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このページは、恩田陸さんの本の感想のページです。

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「蛇行する川のほとり」1〜3 中央公論新社(2003年8月読了)★★★★★

夏の終わりに野外音楽堂で行われる演劇祭の舞台背景の絵を仕上げるために、夏休みに「船着場のある家」と呼ばれる九瀬香澄の家に泊り込むことになった蓮見毬子。憧れの先輩・九瀬香澄と斉藤芳野に声をかけてもらった毬子は有頂天。しかし親友の真魚子は、お互いさえいれば満足そうなこの2人の先輩が毬子に声をかけるのは、何か目的があるためではないかと疑います。毬子は、学校帰りに出会った見知らぬ少年にも、「九瀬に関わるのはよせ」と言われることに。そして迎えた夏休み。香澄の家での9日間の合宿は順調に始まります。2日目には、香澄の従弟の貴島月彦と、その友達の志摩暁臣も参加。数日前、毬子に「九瀬に関わるのはよせ」と言ったのは、この月彦でした。

物語は毬子、芳野、真魚子の目から語られることになります。美少女に美少年、「船着場のある家」に「塔のある家」などの設定は、まるで一幅の絵画のようでもあり、香澄の家を舞台とした1つのお芝居を見ているようでもあります。しかし最初は憧れの先輩に声をかけられて有頂天になるという、いかにも女の子らしい雰囲気で始まる物語なのですが、何かを予感させる冒頭の言葉通りに、徐々に不穏な展開を見せ始めます。舞台背景を仕上げるために集まったはずの合宿。しかし実は、毬子以外の人間はそれぞれに何かしら思惑を持っていたのです。その核心が読者にはなかなか明かされないので、先行きへの不安と、それでも知らずにはいられない興味が膨らみます。決していい方向へは向かわないだろうという予感通り、様々な感情が噴出し、物語はどんどん不穏な方向へ。しかしその勢いは強すぎて、もう誰にも止められないのです。
「ネバーランド」の少女版のようでもあり、「六番目の小夜子」や「麦の海に沈む果実」を思い起こさせる部分もあります。これまでのどの作品とも違う、夏のイメージが強い作品。夏独特の乾いた光が感じられるようです。目に眩しい真夏の光と、この光が作り出す濃い陰影。情景が目の前に広がります。


「まひるの月を追いかけて」文藝春秋(2003年10月読了)★★★★

異母兄の渡部研吾が失踪し、静は研吾の高校以来の恋人・君原優佳利と共に奈良へと向かうことに。フリーライターの研吾は取材の仕事で出ている間に姿を消し、優佳利の元には誰からか、研吾の写真が送られてきたというのです。研吾の後ろに写っていたのは、奈良の明日香村らしき場所。2人は彼がカメラマンとモデルと共に回るはずだったスポットを順に追うことになります。

読み始めた時は、登場人物が全体的にもっと若いのかと思っていたのですが、落ち着いた年代の話だったのですね。物語は、どことなく「黒と茶の幻想」のよう。「三月は深き紅の淵を」に登場する幻の本の中の話と言われたら、そのまま納得してしまいそうな雰囲気です。ミステリでもなく、ファンタジーでもなく、登場人物がそれぞれに役割を交代しながら、ひたすら旅をする物語。
本来夜空にあるべき月が真昼の空にあるという「まひるの月」のように、物事に白黒決着をつけようとするのではなく、限りなくグレーゾーンを描いている物語のような気がしました。30代半ばという、若くもなく老けてもいない、微妙な年代の登場人物たち。彼らの役割分担も一定ではなく、どんどん変わっていきます。そして舞台が、現代でありながら、古代の都の存在も色濃く感じられるという場所。現実として語られる物語の中には、寓話として挿入される物語。まるで全てが、「現実」でも「幻」でもない、「生」でもなく「死」でもないところに位置しているかのようです。
奈良という、私にとって身近な場所がたくさん登場するので、自分も静たちと一緒に歩いているような気がしてしまいました。しかし良く知っているはずの場所が、恩田さんの筆にかかるととても魅力的。これほど素敵な場所だったのかと驚いてしまいます。章ごとのタイトルにとても雰囲気があって素敵ですし、ラストの余韻もまた格別。ここからまた新しい物語が始まっていくのですね。

