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このページは、神話・伝承の本の感想のページです。

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「ハンガリー民話集」オルトゥタイ 岩波文庫(2008年6月読了)★★★★

ハンガリーの民話全43編。(徳永康元・石本礼子・岩崎悦子・粂栄美子編訳)

さすがに43編もあると、最後の方では少々飽きてしまったのですが、東欧の民話をきちんと意識して読んだのは初めてだったので、なかなか興味深かったです。まず日本の昔話の決まり文句「むかしむかし、あるところに」というのが、ハンガリーでは「あったことかなかったことか」という言葉。かなりの割合の物語が、この言葉で始まってます。今までにも今までにもハンガリーの昔話を読んだことはあるのかもしれませんが、この「あったことかな かったことか」というのは初めて。そして締めくくりの言葉に多いのが、「死んでいなければ今も生きているはずだ」というもの。婚礼の式に招かれていたなど、その場に自分もいたという言葉で終わる作品も時々ありました。ただ、ロシア民話のように、婚礼の式によばれて蜜酒やビールをご馳走になったけれど、ちょっぴりひげを濡らしただけでみんなこぼれてしまった... というのはないようですね。

スーザン・プライスの「ゴースト・ドラム」にも、鳥の足がついた家が出てきていましたが、こちらで登場したのは鳥の足の上で回転するお城。これは東方のシャーマンの旋回する儀礼が入ってきたものだそうです。スーフィー(イスラム教神秘主義派)の修行僧・ダルヴィッシュの旋舞のことなのでしょうか。ハンガリーはかつてオスマントルコに支配されていたこともあるので、その辺りから入ってきたのでしょうか。
15世紀に実在したというハンガリー王・マーチャーシュの話も面白かったです。まるで一休さんのようなイメージですね。巨大なかぼちゃを見つけて王様に贈り物にした貧しい人には2頭の雄牛が買えるお金を与え、それを聞いて美しい子馬を贈り物に持っていった金持ちの男には、その巨大なかぼちゃを与える、お金がなくて亭主の葬式を断られ た貧しい女には金貨を渡し、その葬式で強欲な坊さんをこらしめるなど、なかなか頓知のきいた対応をしています。実際にはお忍びで国の中を旅して回っていたこともあるそうで、そうなると水戸黄門のようなイメージになってしまうのですが…。


「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ 岩波文庫(2008年8月読了)★★★★

グリム童話集に匹敵するものを、とカルヴィーノが3年かけて採取し編纂したイタリアの民話集。原書では200話が収められているのですが、この岩波文庫版にはそのうち75編が収録されています。上巻が北イタリア、下巻が南イタリアの民話です。(「FIABE ITALIANE」河島英昭編訳)

ヨーロッパやアジアに流布しているような物語も沢山ありましたが、イタリアらしさが感じられるものも多々ありました。たとえば「皇帝ネーロとベルタ」は、まさにイタリアならではという登場人物。ペルセウスとアンドロメダの物語のような「七頭の竜」も、モチーフ的には他の地方にも見られるパターンながらも、ギリシャ神話を感じさせる辺りがとてもイタリアらしいです。そして「眠り姫」もイタリアに来ると、王子さまが来てもお姫さまは眠り続けていて、その間に子供ができてしまうのですね。目が覚めて傍らに赤ん坊がいるのを見て驚くお姫さまには、こちらの方が驚いてしまいますが、もしやこれが「眠り姫」の原型なのでしょうか。 そして地理的に近いせいか、先日読んだ「スペイン民話集」と似通っている物語もいくつか目につきました。道を歩いていく男性との窓越しのやりとりで進んでいく物語などは、ほとんど同じと言えそうです。そちらを読んでいなければ、これがイタリアらしさなのかと思ったでしょうから、その辺りが難しいところなのですが。
私が好きだったのは、「賢女カテリーナ」というシチリアの物語。パレルモの王子が、大評判の賢女カテリーナの学校に通い始めるのですが、質問に答えられなくて、王子はぴしゃりと平手打ちをされてしまいます。平手打ちなどしたことを後悔させるために、王子は父王に頼み賢女カテリーナと結婚。そしてどうしても後悔しそうにない賢女カテリーナを地下に閉じ込めておいて、自分は旅に出てしまうのです。ナポリではカテリーナそっくりの女性を見つけて結婚し、子供を作る王子。2年ほど暮らすと飽きてしまい、次はジェノヴァへ、さらにヴェネツィアへ。どちらでも同じようなことが起こります。そしてパレルモに帰った時...。次々に女性を 見初めて結婚する割には、結局同じ女性を選んでしまっている王子が情けなくも可愛らしい物語です。
包丁で身体をまっぷたつにされた男の子の話「まっぷたつの男の子」は、カルヴィーノの「まっぷたつの子爵」のアイディアの元になっているのでしょうか。それぞれの民話はカルヴィーノによってかなり手が入れられているようで、プリミティブな力強さこそ感じられないものの、とても読みやすく面白いです。そして巻末にはカルヴィーノによる詳細な原注も。こちらも読み応えがあるので、訳者あとがきにあるように「注を主体と して読み、本文を従属的に読む」という読み方も良さそうです。


