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このページは、タニス・リーの本の感想のページです。

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「バイティング・ザ・サン」産業編集センター(2005年3月読了)★★★★

砂漠の中にそびえる3つの巨大ドーム都市の1つ・フォー・ビー。そこは擬似型ロボット(アンドロイド)たちに守られ管理されながら、永遠の命を生きる人間たちの住む理想都市。たとえ自殺しても、すぐに次の身体が与えられ、性別や外見は思うがまま。労働も病も死さえもないこの都市で、人々は最初の活動期「催眠学校(ヒプノ・スクール)」で約5年間様々なことを学んだ後、青年期として欠かすことのできない第二活動期「ジャング」として約50年間過ごし、その後最終段階の「大人」として過ごすことになります。その「大人」の状態は、人生や長い記憶に飽きて自ら望んで人格消滅されるまでは半永久的に続き、人格消滅をした者は、再び子供の段階からやり直すことになります。そして、ただ快楽と刺激を追及するのみのジャングの世界で1人の少女が自分を取り戻し、現状を打破すべく動き始めることに。(「BITING THE SUN」環早苗訳)

日本では2004年に刊行されましたが、これは元々タニス・リーが1970年半ばに書いた作品なのだそうです。物語は「バイティング・ザ・サン」「サファイア色のワイン」に分かれており、巻頭に用語解説が載っているほどのSF作品。1970年代の作品ということで、私は直接には知らないのですが、フラワー・チルドレンとも呼ばれたヒッピー・ムーブメントを思い起こさせます。
家族関係が極端に希薄な世界。人と人との繋がりも刹那的です。人と人を結びつけているのは「サークル」だけ。誰かのサークルから追放されると「涙に暮れながら去るのが礼儀」とは、しかも性的関係を結ぶ前には必ず結婚しなければいけないとは、何とも肉ですね。そしてこの世界で凄いのは、死ぬことが許されていないところ。たとえ事故で死んでも自殺しても、強制的に生き返らされてしまいます。犯罪も病気も既に存在しておらず、普通の状態では死ぬことは許されていないのです。それを逆手にとり、新しい身体を手に入れるために自殺する人間も後を絶たないほど。必要なことは全てロボットが完璧に行ってくれるため、基本的に何もするべきことがないのです。ただ快楽を追求する世界というのは、一見楽園のように見えますが、実は永遠の退屈なのでしょうね。しかしたとえ日常にいくら倦んでも、その人生には終わりはありません。もし大人になってから希望すれば、最初からやり直すことができるだけ。これはある意味とても怖いこと。永遠に何も考えない子供であることを求められている世界です
そんな中で自立を望み、盗みを繰り返し、「大人」になることを望み、「仕事」 を得ることを望み、「子ども」を作ることを望む主人公。何をしたらいいのか全く分からないままに試行錯誤を繰り返す彼女が魅力的。そしてそんな主人公をひたすら愛し、しかしわざと醜悪な姿をとり続け、人としての中身を見て欲しいと願うハッターの存在がとても切ないのです。
読み始めた時は、なかなかその特殊な用語に慣れられず、しかもあまりタニス・リーらしさが感じられずに戸惑ったのですが、徐々にタニス・リーらしい世界になっていきます。ドームの中の世界も色彩が溢れていますが、むしろ「サファイア色のワイン」の、ドームの中と対になるような砂漠の世界の強烈な自然の描写が美しいです。


「鏡の森」産業編集センター(2005年3月読了)★★★

父王が治める国を乗っ取られ、異母妹の手によって征服者・ドラコに引き渡された王女アルパツィア。ドラコに陵辱された彼女は、その後ドラコの妻となり、15歳で娘・カンダシス(コイラ)を産み落とすことに。幼いカンダシスは美しいアルパツィアを慕うのですが、ショックのために長い間夢うつつの状態となっていたアルパツィアは、王を拒絶し、娘を無視し、部屋に篭もって鏡に向かって話しかけるばかり。その目には何も入っていませんでした。森の狩人・クリメノと出会うまでは…。(「WHITE AS SNOW」環早苗訳)

