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このページは、恩田陸さんの本の感想のページです。

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「小説以外」新潮社(2005年5月読了)★★★★★

恩田陸さん初のエッセイ集。一読者として好きな本や漫画のことを中心に、音楽のこと、映画のこと、日々のことなど、様々な媒体に書いてきたエッセイが集められています。

この本を読んで一番驚いたのが、恩田陸さんという方がこれだけの作品を執筆・出版していても、未だに「一読者」であるということ。ご本人はあまり自分が作家であるという自覚がないそうで、面白い本をよむたびに「いいなあ、作家になりたいなあ」と思ってしまうのだそうです。これだけ人気のある作家さんでありながら、それでもまだ尚新鮮に一読者として読書を楽しめるというのは凄いことなのではないでしょうか。「着たい服がないからデザイナーになった」的な動機は良く聞きますが、恩田さんは逆なのですね。面白い本を読むと自分も作家になりたくなってしまうというその姿勢に自然体である恩田さんの姿が感じられて、それがとても親近感でした。恩田さんが小説を書くきっかけとなったのが、酒見賢一さんの「後宮小説」だったというのも驚きましたし、この本の中で紹介されている本は、私が勝手に恩田さんのイメージとして持っていた読書傾向とはまた違っていて、それもとても新鮮。ここで紹介されている本はどれも読みたくなってしまいます。
エッセイは苦手とのことですが、恩田さんの楽しそうな雰囲気が伝わってくるような気がするエッセイ。特に「架空長編アンソロジー」の計画や、「自分の葬式に流してもらいたい歌謡曲」など、読んでいてもとても楽しいお題が多かったですし、ご自身が楽しんで書かれているのが良く分かります。小説として恩田さんの作品に触れるのはもちろん大好きですが、こういった等身大の恩田さんが感じられるエッセイというのもいいものですね。


「蒲公英草紙-常野物語」集英社(2005年7月読了)★★★★★

福島県南部、阿武隈川沿いに広がる平野の槇村という集落。中島峰子は、その集落の名称にもなっている名家・槇村家の敷地のすぐそばの家に住んでいました。かつては藩医をつとめていたという代々医者の家系で、父も医者。長兄の秀彦は東京の医学校に行っており、次兄の雅彦は峰子よりも3つ年上の中学生。ある日峰子は、父親に言われて槇村家の末娘で、峰子よりも1歳年上の聡子の話し相手としてお屋敷に上がることになります。聡子は生まれつき心臓が弱くて学校にも行けずに家の中だけで暮らしているのです。そんなある夏のこと、屋敷に不思議な一家、春田葉太郎とその妻、そして紀代子と光比古という子供たちがやって来ます。

「光の帝国」と同じく常野一族を描いた作品。こちらは時代的にはかなり遡り、20世紀初頭の明治時代、日清戦争の後の日本が舞台となっています。蒲公英草紙というのは、峰子のつけている日記の名前。一見地味ながらも花が咲くとぱっと明るく、しかもしっかりと地面に根を張っていて、ちょっとやそっとのことではへこたれない芯の強さは峰子にぴったり。この作品の雰囲気にもぴったりです。峰子の穏やかで柔らかい語りによって物語は綴られていきます。「光の帝国」も大好きな作品ですが、この数年で恩田さんの言葉による表現力は格段に洗練されているというのを実感させられました。淡々と流れていく幸せな日々。しかしその優しい口調が意外なほど鮮やかな情景を描き出しますし、静かな中にも、この時代の持つ厳しさのようなものを感じさせます。その中でも特に印象に残ったのは、洋行帰りの西洋画家・椎名馨と、仏が見えなくなってしまった仏師・永慶の絵を巡るエピソード。
乱暴者だったはずの廣隆の大人びた静かな目に時の経過を感じさせられ、槇村家に集まってきていた人々が春田一家と出会い、それぞれに何かを感じてまた去ってゆくのを見ていると、常野を中心とした長い時の流れを実感します。「光の帝国」よりも、まるで語り部が語り継いでゆく物語のような作品でした。読んでいると、言葉がしみじみと身体の中にしみわたり、暖かく包み込まれるようです。