「スペイン民話集」エスピノーサ 岩波文庫(2008年6月読了)★★★★

エスピノーサは、スペイン系アメリカ人の言語・口承文芸の研究者。原書に収められている280編もの民話から、日本人が興味深く読めるスペインらしい話全87編が選ばれているのだそうです。謎話、笑い話、教訓話、メルヘン、悪者話、動物昔話、だんだん話の7章に分かれています。(「CUENTOS POPULARES ESPANOLES」三原幸久編訳)

スペイン語の原題、採取された場所、グリム童話などに類話がある場合はその題名などが記されており、かなりきちんとした民話集です。
この中で一番興味深いのは、「聖女カタリーナ」。これは教訓話の章に収められている話です。幼い頃から信心深く生きていた聖女カタリーナとは対照的に、その母親はとても罪深い女。一足早く亡くなった聖女カタリーナは当然天国へ行くことになるのですが、母親は当然のように地獄行き。しかし聖女カタリーナは母親と一緒にいることを望み、キリストや聖母マリアにお願いするのです。そして聖女カタリーナの願いは聞き入れられ、天使たちが母親を迎えに行くことになります。しかし母親は、自分ににつかまって一緒に地獄を出ようとした他の魂たちに向かって悪態をつき、それを聞いた天使たちは母親を放してしまう... という話。
これは芥川龍之介「蜘蛛の糸」の原話。しかし同じように宗教的な雰囲気を持ってはいても、「聖女カタリーナ」と「蜘蛛の糸」は全然違うのですね。一番の違いは、再び地獄に落ちた母親の魂のために、最後に聖女カタ リーナ自身も地獄へ行くことを選ぶというところ。なんと母親愛の話だったのです。たった一回蜘蛛を助けただけで、結局お釈迦様の気紛れに振り回されることになる「蜘蛛の糸」とは違い、この「聖女カタリーナ」の方がずっと説得力がありますし、話として筋が通っていると思います。私はこちらの方が好きですね。芥川龍之介の描 く極楽と地獄の情景も美しいですが…。


「ロシアの神話」フェリックス・ギラン 青土社(2008年6月読了)★★★★

「ロシアの神話」という題名ですが、中身は「スラヴの神話」「リトワニアの神話」「ウグロ=フィンの神話」という3章に分かれています。(小海永二訳)

スラヴといえば東欧〜ロシアで、本来ロシアの神話といえばこれのはず。実際、スラブ神話に関してはやはり一番多くのページが割かれています。しかしリトアニアとフィンランドはまた全く別ですね。リトアニアもフィンランドも、かつてロシア帝国やソビエト連邦に組み込まれていたことがある国なので、ロシアと言えないこともないのかもしれませんし、それぞれ独立した1冊にするほどの量もないために1冊にまとめられたのでしょうけれど、3つの章には全く関連性はありません。
読み物としてはあまり面白味がないと思うのですが、スラヴ神話に関しては全く何も知らないので内容的にはとても興味深かったです。あらゆる神々の父は「天(スヴァローグ)」で、その2人の息子は「太陽(ダジボーグ)」と「火(スヴァロギッチ)」。この太陽神が、ギリシャ神話など他の神話と似たイメージを持っているのです。地域によって多少違いはあれど、基本的に馬車に乗って1日に1回天空を1周しています。それは火の息を吐く白馬たちに引かれた光り輝く馬車であったり、黄金のたてがみを持つ12頭の白馬に引かれたダイヤモンドの二輪馬車であったり、銀の馬と金の馬とダイヤモンドの馬との3頭の馬に引かれた馬車であったり…。ギリシャ神話にも、太陽神ヘリオスの息子・パエトーンが父親の馬車を引きたがる話がありますね。北欧神話も馬車のはず。調べていたら、インド神話の太陽神・スーリヤも、7頭の馬が引く戦車に乗ってるようです。それに対して、エジプト神話では「太陽の舟」。空を大地に見立てるか海に見立てるか、どちらかなのでしょうか。となると高天原はどうなのでしょう。天照大神も何かに乗ってたいたのでしょうか。
同じスラヴ神話の太陽神でも地方によってそのイメージが多少異なるように、同じ名前の精霊でも、地方によって姿形や性格が全く違っていたりするのがまた面白いところですね。たとえば水に溺れた若い女性は「ルサールカ」になるそうなのですが、南のルサールカはその優美な美貌と優しい歌声で旅人を誘惑して快い死に至らしめるといいます。まるでセイレーンやローレライのようです。しかし北のルサールカは、ざんばら髪に裸でまるで妖怪のよう、邪悪で意地悪で人々を水に突き落として苦しみのうちの溺死に導くのだとか。
そして フィンランドといえば、国民的叙事詩「カレワラ」。「カレワラ」についての本は色々ありますし、私も多少は読んでいるのですが、神話そのものを解説してる本というのは貴重ですね。カレワラにも天地創造の場面はあるのですが、神々はそれ以前から存在していたようですし、主人公・ヴァイナミョイネンもその友・鍛冶師のイルマリネンも、2人が戦うことになる北方の魔女ロウヒも、普通の人間ではないにせよ神という感じではないのです。しかし神々のことは一通り載っていたのですが、神話という感じではありませんでした。ギリシャ神話ほどではないにせよ多少のエピソードはあるのではないかと期待してのですが、神々の誕生にまつわる話はおろか、エピソード的なものはほとんど何もなし。もしやフィンランドにもほとんど残っていないのでしょうか。


