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このページは、東野圭吾さんの本の感想のページです。

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「幻夜」集英社(2004年2月読了)★★★★

1995年の兵庫県西宮市。水島雅也は、金属加工工場の借金を苦に自殺した父・幸夫の葬式を無事終えたところに、叔父の俊郎に借金返済の話を切り出されます。父の生命保険が全額下りれば三千万円。工場の借金が二千万円。俊郎は残った一千万円から、以前幸夫に都合した四百万円を返済して欲しいというのです。しかしその翌朝未明におきた阪神淡路大震災でのために、水原家の母屋は全壊。俊郎は梁の下敷きに。しかし雅也が叔父のポケットから父の借用証書を抜き取った瞬間、死んだと思っていた叔父が目を開けたのです。思わず叔父の頭に瓦を叩きつけてしまう雅也。そんな雅也を見ていたのは、見知らぬ女性でした。雅也は犯行現場を新海美冬と名乗るその女性に目撃されたのかどうか分からないまま、美冬と親しくなることに。彼女は前日両親を訪ねて西宮に来たところで、両親は住んでいたアパートの下敷きになって死んだのだと言います。叔父の娘夫婦、小谷信二と米倉佐貴子に叔父殺しを疑われた雅也は、美冬と共に東京へと向かうことに。

「白夜行」から4年半。明確な繋がりは明かされないものの、明らかに「白夜行」と対になっている作品。「白夜行」での雪穂と亮司は、この「幻夜」での美冬と雅也。しかし雪穂と亮司が、子供時代からきっちりと書き込まれて、完全に運命共同体として存在していたのに比べると、美冬と雅也の関係は少し違うのですね。この作品の中での雅也は、ごく普通の、浜中や青江真一郎らと同じく美冬の魅力に溺れた男に見えてしまいます。彼女にとって雅也とは、単なる都合のいい男の1人だったのでしょうか?特に多くを望まず、黙々と美冬の要求を満たし続ける雅也だからこそ、急いで切る必要がなかっただけなのでしょうか?美冬を愛している雅也が、何としてでも美冬を助けたいと思うその気持ちは良く分かるのですが、それだけでは少々弱かったような気がします。そして今回、そんな雅也の心情が多く描かれているのが、「白夜行」との違いなのですね。「白夜行」でははっきり描かれず、読者が推測するしかなかったようなことが、こちらでは詳細に描かれており、その分分かりやすかったものの、ミステリアスな部分が少々薄れてしまったような気がしました。しかしそれによって男女の対比、そして美冬の圧倒的な優位が強調されていたようにも感じられました。
今回、「白夜行」と比べて色々とあげつらってしまいましたが、読んでいる時は、ただ夢中。ものすごく吸引力の高い作品だと思いますし、読み応えも十分。単独で読んでも非常に満足度の高い作品なのではないかと思いますし、「白夜行」と読み比べると、さらに楽しめると思います。
「白夜行」絡みのネタばれ→やはり、美冬は雪穂ですよね?まず何よりも思考回路が同じですし、南青山のホワイトナイトという店名も意味深。もしや雪穂は、入れ替わる下準備のために海外に同行していたのでしょうか。おそらく地震が起きなくても、雪穂はやすやすと目的を達成していたのでしょうね。怖すぎる…


「ちゃれんじ?」実業之日本社(2004年12月読了)★★★★

2002年2月。44歳にして、突然スノーボードを始めた「おっさんスノーボーダー」東野圭吾さんのエッセイ集。「おっさんスノーボーダー殺人事件」など、軽めの書き下ろし短編も収録。

なんとも読みやすくて面白いです。スノーボードを始めたばかりで、滑れば滑るほど上達するのが楽しくて、すっかりハマってしまうのは、私にもとても良く分かります。作家という、ある程度時間が自由になる仕事だからこそ尚更ハマったのでしょうけれど、この集中力は凄いです。本当にここに書かれているように仕事そっちのけでスノーボードをやってらしたのでしょうか。S編集長やT女史とのやり取りも楽しいですし、新本格系の作家さんとの付き合い、特に黒田研二さんとのやりとりが可笑しいですね。サッカーのワールドカップ観戦話やゴルフやカーリング、野球などの話も混ぜられていますが、やはりメインはスノーボード。書くネタがなくなってきたから、という引き際も鮮やか。黒田研二さん、二階堂黎人さん、貫井徳郎さん、笠井潔さん、京極夏彦さんなどの作家さんの名前が登場するのも楽しいです。


