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このページは、神話・伝承の本の感想のページです。

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「スールの子ギースリの物語-アイスランドサガ」三省堂(2008年2月読了)★★★★

ノルウェーのホーコン王(935-961)からハーラル灰色王(961-970)の頃。スールナ谷(ダレル)のストッカルに住むソルビョルンはソーラという妻との間に長女・ソールディースと、ソルケル、ギースリ、アリという3人の息子がいました。しかし美しいソールディースのために何度か揉め事が起こると、ソルビョルンたちは船を仕立ててアイスランドへ。フィヨルドの両岸の全ての土地は既に人のものとなっていたため、彼らはフィヨルドの南岸、ハウカ谷のセーボールの地を買い、屋敷を建ててそこに落ち着くことになります。(大久保光子訳)

アイスランド・サガとは、アイスランドに広く語り継がれてきた散文の物語。「サガ」とはまさに「語られたもの」を意味する言葉。12〜13世紀頃にキリスト教と共に文字で書くということも伝わり、12世紀から14世紀にかけてそれまで口伝として語り継がれてきた物語が古北欧語の散文形式で書き残されるようになり、そのうちでもある程度の長さをもつ文学作品が「サガ」と呼ばれるようになったようです。社会的な出来事が脚色されたというものも多く、どうやら基本的に全くの架空の出来事が扱われることはなかったようですね。この作品の主人公・ギースリも実在の人物。ノルウェーを逃れてアイスランドに植民し、964年に殺人のかどで追放刑となっています。実際にエイヨールヴルに殺されるのはその10年以上後の978年なのですが。ギースリの生涯はサガだけでなく、スカールド詩にも詠われ、13世紀にかなり自由に潤色されてフィクション化したのだそう。ちなみにスカールド詩とは、ノルウェーの宮廷で王侯への賛歌として吟じられるものとして始まった、高度に技巧的な韻文詩。簡潔な散文の物語の中に散りばめられるというスタイルも多いようです。
英雄でありながらとても悲劇的なギースリが主人公。一読すると、ギースリはまるで「判官贔屓」という言葉を生み出した源義経のような印象が残ります。1人の英雄がなす術もなく運命に弄ばれ滅びていくところに美しさがあるといったところでしょうか。ヴァイキングといえば血生臭いイメージがありますし、実際この作品の中でも血生臭い争いが繰り広げられるのですが、思いがけないほど強い哀切感が漂っているのには驚かされました。


「エッダ・グレティルのサガ-中世文学集III」ちくま文庫(2006年7月読了)★★★★

【エッダ】…火熱界からの熱と霧の世界からの寒気が交わった所で、世界最初の生命として生まれたのは巨人・ユミル。やがてユミルと同様に氷から生まれた巨人・ブルの子供たち、オーディン、ヴィーリ、ヴェーの三兄弟神は、父であるユミルを殺して、その屍体の各部から宇宙全体を作り上げます。
【グレティルのサガ】…ノルウェーにハラルド王が君臨していた時代。アイスランド生まれのグレティルは、幼い頃から力が強く、しかし怠け者で、長じるに従って父親に疎まれるようになっていました。そしてとうとう殺人を犯して故郷を追放されてしまいます。(松谷健二訳)

「エッダ」は北欧神話の神々と英雄たちの物語。12世紀のアイスランドの詩人・スノルリ・ストゥルルソンの「スノルラ・エッダ」から、古い神話や英雄伝説の書があることは予想されていたものの、実際には17世紀半ば、アイスランドの一僧院で「王の写本」が発見されるまでは、その存在は知られていなかったのだそう。現在は様々な写本に散在していた似たような性格の作品が40編ほど集められているのだそうです。しかしここに収められているのは14編のみ。前半の8編は、オーディンを中心とする神々の物語、そして「レギンの歌」以降の6編は「ニーベルンゲンの歌」の元ともなった、シグルド(ジークフリート)伝説。個人的に英雄譚よりも神話の方が好みなので、オーディンやトール、フレイ、ロキといった神々が登場する前半のものの方が好みです。
「エッダ」に対し、「サガ」はもっと現実の世界に基礎を置いた散文作品。「グレティルのサガ」は、正確には「アースムンドの子グレティルのサガ」という題名。サガの中でも長い作品なのだそうです。12〜13世紀頃に成立し、15世紀に現存する写本が書かれて現在に伝わっています。力が強い、美男子であるなどの長所を持ちながらも、なぜか性格はひねくれてしまい、しかも数々の手柄を挙げながらも、なぜかそれが裏目に出てしまうグレティルが気の毒。正直、あまり夢中になれるほど面白いとは思えないのですが、ヴァイキング華やかなりし頃の面影などが読み取れて、そういう部分は好きでした。

