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このページは、北森鴻さんの本の感想のページです。

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「パンドラ's ボックス」光文社カッパノベルス(2001年8月読了)★★★

【仮面の遺書】…鮎川哲也編「本格推理1」に収録されたデビュー作。天沼依子が仕事中に窓からふと見かけた青年は、向かいのインテリジェンスビルの壁を見つめていました。その壁には、自殺した新進画家・城島真一の遺作のレプリカがモザイクで作られていたのです。彼の姿が気になって仕方のない依子は、どうしてその絵に興味があるのか青年に問いかけます。
【踊る警官】…大阪府警に送られてきた匿名の手紙には、数年前に制服売春の女子高生を殺して埋めた経緯が書かれていました。遺体は古墳の陵墓に埋められているというのです。飛鳥文化研究所所長・西野を通じて宮内庁から捜査を許可された府警の加藤は、早速西野の調査の結果を待つことに。
【無残絵の男】…江戸時代。彫り師・柾五郎の仕事場で絵草紙屋・市松の死体が見つかります。仕事場は密室状態。柾五郎は丁度上方へ出かけてて留守。市松の口の中に直助権兵衛の文字の書かれた無残絵が押し込められおり、下手人は柾五郎の弟子・直助と思われるのですが…。
【ちあき電脳探てい社】…小学校の裏の「あかずの倉庫」でおきたゆうれいさわぎ。夜8時頃、「ケエー!」という声が聞こえ、そちらに行ってみるとあやしい霧がたちこめ、まっ白な影が走ったというのです。コウスケは早速、スーパーコンピューターを操る同級生のちあきと共に推理を始めます。
【鬼子母神の選択肢】…京都嵐山の万年貧乏寺・大悲閣千光寺は、松茸の採れる場所だという投稿がきっかけで参拝客が急増。しかし山中には松茸ではなくミイラ化した男性の死体が。寺男として千光寺に住み着いていた有馬次郎は、投書に隠されていた真実を解き明かします。
【ランチタイムの小悪魔】…「わたし」のジンクスは、指の爪が割れると24時間以内によくないことが起きるということ。そして小指の爪の割れたある日のこと、会社の中で後輩のOLが倒れます。そして「わたし」が弁当に毒を盛ったという噂がオフィスに流れます。
【幇間二人羽織】…はるばる上尾から色玉商いのために江戸にやってきた利助は、幇間の市松の手引きで吉原遊びを楽しんでいました。しかしその同日同時刻、市松が日本橋にいたという証言が。老中・阿部伊勢守は、北町・南町でそれぞれ切れ者と名高い顎十郎と藤波友衛とに吟味を競わせることに。

「あらゆる悪意と災厄が詰まったパンドラの箱」のイメージで作られたという短編集です。デビュー作「仮面の遺言」を含む短編7編と、それぞれの作品の間には暴露話とも言えるエッセイが挟まれています。「ちあき電脳探てい社」は、「小学3年生」に連載された短編。そして短編も面白いのですが、何と言ってもこのエッセイが面白いのです。「北森鴻」というペンネームの秘話や、北森さんの意外な素顔。読んでいるこちらが心配してしまうほどのネタが満載です。まさに「私生活切り売り作品集」。それにしても、北森さんって元々大阪の方なんでしょうか。このノリにはとても関西に通じるものを感じるのですが。
短編は時代物からジュブナイルまでバラエティに富んでいます。そして私がこの中で一番好きなのは「踊る警官」。(このタイトルは、もちろん「笑う警官」からとったものですね)作品自体のテンポの良さが、関西弁のテンポの良さと相まってなかなかの名作です。最後の結末には驚きました。こういう作品を読むと、「短編の名手」と言われるのも納得してしまいますね。しかしいくら執筆依頼を断れないとは言え、「小学3年生」や「女性自身」にも作品を書いていたとは…。面白い方です、本当に。