「ロシア民話集」上下 アファナーシエフ 岩波文庫(2008年6月読了)★★★★

ロシアのグリムとも呼ばれる民族学者・アレクサンドル・アファナーシエフが編纂した「ロシア民話集」から78編を選び、上下巻に収めたもの。(中村喜和訳)

本の紹介に「イワンのばかとその兄弟,蛙の王子,火の鳥や灰色狼など,ロシア民話におなじみの人物・動物はみなここに登場する」とある通り、子供の頃に読んだ本が懐かしくなるような物語が沢山収められています。今回はスラヴ系の骨の一本足の魔女「ヤガーばあさん」こと「バーバ・ヤガー」の話目当てで読んだのですが、こちらも沢山収録されていました。ヤガーばあさんは人をとって食うことも多いですし、大抵は人々に恐れられている怖い存在なのですが、時には主人公を助けてくれる親切なおばあさんになることもあるという存在。しかし「ルスランとリュドミーラ」に出てくる魔法使いの「チェルノモールじいさん」は登場しないのですね。まさか「不死身のコシチェイ」と名前の読み方が違うだけとは思えないのですが... プーシキンの「勇士ルスランとリュドミーラ姫」に収められている4編のうち2編に登場するので、てっきりロシアでは有名な存在なのかと思い込んでいたのですが、そうではなかったのでしょうか。それとも地方によるのでしょうか。あと「せむしの小馬」も出てこないですね。子供の頃に好きだった岩波少年文庫の「せむしの小馬」は、詩人のエルショーフがロシア民話を元にまとめた本と聞いていたのですが… これも地方による違いなのでしょうか。この本に登場する馬は、せむしどころか駿馬ばかりでした。
ロシア民話では物語の締めくくりに、婚礼の式によばれて蜜酒やビールをご馳走になったけれど、ちょっぴりひげを濡らしただけでみんなこぼれてしまった... と言う言葉が登場することが多いのが印象的なのですが、これは実は語り手が語り終わって喉が渇いて聞き手に酒を催促してるということなのだそうです。物語によっては、もっと露骨にビールやお酒を催促しているものもありました。自分もその場にいたと言って聞き手に本当の出来事のように感じさせたり、いかにも口承文学的な雰囲気を出そうとしてるのかとは思っていましたが、まさか飲み物を催促していたとは。今まで何度も目にしたことのある決まり文句ですが、それは全く考えていませんでした。面白いです。


「イーゴリ遠征物語」木村彰一訳 岩波文庫(2009年4月読了)★★★

何度もロシアに侵入しては略奪を繰り返していたポーロヴェッツ人。イーゴリ侯はロシアを守るために、ポーロヴェッツ人討伐の遠征をすることに。出陣間際に日蝕という不吉な前兆が起きたにも関わらず、イーゴリは兵士らを鼓舞してポーロヴェッツ人の地を目指します。

12世紀末にロシアで成立した作者不明の散文。ロシアでは中世文学を代表する傑作として広く知られているのだそうです。11〜12世紀のロシアは東方のテュルク(トルコ)系の遊牧民・ポーロヴェッツの侵入に度々悩まされており、この作品は1185年春、南ロシアの小都市ノーヴゴロト・セーヴェルスキイの候・スヴァトスラーフの子・イーゴリが他の3人の候と共に行ったポーロヴェッツ人討伐遠征の史実が元となっているのだそう。そしてこれはアレクサンドル・ボロジーンのオペラ「イーゴリ」の元にもなっている作品です。
雰囲気としては「ロランの歌」のような英雄叙事詩に近いのですが、実際には散文作品なのですね。これを読むとイーゴリ候はとても重要人物のように思えてしまうのですが、実際には弱小領主に過ぎなかったようです。華々しい戦記ではなく、最初の不吉な前兆通り、イーゴリ候の軍勢は大敗を喫して、イーゴリ候自身が敵に捕らわれてしまうほどなのですが、最後にイーゴリ候がロシアに無事帰還してめでたしめでたし、という辺りにロシアの雰囲気がよく出ているような気がします。正直あまり面白いとは思えず、それがとても残念でしたが…。


