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このページは、夢枕獏さんの本の感想のページです。

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「大帝の剣-天魔の章」1 角川文庫(2003年2月読了)★★★★

【天魔降臨編】…関が原の合戦も終わった徳川の世。そこにいたのは身の丈六尺五寸五分(約2m)、岩を削り取ってきたような肉体を持ち、腰に大小、背中に洋風の巨大な剣を背負った男、万源九郎。金さえ貰えれば何でもやるよろず屋の彼が、「ひさや」に頼まれて伊吹山中に囚われた娘を助けた夜、天空を疾りぬけた強い光がいくつもの光に分かれて四方に散り、その1番大きな光が息吹山の中に落ちていきます。思わず見に行く源九郎でしたが、そこで見つけたのは、ただの大きな穴。しかしその穴の近くに落ちていた珊瑚の簪を拾ったことから、源九郎は忍者や手妻使いに命を狙われることに。
【妖魔復活編】…茶店で拾った蘭と旅を続ける源九郎。ある場所に連れていって欲しいと言う蘭に、源九郎は簪を江戸に届けた後なら考えてもよいと答えます。その頃、舞を探していた才蔵は、息吹山の山中で見かけた異形の男に追われていました。腹には生きた犬の頭が、左腕には生きた熊の腕が生えている権三という猟師。山の中で獣を追うことに慣れている男が、犬の嗅覚で才蔵を追いかけます。

かつてカドカワノベルズから「天魔降臨編」「妖魔復活編」と2冊で出ていたものが、1冊にまとまったもの。まず驚かされるのは、この改行の多さです。ほとんど1文ごとに改行されているので、本の厚みの割にさくさくと読めてしまいます。しかも物語の勢いがすごいのです。文章のパワーに引きずられるようにして、あっという間に読んでしまいました。
登場人物は、まず主役の万源九郎。そして真田幸村の忍びたち、それと敵対する忍び・土蜘蛛衆、美麗の青年剣士に宮本武蔵、佐々木小次郎。どの1人をとっても十分主役を張れそうな男たちが入り乱れて、壮絶な闘いを繰り広げます。しかもそこに地球外の生命体まで加わるのですから。しかしかなり血生臭く凄惨な闘いぶりなのですが、主人公である源九郎ののほほんとした人柄からか、どことなく和めるものもあり、それが物語の魅力にもなっています。


「猫弾きのオルオラネ」ハヤカワ文庫JA(2000年10月読了)★★★★★

【ねこひきのオルオラネ】…年末、勤めていた楽団がつぶれて最後のお給料をもらった「ぼく」が、その退職金でお酒を飲んでしまおうかと考えていると、そこにはワインのびんの口をなめている一匹の青いねこが。早速そのねこを意気投合する「ぼく」の前には背の高い痩せた老人が現れます。
【そして夢雪蝶は光の中】…長年つきあった恋人に去られ、お酒を飲んで荒れる青年。道端に行き倒れた「ぼく」を拾ったのは、夢雪蝶を見るために山からおりてきたオルオラネとその猫たちでした。
【天竺風鈴草】…「ぼく」は、以前アルバイトをしていた小舎に1年ぶりに向かう途中で、オルオラネと猫たちに出会います。そしてオルオラネと一緒にに天竺風鈴草を「聴く」ことに。
【こころほしてんとうむし】…一面の菜の花の写真を撮りにきた「ぼく」は、「こころほしてんとうむし」を探しに来たオルオラネに出会います。オルオラネと別れたあと、そこには由子の姿が。
【年末ほろ酔い探偵団I】…大船駅のごみ箱から漫画雑誌を拾うのが日課の「ぼく」。しかしある日、ごみ箱から雑誌や新聞が姿を消してしまいます。同じように大船駅でごみ箱漁りをする「黒鞄男爵」「プロレス中年」「少年少女マンガの雪乃ちゃん」と「ぼく」=「マンガ青年」の4人で真相を探ることに。
【年末ほろ酔い探偵団II】…「黒鞄男爵」「プロレス中年」「少年少女マンガの雪乃ちゃん」と「ぼく」の4人はすっかり意気投合します。「ねこたらし」で一緒にオルオラネの猫弾きを聴いた後、外の路地「雪夜草」を見かけます。それは「気」を形にしたという雪の花でした。
【ばく】…最近、人を殺したり女性を犯したり、怖い獣が出てくる夢ばかり見る「ぼく」。そんな時に街中でオルオラネと出会います。オルオラネの足元には、見たことのない不思議な動物がじゃれていました。

