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このページは、竹内真さんの本の感想のページです。

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「粗忽拳銃」集英社文庫(2004年6月読了)★★★★★お気に入り

落語家の前座・流々亭天馬、映画監督を目指す時村和也、貧乏役者・三川広介、ライター見習い・高杉可奈。4人がいつものように終電過ぎまで下北沢の駅前で飲んだくれ、いつものように広介のアパートに転がり込もうとしていた時、空き地の隅の粗大ゴミの中にあったのは1丁の拳銃でした。引き金こそ動かなかったものの、メタリックな銃身にずしりとした手応えに、上等なモデルガンだと喜んで拾った広介。しかしふざけていじり回しているうちに時村と口論となった天馬が、売り言葉に買い言葉で引き金を引くと、なんと耳をつんざくような轟音とともに銃口が火を噴き、時村の斜め後ろの電柱に貼られた選挙ポスターの政治家の顔のど真ん中に穴が。それはモデルガンではなく、本物の拳銃だったのです。そして翌日、深夜の下北沢で謎の発砲事件が起きたとテレビで報道されることに。

第12回小説すばる新人賞受賞受賞作。
絵に描いたような青春物。大きな夢があり、その夢に向かって努力は重ねているものの、まだまだ実力不足で世に出るまでは至っていないという結びつきの4人が、道端で拾った1丁の拳銃がきっかけで、それぞれに自分の殻を打ち破り、大きな一歩を踏み出すという物語です。
拳銃を道端で拾ってしまうという非日常的なエピソードから始まる物語なのですが、この拳銃の使い方が何とも上手いですね。前半では、拳銃を持つことによって変わっていく4人の心境が描かれ、後半は、同じ拳銃によって彼らを取り巻く現実の状況が変わっていくという展開。本来単なる小道具に過ぎない1丁の拳銃が、これほど物語全体で余すところなく大活躍しているのには驚きました。そして4人の登場人物たちの、仲間を大切にしながらも、本音でぶつかっていくという飾り気のない関係もとても良かったです。まさに一緒に成長していく同志。ごく普通の就職をしていない彼らにとっては、同期のようなものですね。読んでいると素直に応援してくなります。そして4人の中でも特に良かったのは、やはり天馬。立川談志を彷彿とさせる流々亭天光の弟子・流々亭天馬。この天馬の語る落語がとても楽しいですし、飄々とした雰囲気で物語を引っ張ってくれます。最後のサゲまで綺麗に決まって、お見事でした。


「カレーライフ」集英社(2003年3月読了)★★★★★お気に入り

「お前はカレー屋を開くつもりなんだろう?」病床の父のその一言でカレー屋を開くことになってしまったケンスケ。10年以上前、洋食屋をやっていた祖父の葬儀の晩に、大人になったら祖父の洋食屋でカレー屋をやろうといとこ同士5人で約束をしていたのを、父が聞いていたのです。癌で余命1年と知った父は、祖父の洋食屋のあった土地を買い戻し、ケンスケが20歳になったら店と土地の所有者となる手筈を整えていました。深い考えもなく調理師免許を取っていたものの、子供の頃の口約束などすっかり忘れていたケンスケでしたが、死を目前にした人間に逆らうべくもなく、洋食屋があった富士市へと向かいます。しかしその日の午後、父が予定より早く亡くなることに。カレー屋の約束をしたサトル、ヒカリ、ワタル、コジロウのうち、父の葬儀に来たのはワタルだけ。ケンスケはまずワタルにカレー屋の話をした後、ワタルの賛同を得て他のメンバーを探し始めます。