「ロシア英雄叙事詩ブィリーナ」中村喜和編訳平凡社(2009年4月読了)★★★★

ロシア民衆の間に口承で伝わってきた英雄叙事詩・ブィリーナ。18世紀以前には、放浪楽師(スコモローフ)のような職業的芸能者によってロシア各地で語られてきたこの物語は18〜19世紀半ばに最良の部分が採録されるようになったのだそう。そんな数々の物語から、太古の騎士たち、キーエフの勇士たち、ノヴゴロドの英雄たち、勇士群像という4つの章に分けて、21編を紹介していきます。

ブィリーナとは「実際にあったこと」という意味で、19世紀の30年代にサーハロフという学者が命名したもの。12世紀末ころの「イーゴリ軍記」に由来すると言われており、昔話とは違い、史実に基づくものだと考えられたことからの命名。(本当に史実に基づくものだというわけではありません) そして「太陽の君」と呼ばれる「ウラジーミル公」は、プーシキンの「ルスランとリュドミーラ」にも登場しますが、どのウラジーミル公のことを指すのかいまだ確証は得られていないのだそうです。歴史上に名を残したキエフ大公国の「ウラジーミル公」は2人おり、1人は「聖公」と呼ばれるウラジーミル1世、もう1人は「ウラジーミルモノマフ」と呼ばれたウラジーミル2世。そしてこの作品の起源については、遅くとも11世紀をくだらない頃には古い形が存在していただろうとする考え方が一般的なのだそうです。
「太古の勇士たち」は、神話的な物語。スヴャトゴールはヘラクレスのような力持ちですし、マルファ・フセスラーヴィエヴナ姫が踏んだ毒蛇が姫の足に巻きついて尾で太ももを打って宿ったというヴォルフ・フセスラーヴィエヴィチはまるでヘルメスのように、成長が早いです。生まれて1時間半もすると話始め、おしめの変わりに鎧と兜を要求するのですから。勇ましいヴォリガー・スヴァトラスラーヴィチと百姓のミクーラの勝負も、いかにも何か似たエピソードがありそうです。
「キーエフの勇士たち」で中心となるのは、「太陽の君」ウラジーミルと、ウラジーミルをめぐる勇士たち。その中でもイリヤー・ムーロメツとドブルィニャ・ニキーティチとアリョーシャ・ポポーヴィチの3人が代表。生まれながらに手足が萎えていたイリヤーは3人の老人の力で健康体になり、ロシア一の勇士となります。他の勇士たちの物語は大抵1つ、多くても2つなのに、イリヤーにまつわる物語は5つ。それだけ知名度が高く、人気があったということが分かります。
「ノヴゴロドの英雄たち」で登場するのは、知らないうちに水の王にグースリ弾いていて、お礼に大金持ちにしてもらった商人サドコと、無法者のワシーリイ。「勇士群像」で登場するのは、ウラジーミル公とアプラクシア妃の結婚に一役買ったドゥナイ・イワーノヴィチ、富裕な伊達男のチュリーラ、天竺からウラジーミル公の宮廷にやって来た公子・デューク・ステパーノヴィチ、見事賭けに応じるスターヴェルの妻、たった1人でタタール人の軍勢を退けながら法螺吹きと思われたスフマン、ウラジーミル公の姪。ザバーヴシカ姫と結婚したソロヴェイ。
私が一番気に入ったのは、昔話風の「イリヤーの三つの旅」。旅をしていたイリヤー・ムーロメツがある時道が三つに分かれる辻に不思議な道標を見つける物語です。石の上には「第一の道を行けば、死を得るべし。第二の道を行けば、妻を得るべし。第三の道を行けば、富を得るべし」と書かれています。それだけならよくあるパターンとなりそうなところなのですが、こういうものを見つけた時の反応や、その後のの対処が独特でいいですね。そして「イリヤーとカーリン帝」で、タタールの軍勢によって窮地に陥ったウラジーミル公を助けるためにイリヤーは12人の勇士たちに助成を頼むのですが、その時の「助けろ」「助けない」というやりとりは、3度繰り返す定型に則ったもの。それがとてもいいですね。やはり定型というのは美しいものだと改めて思います。

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