「エッダ」収録作品:「巫女の予言」「トリュムの歌」「スキールニルの歌」「ロキの口論」「リーグの歌」「オーディンの訓言」「ヴェルンドの歌」「フンディング殺しのヘルギの歌」「レギンの歌」「ファーヴニルの歌」「シグルドの短い歌」「ブリュンヒルドの冥府への旅」「アトリの歌」「ハムディルの歌」


「アイスランドサガ」新潮社(2008年7月読了)★★★★

【エギルのサガ】…ハラルド美髪王が兵を集めた時、クヴェルドウールヴと息子のグリームはハラルド王の家臣となって戦いに加わることを拒否。代わりにヴァイキングから戻ってきた長男のソーロールヴが王の下に伺候し、その美貌と体躯と才能によって王に大変可愛がられることに。
【グレティルのサガ】…アースムンドの次男・グレティルは無口で無愛想で、父からはあまり可愛がられない子。父にいいつけられた仕事を嫌がり、人を困らせる様々ないたずらをし、そしてとうとう殺人を犯したため故郷を追放されてしまいます。
【ラックサー谷の人びとのサガ】…非常にすぐれた人物といわれるホスクルドは、ある時ノルウェーで美しいが唖の女奴隷を買い、その奴隷との間にオーラーヴという息子が生まれます。女奴隷は実はアイルランドの王女・メルコルカで、オーラーヴは非常に立派な美男子に育ちます。
【エイルの人びとのサガ】…ハラルド美髪王がノルウェーで王位についた頃。鼻ぺちゃのケティルはハラルド王の司令官として戦勝を重ね、ヘブリーズ諸島を制覇しそこの首長となります。
【ヴォルスンガサガ】…ヴォルスングは、オーディンの息子シギの孫。オーディンからのリンゴを食べたために身ごもった母の胎内に6年間いたヴォルスングは、生まれた時既に大きく、父のあとをついでフンの国の王となります。
【ニャールのサガ】…ホスクルドの弟・フルートはバイオリンのモルズの娘・ウンと婚約し、遺産を受け取るためにノルウェーへ。王母グンヒルドに可愛がられます。 (谷口幸男訳)

アイスランド人のサガのうち特に優れた五大サガと呼ばれる作品の完訳。
「エギルのサガ」「グレティルのサガ」「ラックサー谷の人びとのサガ」「エイルの人びとのサガ」は、書き留められたのは12〜14世紀頃のようですが、いずれもハラルド美髪王がノルウェーを統一しつつある時代に始まるサガ。「ニャールのサガ」はハラルド美髪王の息子・血斧のエイリークのそのまた子供の灰色マントのハラルドの時代と少しずれてはいますが、どれも9〜10世紀頃の物語です。特に「エギルのサガ」と「ラックサー谷の人びとのサガ」「エイルの人びとのサガ」は登場人物も起きる出来事も共通しています。
「ヴォルスンガサガ」は、1260年頃の作品。「エッダ」に収められているシグルズ伝説と基本的に同じもの。現存する「エッダ」には欠落している部分があるのですが、それが失われる以前の歌謡集が利用されているため、「エッダ」の欠落を埋めてくれるという貴重な作品なのだとか。ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」は、この作品が元になっているとされています。「エッダ」のシグルズ伝説と「ヴォルスンガサガ」、「ニーベルンゲンの歌」「ニーベルンゲンの指輪」で、細かい部分が少しずつ異なっているのが興味深いです。


