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このページは、井上祐美子さんの本の感想のページです。

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「非花(はなにあらず)」中央公論社(2003年2月読了)★★★★
【梅花三弄】…南宋。張汝舟の元に再嫁してきた李清照は、夫に高価な書籍を贖うことを反対され、前夫である趙徳夫にもらった高価な瓔珞を質入することに。それを知った汝舟は怒り狂います。
【傅延年】…明末期。無実の罪の父の死がきっかけで、すっかり人嫌いになった呉安世。今や彼が付き合うのは傅延年のみ。その傅延年が、酔って安世の家に泊まった時に、菊の花の絵を残します。
【葛巾紫】…唐の時代。牡丹で有名な洛陽のある寺で、1人の男が突然牡丹の花を刃物で切りつけます。それは3年前、寺の離れで勉強をしていた若い書生・張大器でした。女に騙されたというのです。
【非花】…1899年、清末期。西大后が光諸帝を連れて西安に蒙塵、北京には欧米と日本の軍の制圧下に入ります。ドイツ軍の将校アルフレート・フォン・マンシュタインを訪ねて来たのは、賽金花でした。

それぞれに「百花譜」の「梅」「菊」「牡丹」「薔薇」と副題のついている4作が収められた短編集。
「梅花三弄」亡き夫である趙徳夫が遺し、自らが仕上げるつもりの書のために、張汝舟と結婚し、そして離婚した女性・李清照。彼女の生き方は、一本筋が通 っていて天晴れとも言えるもの。他人にそれを理解してもらおうと思うのは少々無理があるのではないかと思いますが、あくまでも彼女の側に立って見た場合、気持ちよいほど清々しい生き方をしていますね。「傅延年」あのまま小雲が傅延年の元に嫁いでいたら、どうなっていたのでしょうね。飄々としている傅延年が魅力的。なかなか素敵な物語です。「葛布紫」そのまま科挙に合格していても、ろくな人間にはなれなかったはず。こういう人生経験を積んだというのは、今後の大器にとって大きいと思います。「非花」アルフレートが持ってくる薔薇は、中国原産で陸路欧州に伝わった一重で柔らかな色彩 の花。しかし中国では、「売笑花」とも言われる花でもあり…。この部分が、なんとも切ないのです。そしてラストに近づくにつれ、ますます切なくなっていきます。
「葛布紫」だけは少々趣が違いますが、梅、菊、薔薇に喩えられる女性たちは、それぞれに幸せな人生だとは言い切れないながらも、いずれも芯が強く、頭を真っ直ぐに上げて生きています。特に「梅花三弄」「非花」は、このまま短編で終わらせてしまうのはもったいないような物語ですね。しかし実は、私がこの中で一番好きなのは「傅延年」。この飄々とした雰囲気がなんとも好きです。
ミルキィ・イソベ氏による装丁も、とても美しい本です。


「五王戦国志7-暁闇篇」中公文庫(2004年8月読了)★★★★★お気に入り
<琅>に攻め入ろうとしていたまさにその矢先、魚支吾が陣中で急逝。その異変を将兵に知られてしまったこともあり、<征>の将軍・禽不理は王の喪を発表し、<琅>に休戦を申し入れ、自国へと取って返します。魚支吾の跡を継いで即位 したのは、12歳の末子・魚佩。しかし実質的な権力は漆離伯要が握っており、禽不理は勝手に撤退した責任を取って、国相の座を降り、蟄居することを命じられるのです。そして蟄居していた禽不理を訪ねてきたのは、野狗。彼はなんと伯要から無影に宛てた書簡を持っていました。<征>を富ますために様々な規定を作った伯要は、尤暁華を始めとする商人たちの反感を買っていたのです。

魚支吾の急逝に始まり、思いがけない出来事が相次いで、大きな混乱を巻き起こし、怒涛の展開となる7巻。魚支吾が脱落した今、中原の王となるのは衛なのか、それとも琅なのか。そして征はどうなってしまうのか。物語もとうとう佳境に突入しました。衛はまだ一応の安定を見せているとはいえ、まだまだ油断はできません。そして琅で起きた出来事には驚きました。しかも彼の存在が再度クローズアップされることになるとは…。それでも彼には良く似合った役回りですね。それにこの出来事が、逆にあるべき姿へと踏み出すきっかけになったのは否めません。
今回ポイントとなるのは、連姫に対する暁華の行動。連姫は遅すぎたと言っていますし、正直これがどう出るかは予測が付きません。しかし知らないままでいいことなどないと思うのです。どちらに転ぶにしても、それがお互いに正面 を向くきっかけとなってくれれば…。


