Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、北方謙三さんの本の感想のページです。

line
「ふたたびの、荒野-ブラディ・ドール10」角川文庫(2001年1月読了)★★★★

急速に発展するN市の土地をめぐる抗争が本格化。川中のポルシェが知らない車にいきなりつっこまれたり、川中らがクルーザー・レナIII世で釣りをしているところに爆弾が投げ込まれたりと、川中の身辺に、きな臭いことが続きます。N市を狙っている大物政治家・大河内の手が本格的に伸びてきたのを察した川中と秋山は、N市の買収されようとしている土地をそれぞれ部分的に買うことを相談。立野は秋山に相談して、新しくN市にスーパーを開くための土地を買おうとします。しかし、それによってまたしても多くの人間が死んでいくことに。そして、自ら女性を愛することを禁じていた川中は、大切だと思える女性・明子を見つけるのですが…。

ブラディ・ドールシリーズ第10弾。最終巻でもあります。語り手は再び川中良一。シリーズの最初を最後が川中の語りというのは、形式としてもきれいですね。(でもやっぱり川中の語りは読みにくいのですが。)
最後の語りに川中を持ってくることによって、間の8冊では直接には分からなかった部分がいろいろと見えてきます。坂井が持つ、元は藤木の持ち物だったジッポを見て、川中が「叫びだしたくなる」というのもその1つ。これまではいろいろな出来事がおきても、川中の心中は他人が想像するしかなかったのですよね。しかしそれ以上に、これまでに川中が失ってきたもの、そしてこの巻で失ってしまうもの、それらの大きさを実感させられることになります。北方さんによると、このシリーズのテーマは「喪失」。登場人物は皆それぞれ何かを失っているのですが、その中でも川中はなくしたものが多すぎます…。ブラディ・ドールに出入りする男たちは、大切なものを守るために命まで賭けることができる男たちで、安見の言う通り「馬鹿な男ばっかり」。だから死んでいく時は、誰かや何かを守ろうという行動の上でのこと。しかし宿敵は倒しても、死んだ人間はもう戻ってこないのです。時には残されるよりも死んだ方が楽だったと思ってしまうこともあると思うのですが、でも生き残ってしまった人間はやっぱりしっかりと生きていて、これからも生きていかないといけないのですね。


「三国志 一の巻-天狼の星」ハルキ文庫(2003年1月再読)★★★★★

後漢末期の中国。帝の力が完全に衰え、黄巾賊が全国で蜂起してた頃。劉備は商人である張世平に頼まれて賊から馬を取り戻そうとしている時に、関羽と張飛という2人の男に出会います。筵売りとして生きてきたはずの劉備のあまりの鮮やかな手腕に惚れ込んだ関羽と張飛は、義兄弟の杯を交わし、いつまでも劉備についていくという誓いを立てることに。3人はわずか50人ほどの手勢を率いて義勇兵として立ち、曹操や孫堅ら、覇業を志す者たちと出会います。しかし手柄をたてたにも関わらず、中山国安喜県の県尉という官しか与えられなかった劉備は、しばらくその役を務めた後出奔。一方、病を理由に官位を蹴り故郷へと帰った曹操、宦官に金をばら撒き、うまく立ち回って別部司馬を、その後長沙太守を任じられた孫堅と、英雄たちはそれぞれの道を歩き出します。そんな時、霊帝が崩御。薫太后が自殺し、可進が宮中で殺され、宦官の大虐殺が。そして涼州から出てきた薫卓が皇子・弁を擁して一早く洛陽入りし、薫卓の専制政治が始まります。

