Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、山之口洋さんの本の感想のページです。

line
「オルガニスト」新潮文庫(2005年2月読了)★★★★★お気に入り

南ドイツのニュルンベルク音楽大学のバイオリン科の講師・テオことテオドール・ヴェルナーは、同僚のスティーヴン・シャンクに1枚のディスクを手渡されます。それは、メリスマという音楽雑誌の記者をしているカスパー・メルクリンが、シャンク宛に送ってきたもの。メルクリンはブエノスアイレスでふと見つけた教会のオルガニストの演奏に感動し、しかし本格的な音楽家の意見も聞いておきたいといってディスクを送ってきたのです。演奏者はハンス・ライニヒというドイツ人。大変な気難し屋で、ろくに取材もさせないという謎のオルガニスト。テオはそのディスクを、オルガン科のロベルト・ラインベルガー教授に渡してみることを約束します。テオがラインベルガー教授に連絡を取るのは9年ぶり。現在75歳のラインベルガー教授は、今でも世界屈指のオルガニストであり、バッハのオルガン音楽の研究者としても世界の頂点にいる人物。しかしヨーゼフ・エルンストの件以来、疎遠となっていたのです。

第10回ファンタジーノベル大賞受賞作。ハードカバーの時は三人称で書かれていた作品を、文庫化に当たってテオの一人称に全面改稿したのだそうです。
このタイトルの「オルガニスト」が弾くオルガンとは、世界で一番大きな楽器であるパイプオルガン。パイプオルガンにはやはりバッハの曲が一番良く似合うと思いますし、私自身パイプオルガンの音色もバッハの音曲も大好きなので、全体に流れる荘厳さがとても心地良かったです。前半は青春小説風、そして後半はがらりと趣が変わるのですが、そのどちらにもバッハの音色が意外なほどしっくりと馴染んでいるのには驚きました。ヨーゼフの「音楽」になってしまいたいと思う気持ちも分かる気がしますし、おそらくヨーゼフはただ単に音楽が好きで好きで堪らなかっただけなのでしょう。それに努力だけではどうにもならない、真の天才にしか到達し得ない領域がすぐそこに見えてしまう人間にとっては、実際に悪魔に魂を売ってでも、手に入れたいと願ってしまうものなのでしょうね。しかしこれほど純粋に音楽を愛しているヨーゼフなのですが、それはまた別の側面を持つわけで… 教授の言いたいことも良く分かるのですが、やはりそれ以上にヨーゼフの気持ちが分かってしまうだけに、とても切ないです。
ヨーゼフが暖炉の火掻き棒のような鍵を手にしながらテオに語る、オルガニストの入り口の話、そして終盤近くでヨーゼフがウラドに語る「オルガニスト」の話がとても印象に残りました。防空壕か潜水艦のような黴臭い道を通り、演奏台に至るオルガニスト。そこで神に音楽を捧げる… それを考えると、美しい木彫りを施したケースの裏側が、仕上げもしていない鋸引きのままというのも、何やら暗示的な気がします。


「0番目の男」祥伝社文庫(2006年1月読了)★★★★

タシュケントの街を70年ぶりに訪れた「わたし」ことエフゲニィ・ワシリーエビッチ・マカロフは、マカロフ・クラブへと向かいます。そこはマカロフであることだけが唯一の資格となる、世界中にいるマカロフたちが集まる会員制クラブなのです。そこにいるのは、「わたし」から作られたクローンのマカロフたち。21世紀に入り、自然環境や人口、経済格差などの問題が深刻化していた頃、まず優秀な人材を確保するためにと厚生省の外郭団体によってΣ(シグマ)計画が立ち上げられ、環境工学技術者だった「わたし」がクローン作成の母体として選ばれたのです。「わたし」はその計画に自分の細胞を提供することを同意するのですが、大量に生み出されるマカロフたちの人生を追体験するために、「深眠(ディープ・スリープ)」と呼ばれる人工冬眠の施術を受けることを条件として付加していました。そして70年後に目覚めた「わたし」は、「マカロフ0(ノーリ)」であることを隠して、マカロフたちと接触することに。