「ネクロポリス」上下 朝日新聞社(2005年11月読了)★★★

V.ファーことファーイースト・ヴィクトリア・アイランズに住む親戚のシノダ教授、リンデ、マリコ、ハナに加わり、今年初めて「ヒガン」の1ヶ月をアナザー・ヒルで過ごすことになったジュンことジュンイチロウ・イトウ。ジュンは東京大学の大学院生で、民俗学寄りの文化人類学を専攻しており、ヒガンの風習の調査を希望していたのです。アナザー・ヒルに入れるのは、毎年約200名ほど。入山許可証を出すための審査は年々厳しくなり、プラチナ・ペーパー状態となっていました。しかも今年は世間を騒がした「血塗れジャック」のせいで、アナザー・ヒルはいつも以上に注目を浴びていたのです。ヒガンの期間のアナザー・ヒルは、「お客さん」の訪れる場所。主にその年に亡くなった人が実体を持って現れます。それらの「お客さん」は決して嘘をつけないことから、滞在者は皆ブラック・ダイヤリーにその記録を残す義務があり、しかもその日記に書かれたことは公式の記録にもなり得るというしきたり。何者かに殺された被害者がその加害者を目撃していれば、告発することも可能なのです。死人に会うというマリコたちの言葉に緊張し、年に一度のエンターテイメントだという言葉を訝しく思うジュン。そして「ヒガン」が始まります。

川を渡ると、そこはアナザーワールド。これが恩田さんならではの異世界で、とても魅力的です。「ヒガン」は、「彼岸」と言うよりもむしろお盆に近いでしょうか。お盆では先祖の魂がこの世に戻って来きますが、この「ヒガン」で戻ってくるのは、主にこの 1年に亡くなった人間。しかも霊魂だけではなく、実体付き。生きていた時の姿のまま。うっかりしていると、死者とは気づかないこともあり得るのです。初めはそのような世界を信じがたく思っていたジュンも、ハナやマリコや教授やリンデに説明されるうちに、徐々にこのヒガンの世界に馴染んでいきます。「川を船で渡る」という行為は、まるで死後に渡るとされている三途の川のようで象徴的ですし、この世からあの世へと徐々に移行していく感覚は、さすが恩田作品。
死者が実体を持って現れるという非科学的な現象は信じがたいですし、たとえ「お客さん」が嘘をつかなくても、生身の人間である書き手がブラック・ダイヤリーに決して嘘を書かないという前提も奇妙。「お客さん」は嘘がつけないのに、生きている人間を手にかけることができるというのも不思議。しかしそれを不思議に思っているジュンもまた、その雰囲気に飲み込まれていってしまうのですね。そしてこの中には、「血塗れジャックとは誰なのか」「黒婦人は本当に夫を殺したのか」というミステリ的要素もあります。殺人事件の被害者は、誰が犯人なのか確かに分っていれば、このヒガンで告発することが可能だという緊迫感もあるのです。卵を使って占う「夜のテーブル」や、「お客さん」との邂逅を記録する「ブラック・ダイヤリー」というのも魅力的ですし、何かあるたびに皆でお茶をするのも、恩田作品らしいところ。
しかし今回は、いつもほどすんなりと恩田ワールドに入り込めませんでした。特に冒頭の数ページは、何度読んでも頭に入ってきてくれなかったほど。そしてこの物語の中には、日英の様々な民族学的モチーフが満載されているのですが、このように次から次へと出されてしまうと、単なる単語の羅列にしか思えなくなってしまいます。これほどまでに多様なモチーフを1つに纏め上げてしまう手腕も凄いのですが、あまりに節操なく広げすぎたのでは。日本古来の「お稲荷さん」や「かごめかごめ」、「百物語」、「提灯行列」などを、このように変質させた意図も良く分からないままでしたし、こんな小手先の技を使わなくても、恩田さんならきっと魅力的に描けたはずなのに、と思ってしまいます。そもそも「英国領日本」という設定に無理があるのでは? むしろ「日本領英国」なら、英国に色々と影響を与えることも可能かとは思うのですが…。ジュンが「東大の大学院生」である必要性も疑問でしたし(到底そうは見えないので尚更)、苑子のエピソードも中途半端。
しかも血塗れジャックの正体を始めとして、テリーとジミーのことやアナザーヒルとジュンの関係、そもそもアナザーヒルとは何なのか、ラインマンとは何者なのかなどという謎も、中途半端に放り出されてしまったという印象。書いている間に大風呂敷を広げすぎて、既に畳む気を失ってしまったのでしょうか。アナザーワールドの設定が魅力的なだけに、もっとしっかりと熟成させてから書いて欲しかったととても残念。いつものような、たとえ終盤が破綻しても勢いで読まされてしまうという吸引力も、今回感じられなかったです。

