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このページは、姫野カオルコさんの本の感想のページです。

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「変奏曲」角川文庫(2005年12月読了)★★★★
桜の降る土曜日。洋子と勝彦は、仲人の家を訪ねた帰り道、初めて来る町の初めて来る公園で桜の花が散るのを眺めていました。結婚式のことであれこれ話しかける勝彦。しかし洋子は身体がひどくだるく、結婚式に対して何もイメージも浮かばない状態。そしてある家の前を通りがかった時、初めて見るはずのその家の前で、洋子は妙なことを口走ります。

幻のデビュー文庫本「チゴイネルワイゼン」を改題したという作品。洋子と高志という双子の姉弟のリインカネーションを、「桜の章」「ライラックの章」「柘榴の章」「羊歯の章」という4つの章に分けて、平成・大正・戦後・未来という4つの時代を背景に綴った恋愛小説。2003年に「ツ、イ、ラ、ク」が出るまでは、著者唯一の「いわゆる」恋愛小説だったのだそうです。
その4つの章で常に中心となるのは、洋子と高志。双子の姉弟の禁断の愛の物語。姉と弟の関係は常に変わらず、常に姉が上位であり、それがとても妖しいエロティックさを醸し出しているようです。そしてこの2人以外にも、洋子の婚約者として勝彦、高志の相手として潤子、高志の友人・佐々木、その相手・菜穂美など、共通する人物が登場するのですが、それぞれの基本的な容貌や性格、嗜好は類似しているようです。平成の洋子が画材店に勤めていれば、大正や戦後の洋子は絵を描くといった具合。しかし少しずつずれているので、読んでいるうちに、書かれている部分よりも書かれていない部分が気になってくるのが面白いところ。そして全て読み終えてみると、最初の「桜の章」だけが少々異例な設定だったことに気づくことになります。2章以降に登場する池井という人物は、1章でも同じような関係なのでしょうか。そして洋子に似ているあの男性は…。1章のその後がとても気になります。

「受難」文春文庫(2005年11月読了)★★★★
幼い頃に両親と死別して戒律厳しい修道院で育った「フランチェス子」は修道院を出た後も清く正しい生活ぶり。以前はモデルをしていたこともあるのですが、ミロのビーナスを思わせるその美貌にも関わらず、彼女はまったく男性にはもてず、男性をそそるものがないどころか、まるでその気を失せさせてしまうという女性でした。その彼女に3年ほど前、できものができます。最初は痣のようだったできものは徐々に盛り上がって人の顔のようになり、その後人面瘡へと変化。そしてその人面瘡が話し始めたのです。嫌がるフランチェスコは何とかその人面瘡を追い払おうとするのですが、人面瘡は股間に移動。最初は取り乱すフランチェス子でしたが、いつしかうちとけてきて、その人面瘡を「古賀さん」と呼ぶように。

とにかく設定からして可笑しい作品。まず主人公の名前がフランチェス子。これは渾名らしいのでまだいいのですが、その友達も、アン子、ノン子、ウィズ美、モア代、オリ江、マルとクスの兄弟、朝志、読夫というふざけているとしか思えない名前。こちらには渾名だという但し書きがないのですが、本名だという設定なのでしょうか! それに身体のどこかに人面瘡が出来るという話は時々ありますが、それがなぜ股間なのか… この人面瘡が住み着いたのは、フランチェス子が処女だから。今までにも全世界の処女の身体に住み着いていたというのです。全く男性経験のないフランチェス子自身、これから男性にもてるようになるとは思っていませんし、股間に人面瘡が住み着いていても、実際問題としてそれほど困るわけではありません。しかしやはり最初に一番恥ずかしい場所に居ついてしまったというのが、その後の物語に効いているのでしょうね。フランチェス子にとっては、これ以上失うものもないのですから。
「古賀さん」が初めて口をきいた時、フランチェス子はまずロザリオと十字架を手に「神様、マリア様」と祈り、それでダメなら「南無阿弥陀仏」と唱え、次はインドのお香タージマハールを焚き、次は「アラー」、極めつけは前妻のオリビア・ハッセーがヒンズー教徒だったからと布施明の写真を人面瘡に押し付けるという無軌道ぶりで笑わせてくれます。そして読んでいると驚かされるのが、その語彙。放送禁止用語が乱発される文章。「古賀さん」はもちろんのこと、男性とは一度たりとて付き合ったことのない、清く正しい純粋培養の処女・フランチェス子が、なぜこれほど下半身に関する語彙を豊富に持ち、しかも臆面なく使いこなしてしまえるのでしょうか。
しかしそんなふざけた設定と下品な表現の多用にも関わらず、いやらしさが全くと言っていいほどないのが驚きです。それどころか、妙なリアリティがあるのが可笑しいのです。「古賀さん」は何かといえばフランチェス子を罵倒し、フランチェス子が史上最低のダメ女のように罵りますが、何を言われてもフランチェス子は素直に納得。自分がダメ女であることを認めて謝ります。何もそこまで素直に認めなくても… と思ってしまうのですが、フランチェス子は卑屈になるわけでもなく、怒ることもなく、ただ素直に受け止めます。確かに「古賀さん」の言葉には一理あるのですね。放送禁止用語や上辺の面白さにかまけて読んでいると、ふと深い言葉が飛び込んできて驚かされます。
全てを諦めているフランチェス子の性格も、ずけずけと偉そうな「古賀さん」も、最初はあまり好きなタイプではなかったのですが、読んでいるうちにだんだん可愛く見えてくるのが不思議。本当はフランチェス子にはあのままでいて欲しかったのですが、楽しかったです。

