Livre TOP≫HOME≫
Livre

このページは、佐藤正午さんの本の感想のページです。

line
「永遠の1/2」集英社文庫(2003年7月読了)★★★

失業したとたんにツキがまわってきた「ぼく」こと田村宏。退職届を出した翌日に会った婚約者にはあっさりフラれるものの、競輪場の“お茶コーヒー接待所”のカウンターでは、脚の綺麗な元人妻・小島良子と知り合い、競輪は着実に勝ち続き。しかしその頃、自分そっくりの人物が同じ西海市内にいることに気付くのです。見知らぬ人間たちに、前に会ったことがあるような気がすると言われ、実の父親にまで、競輪場にそっくりの人間がいたと聞かされます。1月余りで4回の人違い。5回目の人違いも、競輪場でのことでした。見知らぬ男から突然喉仏に一撃を喰らい、殴る蹴るの暴行を受けることに。

第7回すばる文学賞受賞の佐藤正午さんのデビュー作。27歳にして失業して以来、月に6日通う競輪の儲けで暮らす田村宏の1年を描いた物語です。
この作品がすばる文学賞を受賞したのは昭和58年。長島が監督を務める巨人に江川が入団して2年目、原が入団する1年前、という時代が舞台。山口百恵が現役で、有線では「ダンシング・オールナイト」がかかっています。こんな風に時代を描いた作品は、その時代が過ぎてしまうと古く感じられてしまうのが難点。作品が書かれたまさにその時代に読まないと、同じような感動はなかなか得られないのではないかと思います。しかし読んでいるうちに、いつの間に時代のギャップに対する違和感が消えていました。さりげなく散りばめられた野球や映画、本などの話に、ほんのり懐かしさをも感じながら読了。その時代に生きていた人間なら、大丈夫なのかもしれないですね。それでもリアルタイムで読めなかったのが惜しいのですが。
物語では特に大きな波もなく、日常の出来事が淡々と描かれていきます。このさりげなさは、村上春樹的。この時代ならではの作風なのでしょうか。読み始めは、いつになったら本題に入るのだろうと思っていたのですが、気付けばいつの間にやら核心に迫っており、物語の中に入り込んでいました。ただ、主人公の田村宏に関してだけは、どういう人間なのか最後までどうも掴みきれなかったのですが…。
田村宏が婚約者に去られた後の、伊藤公の「永遠のひとしずく」という言葉がいいですね。


「王様の結婚」集英社(2003年7月読了)★★★

【王様の結婚】…駐車場での仕事をしている男・鐘ヶ江晋は、忘れている記憶を思い出さないように気を付けながら、レモン色の車に乗る咲子と付き合っていました。しかし半年ほど前に競輪場で出会った坂本によって記憶は揺り起こされ、咲子にも3年前に何があったのかと聞かれるのです。
【青い傘】…高校の国語の教師をしている伊藤は、青いフリルのついた雨傘を持て余していました。それは高校の同級生・木塚妙子に借りた傘。伊藤は11月に結婚する予定なのに、10年ぶりに再会した妙子の家に泊まってしまったのです。彼は傘を持て余しながら、妙子のことばかり思い出していました。

どちらも過去を引きずり、他に心を惹かれながらも、現在の生活はそのまま惰性で進んでいく、そんな感じの物語。「王様の結婚」は、3年前に「のんちゃん」にフラれて以来、世の中全てに興味を失ってしまった鐘ヶ江が主人公。しかし主人公よりも、吉田と園子という高校生の時からのカップル、そして吉田の浮気相手の久美の方が印象に残りました。10年たって変わってしまった夫婦。それはどちらかのせいというわけではなく、しかしどちらとものせいでもあるはず。もちろん10年経てば人も物も変わります。それを変化と受け取るのかどうなのか。何十年の人生を通して添い遂げる夫婦がいることを考えれば、高校時代から付き合っていた彼らは、子供の恋愛の延長だったのかもしれません。しかし添い遂げたように見える夫婦も、本当に愛し合って何十年を過ごしたのか、それとも惰性で何十年を過ごしたのか、外から見ている限り分からないことなのですね。「青い傘」の伊藤は、小心者で慎重で後ろ向きで、それほど大したことを成し遂げたわけでもないのに、既に守りに入っている男性。しかしこれは全くの他人の話ではなく、誰でも持ち合わせている部分がクローズアップされているだけ。そして彼もまた、結果的に妻と何十年もの人生を添い遂げたとしても、恐らくそのほとんどは惰性で過ごすことになるのでしょうね。


