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このページは、高村薫さんの本の感想のページです。

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「黄金を抱いて翔べ」新潮文庫(2003年4月読了)★★★★
幸田は、学生時代からの知り合いの北川に声をかけられ、中之島にある住田銀行本店の地下から時価百億円相当の6トンもの金塊を盗み出す計画に乗ることに。仲間となったのは、北川の弟の春樹、北川が南港の外車ショーで知り合った野田、シルバー人材センターの斡旋で清掃をしているジイちゃん、幸田の知り合いの工大の大学院生・モモという全部で6人。ハイテクを駆使した防御システムに対抗するため、6人は計画を練り上げ、実行のための準備にかかります。

1990年日本推理サスペンス大賞受賞の高村薫さんのデビュー作。
8月の下旬に持ち上がった金塊強奪計画が実際に実行に移されるのは12月になってから。4ヶ月の期間を計画と準備に費やすというのは、用意周到な方に入るのでしょうか。その4ヶ月の期間の描写がとても詳細に書き込まれています。詳細なだけに、物語としては少々緩慢なのが難点ではあるのですが、しかし私は土地勘があるせいか、そういう面でもとても面白く読めました。金塊強奪のための準備の合間に数々のアクシデントが起きることによって6人の男たちの過去と現在、そしてお互いの利害関係も浮かび上がってきて、こちらのドラマもなかなか読ませてくれます。読み始めた時はただ胡散臭かっただけの男たちに肉付けがされ、どんどん魅力的に見えてくるのが不思議なほど。しかし見るからにワルと分かる人間ならともかく、傍から見れば普通のサラリーマンにしか見えない男たちがこのようなことを考えているというのは、想像してみると、かなり怖いことでもありますね。もう少し彼らについてつっこんで描いて欲しかった気もしますが、やはりメインは金塊強奪の実行。最後の盛り上がりは本当に見事でした。
それにしても、これがデビュー作とは本当に驚きます。高村さん独特の緻密な書き込みの積み重ねや、硬質でストイックな雰囲気を持つ文章は、この頃からだったのですね。この頃、既に高村さんの世界が作り上げられているようです。

P.16「福沢諭吉だったら、やる気はない。金塊だから、やるのさ」

「神の火」上下 新潮文庫(2003年4月読了)★★★★★
父の葬儀が執り行われた日、島田浩二はかつての師・江口彰彦に再会します。2年前、島田が15年勤めた日本原子力研究所を辞めて以来の再会。日本人の母とロシア人宣教師との間に生まれた島田は、戸籍上の父・島田誠二郎の仕事仲間である江口から有形無形の様々な感化を受けて育っていたのです。しかしそれは実は、江口によるスパイ教育でした。日本原子力研究所に勤めている間、島田はソビエトの諜報員としての道を歩むことを余儀なくされていたのです。その世界に訣別し、今は大阪の阿倍野の小さな出版社で働いている島田。しかし江口との再会や幼馴染の日野草介、日野の連れてきた高塚良によって、島田はかつての諜報の世界、そして「トロイ計画」に否応なく引きずり込まれることに。

「トロイ計画」を中心に、CIA、KGB、北朝鮮・日本公安警察という4ヶ国の諜報機関が動くスパイ小説。スケールの大きな作品です。コンピューター用語や原子力発電所関係の用語など難解な部分も相変わらずの詳細さで、緻密な情報が積み重なっていきます。前作「黄金を抱いて翔べ」に比べると、物語として格段に面白くなっていますね。諜報合戦や水面下での駆け引きがスリリングですし、その世界の上に築かれた砂上の楼閣のような人間関係の空ろさの描写も凄いです。それでいて、脇役の人間についてもじっくりと書き込まれており、存在感たっぷり。しかもこの作品に、高村さん独特のこの文章がぴたりとはまったという印象です。見事ですね。臨場感、緊張感、迫力共に素晴らしいです。とても好きなタイプの物語でした。
オリンポスの神々を欺いたプロメテウスの神の火。原子力発電所の研究者として東側に情報を流し続けた島田、そしてチェルノブイリの爆発事故でで技師だった父親を失い、父を探すうちに自らも被爆した良、「超安全」な原発を作るために北に渡った柳瀬裕司。そもそも絶対に安全な原発などあり得ないのです。原発の安全は世界の平和の下にしか存在し得ない幻想。しかし研究者たちは皆、そのことを深く考えないように耳をふさぎ続けています。二十世紀の人類の知恵とされる原発は、裏を返せば原爆でもあるのです。神の火の理想の姿と絶望の姿は表裏一体。日野の「被爆する側にとっては一緒や」という言葉が心に突き刺さります。そして一旦解き放たれる日が来た時、その火は人間も国家も焼き尽くすのですね。なんとも余韻の残る物語でした。

「李歐」講談社文庫(2001年12月読了)★★★★
6歳の時に母親に連れられて父の家から出奔、大阪の姫里にある文化住宅へと移り住んだ吉田一彰。それからはアパートの裏手にある工場が一彰の遊び場でした。しかしそこにいた外国人労働者や工場主の守山耕三に可愛がられる幸せな日々も、翌年の春の、一彰の母と趙文礼(チャオウェンリィ)の駆け落ちによって終りを告げます。そして11年後。一彰は阪大に入学し、大阪に戻ってきたその年から、工場にいた7人の外国人労働者の行方を追いはじめます。母と駆け落ちした趙らしい人間が北新地のクラブに出入りするらしい話を聞き、そのクラブでアルバイトを始める一彰。そしてそのクラブで、自らギャングと名乗る、自分と同じ年の殺し屋・李歐と出会います。6歳で母親に捨てられ、今は無為な毎日を送っている一彰と、16歳の時に国を捨てて以来、自分の力だけで生き残ってきたという李歐。両性具有をも思わせる美貌の殺し屋に、一彰は完全に魅入られてしまいます。22歳で出会った彼らは、その後大陸での再会を約束して別れるのですが…。