「顔のない男」文春文庫(2004年1月読了)★★★

多摩川沿いの緑地公園で、空木精作の死体が発見されます。死因は全身殴打による頭蓋骨陥没及び脳挫傷。しかしリンチを受けたとしか思えない遺体の状態、しかも緑地公園で会う約束を書いたメモが見つかり、突発的なトラブルに巻き込まれたのではないことが分かっているにも関わらず、空木には知り合いらしい知り合いがおらず、発見から2週間たっても空木の素顔が全く見えてこないのです。捜査の中心から外された2人の刑事・原口賢二と又吉敦は、空木の自宅で見つけたノートから独自の捜査を開始することに。

普段の作品に比べて、やや硬質な文章。7つの短編から成る連作短編集のようにも見えますが、実際には、全てが繋がった長編作品という方が正しいのでしょうね。全編通しての謎は、「空木精作とは何者なのか」という謎。7つの章それぞれで、空木と繋がりのあった人物が描かれ、空木の姿が少しずつ浮かび上がっていきます。しかしその繋がりはあまり明確ではないですし、実体はなかなか見えてきません。逆に細部がはっきりした分、全体像が掴めなくなり、ますます分からなくなることもあります。分かったと思った姿も二転三転。まるで、目隠しをした人たちが象を触っている話のようですね。しかも主人公となる又吉自身が、コンビを組んでいる原田に対して徐々に不信感を覚えていくため、作品全体を通して不安定に揺らいでいるような印象。そしてこの刑事2人の行方もまた、見所となっています。
登場人物も多いですし、なかなか複雑な構成となっているので、じっくり読まないと途中で分からなくなってしまうかも。計算しつくして書かれた作品という印象です。


「蜻蛉始末」文春文庫(2005年2月読了)★★★★

明治12年9月15日の夜半。大阪の豪商・藤田傳三郎は、東京警視庁権大警部・佐藤志郎によって逮捕されます。何度尋ねても嫌疑の仔細は明かされず、身に覚えのないことを白状しろの一点張りで、困惑する傳三郎。実は傳三郎には、後に「藤田組贋札事件」として知られる偽札作りの容疑がかかっていたのです。単独で偽札と見破るのは不可能とまで言われた精巧なつくりの偽札。その唯一の見分け方は、紙幣に描かれた蜻蛉の足。6本あるはずの蜻蛉の足が、偽札では5本しかないという噂が市中で流れていたのです。その話を聞いた傳三郎の脳裏には、ある男の姿が思い浮かびます。

幕末から明治初期にかけて活躍した、藤田組(藤田観光・同和鉱業の前身)の創業者・藤田傳三郎の伝記的な小説… と思いながら読んでいたのですが、これは実は、傳三郎の「影勤め」である宮越宇三郎が本当の主役だったのですね。商才があり、正義に熱くなる傳三郎と、「とんぼの阿呆」と呼ばれ続けた嘘吐きの宇三郎という、光と影のような2人。その2人の生き様に、高杉晋作や久坂玄端、伊藤博文、山形有朋、大村益次郎、井上馨といった歴史上の有名人物たちが絡んでくる歴史小説。
読み始めた時は、五月蝿く傳三郎にまとわり付く宇三郎がどうしようもなく疎ましかったのですが、物語が進むにつれて徐々に光を増していき、気付けば「主」傳三郎と「従」宇三郎という2人の立場がいつしか変化していました。傳三郎にとって宇三郎は自分の半身のようなものですし、心の奥底では宇三郎のことを大切に思い、切実に求めています。しかし傳三郎も久坂玄端の言葉などによってそのことに気付かされることはあるのですが、決して自分からは気付こうとしないですし、敢えて目をふさいでいるのですね。そのことによって、逆に傳三郎の宇三郎への深い愛情が感じられるような気がしました。 宇三郎は傳三郎が思っているよりもずっと世の中のことを知っていますし、その上で野獣的な勘を持っています。しかし本当はそのことを知っていながら、傳三郎はただ宇三郎を手放したくなかっただけなのではないでしょうか。本当は素直に自分の気持ちのまま生きられる宇三郎が、どうしようもなく羨ましかったのでは… と、そんなことを思わされる作品でした。