基本的には劉備が中心として描かれているのですが、場面によってそれぞれの人物の視点に入れ替わるのがいいですね。劉備、関羽、張飛はもちろん、曹操や孫堅、ほかの人物の持っている世界観もよく分かりますし、1人の人物を多角的に見ることにより一層深く理解できます。次々に移り変わる視点は多少めまぐるしくはあるものの、物語全体を掴みやすいのではないでしょうか。「登場人物全員が、それぞれ自分の人生においては主役である」ということを基本に書かれているという印象です。三国志演義では悪役とされている曹操や呂布すら、1人の英雄として描かれています。特にこの呂布の描かれ方には驚きました。今まで残虐で粗野な乱暴者という印象しかなかったのですが、この作品ではとても純粋で男気があり、戦うこと体を動かすことがひたすら好きな人物として描かれています。今までの短所が見事に長所に変じていますね。糟糠の妻への想いも、赤兎との繋がりも胸を打つもの。美女・貂蝉は登場しません。この呂布は、きっと人気が出ることでしょうね。しかし三国志で誰が好きかと尋ねられて呂布と答える人は、誤解を受けそうな気がしますが…。(笑)
さらに、怒ると見境なくキレる劉備というのもとても意外でした。劉備と言えば、どこまでも徳の高い人物のように描かれているのが普通だと思っていたので、このような人間らしさがとても新鮮。そして、そんなキレそうになった劉備を止めに入るのは、関羽と張飛。劉備の代わりに外に向かってキレて見せるのは張飛の役目です。これも意外ですね。張飛は当然のように、淡々とその役割をこなしています。そのような役割を担うことによって、今までの「恐ろしく強いけれど、血気に走った乱暴者」というイメージが払拭され、いかにも味わいのある男として生まれ変わっているようです。しかしその演技の結果、世間的には劉備が徳のある人物に映るということには変わりないわけで… 北方さん、上手いですね。感情の起伏が激しく、頑固でわがまま、しかし関羽と張飛が惚れこむ器の大きさは持っている劉備。人一倍悩んだり苦しんだりしながら大きくなっていきそうな、人間くさい劉備のこれからが楽しみです。尚、物語の中には、所謂「桃園の誓い」は登場しません。義兄弟の誓いは、劉備の家の中で行われます。


「三国志 二の巻-参旗の星」ハルキ文庫(2003年1月再読)★★★★★

漢の都・洛陽は焼く尽くされ、董卓は帝を連れて長安へと遷都。その暴虐ぶりは一層ひどくなります。王允が持つ密勅を奪い取るように、自ら董卓を討つ呂布。しかし妻・瑶のために討ったにも関わらず、董卓を追うように妻は亡くなり、呂布は結局麾下の500騎を連れ、王允が治めるようになった長安を抜け出すことに。その頃曹操は、鮑信の要請に応え、100万をも越えた青州黄巾軍に向かっていました。2万の手勢に劉岱の残兵をかき集め、自ら先頭に立って夜も昼も執拗に攻め立てる曹操。そして遂に僅か3万の兵で黄巾軍を下すまでに。孫堅は流れ矢に当たって戦死、長男・孫策がその跡を継ぎます。劉備は徐州、予州の賊徒平定で軍功を立て、私心のない徳の将軍として名を知られつつありました。孫策は父・孫堅が発見した伝国の玉璽を渡して袁術から独立。

曹操の動きが一番大きく感じられる2巻。
1巻の時から登場していた曹操の間者「五鈷の者」。石岐を頭に5人ずつ5組となって動く集団で、その報酬は、曹操が天下を取ったのちに各郡に1つずつ浮屠(仏教)のための建物を建てて欲しいということ。日頃宗教を嫌っている曹操と、この五鈷の者たちの関係が面白いですね。石岐は、曹操が宗教嫌いだからこそ、1つの宗教にはまりこんでいく危険がなくていいと言います。浮屠という宗教は、他の宗教の存在も認め、ただ心の平安のみを得ようとする宗教なのです。曹操が太平道や五斗米道といった他の宗教と手を結んでも、石岐にとっては問題ではありません。それに対し、宗教に関しては理解不能といった態度の曹操。これがまた曹操という人物像によく似合っていますね。そしてこの2巻では、「信仰は心の中のものだ。教義を振りかざし、徒党を組み、戦をなすならば、それは許さん。(中略)帰農して、日々の生活の中で、心穏やかに信仰の心を全うするかぎり、邪魔はせぬ」という考えを改めて示しています。
袁紹を見限って曹操の元へやって来た荀ケが、とてもいい味を出しています。文官の荀ケですが、曹操の与えた数々の難題を命がけでこなし、武官以上に男ぶりを上げています。そんな彼と対照的なのは、劉岱の遺臣であった陳宮。彼に関しては、あまりいいところがありません。曹操は陳宮の能力を認めてはいるのですが、なんとなく織田信長にとっての明智光秀のようなイメージ。しかし実際には、陳宮が曹操を見限った理由が、曹操は「万能の王たらんと望んでいる」ためというのがまた面白いですね。
ただ、呂布は結局王允に利用されたかのように董卓を討つのですが、王允に関してはどうなのでしょう。呂布側から見ていると、董卓を討つまでの流れはとても自然なのですが、王允側に関しては少々ひっかかりを感じます。それまで足繁く通ってきていたのが、急に使者をよこすようになる場面など、一言王允の言い訳が入っていれば、簡単に納得できたと思うのですが。