タニス・リー版「白雪姫」。継母と娘という構図は、タニス・リーによって母=娘という構図に変化。そして同時にギリシャ神話でもあります。死者の王・ハデスと、その妃となるペルセフォネ。さらには、キリスト教の7つの大罪。しかし読んでいると、これらのモチーフの使い方が何とも中途半端に感じられてしまいました。そういった世界を根底に持ちつつ、タニス・リーらしい独自の世界を見せてくれることを期待していたのですが、結局ただ単に羅列しただけのような印象。消化し切れてないようなもどかしさが残ります。それに黒と白と赤の章に分かれているのですが、森や宮殿での描写に、今ひとつタニス・リーらしい冴えが見られないような気がしますね。様々な色彩が存在するのに、それらがあまり煌いて感じられないのです。短編として発表された「血のごとく赤く」の方が、余程迫力があって良い作品だったと思います。
この作品の原題は、"White as Snow"。これはおそらく「血のごとく赤く」の"Red as Blood"と対比してるのですね。これに対比する「黒」は、「血のごとく赤く」の中に収められている「墨のごとく黒く」”Black as Ink”なのでしょうか。それともまた改めて「黒」が出るのでしょうか。「白」という色がタニス・リーに合っていなかっただけのような気もしますし、やはりタニス・リーには「黒」や「闇」での本領発揮を望みたいです。


「ウルフ・タワーの掟-ウルフ・タワー1」産業編集センター(2005年7月読了)★★★

<ハウス&ガーデン>と呼ばれる場所でレディ・ジェイド・リーフの女中として働いている16歳のクライディは、ある日レディ・ジェイド・リーフの文房具箱の中から1冊のノートを盗み、そこに日記のようなものを書き始めます。<ハウス>での日々は、日記にもほとんど何も書くことがないような単調な日々。しかしそんなある日、「二千本目のバラを植える儀式」の最中に、<ガーデン>に熱気球に乗った侵入者が現れるのです。それは<シティ>のプリンスだというネミアン。突然オールド・レディのプリンセス・ジザニア・タイガーに呼び出されたクライディは、自分が本当はプリンセスの娘・クライディッサ・スターであることを聞かされ、ネミアンと共に<ハウス&ガーデン>から<荒地>を通って<シティ>へと向かうようにと言われます。(「LAW OF THE WOLF TOWER」中村浩美訳)

ウルフ・タワー1作目。
舞台の設定としては、「バイティング・ザ・サン」に少し似ており、現代の文明が一旦滅び去った後の未来の物語のようです。主人公・クライディスの日記という形式で書かれた作品。元々ジュブナイルとして書かれた作品のようですが、原文でもそうなのか、それとも口語調の訳のせいか、まるでライトノベルを読んでいるような感覚。その辺りで、好き嫌いが分かれそうです。
生まれながらに女中だったクライディが実はプリンセスだったというのは、まるでシンデレラ・ストーリーのようですが、書いているのがタニス・リーですし、一筋縄ではいかないのでしょうね。ネミアンに惹かれて<ハウス>を出ることになったクライディですが、素敵な男性を見かけるたびに揺れ動いていて、しかし表向きは他に誰も読まないはずの日記に一生懸命自己弁護していたり、それがまた16歳の少女らしさを出しているようです。ただ、クライディはどこで文字を書くことを覚えたのでしょう。女中にも読み書きを教えていたのでしょうか。ジェイド・リーフの女主人ぶりを見ていると、女中に教育を受けさせているとは到底思えないですし、2巻でも<ハウス>では教育を受けていなかったと書かれているのですが、読み書きに関しては別なのでしょうか。その辺りが少々不思議です。


「ライズ星の継ぎ人たち-ウルフ・タワー2」産業編集センター(2005年7月読了)★★★

アルグルたちに<シティ>から助け出され、ハルタ族と合流したクライディ。しかしアルグルとの結婚式のその当日の朝、野営地から4分の1マイルしか離れていない湖にいたクライディたちを襲ったのは、<シティ>の衛兵・チョスパとその仲間たち。クライディは気球に乗せられ、さらに船で海を渡り、ジャングルの奥にある<ライズ>へと連れて行かれることに。ここにある宮殿はなんと機械仕掛け。部屋や階段が勝手に縦横無尽に動きまわり、人間たちはそれに従うのみ。そこに住んでいるのはプリンス・ヴェナリオニラールカスレミドラス、そしてロボットのグレムビラード、ジョットー、トリークルでした。(「WOLF STAR RISE」中村浩美訳)