「共犯マジック-Fortune-book Mystery」徳間文庫(2004年10月読了)★★★★

【プロローグ】…1967年7月。松本市内の書店で働く蜷川哲治は、倉庫に忘れられていた「フォーチュン・ブック」を見つけ出し、店主の言いつけで店頭に並べることに。
【第一話 原点】…1969年2月、全国に学生運動の嵐が広がっていた頃。篠塚瑛助がジャズ喫茶・シアンクレールで語らっていた、京都のノンポリ大学生の1人が自殺します。
【第二話 それからの貌】…1982年9月。檻口順一を始めとする、ホテル・ニュージャパン火災で経営者個人を攻撃対象にし始めていた新聞記者たちは、現場から外されていました。
【第三話 羽化の季節】…1987年9月。小茂田堅介は画廊で松本市出身のY**の絵を見ている時に、1枚のスケッチに惹かれます。その絵の前では、1人の初老の男が震えていました。
【第四話 封印迷宮】…1984年12月。檻口は東京に戻り、新宿にほど近いベッドハウスに「サクラダ」と名乗る男と同居していました。そしてグリコ・森永事件に便乗することに。
【第五話 さよなら神様】…12月。有樹真理子は、娘の絵里子と買い物をしている時に、横須賀線爆破事件の犯人・若松善紀に対する死刑が執行されたことを知ります。
【第六話 六人の謡える乙子】…癌で入院していた樺沢孝を世田谷時報の天野が訪れます。既に亡くなっている樺沢の師匠・乙黒嘉吉の作った像のことを聞きに来たのです。
【最終話 共犯マジック】…サクラダは、木津修平を探し出すことが目的なのだと語り始めます。

フォーチュンブックという1冊の占い書を中心に展開していく連作短編集。これはアメリカのヒッピーたちの間で爆発的に流行ったという著者も由来も分からない本。決して吉兆は占わず、人の不幸だけを恐るべき的中率で当てていくという本です。松本市内の書店に残っていた「フォーチュンブック」6冊と、その本を巡る人々の運命。そして「大学闘争」「ホテルニュージャパン火災」「帝銀事件」「三億円事件」「グリコ森永事件」… といった、昭和の歴史を彩る有名な大事件がいくつも登場。それらがが絶妙なバランスで絡み合い、繋がり合っていきます。これは、何とも上手いとしか言いようがありませんね。最後のこの繋がりにも、本当に驚きました。しかしこのフォーチュンブックのせいなのか、昭和の大事件の醸し出す雰囲気のせいなのか、一種異様な雰囲気。この暗さには引きずり込まれてしまいそうになります。精神状態があまり良くない時には読みたくないかも。
短編1つ1つの存在感はそれほどでもないと思うのですが、全部が1つにまとまった時のパワーは凄いです。そういう意味では、連作短編集ではなく、長編だったのかもしれませんね。