P.124「言わないでいる、ということは、古賀さんにかぎらず、人のほんとうの度量ではないか。」

「ツ、イ、ラ、ク」角川書店(2004年3月読了)★★★★★お気に入り
長命町という田んぼの多い穏やかな、京都に近い田舎町が舞台。私立長命小学校の2年生だった森本隼子が、椿統子や岩崎京美、三好温子たちと同じ時間を過ごしながら、1年ごとに成長していきます。どこか周囲から浮き上がっていた大人っぽい隼子が、14歳の時に出会った恋とは。さらにはその20年後、34歳の頃の姿までを描いた作品。

第130回直木賞の候補となった作品。初の姫野作品です。森本隼子を中心とした、女生徒たちの成長を追っていく物語ということで、佐藤多佳子さんの「黄色い目の魚」や、森絵都さんの「永遠の出口」を思い起こしましたが、佐藤さんや森さんの作品とは一味違うのですね。この作品はとても官能的。特に何事も起こらない最初の小学校2年生の章からして、妙に官能的なものを感じてしまうのです。皆それぞれに、小さくても「女」。もちろん田舎町の小学生や中学生のことですから、手を繋いで歩くカップルの姿も少なく、中学生でもせいぜい神社の境内で交換日記を交換したり、アンクレットとキーホルダーを交換する程度。それでも藤原マミが後になって思うように、「キスするよりも抱き合うよりも熱かった時間」なのです。具体的な行動をまだあまり知らない時代の方が、実は官能的なのかもしれませんね。そしてこの中で一番多く語られているのは、隼子と河村の恋。初めは愛や恋など存在せず、恐らく未知への興味だけだったのでしょう。隼子にとっては、実際にどのようなことをするのかという好奇心だけだったのかもしれません。それでもどんどんのめりこんでいく2人の姿が切なくもあり熱くもあり、なんとも痛々しかったです。
おそらく姫野さんご自身、さまざまな恋愛を経験なさってきた方なのでしょうね。官能的でありながらも、それは単なる「いやらしい」とは一線を画していて、とても素敵な恋愛小説でした。主人公以外では、小山内先生が特に魅力的。所々の場面を新撰組になぞらえてい部分も、微笑ましいユーモアたっぷりで、楽しかったです。

「桃」角川書店(2005年6月読了)★★★★
【卒業写真】…中学の同窓会の知らせのはがきの「欠席」に丸をした安藤健二は、昔の卒業アルバムを見ながら妻と話しているうちに、梁瀬由紀子や桐野龍のことを思い出します。
【高瀬舟、それから】…6時に文英堂という書店で会う約束をしていた森本準子と河村礼次郎。しかし梁瀬由紀子や榊原宏祐、3年の男子生徒2人と一緒に食事をすることに。
【汝、病めるときもすこやかなるときも】…塔仁原剛と結婚した頼子が2人の馴れ初めを語ります。
【青痣(しみ)】…Jに逆撫でされたと感じ続けていた田中景子。いつも本を読んでいるばかりの物静かなJ。自分は岩崎京美のグループに入れなかったのに、Jは入っているのです。
【世帯主がたばこを減らそうと考えた夜】…3歳の頃に養子に出され、「民生」から「夏目雪之丞」という名前になった彼は、今は53歳になり、長命中学の数学教師となっていました。
【桃】… 自分の誕生日に桃を買うことにした「私」の物語。

あとがきに、「ある長編小説と対になっています。でも、続編かというとそうでもない。長編小説のほうを読んでいなくても、それと対になっていると知らなくてもかまわない。長編未読の人を読者と想定して書きました。」という言葉があります。その「ある長編」とは、言うまでもなく「ツ、イ、ラ、ク」のこと。もちろん「桃」だけで、独立した物語として楽しむことはできます。しかし「ツ、イ、ラ、ク」既読者の立場として言えば、これは「ツ、イ、ラ、ク」あってこその物語なのではないかと思うのです。1つの大きな物語の裏側に潜んでいた6つのエピソード。それぞれのエピソードの主人公は、森本隼子であったり、河村礼二郎であったり、そして長命中学校の他の教師であったり、生徒たちだったり。その中で、隼子と河村のことが当事者として、あるいは部外者として、憶測として、あるいは真実として繰り返し語られていきます。もちろんこの本だけを独立した物語として読むことは可能ですが、しかし「ツ、イ、ラ、ク」での大きな物語の流れを知っているからこそ、あの感覚を肌で覚えているからこそ、こちらの作品の印象が鮮烈で、 無性に痛くて苦しくて切ないのではないかと思います。
この中で特に好きなのは「高瀬舟、それから」。そして表題作の「桃」。桃というのは昔からエロティックな比喩に使われることも多い果物ですし、この本の表紙の桃の写真もまるでお尻のよう。しかしここでは「ツ、イ、ラ、ク」を知っているからこそ、共犯のような感覚でエロティックを感じることができるのではないでしょうか。
この「桃」を読んでから、続けて「ツ、イ、ラ、ク」を再読したのですが、「卒業写真」の安藤健二は、「ツ、イ、ラ、ク」には登場しないのですね。準子たちの1学年上の男子生徒。彼の目を通して見た準子や他の生徒たちのことが新鮮。棄てられた卒業アルバムの行方も分ります。
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