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このページは、北方謙三さんの本の感想のページです。

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「三国志 十の巻-帝座の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

関羽が死んだことにより、劉備軍は大きな衝撃を受けます。自らを深く責める孔明。関羽の敵討ちを誓い、激しい調練を繰り返す劉備と張飛。そして孔明はまた新しい戦略を考え始めます。その中で、弟である麋芳の裏切りを知った麋竺は血を吐いて憤死、黄忠や簡雍といった面々も死を迎えます。そして、最期の決戦に相応しくない姦計を使い、関羽のような英雄を殺したことに自責の念を覚えていた曹操もまた、病に倒れ死亡。跡継ぎとなった曹丕は、司馬懿と共に着々と次期政権の土台を固めます。天下にはほとんど関心を示さないものの、長江にだけは拘る孫権。張昭は孫権の許しを得て至死軍を使い、張飛の身の回りを狙います。

関羽に続き、張飛もまた逝きます。汚い手段ばかり取る孫権・張昭許すまじ。この2人は本当に器の小さい男に描かれていますね。周瑜が死んでからの呉にはまるで惹かれる部分がありません。
薫香を失った張飛を見て、内側から崩れてきていると感じた劉備。やはり薫香を狙ったというのは、卑怯ながらもあまりにも的を得たやり方ですね。薫香の死がなければ、張飛の暗殺も成功するはずもなかったはずですし…。しかし暗殺がようやく成功して喜ぶ気持ちは分かりますが、「やったぞ」という叫びが、あまりにも空しく感じられます。それ以前に、張飛は既に勝負を投げていたのですから。それどころか、これでようやく死ねるという安堵を体中で感じていたのですから。もしかしたら、張飛はその姿を見た時から、こうなることを望んでいたのかもしれないですね。しかしそれでも、自ら来ずにはいられなかったのだろうということも分かります。そこにもまた、後に残された者の哀しみが見えますね。そしてそんな暗殺者の哀しみを感じ取る張飛。最期まで懐の深い優しさを感じさせてくれます。
それにしても、次から次へと人が入れ替わっていきます。1巻から活躍していた人間というのも、本当に少なくなってしまいました。世代交代の時期だということは分かっていても、思いもかけない人物が思いもかけないほど年をとった姿を見せられると、やはり淋しいものです。それにやはり先に死ぬ者よりも、残された者の方が、いつだって辛いものですね。


「三国志 十一の巻-鬼宿の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

関羽に続いて張飛も倒れ、弟たちの敵を討つべく、劉備は自ら軍を率いて呉へ出陣します。先鋒は張飛軍を率いる陳礼。しかし初めこそ破竹の勢いで進軍するものの、呉の陸遜の忍耐を持った計略に、劉備軍は結局惨敗することに。蜀に戻った劉備は病に伏せます。劉備が呉と戦っている頃、馬超は病死したということにして劉備軍を出奔、袁りん(糸+林)や昔からの麾下44名を連れて山の中の羌族の元へと去っていました。劉備は、自分の死後、諸葛亮が劉禅を補佐して国を守り、しかし劉禅にその器量がなかった時は諸葛亮自身に帝になれと言い残して亡くなります。

孫権・張昭は相変わらずなのですが、陸遜のこの戦いぶりは、やはり周瑜のやり方を直接見て育っただけのことはありますね。まるで周瑜を彷彿とさせるような見事な戦略です。同じ「策に嵌める」でも、孫権や張昭が関羽に対してとったのような、卑劣な「策」とは全く違い、こう来られては文句のつけようがありません。しかし赤壁でもそうでしたが、戦を武将に一旦任せたら自分はもう一切何も口を出さないという、孫権のこの態度だけは高く評価できますね。張昭に手の汚れる仕事を任せて自分は王者然としている孫権の姿は腹立たしいのですが…。しかし呉の強みは、やはりこの張昭が長生きをしたということでしょうか。そして血気に走った若い武将たちを抑える、韓当の年輪の渋みもさすが。
そして曹丕と司馬懿の組み合わせが何故ここまでイヤな感じにハマるのか、ここにきてその正体がようやく分かりました。曹丕の陰湿な部分を、司馬懿が代わりに実行しているという陰湿さも当然大きいのですが、実はそれだけではなく、サディスティックな曹丕とマゾヒスティックな司馬懿という組み合わせだったからなのですね。お互いの欠けている部分を、あまりに見事に補い合う関係。魏のその後の歴史を大きく左右することになる司馬懿がこのような性癖の持ち主だったとは、北方さんもなんと大胆なことを。(笑)
そして曹操の死以来、しばらく諸国を漫遊すると言っていた爰京が再登場し、今度は劉備に鍼をうつことに。このめぐり合わせはなかなか面白いですね。あくまでも劉備を慕いながらも敵にも馬を売る洪紀や成玄固のように、彼もまた国境を気にせずに動き、有る意味国同士の諍いなどは超越した存在となっています。戦いだけではない、このような脇役の人物がしっかりと描かれているのが興味深いです。地味ながらも簡雍や伊籍の存在感もなかなか大きなものでしたし。