「バニシングポイント」集英社文庫(2003年7月読了)★★★

【運転手】…今年40歳になる武上英夫の3つの秘密。それは内緒の銀行口座、勤務中のちょっとしたゲーム。そして5年前の、放火事件の起きた冬の夜にタクシーに乗せた、高野と名乗る女性のこと。
【恋】…山田宗雄が家に帰ると、家庭教師に出たはずの妻から電話が。宗雄の勤める新聞社のビルから人が飛び降りたので心配になったと言うのです。飛び降りたのは高野良重という29歳の女性でした。
【伝言】…買い物に出た武上和恵は、見知らぬ少年に声をかけられます。佐久間が和恵に会いたがっているというのです。佐久間は和恵が17年前に付き合っていた男。和恵は会いに行くことに。
【姉】…美容院の雇われ店長をしている有坂弓子は、偶然高校時代の同級生・七草まゆみに再会。それがきっかけで、竹中昭彦を連れて、七草夫妻と山田夫妻と食事に行くことになります。
【拳銃】…新聞記者をしている七草歩は、拳銃を手に入れようと、ある男に紹介された少年に会いに行きます。妻のまゆみは40歳の独身男と浮気中。その男は他に2人の20代の女性とも逢っていました。
【カード】…竹中昭彦は有坂弓子の両親との挨拶も済ませ、現在は結婚を前提に同棲中。その日、母の入院に合わせて帰省していた弓子の妹・弘美を、車で市内まで送ることになります。
【少年】…ハンバーガー屋LUREに入った武上英夫。前日国道で起きた、普通乗用車がトラックに激突した事故のことを新聞でみつけ、4日前に乗せた若い客のことを思い出します。

40歳という、既に若いとは言えず、そうかといって老けたとも言えない年代の人々を描いた連作短編集。武上英夫と和恵夫婦、山田宗雄とみどり夫婦、有坂弓子竹中昭彦のカップル、七草歩とまゆみ夫婦、という4組のカップルが中心に描かれています。それぞれの人間がそれぞれに小さな事情や秘密を持ち、その物語が他の人間の物語へと微妙にリンクしていきます。
バニシングポイントとは、絵画の透視画における消尽点、もしくは物の尽きる最後の一点のこと。しかしこれらの登場人物たちは、キャンバス上に描かれた線が全て収束するようには、収束していないようです。それが中途半端に感じられてしまったのが少々残念。それぞれの物語によって主役が変わっていく以上、収束点をもう少し鮮やかにしないと、焦点がボヤけてしまうのではないでしょうか。それと、新しく登場した人間が主役になることによって、それまで登場していた人間の別の側面が見えてくるというのがもう少しあれば、更に良かったのではないかと思うのですが。
7編の中では「拳銃」が面白かったです。この七草歩とまゆみ夫婦の物語をもっと読んでみたいです。

P.110「ほら、起こるのはいつも心の中でいちばん恐れていることだ、って言うだろ?」


「Y」角川春樹事務所(2003年6月読了)★★★★★お気に入り

出版社に勤める秋間文夫のところに、都立高校時代の同級生だという北川健からの電話。北川の名前に全く覚えがない秋間は、高校時代の親友と聞いて混乱。なかなか会いたがらない秋間に向かって、北川は1つの物語を読んで欲しいのだと言います。それは北川が実際に体験した物語。そして3日後、北川の代理として、加藤由梨と名乗る女性が秋間の元へ。由梨は、銀行の貸し金庫にある物を全て秋間に渡すよう指示されていました。貸し金庫に入っていたのは、物語の入っているフロッピーディスクと現金500万円、そして9桁の数字の打ち込まれた西里真紀名義の預金通帳と印鑑。「いまは何も聞かずに受け取ってほしい」という手紙に、秋間は全てを家に持ち帰り、フロッピーの中の物語を読み始めます。

