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このページは、多島斗志之さんの本の感想のページです。

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「症例A」角川文庫(2003年3月読了)★★★★★
榊は、今回新しくS精神科病院に赴任してきた精神科医。事故で亡くなったという沢村医師の患者を引き継ぐために、患者1人ずつとの面接を行い、診療記録を参考にしながら自分なりの診断を下そうとしていました。そんな中で榊の注意を引いたのは、亜佐美という仮名を持つ17歳の少女。沢村医師は亜佐美を精神分裂病であろうと診断していましたが、彼女の感情の起伏の激しさや突飛な行動、虚言とも真実とも判断のつかない言動の数々から、榊はむしろ「境界例」の人格障害ではないかと考えます。境界例患者とは、医師や周囲の人間が1つ親切な行為をすると際限なく要求し、周囲が応じられなくなって拒絶すると、荒れに荒れて自傷行為や自殺未遂で周囲を振り回そうとするのが特徴。榊自身、前の病院で苦い思いをさせられていました。そして今回こそはと、亜佐美に対して徹底的に境界例シフトを敷いて対応することに。しかし臨床心理士の広瀬由起は、解離性人格障害ではないかと考えていたのです。一方、上野にある首都国立博物館にある重要文化財の青銅の狛犬に、贋作疑惑が持ち上がります。金工室の江馬遥子の死んだ父親が、昔やはり首都国立博物館に勤めており、五十嵐潤吉という人物から気になる手紙を受け取っていたことが分かったのです。遥子はその手紙を金工室の岸田室長に見せ、2人は早速狛犬のことを調べ始めます。

既に他にも多くの作品が書かれ、すっかり手垢がついた感のある解離性同一性障害というモチーフ。私もこれがラストのオチに使われることにはすっかり辟易していたのですが、しかしこの作品は、それを逆手に取ったような作品です。これはいいですね。問題について真正面から向かっており、このモチーフにも、精神病院という世界についても、既存の作品とはまるで違うリアリティを感じさせてくれます。あとがきを読むと、実際にその現場を知っている人間をも驚かせる現実感を持つ作品のようですね。さすが構想7年というだけある重厚な作品。派手に事件が起きるわけではないのですが、しかし榊の直面する現実には非常にインパクトがありますし、その1つ1つに誠実に対応していこうとする榊の姿にも好感が持てます。しかし同時に、この作品を読んでいると、以前に「精神科の医師は自身も壊れやすい」と知り合いの医師に聞いたことが非常にリアリティを持ってきます。榊のような姿勢は確実に本人の精神をもすり減らすはず。患者に近づこうとするのは、きっと医師として必要だし良いことなのだろうと思いますが、彼の場合は実際にかなりの危険を伴っているのでは。この先、榊が自分をきちんと持ったまま生きていけるのか、フィクションながらも不安になってしまうほどです。それを考えると、いわゆる「経営上手」な病院に毒された医師たちも、もしかしたら防衛本能からというのも大きいのかもしれないですね。元々は精神的な疾患をまるで持っていなくても、精神科医を目指すという時点で、既にある程度ひかれてしまいやすいものを持っているのでしょうから…。精神科医と精神分析の関係についても非常に興味深かったですし、面白いと同時に色々と勉強になる作品でもありました。
この精神病院での物語に重要文化財の青銅の狛犬の真贋問題が絡んで物語は進んでいき、ここにもそれなりの驚きはあるのですが、しかしそれにしては少々肩透かしだったように思えます。無理矢理ミステリ部分を作ってくっつけたような印象。というか、精神病院での場面との重さがまるで違いすぎて、バランスが取れていないような気がしてしまいました。とても面白く引き込まれた作品だっただけに、その点だけが少々残念です。
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