「三国志 十二の巻-霹靂の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

劉備が死んで1年。諸葛亮は劉備の遺言どおり呉との同盟を進め、自ら南中を平定させるべく2万を率いて南征。南中で人望があり、1番大きな反乱勢力でもある孟獲を、諸葛亮は6度捕らえ6度放ち、7度目に捕らえた時に心服させることに成功します。曹丕は30万を率いて広陵を攻めるも、長江に沿って築かれた長大な城を見ただけで撤退。しかしそれは板やすだれなどを使って城に見せかけただけの偽城でした。憤懣やるかたない曹丕は、秋になって再度兵を出すものの、病を得て撤退。そしてそのまま急死します。跡を継ぐのは息子の曹叡。諸葛亮はその機を見て、蜀は大掛かりな北伐へと出陣することに。

泣いて馬謖を切るの巻。街亭の戦い。私にとっては、読むのが非常に辛い巻でもあります。諸葛亮に我が子のように目をかけられ、期待され、自らも優れた物を持っているという自負があったにも関わらず、軍人としての基本中の基本を分かっていなかった馬謖。この馬謖のために、蜀は長年の野望を完成させることができませんでした…。こういう小賢しい人物は、読んでいるだけでも本当にむかつきます。日頃周到に隠しているようでも、こんな所に驕りたかぶりというのは出てくるもの。首を刎ねられる馬謖はそれで気が済むかもしれませんが、諸葛亮の気持ちを考えるとあまりにも無念。死んで詫びれば済むというものではないのです。やはり関羽や張飛という歴戦の武将を失ってしまったことが、ここにきて非常に大きいですね。その時代から鍛え上げられていさえすれば、あるいはその作戦の時に関羽なり張飛なりがいれば、自分の分を弁えることを知っていたでしょうに…。諸葛亮があまりにも気の毒。やはりそういう星の元に生まれてきたのでしょうか。既に1800年も前に決定してしまった史実は変えられないとはいえ、この壮大な作戦がもし成功していたら、ということを考えずにはいられません。しかもこの巻の最後で趙雲が逝ってしまい、一層無念さが募ります。


「三国志 十三の巻-極北の星」ハルキ文庫(2003年1月読了)★★★★★

曹真の大将軍としての威信をかけて、魏は漢中へと出陣。曹操ですら、50万を率いて結局撤退せざるを得なかった漢中。司馬懿は副将に任命され、30万でどのように諸葛亮と当たるべきか考え始めます。しかし夏侯覇率いる先鋒が敗退した後、激しい雨のために戦は停滞。結局長雨のために両軍共に撤退することに。そして帰還後、曹真は病死。司馬懿は大将軍として任命されます。そして諸葛亮は、またしても魏への侵攻を決め、大軍を率いて攻め上ります。迎え撃つ司馬懿は、ひたすら堅く陣を組むことに。

北方三国志最終巻。前巻からの諸葛亮の運のなさが、ここに来ても響いていますね。もう少しの運があれば、歴史は今頃まるで変わっていたのかもしれませんが… しかしそれも仕方のないことなのでしょうね。司馬懿にも「諸葛亮に唯一欠けているもの。それが、天運であるような気が、私はしています」と言われてしまっています。その司馬懿の戦いぶりは、常に「勝とうとするより、負けないようにしろ」。それがまた諸葛亮の星を実際よりも低くしてしまっています。諸葛亮ほどではないにせよ、司馬懿というのもやはり侮れない人物です。
しかし諸葛亮がなぜここまで魏延を好きになれないのか、それだけは最後までよく分かりませんでした。第一印象で決定してしまった好悪の感情は、もうどうしようもないということなのでしょうか。魏延というのも、なかなか骨のある人物だと思うのですが…。自分のやるべきことを心得ており、実績に裏付けられたはっきりとした物言いをする男。しかし最後まで魏延に対して嫌悪感を隠し切れない諸葛亮の姿は、あくまでも人間としての弱さを露呈し、決して神ではなかったということなのでしょうね。
様々な人物の視線から描かれてきたこの「三国志」ですが、この最後の巻は、やはり諸葛亮が主役でした。そして司馬懿。しかしそこに馬超と袁りん(糸+林)のいる羌族の集落の話を織り交ぜることで、緩急の効いた展開となっています。この馬超の部分が本当にいいですね。馬超が2千人の賊徒を谷に吊るして以来、山では平和な生活が続いており、この巻では爰京が馬超の息子・駿白を連れて長安や成都を見せて回る旅に出ています。このような超大作の最終巻ともなると、その終わらせ方も難しいのではないかと思いますが、しかし馬超の息子や爰京といった少々意外な人物が最後まで残って物語をしめてくれました。なかなか余韻の残る良いエンディングだったと思います。満足です。