「五王戦国志8-天壌篇」中公文庫(2004年8月読了)★★★★★お気に入り
臨時とはいえ、<琅>の王となった羅旋は、<征>の禽不理将軍の力を借り、<衛>の無影の考えもしない方向から<衛>に攻めかかります。新都を陥としたばかりの無影は、淑夜たちの考えていることを察し、危うい所で<琅>軍から逃れることに。そして<琅>軍と<衛>軍が、正面 からぶつかり合います。

「五王戦国志」最終巻。10年近い戦乱の世がこれで一旦終結することになります。
羅旋にしろ大牙にしろ淑夜にしろ、収まるべきところに収まった大団円。全8巻の物語は、本当に読み応えがあって面白かったです。しかも中盤以降、尻上がりに面白くなっていった感があります。しかしこの8巻では、もちろん良いことも沢山あったのですが、この巻では読んでいて切なくなってしまう部分の方が目立ちました。その中でも特に切なかったのは、無影と連姫の姿。登場した頃こそ非道で無感情なところが目立っていた無影ですが、巻が進むにつれて、彼が感じている歯がゆさ、深い孤独感、喪失感が伝わってきて、気付けばすっかり感情移入してしまっていたようです。次の世こそ、きちんと言葉にして表せるといいのですが。
文庫本には、短篇「雪花譜」が収められています。白い雪片が舞い散る季節に語られた、故郷の白い杏花の花片にひっそりと潜む淑夜の思い出の物語。思い出の中の無影は、ぶっきらぼうで皮肉屋で、しかしまだまだ子供扱いされていた14歳の淑夜にとっては、頼り甲斐のある兄。良き理解者。これから間もなく本編でも語られているような色々なことが起こるのかと思うと、これもまた切なくなってしまいます。そしてこれは、淑夜の一度読んだ文章を覚えてしまうという特技が、生かされた物語なのですね。

P.48「皆が、それぞれの孤独に絶えていかなければならなくなる。それが、国を造るということなのだと、淑夜は知っていた。」


「公主帰還」講談社文庫(2002年5月読了)★★★

【潔癖】…度を越した潔癖症・米元章に呼びつけられた客は、米博士が手を洗って日光で乾かすのを我慢強く待っていました。米博士の用件とは、客に彼の新しい硯を見てもらうこと。
【公主帰還】…10年前の靖康の変によって、宋の皇族の多くは北方の金国に連れ去られていました。運良くその変を逃れた高宗皇帝は、当時10歳だった柔福公主を名乗る女性が現れたのを知り戸惑います。
【僭称】…北宋末期。科挙に受かって以来宰相にまで出世した張邦昌は、北方の金国の命令で新しく楚という国を建て、その皇帝におさまることに。張は自分の不運を嘆きます。
【芙蓉怨】…陳橋の変により、宋の最初の皇帝として即位 した趙匡胤。彼は南西にある後蜀を攻め落とし、降伏した猛氏が没した後に残された夫人の1人に心を惹かれます。しかし彼の弟の匡義もまた…。
【贋作】…金国が攻めてきて以来、貴重な物品を仏寺に持ち込んで質草にする人が急増。寺に居候していた李は、そのうちの1つの掛け軸を「非常に良く出来た贋作」だと言い、住職は仰天します。
【白夫人】…上元観灯の夜。灯籠見物の最中に、急に気分の悪くなった白夫人は、その場に居合わせた若い男性に薬をもらうことに。許と名乗る男は、その後夫人の家に遊びに来るようになるのですが…。
【涅(すみ)】…宋の万勝軍の指揮官は、一兵士上がりの狄青。寄せ集めの兵士達で訓練もろくにしない、弱いことで有名なこの軍隊で、彼は士気の高い西夏軍と対峙することに。

