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このページは、高田崇史さんの本の感想のページです。

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「QED-百人一首の呪」講談社ノベルス(2000年2月読了)★★★
百人一首の札を握りしめて死んでいた貿易会社のワンマン社長。百人一首の札のコレクターであった社長がこれによって何を伝えようとしていたのか。そして藤原定家が百人一首に託した謎とは。薬剤師である桑原崇と棚旗奈々がその2つの謎に挑みます。

第9回メフィスト賞受賞作です。QEDシリーズ第1弾。
百人一首の謎がとても綺麗に解かれているので、歴史ミステリや和歌が好きな人にとっては、かなり興味深いのではないでしょうか。札の大胆な配列には説得力もあり、なかなか見事だと思います。
しかし、いかんせん説明が多いですね。これがテレビドラマに仕立てられていたら、段違いに分かりやすくなると思うのですが、文章での説明だけで理解するには少々つらいものがありました。(巻末には最終的に配列させた図がついているのですが、これはネタばれなので最後まで見れません)崇はひたすら説明する人、奈々はその説明があまり長くなりすぎないように合いの手を入れる人、という感じなので、この会話にも少し工夫が欲しいところ。私は歴史ミステリは大好きですし、和歌にも興味はあるのですが、それでもぼんやり読んでいる間に解決してしまったという印象。百人一首の謎は事件の謎を解く鍵にはなっていますが、これだけでは必然性が薄いのではないかと思います。せっかく綺麗に百人一首の謎を解いているのですから、無理矢理殺人事件に関連付けず、いっそのこと百人一首に的をしぼって深く掘り下げた方が、例えば井沢元彦さんの「猿丸幻視行」のように仕上がったのではないでしょうか。百人一首に全く興味のない人にとっては、途中の説明はかなり苦しいかもしれません。

「QED-六歌仙の暗号」講談社ノベルス(2000年2月読了)★★★★
明邦大学にある「七福神の呪い」。「七福神」を卒論のテーマとしていた学生の急死に始まった一連の事件のため、明邦大学では卒論の題材として「七福神」をとりあげることは、禁止されていました。しかし兄が死の直前に残した「七福神は呪われている」という言葉の真相をさぐるため、斎藤貴子はあえて卒論のテーマに「七福神」を選ぶことを決意。京都を舞台に桑原崇が七福神と六歌仙の謎、事件の真相に迫ります。

QEDシリーズ第2弾。
前回の百人一首同様、今回の七福神のと六歌仙の謎もとても綺麗に展開されています。実際にどのぐらいの信憑性があるのか、専門外の私には良く分からないのですが、しかし説得力は十分ありますし、新しい知識が得られたという満足感もあります。しかも百人一首が単なる作品の彩りに終わってしまった印象の1作目に比べ、殺人事件と七福神の謎がうまくリンクされていると思います。文章もこなれてきていて、話自体の流れも良くテンポ良く読めますし、満足度が高い作品。ただ気になるのは、核心部分が、薬学的な専門知識がないと全く予想もつかないという部分。これは少しアンフェアな気がしますね。それと、もう少し会話の部分の説明くささが少なくなれば嬉しいのですが。

「QED-ベイカー街の問題」講談社ノベルス(2000年4月読了)★★★★
棚旗奈々は偶然大学の先輩である緑川友紀子に再会、緑川も会員である「ベイカー・ストリート・スモーカーズ」のパーティに出席することになります。このベイカー・ストリート・スモーカーズというのは筋金入りのシャーロキアンの集まりで、現在会員は4人。そのパーティの会場で、会員の1人が刺殺されます。そしてまた1人。桑原崇がホームズの秘密を解き明かした時、殺人の謎も解き明かされることに。

QEDシリーズ第3弾。
前の2作は百人一首に六歌仙という純日本的な題材だったので、今回のシャーロック・ホームズには意表をつかれました。しかし元々の題材がミステリに近いだけあり、いかにも研究めいた前作・前々作に比べ、とても読みやすくなっているように思います。私がシャーロック・ホームズの話を読んだのは小学校の頃で、それ以来とんとご無沙汰なのですが、それでも何の違和感もなく読めましたし、また久しぶりにホームズが読みたくなったほど。シャーロック・ホームズとモリアーティ教授に関する説も、なかなか説得力があって楽しかったです。今回も、薬学的知識がないと分からない部分がありますが、しかし最後の結末には驚きました。読み応えがある作品です。

「QED-東照宮の怨」講談社文庫(2004年4月読了)★★
9月の連休に、ホワイト薬局の店長・外嶋一郎の代わりに学校薬剤師会の親睦旅行へと行くことになった棚旗奈々。しかし奥日光で一泊、いろは坂から最終目的地の東照宮へと向かった奈々は、そこで偶然、桑原崇と小松崎良平と再会します。2人は、三十六歌仙絵を盗まれた挙句、自宅の寝室で滅多突きの死体となって発見された八重垣リゾートの八重垣俊介の事件との関連で、東照宮へとやって来たのです。奈々もなし崩しのうちに、2人の行動に加わることに。

QEDシリーズ第4弾。
今回はまたしても日本的なモチーフに戻ります。今回の薀蓄は、東照宮と天海、そして三十六歌仙が中心。これらの薀蓄に関しては、いつも通り興味深く読めたのですが… しかし今回は、いつも以上に薀蓄部分と事件との関連が薄く感じられますね。ミステリ部分は完全なおまけ。この程度なら何もない方がすっきりしていいのではないかと思ってしまうほど。むしろ歴史ミステリとしてしまった方が良かったのではないでしょうか。しかも、八重垣俊介が考えていたことは、まだ理解できるのですが、犯人の思考回路に関しては、現代日本人として如何なものかと思ってしまいます。日頃思っているほど、「歴史」は遠い昔のことではないと言いたいのは良く分かるのですが、しかし現代日本という環境では、あまりに無理があるのでは。
今回は、薬学的な知識がないと分からない部分はありません。しかし小松崎の変な癖は、その部分だけが奇異に感じられます。このような設定を利用するなら、もっと生かして欲しいです。

