Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、東野圭吾さんの本の感想のページです。

line
「予知夢」文春文庫(2003年9月読了)★★★★

【夢想る】(ゆめみる)…深夜、16歳の森崎礼美の部屋に忍び込んだ坂木信彦は、礼美の母親に猟銃で脅され逃走。しかし彼は17年前から、森崎礼美を未来の恋人だと言い続けていたのです。
【霊視る】(みえる)…長井清美とのデートの後、細谷忠夫は小杉浩一の部屋へ。小杉は留守で、代わりにいたのは共通の友人の山下。2人で飲んだ後、細川がふと外を見ると、そこには清美の姿が…。
【騒霊る】(さわぐ)…草薙は姉の友人・神崎弥生の夫の失踪事件を調べることに。神崎俊之は1人暮らしの老女・高野ヒデの家に立ち寄ったらしいのですが、ヒデは数日前に亡くなっていました。
【絞殺る】(しめる)…町工場を営む矢島忠昭が、金の回収に行くと言ったまま、ホテルの部屋で殺されているのが見つかります。睡眠薬で眠らされて絞殺。妻の貴子にアリバイがなく、容疑者に。
【予知る】(しる)…菅原直樹と静子の家に峰村英和が夕食に来ていた時、直樹に不倫相手の瀬戸富由子から電話が。真向かいのマンションの部屋に住む富由子は、直樹の目の前で自殺を図るのです。

天才物理学者・湯川学が活躍する探偵ガリレオシリーズの第2弾の連作短編集。
超常現象のように思える出来事が、科学者の視点からさらりと解明されていきます。しかも科学の冷たさだけでなく、その奥に潜む人間の心まで見ているので、読後はなんとも暖か。最初の「夢想る」なども、現在16歳の少女の存在を17年前から知っていたという、なんとも不思議としか思えない出来事が、湯川によって180度転換されてしまうのが非常に爽快でした。しかしサクサクと読めるのですが、短編ということもありすぐ解決してしまうのが、私としては少々物足りないかも。湯川は、ほぼ安楽椅子状態です。
この中で一番印象に残ったのは、表題作と思われる「予知る」。こういうタイプの短編集を締めくくる最後の作品がこの作品だというのが、なんとも粋でいいですね。


「片想い」文藝春秋(2003年10月読了)★★★★★お気に入り

西脇哲朗は、35歳のスポーツライター。学生時代、帝都大アメリカンフットボール部の名クォーターバックだった彼は、13年前の仲間たちと飲んで解散した直後、じっと自分たちの方を見ている女性がいるのに気付きます。それは13年前、アメフト部のマネージャーをしていた日浦美月。声を出そうとせず、いきなりノートを取り出して「どこかで話を」と書く美月に、西脇は一緒にいた須貝共々自分の家へと連れて帰ることに。家に着いて早々洗面所に姿を消す美月。しかししばらくして現れたのは、1人の小柄な見たこともない男。その男の顔は美月でした。そして発した声も、紛れもなく男の声。なんと美月は性同一性障害だったというのです。

そもそも、「性」とは何なのか、人間とは何なのかということを問いかける作品。生物学的な「男」や「女」というのは比較的分かりやすい部分ですが(半陰陽の場合は別にして)、しかしその肉体の中に入っている性格が、肉体と一致しているかというと、それはまた別問題。もちろんある程度「男性らしさ」「女性らしさ」というのは存在するとはいえ、完全に「男」「女」どちらかの要素しか持っていない人間など、確かに滅多に存在しないんですよね。だからこそ「女々しい」「男勝り」という言葉があるわけですし…。BLOOの相川冬紀が言っていた、「男も女もメビウスの帯の上にいて、そこには境界線などない」、そして中尾の言う「元々、すべての人間は完全な黒でも白でもない。黒から白に変わるグラデーションの中のどこかだ。」という言葉は、本当にその通りだと思いました。その中で、全ての人は自分の肉体と精神の折り合いをつけているのでしょうね。そう考えると、「性同一性障害」というのは本当に病気なのかどうか…。やはり相川冬紀が言うように、枠にはめて考えようとする今の社会の方が問題なのでしょう。まず、人としての「個」が尊重されるのならば、自分にも周囲にも、無理に「男らしさ」や「女らしさ」を求めようとすることも少なくなるはず。今の世の中の、無理にどちらかになり切ろうとしている人々を見ていると、どうしても痛々しさが先に立ってしまいます。
性同一性障害という問題を通して、性とは何かということに対する固定観念を打ち砕き、もっと深いところにある、人と人との繋がり、人とはそもそも何なのかということを浮き彫りにした作品だと思います。今の中性的な世の中では、「男らしさ」「女らしさ」という言葉自体が意味を為さなくなり始めていると思うのですが、美月に関して、中尾が最後に言っていたことも、きっとその通りなのでしょう。理沙子の言う「大事なことは心を開いてくれることなの。姿形は関係ない」というのは私も同感です。実際、たとえばネットの世界では、「男」「女」という性別はあってもなくても同じですよね。そして性別以上に、その人の年齢や経歴などの様々なことは、言ってみれば単なる付属品。大切なのは、その人の人間としての「人となり」だけ。そんなことを改めて考えてしまった作品でした。