「ギスリのサガ」北欧文化通信社(2008年12月読了)★★★★

スールナ谷のストッカルに住むソルビョルンはソーラという妻との間に長女・ソールディースと、ソルケル、ギースリ、アリという3人の息子がいました。しかし美しいソールディースのために何度か揉め事が起こると、ソルビョルンたちは船を仕立ててアイスランドへ。フィヨルドの両岸の全ての土地は既に人のものとなっていたため、彼らはフィヨルドの南岸、ハウカ谷のセーボールの地を買い、屋敷を建ててそこに落ち着くことになります。(「GISLASAGA SURSSONAR」渡辺洋美訳)

10世紀に実在した人物・ギスリのサガ。ノルウェーで騒ぎを起こしてアイスランドに殖民することとなり、やがて義兄弟の敵討ちのための殺人のかどで追放刑になりながらも10年以上生き延びたギスリの生涯の物語です。
このギスリのサガに関しては、以前「アイスランド・サガ スールの子ギースリの物語」にて既読。訳のせいなのか、再読のせいなのか、そちらを読んだ時の方が面白く読めたような気がします。父の名前を子にもつけたりと、同名の登場人物がとても多いのでややこしいのは相変わらずなのですが、以前読んだ時にとても印象に残った判官贔屓のような哀愁が、こちらでは感じられませんでした。文章中に長い訳注が入っていて読みにくかったのも、おそらく物語に入り込めなかった1つの要因ですね。ほんの一言の注釈が文章中に括弧にくくられて書かれている程度なら分かりやすいのですが、1ページの半分が注釈となると、さすがに長すぎます。
しかし新しい発見もありました。サガ文学の「サガ」という言葉は、英語の「say」と語源が一緒だったのですね。「物語る」「歴史」という意味なのだそうです。それに「王のサガ」「伝説のサガ」「アイスランド人のサガ」「ストゥルルンガサガ」というサガ文学の4つの括りは知っていましたが、具体的な作品名はあまり知らなかったので、その辺りもとても勉強になりました。こういった基本的な情報がなかなか手に入らないので、とてもありがたいです。


「北欧神話と伝説」V.グレンベック 講談社学術文庫(2009年10月読了)★★★★

キリスト教とは全く異なる独自の世界観を持っていたゲルマン人が残したのは、古の神々を謳い伝える「エッダ」と英雄物語である「サガ」。同じ多神教ではあってもギリシャ神話とはまるで違う神々や世界観は、ヨーロッパの北部に独特の文化を花開かせることになります。第1部が「神話篇」で、第2部が「サガと伝説篇」。(山室静訳)

以前「エッダ-古代北欧歌謡集」も読んでいるので、「神話篇」の方は内容的に既に知ってる部分がほとんど。しかし詩の形式となっている本来の「エッダ」と比べると、こちらは散文による再話ですし、歌謡の順番も分かりやすく入れ替えられており、入門編に向いていますね。しかし「神話篇」の最後に「古い神々とキリスト」という章があったのには驚きました。その章の「キリストは栄光好きな神で、彼より他の者が善く言われたり、そうでなくともいたわりをもって語られることを、辛抱できなかった。というのは、天地を創造し、悪魔と戦って人間に救いと天国を与えたのは彼だったのだから。」という言葉が、キリスト教が入ってきた当時の様子をよく伝えていて興味深いです。
第2部の「サガと伝説篇」にはサガが14収められており、未読のものも多かったのが収穫。これらの物語を読むと、地元では農民であり漁民でありながら、ヴァイキングとしてに略奪行為に出かけていた北欧の男たちの姿がよく分かります。14編の中にはシェイクスピアの「ハムレット」の原型であるとされる「アムレード」もあり、ウラジーミル・プロップの「魔法昔話の研究」のオイディプスの章に出てきた「女系の権力継承」が、このハムレットの物語でも行われていたのがよく分かります。そして「ベーオウルフ」と酷似している「ビョーウルフとグレンデルの戦い」や、「ニーベルンゲンの歌」と同じ材料を扱いながらも細かいところはかなり違う「ウォルスング家の物語」も収められています。解説には「「ビョーウルフとグレンデルの戦い」は、イギリス の古詩『ベオウルフ』を用いてる」とあるのですが、やはり「ベオウルフ」の方が古いという意味なのでしょうか。どういった経緯でこの伝説が伝わっていったのか、それも興味深いところです。