装丁からして全面カレー色の本の内容は、これまたカレー三昧。ワタル特製・おでんカレーに、バーモントでケンスケとワタルとヒカリが作った3種類のカレー、チャパティとナンと一緒に出てくる本場インドのカレー、サトルvsケンイチ&ワタルで対決して作ったカレー、そして5人の原点である、祖父の作ってくれたポークカレー。次から次へと登場するカレーが、どれも本当に美味しそう。作っている過程も丁寧に描かれているので、それぞれのカレーの香りが漂ってくるような気がするほどです。特に沖縄のラフテーを乗せたカレー、実際に食べて見たいですね。そして物語は、カレーと共に日本からアメリカ・バーモント州へ、インドへ、そして沖縄へと発展していきます。「じいちゃんのカレー」と黄金伝説の謎など、ミステリ的要素や冒険小説的な楽しさもあります。
カレーをやる店は既にきちんと用意されていますし、5人のいとこたちの配置など、少々都合が良すぎると感じる面もあります。しかし読んでいると、それらのことも全て彼らの前向きな姿勢が呼び込んだ運ということで納得してしまいたくなってきてしまうのです。ほぼ見えている結末を目指してひたすら走り抜く姿は、潔くもあり微笑ましくもあります。カレーを通して旅先で様々な人間に出会い、そのことを通して自分自身のことを見つめ直すことになるケンスケ。初めは「なんとなく」カレー屋もいいかもしれないと思っていたケンスケが、いつの間にやら自分自身で積極的にカレー屋を目指すようになっていたのがいいですね。
たかがカレーと侮るなかれ!カレーの旨みと同様、様々な要素が渾然一体となった濃厚な味わいの物語でした。他の料理のメニューでは、こうはいかないでしょう。多少の無茶をしても、カレーがその全てをまとめて包み込んでまろやかにしてくれるようです。軽妙な会話とテンポの良さで、460ページ2段組も一気に読んでしまいました。作ったその日は明るく元気が出る物語、そしてカレーのように一晩寝かせたら、そこから感じるものももっと味わい深くなりそうです。カレーって本当に奥が深いのですね。


「風に桜の舞う道で」中央公論新社(2003年2月読了)★★★★★お気に入り

1990年4月。受験した大学全てが不合格に終わった小泉晶は、山の手学院という予備校の特待生となり、桜花寮に入ることに。特待生は全部で10人。晶は初日にバスを降りる時に出会った神山流太と甲斐陽司とすぐに意気投合、寮の他の面々とも次第に仲良くなります。そして10年後の2000年4月。仕事の打ち合わせで再会することになったヨージとアキラは、久しぶりに桜花寮を訪れることに。彼らが大学に入ってからバブルがはじけ、桜花寮も既に閉鎖になっていました。その時ヨージの口から出た、リュータが死んだという噂。ヨージは「社長」こと延岡耕作から、アキラは「ニーヤン」こと新山英夫から、その噂を聞いていました。リュータの実家に電話をかけても繋がらず、どうやら転居したらしいということが分かっただけ。ヨージとアキラは噂の元が誰なのか、リュータの消息はどうなっているのかを調べ始めます。

リョータの死の噂の真相を求めてアキラは10年前の寮仲間を1人ずつ訪ね歩き、その会話を通して10人の特待生たちの過去と現在の姿が徐々に浮かび上がってくる物語。予備校時代の1年間と10年後の現在の情景とが交互に描かれています。寮にいる頃の「分かれ道の交差点」に立っている10人。「この春は交差点の信号が赤だった」から一緒に暮らすことになった彼らにとっては、とりあえず大学に合格するのが一番の目標。そんな浪人生活の中で、それぞれに悩んだり焦ったり苦しんだり、遊んだりバカをやったりする姿を見ていると、自分の19歳の頃をどうしようもなく思い出させられてしまいます。私は浪人こそしていませんが、しかし彼らと同じように全くの半人前でしたし… 楽しい思い出もたくさんあるはずなのに、ここで思い出してしまうのは、なぜかほろ苦い思い出ばかり。アキラやヨージを通して、19歳の自分を、どうしようもなく追体験してしまいます。彼らの姿が、勉強一本槍のガチガチの浪人生ではないからなのでしょうね。当時の世相を織り交ぜてあるのも効果的ですね。
そしてそんな彼らも、今やそれぞれに「何本にも何本にも枝分かれした分かれ道」のうちの1本をきちんと選び取って歩んでいます。編集プロダクション、ラーメン屋経営者、営業マンや本屋、イラストレーター、公務員、大学の研究室の助手、大蔵省… 進む道は様々ですし、それぞれの思いも様々。必ずしも希望通りになっているわけではありませんし、ドラマティックな人生を送っているわけでもありません。しかし10年前のこの時期があったからこそ、「今」があるということを実感させられますね。そして今をしっかり生きているかどうかで、これから将来、またさらに変わってくるのでしょう。30歳成人説。本当にそうなのかもしれません。
過去と現在を淡々と綴っただけの物語。ただそれだけで、特に凝ったているわけでもないのに、読み終えた今、これほど爽やかな気持ちになっているのは不思議なほど。特に、親に言われるがまま志望校を決めていたアキラが自分の道を見つける部分は素晴らしいですね。とても魅力的な青春小説です。