「猫弾き」というのは、文字通り猫を楽器として弾くことなんですね。オルラオネにかかると、イルイネド、マレット、ショフレンの3匹の猫は生きた楽器となってしまいます。そしてそのシーンがやはり一番印象的。表題作の「ねこひきのオルオラネ」の中のセッションシーンなど本当に臨場感たっぷりで、ライブ独特のうねりが見事に出ています。読んでるこちらまでわくわくしてしまうほど。きっちりした段落にとらわれない書き方がとても効果的ですね。昔読んだ筒井康隆の七瀬シリーズ「家族八景」や「七瀬再び」の中の、人の心を読んでいるシーンも似たような形態で書かれていたと思うのですが、文章でありながら文章ではなく、すごく広がりがあるような気がします。
作中の「ぼく」はすべて別の人物。それぞれに心に痛み(大抵は失恋)を持っているのですが、オルオラネとの出会いによって癒されていきます。オルオラネはまるでサンタクロースのよう。しかしオルオラネもいい味を出しているのですが、それ以上に印象的なのが3匹の猫。お酒が好きな猫たちが、お酒をなめてるシーンなど、とても可愛いです。とても素敵なファンタジーでした。


「大帝の剣-天魔の章」2 角川文庫(2003年2月読了)★★★★

【神魔咆哮編】…才蔵は権三に立ち向かうために、宮本武蔵の力を借りることに。武蔵は見事権三の腹に生えた白虎の頭を切り落とします。武蔵は才蔵に、長崎で死んだはずの天草四郎こと益田時貞が生きており、耶蘇教の魔王に魂を売って、三種の神器の1つである「ゆだのくるす」を手に入れたらしいと語ります。一方、源九郎と旅をしている蘭が、自分の探している舞だと確信する申。しかし舞らしからぬ部分も多いのです。そして蘭は真相を語り始めます。
【凶魔襲来編】…柳生十兵衛の手の者が武蔵を追います。しかしその本当の目的は武蔵ではなく、武蔵の追っている益田時貞。一方、申と源九郎、蘭の3人に才蔵が合流。そこに襲い掛かってきたのは権三でした。なんとその腹の白虎は甦っていたのです。蘭は不死の物が権三の身体に宿っていると説明し、その証拠を見せることに。そして前回の蛭丸に続き、今度源九郎を襲ってきたのは死手丸でした。

あらすじを書こうにも何を書いたらいいのか分からないほどの混乱ぶりなのですが、あとがきに夢枕さんご自身が「作者自身にもわけがわからない」と書いてらっしゃるのを見て納得。「わからないからおもしろい」というのにも、さらに納得。相変わらずの勢いで突っ走っている物語は大風呂敷をこれ以上ないほど広げながらも、ものすごい勢いで展開していきます。地球外の生命体が存在するというのももちろんはちゃめちゃの大きな要因なのですが、私にとっては、それ以上にゆだのくるすや、黄金の独鈷杵、源九郎の背負うアレキサンダー大王の剣などの地球上に実在しうる不思議な物が、今後どのような役割を果たすのかに興味があります。犬を喰らう祥雲という謎の坊主の今後の役割も気になりますね。ここまできたら思う存分大風呂敷を広げ切って、勢いにまかせて書き進めて欲しいものですが、以前このシリーズを書かれていた時は、次の5巻で止まってしまったようです。果たして角川文庫から再出版されるに当たり、物語の進展は望めるのでしょうか?