P.228「私は性同一性障害という病気は存在しないと考えています。治療すべきは、少数派を排除しようとする社会のほうなんです」


「超・殺人事件-推理作家の苦悩」新潮社(2003年9月読了)★★★★★お気に入り

【超税金対策殺人事件】…推理作家となって10年。今年はこれまでになく高収入。来春払うべき金額を聞いて驚いた「俺」は、領収書を確実に必要経費で落とすために、連載小説を書き換えることに。
【超理系殺人事件】…文庫本派の「私」が手にとったのは、ハードカバーの「超理系殺人事件」。「私」は中学の理科教師。理系人間の「私」にとっては、読まずにはいられない題名だったのです。
【超犯人当て小説殺人事件(問題篇・解決篇)】…作家・鵜戸川邸介に呼びつけられた、4つの出版社の編集者たち。渡されたのは短篇小説の問題篇。一番に犯人を当てた者に長編を渡すというのです。
【超高齢化社会殺人事件】…連載中の藪島清彦の原稿をもらうために、喫茶店へとやってきた編集者の小谷健夫。藪島は最近ボケてきているという噂。小谷は原稿を書き直し、辻褄を合わせていました。
【超予告小説殺人事件】…3年前にデビューした作家・松井清史。現在、制服や衣装姿の女性ばかりが殺される推理小説を連載中。しかしその小説の内容通りに、現実にも殺人事件が起こり始めます。
【超長編小説殺人事件】…800枚の作品を仕上げたばかりの葛原万太郎は、担当の小木に、2000枚に増やして欲しいと言われて戸惑います。時代は枚数。長ければ長いほど目立ち、売れるというのです。
【魔風館殺人事件(超最終回・ラスト五枚)】…探偵・高屋敷による魔風館で起きた殺人の謎解き。
【超読書機械殺人事件】…読まなければならない本の山に溜息をついていたミステリ小説の評論家・門馬の元を訪れたのは、1人のセールスマン。高機能読書マシンのモニタになって欲しいというのです。

ユーモアたっぷりの短編集。皮肉がたっぷりきいているのですが、しかし素直に面白くて笑ってしまえるので、読後感はとても爽やかです。出版界の内幕を垣間見たような気分になれるのも楽しいところ。かなりデフォルメされているのだろうとは思いつつも、奥底には真実味が感じられるようです。
「超税金対策殺人事件」や「超犯人当て小説殺人事件」は、本当にこういう行動を取っている人がいそうな気がしてきますし、「超高齢社会殺人事件」にも、笑い飛ばしてしまえないリアルさがあります。「超理系殺人事件」は逆に、途中まではそれほど面白いわけでもないのですが、最後のオチには驚かされました。「超読書機械殺人事件」は、有栖川有栖さんの「登竜門が多すぎる」(ジュリエットの悲鳴)の書評家バージョンのようですね。やはり誰しも心の底では望んでいることなのでしょう。そしてこの中で私が一番笑えたのはと「超長編小説殺人事件」。これは昨今の「渾身の2000枚大作!」的な出版社の謳い文句を逆手にとった作品で、可能な限り枚数を増やそうという試みの下に「使用前」「使用後」のような文章が読み比べられるのが、また楽しいところです。
「怪笑小説」「毒笑小説」もブラックユーモアが利いた短編集でしたが、この「超・殺人事件は」は、むしろ「名探偵の掟」系の作品でしょうか。「名探偵の掟」は推理小説そのものをギャグにしていましたが、こちらは推理作家や出版業界をギャグにしている作品です。