「じーさん武勇伝」講談社(2005年6月読了)★★★★

「僕」の「じーさん」は、僕が生まれ育った田舎町では無敵の存在。「男の価値ってのはなぁ、どれだけ無茶苦茶やって生きていくかだ」が口癖のじーさんは、戦争中はサイパンで戦死したとされながらも激戦の戦場を生き抜き、捕虜収容所からも脱走、無事帰国。自分が戦死していることになっているのをいいことに、地元のヤクザの親分の邸宅に忍び込み、借金の証文を取り返したというつわもの。80歳を過ぎた現在でも、喧嘩は負け知らず。そんなじーちゃんが頭が上がらなかったのは、穏やかで優しかった婆ちゃんだけ。まだ若かりし頃の昭和初期、映画女優として活躍していた婆ちゃんにスクリーンで一目惚れしたじーさんは、映画会社に婆ちゃんを嫁にくれと直談判。京都に行っていると分かると、京都の撮影所に現れて婆ちゃんをひっさらって逃亡したというのです。しかしそのじーさんがサイパンで宝探しの最中、行方不明になってしまいます。

「神楽坂ファミリー」は小説現代新人賞を受賞したという竹内氏のデビュー作品。後日談である「かえってきたじーさん」「じーさん無敵艦隊」も一緒に収められています。
荒唐無稽、奇想天外、豪放磊落な「じーさん」の物語。はちゃめちゃで、まるで劇画のような展開。テンポも抜群。とにかくじーさんがかっこいいです。このじーさんのパワーの前には、どこからどこまでが本当でどこからが法螺話かなんて問題ではなくなってしまいますね。殺されても死なないというのは、こういう人のためにある言葉。そして家族もそんなじーさんに慣れてしまっていて、多少のことには動じない癖がついているようです。物語序盤に、「婆ちゃん」がじーさんの戦死の知らせを受け取っても「どこかでじーさんが生きているのを固く信じていたらしい」というくだりがあり、それもまた良くあることだと思っていたのですが、思っていた意味とは全く違いました。読み進めるうちに深く納得。このじーさんであれば、閻魔様を脅迫してでも、最愛の婆ちゃんの所に戻って来ないはずがないですね。
最後の方で少しだれてしまったのが残念だったのですが、読むだけで元気を分けてもらえそうな物語。楽しかったです。


「笑うカドには-お笑い巡礼・マルコポーロ」小学館(2005年9月読了)★★★★

文芸ポストに連載されていたというお笑い論。竹内真さんがたけし軍団かと思い込んでいた爆笑問題や、東京に進出した吉本興業のルミネtheよしもと、オンエアバトルから出てきたテツandトモや番組を担当していた高山アナ、そして「最後の喜劇人」伊東四朗、その伊東四朗が「これからの演劇界、喜劇界はこの人が居なかったらと考えると少々怖いぐらいだ」と言う三谷幸喜といった面々について、その「笑い」について切り込んでいきます。三谷幸喜さんだけは直接取材をする時間がなかったとのことで、本多劇場で観た「その場しのぎの男たち」とこれまでの資料だけで書かれていますが、その他の面々については、直接話を聞いての記事です。

私は普段あまりテレビを見ていないので、相当の売れっ子の芸人さんや人気お笑い番組もほとんど見ていないのですが、テレビで見ている時は面白いか面白くないかが全てで、面白ければ反射的に笑い、それだけで終わってしまいます。しかしその「笑い」をきちんと分析していくと、こういう姿が見えてくるのかというのが新鮮ですし、興味深いところですね。そのコントのどこが面白いのか、なぜ笑えるのか。例えば爆笑問題とツービートの対比について、同じ「毒舌」でも、その根底にあるものは全然違うということを、同じえひめ丸沈没事件に対するコントを例にとって、明快に論じています。はっきりと社会批判をしているツービートに対して、爆笑問題の笑いは、竹内さんいわく、風刺ではなく「物語」への笑い。実はまるで違うのですね。これはただ漫然とコントを聞いて笑っているだけでは、なかなか気付かない部分なのではないかと思います。竹内さんが漫才ブームの世代を体験した上での分析は鋭くかつ的確。なるほどこういうことだったのかと、読んでいると目からウロコが落ちる思いでした。
そして取材されている芸人さんのファンの方にとっては、テレビに映っている顔と取材されている時の素顔とのギャップも、もちろん楽しい読みどころなのでしょうね。


