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このページは、スティーヴン・ミルハウザーの本の感想のページです。

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「イン・ザ・ペニー・アーケード」白水uブックス(2008年10月読了)★★★★★お気に入り

第一部
「アウグウト・エッシェンブルク」
…アウグストの父は時計職人で、彼が覚えている一番古い情景は、父親が懐中時計の裏蓋をあけて、歯車が重なり合って神秘的に動いているのを見せてくれた時のこと。時計や歯車のことを習い始めたアウグストは、12歳の時に動く絵を作り、14歳の時に見た自動人形を自分でも作り始めます。
第二部
「太陽に抗議する」
…申し分ない完璧な日。エリザベスは両親と共に砂浜へと出かけます。
「橇滑りパーティー」…その日のパーティは、暖かい遊戯室でのパーティーと外の橇滑りパーティーの2つ。キャサリンはピーターと橇の2人乗りをすることに。
「湖畔の一日」…陽当たりの良いベンチに腰掛けていたジュディスは、またしても陰気な目の女性を見かけて苛立ちます。彼女を見かけたのは、その日既に3回目だったのです。
第三部
「雪人間」
…その日「僕」が目覚めると、外は一面の雪景色。「僕」がマリオやジョーイ、ジミーと遊んでいると、昼も過ぎた頃、最初の行き人間たちが現れます。
「イン・ザ・ペニー・アーケード」…12歳の誕生日の夏。「僕」は両親を切符売り場の横のベンチに残し、1人ペニー・アーケードに入っていきます。この遊園地に来るのは2年ぶりでした。
「東方の国」…東方の国とその国の皇帝のについての記。(「IN THE PENNY ARCADE」柴田元幸訳)

なぜかしらとても懐かしく感じられる物語群。かつて好きだった物や憧れていた場所、既に忘れかけている懐かしい情景を集めてきて物語の形に固めてみたら、こういう感じになるのでしょうか。この本の中では特に「アウグスト・エッシェンブルク」や「イン・ザ・ペニー・アーケード」がそういった類の物語。
7編の中でも「アウグスト・エッシェンブルク」はずば抜けて素晴らしいですね。これは19世紀後半のドイツを舞台に、天才的な自動人形の作り手・アウグスト・エッシェンブルクの人生を描く物語。アウグストが12歳で動く絵に、14歳で自動人形に魅せられる場面の空気はとても懐かしいものですし、アウグストがプライゼンタンツ・エンポリウムのために作った自動人形の場面場面の素晴らしいこと。その当時のヨーロッパ文化の豊かさや美しさが確かな質感を持って広がります。そして後にアウグストがハウゼンシュタインと共に作り上げた自動人形の舞台の美しく妖しく、しかし哀しいこと。アウグストはここまで熱狂的な盛り上がりを見せることなど、全く期待してなかったのでしょうに…。熱狂的な盛り上がりは、熱病のようなもの。急激に盛り上がれば盛り上がるほど、急激に廃れてしまうのが哀しいです。そしてこの物語自体が、1つの美しい自動人形の舞台のようなのですね。アウグストとは対極のようなハウゼンシュタインの存在によって、アウグストがまた一段とはっきりと見えてきます。アウグストの才能を誰よりも高く買い、愛しながらも、同時にアウグストに決定的に足りないものも理解し、その足りない部分をそつなく作り出せる自分に幻滅しているハウゼンシュタイン。おそらくミルハウザー自身が、アウグストのような職人的な作家なのでしょう。
そして第三部の3作も、どれも幻想的な情景の広がる素敵な作品なのですが、特に最後の「東方の国」が好みです。これはまるでイタロ・カルヴィーノの「見えない都市」のような物語。美しすぎるほどの美しさをもった作品です。
第二部の3作に関しては、決して悪くはないのですが、第一部と第三部ほどにはぴんと来ませんでした。訳者あとがきによると「ミルハウザーとしては比較的珍しいタイプの作品」とのこと。どうやら私はミルハウザーらしさの強い作品が好きなようです。