「サンタのおばさん」文藝春秋(2002年4月読了)★★★★★お気に入り

クリスマスまであと20日に迫った頃。フィンランドのとある小さな村で、今年も恒例のサンタクロース会議が開催されようとしていました。アメリカ支部担当サンタの引退が決まっているので、今回の会議の主な議題は、会長職にあったアメリカ・サンタの代わりに次期会長を選ぶことと、次のアメリカサンタを決めること。そしてアメリカ・サンタが、新しいアメリカ・サンタの候補者として連れてきたのは、なんとジェシカという女性でした。他の11人のサンタたちは一様に驚きます。しかし全員賛成しないと、ジェシカは新しいアメリカ・サンタとはなれないのです。初の女性サンタを認めるかどうかで会議は大騒ぎに。

この作品は、「片想い」の作中でお芝居として題名だけ登場したものから生まれた絵本だそうです。杉田比呂美さんの透明感のあるほのぼのとしたイラストがついて、とても素敵な絵本となっています。クリスマスのプレゼントにこんな本を贈るというのも素敵でしょうね。絵を見てるだけでも、嬉しくなってしまいます。それぞれのお国柄の出たサンタさんたちの姿が、とても可愛いのです。
内容は「片想い」に準じているそうで(現時点では私は「片想い」は未読)、ジェンダー問題、家族のあり方について、そして人が誰でも知らないうちに持ってしまう固定観念についても考えさせられてしまうような内容となっています。ちょっぴり教訓じみた面もあるので、子供のための絵本というよりは、大人のための絵本と言った方が良さそうです。実際、東野さんは対象となる読者年齢は、敢えて考えずに書かれたそうです。しかしこんな風に絵本を通して、頑なな固定観念を溶かすのは、とても素敵なことだと思います。
この絵本には「Mother Christmas」という英語の題名がついています。これは「Father Christmas」という言葉に対してつけられたもの。…そうなんですよね、言葉からしてもサンタさんは男性と決め付けていますが、実際はどんなイメージを持っていたっていいんですものね。サンタさんに関しては知りませんが、聖母マリアの像などは、場所によっては肌が黒いと聞きますし。そう考えてみると、自分がいかに色んなことに大して固定観念を持っているのか目の当たりにして、改めて驚かされてしまいます。


「レイクサイド」実業之日本社(2003年9月読了)★★★

姫神湖畔の別荘地で行われた、有名私立中学受験を控えた子供たちの勉強合宿。並木、藤間、坂崎、関谷という4家族がここに集まり、親たちは藤間夫妻の別荘に泊まり、子供たちはその近くの貸し別荘で一日中塾の講師による勉強会。仕事を終えたアートデザイナーの並木俊介も、血のつながらない息子・章太のために、初めてこの合宿に参加することになります。しかし車を飛ばしてきた俊介を追いかけるように、不倫相手の高階英理子が現れるのです。偶然を装い塾講師の津久見に話しかけ、藤間家の夕食に参加する英理子。その晩、俊介は仕事を口実に英理子の泊まっているホテルを訪ねます。しかし約束の時間に彼女は現れず、別荘に戻ってきた俊介を待っていたのは、既に死んでいた英理子と、彼女を殺したという美奈子の姿でした。警察に知らせようとする俊介ですが、しかし他の夫婦たちは、子供たちに及ぼす悪影響のことを考えて、英理子の遺体を姫神湖に沈めるという隠蔽計画を立て始めます。

緊迫感たっぷりのサスペンス。しかし受験問題や夫婦問題を絡めた、社会派作品でもあります。子供のためと言いながら、結局は自分たちのエゴを押し付けている親の姿が哀れ。それに子供たちの姿にも、まるで覇気がなくて可哀想です。親の言うことにただ従っているという印象。実際には、個人差は大きいにせよ、11〜2歳の子供にも打算と計算はあるのですから、自分で進路を決めることは十分可能だと思うのですが…。親も親ですが、子供たちもまるで親の言質を取っているようで、あまり印象は良くありません。
この夫婦たちの結びつきに関しては、てっきり違う路線かと思いましたが… 最後にその理由が分かり納得しました。これはとても説得力がありますね。そして最後に明かされる動機は、こういう物語だったからこそ、正統派に戻って驚かされたという感じです。
やや小粒ではありますが、東野さんの巧さが伺える作品です。思わせぶりな伏線の張り方もいいですね。


