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このページは、佐藤多佳子さんの本の感想のページです。

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「サマータイム-四季のピアニストたち・上」偕成社(2003年7月読了)★★★★★お気に入り
【サマータイム】…6年前の夏休み。小学校5年生だった伊山進は、市民プールで左腕のない浅尾広一と出会います。突然の雷雨に、進と広一に誘われて、ジャズ・ピアニストの母親と2人暮らしの広一の家に走りこむことに。広一は右手だけで、ジャズのスタンダード「サマータイム」を弾いて聞かせます。
【五月の道しるべ】…小学校に入った頃からピアノを習い始めた伊山佳奈は、練習が嫌でたまらず、イライラの毎日。いつまでたっても上達せず、弟の進に「アマダレ」と呼ばれるほどなのです。5月の陽射しの中、佳奈は広い団地の中の今まで通ったことのない道で、鮮やかな濃い桃色の光を見つけます。

第10回月刊MOE童話大賞で大賞を受賞したという、佐藤多佳子さんのデビュー作。
「サマータイム」は、勝気で我儘な美しい姉に、素直で優しい弟、2人が夏に出会ったクールな少年の物語。サマータイムという、なんとも大人っぽい曲をバックに、子供たちの想いが描かれていきます。児童書なのですが、大人にもぜひ読んで欲しい物語ですね。
広一が右手だけで弾く力強いサマータイム、広一の母の友子が弾く最高にカッコいいサマータイム。進が口笛で吹くサマータイム、そして佳奈の下手くそなサポートのサマータイム。様々なサマータイムの余韻にまるで酔ってしまいそう。本を読んでいてこれほど音楽が体のうちに響いてくるのは初めてかも。そして夏の雷雨に真っ赤な自転車、キョウチクトウの濃いピンク色のドレスを着た圧倒的に不機嫌な佳奈と、蒼と緑の冷たくしょっぱい海のゼリー。情景もとても鮮やかです。夏の陽射しに相応しく鮮烈で、キラキラと眩しい物語。そして「サマータイム」の進の視点とは対照的に、「五月の道しるべ」は姉の佳奈の視点から描かれます。それまで単なる我儘少女に見えていた佳奈なのですが、この物語ではとても可愛らしく見えました。もちろん我儘で勝気は変わらないのですが、ちょっぴりいじっぱりなだけだったのですね。
毬月絵美さんの挿絵もとっても素敵。文章の雰囲気にぴったりと合っていて、子供の頃の懐かしい想いをぎゅっと濃縮して閉じ込めている宝箱のようです。

「九月の雨-四季のピアニストたち・下」偕成社(2003年7月読了)★★★★お気に入り
【九月の雨】…9月の長雨の頃、母さんが決まって弾くのは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」。母さんは、週末に種田一郎が来るので、広一にも部屋にいて欲しいと言います。種田は、今までの母さんの好みとはまるで違っていましたが、母さんの新しい恋人でした。
【ホワイト・ピアノ】…広一が引越。喧嘩別れになったことを気にしていた佳奈なのですが、手紙が来てもなぜか返事が書けません。弟の進はピアノを習い始め、逆に佳奈はピアノをやめます。そんな時、友達の野中亜紀に見せられたのは、「ホワイト・ピアノ」という絵本。お姫さまが佳奈に似てると言うのです。

「サマータイム」の続編。残念ながら「サマータイム」ほどのキラキラ感は感じられませんでしたが、こちらもそれぞれに素敵な物語。キラキラが若干減った気がするのは、怖いもの知らずだった子供の時代から、思春期へと話が移ったからでしょうか。
「九月の雨」の主役は広一。母さんのことが好きなだけに、自分の想いを抑え続け、どんどん大人っぽくなってしまう広一。しかし種田との対峙によって、「大人っぽく見える」から、本物の「大人」へと変わっていくことになるのですね。母は母、自分は自分。ちょっぴり早めの親離れ。母さんが選んだのが、それまでのどこか父親に似た男たちではなく種田であったということを、広一のために喜んであげたくなります。そして「ホワイト・ピアノ」は、再び佳奈の物語。この中で一番印象的だったのは、絵本に出てくるホワイト・ピアノの描写。「雪でできていて、鍵盤は氷。白鍵が無色透明で、黒鍵が透明なブルー。世界で一番冷たいピアノ。」なんて美しいのでしょう。一体どんな音がするのでしょうね。佳奈は「世界で一番冷たい音」がするのではないかと想像していますが、しかし現実のホワイト・ピアノから聞こえた音は、それとはまた少し違う音でした。このホワイト・ピアノ(クリーム・カラード・ピアノ)をセンダくんが引き取ることになった時には、思わずほっとしてしまいました。センダくんの弾く柔らかなピアノの和音、とても聞いてみたいです。「マイ・フェイヴァリット・シングス」のように、ふわふわとして、実現するのかどうか分からない夢も、ぜひ応援したくなってしまいます。センダくんとの出会いによって、あの佳奈も大きく成長するのだなあと思うと感慨深いものが。やはりこちらも「サマータイム」同様、音と色が鮮やかな物語でした。

