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このページは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本の感想のページです。

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「聖なる島々へ-デイルマーク王国史2」創元推理文庫(2005年4月読了)★★★

デイルマーク一非情な男と言われる伯爵ハッドが支配する南部の地で、豊かな小作農の1人息子として生まれ、幸せに育っていたミット。しかし小作地一帯の小作料がどんどん値上げされ、その小作料が払えなくなった一家はとうとう小作地から追い立てられることに。一足先にホーランド港で働くようになっていたミットの父に続いて、もうじき6歳のミットと母のミルダもまたホーランドの街へと向かいます。港にほど近い大きな共同住宅のひと間での貧しい暮らしは、ひどい暮らしでした。両親には既に笑いはなく、口喧嘩の絶えない毎日。しかも父親は<ホーランドの自由の民>という漁師中心の地下組織に参加していたのです。そんなある日、父親は若い組織員たちを煽って伯爵の倉庫に火をつけようとするのですが、内部の人間の裏切りによって、伯爵の次男・ハーチャドの兵に捕らえられてしまいます。裏切ったのは古参の組織員たち、シリオールとディデオとハムだったと聞いたミットは、彼らとハッド伯爵を見返すために、シリオールの申し出を受けて、漁師の見習いとして働き始めることに。(「DROWNED AMMET」田村美佐子訳)

デイルマーク王国史の第2巻。
物語は1巻の「詩人たちの旅」とは同時期の物語のようですが、直接的な関連性はほとんどなく、1つの独立した物語となっています。幸せから不幸のどん底へと突き落とされミットの貧民街での生活。地下組織の存在と伯爵暗殺計画、そして逃亡。「詩人たちの旅」では登場人物それぞれに何かいい所があり、夫を亡くしてすぐに別の人間と結婚してしまったレニーナの行動に驚かされた程度だったのですが、こちらでは主人公のミットもその両親も伯爵の孫娘のヒルディ(ヒルドリダ)も好きになれず、前半は読むのが辛かったです。深く考えることもなく感情に流されるままに行動するミット、自分のことしか考えていない子供のような両親、世間知らずの我侭なヒルドリア… しかし後半になって<風の道号>での海洋冒険譚となると、急速にテンポ良く面白くなりました。嵐での場面などもなかなかの迫力。前半は苦労しましたが、読み終えてみれば1巻同様とても吸引力の強い物語であったことが分かります。
結局「詩人たちの旅」もこの「聖なる島々へ」も、どちらも両親と決別し、子供たちが自分の足で立ち上がることになる物語なのですね。そして既に形骸化していたはずのお祭りにも確かに潜んでいた真実、まだまだ謎の多い存在である古い神々の存在によって、ミットは自分の進むべき道を知ることになります。最後にミットが出会う不思議な力に関しては、やや説明不足のような気もしますし、1巻同様それで一件落着というのが物足りない気がするのですが、やはりこれから先に繋がっていくのでしょうか。


「魔空の森ヘックスウッド」小学館(2006年2月読了)★★★

宙域監督官ボラサスの元に1通の手紙が届きます。そこに書かれていたのは、地球の英国にあるヘックスウッド農場に封印されていた「レイナー」の紋章入りの機械のうちの1台が作動してしまったという内容。その機械とは、受刑者として地球へ送られることになった者の人数や追放された造反者たちの過去のデータが全て保管されているバナスという機械で、シータスペースという場を作り出し、過去に実在した事実なり人物なりを入力すると、それに応じたシナリオを実演する機能を持っているのです。ボラサスは早速その事態の収拾のためにヘックスウッド農場へと向かいます。そしてヘックスウッド農場に至るウッド・ストリートに面して建つ家の2階の部屋に病気で寝ていたアン・ステイヴリーは、近頃農場にハリソン・スキューダモアと名乗る偉そうな若者が住み着いたと聞いて興味を持ち、鏡を使ってヘックスウッド農場を見張ることに。(「HEXWOOD」駒沢敏器訳)

