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このページは、服部まゆみさんの本の感想のページです。

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「時のアラベスク」角川文庫(2001年10月読了)★★★★★お気に入り

T大学院生・根岸亮の中学以来の親友・澤井慶は、大学在籍中にデビューした新進気鋭の作家。中でも彼の最新作「魔物たちの夜」は、怪奇小説と純文学の見事な融合と、文壇から大きな賛辞を受けていました。その出版から2ヶ月後。遅ればせながら開かれた出版記念会には、日本映画界の大御所・佐伯英次監督も訪れ、「魔物たちの夜」の映画化の話も持ち上がります。しかしその席上届けられた薔薇の花束の中には、ナイフと共に「Kill You!」と書かれたカードが入っていたのです。そして映画の撮影の準備のために訪れたロンドンで、文芸雑誌の編集長を勤めている慶の父親が殺害されます。

第7回横溝正史賞受賞のデビュー作。デビュー作でここまで物語を描ききってしまうとは凄いですね。まず主人公の根岸亮がとてもいいですし、脇役の1人1人に至るまで個性的で深いです。さらには、舞台となるロンドン・パリ・ブリュージュ、そして日本の情景が、独特の重厚さと透明感で迫ってきます。舞台も季節も次から次へと移り変わりますが、移り行く季節感が美しく、定期的に挿入される根岸家の情景が、この物語に落ち着きを与えているようです。亮の母親とのやりとりもいいですね。
中盤から終盤にかけては、怒涛の展開。それまではクールに見えていた人物も、実はそれぞれに様々な想いを抱えていました。それが次々と吐露される場面。これは文句なしにこの物語のクライマックスでしょう。明かされる真実も二転三転、目が離せません。しかしただ1つ、千秋の名前に関してだけは引っかかってしまったのですが… 自分の名前をあんな風に書く人はいないのでは。


「罪深き緑の夏」角川文庫(2001年10月読了)★★★★★お気に入り

12歳の夏。淳は母と一緒に、父とその「奥様」、そして腹違いの兄の住む熱海の別荘に滞在していました。母は病気の「奥様」につきっきり。画家の父は、淳が傍に寄っていくと優しく相手をしてくれるのですが、あまり邪魔をするわけにもいきません。そんなある日のこと、淳は一人で父の別荘から更に上がったところにある「蔦屋敷」と呼ばれる洋館へ行き、白いドレスが印象的な美少女・百合と出会います。しかし淳は百合に毒草のような物を食べさせられ、高熱を出してそのまま東京の自宅へと戻ることに。そして12年後。淳は父や兄同様、画家となっていました。しかし個展の準備中に、画廊の火災で全ての作品を失ってしまうのです。そして兄の許婚としての百合との再会。「青髭」と噂されているその兄と、12年前の百合にそっくりの由里香親子。淳は知らず知らずのうちに、蔦屋敷と深く関わっていくことになります。

古い洋館と美しい兄妹、その兄・鷹原翔はまさに「青髭」のようであるという噂、彼が書いたと言われる、猥褻罪に問われるような文学、淳による「いばら姫」「ラプンツェル」という童話をモチーフにしたフレスコ画の作成… それらのモチーフが、緑の深い森の中にひっそりと佇む蔦の絡まる洋館に繰り広げられ、とても幻想的で美しい作品です。木々の生い茂った、昼でも光が完全には差し込まない緑の森… むせ返るような香りが、辺りに漂ってくるような気がするほど。そして「兄」鷹原翔は、澁澤龍彦氏がモデルと言われています。
しかし、画廊での謎の失火、クロッキー教室に通う子供の誘拐、硝酸をかけられた太郎の絵、由里香の人形の謎など、ミステリ的要素も十分です。そしてそれらの謎が、一癖も二癖もある登場人物と、上記のような耽美的な設定によって深みを与えられており、まさに絢爛豪華な作品。そしてこのエンディングには驚きました。いきなりここで放り出されても…と、思わず読み返してしまったほど。
ところで鷹原翔と百合という兄妹は、「一八八八 切り裂きジャック」に出てくる鷹原惟光の曾孫なのでしょうか。「鷹原子爵」で、しかも外遊していたとなると…。ここに出てくる「祖父」の描写は鷹原惟光とはあまり重ならないのですが、しかし全く関係ないとも思えず、気になります。