「おかわりいらない?」講談社(2003年7月読了)★★★
夏休み。6歳のかすみと従兄の9歳のアキラは、静岡のおじいちゃんの家へ。好き嫌いの激しいかすみは晩御飯をほとんと食べられず、夜も家に帰りたがって大泣き。しかし次の朝、おばあちゃんが出してくれた小さな赤い座布団を見て、少し元気を取り戻します。それは40年ほど前、6歳の時に亡くなった「ママのお姉さん」の座布団でした。座布団に座ったかすみは、空腹でもないのに、大嫌いなバタートーストとミルク紅茶を全部平らげてしまいます。昼食も夕食も残さず食べ、逆に気持ち悪くなって吐いてしまうほど。そして夜中、トイレに下りたかすみは、積み上げた座布団の上に見知らぬ女の子が座っているのを見つけます。

対象年齢は小学校1年生からという絵本。肉も魚も野菜も大嫌いというかすみ。食べられるのはアイスキャンデー、いちごゼリー、マーマレードをつけたトースト、バナナ、チョコレート… まさに現代っ子といったところでしょうか。忙しく働いてる母親には、子供の食生活にまで気を配る余裕がないようですね。せっかく食パンにハチミツを塗ってもらったのに、それも食べられないだなんて、本当に困ったちゃんです。そんなかすみでも、赤いお座布団が気に入る所はなんだか可愛いのですが。
最後の解決方法が、さすが佐藤さん。本人も周囲も楽しめるに素敵な方法です。最後の一文にも嬉しくなってしまいます。これで色々と美味しく食べられるようになるといいですね。

「レモンねんど」国土社(2003年7月読了)★★★
カワルの「おジイ」は発明家で科学者。「チョコレート・ハミガキ・ドロップ」など、なめているだけで虫歯がけろりと治ってしまうという優れ物。そんな「おジイ」がある日くれたのは、レモンねんど。生き物を作って名前をつけ、友達になればいいのだと聞いたカワルは、早速チンパンジーを作って「レモニー」という名前をつけます。名前を教え、手や足やしっぽの動かし方を教えるうちに、レモニーはすっかりカワルに懐きます。しかし日曜日の朝、眼鏡をかけずにソファーに座ったパパのお尻につぶされてしまうことに。カワルは今度はスカンクのレモンクを作り、続いてオウムのレモレモを作るのですが、学校に連れていったレモレモをスガタくんにとられてしまい…。

「おかわりいらない?と同じく、小学校1年生から読めそうな絵本。レモン色の粘土で作った色んな動物が、実際に動いたり話したりするという、とっても可愛い物語。しかしつぶれてしまった粘土で、簡単に次の動物が作れてしまうのです。この部分に少々不安があるのですが…。とはいえ、ここに出てくるカワルくんやメロちゃんなら大丈夫ですね。
レモンのスカンクの出す臭いは、レモンの匂いではなかったのですね。(笑)

「ごきげんな裏階段」理論社(2003年8月読了)★★★
【タマネギねこ】…コーポの裏階段で見つけた茶トラの子猫に、ノラという名前をつけて可愛がっている小村学。しかしこのコーポはペット禁止、しかも「有沢のおばば」が目を光らせているのです。
【ラッキー・メロディー】…両親の旅行中、一樹はおじの家に居候することに。リコーダーの練習のために裏階段に出てきた一樹は、5cmはあろうかという大きな蜘蛛に「へたっぴ」と言われることに。
【モクーのひっこし】…開けるのが好きなナナは、裏階段にあるダストシュートが気になってたまりません。煙草を吸いに裏階段に出てきたパパにせがんで開けてもらうのですが、そこには…。