下巻P.111「死というものが残酷なのは、突然訪れ、別れを言う機会もなく全てが断ち切られてしまうからだ。せめて最後にひとこと言葉を交わせたら。きちんと挨拶できたら。そう思っている遺族がどれほどこの世にいることか。」
この言葉が、この物語のそもそもの始まりだったのかもしれませんね。


「エンド・ゲーム-常野物語」集英社(2005年7月読了)★★★

ゼミ旅行から帰宅した拝島時子を待っていたのは、母親の暎子が慰安旅行先で倒れたという電話。命に別状はないというものの、時子は暎子の秘書の河合詩織に病院の場所を聞き、すぐに岐阜へと向かいます。瑛子は知り合いに会いに行くと言って宿を出たきり帰って来ず、翌朝7時頃に宿の玄関付近で倒れているのを発見されたのです。病院の医師によると、暎子は単に深く眠っている状態。脳にも心臓にも異常はなく、薬物摂取の痕もありませんでした。とりあえず東京へと戻る時子。しかし暎子が長年冷蔵庫に貼っていた、自分が帰ってこなかったらここに電話しなさいと言われていた電話番号のメモが剥がされていたことから、暎子がそこに電話をしたのだろうと考え、自分もその番号へと電話をかけることに。そして時子の目の前に現れたのは、「洗濯屋」の火浦と名乗る青年でした。

「光の帝国」の中の「オセロ・ゲーム」の続編となる物語。
「オセロ・ゲーム」は、全体的に穏やかな雰囲気の漂う「光の帝国」の中でも少し異質な、緊迫感のある話。常野一族としての戦いが生々しく描かれている、ダークサイド的要素が大きい作品です。うららかな日差しが感じられるような「大きな引き出し」の春田一族の物語も好きなのですが、こういうダークな面があってこそ常野一族の歴史に深みが増すような気がしますし、それ以前にこちらもとても好きで、続きがとても気になっていた作品です。
中盤まではとてもスリリング。時子の父に本当は何が起きていたのか、そして今回暎子に何が起きたのか、電話をかけた先の女性たち、そして洗濯屋の火浦という青年の真意も分からないまま緊迫感たっぷりに進みます。「洗って、叩いて、白くする」という「洗濯屋」の存在も面白いですし、暎子の持つ、「裏返し」たり「裏返され」たりする紙のオセロ・ゲームのイメージも面白いです。
しかし終盤、時子と両親、そして火浦が顔を合わせる辺りから、良くも悪くもいつもの恩田さんらしくなってしまったような…。確かに物事をその一面だけで量ることはできませんし、当事者にはなかなか見えてこない面というのはあります。その人間にとっての真実は、他の人間にとって真実とは限りません。自分が見たくないものには、無意識に目をふさいでしまうこともあるでしょうし、その真実がそもそも本当に存在していたのかどうかも分かりません。颯爽とした仕事のできる女に見えていた暎子自身、あれだけ強力な力を持っていた夫が裏返されたという困惑や悲しみ、もしかしたら自分たちは夫に捨てられたのかもしれない、夫自身の意思での失踪だったのかもしれないという不信感や怒り、周囲の人々の無責任な噂話や視線による苦しみ、日々のいつ裏返されるか分からないという恐怖や緊張感など、複雑な感情を内包しています。常に「正邪」で言えば「正」の立場から描かれてきた常野もまた、その一面だけでない複雑な存在。それは分かるのですが… それにしてもどこかはぐらかされたままで終わってしまったような印象。もう少し語って欲しかった気がします。なんだか「語」るではなく、「騙」られてしまったような気分です。


「チョコレートコスモス」毎日新聞社(2006年4月読了)★★★★★お気に入り

新築した自宅にも仕事場がありながらも、古巣の劇団のオフィスの一角を占領して、新作をひねり出そうと苦しんでいた神谷がビルの窓ごしに外を見た時、目に留まったのは1人の少女。それは20歳そこそこの、特に目立たない普通の少女。しかし彼女の持つ緊張感が、ビルの一室にいる神谷にまで伝わってくるのです。そして神谷の視界から、突然消えうせる少女。周囲を見渡す視線を止めて動き始めた少女は、次の瞬間、まるで別の人物のようになっていたのです。