「時のかたち-Mystery 4 you」東京創元社(2003年7月読了)★★★★★お気に入り

【「怪奇クラブの殺人」】…K大に合格し、祖父の屋敷に下宿することになった「僕」。怪奇趣味の祖父は祖母が亡くなって仕事を全て辞め、莫大な財産を怪奇博物館につぎ込んでいました。
【葡萄酒の色】…軽井沢の別荘で翻訳の仕事をしている孝夫の元に、部屋を追い出された画家の大野と飼い猫の「むす」が居候。大野は、長兄の明との結婚が決まっている美貌の綾子と惹かれ合い…。
【時のかたち】…推理作家としてデビューして以来の初めての休暇に、「私」は伊豆の佐田波の元へと向かいます。佐田波とは、大学時代の旧友・雨田信。前年に「空蝉」という作品を上梓していました。
【桜】…淑子伯母が亡くなり、染井の墓地で埋葬が行われたその日、淑子叔母の夫である一郎伯父が、坂井恒子と息子の肇を親戚一同に引き合わせます。なんと肇は一郎伯父の息子だと言うのです。

「『怪奇クラブの殺人』」第44回推理作家協会賞短編賞にノミネートされたという作品。怪奇趣味の祖父の友人の鷹原龍由というのは、やはり「罪深き緑の夏」の鷹原翔や「一八八八 切り裂きジャック」の鷹原惟光と関係があるのでしょうね。「ソドムの恋」という著作があると書かれているので、鷹原翔その人でも良いぐらいなのですが…。グスタフ・マイリンクの「ゴーレム」はどんな作品なのでしょう。機会があれば読んでみたいものです。「葡萄酒の色」アンソロジー「緋迷宮」にて既読。服部さんお得意の上流社会の人々の生活が退廃的に描かれています。やはり服部さんご自身が、そのような生活を経験なさっているのでしょうか。「時のかたち」この作品も、以前どこかで読んだ覚えがあります。「桜」桜の花びらが激しく舞い散るような幻想的な物語。謎は謎のまま存在するのが一番美しいのかも。
やはりこの方の文章は濃密。情景がとても幻想的で美しいですね。どんな些細な場面でも、すぐに鮮やかに浮かんでくるのは不思議なほどです。それぞれの物語の中にはトリックがあり、きちんとミステリとしても機能しているのですが、ミステリという範疇に押し込めてしまうのはもったいないです。
4つの短編の後には、服部さんご自身エッセイ、そして北村薫・若竹七海・戸川安宣各氏によるインタビューも収められています。このインタビューの中で、「だから映画みたいに、まず絵が浮かんで、それを言葉で説明していく、という作業ーーという作業が、わたしの創作法なんです」という言葉がとても印象的。だから服部さんの作品では、ここまで情景が鮮やかに浮かぶのだなあと改めて感じます。私が上手く言葉にできない服部さんの魅力が、3人の方の言葉に現されているのを見て、あらためて納得です。


「黒猫遁走曲」角川文庫(2001年9月読了)★★★★

38年間勤めあげた出版社を定年退職となった森本翠。仕事一筋で家庭を持たなかった彼女は、定年後は翻訳家としてデビューすることが決まっていました。退職の日、同業他社のM社の編集長・折橋瑠璃と飲みすぎて、醜態をさらしてしまう翠。瑠璃に家まで送り届けられ、そのまま寝入ってしまいます。しかし翌日彼女が目を覚ましてみると、溺愛している黒猫のメロウの姿がどこにもないのです。翠はなりふり構わず、半狂乱でメロウを探し始めることに。一方、口論の末、妻を刺殺してしまった鳴海昇平。売れない劇団員の彼は、またしても仕事をやめてきたばかり。妻の死体を目の前にしてパニックに陥いる彼ですが、家に迷い込んできていた一匹の黒猫を見て、なんとか平静を取り戻します。しかし死体の処理を始めた彼は、自分の方を絶えず窺っている老婆の存在に気づき…。

