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このページは、井上祐美子さんの本の感想のページです。

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「暁天の夢」上下 中公文庫(2002年8月読了)★★★★★お気に入り

翠心と共に人間として生きていきたいという気持ちはあるものの、元々は天界の霊玉である翠心を玉帝に奪われることを恐れ、どうしても神としての力を捨てきれない二郎真君。そんな彼の元に、ある日妹の三娘が西王母の使いとしてやってきます。玉帝の力も簡単には及ばない西王母の元に、翠心を預かりたいというのです。そして次の日、今度は玉帝の使いとして天界の将軍・韋護が。彼の用件は、二郎真君が天界に戻って職務につく代わりに、翠心とのことを認めようというものでした。どちらも言下に断る二郎真君。三娘はそんな二郎真君に業を煮やし、韋護を無理矢理たきつけて、翠心を瑶池に連れていく算段を進めることに。しかしそんな2人の下に、康大尉がやってきます。二郎真君の様子が最近どうもおかしいというのです。きちんと言ったはずのことを聞いた覚えがないと言い張ったり、簡単に約束を違えたり… 周囲の人間も、徐々に違和感を感じ始めていました。しかしその頃、既に二郎真君には異変がおきていました。人間と神の半ばに存在するものとしての日々の葛藤は、とうとう二郎真君を「神」と「人間」の2つの人格に分裂させてしまったのです。

長安異神伝のラストの2冊。シリーズの中で一番いいですね。まさにラストに相応しい物語となっています。
今回一番大きい出来事は、やはり二郎真君の分裂でしょう。「人間」としての二郎真君と「神」としての二郎真君、どちらも確かに二郎真君であり、翠心も「紙の裏と表を見るほどの、ほんのわずかの差」だったと言っているほどの小さな違い。二郎真君の周囲にいる人々も、ほんのわずかの違和感を持つほどの違いでしかありません。しかし、やはり神と人間というのは全く相容れない存在なんですね。二郎真君がここまで葛藤を持っていたということも驚きましたが、翠心のことに関して決定的に意見を対立させたのには驚きました。同じ「好き」という感情でも、神と人間ではまた異なる感情になってしまうのでしょうか。神としての二郎真君は、まるで翠心の霊玉であるという性質と、玉蘭花のような外見にしか惹かれていないよう… 人間の部分と一緒に弱さもすべて捨ててしまったような彼に、本当に翠心が必要だったのかは疑問です。それに本当に望んでいたのであれば、翠心が何を望んでいるのかも自ずと分かっていたはず。
しかし、今までそんな中途半端な存在だった二郎真君を、なぜ玉帝がそこまで疑い恐れるのかが不思議だったのですが、今回その疑問もすっかり解けました。玉帝も単なる悪者ではなかったんですね。そして今回大活躍だったのは韋護。三娘の活躍も見ていて気持ちが良いです。そんな彼らに見込まれてしまった薛九はちょっぴり気の毒でしたが…(笑)、でもいい若者でしたね。もうこの面々に会えないのがとても寂しいです。


「五王戦国志3-埋伏篇」中公文庫(2004年7月読了)★★★★

義京の乱から3年後。<征>公である魚支吾は義京を制し、自らを王であると宣言。大牙は北方の小国<容>に身を寄せ、淑夜もまた、大牙の謀士として<容>に同行していました。ある日、出征から帰ってきたばかりの大牙を訪ねて来たのは、かつて羅旋と共にいた野狗。彼はなんと無影からの使者。無影からの連衡の誘いを伝えます。必要な物は無影と暁華が全て提供するので、大牙に動いてみないかというのです。その頃羅旋は、中原の西方に位置する<琅>の公・藺孟琥の伯父・藺如白の身辺警護として<衛>を訪れていました。無影と接触後、死期の迫った孟琥に取って代わろうとしている如白の異母弟・藺仲児が目を光らせているため、羅旋は如白を置いて<琅>へと向かいます。

