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このページは、司馬遼太郎さんの本の感想のページです。

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「韃靼疾風録」文藝春秋(2003年5月読了)★★★★

日本では徳川幕府が天下を統一し、中国大陸では大明国がその末期を迎え、清がまさに興ろうとしていた頃。九州平戸の度島の磯に難破船が流れ着き、庄助は福良弥左衛門の言いつけで島に漕ぎ渡ることになります。しかし荷は既に流されたらしく見当たらず、船板らしきものが5〜6枚波間にゆれているばかり。詳しい調査は翌日することにして洞窟で眠りにつく庄助ですが、目が覚めると、洞窟の中には1人の異国の女性がいたのです。それは韃靼公主のアビア。松浦家は彼女を手厚く遇し、庄助を士分に取り立て、彼女を韃靼まで送り届けるようにとの藩命を下します。松浦家の目的は、庄助に韃靼の視察をさせること。韃靼が大明国を征服して王朝を建てた時のことを視野に入れ、その時には松浦家が独自のルートで交易をすることを考えていたのです。一方、弥左衛門も蘇州に渡ることになります。蘇州の教坊の雑人になって3年待つというのです。3年待てば、大明国が保つか崩れるか、崩れるとすれば誰が次代を興すかが分かるはず。庄助と弥左衛門は3年後の重陽の日に、山海関に近い洋上に浮かぶ小島で再会する約束を交わすことに。

豊臣家の崩壊から関が原の合戦における徳川家康の勝利、そして3代将軍家光が鎖国をするまでの間というのは、日本の歴史にとっても何とも微妙な時期ですね。陳舜臣氏の「風よ雲よ」もそんな時期の物語でしたが、この「韃靼疾風録」もまさにその時代を舞台にしています。韃靼の公主アビアを親元に送り届ける旅を通して庄助が見た、明と清の興亡。女真族と漢民族という2つの異文化が混ざり合っていく様子がとても興味深いです。そして大きな歴史の流れだけでなく、アビアと庄助の様子も濃やかに描かれています。始めは言葉が全く通じない庄助とアビアが、徐々に意思の疎通を交わしていく様がなかなかいいですね。そして日本が鎖国になった後、藩命という大義名分を失ってしまった庄助と、親兄弟と故郷の地を失くしたアビアが、最終的にはそれぞれ韃靼の地と日本を懐かしく思う場面も、皮肉でありながらも、面白いところでもあります。
ヌルハチからホンタイジ、そしてドルゴンへと大汗の座が移り変わるに従って姿を変えていく女真族の姿もいいですね。ホンタイジとドルゴン、タイプは全く違う2人ですが、2人とも本当に魅力的。しかし様々なものと引き換えに騎馬民族としての自由や誇りを失ってしまった女真族の姿が、心の拠り所としての故郷を失ったアビアの姿に重なり、どこか切なくなってしまったりもするのです。

P.123「明人のリイイ(礼儀)は、相手がきらいだということをかくすためにあるのです」

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