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このページは、殊能将之さんの本の感想のページです。

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「ハサミ男」講談社ノベルス(2000年1月読了)★★★★★お気に入り
連続美少女殺人事件。被害者の首にハサミがつきたてられていたことから、犯人はいつしか「ハサミ男」と呼ばれるように。ハサミ男である「わたし」は3番目のターゲットを決めて機会をうかがっているのですが、なんと模倣犯に先を越されてしまい、結局真犯人を探す羽目に陥ってしまいます。

第13回メフィスト賞受賞作品。
題名は以前から知っていたのですが、この「シザーハンズ」を連想する題名から、色物かホラーと思い込んでいました。それが実際読んでみると、実に推理小説らしい作品。とても面白かったです。ハサミ男については最初の方でなんとなく分かっていたのですが、途中で見事にミス・リーディングにひっかかってしまい、かなり悔しい思いをしました。
ハサミ男は次の犠牲者にする予定の女子高校生の身辺を克明にリサーチし、同時に自らも幾度となく自殺未遂を繰り返すという、いかにも異常者っぽい人物なのですが、描写がしつこくないので読みやすいですね。それにハサミ男の醒めた物の見方は、高い知性をも感じさせるので、読んでるうちにだんだんと、その異常さを感じなくなってしまうのです。気がついたらハサミ男にすっかり感情移入をして読んでいました。「医師」とのやり取りもこの話の面白い所。文章にも構成にも無駄がなくて、とてもシャープな作品だと思います。次作にも期待です。

「美濃牛」講談社ノベルス(2000年5月読了)★★
フリーライターの天瀬啓介はフリーカメラマンの町田亨と共に、岐阜県の暮枝という所に行くことに。これは石動戯作という人物が編集部に持ちこんだ企画で、奇跡の泉を取材するというもの。末期癌の女性が奇跡の泉に浸かったことによって、たちまちのうちに健康体になったというのです。すでに噂は広がっており、現地のコミューンには泉に浸かって健康になりたい人間が集まっていました。胡散臭い企画に全く気が乗らない2人は、仕方なく石動と共に村へと向かうのですが、しかし地主である羅堂家の羅堂真一が泉のある洞窟を封鎖しており…。

「美濃牛」というタイトルはどういうことなのかと思いながら読んていたのですが、読み終わってみるとこのタイトルは作品にぴったりでした。しかも日本の田舎が舞台にも関わらず、ギリシャ神話を連想する「MINOTAUR」という副題がこの横溝正史的なお膳立ての雰囲気によく合っていて、なかなか良い伏線となっていますね。登場人物もなかなか個性的。特につかみどころのない石動がいい味を出しています。この人は全く探偵役らしい感じはしないのですが、気がつけばいろんな所に入り込んでいるという不思議な人物。ミステリとしての意外性も十分ですし、最後の詰めはさすがの盛り上がりです。
しかし、前作の「ハサミ男」と比べると、シャープさが足りないような気がします。途中からは一気に読めるのですが、とにかく事件が起きるまでが長すぎて、すっかりダレてしまいました。まさに牛の歩みのようですね。この部分がすっきりすれば、切れ味の鋭い作品になったのではないかと思うのですが。しかし「ハサミ男」があまりに良かったので、この作品に期待をしすぎたという面もあるかもしれません。また、作者が博学なのは良く分かるのですが、知識を可能な限り詰め込んでいるような部分が気になります。もう少し余力を残しておくぐらいの方が、スマートかと思うのですが。

「黒い仏」講談社ノベルス(2003年4月読了)★★★★★
9世紀、遣唐使の時代。唐に渡って既に40年たち、70の老齢となった天台宗の僧侶・円載は、そろそろ日本に帰ろうと、唐で集めた謎めいた経典や仏像などの秘宝と共に船に乗り込みます。しかし船は暴風雨に遭って沈没、円載も溺死してしまいます。しかし円載が船に載せていた秘宝の入っていた木箱は、そのまま福岡の阿久浜に流れ着いていたです。その中に入っていた仏像を本尊として開基されたのが、安蘭寺。石動戯作は、バイオ関係のベンチャー企業の社長・大生部暁彦の依頼で、この寺のどこかにあるという秘宝を探すことになり、助手のアントニオと共に福岡へと向かいます。そして安蘭寺の近くの旅館に泊まり、安蘭寺に残されている資料を調べ始めることに。