「陰陽師-付喪神ノ巻」朝日新聞社(2000年11月読了)★★★★★お気に入り

【瓜仙人】…帝が写経した般若心境を長谷寺に届けた帰りに源博雅が大きな柿の木の下で休んでいると、そこに一人の年老いた翁がやってきます。瓜をくれなかった下衆どもに当てつけるように、瓜の種を使って不思議な技を見せる翁。そして翁は、その晩晴明を訪ねると博雅に伝言します。
【鉄輪】…夜な夜な貴船神社に丑の刻参りに来る女。薄気味悪く思っていた神社の男たちは、ある晩、女に「願いは聞き届けられた」と嘘をつきます。しかし女は神社の男に言われた通りの格好をして、愛しい男を呪い殺しに行く鬼となってしまうのです。
【這う鬼】…四条堀川のお屋敷で働いている紀ノ遠助が、使いの帰りに見知らぬ女性から包みを預かります。女主人・貴子宛ての包みの中に入っていた物とは。
【迷神】…仲睦まじかった夫を亡くして悲嘆にくれる妻。とうとう「死んだ夫にでもいいから会いたい」と夫に反魂術を施してもらうことになります。しかし、夜になって夫が本当に現れた時、妻は。
【物や思ふと】…一昨年の歌合せの最後の対決で平兼盛に負けた壬生忠見は、悔しさから食が細くなり、とうとう亡くなってしまいます。そしてそれ以来、内裏には忠見の霊が夜な夜な現れることに。
【打臥の巫女】…都では打臥の巫女(うちふしのみこ)と呼ばれる占い女が評判になっていました。藤原兼家もこの打臥の巫女の元に通うようになってから、異例の出世を果たした一人。その兼家に、ある日この巫女が告げたのは「瓜」でした。兼家は晴明の元を訪れます。
【血吸い女房】…梅雨が終わって以来雨が降らない京。藤原師尹(ふじわらのもろただ)が神泉苑で雨乞いの宴を催すのですが、しかしそれ以来、師尹の屋敷に勤めている女房たちが夜になると血を吸われるように。師尹は晴明を呼び出します。

「陰陽師」シリーズの3作目。今回も色々と不思議な出来事が起きるのですが、しかし単なる鬼や怨霊退治だけではありません。この平安の時代に「鬼だけが一概に悪いのではない」という考えは、とても貴重ですよね。しかしそれでも、晴明が言うように、人は自ら鬼になり…。同じ力が善と出た時は「神」、悪と出た時は「鬼」、神と鬼は表裏一体。博雅の言うように一方を守るということは、一方を見捨てることになるのですね。一刀両断には解決出来ない問題を、それでもきちんと丸く収めていくのが晴明の腕の見せ所。しかし陰陽師として術を使うのは晴明の仕事なのですが、一緒にいる博雅も少なからぬ役割を担っています。やはりこの2人は良いコンビですね。
そしてこの作品の一番大きな魅力は、やはりゆったりとした流れの文体だと思います。

「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになった。(P.36)


こんなやりとりがずっと続いていきます。これが、時間に追われた現代社会から平安の京の世界へと一瞬で連れていってくれるのですね。そしてこのゆったりとした会話の中には巧みに伏線が張られており、一見関係なく思えた出来事がごく自然に収束されていきます。この雰囲気がある限り、私はこのシリーズを読み続けることになりそうです。

宇、即ち天地、左右、前後ーつまり空間のことである。
宙、即ち過去、現在、未来ーつまり時間のことである。
これを合わせて、宇宙とする世界を認識するための言語を…(P.204)


「羊の宇宙」講談社(2001年1月読了)★★★★★

ユダヤ系の老物理学者・アルベルトは、つきそいのカールと共に中国の西域部を旅行中。その日二人はホテルを抜け出し、カザフ族が羊を放牧している草原へとやってきました。前日カールが羊飼いの少年に言い負かされたという話を聞いてアルベルトが興味を持ち、早速少年に会いに出かけてきたのです。そしてアルベルトと少年は、「宇宙」について語りあいます。「宇宙は何からできているか」、「宇宙で一番早いものは何か」、「物質はどういう構造をしているか」…。これらの質問に対する少年の答えとは。

