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このページは、ジョージ・マクドナルドの本の感想のページです。

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「かるいお姫さま」岩波少年文庫(2005年12月読了)★★★★

【かるいお姫さま】…昔々ある国で王様とお妃様の間に可愛い女の子が生まれます。しかし洗礼式に王様の姉のメイケムノイツ王女を招き忘れたせいで、お姫さまは呪いを受けることに。なんとお姫さまの心からも身体からも、重さが消えてしまったのです。
【昼の少年と夜の少女】…心の中に狼を住まわせたワトーという魔女の城で育ったのは、昼しか知らずに育った少年・フォトジェンと、夜しか知らずに育った少女・ニュクテリスでした。(「THE LIGHT PRINCESS/THE DAY BOY AND THE NIGHT GIRL」脇明子訳)

「かるいお姫さま」は、招待し忘れた意地悪魔女が王女に呪いをかけるという、昔話の王道の物語。しかし呪いは洗礼式でこっそりとかけられたため、すぐにその魔女の仕業とは分からず、従って良い妖精がその呪いを打ち消すような祝福を与えることもできず、呪いを解く方法も分からないという始末。ここでかけられる「重さをなくしてしまう」という呪いが面白いですね。王女は宇宙空間を漂っているかのように、ふわふわとその辺りを漂います。ジョージ・マクドナルドの時代には宇宙飛行士などはまだいなかったはずなのに、まるで潜水艦が存在しない時代に「海底二万里」を書いたジュール・ヴェルヌのようです。しかも身体の重みがなくなるだけでなく、頭の中身も軽くなってしまうというのが可笑しいのです。周囲が怒ろうと何をしようと真面目になることができず、普段は笑い転げてばかりいる王女。しかし水の中にいる時だけは、普段よりも落ち着いてお姫さまらしくなるというのが不思議。そしてそれを見た中国人たちの思考回路が面白いです。この物語は「軽い王女」「かるいかるい王女」「かるい王女」「ふんわり王女」「軽いお姫さま」などといった題名でも訳されています。太平出版社のマクドナルド童話全集では、「ふんわり王女」という邦題。
そして「昼の少年と夜の少女」は、「フォトジェン」という題名でも訳されている作品。魔女の城に滞在していたのは2人の妊婦、しかも1人は宮廷の貴婦人。ワトーという魔女は宮廷では信用されていたのでしょうか。背が高くて気品があったからなのでしょうか。しかし物語の中では、その辺りのことにはほとんど触れられていません。彼女の存在も謎ですし、手がこんだことをする割に、魔女がフォトジェンとニュクテリスという2人を一体何に使うつもりだったのかは謎。しかし幻想的な情景が素敵です。16年間夜を見ずに過ごしていたフォトジェンにとって、どれだけ夜の闇が怖かったことか。16年間昼を知らずに過ごしていたニュクテリスにとって、太陽の光はどれだけ強烈だったことか。しかもニュクテリスはランプの光しか知らなかったのです。ニュクテリスが初めて見た夜の世界に感動している描写がとても素敵。大きな藍色の空に浮かぶ月の輝き、夏の夜風、漂う花々の香り、足に優しいしっとりと濡れた草むら。美しかったです。


「北風のうしろの国」ハヤカワ文庫FT(2005年12月読了)★★★★★

ダイヤモンド少年は、両親との3人暮らし。「ダイヤモンド」という名前は、コールマン氏の御者をしている父親のお気に入りの馬、ダイヤモンドじいさんから貰ったもの。3人はダイヤモンドじいさんも住んでいる馬車小屋の2階の屋根裏部屋に住んでおり、ダイヤモンド少年のベッドがあるのは干し草置き場の中でした。ある北風が強い日のこと、干し草置き場の板壁の節穴の1つがむき出しになっていて、そこから冷たい風が容赦なく吹き込んできます。ダイヤモンドが干し草を少し撚り合わせて節穴に栓をするものの、何度はめてもその栓はたちまちポン!と抜けてしまうのです。翌日、母親がその穴を見つけて茶色い紙を切ってその上に貼り付けてくれるものの、ベッドにもぐりこんだダイヤモンド少年は、その穴ごしに誰かに話しかけられているのに気づきます。それは北風でした。紙を破った穴から見えた北風は、背の高い美しい女性。黒い髪の毛は四方八方にたなびいており、ダイヤモンドはたちまち北風が好きになります。そして北風に連れられて一緒に出かけることに。(「AT THE BACK OF THE NORTH WIND」中村妙子訳)