「真夏の島の夢」角川春樹事務所(2005年5月読了)★★★★

夏いっぱいアルバイトに励みながら芝居を作り、8月終わりに開催される演劇コンクールに出場して賞金の100万円を頂いてしまおうと鹿爪島にやってきたコント劇団コカペプシの面々。メンバーは、団長の栗本信也、脚本担当の山森大作、大学4年生の里中伸司と今田一平の4人。その面々が乗ってきたのと同じフェリーで鹿爪島にやって来たのは、今回初の官能小説に挑戦するために島のホテルに缶詰になることになった大桃佳苗と、アシスタントをしている従妹の大岩律子。佳苗は早速コカペプシのメンバーに目をつけ、4人と親しくなることに。

爽やかな夏の物語。劇団コカペプシの芝居作りや大桃佳苗の執筆の様子を中心に、自ら「ハンター」と自称する佳苗をめぐる恋愛模様はもちろん、島に産業廃棄物を持ち込む業者といった問題も交えて、盛り沢山な内容となっています。脚本と小説、それぞれお互いをモデルにしてアイディアを膨らませていくところが楽しいですね。キャラクターも個性的ですし、軽妙な語り口と展開のテンポの良さも抜群。しかしあまりに盛り沢山すぎて、1つ1つの出来事が薄味になってしまったような気もします。気付かないうちに時間も経ち、2週間という佳苗と律子の滞在期間があっという間に終わってしまったような印象。終盤のミステリ風味はいらなかったのではないかと思いますし、産業廃棄物の部分もなくても良かったような気がします。もっとアートフェスティバルについても読みたかったですし、劇団コカペプシにまつわるエピソードがとても楽しかったのに、その部分を十分堪能しきれなかったような。青春小説一本に的を絞った方が印象が強い作品となったのではないでしょうか。とはいえ、気軽に楽しめた1冊。劇団コカペプシのその後の話も読んでみたいです。


「図書館の水脈」メディアファクトリー(2005年4月読了)★★★★★お気に入り

45歳の売れない作家・甲町岳人は、ふらりと列車で1人旅に出ていました。手にしているのは、村上春樹の「海辺のカフカ」。15歳の少年が家を出て知らない街の図書館で暮らすというそのストーリーに、甲町は興奮と落胆を覚えていました。実は彼は20年以上も前から、知らない街の図書館で暮らす物語を書こうと思いつつ、なかなかそれが果たせないでいたのです。その本に導かれるようにして、甲町は西へ。一方、大学生のワタルと新米美容師のナズナは、ナズナの勤める美容院で出会い、いつしか恋に落ちていました。ナズナがつけていた「星野すみれ」という名札に目を留めたワタルが、藤子不二雄の漫画「パーマン」を思い出して話題にしたのです。しかしナズナのその名前は、村上春樹の「海辺のカフカ」と「スプートニクの恋人」という作品の中の登場人物からとったもの。ナズナはワタルに色々な本を貸し、ワタルはそれらの本を読破。そのうち2人は「海辺のカフカ」のように、四国に行きたいと話し合うようになります。