「さまよう刃」朝日新聞社(2005年8月読了)★★★★

友人と花火大会を見に行ったはずの娘の絵摩が帰宅せず、心配する長峰重樹。実は絵摩は、最寄駅から自宅までの道を歩いている途中、菅野快児、伴崎敦也、中井誠という3人の18歳の少年たちにクロロフォルムを嗅がされ、気を失ったところをグロリアの車内に連れ込まれ、そのまま敦也が1人暮らしをしているアパートに連れ込まれていたのです。誠だけは父親からの急な電話で家に帰ったものの、絵摩は快児と敦也に覚せい剤を打たれ、レイプされ、しかもその現場をビデオカメラで撮影されていました。そして2日後、荒川の下流部で絵摩の死体が発見されます。そして悲嘆にくれる長峰の元に密告電話が。電話をかけてきた人物が告げたのは、絵摩を殺した犯人2人の名前と犯行現場の場所。そして現場に向かった長峰は、絵摩がレイプされているシーンを撮ったビデオを目の当たりにすることに…。

娘が殺されるまではごく普通の会社員だった長峰。このような事件に巻き込まれるなど、夢にも思っていなかったはず。少年法についても、深く考えたことはなかったでしょう。しかし実際に愛娘が殺され、しかもレイプされるシーンを撮ったビデオを見てしまい、否応なく考えさせられることになります。
現行の少年法については既に色々と言われています。どんな罪を犯しても、未成年の少年たちに大人同様の裁きを受けさせ、罪を償わせることができないというのは、以前から指摘されてきたこと。同じことをしても、まだ20歳になっていないなら本当に責任能力が問えないのかというのは、私自身以前から疑問に思っていた部分です。確かにここに登場する弁護士が言うように、少年法は子供を裁くためのものではなく、間違った道に進んでしまった子供たちを助けて、正しい道に導くために存在するのかもしれません。しかしここに登場する少年たちを見ていると、その言葉は絵空事のようにしか響かないですね。これだけの罪を犯しても、未成年の場合は3年も経てば仮出獄。少しでも更生する余地のある少年たちにとっては、少年法は良いものなのかもしれないですが… 自分の子供、特に女の子を持つ親ならば、長峰に同情せずにはいられないでしょうし、自分たちは未成年だからと開き直っている少年たちに対して憤りを抑えずにはいられないと思います。和佳子のように、本当はいけないことだと分かっていながらも、長峰を止めることができない人も多いはず。一連の事件を追っていた週刊誌の編集長の、それでは現状に合った裁きができない、被害者の受けた苦痛はどうなるのだ、加害者を助けることばかり考えるのが正しい道なのか、という言葉は、たとえ彼らが被害者を食いものにしているマスコミであるにせよ、やはり正論です。しかも犯罪を未然に防ぎ、犯罪者を逮捕しなければならない立場の刑事たちにも、長峰に同情する向きがあります。自分たちがやっていることは、結局加害者を守るということなのかという疑問。長峰に同情しながらも、しかし長峰の犯罪を未然に止め、逮捕しなければならない刑事たち。そんな刑事たちもまた、刑事である以前に1人の人間なのです。
一体正義とは何なのか。未成年には本当に物事の善悪を判断する力やそれに伴う責任がないというのか。少年法については様々な意見があると思いますが、現行のままでいいとは決して思えませんし、ここに書かれているような出来事も、実際に当事者になってしまう前に、それぞれが自分のこととして考えなければいけない時期に来ているのですね。この作品の中に結論はありません。あくまでも問題提起のみ。最後の結末には賛否両論だと思うのですが… これに関してはどちらが良かったとも言い切れないです。
重苦しいテーマですし、それぞれの人々の苦悩がダイレクトに伝わってきます。しかし東野さんらしい読みやすさとテンポの良さ。これだけの問題を、この1冊に纏め上げる力はやはり凄いですね。