夜になると北風と一緒に出かける少年。ここに描かれている北風はとても美しい女性で、その時々に応じて、夜空いっぱいに大きくなったり、サクラソウの陰に隠れられるほど小さくなったりします。北風が美しいのでダイヤモンド少年は大好きになりますが、逆に北風はそんなダイヤモンド少年に、見かけの美しさだけに惑わされるなと言い聞かせることになります。そんなダイヤモンドと北風との交流、夜空を飛び回る2人の情景がとても幻想的で美しいのですが、そればかりの物語ではありません。北風のうしろの国から帰ってきたダイヤモンド少年を待ち受けていたのは、父親の雇い主であるコールマン氏の没落、そして父親の失業。この現実的な部分では、産業革命時代のロンドンが生々しく描かれ、ダイヤモンド少年の視線を通して、ロンドンを行きかう人々の様々な階級の違い、スラムに住む下層階級の人々の貧しい暮らしなどが見えてきます。病気になった父親の代わりにダイヤモンド少年が御者として健気に奮闘する場面もあります。
北風とは何なのか、北風のうしろの国とは何なのか、それは読んでいるうちに徐々に分ってくることになりますが、この物語で一貫して描かれているのは、物事を表面ではなく本質で捉えなければならないということなのでしょうね。ダイヤモンドの視線には先入観も固定観念もなく、そこに見えている姿を素直に受け止めますし、自分が貧しいからといって不幸だなどと一度たりとも考えることはありません。自分に何かをしてくれるから友達となるわけでももちろんありません。ダイヤモンド少年は元々そういう少年でしたが、誰もが満ち足りた気持ちでいられる北風のうしろの国を体験した後は尚更。ナニーやジムにとっては、ダイヤモンドは少し足りない「おばかさん」な少年でしかありませんが、ダイヤモンドの良さを知っている人間にとっては、ダイヤモンドはまさにダイヤモンドの輝きを持つ少年。傍目には彼はあまり幸せには見えなかったかもしれませんが、彼ほど幸せに生きた人間はいないでしょうし、ここまで幸せでいられる少年は、既に1つの宗教とも言えそうなところ。しかし良い子すぎるほど良い子は、神様に愛されてしまうのですね…。何とも切ないところです。


「黄金の鍵」ちくま文庫(2006年10月読了)★★★★

【巨人の心臓】…姉のトリクシィ=ウィーが弟のバッフィ・ボブをいじめて喧嘩になり、バッフィ・ボブは森の中へと逃げてしまいます。トリクシィ=ウィーは弟を探すために自分も森へ。そして2人は巨人の家に入り込んでしまうことに。
【かるい姫】…昔々ある国で可愛いお姫さまが生まれます。しかし王様の姉のマケムノイト王女を洗礼式に招き忘れたせいでお姫さまは呪いを受け、心からも身体からも重さが消えてしまうことに。
【黄金の鍵】…虹のたもとで金の鍵を見つけた少年コケオと、2人の召使にいじめられていた少女ミダレは、「おばあさま」の家で出会い、金の鍵の合う鍵穴を探しに行くことに。
【招幸酒】…スコットランドの谷間に住む少年・コリンは、ある時自分の家が小川の流れをせき止めていることに気付き、家の中に川の水路を通すことを思いつきます。そして実行したその晩、ふと目をさますと、家の中の小川の水面には妖精の女王の率いる艦隊が。(「THE GIANT HEART/THE LIGHT PRINCESS/THE GOLDEN KEY/THE CARASOYN」吉田新一訳)

「巨人の心臓」は「太陽の東 月の西」などの昔話によくある、自分の心臓を身体の外に隠している物語。これ以外の作品に関しての感想は既に書いているのでここでは書きませんが(「かるい姫」は、岩波少年文庫「かるいお姫さま」、「黄金の鍵」「招幸酒」は岩波少年文庫「金の鍵」にて)、やはりこの4作の中で特に印象に残るのは「黄金の鍵」。何度読んでもイメージが目の前いっぱいに広がっていくようです。