猫が人生の全てという翠と、あまりにナルシストで短気な昇平を中心に物語は進みます。彼らの、少しずつ心身のバランスがズレていく過程はとてもリアル。黒猫のメロウを必死で探す翠の狂気、そして自らシェイクスピアの登場人物を演じているかのように思い込んでしまう昇平の狂気。その2つの狂気には迫力があり、それぞれの人間を飲み込んでいってしまうさまには、鬼気迫るものがありますね。そして敏腕編集者である瑠璃の存在も重要です。本当は翠と昇平と瑠璃の3本柱で物語を書いて欲しかったほど。瑠璃の狂気に関してはあまり深く語られていませんが、翠と昇平の狂気と十分肩を並べられるものだと思います。最後が綺麗にまとまりすぎているような気はしますが、一気に読まされてしまう作品でした。


「一八八八 切り裂きジャック」東京創元社(2001年10月読了)★★★★★お気に入り

大正12年春。柏木薫の元に、ヴァージニア・ウルフからの手紙が届きます。それは35年前の欧州での生活を思い出させる懐かしい手紙。35年前の春、25歳の柏木は、解剖学を学ぶために明治政府の官費でドイツに留学していたのです。畸形についての論文をまとめていた柏木は、友人の鷹原惟光から見せられたエレファントマンの記事に興味を持ち、彼と直に話してみたいという欲求から渡英。鷹原のロンドンでの住まいに間借りしながら、エレファントマンの住むロンドン病院に通う毎日が始まります。病院付近の貧民層と社交的な鷹原につれられて出会う社交界の王侯貴族に、イギリスの階級社会を目の当たりにする柏木。それまで女子供の読むものだと決め付けていた小説への開眼と初恋。そんな時、切り裂きジャックの事件が起こります。

服部さんが後書きに、「名前の付いた登場人物は百名以上。 一応、巡査から子供に至るまで、実在の人物です。 その中に七人ほど、架空の人間を織り込みました。」と書いてらっしゃる通り、有名な人物が次々と実名で登場します。柏木と鷹原と同時期に留学しているのは、森林太郎や北里柴三郎ですし、森林太郎に至っては、「踊り子にうつつを抜かしている」ほど。そして当時のドイツやイギリスの王侯貴族。一時切り裂きジャックの犯人ではないかとも言われていたエドワード王子も、鷹原の近しい存在として登場します。そしてエレファントマン。フリーメイソンや心霊術、ディケンズを始めとするイギリス文学など、ロンドンについての風俗や史実が満載です。気がついたらすっかり物語の中に入りこんでいました。そしてこの物語の中で、切り裂きジャックの正体についての服部さんの大胆な推理が繰り広げられることになります。「ヴィーナス」のことを考えると、私はてっきりあちらが犯人なのかと思いましたが…。
柏木薫と鷹原惟光という2人のコンビは、なかなか味があっていいですね。鷹原について「その美貌から、どこに行ってもいつのまにか『光』とだけ呼ばれるようになる男」という描写がある通り、この2人の名前は源氏物語からとられています。「光」の相方が「薫」だというのは、なかなか意味深。物語は柏木の視点から書かれているので、光の美貌ばかりが前面に出てきていますが、柏木自身もきっととても純朴で可愛らしい青年なのでしょうね。当時の日本と諸外国について語れる人物として、単なる探偵とワトスンに留まらないのがいいです。最後の2人のやりとりも、ほろりときてしまいます。ぜひとも帰国した後の話も読んでみたいものです。


「ハムレット狂詩曲(ラプソディー)」光文社文庫(2001年9月読了)★★★★★★お気に入り

英国の新進気鋭の舞台演出家・ケン・ベニングの元に、日本の劇団から「ハムレット」の演出依頼の手紙が舞い込みます。その手紙の差出人の名前は、ケンにとっては忘れることのできない憎むべき相手の名前。今でこそ英国籍のケンですが、実は両親が日本人で、彼自身、12才までは日本で生まれ育っていたのです。一方、日本の大女優・仁科京子が率いる劇団・薔薇(そうび)。柿落としの「ハムレット」の上演にあたり、仁科京子がガートルード役、義兄で歌舞伎界の重鎮でもある片桐清右衛門はクローディアス、そして仁科京子の息子・雪雄がハムレット役ということだけは決まっており、後は演出家のケンの来日を待つばかりという状態でした。