とても素敵な雰囲気の絵本です。夢枕さんの優しく夢のあるお話に、たむらしげるさんの美しい挿絵がぴったり。本文の前と後に、いろいろと想像をかきたてられるような絵もついています。
物語はもっぱら老物理学者と羊飼いの会話のみで、特に何か出来事が起こるわけではありません。でもこのアルベルトと少年の会話がとても素敵です。アルベルトの質問に対する羊飼いの少年の答えは、私たちの常識からはまず出てこないような答なのですが、実に的確で、真理をついています。普段私たちがいかに先入観にとらわれているかと思うと、恥ずかしくなるぐらい純粋な答です。しかしそのエキセントリックとも言えるような答を、素直な心で聞くことのできるアルベルトの存在が、またとても大きいのですね。読み終えた後、心がふわっと暖かくなるような作品でした。


「陰陽師-生成姫」朝日新聞社(2000年10月読了)★★★★

晴明を訪ねて酒を酌み交わす源博雅。その博雅が語ったのは、12年前に出会った謎の姫の話でした。その姫は、博雅が堀川の橋のたもとで笛を吹いているといつも牛車で現れ、笛の音を聴いていたのです。密かに姫に心惹かれる博雅。しかしある日を境にして姫が姿を見せることはなく…。12年経ち、博雅はその姫と再会することになります。

朝日新聞の夕刊に連載されていた作品。これ以前に陰陽師のシリーズは4冊出ていて、私は現時点ではその最初の2冊しか読んでいないのですが、物語本体は私が未読の3冊目「陰陽師ー付喪神ノ巻」の中の短編「鉄輪」をふくらましたものなのですね。新聞での新しい読者のために、安倍晴明や源博雅の紹介のエピソードなど、既に読んだようなエピソードも色々と出てくるので、ずっと読みつづけている人には新作という気がしないかもしれません。
恋しいがために憎い。しかしどんなに想っても、一度離れてしまった心は元には戻らない。それが分かっていながらも鬼になっていってしまう女の姿はとても悲しいです。しかし鬼となった女と博雅が相対する場面がとても素敵。男気があり、器の大きい博雅… いい漢(おとこ)ですね。
それにしても、晴明と博雅の会話が相変わらずの調子なのは嬉しいです。この会話の間合いや行間が、この独特な雰囲気を醸し出しているのですね。そしてこの雰囲気があるからこそ、鬼や妖しいものたちも物語の中に自然に溶け込んで存在できるのでしょう。なんとも涼やかで雅な雰囲気です。


「陰陽師-鳳凰ノ巻」文春文庫(2005年5月読了)★★★★★

【泰山府君祭】…三井寺の智興内供が眠ったまま目を覚まさず、そのまま息も心臓も止まってしまい、そこにやって来た蘆屋道満は安倍晴明に泰山府君祭をやらせるよう助言します。
【青鬼の背に乗りたる男の譚】…鴨直平は12年連れ添った妻・萩を梨園して、新しい女の元へ。そのうち萩が夜になると妙な素振りをするという噂が直平の耳に届きます。
【月見草】…文章博士であった亡き大江朝綱の屋敷で酒を酌み交わしていた男たちの前に、1人の尼姿の女が現れます。その女は、朝綱が作ったという歌を判じて欲しいと言うのですが…。
【漢神道士】…参議となった藤原為輔の元に、夜毎訪ねてくる老人。その老人は為輔を連れて西の方へと向かい、真っ赤に焼けた2本の鉄の柱に無理矢理抱きつかせるのです。
【手をひく人】…賀茂忠輔の元に相談に訪れたのは、籠作りの猿重夫婦。夜眠っている間に見たこともない人間に手を引かれ、鴨川の橋へと連れて行かれるといいます。
【髑髏譚】…眠ったまま目を覚まさなくなった最照寺の忍覚和尚。そのうち呻きだし、体の6つの穴から肉の焦げたような臭いのする煙が。2年前に亡くなった寿恵に呼ばれたと言うのですが…。
【晴明、道満と覆物の中身を占うこと】… 安倍晴明と蘆屋道満が方術を比べ合うことに。