「季刊歴史ピープル」に掲載されていた、中国宋代を舞台にした短編集。
「潔癖」ラストが小気味よくて気持ちいいですね。こういう伏線だったとは。すっかり米博士のエピソードに目眩ましされてしまいました。「公主帰還」よくある話なのではないかと思いますが、開き直った時の潔さがなかなかいいですね。そして高宗自身も言ってみれば似たような立場(皇帝という位 の僭称)というのが皮肉。「僭称」情けない話ですが、こんなものなのかも。これも「公主帰還」と同じ高宗自身が関わってきます。「芙蓉怨」これいいですね。情景的にもとても綺麗です。「贋作」現代にも十分通 用しそうな詐欺師。「白夫人」これは「芙蓉怨」と同じく、未亡人となった女性の「情」の話です。夫人が真相に気がついているにもかかわらず怨んでないというところ、しかし結果 的には… というのが皮肉な結末。「涅」一転して武将が主役に。不言実行とはこのことですね。学も何もなさそうに見えて、一番の根っこのところで自分の本当の価値を知っているというのがなかなか大物です。
それぞれに面白い話だったのですが、宋の時代の話に限定ということで、毎回のようにその歴史的背景の説明が入るのが少々煩わしくも感じられました。中国でも宋代というのは比較的地味な時代ですし、ある程度の説明は仕方ないとは思いますが…。歴史物の短編には避けて通 れない関門ですが、もう少し工夫が欲しかったような気がします。
そしてどの物語も、物事の価値や真贋がテーマになっているようです。単純に物の真贋から、公主の真贋、皇帝の真贋など… 狄青の顔にある涅もそうですよね。真物も贋作も所詮は人間が決めること。物の価値にも確固たる基準がありそうでいて、実は全く普遍的なものではありません。それぞれの時代背景によって変わってくるという非常に脆いもの。もちろん宋の国だってこの後滅ぼされてしまうことになるのです。それだけに、その表裏一体な姿にはなんとも皮肉を感じずにはいられません。


「臨安水滸伝」講談社文庫(2002年11月読了)★★★★★お気に入り

宋の時代。金国の侵攻により東京(開封)から臨安に都が移り、それも徐々に落ち着きつつある頃。臨安で水運業を営む夏家の風生が愛蓮楼へやって来ると、そこでは猫による騒ぎが起きていました。愛蓮楼の看板であり臨安随一の妓女・雲裳の飼い猫が屋根の上に逃げ、猫を捕まえてくれた人には十貫文を出すと雲裳が言ったことから、十貫文目当ての漢が1人屋根に上り、それに対抗して風生の従兄である資生までもが屋根に上ってしまったのです。資生が屋根に上ったのは十貫文のためではなく、その猫が宋国一の権力者である宰相・秦檜への献上品だということが気に食わなかったためでした。風生が説得しても、聞く耳を持たない資生でしたが、夏家で働く面 々が問答無用で連れ戻そうと屋根に上ってくるのを見て、結局猫を風生に投げ、その漢を道連れに運河に落ちてしまいます。そして風生と資生は、その見知らぬ 男と共に愛蓮楼へ。濡れた服を乾かしている間、見知らぬ漢は李大と名乗り、3日前に揚州から臨安に来たばかりだと語ります。しかし十貫文を受け取れることを素直に喜んだはずのその漢は、風生が約束のあった宦官の張太監と仕事の話の間に消えうせてしまうのです。執着していたはずの十貫文も受け取らないまま、衣服が乾くのも待たずに2階の窓から消えうせた漢。喧嘩の時に放った足技から北出身だということ、その腕と言葉遣い、品と気骨からかなりの家柄の人物らしいということは分かるのですが…。

題名に「水滸伝」という文字がついていますが、108人が活躍する既存の「水滸伝」とは全くの別 物です。
大きな流れとしては、悪役である秦檜に対抗する夏家の2人の若者、という図式になるのですが、この3人が本当に魅力的です。思慮深く争いを好まない風生と、不正を憎む一本気な資生。2人は従兄弟同士で、本来なら嫡流である風生が当主になるはずのところを、学業に専念したいという理由から、年長の資生が当主の座についています。しかし風生は、年齢こそまだまだ若いものの、周囲の信頼はとても厚く「少爺(若旦那)」と呼ばれる存在。風生が中心になって取りまとめている夏家の面 々が生き生きと大活躍しています。
しかし一番の精彩を放っているのは、やはり悪役の秦檜ではないでしょうか。悪役とは言え、これはなかなかの人物。私はここに描かれている秦檜がとても好きです。酸いも甘いも噛み分けた大人が、自分を悪者にしてまで国のことを思う時。ただの単純な悪人という役回りではないということが、この人物像にここまでの深みを与えているのでしょうね。風生と資生も、秦檜の懐の大きさに比べればまだまだひよっこ同然。本国である中国では、抗金の名将・岳飛という中国でも1、2を争う人気の英雄を処刑した悪宰相として、かなりの嫌われ者のようですが、ここに登場する秦檜の姿は、たとえ策謀の限りをつくしていたとしても、その行動には深い思惑が感じられて憎めない人物だと思います。
そして忘れてはならないのが猫の存在。宋の時代には分限者の間では猫を飼うことが流行っていたそうなのですが、そこからの切り込みというのがとても面 白いですし上手いですね。それもあってか、秦檜のような実在の人物を使った井上さんの作品の中ではダントツで面 白かったです。最初から最後まで、息つく暇もなく読み終えてしまいました。中国を舞台にした歴史小説が好きな方には、ぜひオススメしたい1冊です。