「三国志読本」ハルキ文庫(2003年2月読了)★★★★

全13巻で完結した「北方三国志」をより深く味わうための解説書。三国志を書くきっかけや、この作品を通して書きたかったこと、武将への思いいれなどを語った北方氏のインタビューをはじめとして、三国時代の行政区分、役職や給与体系、戦い方の変遷、武器武具、そして食文化についてなどの解説があり、人物辞典、単行本の方にあった新聞形式のダイジェスト版「三国志通信」などもまとめて収録されています。

三国時代の事柄について、なかなか細かい解説があるのが興味深いですね。本を読んでいるだけではなかなか分からなかった細かい事柄も、ここに全て載っていました。しかも人名辞典は、北方三国志にしか登場しないオリジナルの人物も載っているので要注意なのですが、詳しい説明と共に本文中の抜粋があるので、本編のストーリーをもう一度なぞらえることができます。しかしインタビューを見ていると、北方さんの好みがあまりにもはっきりしすぎているのに笑えますね。本編を読めば、贔屓にしている武将や、あまり好きではない(であろう)武将などが一目瞭然なのですが、ここで再認識をしてしまいました。やはり呉はお好きではなかったのですね。劉備も好きではないようですし… 曹操はお好きなようですが、しかし司馬懿とサドマゾ関係だと作者自ら言ってしまうとは。そして三国志にご自分の学生運動の経験を重ねていたというのには驚きました。しかし「三国志通信」は、期待したほど面白くなくて残念。もう少しはじけていたら、きっともっと楽しめたのにと思います。
これはあくまでも北方三国志を堪能した読者向けの本。13巻を読み終えたその勢いで読みましょう。


「揚家将」上下 PHP文庫(2006年9月読了)★★★★★

10世紀末の中国。中原に拠った宋が呉越を下し、乱立していた小国のうち残っているのは北漢、そして北漢の北の強国・遼のみとなっていました。その北漢髄一の兵力が楊家軍。当主である楊業は音に聞こえた名将であり、7人の息子たちもそれぞれに一流の武将に育ちつつあったのです。しかしその力がこれ以上大きくなることを恐れた北漢の廷臣たちが帝にあらぬ事を吹き込み、楊家の立場は悪くなるばかり。援軍を要請してもまるで聞き届けられず、宋軍との戦いのさなかに兵糧の輸送が滞る始末。そんな時、太原府にいる帝に拝謁した楊業が捕えられそうになり、楊業も遂に北漢に見切りをつけて、北宋への帰順を決意します。

北宋初期に実在した武門・楊一族の物語。当時北宋では、騎馬軍団を擁する遼軍の度重なる侵攻に苦しめられており、宋軍の中で遼軍に対抗できたのは楊家軍のみ。民衆には「楊無敵」と呼ばれ、楊業の死後まもなく「楊家将」の伝説が民間で伝えられるようになったのだそうです。現在の中国では「三国志」「水滸伝」と並ぶ作品と言われて人気があり、京劇でも人気の演目だとのこと。そんな「楊家将演義」も、本としての出来はあまり良くないらしく、まだ日本語には訳されていないそうですが…。この「楊家将」は、吉川英治文学賞を受賞。
「三国志」でもそうでしたが、とにかく男たちがかっこいいです。まず楊業と、その姿を見て育った7人の息子たち。おおらかで全体像の掌握力に優れた長男の延平、血気盛んな二郎延定、父親や兄弟と違って開封の華やかさにも難なく馴染む三郎延輝、1人独特な思考回路を見せる四郎延朗、気分の変化が激しく、死に一番近い戦いをするという五郎延徳、人望があるものの考えすぎる傾向にある六郎延昭、若さと勢いのある七郎延嗣。楊業はもちろんのこと、7人の息子たちの性格がそれぞれの戦い方にも現れていて面白いですね。そんな彼らが「白き狼」耶律休哥の軍と当たりながら、徐々に実力を蓄えていきます。そして敵である遼が、ただの好戦的で野蛮な国ではなく、きわめて知的に描かれているのが好印象。遼の蕭太后の男勝りの度胸と智謀や「白き狼」耶律休哥の圧倒的な強さ、人間的な将軍・耶律奚低と、敵側にも魅力的な人物がいて、楊家の魅力を引き立てています。やはりこういう作品は、敵の強さや魅力も重要なポイントですね。戦闘シーンもスピード感があって手に汗握る面白さですし、視点が宋側遼側と頻繁に入れ替わることによって、戦闘シーンのスピード感を損なわずに読ませてくれます。
しかし楊家の敵は、遼の軍勢だけではありません。開封の平和に慣れ切ってしまった文官たちや、遼から潜入して宋の内部から混乱させようとする間者、外様の楊家の活躍を妬む武官たちとの争いにも、否応なく巻き込まれることになります。絶えず聡明な爽やかさを感じさせてくれる八王の存在にかなり救われているのですが、身近に聡明な八王を持ったのが不幸とも言える七王の愚かさや、政治的野心の強い将軍・潘仁美、そして曹彬と潘仁美の軍閥争いに振り回されることに。上巻では魅力的な宋帝が、下巻では寄る年波を感じさせるところも寂しいですね。燕雲十六州奪回という帝の悲願さえなければ、と思ってしまいます。それでも、武人は政治には首を突っ込まずにただ戦っていれば良いと割り切る楊業を中心にした楊家の男たちの生き様は熱く、爽やか。
本来の「楊家将演義」は、楊家5代を描いているのだそう。そこまでは求めませんが、語りきることなく終わってしまった、蕭太后の娘・瓊峨姫に惹かれる四郎、そして六郎や七郎のその後の物語をぜひ読んでみたいです。


