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このページは、澁澤龍彦さんの本の感想のページです。

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「澁澤龍彦初期小説集」河出文庫(2006年6月読了)★★★★
3つの章に分かれており、「エピクロスの肋骨」の章には「撲滅の賦」「エピクロスの肋骨」「錬金術的コント」が、「犬狼都市(キュノポリス)」には「犬狼都市」「陽物神譚」「マドンナの真珠」、「人形塚」には「サド侯爵の幻想」「哲学小説・エロティック革命-二十一世紀の架空日記」「人形塚」が収められています。1955年から1962年までに発表された全9編。

澁澤龍彦氏のエッセイや訳本は読んでいたのですが、小説を読むのは初めてです。
対象が魚であったり獣であったり、人形であったり、陰陽物を崇拝していたりと、ここの小説に書かれているのは性愛の姿としてはどれも異端の姿なのかもしれないですが、どこか爽やかな読後感が残るのが不思議。いやらしいはずなのだけれど、いやらしくないのです。やはり澁澤龍彦としての文体のなせる業なのでしょうか。この「いやらしいはずなのだけれど、いやらしくない」こそが、澁澤龍彦らしさなのかもしれないですね。
この中で一番印象に残ったのは、狼のファキイルの子供を宿すことになる麗子の物語「犬狼都市」。そして一番好きだったのは、港町の病院を抜け出したコマスケの物語「エピクロスの肋骨」。コマスケの詩を書いた紙を加えて山羊になった門衛、詩を書いた葡萄パンを食べて少女となった三毛猫。「線香花火のようにきらきら燃え」ながら、その「ふかい目の底には、実は一点毛のさきでついたほどに、半透明の真珠母いろが油の澱みのようによどんで」いるというその目の描写も素敵です。そして「撲滅の賦」は、小説家としての澁澤氏の処女作とされているのだそう。処女作にして、後の澁澤龍彦らしさを既に備えているところがすごいですね。そして「人形塚」は、作者の唯一の推理小説とされているそうですが、これはむしろホラーではないでしょうか。

「フローラ逍遥」平凡社ライブラリー(2004年1月読了)★★★★★お気に入り
水仙、椿、梅、菫、チューリップ、金雀児、桜、ライラック。八坂安守さんが長年に渡って蒐集したという植物図譜と、澁澤氏による、それらの花々にまつわるエッセイ。25種類の花々が紹介されていきます。

とにかく美しい本。ルドゥテの薔薇など、こういったクラシカルな雰囲気の植物図譜は元々大好きなので、見ているだけでも幸せな気分になれます。そして澁澤氏のエッセイも、日常の生活の中の出来事から、国内外の旅先でのこと、そして古今東西の文学や絵画、映画、ギリシャ神話や哲学などが引き合いに出されて、話題の幅がとても広いのです。薀蓄を語ろうなどという姿はかけらもなく、ごく自然体でありながらも行間からは豊かな教養が溢れ出ているような感じ。少し昔の日本の姿も垣間見ることができますし、最初の「ナルキッソスの自家中毒」の話からして、私にとっては驚きがいっぱい。目から鱗がたくさん落ちました。
絵も言葉も美しい世界。ゆっくりページを繰っているだけで、気持ちまで豊かになれそうな1冊です。

「高丘親王航海記」文春文庫(2006年6月読了)★★★★★お気に入り
唐の咸通6年、日本でいえば貞観7年、高丘親王は広州から船で念願の天竺へと向かうことに。高丘親王が初めて天竺という言葉を耳にしたのはまだほんの7つか8つの頃。父・平城帝の寵姫だった藤原薬子に、天竺の不思議な話を聞かされ、興味を覚えたのです。薬子は、やがて親王が天竺へ行くことになると予言し、自分は行かれないからと1つの光る石のようなものを暗い庭に向かってほうり投げ、「そうれ、天竺まで飛んでゆけ」と言います。そして月日が流れ、天竺に向かう船に乗り込んだ高丘親王は、この時67歳。同行するのは、いずれも唐土にあって常に親王の傍で仕えていた安展と円覚という2人の僧。いざ出航というその時、船に駆け込んできたのは、逃げてきた奴隷の少年でした。親王はこの少年を一緒に連れて行くことに決めて、「秋丸」という名前を授けます。

澁澤龍彦氏の遺作。第39回読売文学賞受賞作品。天竺へと向かった高丘親王の航海記で、「儒艮」「蘭房」「獏園」「蜜人」「鏡湖」「真珠」「頻伽」という7章に分かれています。
高丘親王というのは実在の人物なのですが、天竺へ向かうこの旅自体は澁澤氏の創作の世界。人の言葉を話せるようになる儒艮、想像上の動物であるはずの獏、人間の顔と上半身に鳥の下半身を持つ女、人の身体に犬の頭を持つ男など、山海経に登場するような生き物がごく自然に存在している、幻想味の強い夢幻譚。高丘親王にとっての現実世界と幻想世界、現在と過去と未来の境目はもうほとんど感じられず、自由気儘に行き来している感覚です。もちろん親王の夢の部分は、そのまま幻想の世界とも言えるのですが、一見現実に見えて、実は現実とは言い切れない場面もあります。大蟻食いに関する記憶が親王と他の面々とで異なっているらしいのもその1つ。…と思っていたら、高橋克彦氏の解説に「一読した限りではなかなか気付かないだろうが、いかにも幻想的な航海記のようでいて、実際はその過半数の物語が親王の夢なのだ」とありました。「親王が現実世界を旅している時は、薬子はたいてい記憶として登場し、親王が夢の中を彷徨っている時は、薬子もまた別の夢となって現れる」とも。そうだったのですね。やはりこれは夢幻譚だったのですね。作中に「アンチポデス」という言葉が登場し、「地球の裏側には、ちょうど物のかげが倒立して水にうつるように、おれたちの足の裏にぴったり対応して、おれたちとそっくりな生きものがさかさまに存在している」という説明があるように、その幻想世界と現実世界はアンチポデスとなって、鏡のようにお互いの世界を映し合っているようです。薬子とパタリヤ・パタタ姫という2人もそうですし、「秋丸」と「春丸」や、人の言葉を学んだ2匹の儒艮も、まさに映された存在。そして何度も繰り返し夢に登場する薬子その人も。この作品では、とにかく薬子の存在感が大きいですね。薬子を通して様々なものが映し出されているよう。
これまで読んだ澁澤氏の作品とはまた少し違い、まるで別次元へと昇華してしまったようです。おそろしいほどの透明感。物語の中では、鳥の下半身を持つ女を見て高丘親王が欲望を覚えるような場面もあるのですが、澁澤氏の普段のエロティシズムはすっかり影を潜めており、むしろ枯れた味わい。親王を通して強く感じるのは生への慈しみ。やはり遺作となったというのにも納得です。この高丘親王は、やはり澁澤氏自身なのでしょう。澁澤氏も、あの真珠を投げたのでしょうか。今頃、森の中で月の光にあたためられているのでしょうか。澁澤氏が亡くなって19年… 薬子は50年と言っていますし、まだもう少し時間がかかりそうですね。
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