ウルフ・タワー2作目。
1巻に比べると、全体的に動きが少ないですね。アルグルが既に確固とした存在となっているため、ヴェンに揺れ動くクライディの姿も、ただ単にアルグルに似たものを探しているだけといった感じ。主要登場人物の過去や関係が少しずつ明かされていく大事なエピソードの巻ではあるのでしょうし、部屋や階段が動いてしまうという宮殿も面白いアイディアではありましたが、早く次の場所へと移動して欲しい、物語が動いて欲しいというのが正直なところでした。


「二人のクライディス-ウルフ・タワー3」産業編集センター(2005年7月読了)★★★★

飛行船・スターに乗ってライズを脱出し、アルグルの元へと向かったクライディ。しかしハルタを見つけるものの、ハルタの面々に拒絶されてショックを受けます。クライディが浚われた後、ネミアンが偽の日記を用意してハルタの面々を言いくるめたらしいのです。しかもアルグルは既にリーダーであることをやめ、ブラーンがその後を継いでいました。クライディを信じてくれたのは、ハルタの少女・ダガーのみ。アルグルが北に向かったかもしれないという話を聞き、クライディは早速北へと向かうことに。(「QUEEN OF THE WOLVES」中村浩美訳)

ウルフ・タワー3作目。
前巻の停滞ぶりが嘘のように物語が展開します。ハルタの面々があまりに簡単にネミアンの言うことを信じてしまうなどの、あまりに定番すぎる展開には少々がっかりしましたが、クライディがアルグルを探して旅をするので変化にも富んでいますし、ゼリーという男が登場して物語を面白くしてくれます。クライディの母だというプリンセス・トワイライトも登場。ここでもまたクライディを試すかのように新たな真相が語られます。このシリーズは、クライディの自分探しの物語だったのですね。


「翼を広げたプリンセス-ウルフ・タワー4」産業編集センター(2005年7月読了)★★★
ペシャムバで無事に結婚式を挙げたアルグルとクライディは、インウェイで<ハウス>へと向かいます。見覚えのある美しい<ハウス&ガーデン>の風景。しかしそこは、クライディがいた頃とは全く様変わりをしていたのです。(「WOLF WING」中村浩美訳)

ウルフ・タワー4作目。 最終巻です。
これまで登場した人物が勢ぞろいします。2巻3巻でも真実が明かされてきましたが、ここにきてもまだ意外な真実が残されていました。しかし展開がやや突飛な印象。ここまですると何でもありなのかという感じです。もう少しこじんまりとまとめても良かったのではないかと思ってしまうのですが…。
「月と太陽の魔道師」や「冬物語」もジュブナイルとして発表された作品だと聞きましたが、そちらとは比べ物にならないほど対象年齢が低いとしか思えない作品。翻訳のせいなのでしょうか。それとも原文もそうなのでしょうか。全体的にタニス・リーらしさがあまり感じられず、それがとても残念でした。


「水底の仮面-ヴェヌスの秘録1」産業編集センター(2007年8月読了)★★★★

今はヴェヌスと呼ばれるヴェ・ネラ<海の都>は、7つの島から築かれている街。6週間続く秋の謝肉祭が始まって1週間経ったその日、フリアンは舟を雇って運河や淵を巡って死体を捜していました。謝肉祭には死人がつきもの。しかし1年前は一晩で5つも遺体を見つけたフリアンも、その日は夜中の3時から探し続けているというのに、1つも死体を見つけられなかったのです。ようやく見つけたのは、謝肉祭の間全ての人々がつけることを義務付けられている仮面が1つだけ。半顔で、古代ギリシャやローマの神々の彫像や彫刻を思わせる端整な目鼻立ちをした上等なものでした。しかしその仮面には、剥ぎ取ろうともがいたような傷や、仮面が血を流したような鈍い錆色の切り傷が走っていたのです。フリアンはその仮面を拾い上げて、錬金術師でもあるシャーキン医師の元へと持って行くことに。(「FACES UNDER WATER」柿沼瑛子訳)