「三国志 三の巻-玄戈の星」ハルキ文庫(2003年1月再読)★★★★★

曹操は許昌に帝を迎えます。名前も許都と変え、洛陽や長安と比べても遜色のない都を作り上げるのですが、曹操にとっての許都とはあくまでも覇業のための軍都。一応帝を立ててはいるものの、曹操にとって帝というのは不必要な存在なのです。自ら袁王室を作ろうとしている袁紹は、大将軍の地位だけは受けるものの、実際には見向きもせず、じわじわと公孫さん(王+贊)を締め上げていきます。袁術は自分の一人息子と呂布の娘との縁談を進めようとするのですが、現在呂布の支配下にある劉備を攻め落とそうとしたことが原因で破談。劉備は徐州を呂布に譲ったばかりか、結果的には張飛を用いて小沛の城をも捨て、一時的に曹操を頼り客将となる道を選ぶことに。徐州に入った呂布は、陳宮と組んでさらに力をつけ、15万の袁術軍を、なんと5万の軍勢で退けます。そして曹操と呂布が正面切って戦いの火蓋を切る日が。

呂布がとにかくカッコイイ3巻。希代の戦上手という面が前面に出ており、進軍してきた袁術軍と劉備軍を戦わせないために、200歩離れた場所から戟を射ってみせる場面など圧巻です。呂布麾下の騎馬隊が、圧倒的な数を誇る袁術軍を破る場面もいいですし、麋竺とのやり取りや赤兎とのシーンも最高。
そして呂布の亡くなった最初の妻・瑶の存在を感じつつも、何も言わずに呂布に従う李姫もいいですね。李姫が呂布と劉備を比べて「私は、殿も優しい方だと思うのですが」と言い、出陣前に赤い布を巻こうとする場面など、李姫の心情がしみじみと伝わってきます。しかしこの李姫、陳宮の徐州一の美女を捜したという説明はありますが、呂布自身が李姫の美貌をさほどにも思っていないせいもあり、なかなか実体が掴めないのです。そんなところで、北方さんは劉備の目を通して「あれほどの女、そうは見つかるまい。しかし、呂布は溺れてはいない。少なくとも李姫の言葉に惑わされるということは、まずあるまいな」と言わせています。さすがに上手いです。
そしてこの巻の最後では、孫策と周瑜の嫁取りのエピソードが。これはなんとも微笑ましくていいですね。2人はお忍びで街に出た時に美貌の姉妹・大喬と小喬を見初めるのですが、自分たちの名前を出すと大抵のことが叶えられることを知っているため、身分を隠して2人をさらいます。いかにも北方さん好みのエピソードという感じ。しかしこのエピソードのおかげで、今まで脇役に甘んじていた孫策と周瑜の好感度が急激アップ。小覇王と呼ばれる孫策自身、そして同い年という孫策と周瑜の関係にもとても似合っています。
並び立っていた群雄それぞれの器量も見えてきました。徐々に絞られてきたという感じです。


「三国志 四の巻-列肆の星」ハルキ文庫(2003年1月再読)★★★★★

とうとう呂布を倒すことに成功した曹操。劉備は客将として許都への滞在を余儀なくされます。何か特別な意図があるかのように、帝に対して不敬な行動を繰り返す曹操と、そんな曹操とは対照的に帝の信任がどんどん篤くなる劉備。劉備は帝に「劉皇叔」とまで呼ばれるようになり、そんな立場に却って周囲が警戒感を高めます。そんな時に訪れた、曹操と袁術との決戦。劉備は曹操の武将2人を連れて討って出ます。しかし袁術の突然の死によって勝敗はあっけなく決まり、それを機に劉備は曹操から離反。しかし劉備軍は、思いもかけず自ら出陣してきた曹操の精鋭軍に敗れ、関羽は劉備の夫人2人を連れて曹操の元に下ることに。劉備は袁紹の元へ。一方、孫策と周瑜は父の仇を討つべく江夏を攻めます。そして袁紹と曹操の官渡の戦いが。関羽は顔良の首を上げるという手柄を立て、曹操軍を去ります。