古川日出男さんが発起人となって企画した、村上春樹作品のトリビュート作品の1つ。第1弾には、古川日出男「中国行きのスロウ・ボートRMX」、狗飼恭子「国境の南、太陽の西RMX」、荒木スミシ 「ダンス・ダンス・ダンスRMX 」 、素樹文生「回転木馬のデッドヒートRMX」があり、この「図書館の水脈」は、第2弾の作品とのこと。同時発売は、「ノルウェイの森」へのトリビュート作品となっている内藤みか「あなたを、ほんとに、好きだった」。そしてこの「図書館の水脈は、「海辺のカフカ」へのトリビュート作品です。
読む前は「海辺のカフカ」のみがクローズアップされているのかと思っていたのですが、他にも様々な文芸作品が登場するのですね。「海辺のカフカ」以外の村上春樹作品はもちろん、藤子不二雄氏の「パーマン」から、徳富蘆花、「ドン・キホーテ」、「クローディアの秘密」、「ライ麦畑でつかまえて」「青春デンデケデケデケ」など、全部で50作品ほどが登場。
「海辺のカフカ」で、 カフカとナカタさんの奇数章と星野青年の偶数章に分かれていたように、この作品でも売れない作家・甲町と、ナズナとワタルの章が交互になっています。図書館に寝泊りしていた経験を思い出す甲町の、その後の将来を決めることになる運命的な本との出会い。セルバンテスの「ドン・キホーテ」と、美羽水月という作家の書いたトンデモ本は、どちらも同じぐらい彼を感動させることになります。そして、それまで読書にはまるで縁のなかったワタルの、スポンジが水を吸い込むように本にのめりこんでいく様子。村上春樹作品に始まり、村上春樹氏が翻訳したスコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、ジョン・アーヴィングなどの作品を、ワタルは次々に読破していきます。この読みっぷりが何とも気持ちいいですね。全く読書をしていなかった人間が、いきなりここまで読めるようになるというのは驚きなのですが、時にはナズナに一目置かせるような意見を出していることからも、今までは単に読む機会がなかっただけなのですね。
竹内さんの上手さが光るのは、やはりこの2つの物語が交錯する辺りからでしょう。人と人が繋がり、世界が深く広くなっていく様子が、まるで視覚的なイメージのように感じられました。この場面を読むと、「誰かが知らないところで誰かを救っている」という言葉の意味がとても良く分かります。表面には見えていなくても、1つ1つの小さな出来事がそれぞれに意味を持っているのですね。そしてそれらの出来事の繋がりこそが「図書館の水脈」を作り出すもの。様々な出来事の意外な繋がりや発展ぶりが、読んでいてとても幸せな気分にさせてくれました。
村上春樹さんと芦原すなおさんの現実的な繋がりにも驚きましたし、他にもこの作家の名前がアナグラムになっていること、ワタルが他の作品にも登場しているワタルであることなど、1冊の中に色々な驚きが詰まっていました。この作家の書いた「海で遭難した生き延びたお爺さんの自伝」をゴーストで書いた仕事というのは、私は未読ですが、「じーさん武勇伝」のことなのだそうです。竹内作品を読み込んでいけば、他にもまだまだ色々な驚きがみつかるのかもしれませんね。


「自転車少年記」新潮社(2005年8月読了)★★★★★お気に入り

南房総の新興住宅地、風の丘団地。昇平が生まれて初めて自転車に乗れたのは、今から26年前、昇平が4歳の時のこと。怖がらずにスピードを上げればハンドルも揺れなくなるし、まっすぐ速く走れるようになると気付き、思い切りペダルを漕いだ昇平。しかし練習をしていた平らな道から下り坂に入ってしまい、100メートルほど続いた下り坂をブレーキもかけずに走り続けた結果、丘の下の家の庭に突っ込んでしまいます。その家にいたのは、昇平と同じ4歳の草太と1歳年上の奏(かなで)。それがきっかけで昇平と草太は親友となることに。

小学校1年生の頃の特訓山で自転車の特訓&冒険、4年生の時の弓津浜までのサイクリング。中学生になってからは、昇平が野球部、草太が水泳部と分かれるものの、伯父が自転車屋をやっているという伸男との出会いがあり、、中学3年生の時の家出も自転車、高校になってからは自転車部を作り、卒業後に上京する時の足も自転車。そして最後が、昇平たちが29歳の時に参加する300キロの自転車ラリー。自転車はこれらの26年間の物語の主軸となっています。
普段何気なく乗っている自転車ですが、自転車に乗れるようになるだけで物理的な行動半径が飛躍的に広がりますし、自転車に乗っていると、どこまでも行ってしまえそうな爽快感があります。おそらく竹内さんご自身が、自転車がお好きなのでしょうね。彼らが自転車に乗って風を感じながら、楽しんで走っている様子がそのまま読み手にダイレクトに伝わってくるようです。物語が進むにつれ、自転車に関してはかなり競技的で専門的な方向まで突っ込んでいきますが、決して取っ付きにくくならず、とても自然。読んでいると登場人物それぞれを無性に応援したくなります。
しかもこの作品における自転車は人生そのもの。昇平も草太も伸男も自転車を通して繋がり、自転車を通じてその世界は果てしなく広がっていきます。たとえ途中で道が分かれても、時には上り坂になり、時には下り坂になり、時には立ち止まることになってしまっても、皆自転車を通して常にどこかで繋がっているのです。「たかが自転車」とは決して言えない存在。特に草太が300キロを走破しながら風を掴むシーン、そして伸男の章がとても良かったです。本当に気持ちの良い、爽やかな青春小説ですね。(そしてあの犬を連れた老人はきっと… なのですね!)