主に、学生時代に旗揚げした劇団の座付き作者から、今は中堅脚本家になっている神谷、演劇界のサラブレッドであり、天才子役から今や人気女優となっている東響子、早稲田大学の男性ばかり10人がやっている小劇団の座付き作者的存在の梶山巽の視線から物語は進んでいきます。
お芝居が好きなので多少点が甘くなってしまっているかもしれませんが、この作品は本当に良かったです。久々の大ヒット。役者によって演じられている舞台を文章にして、それを読者に伝えるのは非常に難しいのではないかと思うのですが、ここまで鮮やかにその印象が伝わってくるのが凄いですね。稽古場での芝居の練習、あるいは舞台上での芝居が繰り返されるたびに、徐々にテンションが高くなり、最後のオーディション場面に向かって収束していく場面は本当に圧巻。臨場感が直に伝わってきて鳥肌が立ってしまいます。まるで自分もその芝居の場に居合わせているような感覚。それも観客席から見ているのではなく、同じ舞台に立っているかのような、自分も一緒に「向こう側」へと行ってしまいそうな感覚。この中では、特に響子がいいですね。「ララバイ」での稽古場での演技、オーディションのことを知って苛つく響子、そしてブランチを演じる響子、全てが色鮮やかです。響子に比べてみると、佐々木飛鳥の造形は、一見負けているようにも見えるのですが、それはおそらくまだ開花前の少女だから。飛鳥の「芝居馬鹿」な部分が強調されているのだと思います。これで一流の演劇人たちを相手にした稽古を積み重ね、大きな舞台を経験した飛鳥はどうなるのでしょう。「ぶっ壊して混乱させ」られた後の飛鳥の姿が無性に見てみたくなってしまいます。
劇団ゼロが上演する2通りの「目的地」も観てみたいですし、今回はボツになりましたが、次回上演の候補作となった「戦争と電話」もとても面白そう。そして神谷が結局どんな脚本を書いたのか、それをあの2人がどのように演じるのか、その稽古場面から実際に観てみたくて堪らないです。


「中庭の出来事」新潮社(2006年12月読了)★★★★★お気に入り

中庭が隠れ家のようなカフェ・レストランになっている小さな古いホテル。そこを訪れた「女」は、待っていたサングラスの「女」と共にワインを飲み、鴨とチコリのサラダを食べながら、以前この同じ中庭で開かれた小さなティー・パーティのことを話し始めます。それは脚本家・神谷華晴のために開かれたパーティの話。大の紅茶党で、貰ったばかりのカップを片手に客の間を泳ぎ回り、ひっきりなしに紅茶を飲んでいた神谷。しかしその手からは突然カップが落ち、のた打ち回って苦しんだ挙句、神谷は死亡。カップからは毒が検出されます。誰も紅茶に毒を入れた形跡も目撃証言もなく、警察は自殺と断定。それでも「女」は真相に気付いたのです。そしてその時、サングラスの女の口からは、突然糸のような血の筋が流れ、女の身体は崩れ落ちて…。

神谷という脚本家が3人の女優のうちの誰かを強請っており、その女優が逆に神谷を告発しようとしたため、神谷はそれを防ぐために1本の脚本を書いた… それが「告白」。3人の候補から最後の1人(強請りの相手)が絞り込まれる前に神谷は毒殺されることになったのだが、その芝居には誰がその相手なのか知る手がかりが隠されている。だから刑事は3人の女優に繰り返し演じさせる… というのが一番の外側、現実の物語なのかと思えば。
「中庭にて」「旅人たち」「『中庭の出来事』」という3種類の章に分かれて、物語は進んでいきます。「中庭にて」で描かれるのは、甲斐崎圭子と平賀芳子、脚本家・細渕晃が遭遇したビル街の中庭での出来事、脚本を書く細渕と楠巴、レストランのボーイなど。「旅人たち」は、深い山に囲まれた一本道を目的地に向かって歩いていく2人の男性。そして「『中庭の出来事』」は、3人の女優が1人の刑事相手に、神谷の遺作となった脚本を演じてゆく場面。脚本家・神谷の死を巡る謎、そのことで2人の女が対峙している時に片方の女が死んだ謎、ビル街の中庭で死んだ女子大生に関する証言の食い違いの謎。様々な謎があり、同じ場面、同じ台詞が何度も繰り返し、少しずつ形を変えながら登場。そして何層にも入れ子になっているのです。
現実と芝居と、その芝居の中の芝居。どこからどこまでが現実で、どこからが芝居なのか、そしてどこからが芝居の中で演じられている芝居なのか、はっきりと分からないまま物語は展開していきます。まるで不思議のアリスの国に迷い込んだかのように、内側が外側になり、外側は内側になり、現実と虚構が螺旋階段のように絡み合い、全てが混沌とした状態。3人の女優が「神谷」に、自分自身の演劇人生を踏まえて脚本をアレンジするように言われているため、その言動は素なのか、それとも演じているのか、さらに一層分かりにくい状況となっています。しかし一旦その混沌とした状態に身を委ねてしまうと、この上なくぞくぞくとさせてもらえます。今度読む時は、メモを片手に読んでみたいですね。面白かったです。


