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このページは、横山秀夫さんの本の感想のページです。

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「陰の季節」文春文庫(2003年6月読了)★★★★
【陰の季節】…D県警本部。5日後に控えた定期人事異動の内示のためにパソコンに向かっていた二渡真治警視は、3年前に刑事部長を最後に勇退した大物OB・尾坂部道夫が、天下り先のポストから退かないと主張していると聞き驚きます。そのポストには、既に次の人事も決まっていました。
【地の声】…その日監察課に送られてきたのは、「Q警察署の生活安全課長は パブ夢夢のママとできている」という告発文。その生活安全課長とは曾根和夫警部のこと。その告発文が内部のタレコミと判断され、新堂隆義警視はその真偽と密告者を密かに調べ始めます。
【黒い線】…平野瑞穂婦警が無断欠勤、婦警担当係長の七尾友子は驚きます。前日、瑞穂の描いた似顔絵のおかげでひったくり犯人が逮捕され、今朝の朝刊はこぞって瑞穂の手柄を報じていたのです。寮母によると、朝食は食べなかったものの、平常通りに出勤したという瑞穂。友子は瑞穂を捜し始めます。
【鞄】…警務部秘書課の課長補佐を務める柘植正樹警部。彼の役割は議会対策で、その日も定例県議会での答弁を予め用意するため、議会庁舎へ向かっていました。そこには保守系の会派に属する鵜飼一郎県議が警察に対して爆弾を持っているという情報が。4年前の現金買収事件の報復でしょうか。

D県警を舞台にした連作短編集。表題作は、第5回松本清張賞受賞作品。
警察を舞台にした作品といえば、刑事が主役になって犯人を捕らえるものが圧倒的だと思うのですが、この作品は少々毛色が違います。この4編の短編を通して見た時、キーパーソンとなっているのは、人事課にいる二渡警視。他にメインで登場する人物も、管理部門の人間がほとんど。直接的に一般社会で悪事を働いた犯人を捕らえるわけではないのですが、警察内部の動きを探り、陰の部分を炙り出すという点では、しっかりとしたミステリ作品と言っても差し支えないでしょうね。この設定がまずとても新鮮。もちろん警察内部の描写はとても詳細で、しかも内部の人間が書いたとしか思えないようなリアリティがあります。普通の会社では見ることのできない、警察ならではの状況判断や行動原理… ここで動いている人々は、所詮警察という組織の駒でしかないことを思い知らされます。天下りや昇進、男性社会の中での女性の立場、醜聞とといったモチーフを通して描かれた、人間の野心や欲望、汚さ、したたかさ、そして弱さといった人間臭。そのために駆け引きをし、自滅していく人々。しかもそれらの人々の描写にほんのちょっぴり家庭や家族の匂いを混ぜることによって、悲哀感が一層強く伝わってくるような気がします。本当に上手いですね。なんともいえない渋さを感じる1冊です。

「動機」文春文庫(2002年12月読了)★★★★
【動機】…貝瀬正幸はJ県警本部警務課企画調査官。なんと30冊もの警察手帳が紛失したと、直属の部下からの電話で呼び出されます。夜間の警察手帳の一括管理は貝瀬の提案。記者会見をするという2日後までに、なんとか手帳を探し出さなければならなくなります。
【逆転の夏】…女子高生殺しで前科のある山本洋司は、現在は小さな葬儀社に勤める日々。しかし弱みを握ったかのような社長の振る舞いに辟易していた山本に、人を殺してくれという匿名の電話が入ります。話を聞くだけで断る山本ですが、銀行口座には金が振り込まれていました。
【ネタ元】…県民新聞の記者・水島真知子が書いた幼児の水死事故記事は、新聞の不買運動にまで発展、その騒ぎにつけこんで、全国有数の発行部数を誇る東洋新聞までもが、この地域に乗り込んでくることに。そして真知子に、東洋新聞からの引き抜きがかかります。
【密室の人】…裁判官に任官して22年の安斎利正が、裁判中に突然の居眠り。それはまさに審理の真っ最中。しかも寝言で妻の美和を3度も呼んでしまったというのです。夜更かしもせず、疲れてもいないはずなのになぜ。裁判官にあるまじき失態は新聞沙汰になりそうになります。