ヘックスウッドの森の中での時系列はバラバラ。アンの立場からは時間を追って順番に書かれているのですが、そのアンが会うヒュームは5歳ぐらいの小さな子供になったり、そうかと思えば青年になっていたり、またまた小さくなっていたりします。バナスと森によって作り出される「場」の中では、様々な出来事がランダムに起きるため、あの時の出来事はこの出来事に連続していたのかと後から分かることも多いのです。それでも途中までは普通に読んでいたのですが… ヴィエランが大きく登場する辺りから、頭がすっかり混乱してしまいました。それぞれの人間が、その時他の人間に見えている通りの、そして考えられている通りの姿である方が稀。実に複雑に入り組んでいるので、混乱するのも無理もないとは思うのですが、時には1人の人間1人にヘックスウッド、森の中の「場」、さらにレイナーの王国という3つの場所それぞれの役割と名前があるのです。物語の中でお芝居を演じているのを観る楽しさはありましたし、アーサー王伝説やゲド戦記のモチーフもしっかり登場するので、その辺りは楽しめそうだったのですが、結局終盤の展開にはあまりついていけませんでした。それぞれの正体が分かった上で再読すれば、おそらくもっと理解できるのでしょうね。
基本的な物語は、この宇宙を支配しているというレイナー5人に立ち向かう人々のSFファンタジー。そもそもの始まりはハリソン・スキューダモアだったはずなのですが、実際には彼もバナスに操られていたのでしょうか? フットボールチームは結局どうなったのでしょう? そして「フリント」とは一体何だったのでしょうか? 色々と気になります。


「バウンダーズ-この世で最も邪悪なゲーム」PHP研究所(2005年11月読了)★★

食料品店を営む両親と弟のロブ、妹のエルシーと暮らす、ごく普通の12歳の男の子だったジェイミー・ハミルトン。しかしある日、学校の帰り道に街の中心近くにある三角形の緑地に入り込み、石造りの建物の中を覗き込んだことから、その運命は一変します。建物の中にいる<あいつら>が何かの機械のボタンを押した時、地面も何もかもが震えるような振動を始め、ジェイミー自身も身体全体が引っ張られるような奇妙な感覚を味わったのです。その建物の扉に記されていたのは、「<古い要塞(オールド・フォート)>古代より伝わりしリアル・ゲームの達人」という文字。一旦は家に戻るものの、翌日またしてもその<古い要塞>へと向かったジェイミーは、<あいつら>に捕らえられ、無理矢理ゲームの中に放り込まれてしまいます。<故郷に向かう者(バウンダーズ)>になってしまったのです。(「THE HOMEWARD BOUNDERS」田村美佐子訳)

ダイアナ・ウィン・ジョーンズらしい多重世界の物語。しかしここで移動手段となるのは、いつものような魔法ではなく、ゲーム。ゲームをしている<あいつら>という存在があり、ジェイミーたちは駒として次々に違う世界へと移動させられることになるのです。その世界の言葉を覚え、ようやく生活に慣れた頃に、またしても強制移動させられるジェイミーたち。
自分たちのいるこの世界を、もし神の視点を持つ誰かが操っていたら… ということを考えたことがある人は多いのではないかと思いますし、実際にそういうSF作品もありますが、そういった作品の中で操られている人々が神の視点に気づくことは滅多にないのではないかと思います。しかしこの作品では、操り手も操られている存在も同じ世界に存在しているため、否応なく気づかされることになるというのが特徴。自分がゲームの駒とされてしまったのを知っている方が幸せなのか、知らない方が幸せなのかはともかく、操り手の存在を知っているからこそ、ゲームのルールを逆手に取って<あいつら>戦いを挑むことができるわけです。ジェイミーもヘレンやヨリスといった仲間たちと出会い、<あいつら>のルールを逆に利用するべく奮闘することになります。
色々な世界を旅する楽しみはありますが、いつもの明るい雰囲気はありません。これはこれでとてもダイアナ・ウィン・ジョーンズらしい展開だとは思うのですが、全体的に分かりづらく、ジェイミー以外の登場人物たちの具体的なイメージも掴みにくかったです。特に、<あいつら>に関しては、最後まで姿がぼやけていたような印象でした。