「朝日のようにさわやかに」新潮社(2007年7月読了)★★★

【水晶の夜、翡翠の朝】…人形のような形にした白い紙を誰かの皿やカップの下に忍ばせておき、本人がそれに気が付いた瞬間、その場にいる人間が「『笑いカワセミ』が来るぞ!」と叫ぶ「笑いカワセミ」遊び。しかしそれはいつしか悪質な悪戯へ…。
【ご案内】…自分のすることに責任の持てる、きちんとした大人だけが先に進める場所。
【あなたと夜と音楽と】…そのラジオ番組の日の朝、放送局のビルの入り口に決まって置かれている奇妙な物。それは一対の雛人形、地球の形をしたビーチボール、バカボンのパパのお面などでした。そしてビルに出たという幽霊の噂。ラジオのDJ番組内での会話だけで進む物語です。
【冷凍みかん】…何十年も前の早春に、大学の助教授のKと会社を退職したばかりのN、そして教師の「私」の3人旅。しかし列車の途中の駅で立ち寄った駅の売店の老人が突然倒れたのです。
【赤い毬】…一度だけ母方の祖母に会ったことがある私。母はそれは熱のみせた夢だと言うのですが、それは確かな現実なのです。
【深夜の食欲】…深夜の厨房から重いワゴンをゆっくりと押し出した若いボーイ。そのワゴンは、一番の性悪の「ヘイスティングス」。途中ワゴンがいきなり軽くなり、ボーイは驚きます。
【いいわけ】…気持ちの良い朝、珍し1人で朝食を食べた「僕」は、デザートのオレンジがとても美味しかったお陰で、何か変わったことがしたくなったのだと語ります。
【一千一秒殺人事件】…ある夕暮れに、連れ立って出かけたTとA。2人が向かっていたのはバケモノ屋敷と評判の家。「家が鳴り、石が降ってくる」というのです。
【おはなしのつづき】…「パパ」が「ユウくん」に語る白雪姫の物語。
【邂逅について】…北の町の静かな冬の晩、憂鬱な表情の少女が書き続ける文章。
【淋しいお城】…淋しい丘の上に建っている淋しいお城に住むのは淋しい王様。誰も辿り着くことのできない淋しいお城に行くには、淋しい子供になって「みどりおとこ」にさらわれるしかないのです。
【楽園を追われて】…告別式からの帰り、亜希子や稔久、敦、伸一郎は柿沢幸弘の手書きの原稿を押し付け合い、その後でみんなで読もうという話になります。
【卒業】…かろうじて四畳半の和室に逃げ込み、部屋を封印した5人の少女たち。しかしそれもあと少し、16歳の誕生日の前日の12時になれば終わるのです。
【朝日のようにさわやかに】…オランダのビール・グロールシュの壜を見るたびに不思議なデジャ・ビュを感じる「私」。それはアメリカの著名なトランペッターW・Mのことだったのです。

「図書室の海」以来の短編集。「水晶の夜、翡翠の朝」と「あなたと夜と音楽と」だけ既読。
どの作品も現実離れしているようでいて同時に妙なリアリティがあり、とても不気味。この本のタイトルが、唯一まるでホラーではない「朝日のようにさわやかに」から取られているというのも、悪い冗談のように思えてきます。短編集であるにも関わらず、本を読み進めるにつれて世界が徐々に歪んでくるような印象。様々なパターンのホラー作品が楽しめます。ただ、既読の作品以外にも、どこかで読んだことがあるような気がする作品が多いのですが、それはなぜなのでしょう…。
私が特に気に入ったのは「冷凍みかん」。これは「クレオパトラの夢」の中で挿入されていた物語。星新一さんの作品のような雰囲気があります。「淋しいお城」は、講談社ミステリーランドのための作品の予告編なのだそうです。本編を読むのがとても楽しみ。「水晶の夜、翡翠の朝」「あなたと夜と音楽と」は初読の時も面白いと思いましたが、こうやって読み返してもやはり光っていますね。ヨハンの邪悪さが本当に魅力的。「一千一秒殺人事件」は稲垣足穂系。そういった不条理系の作品も多く、好みが分かれるような気もしますが、個人的には結構好きです。