物語はケン・ベニングと雪雄、それぞれの視点から描写されていきます。お芝居を見るのは大好きな私はですが、実はシェイクスピアはあまり好きではなく、ハムレットを素材にした作品がこれほど面白くなるとは驚きました。
まずこの臨場感がいいですね。演出家であるケンが嫌々ながら仕事を引き受け、しかし才能のあるアート・ディレクターとのやり取りなどを通 して、いつの間か最高傑作を作り上げようと打ち込むようになる過程。一方、親の七光りだけでハムレットに抜擢された雪雄が、練習をくり返すうちに自分の中にハムレットを感じるようになる過程。これらがとてもリアルに描かれています。出演する他の役者やスタッフ、ハムレットという作品自体の解釈についてもとても丁寧に書き込んであり、芝居の稽古場の独特の雰囲気、みんなで1つの物を作り上げていくという一体感が伝わってきます。
そしてこの物語は、服部まゆみ版「ハムレット」でもあったのですね。完全犯罪を企みながらも、喜劇的なまでに邪魔が入ってしまうケンと、苦悩の王子になりきっている雪雄。一見対照的に見える2人なのですが、その本質はどちらもハムレットそのもの。作中に、「ハムレットは悲劇なのか喜劇なのか」という疑問が投げかけられるシーンがありますが、これは実に鋭いところをついているのではないでしょうか。そしてこの2人だからこそ、交互に語らせるという形が本当に効果的だったのだと思います。逆にこれがなければ「面白いけれど普通」という作品で終わってしまっていたかも。そしてラストがまた素晴らしいのです。おかげで読後感はとても爽快。お芝居の好きな方にはオススメです!


「この闇と光」角川文庫(2001年9月読了)★★★★

失脚した父王と共に、別荘に幽閉されている盲目の姫・レイア。彼女は小さい頃に毋を亡くし、現在レイアの周りにいるのは、常に明るく優しい父王と意地悪な侍女・ダフネ、そして別荘の周りにいる隣の国の兵士たちだけでした。ダフネにはことあるごとに「死んでしまうといい」と言われ、盲目だと知られると兵士に魔女として殺されてしまうかもしれないとあって、レイアの味方は父王のみ。父王もレイアを溺愛します。レイアにとっては、父の愛情と、父の教えてくれる様々な物語や音楽、文字、色など美しい物だけがレイアの世界の全てでした。しかしその生活も、レイアが14才になった時に終わりを告げます。

とても幻想的で美しい物語でした。最初読み始めた時はまるで童話、しかし第2章で物語は急展開を見せます。この後のことに関しては何を書いてもネタバレになってしまうのですが、この急展開にはとにかく驚きました。
盲目のレイアにとって世界は「闇の世界」であり、自らの力で認識できる物というのはごく限られています。いくつかの色に関しては、まだ目が見えていた幼児の頃のかすかな記憶があるのですが、例えば「紫色」という色がどのような色なのかは、彼女には想像すらできません。しかし「闇の世界」に住んでいるにも関わらず、レイアの周りには美しい物が満ち溢れています。父王がレイアに持ってくる物語や音楽は世界の名作と言われる物ばかりであり、レイアも次から次へと吸収していきます。ダフネや隣の国の兵士という無気味な存在はあるものの、父王の暖かい愛情に包まれて、レイアは美しく伸びやかに育っていきます。そういう意味で、レイアはまさに「光の娘」なのですね。
それに対して、目が見えるということは「光の世界」に生きているということ。世界は様々な色彩 に溢れ、それは見るも美しいはず…。しかし光があるということは、すなわち影があるというこでもあります。光は美しい物を美しく見せるだけでなく、目を背けたくなるような醜い物まで全てを曝け出してしまう…。そして人は、世の中には美しい物ばかりではないことを知ることになります。
この「闇の世界」と「光の世界」。目が見える人にとっては「光の世界」こそが正常な世界であり、それは自分では選びようもないことなのですが、しかし本当に「光の世界」の方が「闇の世界」よりも優れているのでしょうか。目が見える人は、目の見えない人に接した時、まず「可哀想」という感情を持つのではないかと思うのですが、しかしレイアにとっての「闇の世界」は、本当に可哀想な世界だったのでしょうか。「闇の世界」にいたからこそ、世の中の醜い物を知らずに、ひたすら美しい物だけに囲まれていられたという幸せは、光の世界にいることに勝ることもあるのかも。それとも、それでも尚、真実の方が大切なのでしょうか。その答えはきっと1つではないのでしょうね。 いろいろと考えさせられる物語でした。