中原の南方にある衛、東海に面した征という2つの大国が危ういバランスを保ち、そこに容を筆頭とする北方の夏氏諸国、そして揺珠の出身国でもある西方の琅がそこに加わろうとしています。魚支吾や無影自身は大きな動きを見せませんが、今回は水面下の動きが激しく、羅旋や大牙といった若い勢力が台頭の兆しを見せる重要なポイントですね。来るべき動乱の時期への助走期間といった印象。
淑夜も謀士として大きく成長しつつありますね。最初の登場時の、世間知らずの貴公子のイメージがまだ抜けないのですが、それでも水面下でのやり取りや駆け引きが面白いですし、今後の成長が楽しみ。そして、実は1巻からずっと気になっていたのは、無影と連姫の関係。もしや何事もない関係なのかと思ってしまいそうになる描写なのですが、「寵姫」とあるからには、やはりそういう関係なのでしょうね…?

P.153「悪い奴など、いないのだ。誰もが、それぞれに己の最善を尽くす、よかれと思って行動を起こす。だが…」
P.255「玉璽は物です。ただの石を刻んだ物です。人を動かし、国を動かすのは人であって物ではないはず。ーーですが、信じる者が多ければ、物が権威や権力をもってしまう。」


「桃夭記」講談社文庫(2002年5月読了)★★★★★お気に入り

【桃夭記】…崔の屋敷に怪異が起こります。通りすがりの道士によると、数百年を経た木の霊が原因とのこと。確かにその屋敷の裏には樹齢300年の桃の木がありました。崔が道士を信用して呪法を施させようとすると、そこに見知らぬ白衣の青年が現れて道士を追い払います。そしてその青年が自ら怪異を鎮めてみせることに。
【嘯風録】…科挙に失敗し故郷に戻る途中の杜仲永は慣れない山道に迷ってしまいます。前方の山の中腹に火らしきものを見つけ、ようやく辿り付いてみると、そこは大きな岩穴で、仙人のような偉丈夫が。都のことを話すうちに、班状元という、かつて都で話題になった男の話となります。
【迷宮譚】…商売敵の洪孝先が亡くなり、日本人である「私」は、杭州にある広大な屋敷を見に訪れていました。今そこに住んでいるのは、「私」を案内している余龍生という青年と、珊瑚という10歳ほどの女の子のみ。「私」はその屋敷と、亡き娘にそっくりの珊瑚に魅せられます。しかしこの屋敷には化け物が出るという噂があり…。
【墨匠伝】…程君房と、かつて程の弟子であった方干魯。当代一と呼ばれる墨匠の2人でしたが、この2人の間にはひどい確執がありました。かつて方が師匠である程の娘・青琴を誘惑し、しかしあっさり捨てて師匠の下を飛び出したという出来事があったのです。

中国が舞台の伝奇小説4作が収められています。史実に基づいた現実的な話ではなく、不思議な存在が登場するファンタジー。まるで「聊斎志異」などに収められている中国伝奇小説を読んでいるような雰囲気があり、しかもとても洗練されていて読みやすかったです。このような、さりげなく不思議な雰囲気を持つ物語は大好き。
「桃夭記」破邪の力があると言われる桃の木にとても相応しい話。情景的にも綺麗ですね。最後のはからいが粋。(こういうのは義理堅いというのか…?)「嘯風録」いかにもありそうな話。読み始めてすぐにネタは分かりますが、そういう問題ではないんですよね。「迷宮譚」前2作に比べて時代が限定され、しかも日本人が登場ということで驚きました。しかし日本人ごときが登場しても揺らがないのが中国の不思議な世界。目が覚めても目が覚めても夢の中… 現実と夢の区別がつかなくなるという話も大好きです。でもこれははまり込んだ人にとっては地獄ですよね。「墨匠伝」これだけは不思議な存在のまるでない現実的な物語。青琴の存在が不思議といえば不思議なのですが…。彼女が実は一番良く分かっていたというのは皮肉ですが、最後にきちんと評価してもらえたというのに少々意表を突かれました、墨についての話も面白かったです。
「公主帰還」の後に読んだのですが、伝奇小説ともなると、「公主帰還」で少し煩わしく感じた歴史的な説明というのがほとんどなく、その世界にもとても入り込みやすかったです。実際に中国で書かれた伝奇小説に比べてもなんら遜色もなく、素晴らしいですね。もっともっと読んでみたいものです。