「金の鍵」岩波少年文庫(2006年10月再読)★★★★

【魔法の酒】…スコットランドの谷間に住む少年・コリンは、ある時自分の家が小川の流れをせき止めていることに気付き、家の中に川の水路を通すことを思いつきます。そして実行したその晩、ふと目をさますと、家の中の小川の水面には妖精の女王の率いる船団が。
【妖精の国】…妖精の国の女王は退屈を紛らわすために2人の人間を妖精の国に連れてくることに。大地主の娘・アリスを迎えに行ったのは、妖精のマメノハナ、同じ村に住む貧しい女やもめの1人息子・リチャードを迎えに行ったのは、ゴブリンのドクキノコでした。
【金の鍵】…虹のたもとで金の鍵を見つけた少年モシーと、2人の召使にいじめられていた少女タングルは、「おばあさま」の家で出会い、金の鍵の合う鍵穴を探しに行くことに。(「THE CARASOYN/CROSS PURPOSE/THE GOLDEN KEY」脇明子訳)

「妖精の国」は、「お目当て違い」、太平出版社のマクドナルド童話全集では「ふしぎふしぎ妖精の国」という題名で、「魔法の酒」は、ちくま文庫版では「招幸酒」、太平出版社のマクドナルド童話全集では「妖精の好きなお酒」という題名で訳されている作品。
スコットランド色の濃い「魔法の酒」もとても面白いのですが、やはりこの中で一番素敵なのは表題作の「金の鍵」。ここに登場する「おばあさま」は、「お姫さまとゴブリンの物語」や「お姫さまとカーディの物語」に登場する「おばあさま」と同じ人物なのでしょうか。同じようにとても幻想的です。この「おばあさま」や魚には、どのような意味が籠められているのでしょう。そして「海の老人」「大地の老人」「火の老人」という存在には。「老人」と言いつつ、「大地の老人」は青年の姿、「火の老人」は裸の子供の姿なのはなぜなのでしょう。「火の老人」が遊んでいる様々な色と大きさのボール、そしてそれらで作っている図形も気になります。そして「影たちがやってくる源の国」とは。モシーとタングルの旅はとても神秘的で象徴的。細かく説明されてはいないのですが、あらゆることに深い意味がありそうです。そしてそれ以上に、とても美しいです。井辻朱美さんの「ヘルメ・ハイネの水晶の塔」の下巻の情景は、もしかしたらこの旅の情景に影響を受けているのかもしれませんね。


「お姫さまとゴブリンの物語」岩波少年文庫(2005年5月読了)★★★★

もうじき8つになるアイリーンは、青い夜の空を切り取って星を溶かし込んだような瞳をしている、とても可愛らしいお姫さま。父である王さまは 山や谷の連なる大きな国を治めているのですが、母であるお后さまの身体があまり丈夫ではないため、アイリーンはいなかの館で乳母に育てられていました。ある雨の日、退屈しきっていたアイリーンは、まだ上ったことのなかった風変わりな階段を上っていって迷子になり、アイリーンの「大きな大きなおばあさま」だと名乗る、白い髪の美しい女性と出会います。そしてその数日後、ようやく雨が上がった時、アイリーンは乳母のルーティと一緒に散歩へ。しかし久しぶりの散歩に有頂天になっていたアイリーンは遠くへと行きたがり、気付いたらすっかり辺りは夕暮れとなっていました。夜になるとゴブリンが現れると、ルーティはお姫さまをせかします。そして道に迷った2人を助けたのは、抗夫の息子・カーディ。カーディはゴブリンの嫌いな歌をいくつも知っており、歌を歌いながら2人を城へと導きます。(「THE PRINCESS AND THE GOBLIN」脇明子訳)