またしても惜しい人物が逝ってしまいました。孫策と周瑜というのはかなり好きな人物なので、史実とは言え、孫策亡くなってしまったのがとても残念。しかし孫策にしても、その父・孫堅にしても、孫家の面々はこれまでの流れにおいて、あまり重点をおいて描いてもらっていないような気がするのですが… 気のせいでしょうか。毎回、巻の最後の方でちょっぴり登場するだけのような気がします。曹操や劉備の動きに比べると、確実に劣るような。それだけの目立つ功績がないのだと言われればそれまでなのですが。…しかしそれでも、暗殺されるとはいえ、孫策の死に際の描写はなかなか鮮やか。跡を継いだ孫権と周瑜のやり方も水際立っていますね。
そしてこの巻では、張飛がいい味を出しています。15歳の従者・王安をしごき上げている場面など、深いものを感じます。ただの暴れ者ではなく、豪放磊落でありながらも、濃やかな心を持っている武将。「おまえの主人は、おまえが憎くて、こんなにきつい調練を押してつけているのではないぞ。むしろ、おまえを死なせたくないから、やっているのだ。それを言葉で表せないのが、張飛という男だ」と、趙雲に言わせているのがまたいいですね。見せかけのその場だけの優しさが、決してその人のためになるわけではない、というのは他のことにも通じるもの。逆に劉備や関羽、趙雲が分かってくれているからこそ、張飛も損な役回りを損とは思わずにこなすことができるのでしょう。理解してくれる主人や友を得たというのが、張飛の一番の強みかもしれませんね。そして曹操に下ることになった関羽の手柄は、あまりにも鮮やかです。曹操の「執金吾の仕事を、一日遅れで遂行せよ」という言葉がぐっときます。


「三国志 五の巻-八魁の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

官渡の戦いを制した曹操は、続く戦いで奇策を用いて袁紹の首を取るまでに迫ります。結局首をとられることはないものの、血を吐いて倒れる袁紹。そして訪れる死。袁紹が後継者をはっきりと決めておかなかったため、血の守りは血の争いに転じ、結局袁家は自滅することに。曹操はそれをじっくりと見極めながら、最終的には河北四州の制圧に乗り出します。劉備は劉表の元に身を寄せ、曹操とははっきりと敵対。孫策暗殺後、周瑜は孫権を助けて水軍を固め、江夏を攻める決意を固めます。流浪の旅を続けて各地の武将を見続けている徐庶は、劉表の幕閣である伊籍の紹介で劉備に会うことに。劉備と曹操の戦いで八門金鎖の陣を見破り、それを破るための秘策を劉備に授けたことから、曹操にもその存在が知れることになります。

漢王朝における名門中の名門の出身の袁紹は、30万の大軍を擁する最大勢力。腹違いの弟・袁術と組んでいれば、どれほど大きな勢力になっていたか分からないほどなのですが、その袁術も袁紹も逝ってしまいました。袁紹というのは名門出身ならではの傲慢な人物で、私は最初から好きではなかったのですが、しかし彼が名門の出身である自分のことを誇りに思い、宦官の家の出身である曹操を一段低く見てしまうというのは、この時代ではごく当たり前のことなんですよね。それは決して袁紹のせいではないはず。袁紹の家に生まれていれば、当然の反応と言えることなのですから。そういう点でも、この三国志では袁紹にとっての正義も貫かれているのだと感じます。すなわち、登場人物全員がそれぞれの人生においての主役であるということ。しかし曹操がここまで奮起することができたのも、一部には宦官の子孫というマイナスポイントのおかげもあるのですから、これは皮肉なものです。5巻最初の曹操と袁紹のせめぎ合いは、官渡の戦いに続く大きな見所ですね。他の戦闘シーンもそうなのですが、このシーンには特に臨場感を感じます。程cの献策である十面埋伏の計があまり見事に決まってしまい、嫌いなはずの袁紹も少々気の毒になってしまうほど。その程cに関しては、それまで蟄居を命じられていた本当の理由などが明らかになります。この展開もとても自然。
あとは小さいのですが、張飛と張衛のやり取りもいいですね。この張衛という人物はなかなか興味深いです。
そして成玄固。彼もいい味を出していますね。赤兎のその後も。曹操が羨ましくなるのも当然です。しかしこの成玄固という人物は、北方さんの作り出した人物なのでしょうか。呂布の赤兎を始め、曹操の絶影、張飛の招揺など、馬の描写にかなりの重点が置かれているところがまた、三国志の土台の一端を担っているようでいいですね。