「孔雀狂想曲」集英社(2003年8月読了)★★★★

【ベトナムジッポー・1967】…下北沢にある趣味骨董の店・雅蘭堂。店主・越名集治が居眠りをしている隙に少女が古いジッポーライターを持ち出そうとし、1週間後、少女の祖父が店を訪れます。
【ジャンクカメラ・キッズ】…越名が業者の市で久々に再会したのは、山形で骨董屋を営んでいる竹島茂。竹島は越名の目当ての長火鉢を落とし、代わりに抱き合わせのジャンクカメラを越名に流します。
【古九谷焼幻化】…越名は兄の収一に頼まれて、金沢の旧家で極秘裏に行われる蔵開きで古九谷の壷のために金沢へ。業界でも悪評高い犬塚晋作と、辛口の美術評論家・武藤健二と競り合います。
【孔雀狂想曲】…雅蘭堂で、アルバイトの安積と押し問答していたのは、前日売れた鉱物標本を買った客の連絡先が知りたいという男。しかしその男は1週間後、全裸死体で発見されることに。
【キリコ・キリコ】…瀬能樹里子の元に届いたのは、伯母である大倉瑠璃子から形見の品を預かっているので来店して欲しいという手紙。樹里子はたった1人の肉親である瑠璃子の死を知りませんでした。
【幻・風景】…犬塚が見せたのは、戦前に活躍した私小説家のFが描いたという「三鷹駅前暮色」という油絵。犬塚は対になったものを探して欲しいと依頼し、Fの先輩作家の日記のコピーを渡します。
【根付け供養】…3年前から江戸の根付け職人・英琳の名で高い評価を受けていた島津鳩作。全作品を高沢という蒐集家の元に納めているのですが、今回、高沢の後ろビスクドールには越名が。
【人形転生】…競り市で、せいぜい150万円の値で取り引きされるべきジュモーの300万をつけたのは美輪真蔵。1ヵ月後、そのビスクドールに数千万の価値があると知った越名は…。

冬狐堂のシリーズと同じく、骨董の世界を描いた作品。実際、この主人公の越名集治は、冬狐堂のシリーズの2作目「狐闇」に登場することになります。しかし彼の店・雅蘭堂には「趣味骨董」の看板がかかっているものの、その実体は古道具屋に近いもの。彼が買い集める品物は宇佐美陶子が扱うような古美術品とは少々毛色が違い、もう少し砕けた感じの物です。ここの作品でも、第1作のモチーフとなるのは題名通りベトナムジッポですし、第2作に登場するのも、ジャンクカメラやアンディ・ウォーホールのオリジナル。しかしだからといって正統派の骨董品に目が利かないというわけではなく、日本の古九谷の壷や根付け、西洋のビスクドールなど、幅広い品物が扱われています。しかし自分の好きな物を中心に気軽に集めているように見えて、越名は陶子ほどには、ハマったら怖いというコレクター的な要素が少ないようですね。越名自身、品物に呼ばれてつい購入してしまうということはよくあるようなのですが、素晴らしい品物を目の前にした時の感情の振れ幅が陶子に比べると小さく、切迫感も少ないような…。これがそのまま、越名と陶子の巻き込まれるトラブルを物語っているようです。陶子の場合は、自らトラブルを招き寄せている面も大きいですから、結局は性格の違いということになるのでしょうか。火のような陶子に比べて、越名の性格は水か風のよう。トラブルの種を上手く受け流してしまう老獪さを、きっと若い頃から身につけていたのでしょう。
「コレクターは、コレクションのためには人を殺しても構わない、と思えるほどの情熱を持ったときに初めて、真のコレクターになる」というのは、ドールコレクションを持つ宇崎法眼の言葉。これは、ドールコレクションを本に置き換えても同じ。やはり何を対象にしてもコレクターとは恐ろしいものですね。それだけの思いをつぎ込める対象があるということ自体、幸せなことなのかもしれませんが…。


「狐闇」講談社(2003年8月読了)★★★★★お気に入り

粉雪が舞う中、宇佐美陶子は、荻脇美術館へと向かっていました。ここは、戦前戦中を通して莫大な財をなした荻脇桂三の個人コレクションが中心の私立美術館。そこに陶子が持ち込んだのは、織部の継ぎの入った伊賀古陶、陶子が10年前に手に入れて以来、自分のコレクションとして門外不出にしていた名品でした。現在特にお金に困っているわけでもない陶子がこの茶碗を売り出したのは、実はある資金を用意するため。それは半年前、陶子が古物商許可証及び古物行商許可証の鑑札を剥奪された出来事に関係することでした。その年の6月、平塚で開かれた手堅いと評判の市で陶子が競り落としたのは、海獣葡萄鏡二面。しかし家に持って帰ってみると、そのうちの1枚が三角縁神獣鏡にすり替わっていたのです。その三角縁神獣鏡に魅せられた陶子は、それが魔鏡であることに気付いた時、何者かの罠に堕ちることに…。

