青山翔。物理担当は、人並みはずれて優れた聴覚を持つモデル顔負けの美女・結城翠。そして最後は、曹洞宗の僧侶でもあり、現場の死体に向かって経を唱える第二化学担当・山吹才蔵。この個性的な5人を束ねようと努力しているのが、30歳のキャリア出身・百合根友久警部。そのSTの初仕事となったのが、中野のマンションで起きた中国人女性の殺害事件でした。現場に馴染めず、馴染もうともしないSTの面々を率いて苦労する百合根警部。続いて第2第3の事件が起こります。

警視庁科学特捜班、略称STシリーズ第1弾。
「蓬莱」とは一味も二味も違った、エンターテインメント性十分な読み物となっています。物語の流れとしては、周囲に小馬鹿にされていたSTの面々が能力を発揮して事件を解決に貢献し、周囲の頭の固い人々に認められていくという、よくあるパターン。しかもSTの面々の能力を考えると、本格ミステリファンからは受け入れられにくそうです。さらに5人の個性的なキャラクター。この作品の評価は、このキャラクターにかなり左右されそうですね。ちなみに私は読み始めてすぐ、清涼院流水氏のJDCの面々を思い浮かべてしまいました。この5人があまりに絵に描いたようなキャラクターぶりなので、開き直って楽しめる人向きの作品でしょう。
5人の正式な担当役割はまだほとんど作品に生かされておらず、もっぱら聴覚や武術などの特殊能力ばかりがクローズアップされています。しかしこれから徐々に活躍の場が広がっていくのでしょうね。第1弾のこの作品では、青山翔のプロファイリングが前面に出てきており、プロファイリング上における犯罪の分類方法や、アメリカと日本の環境の違いによる解釈の違いなどが面白かったです。これからの展開が楽しみなシリーズです。

「朱夏」幻冬舎(20032年11月読了)★★★★
クリスマスイブもろくに家族と過ごせず、家族に申し訳なく感じた樋口警部補。しかしクリスマス当日は早めに帰宅するものの、受験生のはずの娘の照美は、クリスマスの後に友達とスキー旅行に行く約束をしており、妻は妻で26日までの翻訳のバイトに忙しい状態。渋々娘のスキー旅行に許可を出し、26日の朝に出るのを見送った樋口は、不機嫌なまま仕事に出ることに。しかしその日の夜、氏家と飲んで帰った樋口は、妻の恵子が家にいないことに気付くのです。こういう時に警察が役に立たないことを知っている樋口は、自分で探そうと妻の行きそうな場所を調べ始めます。なんとか娘が帰ってくる3日後、他の事件の捜査本部が立つことになっているその日までに、探し出そうとするのですが…。

犯人に関しては結構あっさりと見当がついてしまうのですが、犯人の予想がつくことによって、むしろ樋口がどのようにして犯人を追い詰めていくのかという面でも楽しめます。この作品はきっと、誘拐事件そのものよりも、その犯人との対峙によって樋口や恵子の心のうちが明かされていくというという部分がメインなのでしょうね。家庭の話、子供から大人になるにつれて、兄弟関係を始めとする人付き合いにもまれ、徐々に社会性を身につけていく話。そして氏家の言う「仮面」と「化粧」の話。これが面白いですね。さらに今時の若者に対する樋口たちの見方と、樋口たちが考える、彼らが今のようになってしまった理由。大きな意味での、人間が生きていく上での成長を描いた物語のように感じました。「今時の若者たち」に対しても、それよりも年上の大人たちに対しても、今野さんが向ける眼差しが公平なのがとても好きです。「今時の若者たち」が今の状態になったのは、彼らだけの責任であるわけがありません。しかしそれを分かっている人は、案外少ないのではないでしょうか。
最後の樋口の家庭の場面がとてもいいですね。公安に対しても溜飲が下がりました。