「三国志 六の巻-陣車の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

河北四州を制した曹操は抜き打ちで河北の諸城を回り、その甲斐もあって河北も徐々に落ち着いていきます。劉備と引き離された徐庶は、母を人質に取られていることもあり、曹操に仕官することに。孫権が調練に力を注いでいる間、周瑜は海上輸送を重視して揚州内に水路を完備。孫権はとうとう黄祖を討伐し、父の無念を晴らします。劉備は徐庶と司馬徽から聞いた臥竜・諸葛亮と会い、三顧の礼をもって軍師として迎えることになり、これによって劉備軍は軍師を得ることに。曹操の軍勢はいよいよ南に向かって進軍を始め、荊州に攻め込みます。そして長坂橋の戦いへと突入。諸葛亮の智謀が冴え、趙雲の獅子奮迅の活躍が。劉備は孫権の元へと向かいます。

この巻では、関羽の目を通して色々な物事が描かれています。まず、関羽から見た劉備と曹操の違い。曹操を「ただ、劉備のように、茫洋とした深さはなかった。包み込んでくる眼ざしではなく、すべてを見通している、という眼に耐えなければならない」と言い表した言葉に、「能有る鷹は爪を隠す」の劉備と、爪を丸出しにしている曹操の違いが出ているようです。しかし人使いの天才だと言われている曹操のこと、やはりそれが大きな武器でもあるのでしょう。この曹操と劉備の違いは、後に徐庶と曹操のやりとりによって再び繰り返されます。数え切れないほどの友に恵まれている劉備と、「人には服従する者と逆らう者。この二種類しかいないと思っている」曹操と。曹操は日頃から劉備が豪傑に恵まれていることを羨ましがっていますが、やはりその違いは、曹操自身が1人の英傑だったということが大きかったのでしょうね。同じように武将を使いこなしていても、その姿勢はまるで違うように感じます。劉備は曹操のように君臨する存在ではなく、やはり兄のような身近な親しみやすい存在です。
そしてこの巻では、とうとう諸葛亮が登場します。志を語った劉備に対して、「さすがに、徳の将軍として名の高い、劉備殿のお言葉らしく、立派なものでした。お心の底まで、よく語っていただいた、と思います。しかし、誰もが語ることでもあります」と返す諸葛亮がすごいですね。結局、最終的には劉備の元につくことを決める諸葛亮ですが、しかしここでの描かれ方では、劉備の志に感動したとか、劉備自身の魅力に打たれたというようには見えません。もちろんそういうのもあるのでしょうが、単に何かきっかけが欲しかっただけのようにも見えます。自分はこのまま終わっていいのかという思いがやはり強かったのでしょうか。まだまだ若さを見せていますし、人間らしい姿ですね。さらに諸葛亮と10歳の童・陳礼のやりとりにも、実はなかなか深いものがあります。しかし劉備軍に加わっていきなり自分も戦闘に加わる諸葛亮の姿には驚かされてしまいました。
しかしこの巻では王安が…。その後の張飛の哀しみが伝わってきます。
諸勢力はまだあるものの、すっかり曹操・劉備・孫権の三つ巴となってきました。


「三国志 七の巻-諸王の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

劉備に従うことになった諸葛亮は、揚州との同盟を図るために孫権の元へと向かいます。劉備軍は10万もの民衆を従えて揚州へ。その頃曹操は、劉備を追って荊州を取り、荊州水軍もほぼ全て手中に収め、およそ30万の軍へと膨れ上がっていました。周瑜はとうとう孫権自身や大将たちを立たせることに成功し、揚州も全面的に戦さへと。周瑜の策により、曹操と直接対峙するのは、わずか3万ほどの軍。しかし一瞬の自然の利を掴んだ周瑜に軍配が上がり、曹操は完敗。全面退却を強いられることに。張飛と趙雲がその後を追撃します。一方西域では、馬超が敦煌を襲った賊を追い、その賊が連れていた袁術の娘・袁りん(糸+林)を拾います。袁りんは、なんと父から譲られた伝国の玉璽を持っていたのです。