「トキオ」講談社(2003年9月読了)★★★★★

宮本拓実と妻の玲子は、病院のベッドの脇で立ち尽くしていました。2人の息子・時生は、生まれた時からグレゴリウス症候群という不治の病のキャリア。中学卒業間近頃にその兆候が現れ始め、病状が進行するにつれて体の機能はどんどん衰え、とうとう3年前から寝たきりに。そして今、最期の時を迎えようとしていたのです。今後、意識が戻る見込みは極めて薄いと医者に宣告される2人。しかし医者が立ち去った後、拓実は麗子に、20以上年前に起きた1つの話を語り始めます。それは1979年の浅草の花やしきで始まった出来事。実は拓実は23歳の時、息子の時生に出会っていたのです。

いわゆるタイムスリップ物。主人公が時空を旅するのではなく、臨終を迎えた時生が、若い頃の父親の元へとやって来るという物語です。SF作品などで使い古されてきた感のあるタイムスリップというモチーフなのですが、そういう設定を使っているというだけで、SF作品ではありません。あくまでもシンプルにストレートに展開させることによって、心に沁みる物語となっていると思います。
それにしても、時生は23年前の父親の拓実の姿を初めて見た時、一体どのように感じたのでしょうか。健康な体を持ちながらも投げやりで、仕事は何をやっても続かず、他人の懐ばかり当てにしている無責任男。いつか一発当てることしか考えていない情けない父親。若気の至りとはいえ、序章で登場した時の姿とのあまりの違いに驚かされます。もちろん、行く当てのない時生を自分のアパートに寝泊りさせたり、千鶴を本当に大切に思っていたりと愛すべき所はあるのですが、やはりあまりに粗暴。…逆に序章の拓実にもう少し弾けた部分があれば、繋がりやすかったのではないかと思うのですが、息子の臨終の場面ではやはり無理でしょうか。しかしそんな拓実が時生と出会い、実の母親と再会し、元恋人の千鶴を助けようとするうちに、徐々に成長していく物語です。
麗子が聞きたいと思った「生まれてきてよかったと思ったことがあるかどうか。幸せだったかどうか。あたしたちを恨んでいなかったかどうか」という問に答えるために、時生は過去に遡ったのでしょうね。東野さんのこのタイプの物語は本当に久しぶりです。須美子の手紙と時生の言葉、そしてラストの一言が何ともいいですね。東野さんの中期の傑作・「秘密」の系列とも言える感動の物語です。

P.215「そら誰でも恵まれた家庭に生まれたいけど、自分では親を選ばれへん。配られたカードで精一杯勝負するしかないやろ」「たしかにあんたもかわいそうやと思うよ。けど、あんたに配られたカードは、そう悪い手やないと思うけどな」

P.346「明日だけが未来じゃないんだ。それは心の中にある。それさえあれば人は幸せになれる」


「ゲームの名は誘拐」光文社(2003年9月読了)★★★★

広告、プロデュース、ブローカーなどを手がける会社・サイバープランに勤めるやり手の広告マン・佐久間駿介。しかし佐久間は、今までにない大仕事、日星自動車の新車発表を兼ねた一大プロモーションの仕事から突然降ろさることになります。佐久間を降ろしたのは、新しく日星自動車の副社長に就任した葛城勝俊。現会長の息子であり、営業、販売、宣伝で実戦を積み、その後アメリカ支社でたっぷりとマーケティング技術を身につけて戻ってきた葛城の発言は、鶴の一声でした。サイバープランの社長の小塚から詳しい話を聞いた佐久間は、酔いに任せてタクシーで田園調布へ。衝動的に葛城の家に乗り込んでやろうと考えた佐久間でしたが、しかしその屋敷から1人の20歳すぎの女性が塀を乗り越えて出てくるのを見て気を変えます。佐久間は彼女の後をつけ、接近。彼女の名前は葛城樹理。愛人の娘で愛されずに育ち、家庭内でも孤立しているという彼女と一緒に、葛城家相手の誘拐ゲームを始めます。