「時に臨みて作れる歌」「心の著く所無き歌」「後れたる人の歌」「月を詠める歌」「答ふる歌」「作者いまだ詳らかならざる歌」

P.45「好きになるのに理由はいらないけど、別れるためには理由が必要でしょ。でないと、終わらせられないじゃない」


「クレオパトラの夢」双葉社(2003年11月読了)★★★★

双子の妹の和見に会うために、北国の町・H市へと向かった神原恵弥。3度目の挑戦で司法試験に受かり、都内の大手法律事務所に籍を置いていた和見は、しかし恵弥が仕事でアメリカにいる間に、一回り年上の男との激しい恋が原因で、条件の良い婚約を一方的に解消、スキャンダルと体調不良から職場も辞めていました。その相手とは、東京の大学で助教授をしていた若槻慧。彼もまたその恋によって学内でスキャンダルとなって生まれ故郷の札幌の大学へと移り、和見は若槻博士を追いかけてH市へ移り住んでいたのです。恵弥の目的は、家族の代表として和見を東京へと連れ戻すこと。そして実はもう1つ、製薬会社の調査員としての隠された目的もあったのです。

容姿端麗でオネエ言葉を話す神原恵弥。「MAZE」に登場していた彼が再登場する作品ですが、しかしこちらは「MAZE」とは違い、全くと言っていいほどSF的・ファンタジー的なテイストは含まれていません。登場人物が1人共通していたというだけで、物語同士の関連性も薄いですね。しかしその中心となる神原恵弥が非常に魅力的。恵弥を取り巻く3人の男女の、誰が味方で誰が敵なのか分からない状況もなかなかスリリングなのですが、主に彼の魅力だけで最後まで読んでしまったような気がします。「精悍、端正、酷薄」な顔立ちとは裏腹のオネエ言葉、鋭い勘とそれを裏付ける冷静沈着な視線。しかし、脇を固める和見や多田、慶子も悪くはないのですが、男女2人ずつの4人というパターンになると、どうしても「黒と茶の幻想」と比べてしまいます。そして一旦比べてしまうと、どうしても少々薄く感じられてしまうような…。
途中で挿入される「冷凍みかん」の話が面白いです。これは廣済堂文庫から出ている井上雅彦監修の異形コレクションシリーズ「GOD」に収められている短編が元となっているようですね。そして最後になぜ舞台がH市だったのかということが判明するのもいいですね。昔の出来事に対する理由付けも面白かったです。
ちなみに「クレオパトラの夢」とは、スタンダードなジャズナンバー。私もとても好きな曲です。


「黄昏の百合の骨」講談社(2004年3月読了)★★★★★お気に入り

1年前に育ての親も同然の祖母が突然亡くなり、2年間のイギリス留学から帰国した水野理瀬。坂が多く山が生みまで迫る古い街の、かつて住んでいたこともある白百合荘と呼ばれる洋館で、2人のおば・梨南子と梨耶子と共に住むことになります。亡くなった祖母の遺言は、自分の死後、理瀬がこの家に半年以上住まない限り、家を処分してはならないという奇妙なもの。祖母の一周忌を控え、理瀬の従兄である亘と稔も白百合荘に戻ってくることに。しかし白百合荘は、魔女の家とも言われる館。良くない噂も流れていました。隣家に住む友人・脇坂朋子の飼い猫・ココが何者かに毒殺され、さらに理瀬は、朋子の弟の慎二に「この家、出て」「ここにいると死ぬよ」と言われるのです。