いよいよ赤壁の戦い。この巻での主役は周瑜。やはり孫権よりも、周瑜の方が遥かに格上でした。相手が孫策なら、周瑜とも良い組み合わせですが、孫権はやはりなんとも小粒ですね。魯粛が諸葛亮を見て、「まだ若い。孫権と同じぐらいの年齢だろうか。しかし、圧倒してくるような気配を、全身に漲らせていた。孫権に、それはない。周瑜に感じるものに似ていた。」と感じているところにも、周瑜と孫権の格の違いが仄めかされています。この周瑜が孫権の会議に登場し、一気に戦へと傾かせていく場面など、ものすごくかっこいいのです。
周瑜と諸葛亮、この2人の邂逅はまさに運命的。2人のやり取りは緊迫感たっぷりです。「しかし、北風が強い」、文字にすればただ単にこれだけの諸葛亮の言葉に、戦慄に似たものを覚える周瑜。お互いに非凡な2人だからこそ、相手の非凡さも痛いほど分かるといったところでしょうか。周瑜の不幸は、やはり孫策という生涯の友を早くに亡くしてしまったということですね。劉備は後に、諸葛亮に「周瑜公瑾という男を、わかる者が揚州にはおらぬ。孫権でさえ、分かっていないと思う。魯粛と張昭。考え方の違うこの2人だけが、ほんとうに周瑜という男がなにか、分かっているのだと思う」と語った後で、「非凡だということは、孤独だということだ。私の貴下に加わってくれたおまえに、孤独な生涯をおくらせたくはない。凡人を理解できる非凡さを、おまえは持つことができるはずだ。それを、心せよ」と語っています。そして周瑜もまた、孫策のことを思い出して、「天才なるがゆえに、孤独でもありました」と言うのが意味深長。
そして迎える戦いの場面。一瞬の自然の利を生かした戦いぶりは、結末が分かってはいてもやはりお見事。
曹操は30万という軍勢が逆に足手まといになったという印象です。やはり曹操らしくない戦いをしたというのが一番の敗因でしょう。黄巾軍を倒した時も袁紹を倒した時も、数では圧倒的に不利だったところからの勝利でした。一の巻での負けると分かっていての潔い負けっぷりならまだしも、これは完敗としか言い様がありません。ただ、三国志の中の戦の形態の変化も見ることができますね。最初の頃のひたすら力で押す戦から、智謀戦への変化が、ここで明らかに認知されたような気がします。


「三国志 八の巻-水府の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

赤壁の戦いによって、劉備は荊州を手に入れることに。孫権の妹が劉備の元に輿入れし、同盟はさらに強化されます。しかし赤壁の戦いで一番の功績のあった周瑜は、益州に侵攻するも病に冒され無念の死を迎えることに。劉備の元に、鳳雛と言われていたもう1人の軍師・ほう(ヤマイダレ+龍)統が加わります。そして劉備を訪ねて、益州からは劉璋の重臣である張昭が。張昭は劉璋側の人間でありながら、劉備に益州の劉璋を攻めて欲しいというのです。一方、馬超が長安を越え、東に侵攻してきます。曹操は帝の名を利用して曹操への反逆を企てたと、都にいる馬超の父・馬騰やその一族の首を刎ねて迎撃。曹操は冀州10郡をして魏の国を建て、自ら王を名乗ることに。