「梨花槍天下無敵」学研M文庫(2002年7月読了)★★★

13世紀初頭。金の支配下にある山東省で、大規模な農民の反乱が起きます。その反乱軍を率いるのは楊安児。金軍の武官であったにも関わらず、彼は金軍に対して反旗を翻したのです。しかし結局、彼は僕散安貞率いる金軍に破れて命を落とすことに。そして安児の代わりに次の頭目となったのは、妹の妙真でした。彼女はその鋭い槍さばきから「梨花槍」と呼ばれるほどの女丈夫。残存兵を率いて磨旗山に立て籠もり、兄の仇を打つための力を蓄えます。そしてそこに現れたのは、「李鐵槍」と呼ばれる李全。槍を得意とする妙真と李全の、頭目の座をかけた槍勝負。わざと負けた李全を非難する妙真でしたが、お互いの利害が一致することに気づきます。

北宋を制圧した女真族の金が華北を支配し、江南では南宋時代が続いていた頃。腐敗した金王朝と南宋王朝に対して、北方からは成吉思汗が率いる蒙古が、新興勢力として勢力を伸ばしつつあった頃の物語です。楊妙真というのは実在の人物。自分の生まれ育った山東のために戦い続けた女性だそうです。
とても読みやすい物語です。中心となるのは、楊妙真と李全、そして金軍の僕散安貞。この3人の登場人物がとても印象的ですね。決して美人とは言えないのですが、黒目がちの大きな目が生気と強い意志を感じさせる妙真。高く結い上げられた黒く豊かな髪をおおった一枚の赤い巾が仲間の印。それに対し、一見細く頼りなさげに見えるのですが、一度槍を構えれば、まるで鋼鉄の芯が入ったかのように見える李全。そしてこの2人とは敵対しながらも、妙真に興味をそそられる僕散安貞。この敵役である僕散安貞の描き方がなかなか面白くて、好感が持てました。きちんと会ったことも話したこともない2人ですが、そこには強い感情が通っています。結局、多少意味合いは違うものの、妙真に惚れてしまった2人の男、という感じでしょうか。
ただ、あとがきで「資料にふりまわされた」と書かれている通り、まだまだ未消化な部分も感じさせます。読みやすいし、面白いのですが、まだどうしても掘り下げ方が浅いというか。むしろ歴史的な枠にとらわれず、自由にフィクションの武侠小説として仕上げてしまった方が良かったような気もしますね。


「夢醒往還記」学研M文庫(2002年7月読了)★★★★★お気に入り

【魔月秘伝】…東方の小国・桂。国の奥深くにある霊山・璃山で薬草摘みをしていた夢月と羽琳は、1人の女性が追手に殺されそうになっているのを見て助けに走ります。時すでに遅く、女性はあえなく絶命。しかしその直前、女性は羽琳に真紅の晶玉を渡し、「リーンにかえして」と言い残していたのです。
【王聡児紅蓮】…襄陽市内、弾圧を受けていた白蓮教の信者の処刑の場。王聡児と斉二は、絡まれていた老人を助けます。聡児は芸を見せながら黒い丸薬を売っている16〜7歳の美少女、斉二こと斉林は県の役所の捕吏。その頃襄陽では、義賊が現れると評判になっていました。
【夢醒往還記】…自分が科挙の試験に受かる日だけを楽しみにしている乳母と2人で暮らす阮生。そんなある日、彼は眠りにつくと科挙試験に合格したという知らせを受ける夢をみます。その夢の中では乳母は既に亡くなっており、自分1人きり。そして彼は眠りにつくたびに、その夢の続きを見ることに。