ヴェヌスの秘録シリーズの1作目。
水の都ヴェネチアのパラレルワールド・ヴェヌスを舞台にした、元は貴族でありながら、恵まれた暮らしを捨てて庶民の暮らしに身を落としている青年・フリアンと、彫像のような美しい顔を持つエウリュディケが、妖しげな仮面ギルドを向こうに回す物語です。登場人物の造形がやや浅く、物語そのものも今ひとつ練り上げられていない感じがするのですが、仮面という小物も謝肉祭という設定も雰囲気がたっぷりで、タニス・リーらしい美しさと妖しさ、そして狂気を孕んだ物語。それだけに、柿沼瑛子さんの訳も悪くはないのですが、浅羽莢子さんの訳で読みたかったと思ってしまいます。
ちなみに謝肉祭とは、本来キリスト教の四旬節(復活祭前の40日間)に入る前に行われる祭りのこと。それを表す「カーニバル」という言葉は、ラテン語の「carne vale(肉よ、さらば)」に由来するともいわれています。元々は、春の到来を喜ぶ古いゲルマンの祭りだったものがキリスト教の中に組み込まれたようで、異教の香りが濃厚に漂います。


「炎の聖少女-ヴェヌスの秘録2」産業編集センター(2007年8月読了)★★★

その赤毛からヴォルパ(狐)と呼ばれる少女は、金持ちの薪商・ガイオの奴隷。10年前に母親と一緒にガイオに買われて以来、糞尿の汲み取りや床洗いといった下賎な仕事をさせられていました。しかしヴォルパが14歳になった冬に、ガイオの夜の相手もさせられていた母親が亡くなり、ガイオは痩せこけながらも娘らしく成長したヴォルパの身体に目をつけたのです。そしてガイオがヴォルパに2階に上がるように言いつけた晩、陵辱されそうになったヴォルパの中で、かつて目の前で母親が犯された記憶が蘇ります。今まで味わったこともないような恐怖によってヴォルパの脳天から何かが弾け飛び、ヴォルパ自身が輝きを放ち始め、ヴォルパの髪が火を放ったのです。(「SAINT FIRE」柿沼瑛子訳)

ヴェヌスの秘録シリーズの2作目。
1作目のフリアンやエウリュディケ、シャーキンなどといった人物は全く登場せず、今回はヴォルパという奴隷の少女と<神の戦士>クリスチアーノの物語。どうやらシリーズの4作は物語的には1作ずつ独立しており、本当の主役はヴェヌスという場所そのものといったところのようですね。時代的にも、フリアンとエウリュディケの時代からかなり遡っているようです。
炎を操る力を持つことから悪魔の手先とも聖女とも言われるヴェルパ。圧倒的な異教徒の侵攻を彼女の力で打ち破っておきながら、一度災いが去ってしまえば、ヴェルパを宗教裁判にかけようとする人々。ヴェルパの造形はどこかジャンヌ・ダルクのようで、あまりヴェヌスという場所には関連がないようにも思えます。しかもヴェルパは環境が変わっても心は奴隷の時と同じ。クリスチアーノも信仰心が篤いせいか、あまり生身の人間的な魅力が感じられませんでした。


「銀色の愛ふたたび」ハヤカワ文庫SF(2007年7月読了)★★★

娼婦の母から生まれ、バベル通りの<祖父>のほったて小屋で大きくなった「あたし」。そこでの生活はとても厳しく質素で、敬虔深いもの。しかしそんなある日、10歳だった「あたし」は、地震で落ち込んだ床からスカーフに包まれて隠されていた1冊の本を見つけます。それは「ジェーンの物語」。それまでは本と言えば聖書ぐらいしか知らず、それすら<祖父>が時々読んでくれるのを聞いていただけだった「あたし」は、「ジェーンの本」に夢中になります。(「METALLIC LOVE」井辻朱美訳)