「呪文の織り手-デイルマーク王国史3」創元推理文庫(2005年4月読了)★★★★★

山から流れてくる小川と川が合流する地、豊かな牧草地のシェリングに住んでいたタナクィ(イグサ)たち。しかし秋の川の氾濫が起こる直前、山の向こうから見たこともない人々がやって来ます。異国の野蛮な異教徒(ヒーザン)が攻め込んできたので兵士を集めに来たのです。タナクィの家からも、父親のクラム(二枚貝)のクロスティと長兄のガル(かもめ)が兵士として連れて行かれることに。家に残ったのは姉のロビン(コマドリ)と兄のハーン(アオサギ)、弟のダックことマラード(マガモ)とタナクィの4人。しかし父は2度と戻らなかったのです。兄のガルは「ケストレルおじ」に連れられて帰ってくるものの、戦争で辛い目に遭い、心を失っていました。ケストレルおじは、村人たちに受け入れられていない4人に村から出て行くよう忠告。兄弟姉妹の姿は死んだ母親譲りで、まるでヒーザンのよう。髪も黄色くてくねくねしており、他のシェリングの人々のまっすぐな黒髪とは全然違っていたのです。その時丁度押し寄せた洪水に乗って、5人は船で村から逃げ出します。(「THE SPELLCOATS」田村美佐子訳)

デイルマーク王国史の第3巻。1巻2巻は直接的な関連性はなかったものの、ほぼ同時代の物語だったのですが、今度は遥かに遡ったデイルマーク先史の物語。まだ「川の国」と呼ばれていた頃のデイルマークが舞台となっています。物語の語り手はタナクィ。タナクィは母親譲りの織物の腕を持ち、これらの物語をローブの模様として織り込んでいるのです。舞台となる時代が古いこと、そしてローブの中に物語を織り込んでいくという作業から、まるで神話の世界のような雰囲気。それもケルト神話のようですね。神々や魔法の存在がとても身近で日常的です。文章で書かれた物語を読みながらも、最初から最後までまるでローブの模様を辿って読んできたような、そして読みながらローブという織物の持つ魔法の力を大きくふくらませているような気になりました。
1巻2巻同様、今回も父親との別れがあり子供たちだけで旅をすることになります。魔法が当然のように存在する世界だけに、そこで登場する敵の魔法使いの姿はかなり不気味。何が起こるか見当もつかない緊張感があります。今まで以上に魔法の力が自然に存在しているのが良かったですし、旅の中で<唯一の者><女神><若き者>といった<不死なる者>とは一体何なのか、タナクィたちとどのような関わりがあるのかが明かされる辺りが特に面白かったです。この物語が1巻2巻と共にどのように最終巻に繋がっていくのか楽しみです。


「時の彼方の王冠-デイルマーク王国史4」創元推理文庫(2005年4月読了)★★★★

南部のホーランドから逃げ出し、北部のアベラス女伯爵に世話になるようになって10ヶ月。ミットはアベラス女伯爵とハナート伯爵に呼び出され、クレディンデイルのノレスを殺すようにと言いつけられます。ノレスは<唯一の者>の娘、ワンスドウターと呼ばれており、自分はデイルマークの女王になるべくして生まれてきたと公言していました。嫌がるミット。しかし2人は、現在アデンマウスの親衛隊の仕事をしているネイヴィス、ガーデイルの法学校で勉強しているヒルドリダ、そして居場所が明らかにされていないイネンの身の安全を持ち出してミットを脅し、ミットは仕方なくアマンデウスへと発つことに。そして200年後のデイルマーク。両親が離婚して以来ずっと父に会っていなかったメイウェンは、タンノレス宮殿の館長をしている父に会うために、アデンマウスからケーンズバラへ。しかし父の助手をしているウェンド・オリルソンという青年に先史時代の金の像を持たされたメイウェンは、気がつけばノレスとして200年前のデイルマークへと送り込まれていたのです。(「THE CROWN OF DALEMARK」田村美佐子訳)