3編の物語が収められていますが、「魔月秘伝」と「王聡児紅蓮」が中編、「夢醒往還記」が短編。
「魔月秘伝」は、デビュー前に書かれた作品だそうです。中国が基礎にありながらもっと西方の、言ってみればアラビア辺りのエキゾティックな雰囲気も併せ持つ作品。中国物というよりも、異世界物という雰囲気もしますね。こういう作品って大好き。ただ1つ惜しいのは、まだまだ話が続きそうな所で終わってしまっていること。この続編はもう書かれないのでしょうか。連作形式で、このままシリーズ物にしてもかなり人気が出そうな気がするのですが…。少なくとも夢月には固定ファンがつくでしょう。同人ネタにもなりやすいかもしれません。(笑)「王聡児紅蓮」は史実に基づいた物語。白蓮教とは、南宋時代から清朝末期まで広く民衆に浸透していた宗教です。聡児がいなくなっていた3年間のことや何もない所から物を出す技など、分からないままで終わってしまった部分が残念ではありますが、でもこの話もいいですね。最後はハッピーエンドではないのですが、そうそう上手く終わる話ばかりではないという部分が、また良かったりします。「夢醒往還記」リアルな夢を見ているうちに、だんだんとどちらが夢なのか分からなくなる話。夢を題材にした話はよくありますが、このラストは哀しいですね。もうやり直しはきかないのでしょうか。それともやり直しても同じような道をたどってしまうのでしょうか。
どの作品もあまり長くないながらも、とても濃密で、まるで長編を読んでいるような満足感があります。私の中では、「長安異神伝」以来のヒット。こういう作品をもっともっと書いて欲しいものです。


「五王戦国志4-黄塵篇」中公文庫(2004年7月読了)★★★★

段大牙は<容>伯国の執政となり、もっぱら軍事面 で手腕を発揮する日々。政面は、家宰の夏子華が、11歳の夏弼を補佐して取り仕切っていました。そんな<容>を、またしても野狗が無影の使者として訪れます。無影が大牙に直接会って、盟約を結びたいと言っているというのです。会見の場として定められたのは、現在<征>の領地となっている義京。淑夜も随行の1人として同行することに。一方<征>では、魚支吾が詰まらぬ 争いで長子・儀と三男・傑を失い、その過程で生じた漆離伯要へのわだかまりも消えないまま、自らも病に臥せっている状態。そんな<征>に、行方をくらましていた藺仲児の長子・璞が逃げ込み、魚支吾は璞を捕えて<琅>に送ってよこします。それを手土産に、<琅>と誼を通 じたいというのです。

淑夜と無影の4年ぶりの再会。無影が一族郎党を皆殺しにした理由も明らかになります。この4年間、誰にも心を許せず、心情を吐露できなかった無影のことを思うと何とも切ないですね。連姫のことについても、無影は本当に連姫を大切に思っているのがひしひしと伝わってくるのですが、それが肝心の連姫にストレートに通 じていないのが切ないです。この2人の思いは、互いに絡まりあい、しかしすれ違い続けるのでしょうか。連姫は決して、無影のことを嫌ってはいないと思うのですが。そして連姫の話が出た時の淑夜の反応ときたら。この反応を見た時、無影はこの4年間は一体何だったのかと自問したくなったのでは。しかし淑夜自身は、4年前に比べると本当に成長していたのですね。こういう物語の中に、いかにも現代的な考えを持ち込むのは如何なものかと思いますが…。そして順調にいけば中原を統一する力は一番持っていると思われる魚支吾ですが、なかなかそう簡単にはことが運ばないようです。実力と運は、やはり別 物。ここで倒れてしまったら、やはりそれが彼の天命というものなのかもしれませんね。この巻では大牙と羅旋がぶつかるという場面 もあり、物語が一気に動き出したという印象です。しかし大牙に関しては、まだまだ士羽が言っていた「器」の片鱗が見えてきません。まだまだ底が浅くて、ただの武芸に秀でたお坊ちゃんです。士羽のためにも、そろそろ化けて欲しい頃合ですが…。


「五王戦国志5-凶星篇」中公文庫(2004年8月読了)★★★★

段大牙は、夏氏諸国を統べる盟主となり、中原の正統の王を名乗ることに。しかし各国の文官たちがそれぞれに、特定の一国だけの利益を図らないよう目を光らせている中で孤立無援状態に。一挙一動がそれぞれの国主に報告されているとあっては、<奎>伯国以来の臣で集まることもままならならず、相変わらず五城の報奨の出ている身の淑夜からも引き離されていました。淑夜は、<琅>との戦を控えて、騎馬軍の養成に忙殺。そしてその頃、空には帝位 簒奪を予告することもある不吉な孛星(彗星)が現れて…。