「水滸伝」1〜19 集英社文庫(2008年4月読了)★★★★

12世紀、北宋末期。政治の腐敗と重税のために国が乱れきっていた頃。禁軍の武術指南役の王進は、その頑なな姿勢のために上層部に疎まれ、叛乱の嫌疑の濡れ衣を着せられそうになっていました。危ういところで林冲に助けられ、母と共に王都を逃れる王進。しかし上層部の手は今度は林冲に伸びてきて…。

第9回司馬遼太郎賞を受賞したという、北方謙三版「水滸伝」全19巻。
「三国志」でも、既存の物語に北方謙三らしさを吹き込んで自由に書き上げたという印象があったのですが、こちらは原典の骨組みを利用しながらも、既に原典とは別物のように違っているようです。その中でも一番変えられていると言われるのは、王進の人物造形。原典では逃亡中に出会った史進に武術指南をするだけで消えていくはずの王進は、こちらでも梁山泊に加わることこそないものの、梁山泊の漢たちの心の拠り所。王進のいる子午山は梁山泊の漢たちにとっては母の胎内のような存在。漢が酷く傷ついた心をここで癒し、再び旅立っていく場所となっているのがいいですね。そして原典では108人の漢たちが揃うまでは誰も死なずにいるはずなのですが、こちらでは時と場合に応じて順次散っていくことになります。
さすが北方作品らしく、梁山泊はいい漢揃い。しかもそれらの漢たちが1人ずつ丁寧に描かれているので、登場人物の多さにも関わらず、混乱することもなく読み進めることができます。全巻通して特に心に残った人物といえば、林沖と楊志。あとは秦明や呼延灼、解珍、李逵辺り。そしてこういった作品では、魅力的な敵の存在も必要不可欠。そういった意味では青蓮寺の李富や聞煥章といった人物が、梁山泊の面々に対抗するだけの存在感を放っていますし、禁軍には童貫という無敵の将軍もいます。ただ、敵方がきちんとしすぎていて、こんな面々が揃っていれば、それほど宋の国も乱れはしなかったのではないか、たとえ乱れたとしても民衆の不満が爆発する前にぎりぎりのところで抑えられたのではないかと思ってしまうほどなのが、少し残念だったところですね。解説で、北方さんが本当に書きたかったのはキューバ革命であり、この宋という国がキューバに対するアメリカだという文章が何度かありましたが、確かに宋はアメリカのよう。地方の役人などがいくら腐りきっていても、基本的に大きくて土台がしっかりしていて、この国を倒せる日が来るなどとは到底感じられないのです。ここで、もう少し大国・宋の危うさのようなものを感じさせて欲しかったです。さらに、この「水滸伝」の後には「楊令伝」が続くというのは読む前から知っていたのですが、その存在があまりに大きく見えすぎているのには驚きましたし、多少興ざめでした。これではまるで「水滸伝」が「楊令伝」の前座のようです。「水滸伝」から後の物語へと繋がっていくということ自体はいいと思いますし、この「水滸伝」で生き残ったメンバーが実際に「楊令伝」でも活躍することになるのでしょうけれど、やはりここで一つきっちりとした区切りはつけて欲しかったというのが正直なところです。

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