P.144「あれは長峰の肉声みたいなもんだ。肉声には肉声の力がある。その力があまり大きいと、俺たちにとって厄介な壁になる」


「黒笑小説」集英社(2005年8月読了)★★★★

「怪笑小説」や「毒笑小説」に次ぐ、ブラックユーモア短編集。13編が収められています。

この中で目を引くのは、やはり「もうひとつの助走」や「線香花火」「過去の人」「選考会」などの文壇物でしょう。表紙の写真にも東野さんご自身が登場していますし、某文学賞に5度目のノミネートという作家・寒川は、どう考えても東野さんご自身がモデル。しかし自虐的なギャグというよりは、周囲の「きっと東野は悔しがっているだろう」という期待に応えてみたギャグのように思うのですが… 実際にはどうなのでしょう。4編が絶妙にクロスしており、これらの文壇物だけでも十分楽しむことができます。特に最後のオチには驚かされました。
これらの文壇物を独立させて1冊にまとめて欲しかったような気はするのですが、「巨乳妄想症候群」や「インポグラ」のような下ネタ物や、また違う作品群ががミックスされて、バラエティ豊かな1冊となっています。「黒笑」も、これによって程よく緩和されているのかもしれないですね。私が特に楽しんだのは「インポグラ」「モテモテ・スプレー」「シンデレラ白夜行」。「シンデレラ白夜行」の突然の童話調に驚いたのですが、このシンデレラこそが雪穂なのですね。そして文壇物に登場する唐傘ザンゲ氏による「虚無僧探偵ゾフィー」が読んでみたいです。勝手な想像としては、舞城王太郎作品のような感じなのではないかと思うのですが…。

収録作:「もうひとつの助走」「巨乳妄想症候群」「インポグラ」「みえすぎ」「モテモテ・スプレー」「線香花火」「過去の人」「シンデレラ白夜行」「ストーカー入門」「臨界家族」「笑わない男」「奇蹟の一枚」「選考会」


「容疑者Xの献身」文藝春秋(2005年10月読了)★★★★

かつて錦糸町のクラブで世話になっていた小夜子に誘われて、弁当屋「べんてん亭」で働くようになった花岡靖子。靖子は5年前に富樫慎二と離婚し、今は1人娘の美里と2人暮らし。しかし靖子の元に富樫が再び現れたのです。富樫はかつては外車のセールスマンをしていたのですが、会社の金を使い込んでくびになり、それ以来人間が変わったように働かずに1日中ごろごろしているか、ギャンブルに出かけるという毎日。酒量も増えて暴力を振るうようになったため、靖子は客に紹介してもらった弁護士に相談して離婚に押し切ったのです。富樫は靖子の職場「べんてん亭」に現れ、その後靖子の住んでいるアパートにまで押しかけ、靖子に復縁を迫ります。しかしその富樫を、靖子は殺してしまったのです。その直後、部屋を訪ねて来たのは、隣室に住む、高校の数学教師の石神哲哉。石神は以前から靖子に好意を抱いており、自分に任せておけば全て上手く行くようにすると申し出ます。

「探偵ガリレオ」「予知夢」に続く、湯川学と草薙刑事の登場する作品。しかし今までのガリレオシリーズとはまるで雰囲気が違うのに驚きました。「探偵ガリレオ」や「予知夢」は、湯川の物理の知識を生かした、理科の実験でも見ているような楽しさのある連作短編集なのですが、これは雰囲気ががらりと変わって長編本格ミステリ、しかもしみじみと切ない作品となっています。むしろ純愛小説と言ってもいいのではないでしょうか。これまではとてもクールに描かれていた湯川の人間的な側面にも触れられますし、本当にシリーズ物として括ってしまっていいのか、躊躇ってしまうほど。
アリバイは完璧でありながらも、あくまでも靖子を疑い、捜査を進める警察。そして警察の捜査の先手を打って、着実に行動してくる石神。石神と湯川の頭脳対決は緊迫感たっぷり。自分と対等に議論できるレベルの人間と再会できて嬉しい気持ちと、相手を恐れる気持ちが相反する石神の姿、そんな石神を大切に思う湯川の姿がとても印象的です。この2人の友情の存在が、事件に複雑な色合いを出しているのですね。そして読んでいる私にとっては、靖子は石神にこれほどのことをしてもらうほどの女性だとは思えないのですが、おそらく何も知らない第三者にしてみれば、冴えない石神こそが、靖子にまるで釣り合わない相手に見えるはず。しかし靖子が靖子である限り、石神にとってはそういったことは、何ほどのことでもないのでしょうね。石神のダルマのような体つき、無表情に見えたその顔つきの奥に潜んでいた深い感情。ラストの石神の慟哭が切なかったです。