冬狐堂こと宇佐美陶子の活躍する「狐罠」の続編。
冒頭、いきなり鑑札が剥奪されていたのには驚きましたが、荻脇美術館の館長とのやり取りからして、骨董業界の狐と狸の化かし合い、丁々発止とした駆け引きを堪能することができます。陶子がここまで相手の出方を読むことができるようになったのには、もちろん素質や元夫の指導もあったのでしょうけれど、それだけ修羅場をくぐってきたからなのですね。しかしおそらく独力で切り抜けなければならない事態が多かったと思われる陶子ですが、今回は力強い味方が登場します。それは「凶笑面」でも主人公として活躍する蓮丈那智。考えてみれば骨董品には民俗学的な興味はつきもの。この蓮丈那智の登場が単なるファンサービスではなく、必然性があるというのがいいですね。さらにこの物語は、実は「凶笑面」収録の「双死神」にもリンクしているのです。同じ出来事が視点を変えて語られていくというのが、また非常に面白いところです。
贋作を扱っていた「狐罠」に比べ、この「狐闇」には幻の税所コレクションや明治政府の征韓論、天皇家の三種の神器の問題まで絡み、歴史の暗部を暴きだそうとする様には歴史ミステリ的な面もあります。前作に比べて純粋に骨董品に関する薀蓄が減っているような気がするのは少々残念ではあるのですが、しかしこれはこれで十分興味深いもの。そして畳み掛けるようなラストは圧巻です。
この作品に「ビアバー」として登場するのは、おそらく香菜里屋。そしてここにも登場する下北沢の古道具屋・雅蘭堂の店主・越名集治は、「孔雀狂想曲」では主役なのだそう。こちらも読んでみなくてはいけませんね。


「触身仏」新潮エンターテインメント倶楽部(2003年9月読了)★★★★

【秘供養】…奥羽山脈のR村の「供養の五百羅漢」を調べていた蓮丈那智が入院し、代わりにレポートの下読みをしていた三國の元には狛江署の警察官が。R村出身の女学生が焼死体となっていたのです。
【大黒闇】…三國の元に、東敬大学の4年生の兄が、《アースライフ》というサークルにはまり、300万円を家から持ち出して二束三文の仏像を購入したという女学生が訪れます。
【死満瓊】…フィールドワークに出た蓮丈那智からの連絡が途絶えて10日余り。突然「灰皿を片づけておいて」というメールが届き、三國は戸惑います。研究室には灰皿などないのです。
【触身仏】…ある山村に非常に特殊な形状の塞の神が祭られていると聞き、フィールドワークに出る蓮丈と三國。それは即身仏。即身仏に対して無条件の恐怖を持つ三國も、結局一緒に行くことになります。
【御蔭講】…来年度の講師の選任をかけて、御蔭講の伝承について研究を進める三國。そんな時、文学部から佐江由美子という有能な女性が蓮丈那智の研究室に助手として移ってきて…。