第1部 神話篇「世界の創造と神々」「トール神と巨人たち」「神々の神話」「ラグナロク(神々の没落)」「古い神々とキリスト」
第2部 サガと伝説篇「みずうみ谷家の人々」「鍛冶ヴェールンド」「ハディング王」「永遠の戦い」「アムレード(ハムレット)」「寡黙のウッフェ」「ラフニスタの人々」「テュルフィングの剣」「シクリング家の女たち」「スギョルド家とハドバルド家」「イングリング家の王たち」「ヘルゲ・ヒョルワルドソン」「イルフィング家のヘルゲ」「ウォルスング家の物語」


「スウェーデンの森の昔話」ラトルズ(2009年7月読了)★★★★

昔、ヨーロッパはほとんど全部森で覆われており、人間も動物も森で暮らしていました。人々が生きていく上で、森は畑や牧草地以上に大切な存在。スウェーデンの人々も大きな森に囲まれた小さな村に住み、森の木で様々な道具を作り、食べ物を探し、家畜に緑の草を食べさせてたのです。しかし昔の森は、いつも緊張して身構えていなければならない場所。山賊が潜んでいたり、トロルやクーグスローンやヴィットロールなど姿の見えない魔物がいるところ。森の中では思いもかけない不思議なことがよく起こり、人々はそんな話を暗い冬の夜長に語り合い、そして昔話や伝説ができていきます。この本に収められているのは、そんなスウェーデンに古くから伝わる森のお話です。(「SAGOR FRAN SKOGEN」うらたあつこ訳)

スウェーデンの民話を改めて1冊の本で読むのは初めてですが、さすがに北欧繋がり、アスビョルンセン編のノルウェーの民話集「太陽の東 月の西」に収められているのとよく似た物語が多いですね。「バターぼうや」は「ちびのふとっちょ」、「トロルの心臓」は「心臓が、からだのなかにない巨人」、「仕事を取りかえたおやじさん」は「家事をすることになっただんなさん」という具合。それ以外の民話に似ているものもあります。「ティッテリチェーレ」は「トム・ティット・トット」や「ルンペルシュティルツキン」のようですし、「親指小僧」は「ヘンゼルとグレーテル」のバリエーション。「トロルと雄山羊」「小便小僧のピンケル」も、どこかでよく似た物語を読んだ覚えがあります。しかし「ルーディ」のように羊や犬の頭のお姫さまのお話や、ウィットの効いた「くぎスープ」や「ふくろうの赤ちゃん」、天女の物語「太陽と月の娘」のように、部分的に何かに似てはいても、あまり読んだことがないタイプの物語もありました。
絵も可愛いですし、お話の中に出てくる昔の道具や当時の生活習慣の説明が巻末にあってとても分かりやすいですし、これはお母さんが小さな子供と一緒に楽しむのに向いてる本なのでしょうね。特に「くぎスープ」や「ふくろうの赤ちゃん」といった話には、にやりとさせられて楽しいです。しかし物語を簡単にするあまり、辻褄が合わなくなってしまった部分もあったのが残念。例えば「トロルの心臓」では、地主の娘を助けに来た小作人の息子が、娘に3つのことをトロルに聞くように指示します。しかしそのうちの2つの質問の意図がこの物語ではまるで分からないのです。おそらく元の話にはきちんとあったのに、省略されてしまったために分からなくなった部分なのでしょう。昔話で「3回の繰り返し」はお約束ですが、既に内容がなくなってしまっていることまで、残しておく必要はなかったのではないでしょうか。それに「王女と大きな馬」などは、ここからさらに冒険が始まる、というところで終わってしまっているような…。中途半端な印象となってしまっていたのが残念でした。

収録作品:「バター坊や」「ティッテリチューレ」「トロルの心臓」「仕事を取りかえたおやじさんとおかみさん」「ルーディ」「トロルと雄山羊」「くぎスープ」「王女と大きな馬」「ふくろうの赤ちゃん」「親指小僧と巨人」「太陽と月の娘」「小便小僧のピンケル」