「オアシス-不思議な犬と少年の日々」ヴィレッジブックスedge(2006年5月読了)★★★★

オアシスが家に来たのは、丁度「ぼく」が生まれた日のこと。天気の良い日曜日、いつものように散歩に出かけていた「ばあちゃん」が公園のベンチに腰掛けて日向ぼっこと読書を楽しんでいると、か細い声がミーミーと聞こえてきたのです。「ばあちゃん」があたりを見回してみると、ベンチの下にタオルの敷かれた木箱があり、その中にはまだ目も開いていないような子犬が震えていました。「ばあちゃん」がその時読んでいた本から、その犬にはオアシスという名前がつけられ、ぼくと一緒に育てられることに。

ボーダーコリーのオアシスと「ぼく」、そして「ばあちゃん」の物語。
まるで竹内さんご自身の物語かと思うほど、オアシスを中心とした家族への愛情がしみじみと伝わってくる作品。この物語の中では、あまり「ぼく」の両親の存在感がなく、その分、「ばあちゃん」の存在感がたっぷりです。年をとったらこうなりたいと憧れてしまうような、素敵な「ばあちゃん」。その「ばあちゃん」の愛情に包まれて、「ぼく」も「オアシス」も伸び伸びと育っていきます。「動物と一緒に育つ子供はいい子に育つんです」という「ばあちゃん」の言葉の通り、「ぼく」もオアシスも本当にいい子たち。たとえ悲しい出来事があったとしても、最後の最後まで爽やかなまま読ませるのが、竹内さんの味ですね。
この家の「じいさん」は家をあけがちのようですが、やはりあの「じーさん」なのでしょうか。解説は芦原すなおさんで、これもまた面白いのですが、やはり芦原さんの「ミミズクとオリーブ」が良く似た雰囲気を持っているからなのでしょうか。まるで「ミミズクとオリーブ」にそのまま繋がっていくような、ほのぼのとした雰囲気の作品です。はた万次郎さんのイラストも雰囲気にぴったりですね。


「ワンダー・ドッグ」新潮社(2008年9月読了)★★★★

1989年4月6日。空沢高校の入学式に遅刻した甲町源太郎は、制服は所々破れて砂埃にまみれ、膝やこめかみの辺りには乾きかけた血の痕があり、そして制服の胸元には子犬を入れていました。遅刻した原因は交通事故。源太郎が乗っていた自転車が交差点を渡ろうとした時、左折してきた運送会社のライトバンとぶつかったのです。幸い大きな怪我もなく、高校まで歩いて来ることになった源太郎が見つけたのは、道端に捨てられていた犬。社宅住まいで犬を飼えない源太郎は、学校が終わった後に早速飼い主探しにとりかかります。

物語の中心となっているのは、時が流れ人が変わっても学校に居続けるワンダー。そしてワンダーと共に描かれているのは、ワンダーを巡る人々。空沢高校全体のペットとも言えるような存在のワンダーですが、やはり一番深い関わりをしているのはワンダーフォーゲル部の面々であり、空沢高校ワンダーフォーゲル部の10年間を描く物語でもあります。子犬だったワンダーが大きな成犬となるように、最初3人しかいなかった廃部寸前の弱小部はいつしか空沢高校の顔とも言えるような部に成長していくのです。竹内真さんには特定の人々を長いスパンで追っていくというタイプの作品が多いのですが、今回その視点は犬に固定されています。変わらないのはワンダーだけ。最初にワンダーに関わり合った高校生たちが学校を卒業しても、その当時在職していた教師が転勤や定年となって去って行っても、また新たな高校生が入学し、新たな教師が赴任してきて、それぞれにワンゲル部やワンダーと関わっていくというのがとても素敵ですね。
読んでいて一番強く印象に残るのは、作者の竹内真さんがどれほど犬が好きかということ。前作の「オアシス」も犬が中心的存在となっていましたし、本当に犬がお好きなのでしょうね。終盤の知草由貴の犬に関する発言にも、飼い犬としての犬に正面から向き合っていることがとても良く分かります。そしていつもながら、登場人物たちが素敵です。ワンダーを拾った張本人の甲町源太郎も、ワンゲル部顧問の大地先生も保健の岸田先生も、憎まれ役の堂本教頭ですらとても魅力的。読んでいるうちに、自分まで同じように空沢高校でワンダーを見守っているような気がしてきます。竹内真さんらしい爽やかな青春物語でした。

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