常に周囲に気を使い、取り繕った態度を示さなければならない大牙があまりに苦しそう。彼の一番の良さである磊落さもすっかり影を潜め、これでは遠からず夏氏諸国内に大きな問題が起きることは明白。自らの土地を持たない王は飾り物に過ぎないという大牙の思いには考えさせられてしまいました。本当にその通 りですね。こんな危うい均衡の上に成り立った国が中原を征服しても、その後平和な世の中が訪れるとは到底思えません。しかしこの5巻の「序」に、「段大牙がその座から去る」とあったので心配してしまいましたが、想像したような悪い展開になることもなく一安心。むしろ現状打開ということで、逆に非常に嬉しい展開でした。一度は羅旋と正面 切ってぶつかる必要もあったわけですし、これが最善の道でしょうね。そして、衛にしても征にしても、徐々に日頃の歪みが表面 化してきたようです。
しかし「斃れた者が真の王ということになる」という五叟老人の言葉には、どっきりです。


「柳絮」中公文庫(2002年6月読了)★★★

晋代末期。名宰相であった謝安の姪であり、後に名将となる謝玄の姉・道薀の回想録。名門琅邪王氏の、書家としても有名な王羲之の息子・凝之の元に嫁ぐ婚礼の夜、新郎の迎えを待っている時に書物を手にして叔母に咎められたことに始まり、婚礼の宴の席で凝之に対して抱いた情けない想い、婚家の人々との日々のやりとり、平和な世の中から動乱の時代への移り変わりを通 して道うんが抱いた嫁として妻としての想いなどが、柔らかな一人称で綴られていきます。

「柳絮(りゅうじょ)の才」と称えられた謝道薀の半生を描いた物語。「柳絮の才」とは、道薀が髪も結い上げぬ 幼い少女の頃、「白雪粉粉何所以(この白い雪が降ってくるところは、何に似ているんだろうね)」という謝安叔父の言葉を受けて、「未若柳絮因風起」(柳絮が風に舞い上がるようすには、及ばないかもしれません)と咄嗟に漢詩を作ったことに対する賛辞の言葉。実家、婚家共に名門貴族であり、自分の才を誇りにも思っていた彼女。若い頃の恐れを知らない、言わば尖りをも感じさせる強さが、様々なことを経験し年齢を重ねるに従って微妙に和らぎ、しなやかな強さに変化していく様子がとても素敵です。
井上祐美子さんの作品は、中国を舞台にしたファンタジーと、中国の歴史上の実在の人物や史実を描いた作品の2つに分かれますが、これは後者に当たる物語。今まで、ファンタジーの果 てしない伸びやかな広がりを感じる作品に比べると、どうしても広がりきれずに辛いものを感じてした後者のタイプの作品ですが、しかしこの作品はいいですね。今までネックになっていた時代背景に関する説明も、この作品ではさらりと書かれているため物語に入り込みやすいですし、何よりもこの柔らかさには驚きました。形式としては「女将軍伝」と似ているのですが、しかし格段に読みやすいです。ただ、1人の口調で全編語られるため、多少単調に感じられる部分もあります。

P.248「これが二十年前なら、わたくしはこういう男を見下していたでしょう。四十年前なら、話を聞く気にもならなかったでしょう。」


「五王戦国志6-風旗篇」中公文庫(2004年8月読了)★★★★★お気に入り

<琅>に囚われ、西へと流された大牙は、西域で遊牧をする部族の保護を受けて暮らすことになります。そして1年後。大牙を訪ねて、淑夜と徐夫余が西域へ。淑夜もまた<琅>に敗北して羅旋に囚われたのですが、羅旋に請われ、大牙の助命と引き換えに<琅>の臣となっていました。今回2人が大牙を訪れたのは、正式に羅旋の臣とならないかという誘い。<琅>では、1ヶ月前に藺如白が王として即位 したばかり。如白の義子である羅旋も国相となり、初めて<琅>の国の正式な地位 を得ていたのです。一方、魚支吾は体調が優れず、無影はあまりの人材不足に頭を痛めていました。