デイルマーク王国史の第4巻。3巻が出てから14年後、ようやく完結したのだそうです。
1巻から3巻までの1つ1つの独立していた物語は、ここに来て大きな1つの物語となります。それはまるでいくつもの川が大河に流れ込むような感覚。しかもただ単にまっすぐ流れ込んでいるのではなく、ここにはさすがダイアナ・ウィン・ジョーンズと言いたくなるような捻りが付け加えられていました。これまでの3冊で登場していた人々の意外な素顔が、それぞれの人生の流れや経過を感じさせますね。中でも一番驚かされたのは、ケリル伯爵とネイヴィス・ハッドソンでしょうか。3巻からの繋がりにも驚かされました。そんな人々とは少し違う意味で、見ていて切なくなってしまったのはヒルドリダ。彼女に関しては、まるでナルニアシリーズの4人きょうだいの1人のその後を見ているような気分になりました。(実際には全く違うのですが)
未来の世界から200年前のデイルマークに飛ぶことになったメイウェンには、南北に分断されていたデイルマークはアミル大王の即位によって統一されることになるという知識だけはありましたし、読者にも同じように、索引に書かれていたことの知識だけはあります。しかしその実態については何も分かっていなかったことが、この4巻を読むと良く分かります。索引の存在もまた、伏線として効果的だったのですね。そしてメイウェンの思いをよそに、大河となった歴史は過去から現在へ、そして未来へと、まだまだ流れ続けていくことを強く感じさせられます。とても壮大な物語でした。


「バビロンまでは何マイル」上下 創元ブックランド(2007年6月読了)★★★★★

旧ユーゴスラヴィアと北アイルランドにある程度の平和を達成するために孤軍奮闘し、へとへとに疲れてアメリカに帰ってきた26歳の魔法管理官(マジド)・ルパート・ヴェナブルズ。しかしルパートの帰りを待っていたかのように、翌日にはコリフォニック帝国の司法審問への召喚状が届きます。コリフォニック帝国は、ルパートの受け持ちの世界の中でも最も不愉快な管理区の1つ。時差ぼけ気味で不機嫌な頭のまま出席し、ひどい役割を果たしたルパートがようやく家に帰ってきたところにかかってきたのは、兄のウィルからの電話。スタン・チャーニングが死に掛けてるので、すぐに来て欲しいというのです。スタンはルパートとその2人の兄をマジド協会に引き入れた人物。ルパートが知っていることの大部分はスタンから教わったことなのです。駆けつけたルパートに、スタンは自分の後釜のマジドを選んで育てることを指示。スタンは既に候補者のリストも作っていました。(「DEEP SECRET」原島文世訳)

「花の魔法、白のドラゴン」の前日譚的作品。「花の魔法、城のドラゴン」に登場するニックがこちらにも登場しています。そしてこちらの作品は、日頃はコンピューターソフト、主にゲームソフトのデザインの仕事をしながら、「魔法管理官(マジド)」の仕事もしている、ルパート・ヴェナブルズが主人公。新人のマジド選びと、コリフォニック帝国の紛争の後始末という難題2つを抱えて、しかも関係者以外の人々にも振り回されて、もう大変。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品を読むのは久しぶりですが、これはまさにダイアナ・ウィン・ジョーンズらしい、絡み合った出来事や人々の混沌ぶりを楽しめる作品。ダイアナ・ウィン・ジョーンズらしいブラックユーモアや皮肉なウィットも健在。特に関係者のほぼ全員が集合することになるイギリス幻影大会(ファンタズマコン)が、その混沌ぶりに一役買っていて楽しいです。何度も直角に曲がらなければ部屋に辿り着けないホテルの構造も可笑しいですし、本物のケンタウロスが現れてもコスプレだと思ってもらえるところがいいですね。そして、中心的なモチーフとなっているマザーグースの「バビロンまでは何マイル」の使い方もお見事。2連目以降はダイアナ・ウィン・ジョーンズ自身による創作ですが、まるで元々存在していたかのように自然で、しかも物語の展開に非常に効いていると思います。この「バビロンまでは何マイル」を使って、ルパートが分割されたマリーのために危険な魔法を使う場面がとても良かったです。融通が利かない几帳面な人間だったルパートがいつしか柔らかくなり、最初はただの不愉快で大人げのない不器量娘だったマリーが、いつの間にかすっかり可愛くなっていくのにも驚かされますが、これもダイアナ・ウィン・ジョーンズの魔法なのでしょう。そして最後は収まるところに全て収まります。
ただ、やはり「花の魔法、白のドラゴン」を読む前に読みたかったですね。「花の魔法、白のドラゴン」でのニックをすっかり忘れてしまっているので、またいずれ再読しなければなりません。ルパートやマリー、アレクサンドラ妃やダクロスの後日譚が読みたいですね。それほど前面に出てきませんでしたが、ジンカの物語も読んでみたいです。