「シメール」文藝春秋(2003年6月読了)★★★★★お気に入り

8歳のクリスマスの夕べに起きた火事のせいで立派な家を失い、それ以来小さなアパート暮らしを余儀なくされている木原一家。慣れない仕事に苦労する人の好い父に、6年たっても過去の暮らしを忘れられない虚栄心たっぷりの母、双子の兄弟の聖と翔。聖と翔は、同じように天使のような容姿を持って生まれてきたにも関わらず、両親に愛されるのは良い子の兄・聖ばかり。弟の翔はテレヴィゲームをしたり、押入れの寝床で本を読むのが好きな大人しい少年でした。そんな彼らが花見に行った青山墓地で出会ったのは、美術評論家としてテレヴィに出演している片桐哲哉。片桐は、両親のG大学時代の友達だったのです。片桐は妻の奈津子が亡くなったばかり。しかし画家として成功し、G大学油画科教授という肩書きを持つ彼は輝いていました。その片桐が翔の感性に興味を持ち、何度も家に訪ねてくるように。

シメールとは、ギリシャ神話に登場する、獅子の頭に山羊の身体、竜の尾を持つ霊的な動物。別名キマイラ。「シメール」という言葉は転じて、「妄想」「空想」「幻想」の意味で使われることもあるそうです。この作品は「アムネジア」「シメール」「ナジェージダとナジャ」という3章に分かれています。「アムネジア」とは、記憶喪失症という意味の医学用語、「ナジェージダ」とはロシア語で「希望」、「ナジャ」とはアンドレ・ブルトンの著作の題名。
とにかく美しい作品です。美の鑑賞者たる片桐と、片桐の美神たる翔の視点から物語は展開していくのですが、そこには世間一般の常識や価値観を超越したような世界観が繰り広げられていきます。「美」こそが至高の存在。服部さんならではの文章が作り出していく、美しく幻想的な、危ういバランスの上に成り立った世界。
時々思い出したように現れる色彩もとても印象的。それは時に真っ青なアイシャドウだったり、真っ赤な口紅であったり、醜悪なピンクの小物であったりするのですが、それらの俗臭漂う色彩によって、片桐の庭に咲く青白い著我や、しっとりとした京紫のジャケット、それに合う菖蒲色のシャツなどの色彩の美しさが際立っているようです。しかし片桐の家は、どんどん英子のカラーで染められてゆきます。英子は確かに美大出身の割にセンスがなく、大人になり切れない我侭な母親かもしれません。それでも翔にとっては、この世で一番美しい母。片桐はそれを分かろうとしたことはあったのでしょうか?しかし片桐もまた、実は翔の姿に自分の幻想を押し付けていただけなのですね。登場人物たちがお互いに幻想を抱き、現実を見ようとしなかったことが、世界の崩壊へと繋がっていくことになります。しかし幻想を幻想として追い求めていられる間だけは、崩壊の予感がありながらも、皆幸せだったのでしょうね。
実際に片桐のような男がいたら、恐らく非常に気持ちの悪い存在のはず。しかしそれを露ほどに感じさせないところがまたすごいのです。耽美小説になりそうなところを、抑制の効いた描写がそのまま昇華させているという印象です。