「麦の海に沈む果実」の理瀬の登場する物語。舞台はどうやら長崎のようです。
曰くありげな洋館。思わせぶりな日記の文章、手紙に登場する「ジュピター」の謎。そこに、一見正反対に見えながら、実は良く似ている梨耶子と梨南子の姉妹、若手の医師の稔と、その弟で好青年の青年実業家・亘、脇坂朋子と弟の慎二、朋子の幼馴染の勝村雅雪などが登場し、それらの登場人物が1人ずつ増えていくにつれ、徐々に舞台設定は整っていきます。濃厚な百合の花の香りの中に広がる幻想的な情景。その情景の持つ妖しさと濃い陰影が印象的。この雰囲気がまさに恩田作品ですね。物語後半では、白百合荘の秘密やジュピターの正体など、意外な真相が次々に明らかになり、それまでの人間関係も相まって本当に驚かされました。
私が以前から百合の花に抱いているイメージが、雅雪の持っているイメージとかなり近かったせいか、作品自体にもすんなりと入り込めたような気がします。なかなか普通の学生生活を送れない理瀬は気の毒ではありますが、雅雪と一緒にいる時だけは、まるで普通の女子高生のようにも見えますね。この作品の中でも様々な出来事が起こりますが、それでも彼女の人生でこれから先に起きるであろう波乱のことを考えると束の間の休息といった印象もあり、切ないです。
理瀬の父親のトランスジェンダーに関してもちらりと触れられているのが興味深いところ。ちなみに理瀬と稔と亘の子供時代に関しては、短編集「図書室の海」やアンソロジー「蜜の眠り」に収められている「睡蓮」、ヨハンに関しては、アンソロジー「殺人鬼の放課後」に収められている「水晶の夜、翡翠の朝」に書かれています。これから先の展開が本当に楽しみ。ヨハンにも早く再会したいです。


「禁じられた楽園」徳間書店(2004年5月読了)★★★★

イタリアの巨匠の映画の美術を担当することによって、天才的なアーティストとして世界に知られる存在になった烏山響一。彼は日本に戻ってW大学の建築学科に入り直しており、平口捷も偶然同じ授業を取っていました。捷の目から見た響一は、常に取り巻きに囲まれながらも、周囲に全く関心がなさそうなカリスマ的な青年。しかし響一は、話をしたこともない、大教室で同じ授業を受けているに過ぎない捷のことを知っていたのです。捷は響一から1通の招待状を受け取ります。それは烏山彩城が郷里の和歌山にプライベートギャラリーを開設したことを祝う、ごく内輪のホームパーティへの招待状。バイトをするバーで偶然響一と知り合うことになった彫刻家の卵・香月律子もまた、そのパーティに招かれていました。そして、婚約者が失踪したと久野夏海に相談された星野和繁も、かつての大学の同級生・黒瀬淳を探すために、夏海と共に和歌山へと向かっていたのです。

恩田さんの久しぶりのホラー。謎めいたカリスマ青年・烏山響一を中心に、一面識もなかった人々が呼び寄せられ、それぞれの道が錯綜していきます。そして響一の生み出す「禍々しい美しさ」が、その道筋を少しずつずらしていくに従い、得体の知れない怖さが増幅していくようです。1人きりのはずの部屋の中で、後ろに誰かいるのではないかと思わず振り返りたくなるような、そんな怖さ。一体何にそれほどの怖さを感じるのかが分からないまま、居心地が悪くなってしまうような感覚。そして物語は、負のパワーを発散する響一によって物語は引き摺られるように進んでいきます。
インスタレーションという言葉の意味は、「現代芸術において、従来の彫刻や絵画というジャンルに組み込むことができない作品とその環境を、総体として観客に呈示する芸術的空間のこと」(三省堂「大辞林」)だそうなのですが、このどこか西洋風に感じられる空間が、和歌山の熊野という非常に日本的な、古来からの神々のパワーを感じさせる場所、その鬱蒼とした森の中に展開されているのがまた雰囲気を盛り上げます。この人間の本能に訴えかけるようなインスタレーションは、まず体験したくない類のものですし、烏の存在もとても不気味。しかしその中で一番怖かったのは、彼女の笑顔。そしてこのインスタレーションの作者、作中に全くその姿を見せない烏山彩城の存在も不気味ですね。彼は本当に生きている人間なのでしょうか。既に響一に取り込まれてしまっているのではないか、本当は一羽の大烏がいるだけなのではないか、そんな気味の悪さが残りました。