「神南署安積班-新・安積警部補シリーズ」ハルキ文庫(2003年5月読了)★★★★★お気に入り
【スカウト】…北海道の片田舎から上京して丸3年。新しいバイトを探しに原宿に来ていた田所修二は、3人組の若者が2人の女性に絡んでいるのを見て止めに入ります。思わず3人を叩きのめしてしまう修二ですが、1人の男が白目を剥いて倒れているのに気付き、怖くなって逃げ出します。
【噂】…神南署交通課の速水係長が援助交際をしているという噂を聞き、東報新聞の山口友紀子は速水をマーク。同じ噂を聞いた安積警部補も、速見のことを心配して須田に張り付かせます。
【夜回り】…東報新聞の山口友紀子に事件の捜査状況をすっぱ抜かれ、安積警部補は黒木が捜査状況を漏洩したのではないかと疑います。黒木と友紀子がデートしていたと噂になっていたのです。
【自首】…神南署管内にある宝石店で強盗殺人事件が起こり、70歳の老婆が自首してきます。明らかに体力的に無理な犯行。しかし自白に信憑性があるのです。誰かを庇っているとしか思えないのですが…
【刑事部屋の容疑者たち】…安積警部補は村雨、須田、黒木、桜井の4人を容疑者として追求していました。今日という日の意味を知っているのは、湾岸署時代から一緒のこの4人だけだったのです。
【異動】…自分が異動するかもしれないという記者たちの噂話を小耳にはさんだ桜井は、安積警部補の自分に対する評価が気になり、その日の少年たちの喧嘩の通報を思わず無視してしまいます。
【ツキ】…署対抗の柔道大会が開催されることになり、須田が大将として出場することに。須田を選んだのは神南署の監督だという速水。武術をするには性格が穏やか過ぎる須田を心配する安積に、速見は須田の持つツキで勝負するのだと言います。須田がいれば何かが起こるかもしれないというのです。
【部下】…神南署に本部方面の管理官の視察が。管理官は、安積も以前から知っている元高輪署の野村副所長。野村は臨海署の復活の可能性を話し、安積にそこで働く気があるかどうか訊ねます。
【シンボル】…殺人事件が発生し、4人の少年グループが検挙されます。その中にヒップホップで人気になったプロのミュージシャンがいたことから、マスコミに報道自粛の要請が出されるのですが…。

安積警部補シリーズの連作短編集。9編が収められています。
安積警部補の下には、生真面目な村雨秋彦部長刑事、センチメンタルな須田部長刑事、無口で颯爽とした黒木和也、村雨の下で萎縮している感のある桜井太一郎。そして交通課の速水警部補と交通課の面々。作風はあくまでもストイックでありながらも、それぞれの心情や揺らぎがきめ濃やかに描かれることによって、彼らの信頼関係と人間ドラマを浮き彫りにしているようです。「俺たちは信頼関係で動いている」という言葉を、東報新聞の山口友紀子は、警察官同士で庇いあっているという意味に受け止めますが、彼らの信頼関係はそんな浅いものではありません。
この中では「刑事部屋の容疑者たち」が一番好きです。短編ならではの緊張感がピリッと効いていて、最後にふっと微笑むことができる作品。しかしそれぞれの物語も良いのですが、連作短編集ということで、全体を包み込む大きな流れを感じられるのがまたいいですね。思わぬエピソードが後々の伏線になっているというのも巧いです。今野さんは長編も大好きなのですが、短編も巧い方だったのですね。とても良かったです。

「毒物殺人-ST警視庁科学特捜班」講談社文庫(2003年1月読了)★★★★★
東京の代々木公園で男性の死体が発見されます。スポーツウェアの上下を着て、まるでジョギングの最中に心臓麻痺を起こしたかのように見える死体。しかし検死の結果、フグ毒・テトロドトキシンによる中毒死と判明。続いて世田谷公園でも同様の死体が発見され、捜査本部が設置されることに。しかし経費節減のため、STは上層部によって解散を検討されていました。それを聞いた百合根友久警部は、なんとか手柄を立てようと必死になります。一方、TBNテレビの人気美人女子アナ・八神秋子は、ストーカーに追い回されても局は何もしてくれず、恋人ができたらストーカーはやんだものの、今度はゴシップ雑誌のカメラマンに追い掛け回される毎日。仕事の面でも29歳という現在の年齢と今後のことを思い悩み、ストレスに押し潰されそうになっていました。そんな時、恋人の岩谷慎太郎が秋子を連れていったのは、SCアカデミーのパーティ。いかにも怪しげな宗教団体と思い込んでいたその団体は、実は大学の頃の知り合いである白鷺勇一郎が創始者となって作った自己啓発セミナーだったのです。秋子は白鷺によるカウンセリングに参加。確実に自分が癒されるのを感じ、急速に傾倒していきます。