「蓮丈那智フィールドファイルII」。美貌の民俗学教授・蓮丈那智の、「凶笑面」に続くシリーズ2作目。
前作に比べると蓮丈那智は多少人間味を増し、舞台は身近な大学周辺に移り、民俗学とミステリとの結びつきも以前より読みやすくなったような気がします。
この中で興味深かったのは、民俗学に対する考察。民俗学とは「数学のように答えが明確にあるものではない。むしろいかにして仮説を証明していゆくか。その答えがどこにもないことを知りつつ、考証を重ねてゆく過程そのもの」と三國は説明し、「民俗学という学問体系そのものが、すでに死に向かっていると思えた」と狐目の担当者は語り、「優れた民俗学者はすべからく優秀な探偵でなければならない」と蓮丈那智は言います。忌まわしい歴史を文書の中に封印してしまうために事実はしばしば脚色され、全く別の物語に仕立て上げられることになるのですが、それを読み解くのが民俗学者の仕事。ヨーロッパでも童話などの中に歪曲した事実が潜んでいることがありますが、日本の伝承でもやはり同じなのですね。1つ1つの風習の裏に隠されている闇を考えると恐ろしくなってしまいますが、今まであまり深く考えたことのなかった事物について、非常に明快な説明がされていくのは、読んでいてとても楽しいです。しかし確かに三國が言うように、「研究者などなるものじゃない。趣味であり続けることが一番幸福」なのかもしれませんね。
「秘供養」民俗学的な興味と現実の殺人事件の関わり方のバランスがとてもいい感じ。五百羅漢の意味には本当に驚きましたが、しかしとても説得力のある話でした。「大黒闇」題名通りの大黒天の話。神々の変貌についての説が面白かったです。しかし仮にも民俗学教授の助手が、大黒天が元々ヒンズー教の神であることを知らないわけはないと思いますが…。「死満瓊」海幸彦と山幸彦の話。なかなかのミステリとなっています。ラストの蓮丈那智の行動には驚きましたが、きっと事実を説明するためだけだったのでしょうね。三國の反応が可愛らしいです。「触身仏」この中で唯一フィールドワーク上で起きた事件。三國のトラウマがうまく利用されているのですね。「御蔭講」わらしべ長者の話。裏返しになる思考回路が面白いです。
蓮丈那智の同級生だったという「狐目の担当者」と呼ばれる男性や、かつての教え子である狛江署の細谷巡査部長の存在感にも無視できないものが。今後どのような役回りを果たすことになるのか非常に楽しみです。


「緋友禅-旗師・冬狐堂」文藝春秋(2003年8月読了)★★★★

【陶鬼】…弦海礼次郎が3ヶ月ほど前に萩で自殺していたのを聞き驚く宇佐美陶子。陶子にとって弦海は師匠とも言える存在。陶子は萩に飛び、その死が久賀秋霜に関係していたことを知ります。
【「永久笑み」の少女】…陶子は町澤泰之という作家に手紙を書いていました。それは一見、「永久笑み」という作品に対するファンレターのように見えるのですが…。
【緋友禅】…陶子が銀座でふらりと入ったのは、久美廉次郎という無名作家の糊染めタペストリーの作品展。素晴らしい緋色に、陶子は持ち合わせた現金120万円で全てを買い取ることにするのですが。
【奇縁円空】…生前顧客だった瀧川康之助のコレクションの処分のために瀧川家を訪れた陶子は、そこに円空仏と呼ばれる立像があるのを見ます。しかしその円空仏が陶子をトラブルに巻き込むことに。

「狐罠」「狐闇」に続く、冬狐堂シリーズ3作目。
この中では、やはり表題作の「緋友禅」が一番好きでしょうか。タペストリーの緋色が印象的な作品。緋友禅に関する薀蓄も、その緋友禅のオリジナルの作品を守るための攻防もとても楽しめました。1作目の「陶鬼」に登場する業の深さも良かったですし、今まで色々と痛い目にあったと思われる陶子の成長物語としても、なかなか興味深いものが。『「永久笑み」の少女』での陶子の手紙の出だしには、あまりに作為的な説明のにおいを感じてしまって少々引きそうになりましたが、しかし最後まで読んでみると、ここまで大仰な文面を書いた意味がよく分かりました。最終作「奇縁円空」は、本の半分ほどを占める中編。これは円空という仏像の複雑さはよく分かりましたが、この短編集に収めるには、やはり少々長すぎるような気が…。読んでいる側の問題かとは思いますが、頭の中が既に短編モードに入っていたため、緊張感が持続しませんでした。最後の方で登場した「嵐山の貧乏寺」にはニヤリとさせられましたが。
それにしても、陶子は相変わらず次から次へとトラブルに見舞われていますね。ある程度は自ら引き寄せているにしても、やはり何事も真正面から受け止めてしまい、適当に受け流すということが基本的に苦手なのでしょう。それでもこんなことを繰り返しているうちに、最初の「狐罠」の頃に比べて徐々に老獪な狐になっているような…。本当は「狐罠」の頃の、今ほど老獪ではない体当たり的な生き方の方が好きではあったのですが。