「レオナルドのユダ」角川書店(2003年11月読了)★★★★

イタリアのミラノに程近い、ヴァープリオ・ダッタ。この地の領主の長男・フランチェスコ・メルツィは、4歳の時に、生まれてくる弟と引き換えに母親を失います。生まれたばかりの弟の世話のためにメルツィ家にやって来たのは、乳母となるマイヤとその息子・ジャンことジョヴァンニ・ピエートロ・リッツィ。10歳のジャンはフランチェスコの遊び相手を言い付かるのですが、しかし母親を失って以来、感情を失くした人形のようになってしまったフランチェスコは、誰にも自分を触らせようともしない状態でした。しかしある日、館に来ていた客人と庭で偶然出会ったことにより、フランチェスコは大きく変わることになります。その客人とは、王室付き技師兼画家だったレオナルド・ダ・ヴィンチ。フランチェスコもジャンも、あっという間にレオナルドに魅了されることに。

トスカーナ地方のヴィンチ村に生まれ、画家であり彫刻家であり、科学者、技術者、哲学者、医学者でもあった、イタリアの盛期ルネッサンスの天才・レオナルド・ダ・ヴィンチと、彼を取り巻く人々を描いた作品。しかしレオナルド自身の視点は、20ページ足らずの第3章「レオナルド・ダ・ヴィンチの夢想」だけ。それ以外の部分はジョヴァンニ・ピエートロ・リッツィとパーオロ・ジョーヴィオの視点から描かれています。
物語は淡々と描かれていき、それほど大きな波風が立つわけではありません。しかしやはり美しいモチーフと服部さんの文章は相性がとても良いですね。絵画や情景、そして人間の描写がとても美しく、レオナルドを巡るフランチェスコやジャン、サライの部分に、知らず知らずのうちに引き込まれてしまいました。しかし、すっかりレオナルドに傾倒してしまった分、第2章と第5章のパーオロ・ジョーヴィオの部分には少々入りにくかったです。パーオロは自分のことを素晴らしい学識者と考えていますが、それにしてはあまりにも醜悪で俗物的。しかしレオナルドに反発しながらも、彼もまたレオナルドに惹かれてしまった人間だったのですね。確かな審美眼と教養を持ち、レオナルドの作品に衝撃的な感動を受けながらも、かろうじて自分のプライドを守っているだけといったパーオロの姿は、なんとも哀れでした。そしてフランチェスコたちの行動には納得。
レオナルド・ダ・ヴィンチに関しては、私も「最後の晩餐」「受胎告知」「岩窟の聖母」「モナ・リザ」などの実物を見たことがありますし、ソドマの作とされている「レダと白鳥」も見た覚えがあります。学生時代には、レポートを書くために「最後の晩餐」調べたこともあります。しかしそれほど詳しいとは言い難い程度。なので1つのレオナルド・ダ・ヴィンチ論としても、この作品はとても興味深く読めました。やはり、かの貴婦人の肖像画に関して語られる部分が面白かったですね。次に作品を見る時には、また新たな目で鑑賞することができそうです。


「ラ・ロンド-恋愛小説」文藝春秋(2007年7月読了)★★★★★

【父のお気に入り】…11歳年上の女優の大庭妙子と付き合うことになった田中孝。妙子の念願の「あわれ彼女は娼婦」のアナベラ役を見に父と劇場へ。
【猫の宇宙】…美大から短期実習で来た篠原瑠璃に憧れ、弟の克己と共に篠原家の絵画教室へ通うことになった克衛。やがて同級生だった篠原鴇子と結婚することに。
【夜の歩み】…日本中を巡演し東京に戻ってきた妙子。会いたかった孝にもようやく再会。しかし2人きりにはなれなかったのです。そこにいたのは有泉克己と島田藍でした。

3編が収められた短編集。1作目2作目に共通点がないので、まるで関連性のない3作かと思いきや、実は1作目と2作目の登場人物たちが近所の知り合い同士だったことが分かり、3つの作品が円を描くことになります。まさにロンドという題名に相応しいですね。主題があり、異なる旋律を挟んで、また少し変形した主題が反復されます。
服部まゆみさんならではの濃厚な美しさを持った作品。「父のお気に入り」では、中学時代の同級生・河合さんが可哀想過ぎて何とも言えないですし、ここまでする必要があったのかと思ってしまうのですが…。それでも作品世界はとても素敵。彼女の存在が、逆に父と息子の対比を鮮やかにしていますし、少しずつ微妙にズレながら重なっていく人間関係の描き方は服部まゆみさんならでは。ぞくぞくするほど美しかったです。

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