石動戯作シリーズ第2弾。
とにかく驚きました。出だしこそ遣唐僧であった円載が日本に持ち帰ろうとした秘宝と、身元不明の男性の死体を巡るミステリとなっているわけですが、その路線は見る見るうちにミステリから外れていきます。賛否両論の分かれる作品だというのも頷けます。しかし、前作「美濃牛」のおかげで、今回この作品にあまり期待していなかったこともあり、個人的には思いの他楽しめてしまいました。確かにこれはアンフェアでしょう。しかしそれとは全く別の次元で、「ほお、そうきたか」と思ってしまったのです。もちろん「賛否両論」の「否」の気持ちはよく分かります。しかし、もしこの事件がもっと不可能犯罪であり、石動戯作の解き明かす推理がもっとアクロバティックに見事なものだったなら…。この禁じ手を使い、その上でミステリ読みたちを納得させるには、起きた犯罪と解き明かす推理が少々平凡だったのが問題なのでは。しかしある意味、名探偵の推理に対して非常に皮肉な作品ですね。アントニー・バークリーの「毒入りチョコレート事件」的なものを感じます。
石動の助手・アントニオについても、そのうち1つの物語になることがあるのでしょうか。そちらもぜひ読んでみたいものです。

「鏡の中は日曜日」講談社ノベルス(2003年4月読了)★★★★
14年前の1987年に、古都・鎌倉の梵貝荘で起きた残虐な殺人事件を調べ直して欲しいという依頼が石動戯作の元に入ります。依頼主は巌流出版の殿田吉武。フランス文学の権威である瑞門龍司郎の家で起きたこの殺人事件では、事件直後に犯人が逮捕され、懲役8年の刑の上、5年前に既に出所していました。この事件はミステリー作家・鮎井郁介によって「梵貝荘殺人事件-水城優臣最後の事件」として雑誌に連載され、誌上でも既に解決されていたのです。しかしなぜか連載が終盤に中断されたまま本にもならず、7年が経過。殿田はその理由を、この名探偵の推理が間違えていたせいなのではないかと考えていました。鮎井郁介のミステリの大ファンの石動は、鮎井の作品が全てノン・フィクションと知り、憧れの水城優臣に会えるかもしれないとあって、二つ返事でその依頼を引き受けます。

石動戯作シリーズ第3弾。
第1章は正体不明の「ぼく」の視点から描かれた、「ぼく」と「ユキ」の物語。「ぼく」はどうやら痴呆症にかかっているらしく、その世界は何もかもがあやふやなまま。しかもそこに、フラッシュバックのように太文字の意味深な文章が挿入され、とても不安定なイメージが広がります。そして物語は2章に入り、混沌としていたものがようやく輪郭を見せることに。小説としての「梵貝荘殺人事件」と、石動戯作が調べ直している現実の「梵貝荘殺人事件」が交互に描かれ、1章で書かれていたことも徐々に明らかに。前作「黒い仏」でも、名探偵の推理に対する疑問が提示されていましたが、この作品でも、小説の中の名探偵・水城優臣の推理がもしかしたら間違いだったのかもしれないという疑惑を提示することによって、ミステリ作品そのものの存在に対する考えを新たにさせられることになります。しかし本格ミステリに対して色々な問題提議をしていながらも、同時に、本格ミステリに対するちょっぴりひねくれた愛を感じさせられる作品でもあります。
私にとっては、前回のお遊びが見られないのは少々淋しかったのですが、こちらは世界の反転も見事な正統派のミステリ作品。しかし見事ではるのですが、この驚きを引き出すための設定が、少々あざとくも感じられます。これでは偶然が過ぎるのではないでしょうか。