「海東青-摂政王ドルゴン」中央公論新社(2003年2月読了)★★★★★お気に入り

1626年、それまでばらばらだった女真族を統べて、大金国を打建てた父・努尓哈赤(ヌルハチ)が死に、その時15歳だった多尓袞(ドルゴン)は、父の大妃である阿巴亥(アバイ)をも殉死によって失うことに。次に新しく大汗となったのは、ヌルハチの8男で、現在35歳の皇太極(ホンタイジ)。ホンタイジは大汗となった夜、弟であるドルゴンを密かに呼び出し、その力量 と野心を確かめた上で、協力してほしいのだと語ります。金国全体のことを考え、武力や腕力よりも知力をもって女真族を一回り大きくしようと考えていたのです。そんなホンタイジの希望に応えて、めきめきと頭角をあらわすドルゴン。曹振彦という漢人を腹心につけ、初めての戦を自らの献策によって成功におさめたドルゴンは、ホンタイジによって墨尓根戴青の称号を受けることに。

「紅顔」では、主人公の呉三桂に自分の限界を感じさせる圧倒的な存在感を示した睿親王・ドルゴンが主人公です。明を下し、順治帝の摂政として清国を打建てたドルゴン。しかしここでのドルゴンは、あまり権力欲が強くない人間として描かれています。元々大汗となることも積極的に希望していませんし、傍から見ていると、まるでホンタイジの意のままに動いているだけのよう。ちなみに海東青とは遼東の地に生息する小型の鷹のことなのだそうです。両親を続けざまに失ったドルゴンもまた、ホンタイジによって狩猟用に飼いならされ、野生の荒々しさを失ってしまったかのようです。力強く羽ばたく羽も、鋭い爪もまだ持っているし、実力も十分。何をやらせてもそつなくこなし、十分な成果 もあげるけれど、しかし好んで圧倒的な力を見せつけようとは思えなかったところに、ドルゴンの哀しさが感じられるような気がします。
「紅顔」では、呉三桂に比べて圧倒的な存在感を放っていたドルゴン ですが、こちらを読むと、ドルゴンが呉三桂の素直な野心や上昇志向には敵わなかったということが見えてきます。「紅顔」での野心的で自信に満ち溢れたドルゴンはどこに行ってしまったのやら。父に続いてホンタイジを失ってしまった彼にとっては、それに次ぐ良い主を得られなかったというのが一番の不幸だったのかもしれませんね。1人で頂点に立つ実力は十分にあったはずなのに…。なんだか切なくなってしまいますが、それでもやはり圧倒的に魅力的ないい男でした。


「雅歌」集英社(2004年8月読了)★★★★

清朝、雍正2年(1724年)、北京。名家に生まれながら遊蕩の日々を送っていた傅蘭(フラン)が、大柵欄(盛り場)近くの胡同で出会ったのは、孩子にからかわれている20歳をすこし過ぎたぐらいの若者。それは姓を李、洗礼名をジュリアンという天主教の学僧でした。特に神の存在は信じていない傅蘭ですが、誘われるがまま、宣武門近くにある天主教の教堂・南堂を訪れることに。清では最近天主教が浸透し始めており、北京にも3つの教堂があったのです。そして傅蘭は自分自身の興味から、そして朝廷の重臣である兄・傅爾丹(フルダン)の命令もあり、南蛮人の神父や清人の信徒たちとの交流を持つことに。しかしその天主教の教えは、皇帝を絶対とする清の立場を揺るがすもの。時の皇帝・雍正帝は、一族者たちが次々と天主教に改宗していた、皇族の血をひく蘇努一族を弾圧し始めるのです。