「陰陽師」シリーズの5作目。(あとがきによると4作目とのことですが、「陰陽師」「飛天ノ巻」「付喪神ノ巻」「生成り姫」の次に出版されているかと…)
今回は7編がおさめられており、1つ1つの作品がいつも以上に短く、あっさりとした印象。蘆屋道満との方術比べは、西遊記に登場する三蔵法師と道士の対決に良く似ていますし、どれもどこかで読んだような気がする物語ばかり。「泰山府君祭」と「髑髏譚」も、良く似た枠組みを持っている物語です。それでもやはりこの空気感がいいですね。読んでいると安心します。どの短編もそれぞれに面白かったのですが、この中で特に印象に残ったのは、「青鬼の背に乗りたる男の譚」。物の怪に対しても慈しみの心を持つ晴明や博雅がとても印象に残りますし、最後に直平が晴明に言う言葉に何とも切なくなりました。


「陰陽師-龍笛ノ巻」文春文庫(2005年5月読了)★★★★★お気に入り

【怪蛇】…安倍晴明と酒を飲んでいた源博雅が語ったのは、最近京で起きているという奇妙な話。あちらこちらに蛇が出るというのです。
【首】…晴明と博雅が酒を飲んでいるところに現れたのは、晴明よりも以前から陰陽寮に勤めている陰陽師の賀茂保憲。藤原為成が妙な首に憑かれており、晴明に祓って欲しいというのです。
【むしめずる姫】…橘実之の娘・露子姫は幼い頃から普通の子供とは違っていました。年頃の今も眉も抜かず歯も染めず、男がいても平気で御簾を上げ、しかも様々な虫を飼っているといいます。
【呼ぶ声の】…ある月夜、巨大な桜の古木の根元で琵琶を弾いていた藤原伊成は、弾き終わった後に何者かの声を聞きます。見渡しても姿はなく、しかし伊成はその声に応えてしまうのです。
【飛仙】…宮中で妖が出るという評判が立っていた頃。博雅は藤原友則に頼まれて晴明の元へ。友則の娘の頼子の行動が先日疝気に効く薬を飲んで以来おかしいというのです。

「陰陽師」シリーズの6作目。
相変わらずの独特な文章のリズムと心地よい雰囲気。蘆屋道満や、初登場の賀茂保憲も晴明に絡んで、今回はまた少し世界が広がったような気がします。保憲は、安倍晴明の師である陰陽師・賀茂忠行の息子。いきなり黒虎に乗っての登場も迫力ですし、晴明の白の狩衣と対になっているようですね。かなりの能力者でありながら、面倒だからとやりかけた仕事を晴明に振ってしまうようなところが可笑しいです。それに道満の存在もいいですね。以前は単なる敵役だったと思うのですが、この作品ではそれを超越しているような気がしました。面倒事を起こしながらも、晴明とはお互いに認め合っており、戦友的な雰囲気。皆それぞれに独特の距離感があるのも素敵。そして映画を観ているせいか、晴明は野村萬斎的なイメージが強くなったような気がします。しかし肝心の晴明と博雅の関わりが少し薄味になっているようで、それだけは少々残念でした。
この中で特に良かったのは「むしめずる姫」。このシリーズは、場面場面がくっきりと鮮やかに浮かんでくるのが特徴だと思うのですが、その中でもこの「むしめずる姫」の最後の場面の美しさは素晴らしいです。


「『陰陽師』読本-平安の闇にようこそ」文春文庫(2005年8月読了)★★★★

映画化もされた大人気シリーズ「陰陽師」を語る本。夢枕獏氏のこの作品に対する思いを語ったエッセイ、映画「陰陽師II」の第一稿、第四稿、映画で安倍晴明役を演じた野村萬斉氏との対談、聖徳大学教授山口博氏、相模女子大学教授志村有弘氏らとの対談、登場人物・作品詳解など。

「陰陽師」の2人の中心人物安倍晴明・源博雅の誕生秘話、特に源博雅に関する辺りがとても興味深かったです。博雅が実在の人物だというのは知っていたのですが、実際に色々な逸話が残っている人物だったのですね。博雅が無自覚の天才であり、本人は自分の能力に気付いていないけれど、晴明だけは知っていて「博雅、おまえはすごい」という言葉が出てくる、その関係や、2人の心情。執筆にはマンネリを恐れず、そして夢枕獏さんが執筆しながら泣くという辺りもどこか納得。
そして映画「陰陽師II」の原案。映画は観ていないのですが、その第一稿と第四稿の変化を読んでいるだけでも十分楽しめますね。ここからさらに映画になるまでにかなりの変更があったのでしょう。
野村萬斉氏との対談は、「陰陽師I」の裏話や、演技中のトリップ、呪の話などが面白いです。山口博氏との平安時代談義も面白いですし、登場人物・作品詳解で晴明と博雅の会話を読んでいると、本編を読み返したくなってしまいます。晴明の生きていた時代がぐっと身近に感じられる1冊です。