「Q&A」幻冬舎(2004年7月読了)★★

2002年2月11日の2時頃、旭が岡の郊外型ショッピングセンター・Mで起きた集団パニック。祝日の午後ということもあってショッピングセンターには4千人もの買い物客がおり、それらの人々が一斉にエスカレーターや階段に殺到したため、死者69名、負傷者116名という予想外の大惨事に発展します。しかし当初は火災が起きたという報道が流れ、続いて消防からは有毒ガスが発生したという発表が出されたこの事件は、その後の調査でも、結局その原因が特定できないままだったのです。Mの店内では確かに火災報知器が作動したものの、火災はおろか、何らかのガスが発生した痕跡、事故がおきた痕跡は皆無。死亡者の死因は、そのほとんどが転倒死。そして、事件についての質疑応答が繰り返されます。

質問者と回答者の会話だけで成り立っている物語。ニュースを聞いて駆けつけた新聞記者や現場にいた買い物客、Mの顧問弁護士、救助に駆けつけた消防隊員などの会話から、事件のことが少しずつリアルに浮かび上がっていきます。しかもここで浮かび上がってくるのは、事件のことだけではないのです。その語り手たちの姿もまざまざと浮かび上がらせていくというのが、恩田さんらしくていいですね。事件が残した思いがけない爪痕、そして事件以来、語り手たちの中に巣食うようになった負の感情。こういう部分を読んでいると、この作品はホラーでもあるのだなと感じます。その中でも、消防士の章が特に印象に残りました。そして、孫とMを訪れていた老人の感じた「死の臭い」と、タクシー運転手の章もいいですね。しかし途中から、物語の方向が事件からずれていってしまったのが少々残念。私としては、もっと事件のことだけに焦点を絞って欲しかったのですが…。


「夜のピクニック」新潮社(2004年8月読了)★★★★★お気に入り

北高の名物となっているのは、毎年秋に行われる鍛錬歩行祭。これは夜中に数時間の仮眠を挟んで、朝の8時から翌朝の8時まで、ひたすら80kmという距離を歩き通すという行事。前半はクラス毎の団体歩行、後半は仲の良い者同士で歩くことができる自由歩行となっており、膝を痛めていた西脇融は、当日の朝になっても、自由歩行で3年間一緒に過ごしたテニス部の仲間と一緒に歩くか、3年になって親友となった戸田忍と走るか決めかねていました。そんな時、融の目に入ったのは、甲田貴子と遊佐美和子の姿。融は刺すような鋭い視線を甲田貴子に送ります。実はクラスメートや教師は知らないものの、融と貴子は異母きょうだい。中学の時、共通する父親の葬儀で初めて出会った2人は、偶然同じ高校に入学し、3年生になって同じクラスとなった今でも、一度も口を訊いたことがなかったのです。そしてこの3回目の歩行祭で、貴子は1つの小さな賭けをしていました。

恩田さんの作品には以前から学園物が多いのですが、いつになく爽やかな作品で驚きました。「六番目の小夜子」や「三月は深き紅の淵を」、「蛇行する川のほとり」にあるような沈み込むような影は、この作品には感じられません。それもそのはず、登場人物たちは朝から晩までひたすら歩いているだけなのです。特に何か大きな出来事が起こるわけでもなく、ひたすら歩いているだけ。それなのにその情景が全く単調にならず、それどころか登場人物たちの会話を通して垣間見えてくる人間関係の揺れだけで、ここまで惹きつけてしまうというのは凄いですね。
高校生活3年目になってようやくその良さが実感できてきた行事。参加当日の朝の高揚感と緊張感。ひたすら歩き続けるという非日常的な状態。夜という一種独特な雰囲気になりやすい状況に加え、疲れとは裏腹に徐々にランナーズ・ハイのような状態になっていく彼らの、いつもよりも一歩踏み込んだ思考と会話。歩き疲れて頭が働かなくなり、どんな作為的な表情も作れなくなったところに、唐突にぶつけられる言葉。そこでのやり取りは、読んでいるこちらまでドキドキしてしまうほど。本当にただ歩いているだけなのに、なぜこれほど特別なのでしょうね。高校3年生というこの時期にしか出来ないこと、この時期だからこそ見えてくるもの。貴子や融、他の登場人物たちがそれぞれに見ている情景が、まるで自分自身の高校時代をそのまま思い起こさせてくれるようでとても懐かしかったですし高校3年生というこの時期に、こういう行事に参加できる彼らがしみじみと羨ましくなってしまいます。
「黒と茶の幻想」や「クレオパトラの夢」、「まひるの月を追いかけて」などで「旅」を描いてきた恩田さんですが、この歩行祭という行事もまた、1つの「旅」であるのでしょうね。長い人生を生きていくのと同じように、時々立ち止まったり休んだりしながらも、進み続ける旅。もちろんこの歩行祭によって全てがに丸く収まったわけではなく、むしろ問題が顕在化した分、乗り越えなくてはならないことが増えているのですが、それでもきっと乗り越えられるという明るい強さが根底に感じられるのがとても良かったです。