みつばコーポラスの裏階段に出没する変てこなモノたち。それはタマネギが大好きな猫、笛を吹く蜘蛛、そして煙男のモクー。子供たちが、驚きながらもあっさりと受け入れてしまうその存在も、親や保護者にしてみたら、なかなか信じがたいもの。しかし抵抗したりあたふたしているうちに、いつの間にかすっかり馴染んでいく様子がいいですね。特にタマネギ猫を相手にしながら、すっかり巻き込まれていってしまう小村一家の反応が微笑ましいです。そして最後の物語は、また最初の物語へと繋がっていきます。こういう趣向が素敵ですね。そのうちいつか、みつばコーポラス全体が巻き込まれていくのかも。その時には、「有沢のおばば」も巻き込まれてしまうはず。その時が楽しみです。

「ハンサム・ガール」理論社(2003年7月読了)★★★★
小学校4年生の柳二葉の家は、ヘンテコリンな家族。パパが専業主夫で、家事は丸ごと全部パパの仕事。ママは大阪に単身赴任中のキャリアウーマン。姉の晶子だけが、BFに夢中な普通の女子高生なのです。「女の子なんだから、XXしちゃダメ!」なんて言われることもありません。社会人野球で活躍し、その後ドラフト3位で横浜ベイスターズ入り、二軍選手のまま肩をこわして2年でクビになったというパパの影響で、二葉が初めてキャッチボールをしたのは4歳の時。6歳になると朝のジョギングをするようになり、バッティング・センターに行ったり、広場でノックをしたりするようになります。今の二葉の望みは、幼馴染の塩見守がピッチャーを務める少年野球チーム「アリゲーターズ」に入ること。塩見守が投げた試合を見に行った後、二葉は思い切って大場監督に入れて欲しいと頼んでみることに。

第41回産経児童出版文化賞・ニッポン放送賞受賞作品。
勇気を出してアリゲーターズに入った二葉ですが、はからずもママと同じく、男社会の中に女1人という状況で苦しむことになります。最初は負けそうになる双葉。しかし毎日負けずに出勤するママの背中のおかげで、双葉も頑張ることができるのです。いつの間にかチームに溶け込んだ双葉の気が付いた結論が、嬉しい発見ですね。これは生きていく上で本当に大切なことなのではないでしょうか。監督さんの懐の広さも素敵です。
私は、「男だから」「女だから」「男のくせに」「女のくせに」という言葉は大嫌い。それだけにこの作品の良さをしみじみと感じます。文句を言う前に、恥ずかしく思う前に、馬鹿にする前に、「自分でもやってみる」ことが大切。主婦の仕事だって、見るとやるとでは大違い。実際にやってみないと分からないことも多いですものね。実際に家事をやってみた3人が、パパの凄さを体感できたのが良かったです。
佐藤さんらしい魅力的なキャラクターと会話がいっぱい詰まった素敵な作品でした。二葉と塩見くんは、この後どうなるのでしょう。中学生、高校生になった2人もぜひ見てみたいものです。

P.127「予想していたのとはぜんぜんちがった。何か劇的なことが必要だと思ったの。例えば試合で大活躍して男の子たちが感心して仲間に入れてくれる、なんてね。でも、ちがう。小さな毎日の積み重ね。暑い夏休みに毎日毎日グラウンドに出かけ泥まみれ汗まみれでいっしょに練習する。そうやって、私“ヒーロー”にも“男の子”にもならずに、アリゲーターズの一員になれたみたい…。」

「スローモーション」偕成社(2003年7月読了)★★★
15歳の高校1年生の千佐の家族は、小学校教師の父と22歳の異母兄の「ニイちゃん」と、そして後妻である千佐の実の母の3人。ニイちゃんは傷害事件を起こして高校を退学になっており、バイク事故で左足が少々不自由なため、働きもせず家でゴロゴロする毎日。そのせいで父は千佐に修道女のような生活を望み、千佐は悪ぶりながらも門限8時をきっちりと守っています。そんなある日、千佐は水泳部の部活の時に、同じクラスのVIP級の変人・及川周子の父親が服役中だというウワサを耳にします。及川は動作がトロくて無口な子。しかし千佐の目には、無理のない動作で、のんびりと幸せそうに見えていました。

「スローモーション」の本当の理由には驚きました。それほど深い意味があったとは。しかし及川との時間を持つことによって、遊びに部活に忙しい生活を送っていた千佐も、毎日怠惰に過ごしていたニイちゃんも、確実に変わっていきます。忙しさに流れがちな毎日の中で、その流れに逆行するようにスローモーションになるということは、一度立ち止まってみるよりも、勇気がいることかもしれませんね。それに大きなパワーも必要なはず。しかし勇気を出して動きをゆっくりにすることによって、いつもの毎日がそれまでとはまるで違ったように見えてきそうです。読後は爽やかですが、意外と重い物語です。