以下、マザーグースの詩と、ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる詩の続き。
バビロンまでは何マイル? ……How many miles is it to Babylon?
三かける二十と十マイル。 ……Threescore miles and ten.
蝋燭の灯で行けるかな? ……Can I get there by candle-light?
ああ、行って帰ってこられるさ。 ……Yes, and back again.
足が速くて軽ければ ……If your heels are nimble and light,
蝋燭の灯で行けるとも。(マリー&ニック) ……You may get there by candle-light.

バビロンの路はどこにある?
きみの扉のすぐ向こう。
いつでも好きに行けるかな?
いや、三度だけでそれっきり
しるしをつけて測ってやれば
蝋燭の灯で行けるとも。(ループ)

バビロンまではどんな路?
嘆きと欲ほどつらい路
着いたらなにを頼もうか?
必要とするものだけを。
必要があって身軽なら、
蝋燭の灯で行けるとも。 (ウィル)

バビロンへなにを持っていく?
塩と穀物ひとひぎり。
水と寒さをしのぐ毛を。
路を照らし出す蝋燭も。
うまく三つを使ったら
蝋燭の灯で行けるとも。(ジンカ)

バビロンまではどう行こう?
こことあそこの外側を。
橋を渡るか丘を登って?
ああ、ふたつとも越えてくよ。
昼と夜の外側を
蝋燭の灯で行けるとも。(スタン)

バビロンまではどのくらい?
三かける二十にあと十年。
バビロンへ行く人は多くても
戻ってくる人はまずいない
足がすばやく軽ければ
蝋燭の灯で戻れるさ。(ループ&ウィル&ロブ)


「ウィルキンズの歯と呪いの魔法」早川書房(2007年12月読了)★★★

買ったばかりの椅子を壊したせいで、夏休みまでおこずかいなしとされてしまったジェスとフランク・ピリー姉弟。どうしてもお金を稼がなければならない2人は、<仕返し有限会社>を作ることを考え付きます。しかし最初の客となったのは、フランクが10ペンス借りているバスター・ネルでした。フランクに金が必要なのは、まさにバスターに10ペンスを返さなければならないから。バスターはいつも手下を引き連れて暴れまわっている悪がきなのです。バスターはヴァーノン・ウィルキンズに歯を折られたのを怒っており、ヴァーノンの歯を持ってきてくれたら10ペンスをチャラにすると2人に言います。いい気味だと思うジェスとフランクですが、借金の手前文句を言うわけにもいかず、ヴァーノンのところへ向かうことに。(「WILKINS' TOOTH」原島文世訳)

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの児童書としては最初の作品となったという、本国では1973年に出版された作品。邪悪な魔女・ビディ・アイルモンガーと15人の子供たちの対決の話です。1つの出来事が次の出来事を呼び、どんどん混乱した状況になっていくにも関わらず、初期の作品らしくどこかあっさりとストレート。しかし相手が子供でも大人でも容赦の欠片もないビディの邪悪さや、おとぎ話の定番を逆手に取ったラストは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズらしさが既に十分出てきていると言えそうです。ビディの邪悪さを心底感じさせられる前は安易に人に悪意を抱き、今は保養所となっている屋敷にいるジェシカの言うように、気軽に他人の悪意と関わり合い、体よく利用されていた子供たちも、このビディの強烈さにはわが身を振り返らざるを得ません。実際に相手の身になってみなければきちんと分からないということは、やはり思っているよりも多いのかもしれません。最初はそれぞれの出来事が別物だと思い込んでいた子供たちも、実は全ての問題の元にあるのがビディの存在であることを理解してからは徐々に協力体制となっていきます。