「ニーベルンゲンの歌」前編・後編 岩波文庫(2006年7月再読)★★★★★お気に入り

ニーデルラントの雄々しい颯爽とした王子の名はジーフリト。彼は様々な国を旅して冒険を試み、凛々しい武者ぶりを周囲に見せ付けていました。そんなジーフリトがある日、ブルゴントの国に世にも美しい乙女がいるという噂を聞き、ぜひその姫を手に入れようと決意を固めることに。その美しい姫は、ブルゴント国王グンテルの妹であるクリエムヒルト。ジーフリトは12人の勇士たちを連れて、ブルゴントの国へ。(「DAS NIBELUNGENLIED(DER NIBELUNGE NOT)」相良守峯訳)

13世紀初め頃に成立された、ドイツの「イーリアス」とも称される作品。北欧神話の「エッダ」のシグルド伝説が元になっています。叙事詩作品の中でも特に面白いのではないでしょうか。クリエムヒルトとブリュンヒルトの小さな口論が思わぬ事態を招き、ジーフリトの死を引き起こすという人間ドラマ。基本的に復讐譚は苦手なのですが、それでもやはり一気に読ませる力を持った作品でした。この詩を作った詩人が無名のまま終わってしまったというのが信じられないほどです。現代の人々にも受け入れやすい作品なのではないかと思います。
前半はジーフリトの栄華と美しく貞節なクリエムヒルトが中心。ジーフリトの死後、クリエムヒルトは貞節な生活を送りながら復讐を遂げる機会を待つことになるのですが、後半、彼女がフン族のエッツェルの嫁ぎ、実際に復讐への行動をとり始めると、まるでクリエムヒルトが鬼女のように描かれ、むしろそれまでは卑怯者というイメージの強かったグンテル王の重臣・ハゲネに正義があるかのような描かれ方に変わり、その変化に驚かされます。前半の宮廷の優雅な華やかさも、後半は壮絶な血みどろの戦いに取って代わられ、これに関してはゲーテも「前編はより多く華麗、後編はより多く強烈」と評しているそうです。登場人物たちは皆、自分の運命を全うするためだけに怒涛のような流れに飲み込まれていくよう。
「エッダ」ではクリエムヒルト(グドルーン)よりもむしろブリュンヒルトの方がインパクトが強かったのに対し、こちらではやはりクリエムヒルトの方が印象的ですね。「エッダ」では、多少情が強すぎる女性であるにせよ、ただジーフリト(シグルト)のことが好きだっただけという純粋さが好ましかったのに対して、「ニーベルング」のブリュンヒルトは、ただ美しいだけの驕慢な女王ですから。しかし2人の口論の場面は、やはりかなりの低レベル。この部分だけは、どうしても好きになれそうにありません。


「王女クードルーン」講談社学芸文庫(2007年7月読了)★★★★

絶世の美女と名高いアイルランドのハーゲン王の娘・ヒルデはヘゲリンゲン王国のヘテル王と結婚し、2人の間にはクードルーンという娘とオルトヴィーンという息子が生まれます。クードルーンは母をも凌ぐ美しい王女に成長し、様々な国からクードルーンへの求婚の使者が送られることに。7つの王国を従えるモールラントの王・ジークフリートや、ノルマンディー王国の王子・ハルトムートもその1人。しかし誇り高いヘテル王はジークフリートに娘を嫁がせることを拒み、王妃ヒルデは、家格が合わないこととノルマンディーのルートヴィヒ王がハーゲン王の怒りに触れたことを理由にハルトムートの求婚を断るのです。結局クードルーンの心を射止めたのは、隣国ゼーラントのヘルヴィヒ王でした。しかしヘルヴィヒ王とクードルーンの結婚が1年後に決まった時、ジークフリートはヘルヴィヒ王のゼーラントに攻め込み、ヘテル王が援軍をゼーラントに進めている間に、ハルトムートはヘゲリンゲンの城にいた王女クードルーンと62人の侍女を連れ去ったのです。(「KUDRUN」古賀允洋訳)