P.175「“人生”は引き算だね。及川周子を引いてしまうと、あたしの“人生”の回答は正解になるのだ。なんてこと!」

「しゃべれどもしゃべれども」新潮文庫(2002年1月読了)★★★★★お気に入り
二ツ目の落語家・今昔亭三つ葉は、従弟の綾丸良から、緊張しないで話せる方法を教えて欲しいと頼まれます。良はバイトをしているテニス教室の生徒とのやり取りに消耗、小学校以来出ていなかった吃音がまた出るようになってしまっていたのです。三つ葉は師匠・今昔亭小三文がカルチャースクールで話し方教室の講師をすると聞き、良を呼び出すことに。その教室で、2人は会話が苦手だという無愛想な黒猫娘・十河五月、小学校でいじめられているという関西出身の村林優、しゃべり下手でこわもての野球解説者・湯河原太一という面々に出会います。そして三つ葉の落語家教室が始まることに。三つ葉はとりあえず、有名な「まんじゅうこわい」を教えようとするのですが…。

落語家である三つ葉自身の物語を主軸として、良、五月、優、湯河原という個性的な4人の物語が絡み合います。
まず登場人物が皆それぞれに本当に個性的で、生き生きと動いているのがいいですね。「しゃべれない」という悩みを持ってはいても、彼らの心の中はとても感情が豊か。しかし人一倍純粋だからこそ、傷つけられた時の痛みをなかなか忘れることができず、自分や相手の態度に自信を持てずに悩んでいます。それは三つ葉も例外ではなありません。普段の会話にこそ困っていないものの、彼自身も落語家としての喋りに対する悩みや、目指したいものと目指すべきものへの葛藤、私生活ではほのかな片思いと悪戦苦闘を繰り返しているのです。
しかし落語家が主人公だけあって、堅苦しく重い話になったりせず、軽妙に物語が進んでいくのがいいですね。時にはしんみりと、時には笑いがこぼれます。それぞれの悩みを完全に解決する良い方法が、それほど簡単に見つかるわけではないのですが、それぞれが自分の道を暗中模索し、見つけていく過程がまた良いのです。私は十河五月に感情移入をしてしまったのですが、小学生の村林優もとても良いですね。私も経験がありますが、転校というのは本当に嫌なものですし、大阪と東京の言葉と気質の違いは想像以上に大きいです。しかし自分の身を呈して笑いをとるという関西人ならではの、したたかさと強さを持った彼なら、これからの人生も自分の力で切り開いていくことができるはず。「落語は、人が自分よりみっともないと思て、安心して笑うもんや」という言葉は、本当に彼のためにあるような言葉。しみじみと心に沁みこみます。三つ葉、偉い。
たとえ普段は話すのが上手な人でも、本当に大切なことになると、なかなか口に出せなかったりします。例えみっともなくても、やはり相手に伝えようとすることが大切。落語を始めた時よりも確実にいい顔になっているであろう彼らを思うと、心が暖かくなるような気がします。本当に素敵な物語でした。

「イグアナくんのおじゃまな毎日」偕成社(2003年7月読了)★★★★
樹里の11歳の誕生日に「徳田のジジイ」が持ってきたのは、なんとイグアナ。2週間前、徳田のジジイが改築した家を見に来た時にサンルームに目をつけて、「恐竜を飼ってみる気はないかい?」と言い出したのです。ぬいぐるみならお断りと思った樹里は、「生きてるヤツなら、ほしいな」と返事。そうしてイグアナが小竹家にやってくることになったのでした。徳田のジジイはパパの大叔父で、パパが英語の先生をしている私立中学の理事長。気に入らない教師は、どんどんクビにしているという人物。イグアナを死なせるなんてことになったら一大事ということで、イグアナのために「25度以上40度以下」の環境を保ち、直射日光にあて、樹里も毎朝6時に起きて特定の野菜を使った豪華サラダを用意することになります。しかしせっかくのサンルームが放し飼いのイグアナにすっかり占領され、樹里も両親もストレスが溜まり、毎日ケンカが絶えない状態に。