「さいえんす?」角川文庫(2006年1月読了)★★★

「ダイヤモンドLOOP」や「本の旅人」に連載されていたというエッセイをまとめた本。

「さいえんす?」という題名から、もっと理系よりの内容かと思っていたのですが、「?」が付いている通り、それほど理系の話ばかりではありませんでした。むしろ文系の人間に気楽に楽しめるのではないかと思えるようなエッセイ。ダイエットや血液型、カーナビやインターネットといった軽めの話題から、少子化問題や環境問題といった社会的な問題、科学技術の進歩がミステリにどのような影響を与えているのかというミステリ作家ならではの話題まで内容は様々。今の風潮や社会情勢に対しての東野さんなりの考えが示されていきます。軽そうでいて、意外と真面目な内容。とは言っても堅苦しくはありません。その中で特に印象に残ったのは、「理系はメリットか」の章。ここでは理系人間であることに対するデメリットがいくつか挙げられているのですが、そのうちの1つは、理系人間は科学的整合性に囚われてしまい、大胆な発想ができなくなるということ。理系作家であるということを前面に打ち出している作家も何人かいますし、その発想や知識に感心させられることも少なくありません。得意分野を持っているというのは作家にとってかなりの強みだろうと思っていたのですが、違うのですね。
出版業界の抱える問題のことなども書かれています。東野さんご自身、デビュー当時は西村京太郎氏や赤川次郎氏の売り上げで育ててもらっていたとのことで、今は東野さんが後進の作家を育てる役回り。しかし本が売れなくなっている現在、それもなかなか厳しい状況になってきているとのこと。確かに、万引きした本をブックオフなどに売るなどという話は論外ですが、図書館で何人に読んでもらっても作家や出版社には1冊分の利益しか入らないというのは良く分かります。しかしそこには、今の玉石混合の出版事情にも問題があるのではないでしょうか。それで面白くもない本をつかまされた読者が、次は図書館で借りるか新古書店で購入しようと考えても不思議はないと思うのです。駄作かもしれない本を次々に買えるほどの経済的余裕、そしてそれを手元に置いておくほどの収納スペース的余裕がある人間ばかりではありません。そして刊行から絶版までのスパンが非常に短く、読みたい本を探すには新古書店に行くしかないことも多いのも、その悪循環のように思えます。私としては、最初は図書館で借りたのがきっかけで読んだとしても、手元に置きたくて書店で新たに購入してしまうほどの本を作家さんには書いて頂きたいところなのですが…。


「夢はトリノをかけめぐる」光文社(2006年8月読了)★★

突然ネコから20歳前後の青年になってしまった夢吉。同居している作家の「おっさん」は、なってしまったものは仕方ない、せっかく人間として生きてみろと言います。そして夢吉は、なぜか冬期オリンピックを目指すことになり、様々な選手たちに話を聞きに行くことに。

ずっとエッセイかと思い込んでいたのですが、半分フィクションのオリンピック観戦記だったのですね。
前半は、日本でのオリンピック競技の紹介です。夢吉が話を聞きに行くのは、バイアスロン、クロスカントリー、ジャンプ、カーリング、ボブスレー、リュージュなどなど。冬季五輪に人気がないのは、それぞれの競技の知名度が低いからだという理由は、おそらくその通りなのでしょうね。バイアスロンを日本で練習できる唯一の場所、自衛隊の冬期戦技教育隊(通称・冬戦教)というのも、私にとっては全くの初耳でした。冬季五輪は個人でタイムを競うものが多く、人間対人間という競技が少ないという理由もとても大きそうです。ただ、私の場合、1つ1つの競技をしっかり見れば楽しめるのですが、オリンピックに限って言えば、メダルの数ばかり数えようとするマスコミの姿勢に反発してしまうというのもあります。その辺り、東野さんの4位説にはなかなかの説得力がありました。そして後半は、実際にトリノに行ってのオリンピック観戦記。かなりハードな移動で沢山の競技を見られたようですね。こちらは、ひたすら現地のトイレ事情の悪さが印象に残ってしまいましたが…。
アルペンスキーヤーを主人公にした「フェイク」という作品も楽しみです。そうやって小説に取り込むことによって、知名度を上げることは十分可能だと思います。森絵都さんの「DIVE!!」もその1つ。今はマイナーでも、実は面白いという競技はいくらでもあるはず。ぜひそうやって取り上げて作品にして頂きたいです。