「桜宵」講談社(2003年7月読了)★★★★

【十五周年】…日浦が香菜里屋で耳にしたのは、常連客が披露宴に出席した時の話。同じテーブルの自分以外の人間は皆知り合い同士で、間が持たず酒を飲みすぎたという話でした。
【桜宵】…1年前に病没した妻・芙佐子の残した手紙には、香菜里屋を一度訪ねてほしいという言葉が。埼玉に住む芙佐子がなぜ三軒茶屋のビアバーを知っているのか、何の意味があるのか…。
【犬のお告げ】…石坂修と1年前から一緒に暮らし始めた際波美野里は、最近修の様子がおかしいのに気付き、2人で香菜里屋へ。修は悪名高い「悪魔のリストランテ」に招待されているというのです。
【旅人の真実】…金色のカクテルを求めて都内のバーを巡り歩いている男・広末貴史。彼は行く先々のバーで金色のカクテルを注文し、一口飲んでは暴言を投げつけるのです。
【約束】…香菜里屋は配管工事のために10日ほど休業。久々の休みを取ることになった工藤は、花巻にある「千石」を訪れます。その日千石では待ち合わせをしていたカップルは、10年ぶりの再会でした。

「花の下にて春死なむ」に続く、ビアバー「香菜里屋」のシリーズ第2弾。
今回も美味しそうなメニューがたくさん。度数の違うものが4種類常備されているというビール(なぜビールの描写までがこんなに美味しそうなのでしょう)、工藤特製の揚げ出し豆腐、御衣黄の桜飯、桜リキュールを使った薄緑色のカクテル、金色のカクテル…。どれもそれぞれに印象的でしたが、その中でも松茸の土瓶蒸しが出た時の「土瓶蒸しは季節を終わろうとする鱧と、季節が始まろうとする松茸とがぎりぎりの接点を持つことによってのみ生み出される、奇跡の料理である」という言葉。柴田よしきさんの「ふたたびの虹」を彷彿とさせますね。
そして美味しい料理の陰で、事件や出来事はかなりほろ苦いものが多いです。特に後半。特にラストの「約束」のものすごい論理の組み立てには、恐怖を覚えつつも圧倒されてしまいました。人と人との心のすれ違いから生まれた黒い感情というのは怖いです、本当に…。表題作「桜宵」も、ほのぼのとしたラストになっているのですが、奥底に冷え冷えとしたものを感じてしまいますし、「十五周年」のいたたまれなさ、「犬のお告げ」「旅人の真実」に潜んでいた歪んだ思いなども、ぞっとさせられてしまいます。
今回、バー香月の香月圭吾が初登場。フリーライターの飯島七緒も思わず嫉妬を覚える、この香月と工藤の2人の関係が気になります。「自分は決して入り込むことのできない二人だけの空間」「二人の間に横たわるなんとも温かいもの」…しかし「旅人の真実」のラストでは、そこには温かい友情だけではない何かがあるかもしれないことが示唆されているのですが。(「香」という字の多さには何か意味があるのでしょうか?)