警察の監視対照となるようなアジア系の外国人労働者が多く登場するため、最初は国際的なサスペンスかとも思いましたが、一彰と李歐の壮大な友情と愛情の物語だったのですね。冷めきったた目で世間を眺め、人生を達観している感のあった一彰は、李歐と出会うことによって、波乱万丈の運命に引きずり込まれることになります。しかし「李歐に人生を狂わされた」とも言えるのかもしれませんが、おそらくそれは違うのでしょうね。守山工場で様々な人間を間近で見て育ち、6歳にして守山の隠した銃の部品を勝手に持ち出し、10歳でそれを組み立てたという一彰ですから、その闇の部分が、同じように闇を持つ相手を引き寄せてしまうのでしょう。この一彰の運命的な出会いの相手は、カリスマ的な殺し屋の李歐。息を呑むほど美しい外見に飄々とした受け答えと変幻自在な雰囲気によって、敵をも味方に引きずり込む力のある人物です。作品の中で、この2人が一緒にいる時間自体はそれほど長くないのですが、その中でも一番私の心に残ったのは、10年後の邂逅の場面でした。夜の一面の桜吹雪という情景の中の幻想的な再会。満開の桜は、この作品の中で何度も登場するモチーフなのですが、その中でもこの場面は印象的ですね。この2人を見ていると、この作品には女性は必要ないのだと感じさせられてしまいます。一彰にしても李歐にしても、現実的には女性と恋愛をしているのですが、でもこの2人の関係は、それらの恋愛をはるかに超越している印象があります。
一彰が幼少期を過ごす西淀川区姫里の工場地帯、一彰がバイトをしている北新地、そして阪大の校舎のある北千里と待兼山など、話の舞台として登場するのが自分の足で歩いたことのある場所ばかりで、非常にリアルに情景が浮かびました。なんだか本当にそこの街角で李歐と一彰が息づいているような錯覚。守山工場の見事な桜の木のモデルは実在するのでしょうか。もしあるならぜひ見てみたいです。

「地を這う虫」文春文庫(2003年4月読了)★★★★
【愁訴の花】…警視庁を定年退職後、警備会社で働く田岡にかかってきたのは、元同僚・須永が危篤だという電話。須永と犬猿の仲だった小谷泰弘からも電話が入り、田岡は違和感を覚えます。
【巡り合う人びと】…依願退職で警察を辞め、現在は町の消費者金融の取立てをしている岡田俊郎。取立てに行った工場でかつての不良青年と、電車の中では20数年ぶりの槇村義明と再会します。
【父が来た道】…大物政治家・佐多幸吉の総選挙のための票の取りまとめによって有罪となった父・信雄。警察を依願退職した息子の慎一郎は、佐多に声をかけられて運転手を務めることに。
【地を這う虫】…警察を退職し、昼間は倉庫会社で、夜は製薬会社で警備員として働く沢田省三。毎日通る地区に空巣が頻発していることを知り、そこから大きな事件の気配を感じます。

高村さん初の短編集。緻密な描写の積み重ねが特徴の長編のイメージが強かったのですが、短編もいいですね。短編の空気は持ちながらも、丹念に書き込んでいく筆致は長編そのまま。短編とは思えない重厚さが感じられます。
「愁訴の花」退職した刑事が、7年前の事件に改めて向き合う物語。このラストにはハッとさせられます。そして青紫のリンドウだけが色鮮やかですね。「巡り合う人びと」刑事の仕事と消費者金融の仕事という全く違う顔を見せている仕事が、実は似たような世界だったと、岡田が悟る部分が何とも言えません。岡田の感じるジレンマが痛いほど伝わってきます。高村さんは日頃からそのようなことを感じていたのでしょうか。私にとっては全くの盲点でした。「父が来た道」家族が勝手に思い込んでいた父の痛恨の思いは、佐多によってあっさりと覆されてしまいます。その佐多自身も日頃見せている政治家の顔から離れて、あっさりと素顔を見せています。それは混乱と同時に安心感をもたらすもの。やはり知らずにいていいことなどないのだと思わされます。「地を這う虫」妻とも娘とも疎遠になり、1人ぼっちになってしまった男がひたすら歩き回る姿は、本当に虫の姿と重なっていきます。それだけに最後の結末にはほっとさせられますね。
どの物語も何らかの形で警察を辞めた後の男たちを描いています。長年警察官として勤めた彼らは、警察を辞めた後も、少しの違和感に何事かの気配を察知してしまい、なかなか思うようには以前の生活から抜けきれないようですね。しかし警察という特殊な世界を生きてきたという彼らの誇りは、現実の生活にあっさり押し潰されていってしまうのです。その辺りの現実感と悲哀がよく現れていますね。4編ともどこかにハッとさせられる部分を持ち、人生の深みを感じさせる作品でした。
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