STシリーズ2作目。
今回の事件は、テトロドトキシンというフグの毒を使った連続殺人事件。今回中心となるのは、曹洞宗の僧侶でもある山吹才蔵。「死体が歩いた」という言葉からブードゥー教のゾンビを連想し、そのまま最後まで突っ走ってしまうというのはものすごいですが、しかし勢いがあって面白いです。ただ、百合根警部補があまりに情けなさすぎるワトソン役なのが少々不満。STの面々は一応百合根に懐いているようですが、あまりにおばかさんに書きすぎなのでは。しかし事件が解決した時の山吹の台詞が最高です。科学捜査研究所の桜庭大悟警視と三枝俊郎管理官が、今回なかなかいい感じ。川那部検死官は、まだまだしつこく登場して邪魔をしてきそうですね。
そして今回SCアカデミーという自己開発セミナーが登場し、これがとても興味深いです。警戒していたはずの秋子があっさりとハマってしまうのはどうかと思いますが、やはり大学時代の知り合いが会長だというのが大きいのでしょうね。確かに心理療法士のセミナーに医師の診察があり、漢方薬が処方されるとなれば、騙されやすくなるのも無理もないかもしれません。後半の山吹の説明には色々と納得。勉強になります。しかし今のままでも十分面白かったと思いますが、どうせなら秋子が完全にコントロールされてしまうまでを描いて欲しかったような気もしますね。その状態から、STに助けられて戻ってくる人というのも、ちょっぴり見てみたかったです。

P.291「他人に癒してもらおうなんて、甘えていた。自分で自分を癒すしかない。」

「残照」角川春樹事務所(2003年5月読了)★★★★★お気に入り
台場の大観覧車と別のアトラクションのタワーの間に横たわっていた死体。被害者は吉岡和弘、18歳。ブラックシャークと呼ばれるカラーギャングのグループのリーダー。事件直後、この場所から走り去る車があったという目撃情報があり、ベイエリア分署の交通隊がその車両を追跡していました。その車に乗っていたのは、風間智也。千葉辺りの暴走族では有名人で、黒のスカイラインGT-Rをを自分の手足のように扱い、交通隊小隊長の速水直樹警部補の部下を振り切るというほどの腕前。その神出鬼没ぶりに、地元ではブラックファントムと呼ばれていました。殺人ということもあり、本庁の捜査一課との捜査本部が立てられます。東京湾臨海署の強行犯係は安積警部補を入れて5人しかいないため、生活安全課、刑事課の盗犯係、知能犯係、暴力団係などから人間がかき集められ、交通隊からは速見警部補も捜査に加わることに。風間が容疑者ということで捜査が進められることになるのですが、容疑者速水警部補は風間の犯行とは思えないと主張。風間は札付きだが、後ろから刺すような少年ではないというのです。

安積警部補シリーズ。安積警部補の一人称で物語は進みます。
台場で起きた殺人事件の捜査で安積警部補と速見警部補が一緒に組むことになり、このシリーズでもとびきり美味しい作品となっています。速水曰く「とびきり優秀な」、しかし「大人になりきれない」警察官の2人。普段は落ち着いているように見える安積警部補もすっかり速水のペースに巻き込まれてしまっており、読みながら思わずわくわくしてしまいます。しかも2人が追いかけるのは、スカイラインGT-Rを乗り回している風間という少年。こうなると速水の独壇場です。速水率いるスープラ隊とスカイラインGR-Rとのカーチェイスは本当に見物。口を閉じていなければ舌を噛むほどだという峠バトルも、読んでいるこちらが緊張してしまうほど。安積警部補の気持ちが本当に良く分かります。(笑)
安積警部補の一人称ということで、普段から慎重で心配性な安積警部補の心情が一層分かるというのが、この作品の特徴でしょうか。自分の中で納得するまで考え、そして動くという面もよく見えてきます。「黒のスカイライン」ばかりの証言の中に、「ガンメタのゼット」という貴重な証言を得た時、彼はそれをあくまでも疑ってかかり、じっくりと考えます。なぜ2人はあんなことを行ったのか。口裏を合わせて得をすることがあるのか。そしてもし本当だとしたら…。そして、そういう少年たちを色眼鏡で見ているのではないかと指摘されると、またそれについて真正面から考えるのです。しかしその瞬間ですら、外側の表情はあくまでも動かないままなのでしょうね。これがもし速水警部補の一人称で描かれていたら… 彼にも内心には葛藤というものが存在するのでしょうか。速水のあまりに自信に溢れ、泰然としている姿は、迷いという言葉からは程遠く感じられるのですが。
目撃証言から風間が容疑者となるのですが、それを証明するためであるかのような捜査が行われ、しかも風間犯人説をひっくり返す有力証言が出てきても、捜査本部の面々はあまり聞きたがらないという場面など、なかなかのリアリティがあります。それでもきちんと自分なりの姿勢を貫く安積。何者にも左右されず、自分の足でしっかりと立ち、自分の頭できちんと考えようとするその姿は、やはり信頼するに足るものです。