1230年代に書かれたという長編英雄叙事詩。ドイツの「イリアス」と呼ばれる「ニーベルンゲンの歌」に対して、こちらの作品はドイツの「オデュッセイア」とも評されているのだそう。アイルランド、デンマーク、ノルマンディー、異教徒の国モールラントなどを舞台に、王子ハーゲン、王女ヒルデ、王女クードルーンという3代に渡る壮大な物語。
テンポも良いですし、面白いという意味では十分面白いのですが、叙事詩として比べてみると、同じドイツの「ニーベルンゲンの歌」の方が断然格上のように感じられてしまいます。人物の魅力から見ても、物語の盛り上がりや迫力から見ても、物語の深みから言っても、「ニーベルンゲンの歌」の方が上でしょう。最後のクードルーンの発案による4組のカップルのハッピーエンドなど、クードルーンの自己満足のように思えてしまいます。途中でもクードルーンの高慢さが鼻についたところが数箇所あり、それもあまりこの物語に入れ込めなかった要因かもしれません。
解説によると、30を超える写本が現存する「ニーベルンゲンの歌」に比べ、こちらの叙事詩には16世紀の写本が1つ残されているにすぎないことから、中世当時はあまり人気がなかったのではないかとのこと。確かにそれは十分考えられそうです。しかし19世紀になると「ニーベルンゲンの歌」同様に高い評価を受けるようになり、グリム兄弟の弟・ヴィルヘルム・グリムもこの作品を絶賛しているのだそうです。


「ローランの歌・狐物語-中世文学集II」ちくま文庫(2006年7月読了)★★★★

【ローランの歌】…フランク王にして西ローマ帝国皇帝であるシャルルマーニュは、20年にも及ぶイスパンヤ(スペイン)侵攻によって海辺に至るまでこの高地をことごとく攻略していました。残るはマルシル王の治める山間の国・サラゴッスのみ。進退窮まったマルシル王は、深谷の城主・ブランカンドランの進言により、シャルルマーニュに偽りの降伏をすることに。
【狐物語】…性悪の狐・ルナールは、ある日囲いが厳重な農家に忍び込み、そこの雄鶏シャントクレールを騙して酷い目に遭わせます。しかしルナールがシャントクレールを加えて逃げようとした丁度その時、雌鳥を鶏舎に入れようとやって来た婆さんに見つかり、ルナールは猟犬たちに追いかけられることに。そしてへとへとになったルナールですが、またしても…。(「LA CHANSON DE ROLAND/LE ROMAN DE RENARD」佐藤輝夫他訳)

「ローランの歌」は、11世紀頃に成立したと言われているフランス最古の叙事詩のうちの1つ。キリスト教の騎士たちの武勇を物語った叙事詩は「武勲詩」とも呼ばれており、口承のためほとんどのものが作者不明。そういった作品が、フランス文学の始まりとされています。この「ローランの歌」は、778年のロンスヴォーの戦いをという史実を元にしていますが、実際の敵だったバスク人は「サラセン人」に変えられていますし、架空の人物も多数登場するようです。スペインにイスラム教徒という設定には少し戸惑いますが、この詩が成立した時代は十字軍の時代でもあり、その敵であるイスラム教徒を詩の中に持ち込むというのは、とても納得のいく変更だとも言えます。ただ、詩人にはサラセン人に関する知識もあまりないようで、完全にフランス側から歌っているのです。イスラム側から歌っている場面でも「馨しの国フランス」と言い(これは本来はフランスが自国のことを讃える言葉)、自分たちのことを「異教徒」と呼んでしまうのが可笑しいですね。ローランとオリヴィエがマルシル王の軍勢を迎え撃つ場面の「ローランは剛(つよ)くオリヴィエは智(さと)し。」という言葉が、やはりいいですね。
そして「狐物語」ですが、私は元々動物寓話があまり好きではなく、騙され続ける話も苦手なので、この手の物語は少々辛いです。しかし昔の人には、こういう物語こそが娯楽として楽しかったのかもしれないですね。登場する存在は動物の姿をしていても、全て容易に人間に置き換えて想像できる物語。当時の宮廷の様子や、商人や農民たちといった庶民の暮らしぶりが良く分かります。