「鬼神伝-鬼の巻」講談社ミステリーランド(2004年3月読了)★★★★
父親の転勤で京都の中学校に転校した天童純。しかし転校してから3ヶ月経つというのに、未だに友達らしい友達がいない状態。そんな純にとって、その日は悪いことばかり重なる厄日でした。学校からの帰り道、3組の武志たちに追いかけられた純は、適当に街を走り回っているうちに、見知らぬ古ぼけた寺の前に辿り着きます。その寺の名前は不二王寺。その寺の源雲という密教僧の和尚に平安時代の鬼と人との戦いの話を聞いていた純は、なんと平安時代へとタイムスリップしてしまうことに。そして純は鬼退治を命じられることになります。なんと純の胸に昔からある奇妙な痣は、雄龍霊(おろち)を甦らせることができる印だというのです。

ミステリーランド第3回配本。同時配本は、 太田忠司氏「黄金蝶ひとり」と竹本健治氏「闇のなかの赤い馬」。ミステリーランドのシリーズとしては初めてのタイムスリップ物です。QEDシリーズのことを考えると、非常に高田さんらしい作品と言えるのですが、既刊の他8冊とはまるで違うアプローチが新鮮。
平安時代にタイムスリップしてしまった純の目の前に出現したのは、「なぜ鬼を退治するのか」という疑問。おとぎ話では、ほとんどの場合、人間が正義で鬼が悪者。しかしそれは人間が鬼に勝利し、おとぎ話としてその勝利を残す権利を得たためです。常に勝利者が歴史を後世に伝える権利を得るということは、大人となってしまった今ではよく分かっている事実ですが、初めて知った時には大きな驚きのはず。鬼と呼ばれる人々の解釈に関しても、今の年齢となっては特に目新しさがあるわけではありませんが、しかし子供にとっては、かなり斬新な、目から鱗が落ちるような解釈に感じるのではないでしょうか。私自身、鬼と神の関係のくだりなど、かなり新鮮に読めました。そして鬼と貴族のどちらが正でどちらが悪なのか、それほど単純に決められずに純が悩むところも、当然ではありますが良かったです。
この話だけでも区切り良く終わっているのですが、この後「神の巻」に続くことになります。続きも楽しみ。「わたしが子どもだったころ」の「小学生の巻」の暗号も楽しいですね。
メモ代わりのネタばれ→純は海神に色々な疑問に関する宿題を出されることになります。なぜ節分には鬼に豆をぶつけるのか、なぜ河童はキュウリばかり食べているのか、なぜてるてる坊主は軒下に吊るされるのか、なぜ雛祭りに人形を飾るのか、なぞ天邪鬼やおとろしの指は3本しかないのか。私もぜひ知りたいです。

「鬼神伝-神の巻」講談社ミステリーランド(2004年5月読了)★★★★★お気に入り
今年の節分の日に、平安時代の京へと飛ばされてしまった「鬼の巻」の冒険から、天童純が現代の京都に戻って半年。純は、祇園祭の宵宮で混雑する京都の町を1人歩いていました。そこに現れたのは、白い光。その光に反応して胸の痣が熱くなっていることを感じた純は、光に導かれるようにして、小野篁が祀られている東山の六道珍皇寺の境内へと入っていきます。そして閻魔堂にある小野篁像によって、再び平安の都へと戻されることに。平安時代の京に戻った純は、すぐに水葉たち鬼神の面々に再会。平安時代は、純が去ってから1年半ほど経過しており、貴族たちが呼び寄せた帝釈天と四天王の宿敵・阿修羅王までが日本に呼び寄せられていました。協力を呼びかけるために、阿修羅王を訪ねる純と水葉。協力は断られたものの、そこで明かされたのは京の貴族たちの計画でした。貴族たちは三種の神器「八咫の鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙剣」を集めて鬼を封じる、「神のウロコ」計画を進めており、その三種の神器のうち、貴族たちがまだ手に入れていないのは、純の持つ「草薙剣」だけだったのです。

ミステリーランドの4回目の配本。同時配本は、西澤保彦氏の「いつか、ふたりは二匹」と、森博嗣氏の「探偵伯爵と僕」。 本書は第3回配本の「鬼神伝-鬼の巻」の続編。
日本古来の神々や鬼にとどまらず、天竺から阿修羅王や伐折羅大将、宮毘羅大将、摩虎羅大将ら十二神将までやって来たのには驚きました。それらの神々の参戦によって、多少物語自体が大味になってしまったような気はするのですが、しかしなかなかスケールの大きいパワフルな物語となっていて、とても面白かったです。日本のある昔話の成り立ちを見るような場面にも意表をつかれました。この作品を読んで、興味の対象がぐんと広がる子供が増えたら、とても素敵なことですね。水葉や草薙剣をめぐって、天童純が本当の愛とは何なのかを知り、一歩ずつ成長していく場面も、厳しいながらも暖かくてとても良かったです。
それにしても、弥勒菩薩が釈迦入滅から五十六億七千万年の後に下生するとは知っていましたが、まさかこのような存在だったとは露知らず… 勉強になりました。

P.76「憎しみは、勝手に自己増殖するからな」
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