「バーナム博物館」白水uブックス(2008年10月読了)★★★★★

「シンドバッド第八の航海」…7番目の航海が終わってバグダッドに戻っていたシンドバット。しかししばらくするとまた異国への憧れで居ても立ってもいられず、第8の航海に出ることに。
「ロバート・ヘレンディーンの発明」…早熟な夢想家だったというロバート・ヘレンディーン。大学を優秀な成績で卒業したロバートは家に戻り、空想の中でオリヴィアという女性を作り出します。
「アリスは、落ちながら」…白ウサギの穴を落ちながらアリスが考えていること。
「青いカーテンの向こうで」…夏の間、土曜日の午後は父親に連れられて映画館へと行っていた「僕」。しかしある土曜日、「僕」は1人きりで映画館へと行くことになります。
「探偵ゲーム」…デイヴィッドの誕生日。久々に兄のジェイコブと姉のマリアンが家に戻ってくるのですが、ジェイコブは大遅刻をした上、恋人のスーザンを連れて来たのです。
「セピア色の絵葉書」…クローディアとの仲がうまくいかず、苛々して疲れもたまっていた「私」は、9月初旬のある朝、車のトランクにスーツケースを放り込んでブルームの村へと向かいます。
「バーナム博物館」…町の中心にあるバーナム博物館は、様々な様式が混在する上、非常に複雑な構造。そしてその中には、ありとあらゆる不思議な物が詰まっているのです。
「クラシック・コミックス#1」…T.S.エリオットの詩「J.アルフレッド・プルーフロックの恋歌」からの情景。
「雨」…ある夏の晩、映画館から出てきたポーター氏は、目の前でぱちぱちと弾けるように降りそそぐ雨、そして銃声のような雷の音に愕然とします。
「幻影師、アイゼンハイム」…19世紀末、奇術がかつてないほどの繁栄を見せた頃。腕のいい家具職人・アイゼンハイムもまた28歳で奇術師としてデビュー、その幻影芸で有名になることに。(「THE BARNUM MUSEUM」柴田元幸訳)

まるで表題作となっている「バーナム博物館」そのままのような本でした。10編の短編そのものが、まるで博物館のそれぞれの展示室のよう。緻密な絵のように描きこまれたそれぞれの物語が濃厚な空気をかもし出し、読者を「自然な世界から怪奇・幻想の誤った世界へ」と誘います。博物館の中をいくら歩いて回ってもその全貌は掴めないように、この短編集をいくら読み込んでも、ミルハウザーという作家の全貌はなかなか見えて来ないかもしれませんね。バーナム博物館を歩き回るたびに新たな部屋や展示物が見つかるように、この本を開くたびに新たな一面が見つかりそうです。しかも、ふと異世界に踏み込んでしまえば、もう二度と元の世界に戻れなくなりそうな危機感もたっぷり。しかしふと顔を覗かせるその異世界の魅力的なことといったら。
私が特に気に入ったのは「探偵ゲーム」と「バーナム博物館」。「探偵ゲーム」では、ゲームの駒操り手1人1人の独白だけでなく、ゲームの盤上の駒として動いている人物たちの独白も入り、それぞれの思いや腹の探り合いが渾然一体。どちらが現実なのか分からなくなりそうなほど、どちらも緊迫感たっぷりです。それに部屋や展示物を想像しているだけでも楽しい「バーナム博物館」も大好き。これは「イン・ザ・ペニー・アーケード」の中の「東方の国」のような雰囲気です。
シンドバッドの架空の8番目の航海を物語ながら、時折「千夜一夜物語」がヨーロッパに広まった経緯が挟み込まれる「シンドバッド第八の航海」も、「不思議の国のアリス」の落ちているシーンだけを細かいところまで描きこんだ「アリスは落ちながら」も楽しい作品。思わず「千夜一夜物語」や「不思議の国のアリス」を読み返したくなります。「青いカーテンの向こうで」を読んでいる時は、自分も少年の視点となって映画館の奥に足を踏み入れていましたし、「幻影師、アイゼンハイム」は「アウグスト・エッシェンブルク」タイプのいかにもミルハウザーらしい作品。これもとても素敵です。


「三つの小さな王国」白水uブックス(2008年10月読了)★★★★★

「J・フランクリン・ペインの小さな王国」…幼い頃から絵を描くのが好きだったフランクリンは、高校を卒業すると似顔絵描き、広告ポスターを描く仕事を経て、新聞の漫画を描くようになります。
「王妃、小人、土牢」…昔々、険しい崖の上に建っている城に住んでいたのは美しい王と王妃。2人は心から愛し合っていたにも関わらず、1年と経たないうちに幸福は絶望へと変わり果てます。
「展覧会のカタログ-エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」…エドマンド・ムーラッシュの絵画を解説したカタログ。(「LITTLE KINGDOMS」柴田元幸訳)