「クレティアン・ド・トロワ『獅子の騎士』 フランスのアーサー王物語」菊池淑子 平凡社(2007年3月読了)★★★★

ポントコートの祝日。ウェールズのカルドゥエルという町でアーサー王が催していた壮麗な宮廷での集いの席で騎士・キャログルナンが語ったのは、7年ほど前に冒険の対象を探す旅に出た時のこと。キャログルナンはムーア人そっくりの自由農民(ヴィラン)に近くの泉の話を聞き、そこに向かいます。その泉の水は大理石よりも冷たいのに煮え立っており、そこにある純金の盥で泉のそばの大きな石に水をかけると、たちまちひどい嵐が起こるというのです。ヴィランの言う通りの凄まじい嵐の起きた後、そこに現れたのは1人の騎士。キャログルナンは早速その騎士と戦うことに。しかしキャログルナンは破れ、前夜泊めてもらった家へと引き返すことに…。その話を聞いたキャログルナンの従弟の騎士・イヴァンは、翌朝早速ブロセリアンドの森を抜けてその泉を目指します。(「KRETIEN DE TROYES, LE CHEVALIER AU LION」)

+自分用のメモ+
アーサー王物語の2つの系統
・「ブリタニア王列伝」全12巻ジョフロワ・ド・モンムート(1136年)
…「ブリタニアの破壊と征服」ギルダス(6世紀)、「イギリス国民教会史」ベーダ(731年)、「ブリトン人史」ネンニウス(8世紀)、他にも聖書や古代ローマの詩や物語、アレクサンダー物語、フランスの武勲詩、ブルターニュの伝承などを利用し、ジョフロワがブリトン人に栄光をもたらすために、歴史を作り変え、生み出した著作→「ブリュ物語」ワース
…生誕及びアヴァロンへ向かう最期を除けば、アーサーは普遍的な名君に描かれている
…「アーサー王の死」のテーマが15世紀の文学に大きな影響を与える

・島のブルターニュに古くから語り伝えられてきた伝承が、クレティアン・ド・トロワなどのフランス作家をとして文学の形に昇華したもの
…名君だが、時に風変わりで気まぐれな行動が周囲を狼狽させ、時にはおどけたような雰囲気もある=ケルト的

ケルト神話の中では、神々と人間と妖精が自由自在に交渉を持ち、流動的に転身する
=霊魂不滅・生命の転生思想
アイルランド…「侵略の書」(10世紀)、「赤牛の書」(11世紀)、「ラインスターの書」(12世紀)、「バリモートの書」(14世紀)、「レカン黄書」(14世紀)
スコットランド…「ディーアの書」(11〜12世紀)、「リズモアの書」(16世紀)
ウェールズ…「カーマーゼン黒書」(12世紀)、「マビノギオン」(13世紀初頭)を含む「ハーゲスト赤書」

5世紀にキリスト教が伝えられると古いアイルランドの神話は徐々にキリスト教化され、同時にギリシア・ローマ神話も導入されることになる。ブルターニュ伝説の中のアーサー王が風変わりで道化的で、おとぎ話もしくは魔法の王のように不思議な雰囲気を漂わせているのは、アイルランドの魔法の洗礼を受けているため。

12世紀後半にフランスの詩人・クレティアン・ド・トロワによって書かれた「獅子の騎士」の初の訳出と共に、その分析と解説をした本。
内容的に「マビノギオン」の中の「ウリエンの息子オウァイスの物語、あるいは泉の貴婦人」にあまりにそっくりなのに驚きましたが、マビノギオンは13世紀に作られたと考えられており、クレティアン・ド・トロワがこの作品を書き上げたのは12世紀のこと。どちらも同じ伝承が元になっている物語なのでしょうけれど、直接的な依存関係はないのだそうです。しかしケルト色の強い「マビノギオン」に比べて、クレティアン・ド・トロワの作品はケルト色も濃いながらも、それ以上に「宮廷愛」の色の濃いもの。さすがフランス宮廷のために書かれただけあり、とても洗練されており、このクレティアン・ド・トロワの作品が広まって今のようなアーサー王伝説を作り上げたというのも納得です。そして面白いのは、この「獅子の騎士」の物語と平行して「荷車の騎士(ランスロ)」の出来事が起きているのが作中で分かること。いくつかの物語を読むことによって、その世界が重層化していくのですね。こういった趣向の作品が12世紀の詩人によって書かれたというのが驚きです。

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