「陽炎-東京湾臨海署安積班」角川春樹事務所(2003年5月読了)★★★★★
【偽装】…高速道路交通警察隊がパトロール中に不審な車を発見。レインボーブリッジの路肩に放置されていた車の運転席からは遺書らしき物が見つかります。心中事件かと思われるのですが…。
【待機寮】…暴力団仁龍会井家沢組の組長が射殺されます。しかし捜査を切り上げて待機寮と呼ばれる独身寮に戻った須田と黒木を待っていたのは、この寮のヌシと化している中園の宴会騒ぎでした。
【アプローチ】…レイプされたという少女・江島由里が路上で保護されます。最初は田舎の親に知られたくないと言っていた由里は、須田と村雨による事情聴取の間に告訴すると言い始め…。
【予知夢】…深夜にゲームセンターで喧嘩をした少年2人の取調べをした日、村雨は不思議な夢をみます。被疑者が真犯人でないことを知りながら、それを伝えられない村雨は、夢の中で焦ることに。
【科学捜査】…海浜公園で見つかった女性の全裸死体。現場には警視庁捜査一課とSTの青山が現れ、捜査本部が立てられることになります。安積警部補は青山の美貌とその態度に面食らいます。
【張り込み】…麻薬の売人が卸しから大量の覚醒剤を仕入れるという情報があり、安積警部補も速見も連れて張り込みへ。丁度その時、今日が結婚記念日だという1組の老夫婦が通りがかります。
【トウキョウ.コネクション】…湾岸署管内で香港マフィアの大物によるコカインの取引が行われるという情報が入り、安積警部補と須田は早速青海の埠頭へ。しかしその取引現場は、実は囮だったのです。
【陽炎】…台場の海で着替えをしていた女性に覗きだと騒がれ、思わず逃げ出した康太。しかし彼をよけようとした車は事故を起こし、ぶつかった老人は倒れ、店のワゴンはひっくり返ってしまうのです。

安積警部補シリーズの短編集。
寡黙な黒田の視点が入る「待機寮」、優秀な割に、杓子定規なせいか今まであまり目立たなかった村雨視点の「予知夢」、STの青山が登場する「科学捜査」という作品があり、長編ではなかなか見ることのできない場面が多く見ることができるのが楽しい短編集です。須田と村雨のお互いに対する信頼も、「アプローチ」や「予知夢」から垣間見ることができます。全体的に須田が活躍しているのが目立ちますね。根底にあるのは地道な観察と努力なのですが、やはり圧倒的なツキと閃きがあります。そしてもしかすると、そのツキを一番認めているのは速水なのかもしれませんね。ただ、「予知夢」は、「警視庁神南署」と物語の内容が酷似していると思うのですが、どうなのでしょう。こちらの方が後に書かれた作品ですし、「警視庁神南署」が長編、こちらが短編。短編が先に書かれて、あとで長編になるというのなら分かるのですが。アプローチが面白いだけに、この事件を持ってきたというのは少々もったいない気がします。
「陽炎」の安積警部補もいいですね。どんどん自分を追い詰めてしまった少年少女に対する大真面目な説得は、情景が想像できて可笑しいです。元々「太陽にほえろ」や「西部警察」などの刑事物のドラマのようなこのシリーズですが、短編集となると、ますますその色合いを強めるようです。