反目があったわけでもなく、むしろ分かり合っていたのに、なぜか別れていった人々。そんな人々が再び集い始めました。読んでいる私としては嬉しい限り。しかも玻理の存在がいいですね。
こういった戦国時代では、どの国も喉から手が出るほど欲しいのは人材。しかし人材発掘のための場所を設けてはいても、実際に生かされるところまではなかなか辿り着けないようですね。たとえ優れた素質を持った人物を見出しても、実際に活用できるようになるまで教育するには年月がかかりますし、しかもその人材を受け入れる環境を作る必要があります。そこで焦っても、無用な軋轢を生むだけ。それを漆離伯要も無影も分かっていないというのが驚きです。そして若い人材をついかつての自分に比べてしまうのが無影の弱点。人材を集めているうちに、策に溺れてしまったのが漆離伯要。琅の場合は、もちろん民族的な気質の差も大きいでしょうけれど、やはり国が新しいだけに自由に動けるのが強みですね。しかし無影にいきなり現代的な合議制を目指させるというのは、多少無理があるのではないでしょうか。これに関しては、4巻の淑夜の台詞にも片鱗が出てきましたが、王政が当たり前の社会で生まれ育った人間には、このような思考に行き着くこと自体が稀なのではないかと思うのですが…。
それにしても本書最後の展開は残念です。結局運がなかったということなのでしょうが、あと数年あれば… とどうしても思ってしまいます。そうなれば、まるで違った世界図が描かれていたはず。好きな人物ではありませんでしたが、もっともっと睨みを利かせていて欲しかったです。


「紅顔」講談社文庫(2002年7月読了)★★★★

明代末期。皇帝を倒して北京を制圧した李自成と、手勢を率いて北京に帰る途中でその知らせを聞いた呉三桂。その知らせを聞いた瞬間、絶好の機会を逃したと思ってしまった呉三桂は、当然李自成の下につく気はなく、北京を奪還するために清と手を結ぶことを決意。そしてそのまま清の摂政・ドルゴンの配下となります。自分と同じ33歳のドルゴンと会った瞬間、自分が帝王の器ではないことを思い知る三桂。しかし一瞬でも帝王になれるかもしれないと思ってしまった彼は、その時から自らの野心を持て余すことに。

他の物語での陳円円は、もっと傾国の美女として描かれていたように思います。李自成軍に円円を奪われた三桂が、明を裏切って清についたという話だったような…。しかしこの物語での円円は、ただ三桂に恋する女性。その女性としての魅力で、三桂の人生を狂わせたわけではないのです。三桂と円円の最初の出会いこそ、まだ明の時代であったものの、その時はまだそれだけの関係。傀儡のように生きてきた円円に、三桂は特に魅力を感じていません。この2人が本当に正面 を向いて向き合うことになるのは、彼が既にドルゴン側に寝返ってしまった後。「そのお心」「拾わせていただいて、よろしゅうございますか」この言葉が重いです。でもだからこそ最後の2人の場面 が印象的に生きてくるのですね。若い頃よりも、よりそいながら年齢を重ねいく2人の姿の方が素敵。1人の男と傾国の美女の物語というよりは、1組の男女の悲恋物語という印象です。(実際には、決して悲恋というわけではないのですが。)そしてこの2人と対照的なのが銭謙益と柳如是。彼らは三桂と円円とは対照的な存在ですし、静かな感情のほとばしる三桂と円円に比べ、この2人は理性が勝っているように思えます。しかしどちらにも共通 するのは、時代の終わりに伴うやりきれない哀しい影。この影が作品全体を憂いで覆っているようです。ただ、これらの人物に関しては、どうしてもイメージが先行してしまって、確かな実体が少々掴みづらい面 もあります。そういう意味では、清の摂政であるドルゴンの方が私にとっては実は印象的。そしてこの少し後の作品「海東青」では、ドルゴンが中心に描かれています。

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