第53回日本推理作家協会賞受賞作品である表題作を含む短編集。
「動機」読む前に少々期待しすぎたせいか、それほど感心しなかったのですが、しかし元警察官だった父親の存在が利いていますね。「逆転の夏」淡々と描かれているはずなのに、山本の心の揺れる様が見事に伝わってきます。最後の逆転も見事。「ネタ元」なぜネタ元になったのかが分かった時の驚きはすごいですね。「密室の人」タイトルが上手いですね。他人は裁けても… というくだりがすごいです。
どの作品も、職場など組織の人間関係に悩む人間の揺らぎのようなものが中心に描かれています。どの作品も、それぞれに「動機」がポイントですね。確かに事件や出来事は起きるのですが、それらはそれぞれの動機を引き出すためのきっかけにすぎないような。そしてそれらの出来事により、個人個人の感情が生々しく迫ってきますね。この描き方は、どこか貫井徳郎さんに似ているような気がします。痛い作品を書かせたら、痛すぎて読めなくなってしまいそうなところでしょうか。ものすごく上手いのは確かだと思います。しかし他の作品も読みたいような、読むのが怖いような、少々複雑な気持ちが残りました。

「半落ち」講談社(2003年5月読了)★★★★★
2年ほど前からアルツハイマーを患っていた妻を扼殺したと、W県警本部教養課次席の梶聡一郎警部が自首してきます。温厚で実直、若い刑事からも慕われている梶が殺人と聞いて驚く面々。しかし県警にとっては大スキャンダル。加賀美本部長の指示で、急遽梶警部の取調べをすることになった捜査第一課強行犯指導官の志木和正警視は、取調室に現れた梶の目が澄み切っているのを見て驚きます。取調べの席で梶は、妻に頼まれて仕方なく首を絞めたと供述。自分がアルツハイマーだと気付いていた妻は、自分が亡き息子の命日を忘れてしまったと思い込み、ショックで半狂乱になっていたのです。しかしそれまで「完落ち」と思われていた梶は、志木が犯行後の2日間どこで何をしていたのかと訊ねた途端、何も話さなくなてしまうのです… 「半落ち」。
物語は警察官、地方検事、新聞記者、弁護士、判事、刑務官と章ごとに主人公を代えて、梶警部の澄んだ瞳の秘密と空白の2日間の謎を探っていきます。

2003年度版の「このミス」と週刊文春の「2002年ミステリーベスト10」で第1位だった作品。横山秀夫さんの初の長編作品とのこと。
殺人犯としての梶と、6人の男たちの姿がなんとも言えずいいですね。実際の犯行については包み隠さず語っても、その後の空白の2日間に関しては貝のように口を閉ざしてしまう梶。その空白の2日間を、6人の年齢も職業も様々な男たちが、様々な角度から探っていきます。語り手となるのは、梶の取調べを行った志木和正、この事件の担当検事・佐瀬銛男、偶然佐瀬検事と伊予警務部長の諍いを聞いてしまった東洋新聞の記者・中尾洋平、梶の義理の姉・島村康子に梶の弁護を依頼された弁護士の植村学、梶の後半を担当する特殊判事補・藤林圭吾、梶が収監された刑務所の統括矯正処遇官・古賀誠司。犯罪そのものを扱いながらも、ミステリとしては異色ではないでしょうか。しかしこれがなんとも素晴らしいのです。梶は一体命がけで何を守っているのか、一旦は鴨居に縄をかけた梶の気持ち、あと1年生きたいと思うようになった気持ちの変化、そして「人生五十年」という書を書いた気持ちの元となる物は何なのか…。ほんの少しの仕草や言葉の端々に、色々な物を感じ取る男たちの姿がすごいですね。そして彼らを通して、個人対組織の闘いという人間ドラマも見えてきます。組織の駒である限り、組織は全力でその駒を守ってくれます。しかし一旦駒であることを放棄し、暴走し始めたが最後、その人間には組織の圧力が容赦なくのしかかってくるのです。それはそのまま、自分自身の中の保身と野心の戦いでもあります。それでもこの男たちは闘おうとするのですが、しかし梶は結局半落ちのまま、ベルトコンベアーに乗せられたかのように次の段階へ、そのまた次の段階へと進んでいってしまうことに。…本当にすごい作品ですね。最後の結末には拍子抜けしてしまったのですが、作品の持つ迫力には大満足です。

P.24「取り調べは一冊の本だ。被疑者はその本の主人公なのだ。彼らは実に様々なストーリーを持っている。しかし、本の中の主人公は本の中から出ることはできない。こちらが本を開くことによって、初めて何かを語れるのだ。彼らは、こちらに向かって涙を求めてくることがある。怒りを焚き付けてくることもある。彼らは語りたがっている。自分の物語を読んでほしいと願っている。こちらは静かにページを捲っていけばいいのだ。彼らは待っている。早く捲ってくれと待ちわびている。こちらがページを捲らない限り、彼らは何も語ることができないのだから。」
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