「支那そば館の謎-裏京都ミステリー」光文社(2003年8月読了)★★★

【不動明王の憂鬱】…京都嵐山の大悲閣千光寺の寺男、アルマジロこと有馬次郎は、みやこ新聞の折原けいと一緒に山を歩いている時に、小さな淵に男が浮かんでいるのを見つけます。男の名前は徳光忠夫。指定暴力団の組員で、千手と呼ばれる窃盗用の道具を持っていました。
【異教徒の晩餐】…現代日本を代表する版画画家・乾泰山が殺されます。死体の周囲には、版画に使う馬連が切り開かれて散らばっていたのです。有馬次郎は折原けいに頼まれて、乾家に入り込むことに。
【鮎躍る夜に】…真夏の大悲閣を訪れた女子大生・友原鮎未が京都駅前の京都タワーゴミ置き場から死体で発見されます。殺されたのは大文字送り火の夜。彼女に仄かな思いを抱いていた有馬次郎は…。
【不如意の人】…京都の清和堂大学の秋の学祭で現役ミステリー作家を招くことになり、折原けいに人選が一任されます。既に学祭1ヶ月前。折原はようやく水森堅という作家を確保するのですが…。
【支那そば館の謎】…前回の事件をミステリに仕立て、京都に移住すると宣言したムンちゃんこと水森堅。大悲閣に居ついた彼は見知らぬ外国人に、3年前に京都に留学した青年の行方探しを頼まれます。
【居酒屋十兵衛】…十兵衛でのムンちゃんのツケが20万円にもなると聞き、殺気立つ有馬次郎と折原けい。2人は十兵衛の大将に頼まれて、大将の弟弟子・藤尾誠二の店に偵察に行くことに。

「新世紀『謎』倶楽部」に収められている「鬼子母神の選択肢」に続く、由緒正しい貧乏寺・大悲閣千光寺の寺男・有馬次郎の連作短編集。砕けた雰囲気の表紙そのままに、作品そのものも軽快でコミカル。
有馬次郎は今でこそ寺男ですが、かつては広域窃盗犯という裏の生業を持っていた人物。「僕」モードと「俺」モードが入れ替わるのが面白いですね。そして、寺にトラブルの素を持ち込み、有馬次郎と一緒に行動することになるのが、みやこ新聞文化部の折原けい。有馬次郎の過去に薄々感づいているらしいのは、大悲閣の住職。この住職が物語を締める役割を担っていますね。住職にも人に言えない過去というのがありそう。途中で折原けいが、京都には密かに悪党を退治する秘密組織があり、その元締めが住職なのではないかという冗談を叩きますが、本当にそんな感じです。対して警察側として登場するのは、京都府警の碇屋警部。これがまた日頃から「警部元気で暇がいい」を標榜し実践しているような人物。京都府警に関しては、折原けいにかかるとボロボロ。「無能の集団」だの「税金泥棒」だの、「検挙する犯人の数よりも、不祥事で逮捕される警察官の方が多い」だの、ここまで書いていいのかと思ってしまうほどです。
そして後半、ここにバカミス作家のムンちゃんこと水森堅が登場。このムンちゃんがなんとも情けないキャラクターなのですが、このシリーズにとってはなかなか良い感じですね。「不如意の人」の藍の隠し方も、その後の彼の思考をトレースするというのも、バカミス作家という設定が生かされていて面白かったです。情報収集能力を誇る折原けい、密かな行動力の有馬次郎、叡智の住職という3人では、コミカルなミステリに仕立てるには少々足りない部分があり、かといって碇屋警部では少し弱く、その足りない部分にムンちゃんがぴったりとハマったというところでしょうか。
折原けいと有馬次郎の行き着けの十兵衛という寿司割烹では、季節ごとの美味しい京料理が登場します。「香菜里屋」シリーズに比べると、コミカルな展開の中にあまり目立たない存在になってしまっているような…と思っていたら、最後の「居酒屋十兵衛」では前面に出てきました。
このシリーズはまだまだ続きそうですね。続きも楽しみです。

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