物語は誘拐犯である佐久間の視点からしか語られないので、警察が捜査を始めているのか、肝心の葛城の反応は一体どうなのかなど、まるで分からないままに進みます。ここにとても緊迫感があっていいですね。実際に誘拐事件が起きた時も、犯人は基本的に被害者側の情報を得ることなく進みますものね。佐久間はやり手広告マンというだけあり、犯人像を具体的に作り上げていくなど用意周到。携帯電話やサイトの掲示板を使うところなども工夫されていて面白いです。掲示板への書き込みの文章も感心してしまうほど上手いですし、その他の展開も、細かい部分までよく考えられています。東野さんの頭の良さが分かりますね。
最後のオチは、案外ストレート。しかし、途中から風向きが変わってきた時には驚きました。まさかそんなことがあったとは。まさか最初から見込まれていたのでしょうか…?あの切り札で本当に勝てるのかどうかというのは少々疑問なのですが、それにやられた振りをして、逆に取り込んでしまうではないかと思ってみたり。佐久間も相当な自信家ですが、彼女も彼女なので、案外いいコンビだったのかもしれないですね。ゲーム感覚で読んでいたら、思わぬ闇を見せ付けられたようで、思ったよりもハードな読後感でした。


「手紙」毎日新聞社(2003年10月読了)★★★★★

父親が早くに亡くなり、女手1つで育ててくれた母も倒れ、兄弟2人っきりとなってしまった武島剛志と直貴。元々勉強が苦手だった剛志は高校を中退し、成績の良い直貴を高校に行かせるために、引越し屋などの体力仕事を始めます。念願かなって、直貴は偏差値の高い高校に合格。しかし直貴が高校3年の頃、腰と膝を痛めたことから剛志は失業してしまいます。大学進学を半ば諦め気味の直貴を見て、焦り始める剛志。そして直貴の進学費用を捻出するために、強盗に入る決意を固めるのです。剛志は老婦人が1人暮らしをしている屋敷に忍び込み、100万円ほどの現金を見つけます。しかし留守だとばかり思っていた老婦人に見つかって騒がれ、慌てた剛志は彼女を殺してしまうことに。剛志が逮捕された後、直貴は「強盗殺人犯の弟」というレッテルを貼られながら生きていくことになります。

兄が強盗殺人で逮捕された直貴は、そのせいで数々の挫折を味わうことになります。まず大家に立ち退きを請求され、仕事を見つけることもままならず、ようやく見つけた職場でも、兄のことが知られた途端ぎくしゃくとした状態になります。兄の存在のせいで、音楽でプロデビューするという夢も失い、恋愛さえも壊れてしまう直貴。
犯罪者の家族が、事件の後で苦しい立場に追い込まれることになるのは、知識としては知っていましたが… やはりこのように直視すると辛いですね。犯罪を犯した人間が罰せられるのは当たり前のことです。彼らは刑務所に入るなり何なりして罪を償い、そして再び日常生活を送ることになります。仕事を探すのが大変でも、それは自業自得。それでも頑張るしかありません。しかし犯罪者の家族は何もしていないのです。何もしていないのですから、特に直貴は剛志の親でもないのですから、本当は非難される謂れなど何もないのです。
それでも、あからさまな差別や吹聴、無視されるというのは分かりやすい方なのですね。一番哀しいのは、気を遣いながらも一線を引いてしまう人々の姿。直貴には罪はないし、差別も非難もしてはいけないと分かっていても、それでも思わず「関わりたくない」と感じてしまう人々の姿です。彼らの姿に自分を見て、痛みを感じる読者も多いのではないでしょうか。全く何の色眼鏡もなしに、1人の人間として直貴を見ることができたのは、結局寺尾祐輔だけだったのかもしれません。そして東野さんは、直貴が正々堂々と生きていこうとするのも、そして剛志がしていることも、単なる自己満足だったのだと言い放ちます。最後の決断は読者自身に任されることに。
最後の手紙には心打たれますね。何も分かっていなかった兄の善良さ。全てに気付かされてしまった時の哀しみ。「阿呆」という言葉が本当に切ないです。実は、設定を聞いた時には、正直あまり読みたくないと思ったのですが… やはり東野さんですね。素直にとても良かったと思いますし、読んで良かったです。