「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」徳間書店(2005年5月読了)★★★★★お気に入り

貞元20年(804)、遣唐使船で日本の久賀島を発った32歳の沙門空海は、途中嵐に遭って漂流するものの、橘逸勢らと共に無事に唐に辿り着きます。流れ着いた福州の海岸から、一行は副帝都である洛陽を経て長安の都へ。入唐した空海の目的は、密教の真髄を学ぶこと。しかし長安では妖異な事件が続いていました。金吾衛に勤める劉雲樵の家に黒猫の妖物が取り憑き、徳宗皇帝の死を予言し、さらに驪山の北にある徐文強の綿畑では不思議な声が聞こえ、皇太子・李誦が倒れることを予言していたのです。洛陽で出会った植瓜の術を操る謎の方士・丹翁も絡んで、それらの事件との関わりは、空海をさらに大きな事件へ関わらせることに。

1988年2月の連載開始から完結まで17年の年月を要したという、500ページほどのハードカバー4冊組。しかし読み始めると思いの他読みやすくて驚きました。
最初は単なる怪異と空海の技のお披露目に終わってしまうのかと思われた植瓜の術や妖しい黒猫のエピソードが大きく発展し、お互いに繋がりを見せ、まるで思ってもいなかった方向へと発展していく構成が見事。そしてそれらの、物語の中で作者が創作した部分が史実にすっぽりと入り込んで違和感がまるでないのも見事。読み始めた時は、空海と橘逸勢の会話がまるで「陰陽師」の安倍晴明と源博雅のようにも感じられてしまったのですが、読んでいるうちに空海と逸勢の個性も見えてきました。ある意味、既に枯れている晴明に比べ、空海の方がずっと野心家ですし、計算高さも持っているのですね。逸勢の方も、育ちも良く飄々として自然体の博雅に比べて、懸命に足掻いている印象。また違う人間臭さがありました。それに「陰陽師」とは、物語のスケールも全く違いました。この物語当時の長安は、人口100万人のうち1万人が異国人だったのだそう。倭国はもちろんのこと、吐蕃(チベット)、西胡(イラン)、波斯(ペルシャ)、大食(アラビア)、天竺(インド)、他にも様々な国から来た人々が長安に住み、道教、仏教、密教、拝火教、摩尼教、景教(ネストリウス派のキリスト教)などの寺院があるという猥雑なパワーを持つ国際社会。しかし人種による差別はなく、試験の成績さえ良ければ官人として採用され出世することも可能だという実力派社会でもあり、これがまた空海に良く似合っています。そんな長安で、空海は唐人以上に唐の言葉や文章を操り、素晴らしいスピードで梵語を習得、目指す物に向かって着々と準備を整えていきます。密教についても平易な言葉でごく分かりやすく語られていきますし、物語の合間に繰り広げられる宇宙論なども面白かったです。どちらが優れているという話ではなく、京の都にしっくりと馴染む晴明が中心となった「陰陽師」とは、また違う魅力を持つ作品なのですね。
そして読み終えてみると、空海の物語でありながら、まるで白楽天の「長恨歌」のようでもありますね。空海の物語を奏でる低音部の伴奏を、「長恨歌」が奏でているような印象が残りました。そして空海たちにとっては既に歴史上の人物となっている人々も、空海と同じ時代を生きる人々と同じように生き生きとしていて、まるで既に過ぎ去った玄宗皇帝の時代と、現在の順宗皇帝の時代とが二重写しになっているようにも感じられました。その中で晁衡こと安倍仲麻呂の手紙や高力士の手紙で明かされる内容は衝撃的で、まるで歴史ミステリのようでもあるのですが、4巻で最後に明かされる内容は、それらをさらに上回る切なく哀しく余韻の残るもの。最後まで予断をつかせない、なんとも深い広がりを持つ物語でした。

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