P.22「みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。」


「夏の名残りの薔薇」文藝春秋(2004年10月読了)★★★★★お気に入り
国立公園でもある山の中に建てられた1軒のクラシックホテル。ここでは毎年秋になると、創業者の血を受け継ぐ丹伽子、伊茅子、未州子という3人の老姉妹が、限られた客たちを招き、貸しきり状態で数日間を過ごすのが習慣となっていました。客たちは毎日、3姉妹がそれぞれに主催するお茶会に出席して、女主人のご機嫌を伺いながら戦々恐々とし、晩餐の席ではもっともらしく話される老姉妹たちの作り話に耳を傾けます。そして今年もまた、お馴染みの客たちがこのホテルを訪れていました。しかしその年、そこに流れていたのは、禍々しい悪意だったのです。

物語は6章に分かれ、それぞれ1人ずつの人間の視点から進められていきます。物語の途中で引用されているのは、アラン・レネ監督のフランス映画「去年マリエンバートで」を元に、アラン・ロブ=グリエが書いたという「去年マリエンバートで/不滅の女」という本からの抜粋。私がこの映画を観たのは確か高校生の頃。まるでメビウスの輪のような、何とも不思議な映画だったという印象だけが強く残っているのですが、こちらもそのイメージがぴったりの、なんとも幻想的な作品でした。この作品で一番驚かされたのは、各章の繋がり。一旦次の章が始まってしまうと、その前の章で起きたことは本当に事実だったのか、それともその人物の夢に過ぎなかったのか、もしくは老姉妹たちの語る物語のように、真実と嘘が巧みに混ぜ合わされたものなのか、すっかり分からなくなってしまうのです。ほんの少し重なりながら、まるで違う様相を見せていく…。「章」ではなく、「変奏」という言葉が使われているのが本当にぴったりですね。同じ人物の同じ行動すら、「変奏」によって、まるで違う様相を見せていきます。そしてそんな変奏曲を読み続けることによって、読者は作品の中を漂う濃密な空気に絡め取られ、最早外に出られなくなってしまうのです。
沢渡桜子と湊時光は実の姉と弟でありながら、近親相姦という関係。2人がその日のお茶会で伊茅子にやんわりと警告を受けた直後、唯一の逢引の場であるそのホテルに桜子の夫の隆介が現れます。その他にも丹伽子の娘で女優の瑞穂や、そのマネージャーの田所早紀、高級車のディーラー辰吉亮、謎の大学教授・天知など、登場人物たちの関係は複雑に絡まり合っています。しかし読んでいても、まるでどろどろして感じられないのが不思議なほどですね。ただ、最後の1人の語り手に、なぜこの人物を選んだのでしょう。あまりトリを取るのに相応しい人物だとは思えないのですが…。それだけが少々残念でしたが、それでもやはり、また違う「去年マリエンバートで」を観ているような気分になる、美しく濃厚で、毒を感じる作品でした。


「ユージニア」角川書店(2005年6月読了)★★★★

20年前、青澤家で起きた陰惨な殺人事件。それは青澤家当主の還暦とその母の米寿を祝う席に届けられた酒とジュースに青酸系化合物が混入されており、子供6人を含む17人もの人間が亡くなったという事件でした。青澤家は北陸の古都・K市でも有数の名士であり、生き残ったのが当時中学1年生だった盲目の美少女・緋沙子だけだったことから、マスコミをも巻き込んで大きな騒ぎとなります。しかし自分が犯人であるという遺書を残して1人の青年が自殺したことから、事件はあっさりと解決。そしてその10年後。大学生となった雑賀満喜子はその事件のことを卒業論文としてまとめ、それは本として出版されることになります。彼女事件当時中学1年生で、彼女自身その現場に居合わせた事件関係者だったのです。