ジェーンとシルバーの「銀色の恋人」から24年ぶりの新作。
「銀色の恋人」は、恋に恋する少女のロマンティックな物語であり、人形のように扱われていたジェーンの母親からの自立の物語でもあったわけですが、今回主人公として登場するローレンは、最初から自立していた少女。スラム街に生まれ、自分の力で生きてきて、そしてヴァーリスの相手として選ばれます。考えてみれば、まるで逆の設定なのですね。「銀色の恋人」は、何1つ不自由のない少女がロボットを選び、そのことによって成長していく物語。そして今回の「銀色の愛ふたたび」は、貧しい少女がロボットに選ばれて、ロボットが自立していく物語。どちらも選んだ側が成長するという点では共通していますが、前回は少女が大きく成長していたのに比べ、今回の少女は恋に落ちた途端に自分の自我や自立を失ってしまったかのようです。
ずっと「ジェーンの本」を読んでいたローレンがシルヴァーに憧れ、その気持ちがいつしか恋に変わっていたというのは、まだ理解の範囲内。しかしヴァーリスは一体ローレンのどこが好きになったのでしょう。まさかローレンの外見や条件だけに惹かれたわけでもないのだろうとは思うのですが、それ以前に、ヴァーリスは本当にローレンを好きだったのでしょうか。「銀色の恋人」に溢れているジェーンとシルヴァーのお互いへの思いやりのような温かみが今回のローレンとヴァーリスの間にはほとんど感じられず、2人の愛情にあまり信憑性がありませんでした。ヴァーリスがシルヴァーの記憶を持ち続けているという設定も、結局あまり生かされないまま終わってしまったような気がします。そこでヴァーリスに何かを葛藤するのでなければ、シルヴァーの記憶を持ち続けることに何の意味があるのでしょう。結局、ローレンに嫉妬させるためだけにしか役立っていないような気がします。
自意識を持つようになったロボットの物語といえば、アシモフの三原則がどうしても頭をよぎります。ロボットの物語だからといって、必ずしもその三原則に則る必要はないとは思いますが、やはりあれはとてもよくできていますし、あっさり無視できるようなものでもないと思うのです。ロボットの自我について、META社は何も配慮していなかったのでしょうか。それともロボットが人間を上回ってしまったのでしょうか。そして読後にいくつか残ってしまった疑問点の1つは、「銀色の恋人」がとても綺麗に終わっているのに、なぜここで続編を出したのかということ。本当に、なぜ今続編なのでしょう?


「パイレーティカ-女海賊アートの冒険」小学館ルルル文庫(2007年7月読了)★★

20年以上も前に王政を倒し、共和国を樹立した、パラレル暦1712年のイギリス。父親によって6年前に淑女を養成する学校、エンジェルズ・アカデミーに入れられたアーティミジア・フィッツ=ウィロビー・ウェザーハウスも16歳。しかし優雅な歩き方の練習をする授業で頭に載せていた本を落とした時にバランスを崩して階段を踏み外してしまい、手すりに頭をぶつけた衝撃で6年間忘れていた母親のことや、自分の子供の頃の記憶を取り戻したのです。アーティミジアの母親はモリー・フェイスという名の、7つの海を荒らしまわる海賊船の船長。海賊でありながら、決して人殺しをしないという人物。しかしアーティミジアは6年前、大砲の爆発のせいで記憶を失い、その時に母をも失ったのです。(「PIRATICA」築地誠子訳)

元々ジュブナイルとして書かれた作品のようですね。アートが海賊船に乗っていた過去を思い出したと思ったら、それは実は… という辺りは面白いです。実際に経験はなくとも今まで何万回と演じているから自然にそれらしく振舞ってしまった、という辺りも。ただ、それだけで思った通りに実行できるかといえば、それはまた別問題ですし、都合が良すぎるように感じてしまう方も多いのではないかと思います。私としては、そうくるからには最後にももう一ひねりしてくれるのではないかと少し期待していたのですが… そのままあっさりと進んで終わってしまいました。
キャラクターの人物造形も全体的に今ひとつだったのですが、特にリトル・ゴールディ・ガールが前評判とまるで違っていて残念。せっかくなら、少女ではあっても、もっと悪の魅力を発散させるような大者であって欲しかったのですが…。これでは、まるでアートの敵ではありませんね。エジプト出身の黒人・エバド・ヴームズはなかなか良かったと思うのですが、その彼にしても目一杯動き回る機会があまりなくて残念でした。

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