C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンも愛読したという、ジョージ・マクドナルド。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の出版を後押ししたのも、このマクドナルドなのだそうです。そのマクドナルドの代表作の1つであるカーディシリーズ。太平出版社のマクドナルド童話全集では、「王女とゴブリン」という邦題。
まず、お姫さまの「大きな大きなおばあさま」である女性が素敵です。この王家に関しては色々と不思議な部分があるようなのですが、そのこともこの女性の存在も最後まできっちりと解明されないまま。それが逆に想像力を刺激しますし、「大きな大きなおばあさま」の描写がとても幻想的なのです。そしてお姫さまもいいですね。8歳ながらも賢く勇気があり前向きで、しかも優しい女の子。日常的にかなり甘やかされているようなのですが、本人の自覚がしっかりしているので、全くスポイルされていません。保身が大事な乳母のルーティをたしなめる場面もあります。そしてゴブリンは元は地上に住み、人間とほとんど変わらない姿をしていたという設定もユニークですね。ある時地下にもぐったことから徐々に人間とはまるで違う姿となり、人間のことをとても嫌っているのだそうです。
部屋の天井が夜空のようになっているという描写もとても美しかったです。


「カーディとお姫さまの物語」岩波少年文庫(2005年5月読了)★★★

「お姫さまとゴブリンの物語」の1年後。アイリーンは王様と共に都へ行ってしまい、13歳の少年カーディはゴブリンを厄介払いできたものの浮かない気分になっていました。しかし時間が経つにつれ、お姫さまの言う「大きな大きなおばあさま」や話していた色々なことも、夢の中の出来事のような気がしてきていたのです。ある日のこと、弓矢の練習をしていたカーディは白い鳩を射落とします。自分の手の中で死んでいく鳩を見たカーディは、アイリーンと別れた時にどこからともなく現れた白い鳩のことを思い出し、急に不安になって館の塔へと急ぎます。(「THE PRINCESS AND CURDIE」脇明子訳)

「お姫さまとゴブリンの物語」の続編。太平出版社のマクドナルド童話全集では、「王女とカーディー少年」という邦題。ゴブリンの騒動から1年しか経っていないのですが、国の中の様子はかなり様変わりしていました。途中までは前作のイメージとそれほど大きく変わらないですし、カーディの変化も思春期特有のものと思えば納得がいくのですが、カーディが都に着いた頃からその変化は如実に表面に現れてきます。前作では理想的な王とされていた王様ですが、実は国の中は難しい状況になっていたのですね。そしてゴブリンではなく、人間の中に悪人があまりに多く存在していたのには驚かされました。「ゴブリン=悪」という図式なら納得もしやすいですし、前作はゴブリンのその後のことも含めてすっきりとした読後感だったのですが、今回は少々毛色が違います。形態が同じおとぎ話であるだけに、同じ人間の中に潜んでいるものを思うと、現実にもあることながらも少々やりきれない気持ちになりますね。もちろんカーディはアイリーンと一緒に王様を助け、国を守ることになるのですが、ハッピーエンドにも関わらず、終わりまでどこか暗く重苦しい空気が漂っているようでした。
しかし「大きな大きなおばあさま」の描写は、相変わらずとても幻想的です。


「きえてしまった王女-マクドナルド童話全集3」太平出版社(2006年10月読了)★★★

ある王国で、金色の雨が降った日に王女が誕生します。しかしこのロザモンド王女は小さい時から甘やかされて育ったため、我侭で自分勝手で、いじけた子になってしまいます。そしてこの同じ国の北の果て、寒々とした丘で大粒の霰が降った日に、羊飼いの女の子が生まれます。この羊飼いの子・アグネスは、両親の言うことをよく聞く素直な子だったのですが、両親が甘やかし続けたおかげで、こちらもまた自分勝手で、うぬぼれの強い子に育ってしまいます。(「THE WISE WOMAN-A PARABLE/THE LOST PRINCESS-A DOUBLE STORY」田谷多枝子訳)

王女ロザモンドと羊飼いの娘アグネスは、生まれも育ちもまったく違うにも関わらず、その内面はそっくり。どちらも自分のことを「ごりっぱさん」だと思っています。そんな2人の少女を立ち直らせようとするのが賢女のおばあさん、という物語です。
2人の少女たちは様々な試練を受け、最初はそれでも自分の本当の姿を認めようとはしないのですが、徐々に自分の醜さを理解していきます。しかし頭では分かっていても、思うように行動できないというのはよくあること。自分の悪い部分を、自分でも気付かないうちに正当化しようとしますし、あっという間に元の嫌な子供に戻ってしまったりもします。賢女のおばあさんの助けで、時に2人とも深く反省し、努力はするのですが、どうも一進一退といったところ。このなかなか上手くいかないところが、また人間らしいところと言えそうです。立派な心がけだけでは、なかなか成果が出ないですし、身体に覚えこませることしかないのかもしれませんね。この物語を読んでいると、賢女のおばあさんの言葉に、まるで直接話しかけられているような錯覚を覚えました。いくつになっても、自分を見つめなおす機会は必要なのでしょうね。