ミルハウザーが好んで書く物語のタイプがいくつかあるようですが、この3作品もそういったタイプの作品ですね。「J・フランクリン・ペインの小さな王国」は1920年、アニメーションのごく初期の時代を舞台にした作品で、主人公のフランクリンは、ミルハウザーが好んで描く完全主義の職人タイプの人間。新聞で連載漫画を描く傍ら、自宅ではライスペーパー1枚1枚に丹念に絵を写して描き、少しずつ変化させた絵を何千枚も描き上げることによってアニメーションを作り上げています。セル画を使えば相当楽になると分かってはいても、細部にまで拘って自分で描かずにはいられず、気に入らなければ2千枚でも平気で描き直すというののは、まさしくアウグスト・エッシェンブルクと同じような職人タイプ。
そしてあとの2作品は、「東方の国」「バーナム博物館」「探偵ゲーム」のように小さなエピソードを積み重ねていくタイプ。「王妃、小人、土牢」は、川向こうのお城に住む王様とその王妃、辺境伯、そして小人の4人が主な登場人物ですし、「展覧会のカタログ」も、絵のカタログを通して画家・エドマンドとその妹・エリザベス、エドマンドの友人・ウィリアムとその妹・ソフィアの4人の関係とその変化が見えてくる作品。それぞれの作品の中で4人の間の緊迫感が高まっていく様子は、まさしく「探偵ゲーム」のよう。しかも「探偵ゲーム」の「ゲームの中の世界」と「ゲームをしている人間たちの世界」という構造は、こちらの2作品の中でも生きています。「王妃、小人、土牢」の中世風のお城の中での出来事は「昔々」の物語。お城の中でいくら切実なドラマが繰り広げられていようとも、川を越えた向こうの町の人間にとっては現実味の薄い1つの物語に過ぎないのです。「展覧会のカタログ」も、カタログを読んでいる人間にとっては対岸の物語。そう考えてみると、現実の物語と思って読んでいたものが、実は枠の内側の物語だったことが分かってきます。そしてその構造に気付いてみると、「J・フランクリン・ペインの王国」もまた、同じなのですね。これもまた、フランクリンがアニメーションという虚構の世界を作り上げているのですから。
幻想味という意味では「イン・ザ・ペニー・アーケード」や「バーナム博物館」の方が上だったように思いますが、こちらもなかなか素敵な作品群でした。


「マーティン・ドレスラーの夢」白水uブックス(2008年11月読了)★★★★

19世紀末。葉巻店主の息子として生まれたマーティン・ドレスラーは、9歳の時に既に葉巻やパイプ、煙草に関する知識を十分に持ち、客の気質を素早く見抜いてはぴったり合った品を勧めるのを得意としていました。人々はマーティンを気に入り、その判断を信頼していたのです。やがてヴァンダリン・ホテルの早番フロント係のチャーリー・ストラトマイヤーに、ホテルのロビーの葉巻スタンドでは売っていない高級パナテラ葉巻を毎日届けることによって、ビジネス上の初の成功を収めたマーティンは、14歳の時にはヴァンダリン・ホテルのベルボーイに抜擢され、それからは着実に一歩ずつ歩みを進めることに。(「MARTIN DRESSLER」柴田元幸訳)

ピュリッツァー賞受賞作品。
マーティン・ドレスラーの物事への打ち込みぶりは、アウグスト・エッシェンブルクやJ・フランクリン・ペインといったミルハウザーがこれまで作り出してきた人物像とよく似ています。違うのは、マーティン・ドレスラーは何か1つの芸術的な物を作り出すことを極めようとする天才的な職人ではなく、商売人だということ。自分の興味の対象に打ち込んで、素晴らしい作品を作り上げるというのは同じなのですが、その作り出すものは芸術品ではなく、ホテルのロビーにある葉巻店やカフェレストランや大規模なホテルそのものなのです。しかも彼にはアウグスト・エッシェンブルクにおけるハウゼンシュタインのような、全面的にお膳立てを整えて後押ししてくれる人間がいません。その都度頼りになる仲間はいるのですが、別にマーティン・ドレスラーに惚れこんで全面的にバックアップしてくれるわけではないのです。そしてそのことが、他の天才児たちと同様の転落を予感させます。もしマーティンが生涯の伴侶としてキャロリンではなくエメリンを選んでいたのなら、その転落はなかったのでしょうか。
今回長編ということでマーティン・ドレスラーの感情の移り変わりがいつになく濃やかに描かれていたと思いますし、いつものようにミルハウザーらしさを堪能できる作品だったのですが、やはりどこか根本的に違う印象。それはやはり、今回のマーティン・ドレスラーが生み出すものが芸術作品ではなかったということなのでしょうね。純粋に葉巻や料理なら良かったのかもしれないのですが、葉巻店やカフェレストラン、ホテルというのは、自動人形やアニメーションのように夢を見させてくれる存在ではないですし、それがどうしても決定的な物足りなさとして残ってしまったような…。しかしそれこそが、ピュリッツァー賞を取らせた大きな要素だったような気もします。

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