「襲撃」徳間文庫(2003年4月読了)★★★★★
膝を壊して実戦空手を諦め、現在は整体師をしている美崎照人。篤心館専属の空手の選手である星野雄蔵の施術のために横浜まで出かけた日、黒いバンに乗っていた4人の若者たちに襲われます。黒いバンは、美崎整体院の真ん前に止まって待ち伏せをしていたのです。その時は、警官らしき呼び声に事なきを得るのですが、しかし次週再び篤心館に出向いた時、横浜でまたしても同じバンに乗る男たちに襲われることに。1回目は4人だった敵は5人となり、しかも今回は大きなサバイバルナイフまで持っていました。沖縄で習った古流空手の嗜みもある美崎は杖を手に防戦するものの負傷。美崎整体院の患者でもある刑事の赤城竜次は、美崎が最初に襲われた日に、同じく患者の劉昌輝の手下が1人殺されていたことから、始めは劉昌輝の敵対勢力と考えます。実は星野の治療も劉の紹介だったのです。そして笹本有里の治療日には、有里のストーカーが整体院の周辺に出没、さらには他の患者から、美崎整体院を変な男が見張っていたという情報が。赤城が調べてみると、外に立っていたのは能代春彦ということが判明。能代春彦はかつて美崎の恋人だった郁子の父。エリート商社マンだったはずの能代は、現在は私立探偵となっていました。

整体師が主人公ということで、同じく整体師が主人公の「拳鬼伝」とどのように変化を持たせるのか興味があったのですが、あちらが劇画ならこちらは人間ドラマでした。かつて恋人を放ったらかしにした挙句、自殺させてしまったというトラウマを持つ主人公。彼が膝の故障から空手を断念させられたことや、その後沖縄で古流空手に出会ったこと、それによって酒びたりの状態から立ち直り、整体師として名を成すまでの物語も、このあまり長くはないはずの作品の中でなかなか語ってくれます。それに彼を中心に物語は香港マフィアから思わぬ方向へと展開し、意外なスケールの大きさを感じさせてくれますね。その中の伏線のいくつかは、あまりに明らかなような気もするのですが、しかし大したことではないと思っていた部分が後々大きく生かされてくる面などが巧いですし、それにこの作品で特筆すべきなのは、闘いの場面にある迫力とリアリティでしょうか。特に敵に対する怯えや激しい緊張、そして闘いの後の描写。こういうのは今まであまり読んだことがなかったような気がします。肉体的な技能の勝負だけではなく、精神的な駆け引きが大きく影響する部分が描かれているのも、さすがに常心流武道の免許皆伝の今野さんだけのことはあります。やはり武術の修練を積み、闘いに深く踏み込んだことがないと、なかなかここまで書けないでしょうね。さすがです。

「黒いモスクワ-ST警視庁科学特捜班」講談社ノベルス(2003年3月読了)★★★★★
百合根友久警部の元にロシアへの研修出張命令が舞い込み、百合根と赤城左門の2人は早速モスクワへと向かいます。現地で2人が出迎えたのは、元KGB職員で現在はロシア連邦保安局FSBに所属するアレク。FSBとの情報交換が目的のロシア研修でしたが、アレクの考えで、2人はラスプーチンゆかりの教会で起きたヴィクトル・ヴォルコフの死亡事件に携わることに。その頃、黒崎勇次や山吹才蔵もまたモスクワへと向かっていました。山吹才蔵は実家の寺の檀家に呼ばれたため、そして黒崎は、彼が現在習っている柔術・美作竹上流のモスクワでのセミナーに、奥伝を持っている芦辺正次郎と共に派遣されたため。しかも黒崎と芦辺の美作竹上流は、アレクの習っている柔術の流派でもあったのです。アレクを中心にSTの3人が再会。しかし黒崎たちが飛行機で一緒になったフリージャーナリスト・森田康治が、事件の起きた教会に入り込んで死体で発見されることになり、桜庭大悟警視は青山翔と結城翠、菊川吾郎警部補をモスクワに送り込みます。

STシリーズ3作目。3作目ともなると、シリーズ物としてすっかり安定していますね。誰をメインに据えるかによって、また違った味わいを出せるというのが、このシリーズの強みでしょうか。今回は無口な黒崎が中心ですが、相変わらずのテンポの良さでとても読みやすい作品となっています。百合根警部も徐々に落ち着いてきているようですし、菊川警部補も、放っておいたらどこまで脱線するか分からないSTのメンバーたちの足を地につける役割を果たしているようです。
今回は、なんとメンバー全員がモスクワへ!キーワードは、中央アジアのどこかにある地下の理想郷・シャンバラと、予知能力があったとされるラスプーチン、そのラスプーチンゆかりの教会とポルターガイスト、そして神秘主義にかぶれたマフィア。舞台がモスクワというだけで物語は華やかに進行します。
今回は黒崎が中心なだけあって、物語には美作竹上流という柔術が絡んできます。幼い頃から美作竹上流を学び、現在は奥伝を持つ芦辺正次郎、自分の野望のために美作竹上流を利用しようとするアレク、そして外様ながらも素晴らしい才能を見せ付ける黒崎。途中ややきな臭い展開になりかけるのですが、しかしやはり武道を志す人間同士、根っこの部分には共通項があるという感じですね。綺麗事のようにも感じますが、こうであって欲しいという姿でもあります。「常人を越えた技は常人を越えた性格の者にしか会得できない」という言葉には、説得力がありました。まるで「手ほどき」で手を捏ね合っていたSTとアレクが、最後に黒崎によって見事に投げ飛ばされてしまったかのような印象。硬派な部分が気持ち良い物語でした。