蘇努一族の人数が多く、しかも作中で、中国名と洗礼名の両方で呼ばれているので多少混乱しましたが、とても面 白かったです。女性たちの方が、洗礼を受けるに当たって乗り越えるべき壁が少ないということにも、マリアが童貞女への道を志した理由にも納得。しかしなぜこのように強い信仰心を持つことができるのでしょうね。宗教が広まり始めた時の勢いもあるでしょうし、弾圧されるということによって、一層結束力が高まるというのもあるのでしょうけれど…。中国での禁教は日本ほど厳しくなかったものの、信者たちには、まるで江戸時代の隠れキリシタンたちのような強さがあります。どのような苦行も、彼らがいつか神の国に迎え入れられる時までの試練。喜んで迎え入れるべきだという態度。しかしそのような純粋な信仰の姿とは対照的な、「まだ中国ではひとりも殉教者を出したことがない」という事実に対する欧米人の態度には、正直ショックが大きかったです。
天主教の教義や信者たちの信仰を頭では理解できても、最後の最後まで心の底から納得することのできなかった傅蘭の姿がとても切なかったです。私自身の神に対する考え方も、傅蘭とほぼ同じ。なので彼の気持ちはとても良く分かります。しかしたとえ同じであっても、傅蘭のような強さは私にはありません。逃げてばかりだと本人は考えていますが、傅蘭は本当の意味での強さを持っている人物ですね。マリアに対する透明感のある淡い想いも、とても切なくて良かったです。


「朱唇」中央公論新社(2008年9月読了)★★★★★

【朱唇】…あるうらぶれた老人のもとを訪ねた客。茶の香りや味が普通のものとはまるで違うと客が気づいたことから、老人は王月生というかつて金陵一と言われた妓女の話を始めます。
【背心】…秋も深まった頃。余懐という士人が王子基長という文人を訪ね、金陵の妓女を1人助けて欲しいと依頼します。
【牙娘】…宴の最中、突然宰相の公子を殴ったのはうら若い妓女・牙娘。公子は李生の椅子の背に隠れ、牙娘は李生に椅子からどいて欲しいと詰め寄ります。
【玉面】…悪天候が続き、客足が途絶え、麻雀で無聊をなぐさめている妓女たち。客が来なくて苛々する妓女たちは、互いにきつく当たったりお客の悪口を言い始めます。
【歩歩金蓮】…開封で今最も艶名をうたわれる美妓・李師師の部屋で黙然と待っていたのは1人の壮年の男。しかし疲れて戻ってきた李師師の絵をさらりと描き上げた男は、実は天子だったのです。
【断腸】…張魁は、南京の旧院に暮らす男の1人。楽器も弾けば座も取り持ち、妓楼の部屋の掃除、飾りつけもそつなくこなし、妓女たちにも好かれていました。
【名手】…張家の若旦那が女を拾ったという噂が広まります。それは長江に船を出して呑んでいると、どこからともなく聞こえてくるという噂の琵琶を弾いていた妓女だというのです。

唐代や明末期から清の時代にかけての妓女たちが、それぞれに自分の美貌や教養、プライドを盾に生き抜いていく短編集。「断腸」だけは妓女ではなく、そういった楼閣に生きる男を主人公に描いているのですが、どの物語にも妓女が登場します。
ここに登場する妓女たちはそれぞれに艶やかな美貌の持ち主ですが、それぞれに個性はまるで違います。美しく芯の強さを持つ彼女たちの凛とした姿がとても魅力的。しかし「名手」に登場する妓女が言うように、どれほど美しく教養があろうとも、素晴らしい技芸を持っていようとも、時が過ぎれば容色も衰え、誰にも見向きもされなくなるのです。一流の妓女となった女たちは聡明であるだけに、花の時期は短いことをよく弁えています。プライドの高さも、傍目には無礼に感じられる行動も、それだけ自分の一番美しい時期を大切に生きようとしているという証。妓女という仕事柄、夜ごと金で買われる身ではあるのですが、誇りまで売り渡してしまったわけではありません。自分自身に自信を持ち、どんな相手が来ようとも変わらず誇り高く対峙する彼女たちが素敵です。そして本来ならこういった色街は愛憎の渦巻く女の世界のはずなのですが、ここではあまり女同士のどろどろとした部分は描かれていません。むしろ妓女同士義理の姉妹の約束を結んで助け合う「香火兄弟」となるというエピソードが登場。この「香火兄弟」という言葉は今回初めて聞いたので、とても興味深かったです。
それぞれに印象に残る妓女ばかりでしたが、特に強く印象に残ったのは牙娘と「歩歩金蓮」の李師師でしょうか。この妓女は結局誰だったのだろうと余韻の残る「名手」も良かったです。

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