祥伝社の400円文庫のうちの1冊。「長すぎない短すぎない中編小説」をモットーにしたこの400円文庫、なかなかこの長さがしっくりする作品がないのですが、それだけにぴったりとはまった時は気持ちが良いですね。この作品は、この長さにぴったり。短いながらも中身の濃い内容となっています。
同じ遺伝子を持ったマカロフでも、その生き方や個性は様々。「マカロフ・クラブ」のバーテンダーもマカロフで、「わたし」自身のレパートリーにはなかったような客商売特有の微笑を浮かべていますし、他のマカロフたちの人生も様々。脚本家もいれば俳優もおり、刑事もいれば泥棒もいます。「みな、それぞれの人生の痕をどこかしらに刻みつけた」マカロフたち。自分自身は環境工学を研究するしか能がなかった「わたし」に取って、自分の知らなかった可能性を知ることは新鮮な驚き。しかしわが子を見るような楽しみを持ってマカロフたちを眺めていた「わたし」に突きつけられるのは、思ってもいなかったような痛い真実だったのです…。しかし痛い真実の部分は痛い真実として、ここに繰り広げられる様々なマカロフたちの人生模様が人間の無限の可能性を示唆してくれているようで、実際には無理なのではないかと思いつつも嬉しく読めました。少し甘すぎるような気もするのですが、希望が見えるラストもいいですね。
基本的にSF作品だと思うのですが、ミステリでもあり、恋愛小説でもある作品です。


「天平冥所図会」文芸春秋(2008年1月読了)★★★★

【三笠山】…天平18年秋8月。備前国から平城京に庸調を納めに行く一行の中にいたのは、采女として後宮で仕えることになっている藤野別真人広虫と吉備真備の娘の由利。男ばかりの一行の中で2人はすぐに意気投合します。そしてあと3日というところで拾ったのは、行き倒れていた百世という少年。百世は母を亡くし、丹波笹山から大仏鋳造のタタラで働いている父を探しに来たのです。
【正倉院】…天平勝宝8歳、夏5月。葛木連戸主が広虫と結婚し、悲田院や施薬院の仕事に携わるようになって9年。聖武太上天皇が崩御し、紫微中台の戸主は献納の仕事で忙しくなります。
【勢多大橋】…6年後の天平宝字6年。藤原仲麻呂が権力の頂点に上り詰めた頃。公務で若狭に出かけた戸主がそのまま行方知れずとなります。広虫は戸主が元気で生きていると信じ続けるものの、孝謙上皇と共に出家することに。
【宇佐八幡】…称徳天皇と道鏡の仲は民草まで知れ渡るようになり、やがて大宰府から道鏡を天皇にすると良いという宇佐八幡の神託が。そして神託を確かめるために大宰府に行くことになったのは、広虫の弟の和気清麻呂でした。

奈良時代、聖武天皇から称徳天皇までの時代を舞台にした連作短編集。4編はそれぞれ東大寺の大仏建立、正倉院への宝物奉納、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱、そして道鏡の野心と宇佐八幡の神託が取り上げられており、この時代の主な出来事を網羅していると言えます。
高橋克彦氏の「風の陣」でも全く同じ時代のことを取り上げていますが、ここまで違ってしまうものかと驚いてしまうほど、人物造形や作品の雰囲気がまるで違います。陸奥出身の丸子嶋足という青年を主人公にした、正統派の歴史小説である「風の陣」とは違い、広虫と戸主という夫婦を中心に据えたこちらの作品はもっと明るく楽しく、ユーモアたっぷり。しかもファンタジーがかった柔らかさがあります。歴史的事実を踏まえながら、これほど読みやすい楽しい作品に仕上げてしまうとは恐れ入りました。本の装画もとても可愛らしくて内容にとても合っていますね。4編の中で特に面白かったのは、2編目の「正倉院」。正倉院の宝物倉に入っている品々を見る目が変わってしまいそうです。そして正倉院での夫婦の頑張りぶりが楽しかっただけに、戸主の境遇の変化はもう少し後にして欲しかったというのが本音なのですが… 題名からいってもこれは仕方なかったことかもしれませんね。その後の戸主のやり取り、特に「宇佐八幡」での掛け合いもとても楽しいです。
吉備真備とその娘・由利も登場するのですが、由利の姉だという真備の設定には驚きました。確かに同じ時代ですし、最後には日本に来たという説もありますが…。まさか吉備真備の娘とは。これもとても山之口洋さんらしところかもしれないですね。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.