「陰陽祓い-鬼龍光一シリーズ1」学研M文庫(2003年11月読了)★★★★★
都内で連続少女暴行殺人事件が発生し、警視庁生活安全部少年1課の富野輝彦も捜査に参加します。いくつかの目撃証言から、犯人は少年らしいということが分かり、少年課にも捜査本部からお呼びがかかったのです。富野と一緒に組むことになったのは、臨床心理学者であり犯罪の専門家でもある本宮奈緒美。才色兼備の奈緒美と組む富野に羨望の眼差しをおくる捜査員も多い中、しかし富野は奈緒美とは反りが合わないものを感じていました。そして3件目の事件の現場に訪れた時、富野は現場に背の高い痩せた男が立っているのに気付きます。年齢は30歳前後、茫洋とした印象で、黒尽くめの服装をしていました。職務質問を始めた富野に、その男は鬼龍光一と名乗ります。

鬼龍光一シリーズ第1弾。
刑事物に陰陽道のようなお祓いが絡んでくるとは驚きました。西澤保彦さんの作品に見られるミステリと超能力の融合のような新鮮さを感じます。黒尽くめの鬼龍光一は鬼道衆、白尽くめの安倍孝景は奥州勢。元々は卑弥呼や魏志倭人伝の時代にまで遡る能力を持つ一族らしく、そちら方面だけを描いても面白い作品となりそうなモチーフなのですが、それがごく普通の刑事物の世界に案外しっくりと馴染んでいたのには驚きました。富野たち捜査員の地道な捜査がきちんと描写され、その上で普通の捜査では手に負えない部分として書かれているのも良いのでしょうね。
真犯人の正体などある程度予想はつくのですが、それでも面白かったです。そして本庁捜査1課の田端守雄課長は、「リオ」にも登場していた田端課長なのですね。思わぬ繋がりも楽しめました。 鬼道衆と奥州勢の反目や、その修行についてもまだまだ明かされていないことが多く、ぜひとも続きが読みたいシリーズです。

「人狼」徳間文庫(2003年4月読了)★★★★
私立探偵の能代春彦が、整体師の美崎照人の元に連れて来たのは、かつて美崎も所属していた空手の修拳会館で指導員をしていたこともあるという黒岩豪。黒岩は現在は独立して道場を開いていました。その黒岩が、美崎に自分の弟子の話をし始めます。黒岩道場の中でも特に目をかけていた真島譲治という男が、試合への出場を拒否されたのをきっかけに、ある日ふっつりと姿を消したのです。そして丁度その頃、街では狼男の噂が広がっていました。狼男のような毛むくじゃらの顔をした男が、素手で不良たちを叩きのめしているという噂。それを聞いた黒岩は、その狼男は真島の変装ではないかと考えます。黒岩は能代に仕事を依頼、そして相手が空手の達人であり、黒岩が現在腰を痛めていることから、能代と黒岩は美崎に相談を持ちかけたのです。

整体師・美崎照人のシリーズ第2弾。渋谷に現れ、素手で少年たちを制裁して消えるという謎の男の設定は、まるで「拳鬼伝」のようですね。しかしこちらの謎の男は、すぐに正体が判明します。その点、「拳鬼伝」のようなミステリアスさに乏しく、狼男の動機も少々ありきたりのように感じてしまいました。
しかしやはり格闘場面が良いですね。「激しい緊張の後遺症だ。口の中がひからびて、唾も飲み込めない。」などという描写も、他の作品では滅多に見ることができないと思います。美崎が池袋で出会う3人の少年たちや有里もとてもいいですね。「今時の若い者は」などという先入観を持つことの危険さをも提示している作品です。
ただ、人の名前は間違えちゃいけません。育子ではなく郁子です。
Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.