七の巻から引き続き周瑜が中心。しかしこの巻で、とうとう周瑜が散ることになります。享年36歳。
赤壁の戦いに敗れた曹操の述懐。「青州黄巾軍百万と対峙していた時、私はその戦ではなく、さらにその先にあるものを、常に見ていたという気がする。赤壁では、周瑜は三万だった。私は三十万の正規軍だ。これは老若とり混ぜた青州黄巾軍百万より、戦力としては勝るだろう。しかし私はその場の戦のことを考え、周瑜はあの戦の先にあるものを考えていた」やはりこれが気迫というものでしょうか。そして曹操は周瑜の死を悼みます。「この国は、惜しい男を失ったのだ」というところに、曹操の人間としての深さを感じますし、こういう部分が曹操の好ましい部分でもありますね。また、周瑜の他にも伊籍を始めとする何人かの惜しい人物が亡くなる巻です。荀ケも毒を呷って自殺。荀ケの思想の根本的な部分は劉備とかなり共通点があり、劉備の元についていればもっと長く生きられたと思うのですが、これも乱世だということでしょう。そもそも曹操についたからこそ、ここまで名を挙げたとも言えます。そして鳳雛・ほう統のあまりにあっけない死。これは痛いです。
そしてこの巻では、馬超の存在に目を惹かれます。1人でいることを好み、山や砂漠、荒野で木と語らっては切り倒し、自ら剣の技を磨いた男。戦闘ではあくまでも獰猛、それでいて飲み食いするその姿には不思議な気品を漂わせる男。約束したことは決して破らない男。まるで砂漠を自由に吹き渡る風のように、飄々とした魅力を感じます。砂漠でも目立つように派手な具足を身に着けて馬を颯爽と乗りこなしている姿が目に浮かぶよう。初めて会った兵の言うことを信用し、自ら城に潜り込み、内側から揺さぶるなどなかなかできることではありません。この潔さはいいですねえ。そして彼の連れている袁りん(糸+林)がこの後どのように物語に絡んでくるのかがとても楽しみです。
しかし劉備がいつの間にやら房中術を会得していたとは驚きました…。ほんの一時とはいえ、妻となった孫権の妹は、その後どうなるのでしょう。乱世とはいえ、あまりに気の毒。


「三国志 九の巻-水府の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

曹操に敗れた馬超は、五斗米道の支配する漢中の張衛の元へ。張衛の兄で五斗米道の教祖である張魯が、馬超が漢中に留まるために出された条件は、劉璋の首を持ってくること。劉璋の城へと向かった馬超は、そこで出会った張飛と一騎打ちをした上で、劉備の麾下に加わることになります。劉備は益州を制圧。しかし荊州にいる関羽の元には、孫権からの再三の荊州返還要求が。劉備は荊州東部だけを返還することを決め、同盟は細々と維持されます。曹操は50万の軍勢を率いて漢中へ侵攻、しかし劉備や諸葛亮の迎撃になす術もなく撤退。五斗米道の教祖・張魯は曹操に降伏。しかし五斗米道から離れた張衛を助けて、馬超が活躍します。

馬超、やはりいいですね。張飛と一騎打ちをしても互角で、張飛にも呂布以来の強さだと言われています。目の色が暗く、張飛が「絶望の剣」「悲しみの剣」と形容する剣の使い手ですが、親や一族が殺されたことに関しては、どこか一歩引いた位置にいるような気がします。確かに腹が立ち、悲しくはあっても、どこかに諦観が漂っているよう。肉親との情の繋がりも、元々それほど濃いものではなさそうですね。このような面も、やはり呂布を思わせます。しかし呂布より、もう一歩厭世観が進んでいるという印象です。呂布は、最期まで戦うことが好きでしたが、馬超は全てにおいて倦んでいるように見えますね。しかし、「死ぬまで」の言葉で、誰が死ぬまでの話だと明言していなかったというのが、なんとも大きな落とし穴となっています。私から見ても、馬超は「死ぬまで裏切らない」人間には見えても、「死ぬまで忠誠を誓う」タイプには見えません。諸葛亮でなくても、「死ぬまで」という言葉を聞いた劉備本人ですら、いつまで劉備軍にいてくれるのかは不安なはず。
そしてこの巻では、とうとう関羽の死が。曹操の離間の計の策略によって孫権が荊州に出兵した結果なのですが、荊州を欲しがったのは孫権自身。人間いつかは死ぬのが当然ではあっても、この死に様は浮かばれないでしょう。孫権の堅実さは、うらを返せばここまで器の小さいものだったのかという印象。しかしこの巻では最初から関羽の露出度が大きく、息子の行く末を張飛に頼んだり、劉備や張飛が関羽1人に責任を押し付けていることを心配していたりと、どこかクライマックスに近づいているぞという雰囲気だったので、舞台装置が出来すぎていたという感じもありますが。ただやはり、ほう(ヤマイダレ+龍)統でなくても、誰か関羽の軍師となる人物さえいればという思いは募ります。
それにしても司馬懿が有能なのは分かりますが、曹丕と司馬懿というのはなんともイヤな組み合わせですね。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.