「おれは非情勤」集英社文庫(2003年6月読了)★★★★

【おれは非情勤】…「おれ」は小学校の非常勤講師。生来の仕事嫌いで、仕事が回ってくるより、金がなくても好きなことがしていたいタイプ。そんなタイプの非常勤講師が色々な小学校を回っているうちに出会った事件、6編をまとめた連作短編集。
【放火魔をさがせ】…放火事件が相次ぎ、交代で町内の夜回りをすることに。竜太の家の担当は2日目の晩で、父親と一緒に回ることになります。しかし集会場所の細川家で皆がうつらうつらしていると、夜半になって細川家が燃え始め…しかもドアの外にはコンクリートのブロックが積んでありました。
【幽霊からの電話】…竜太が学校から帰ってくると、今晩遅くなるのでカレーを食べていて欲しいという留守番電話のメッセージ。しかし聞いている間に母親が帰ってきます。間違い電話だと1度は納得する竜太ですが、翌日学校に行ってみると、他の家でも同じようなメッセージが入っていて…。

学研の小学生向けの雑誌に連載されていた短編などを集めた1冊。小学生のうちから東野作品を読めるなんて、なんて幸せなんでしょう!小学生向けのジュブナイルとはいえ、きちんとミステリになっていて、大人が読んでも十分楽しめる作品ばかりです。
「おれは非情勤」名前も登場しない「おれ」が主人公。典型的なハードボイルドの主人公タイプです。良くも悪くも小学生を子供扱いせず、1人前の人間として扱っています。こういう教師は、子供に媚びていない分、却って子供から信頼されやすいはず。しかも子供にも仕事にもまるで興味がないと言っている割には、きちんと見るべきところは見て、押さえるべきところは押さえているんですよね。その言動はあくまでもクール。しかも物語の中で浮き彫りにされる、学校という場所の持つ問題に対する言葉が、綺麗事だけではないというのが、とても好ましいのです。この中で一番驚いたのは「ムトタト」。これぞ小学生相手のミステリならではですね。この真相にはあっと驚かされました。もちろん大人用に書かれているわけではないので、少し甘いと感じる部分もあるのですが、それもご愛嬌といったところでしょう。「放火魔をさがせ」と「幽霊からの電話」の2編は、やんちゃな小学生・竜太のシリーズ。こちらも楽しい作品です。


「殺人の門」角川書店(2003年9月読了)★★

裕福な歯科医の家に生まれ育った田島和幸。家庭内は完全に上手くいっているとは言いがたいものの、母は父の仕事を手伝い、寝たきりの祖母には介護のための家政婦「トミさん」がつき、何不自由なく平和な毎日。しかし和幸が小学校5年の時に祖母が亡くなり、そこから和幸の人生が狂い始めます。まず祖母の死に対して、どこからともなく、実は毒殺されたのではないかという噂が広まります。元々友達の少なかった和幸は学校でますます孤立し、父の診療所の患者は激減、とうとう両親は離婚。母は家を出て、和幸は父の元に残ることになります。そして患者が減って暇になった父は銀座のホステスにうつつを抜かし、有り金をつぎ込むことに。そんな和幸にいた唯一の友達は、クラスメートの倉持修。倉持は和幸をゲーム場や賭け五目並べの店に連れて行きます。あともう少しのところで勝てない和幸は、お小遣いをつぎ込んで五目並べに熱中。しかしこの時の和幸は、まさかこの倉持が自分の一生を左右することになろうとは、思ってもいなかったのです。

忘れた頃に現れては、和幸を丸め込んで騙し、都合が悪くなれば姿を消すということを繰り返す倉持。和幸はそんな倉持のせいで、何度も掴みかけた幸せを逃すことになります。和幸は倉持に殺意を抱くのですが、なかなか決定的な殺人にまでは至りません。それは和幸がお人よしで、いつも決定的なところで倉持の口先三寸に丸め込まれてしまうから。やはり和幸が、元はいい家に育っているお坊ちゃんのせいなのでしょうか。見ていて歯痒くなってしまうほどです。普通ならここまで来るまでに悟ると思うのですが…。しかし、和幸が殺人を実行に移せないのは、実は和幸自身に決定的な何かが足りないからなのです。これほど何度もトラブルに巻き込まれ、そのほとんど全部が倉持のせいとわかっても、どれほど殺意を抱いていても、殺人というのは計画するのと実行するのとでは大違い。この物語の主役は、和幸自身というよりも和幸の殺意そのものなのでしょう。その殺意の変遷と、何がそこに欠けているのかという考察がとても興味深いです。
出だしからダークに始まり、最後までダークなまま突き進みます。この雰囲気から、好みが分かれる作品かもしれないですね。私には少々ダークすぎ、主人公にもあまり好感が持てないままだったのですが、それでも一気に読ませる力を持っていますし、大絶賛もされ得る作品だと思います。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.