「かげの国-マクドナルド童話全集11」太平出版社(2006年10月読了)★★★

マンガを描いて一儲けしたのに、悲しい詩を書いたばかりに、また貧乏になってしまったラルフ・リンケルマンじいさん。妖精たちはじいさんを妖精の国の王様にしようと考え、じいさんが重い病気を患い生と死の間を彷徨っている間に妖精の国の王位に付けてしまいます。そしてある時、ベッドに寝たままのじいさんに話しかけたのはゴブリンでした。ゴブリンのおかげでじいさんは、「かげ」たちを見ることができるようになり、かげたちに連れられてアイスランドの教会へと行くことに。(「THE SHADOWS」田谷多枝子訳)

あとがきによれば、ジョージ・マクドナルドのはじめての童話とも考えられている作品のようです。「北風のうしろの国」を準備するためのスケッチだとも。確かにそうかもしれないですね。2つの作品の雰囲気はとても似通っていています。しかし「ほかの作品に比べて多少おとなっぽい雰囲気」ともありましたが、むしろ他の教訓よりも直接的に書かれているという印象を受けました。「北風のうしろの国」と比べても、「かげの国」という存在があまり効いていないような…。それでも何度も読み返すごとに、新たに得るものがありそうな深みを感じられる物語です。

P.35「夜を愛するものが、真実だというのかね?」王がいった。「闇は、光を育てます。」かげがこたえた。


「ファンタステス-成人男女のための妖精物語」ちくま文庫(2006年4月読了)★★★

21歳の誕生日、父が遺した古い書き物机の鍵を受け継いだアノドスは、父が亡くなって以来、誰も入らなかったその部屋に入り、机のたくさんの引き出しや棚を開け始めます。中央にある小さな戸棚の奥には隠された空間があり、そこをあけたアノドスの目の前には、小さなギリシャ風の彫像のような姿形の婦人が立っていました。婦人はアノドスに、今日、妖精の国への道が分かると告げます。そして眠りについたアノドスがを覚ますと、何やら部屋の様子が変わっていました。そして気がつくと大樹の枝陰に立っていたアノドスは、森の中へと入っていきます。(「PHANTASTES-A FAIRIE ROMANCE FOR MEN AND WOMEN」蜂谷昭雄訳)

「リリス」と同じように大人向けのファンタジーとして書かれた作品。太平出版社のマクドナルド童話全集では、「おとぎの国へ」という邦題のようです。C.S.ルイスはこの本の序文で、この作品がルイスの「想像力を回心させ、洗礼さえした」と書き、「ファンタステス」を「カーディ」2冊、「黄金の鍵」「賢い女」「リリス」と並ぶ「偉大な作品群」としています。しかし「リリス」がある程度分かりやすい展開だったのに比べて、こちらの「ファンタステス」はとても難しいです。表向きは、妖精の国に入り込んだアノドスがひたすら妖精の国を通り抜けて行く物語であり、まるでアーサー王の騎士たちの聖杯探求の物語のよう。しかし全編通してとても暗示的であるにも関わらず、読んでいても様々なモチーフが本質的に意味するところがほとんど分かりませんでした。自分の影に追いかけられるアノドスの姿は、「ゲド戦記」のゲドのようではありますが、その意味するところはまた別なのでしょう。そして途中で挿入される、魔法の鏡に映る美女に魅せられたコスモ・フォン・ヴェールシュタールという青年の物語はとても面白かったのですが、それ以外の展開はそれほど起伏に富んだものでもありません。読み通すのにかなりの根気が必要でした。
この本に掲載されているC.S.ルイスの序文で意外だったのが、この作品を読んだ当時は「キリスト教ほど私の思想に縁遠いものはなかった」と書いていること。「ナルニア国」シリーズがあれだけキリスト教的作品であることを考えると、この言葉には驚かされます。やはりこの作品との出会いが、ルイスに大きく影響を与えていたのでしょうか。

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