P.159「殿田の言うとおりだ、と石動は思った。名探偵が推理を披露し、犯人がみごと逮捕された時点で、小説は終わる。だが、現実には、その後も人生は続くのだ。犯人の人生も、事件関係者の人生も、そして名探偵の人生も…」

「樒/榁」講談社ノベルス(2003年4月読了)★★★★★
【樒】(しきみ)…紅蓮荘事件で出会った高見綾子に招かれて、名探偵・水城優臣とその助手・鮎井郁介は香川県の山奥にある飯七温泉へ。綾子の家が温泉旅館を経営しているのです。温泉郷についてすぐ、2人は天狗塚の神社の宮司が天狗を目撃したという話を小耳に挟みます。
【榁】(むろ)…石動戯作は16年ぶりに飯七温泉へ。しかし16年前とはまるで違う飯七温泉の賑わいに驚きます。16年前に高見旅館に泊まっていた大野原孫太郎が縄文時代の遺跡と縄文石器を発見し、「天狗原人」を前面に押し出した一大プロジェクトが決行され、大成功をおさめていたのです。

石動戯作シリーズ第4弾。講談社ノベルス創刊20周年記念の密室本となっています。わずか120ページで税抜き700円もするのですか。(苦笑)
しかしこの薄い本の中に2つの短編が収められているのですが、この2つの短編の関係がなんとも洒落ていました。どちらも中心となるのは密室。そもそもこの題名自体、木偏を取り払ってしまうと「密室」ということだったのですね。(なぜ木偏なのかは分かりませんが!)そして「樒」には水城優臣が、「榁」には石動戯作が登場します。言わば「樒」は理想の名探偵像、「榁」は名探偵の現実とでもいうところでしょうか。「鏡の中は日曜日」で見られた水木優臣と石動戯作の関係が、もう一歩つっこんで描かれています。もちろんこの薄さなので、凝ったトリックもややこしい人間関係もありませんが、シンプルだからこそ、最大効果をあげているような作品です。崇徳院に関する薀蓄は、少々多すぎたような気がしますが、綾子たち共通する登場人物の変貌振りも楽しい作品です。

「子どもの王様」講談社ミステリーランド(2003年12月読了)★★
あまり学校に行かないトモヤは、家に閉じこもって本ばかり読んでいる少年。そしてショウタに向かって作り話ばかりしています。トモヤのお気に入りの話は、「カエデが丘団地の外にはなにもない」という話と、4号館のコウダさんは西の良い魔女、7号館のイナムラさんは東の悪い魔女という話。そんなトモヤが、ある日子どもの王様の話を始めます。それは子供の国の支配者で、子供を捕まえてきては召使いにするという王様の話。いつもの作り話だと思うショウタですが、それらしき人物が、実際に団地の周りに現れ始めるのです。

「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」という惹句のついた、ミステリーランドの第1回配本。同時配本は小野不由美氏「くらのかみ」、島田荘司氏「透明人間の納屋」。
トモヤの言う「子どもの王様」が何を表していているのかは、薄々分かったのですが、それにしてもこのラストには驚かされました。途中のショウタのペンキのトリックによって、まるで違う結果までもが引き出されてしまったというのも十分にブラックですが、そちらの方はまだいいのです。そういうことも十分あり得ることですし、そこまで考えて行動を起こさなくてはならないということを知るのも必要なこと。しかしこのラストは…。あまりの救いのなさに、あまり子供には読ませたくない作品だなと思ってしまいました。
あとがき代わりの「わたしが子どもだったころ」に、登場人物たちが殊能さんの分身ということが書かれており、これには納得。しかし設定だけは、確かに子供向けの作品のように見えるのですが、その「子供」というのは、世間一般の「子供」ではなく、まず子供時代の殊能さんご自身と、共通するノスタルジーを持っている大人の読者に向けて、書かれた作品のように感じられます。
しかしショウタの成長物語でもあります。思わぬところで成長を促されてしまったショウタの姿がちょっぴり苦いのですが、しかしサオリとの生活はしっかりとしているようなので、きっと大丈夫なのでしょうね。
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