「海駆ける騎士の伝説」東京創元社(2007年12月読了)★★★★★

100年以上前、ヴィクトリア女王の時代。12歳のアレックス・ホーンビーは、16歳の姉・セシリアと父親のホーンビー氏と3人家族。ただの小作農だったホーンビーが農場主になり、株で儲けて金持ちになって河口近くの島を買って以来、普段は寄宿学校におり、週末になると家に戻るという生活を送っています。金持ちになることによって、村の幼馴染と縁を切り、アーンフォース館に住むコーシー一族と仲良くするようにと父親に言われたのが、アレックスとセシリアにとってはとても不満でした。2人とも金持ちの生活など望んでおらず、自分たちを見下しているコーシー家の子供たちとなど付き合いたくなかったのです。クリスマス前のそんなある日、霧の中から突然2人のいる台所に、1人の見知らぬ男が現れます。男は全身濡れて泥で汚れていながらも、歴史の教科書から抜け出てきたような見事な中世の騎士の姿。男はゲルン伯爵、ロバート・ハウフォース卿と名乗ります。主君殺しの疑いをかけられて追放の身だというのです。(「EVERARD'S RIDE」野口絵美訳)

デビュー前の1966年に書かれたという作品。流砂の現れる湾を舞台にした6つの物語を書いたうち、5つは「長ったらしくて、とりとめがなかったので」処分してしまったけれど、これは唯一手元に残った作品なのだそう。同じように初期の作品である「ウィルキンズの歯と呪いの魔法」は、既に後のダイアナ・ウィン・ジョーンズの複雑さを持ち合わせていますが、こちらはかなりストレートな歴史ロマンスとなっています。それでもアレックスやセシリア、コーシー家の子供たちの造形には、ダイアナ・ウィン・ジョーンズらしさが十分現れていますね。
干潮時と満潮時の差がとても激しく、干潮時には危険な流砂が現れるという湾はイングランド北部に実在するモーカム湾なのだそうですが、それがとても異世界への入り口として相応しく感じられましたし、河口近くにあるという城の廃墟が残っている岩だらけの島もまた、物語の始まりに相応しい場所。実際には、ダイアナ・ウィン・ジョーンズが書く必要もないような歴史ロマンスなのですが、中世騎士道の雰囲気もよく出ていて、とても素敵な作品です。デビュー前にこれだけのものを書く力を持っていたのかと驚かされます。しかし6部作だったこともあり、ここに登場するラルフが曽祖父となるという「不運の大公エドワード」を始めとするいくつかの伏線が残ってしまいましたし、2つの世界の繋がりも結局分からないまま。アレックスとセシリアが行くことになるファレーフェルは、年老いた家政婦のガトリーさんの語る、海の彼方にある恐ろしい死者の国「ファレーフェル」と同じなのでしょうか。となると、同じ世界で時間軸だけが違うことになりますが…。そして<外つ国>の人間と武器にまつわる予言の行方は。このファレーフェルはまるで中世の騎士物語の舞台のようで、様々な物語を感じさせます。他の5つの作品の存在があってこその深みとも言えるのでしょうけれど、こうなるとそれらの作品が失われてしまったことが、やはり非常に残念。とは言え、この「海駆ける騎士の伝説」は作者自身も書いているように1作だけでも楽しめる作品ですし、とてもデビュー前の作品とは思えないほど十分魅力的でした。