第45回産経児童出版文化賞、第38回日本児童文学者協会賞、第21回路傍の石文学賞受賞作品。
樹里も両親も最初はイグアナが大嫌い。好きなフリをすることもなく、世話をするのも思いっきり嫌がっています。あまりの「大嫌い」ぶりに逆に笑ってしまうほど。しかしいくらクビがかかっていると言っても、イグアナの世話は毎日のこと。嫌々ながらの世話を毎日だなんて続くはずがありません。案の定、小竹一家は極限までストレスを溜め込んでしまうことになります。それでもこの部分に、「動物を大切にしましょう」「一度ペットにした動物には責任を持ちましょう」などという理想論がこれっぽっちもないのがいいですね。樹里がごく普通の子なのも好感度大。そして「大嫌い」がストレートに伝わってくるからこそ、後半の展開も生きてくるのでしょう。
樹里の両親も、最後の最後でいい所を見せてくれました。三者三様の反応が、その人らしくて気持ち良く、特にパパの行動にはぐっと溜飲が下がります。樹里のクラスメートの日高クンも、少し変わっているけれど、変な固定観念に囚われていないところがカッコいいですね。樹里が、「イグアナには、イグアナの考えがあって、そんなの、人間の知ったこっちゃないのだった。」と思うところが好き。実際問題として、イグアナを飼うのはまず無理なのですが、緑の夢は見てみたいです。はらだたけひでさんのイグアナのイラストもとっても可愛いくて、物語ぴったりでした。

「神様がくれた指」新潮社(2003年6月読了)★★★★
1年2ヶ月の刑期を終えて出所したばかりのスリ・辻牧夫は、出迎えに来てくれた「早田のお母ちゃん」と一緒に乗った電車の中で、「スリ眼」を感じます。それはハンドバッグやポケットに狙いをつけるスリ特有の鋭くねばっこい視線。その視線の元は、向かいのシートに座っている少女でした。一度は勘違いかと思う辻ですが、しかし辻が目を逸らした一瞬、彼女は一緒にいた「お母ちゃん」の財布を抜き取っていたのです。それは典型的なグループ・スリの仕事。少女の持っていたカバンを別の少年が持って走ります。しかし辻は少年に追いつくものの、逆に肩関節を脱臼させられてしまうことに。激痛でうずくまっていた辻に声をかけたのは、マルチェラとも赤坂の姫とも呼ばれている女装の占い師・昼間薫。手持ちの金をギャンブルですってしまい、3年間で6度目の家賃滞納をして追い出されそうになっていた昼間は、警察も病院も嫌だと呟く辻を見て、骨接ぎや整体の医者をしている大家の三沢の所へと担ぎ込みます。

どちらも指先の動きが頼りという、スリと占い師の2人の視点から物語は描かれていきます。この2人の造形が良いですね。帰る家も愛してくれる人もありながら、スリをせずにはいられない辻と、弁護士にもなれる頭脳を持ち、占いでも稼ぎながらも、ギャンブルをせずにはいられない昼間。2人とも自分の能力を上手く生かすことができず、何かが欠落している自分を持て余しています。特にいいのはスリの辻。師匠から頑固な職人気質と古めかしい犯罪美学を譲り受けている辻のスリは、犯罪行為であることを忘れてしまいそうな華麗な技。自分の仕事に誇りを持ち、美学を大切にしている姿に惹かれます。思わずこたつの台を殴った辻を見て、「よせよ」「左手でやれよ」とスリ仲間が言うシーンも印象的。彼らの周囲にいる人物がまた揃って魅力的なのですが、その中でも辻のスリの師匠・早田勘介と、昼間のタロットの師匠で、ジプシーの血を引いているというイタリア人のマルチェラがいいですね。直接物語には登場しないものの、この2人の存在が大黒柱のように物語全体を引き締めているようです。
それにひきかえ、少年・ハルの周囲の人間関係は希薄。カリスマ的な魅力を持つハルの元に集まっている彼らもそれなりに結束力は固いのですが、基盤は脆弱で、孤独を恐れています。ハルを信じ、ハルのために何とかしたいという気持ちは一見本物のようですが、生まれて初めて自分を必要としてくれたというだけ。結局思いは上滑りしていくことになります。辻や昼間の仲間に比べると、濃密度や信頼度がまるで違うのです。「マジでヤバくなった時に頼れるやつなんていないんだよ」という言葉が、痛々しくも切ないですね。そういった関係しか築けないのは、決して彼らだけの責任ではないのですが。
後半になって辻と真昼の世界が交差した以降の急展開は凄いです。まさかカーチェイスまで楽しめるとは思ってもみませんでした。最後の対決も見物。しかしこの対決だけは、もっとドライでも良かったかもしれないですね。そしていつかぜひともこの決着をきっちりつけて頂きたいものです。
とても軽快で勢いが良いのに、どこかにずっしりと残る、そんな作品でした。
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