「木洩れ日に泳ぐ魚」中央公論新社(2008年1月読了)★★★★

何年も一緒に暮らしてきたのに、そのあくる日から別々の生活へと踏み出すことになっている高橋千浩と藤本千明。千浩は違う女性と一緒に暮らすことになっており、千明は翌日から友人とベトナム旅行へ。その最後の晩、商店街で買ってきた出来合いの惣菜と酒を片手に、2人は話し始めます。最初は当たり障りのない話に始まった会話は、じきに1年前の夏のS山地へのトレッキング旅行の話へ。その旅行が2人の別離の決定的なきっかけとなったのです。彼を殺したのはやはり彼(彼女)だったのか。それを夜明けまでに相手に白状させることはできるのか…?

引越しの荷物も既に運び出されたがらんとした部屋の中を背景に、一組の男女の一晩の会話だけで物語が進行するという、まるで舞台の芝居を見ているような作品。
何も事前の知識がないまま読み始めたのですが、これは思いきりミステリだったのですね。最初は2人のことがまるで分からない状態に始まり、状況設定は徐々に明らかにされていきます。最初はよくある男女の別れ話かと思いきや、突然のように投げつけられる「殺人」という言葉の禍々しさ。ふと思い出した情景がまた新たな謎を呼び、それまで思っていた真実とはまた全然違う新しい真実が見えてくる… 今まで確かに見えていたはずのものが、一瞬のちにはまるで違う表情を見せ、まるで万華鏡のような印象。物語の途中でも真実のみを追い求めるミステリ作品を揶揄するかのような文章がありますし、この作品においては真実が何なのかということを突き詰めるというのはそれほど重要ではないのでしょうね。真実よりも、おそらくこのくるくると変わる表情を楽しむ作品なのでしょう。情景が鮮やかに移り変わり続けます。川の表面でちらちらと光る木洩れ日の中に見えるのは、本当に魚の姿なのか…。読んでいると、真実とは何なのか、本当にそれが必要なのか、どんどん分からなくなってきてしまいそうな作品です。


「いのちのパレード」実業之日本社(2008年8月読了)★★★

【観光旅行】…幼い頃に祖母に聞いたWの話。それが実在すると知ったのは成人してからで、妻が行きたいと思っていたことから、2人はその村への観光ツアーに参加します。
【スペインの苔】…幼稚園にあがったばかりの頃、母親と田舎を訪れた少女。いとこの少年たちとはぐれ、夕暮れ時に戻ってきた彼女はロボットの人形を手に持っていました。
【蝶遣いと春、そして夏】…春は死者の季節。そして蝶遣いの季節。蝶遣いは自宅の裏庭に小さな温室を持ち、そこで蝶を育てているのです。
【橋】…アケミがその場所に配備されて3ヶ月。鮎子姐さんや麻耶ちゃん、ケイコ、学生アルバイトの涼ちゃんたちと9時から5時まで、当番で座っているのです。
【蛇と虹】…血のような夕陽を見ながらの姉と妹の会話。
【夕飯は七時】…毎日6時頃に祖父が来て夕飯を作ってくれるまでの間、兄と妹と「僕」はラジオから聞こえてくる音や祖父の話を聞きながら、不意打ちされないように緊張し続けています。
【隙間】…幼い頃から隙間を恐れていた少年。裏庭の納屋のほんの少し開いている扉から、納屋の中の暗がりが垣間見えたりすると、その隙間が怖くてたまらなくなってしまうのです。
【当籤者】…今年度後期のロト7に当籤したという手紙を受け取った男は、暫くその場所に凍りついたように立ち尽くします。当籤期間はその日から2週間でした。
【かたつむり注意報】…旅先で入った店で、突然「かたつむり注意報」が出たと聞き驚く「私」。数年に一度、本当にかたつむりが町までやって来るのだと店にいた女性に教えられます。
【あなたの善良なる教え子より】…恩師に宛てた手紙。恩師を父親代わりに思って育った「私」は、手紙の中で早くに亡くした父親の思い出などを語ります。
【エンドマークまでご一緒に】…ミュージカル仕立てのフレッド君の一日。
【走り続けよ、ひとすじの煙となるまで】…休むことを知らず巨大な車輪が鉄路を走り続ける「王国」。走り続けることで動力を得ている王国にとって、停止することはすなわち死なのです。
【SUGOROKU】…町を出るためには「上がら」なければならず、一日も早く上がれるようにと毎日真剣に祈るイリ村のアニ。しかしこの町に来てまだ2週間しか経っていないのです。
【いのちのパレード】…ひたすら歩き続ける生き物たち。この世に暮らすありとあらゆる動物たちがみんな同じ方向に向かって歩いていきます。
【夜想曲】…住宅街の一角にある古めかしい屋敷の書斎に現れたのは、3つの人格。若い娘と若い男性、そして年配の男性の声がその書斎を眺めながら話します。