「赤い指」講談社(2006年9月読了)★★★

世話になった伯父の隆正に憧れて、警察の仕事を選んだ松宮脩平は、現在は警視庁捜査一課の刑事。練馬の少女死体遺棄事件で練馬署の加賀恭一郎と組むことになります。加賀は隆正の息子。しかし胆嚢と肝臓が癌に冒されて余命いくばくもない隆正の病室に、加賀は近づこうともしないのです。割り切れない思いを抱えながらも、捜査のために加賀との聞き込みを始める脩平。一方、少女を殺したのは14歳の前原直巳。パートを終えて家に帰ってきた母親の八重子は、リビングに死体があるのを見て驚き、直巳の将来のことを考えて、夫の昭夫と共に直巳を守ろうと決意を固めるのですが…。

加賀恭一郎物。ミステリ作品ではありますが、単に事件を解けばいいというだけのミステリではありませんでした。物語は、加賀の父親に対する態度に割り切れない思いを抱く松宮の視点と、1人息子が犯罪を犯してしまった前原昭夫の視点の双方から描かれており、その中に嫁姑問題や老人介護問題、家族の絆など、家族や家の問題が濃密に織り込まれています。殺人を犯しながらも、まるで反省の色が見えない直巳や、そんな息子をかばおうとする両親の姿を見ているのがつらいです。それだけしてやっても、息子は親を有難いなどと思うことはないでしょうし、懲りずに同じことを繰り返すでしょうに…。そんな不愉快な事件なので、事件が解決して心底ほっとします。そして事件の解決が、松宮の心情的なわだかまりの解決と見事に重なっているところがいいですね。松宮脩平という刑事の、刑事として人間としての成長を描く作品にもなっていると思います。「刑事というのは、真相を解明すればいいというものではない。いつ解明するか、どのようにして解明するか、ということも大切なんだ」という加賀の言葉が素敵。まさにその通りに解決していますね。上司である小林主任に「しっかり、加賀君のやり方を見ておくんだぞ。おまえはこれから、すごい状況に立ち会うことになるからな」と言われた脩平には、少し面白くない思いもあったかとは思いますが、これは確かに大きな経験となったはず。
ただ、重いテーマを扱いながらも非常に読みやすいのはいいのですが、それだけに本当はもっと深いところまで書きたかったのではないか、270ページという枚数に収まるべき作品ではなかったのではないかという思いも残ります。


「たぶん最後のご挨拶」講談社(2006年9月読了)★★★★

「あの頃ぼくらはアホでした」「ちゃれんじ?」「さいえんす?」「夢はトリノをかけめぐる」に続く、5冊目にしておそらく最後となるエッセイ集。「年譜」「自作解説」「映画化など」「思い出」「好きなもの」「スポーツ」「作家の日々」という7章。

これまでのエッセイ集で読んで知っていた部分も色々とあったのですが、生まれてからの年譜から始まっていることもあり、今までのエッセイの総まとめといった感がありました。「あの頃ぼくらはアホでした」の学生時代、5年間のサラリーマン生活、そして作家への転身。なかなか売れずに苦しむものの、いつの間にか作品に次々と映画化の話が舞い込む有名人気作家への変身。作家・東野圭吾史といったところでしょうか。自作の解説もとても興味深いところ。
しかしこれは、東野圭吾さんにとって最後のエッセイ集となるのだそうです。作家になった当初はエッセイを書くのを当然に思い、プロの作家になったという実感もあって喜んでエッセイの仕事を引き受けていたという東野圭吾さん。しかし実はずっと違和感を感じていたのだそう。江戸川乱歩賞を取ってプロの作家になったとはいえ、それはエッセイを書く能力とは無関係。実際エッセイを書くのが苦手な東野さんにとっては、もうエッセイは書かないという決断は「身体が軽くなったような気さえ」することだったのだそうです。東野圭吾さんのエッセイは十分面白いと思いますし、楽しみにしているファンも多いと思うのですが、確かに「訴えたいことは小説で」という考えも分かります。それに、「そんな時間があるなら、小説を書け」という言葉に反論できないというのも、読者にとってはとてもありがたい姿勢と言えます。
もちろん、「たぶん最後」という題名から「絶対に最後」ではないと期待する読者もいるのでしょうけれど… それは東野さんにとっては、「ちゃれんじ?」や「さいえんす?」の「?」と同じようなものなのでしょうね。

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