「うちの一階には鬼がいる!」創元ブックランド(2007年12月読了)★★★★

一ヶ月前に母親が再婚した相手は子供が嫌いで、結婚して以来毎日怒ってばかり。キャスパーもジョニーも初めてその相手に会った時に一目で嫌いになったというのに、一緒に生活してみるとまさに「鬼」。しかもキャスパーもジョニーも、一番下の妹のグウィニーも、再婚相手のジャックの連れ子、ダグラスとマルコムとまるで気が合わなかったのです。そんなある日、「鬼」がなぜかジョニーとマルコムにだけ驚くほど大きな化学実験セットを買ってくれます。強烈な臭いを出していたマルコムに対抗しようと、キャスパーとジョニーが一番猛烈な臭いを出しそうな薬品を混ぜ合わせていた時、鬼に怒られそうになって慌てたグウィニーにその液体がかかってしまいます。そしてグウィニーの体はすっかり軽くなってしまい、天井に浮かんでしまったのです。(「THE ORGE DOWNSTAIRS」原島文世訳)

これも原作は1976年刊だという初期の作品。それでも家族内の強烈なゴタゴタが中心的な流れとなっており、ダイアナ・ウィン・ジョーンズらしさはたっぷりです。化学実験セットから巻き起こる大騒動は、想像するだけでも楽しくなってしまうようなもの。虹化剤や動物精、龍牙塩のように、薬品の名前からある程度効果が想像できるものもあるのですが、入っている薬の1つずつの詳細な説明が読んでみたくなってしまいます。そして本文中ではさらっと触れられるだけで終わってしまうのですが、化学実験セットを売っている魔術舎有限会社のお店がいかにも面白そう。本の表紙も、この魔術舎のお店の絵なのです。
子供たちからすれば、怒ってばかりのまさに「鬼」のような父親ですが、大人視点から読むと、男の子4人に女の子1人という5人の父親になってしまったジャックにも十分同情の余地がありますね。それまでダグラスとマルコムはずっと寄宿学校にいたという設定ですし、まるで子供に免疫のない人にとっては、これだけ人数が揃うときっと実際に恐ろしいほどうるさいでしょうから…。実際には皆それぞれにいいところがあり、結局悪人はいなかった、というのがどうも出来過ぎな印象もありますが、ほどよくどたばたで、ほどよくストレートで、ほどよく面白かったです。


「魔法!魔法!魔法!-ダイアナ・ウィン・ジョーンズ短編集」徳間書店(2008年6月読了)★★★★

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの短編集。1975年から2003年の間に書かれた18編の作品が収められています。(「UNEXPECTED MAGIC:COLLECTED STORIES/STOPPING FOR A SPELL」野口絵美訳)

いかにもダイアナ・ウィン・ジョーンズらしいと思える作品が満載。これまで日本に紹介されてきたダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品といえばほとんどが長編なので、そのイメージが強かったのですが、短編もなかなかいいですね。長編のラストに向かって収束していくスピード感こそないものの、短編でもダイアナ・ウィン・ジョーンズらしさは健在です。この中の18編はファンタジーはもちろんのこと、ホラーだったりSFだったり神話風だったりとテイストは様々。しかし基本的に普通の人々が非常に嫌な人間に振り回されるという話が多いです。そしてその嫌な人間の嫌さ加減が突き抜けています。さらに作品内にあまりに普通に魔法が存在してるので、逆にそのことに驚かされてしまいました。特に最初の「ビー伯母さんとお出かけ」のインパクトが強かったです。これは嫌われ者の「ビー伯母さん」に無理矢理海水浴に連れて行かれることになった3人きょうだいがうんざりする話なのですが、観光客立ち入り禁止の海岸の岩場に入り込んだことから、とんでもない事態が巻き起こります。こういう展開になるとは全く予想してなかったので、驚かされましたし、楽しかったです。ビー伯母さんが色々なところに現れる場面を想像しては、思わずにやりとしてしまいます。

収録作品:「ビー伯母さんとお出かけ」「魔法ネコから聞いたお話」「緑の魔石」「四人のおばあちゃん」「オオカミの棲む森」「大八世界、ドラゴン保護区」「クジャクがいっぱい」「お日様に恋した乙女」「アンガス・フリントを追い出したのは、だれ?」「でぶ魔法使い」「コーヒーと宇宙船」「ダレモイナイ」「二センチの勇者たち」「カラザーズは不思議なステッキ」「ピンクのふわふわキノコ」「ぼろ椅子のボス」「ジョーンズって娘」「ちびネコ姫トゥーランドット」

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