時空を超えて、人生をやり直すことになった男性の物語。
「あの時、こうしていたら」という思いは、誰でも持ったことがあると思います。人生には常に選択がつきまとい、その選択によって未来の姿はどんどん変わっていきます。そしてその選択が正しかろうと正しくなかろうと、人は生き続け、選び続けなければなりません。
北川は18年前に戻れて、本当に幸せだったのでしょうか。もし戻れないまま人生を生きていったとしても、鈍い後悔は残るにせよ、それはそれで幸せだったのではないでしょうか。そもそも失敗して後悔をしたことのない人間など、いるわけないのですから。なのに北川は人生をやり直すことになります。今度こそと意気込む北川。単純に考えれば、未来に何が起きるのか分かっているのですから、やり直した北川の人生が上手くいかないはずはありません。しかし北川の人生は大きく変わってしまうのです。戻ってしまったことによって、逆にほろ苦さを感じさせられる、そんな人生を北川はどう思ったことでしょうね。思いもかけない展開に驚き悲しみ、焦り、苛立つ。そして最後にやってくるのは諦観。
作品中でケン・グリムウッドの「リプレイ」が引き合いにだされていますが、私はこちらの作品は未読。おそらく、かなり雰囲気は違うのでしょうね。そして西澤保彦さんの「七回死んだ男」も、ある意味とてもよく似ていますが、こちらも雰囲気はまるで違います。どちらかといえば、東野圭吾さんの「秘密」や、北村薫さんの「スキップ」。これらの作品に感じる切なさに、かなり近いのではないでしょうか。しかし切ないながらも、しっとりとした読後感のある作品でした。


「ジャンプ」光文社(2003年6月読了)★★★★★お気に入り

月曜日から出張で札幌と仙台に行く予定になっていた三谷純之輔は、日曜日の晩に南雲みはるのマンションに泊まることに。そして日曜日の夕方、3泊4日分の荷物を持った三谷は横浜でみはると落ち合い、中華街で晩食を食べ、みはるの知っているカクテル・バーへ。しかしここで三谷は「アブジンスキー」というカクテルで悪酔いしてしまいます。やっとの思いでみはるの住むマンションに辿り着く2人。しかしその時、みはるはリンゴを買い忘れていたことに気付きます。みはるは三谷に部屋の鍵を渡すと、「リンゴを買って五分で戻ってくるわ」と近くのコンビニへ。しかしそれきりみはるは部屋に戻って来なかったのです。翌朝、三谷はみはるを心配しながらも予定通り出張へ。出張から帰ってきてもみはるが戻っていないのに驚いた三谷は、丁度部屋にやってきたみはるの姉と共にみはるの行方を捜し始めます。

2001年度の週刊文春のベスト10で7位、本の雑誌では1位となっているという作品。
失踪した当日から、8日目、14日目、1ヶ月目、半年、5年後と話は進んでいきます。その間に三谷はみはるの足跡を1歩ずつ辿り、さまざまな人間から話を聞きます。少しずつ「何か」が分かり、しかしその「何か」はまた新たな謎を呼ぶことになります。リンゴの話など、妙に細かい描写が微笑ましくも印象的。
突然失踪した「みはる」と、とりあえず出張に出てしまった三谷。この2人のどちらを理解するかによって、読後感が全く変わってきそうです。私にしてみれば、心配しながらも、結局予定通りに出張に出てしまった三谷にリアリティを覚えるのですが、彼の行動に怒りを覚える女性読者も多そうです。私はどちらかといえば、みはるの方が、物事に直面するのを逃げてるようにしか思えませんでした。衝動にまかせて消えてしまいたくなることがあるというのはよく分かりますし、自分の道を自分で選び取ったと言えば聞こえが良いです。しかし残された人たちの気持ちはどうなるのでしょう。ただ単に問題を棚上げしてしまっているだけのようにしか思えません。…というのも、最後になってみて始めて思うことなのですが。確かに、この出来事のきっかけが「アブサンスキー」だなんて思っている三谷も相当能天気ですし、結局自分で自分の道を選んだのではなく、楽な方へと流されているわけなので、どっちもどっちなのでしょうね。
最終的にこの2人は5年後に再会することになります。その時に、失踪の原因やその間の出来事などが語られることになるのですが、これには驚きました。恋愛小説だとばかり思っていたのですが、実はしっかりミステリだったのですね。面白かったです。

Livre TOP≫HOME≫
JardinSoleil

Copyright 2000-2011 Shiki. All rights reserved.