事件に関わった人物1人ずつの証言を元に、過去の事件を浮き上がらせていくという物語。「Q&A」と似たような手法です。ただしこちらは基本的にQはなくてAだけ。「Q&A」と同じように人々の語る証言から事件の概要が浮かび上がってくるのですが、むしろ事件から長い年月を経て、それぞれの当事者たちの想いが浮き上がってくるというのがポイントなのかもしれません。はっきりと質問者が存在していた「Q&A」と違い、聞き手の言葉が直接的に登場しないので、まるで自分もその場にいて一緒になって話を聞いているよう。話を聞いてるというよりも、なんだかそこにある混沌とした深淵を覗き込んでいるような印象で、これがとても不気味さをそそります。もちろんそれらの話の全てが真実とは限りませんし、3章の「遠くて深い国からの使者」のように明らかに事件当日のことを書きながらも、固有名詞が微妙に変えられている部分もあります。巧妙にはぐらかされながら、それ少しずつ核心に近づいていく感覚が堪りません。
そして最後まで読むと、また最初に戻るのですね。恩田さんの作品にはラストが曖昧で焦点がぼやけるような気がしてしまう作品が意外と多いのですが、この作品に限っては、この曖昧さがとても効果的のような気がします。インタビュワーのことを始めとして、他にも気になってしまう部分がいくつかあったのですが、それでも深い余韻が残ります。そしてこの本は装幀が凄いのですね。中身も素敵ですが、外側のカバーも計算しつくされた効果を持っています。薄い紗のようなグレーで全て塗り込めているようです。

以下は自分のためのメモ。(各章のタイトルと中心人物の名前を書いているだけですが、ややネタバレかも)
「海より来たるもの」(雑賀満喜子)、「二つの川と一つの丘」(雑賀満喜子の助手・K)、「遠くて深い国からの使者」(マキちゃん)、「電話と玩具」(青澤家の手伝いの女性の娘)、「夢の通い路(一)」(元刑事)、「見えない人間」(雑賀誠一)、「幽霊の絵」(文房具屋の若旦那)、「花の声」(青年を慕っていた少年)、「幾つかの断片」(ピーちゃん)、「午後の古書店街にて」(出版社社員)、「夢の通い路(二)」(元刑事)、「ファイルからの抜粋」(雑賀満喜子)、「潮騒の町」(緋紗子)、「紅い花、白い花」(雑賀満喜子)


「酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記」講談社(2005年7月読了)★★★★

飛行機に対する恐怖から、それまで海外旅行処女だった恩田さん。しかし取材旅行のために、とうとうイギリスとアイルランドへと行くことに…。

飛行機が怖いと言う人はいるものですが、恩田さんほどの恐怖心を抱いている人は珍しいかもしれないですね。何度乗っても慣れるどころか、相変わらずの顔面蒼白ぶり。空港に着いた辺りから記憶すら定かではなくなってしまうのですから。このエッセイではそんな「怖い」がひたすら前面に出ているのですが、しかしその「怖い」の合間には、小説や映画の話も色々と挟まれており、読み応えがあります。そして今回特に面白かったのは、新作にも繋がりそうなアイディアの数々。例えば、同行した講談社のK嬢との「歴史上の人物で誰が好きか」という話から、歴史上の人物や比較的最近の有名人で、探偵役ができそうなのは誰か考え始めるのです。そこで選ばれたのがマザー・テレサとガンジー。実際にさわりが書かれていたりします。特にマザー・テレサの方は、今は亡きダイアナ妃の謎が絡んで本当に面白そう。さらに、アイルランドのタラを訪れた恩田さんが頭の中で見た情景。こちらは本当に新作に繋がっていくのでしょうね。この辺りが、恩田さんの恩田さんたる所以なのでしょう。作家という職業は恩田さんにとって本当に天職なのだと改めて感じさせられました。
イギリス取材は、理瀬のイギリス留学の取材でもあったようですし、今回の体験による恩田さんの小説の今後の発展もとても楽しみです。

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