かつて早川書房の異色作家短篇集に大きく影響され、今も尚影響を受け続けているという恩田さん。異色作家短篇集のような無国籍で不思議な短編集を作りたいと考えて「奇想短編シリーズ」と銘打って雑誌に連載していたという作品15編を集めた短編集です。
この中で私が一番好きなのは「夕飯は七時」。これは例の一族の話に連なるものなのでしょうか。あまりのあり得なさが逆に笑いを誘います。「かたつむり注意報」もいいですね。こういった雰囲気の作品は好きです。「SUGOROKU」も好きなタイプ。その他の作品に関しては、まずまず楽しめたのもあり、面白さがよく分からないのものもあり、という印象。短編集だけに仕方のないことなのでしょうけれど、やはり長編作品が読みたくなります。
いくつかの作品で、既存の先行作品を思わせるものがありました。どの作品も何らかの作品へのオマージュとなっているのかもしれないですね。そういった出自が分かると、また楽しさが違ってくるのかもしれません。


「猫と針」新潮社(2008年9月読了)★★★★★

30代後半、ほぼ同年代に見える喪服を着た男女が5人。高校時代は映研にいたメンバーで、このように会うのは久しぶり。映画監督デビューを果たしたタカハシユウコの呼びかけで、エキストラとして出演するために集まったのです。その日は、奇しくもかつての同級生・オギワラの葬式があった日。それぞれの近況やかつての同級生たちの噂話から、殺されたオギワラの捜査のために葬式に警察も来ていたという話になり、高校の学園祭の直前になくなったフィルムの話や食中毒事件の話も飛び出して… 疑い深いタナカの言葉に後押しされるように、徐々に不穏な空気が漂いはじめます。

演劇集団キャラメルボックスのために書き下ろしたという初の戯曲作品。少人数の密室劇で心理サスペンス物がやりたいという劇団側の最初の希望通り、登場人物は5人だけで、場面もそのままの1幕物です。
劇団側からの「直してほしい・解決してほしい点のリスト」を全て解決したために、却って恩田色が薄くなってしまったという意見もあったようですが、そうなのでしょうか。最終的に、様々な点がはっきりしないまま終わってしまうのがとても恩田さんらしいところではあったのですが、それでも徐々に緊迫感が増していく会話はとてもスリリングで、実際のお芝居の場面が目の前に浮かぶよう。とても面白かったです。それぞれの抱える事情が、会話や独白を聞いているうちに徐々に分かってくるという辺りはとても恩田さんらしく上手いなと感じますし、その場にいない人間の話をするというのはとても剣呑なことだと改めて感じさせられますね。
しかし小説の原稿なら1日に50枚ぐらい平気で書き、しかも台詞を書くのが好きだという恩田さんでも、いざ書き始めると小説と戯曲の違いに相当戸惑わされたようですね。「違う。違うわ。台詞の重みが、存在感が、全然違うっ。」という言葉に実感がこもっていました。確かに台詞とト書きしか書かれない戯曲にとって、台詞が全てと言っても過言ではありません。情景描写もあれば状況説明もあり、そして台詞もある、という小説とは、比重がまるで違うのでしょうね。戯曲本体はもちろん、そういった部分がとても分かる「『猫と針』口上」「戸惑いと驚きと」「『猫と針』日記」もとても面白かったです。

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