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このページは、島本理生さんの本の感想のページです。

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「シルエット」講談社文庫(2005年7月読了)★★★★
【シルエット】…柔らかくてどこか暖かい霧雨のような冠くんと別れ、今は「せっちゃん」と付き合っている「わたし」。しかし確かにせっちゃんが好きなのに、冠くんのことが忘れられないのです。
【植物たちの呼吸】…植物たちの呼吸だけが響く静かな部屋で江島君を待つ「私」。
【ヨル】…中学から帰ってきて制服のまま夜まで眠り込んでしまった沙夜は、ビデオ屋と古本屋へ。そこでクラスメートの神谷徹と黒猫に出会います。

「ヨル」は15歳で「鳩よ!」掌編小説コンクールの年間MVPを受賞した島本さんのデビュー作。そして表題作の「シルエット」は、第44回群像新人文学賞最優秀作の受賞作品。
どの作品も若さが匂い立つよう。とにかく若さが眩しいほどに迫ってきます。「シルエット」の「わたし」は高校生、「植物たちの呼吸」の「私」は、高校は卒業しているもののおそらく20歳前後。ヨルの沙夜は中学生。それぞれに作者の島本さんご自身の同年代の少女や女性を描いているということもあり、その若さはごく等身大。10代特有の、繊細で尖った部分が綺麗に描写されていて、その頃のほろ苦い感情が懐かしくも切なく思い出されてきます。
誰かが好きになり付き合うことになっても、かなりの確率で別れは訪れます。双方が別れたいという強い気持ちを持っていれば問題ないのですが、多くの場合は、片方の気持ちが離れてしまったために、もう片方には無理矢理の別れが訪れることに。そして気持ちが残ってしまうのですね。人を好きになるということは理屈ではないからこそ、残ってしまった気持ちはコントロール不能。時間しか解決することができない領域。しかしそんな感情に、「シルエット」の「わたし」は苦しむことになります。本当にせっちゃんのことが好きなのに、それでもやはりどこかに残っている冠くんの面影。こんな思いをしたことのある読者は多いはずですし、おそらくこの作品によってその時の生々しい気持ちを思い出してしまうはず。この「わたし」の周囲にいる冠くんやせっちゃん、はじめくんという面々がそれぞれに魅力的で、「わたし」の瑞々しい魅力を引き出していますね。
「植物たちの呼吸」は、読んでいるだけでも植物の吐き出す息に息苦しくなってしまいそうな作品。しかもそこにいるのがグリーンイグアナ。緑に圧倒されてしまいそうですね。「ヨル」は、「沙夜」と猫の「ヨル」とカポーティの「夜の樹」… と夜尽くしの作品。3作とも主人公が母子家庭というのが少し気になりますが…

「リトル・バイ・リトル」講談社(2005年7月読了)★★★★
橘ふみは母親と小学校2年生の異父妹・ユウと3人暮らし。受験勉強のさなかに母親が2度目の離婚をしたため大学進学の費用が捻出できず、受験を断念せざるを得なかったふみですが、高校を卒業してからは、習字を習いながらバイトに励む日々。そんなある日、母親の新しい職場となった整骨院で、1歳年下の市倉周と出会います。ふみは、キックボクシングをしているという周の試合を早速見に行くことに。

史上最年少の20歳で野間文芸新人賞を受賞したという作品。第128回の芥川賞の候補にもなったという作品です。
あとがきによると「明るい小説にしようと、最初から最後までそれだけを考えていた」のだそうで、確かにこれは不思議な明るさを帯びた作品と言えそうです。ふみの家は母子家庭で母親は2度も離婚していますし、大学に行きたくても学費がどこを押しても出てこない状態。しかも物語の冒頭で母親が勤める整骨院の院長が夜逃げしてしまい、有無を言わさず失業させられています。お世辞にも明るいとは言いがたい状況なのですが、それでもふみの家族も、習字教室の先生である柳さんも、そんな時に出会った周やその姉も、ふわりと明るい空気をまとっているように感じられました。皆それぞれに無駄に力まず、ごく自然体で生きているからなのでしょうね。6年前の誕生日に自分をすっぽかした実の父に対しても、ふみは哀しくこそあれ、憎しみのような負の感情は持っていません。あるがままの現実を受け止めて、尚且つ前向きに進んでいく… その前向きの姿勢自体がごく自然なのです。
ふみと周が一歩ずつ近づいていく様子もとても初々しく伸びやか。「喋りたくないことはとにかく、俺、なんでも聞きたいし、聞きます」という言葉が素敵です。読んでいてとても穏やかな気持ちになれる、気持ちの良い作品でした。

「生まれる森」講談社(2005年8月読了)★★★★
高校3年生の時に予備校の教師・サイトウさんと付き合い、そして別れ、自暴自棄になった「わたし」は気楽な男の子たちと適当に付き合った挙句妊娠。家では父親が逆上します。中絶から数ヶ月。大学の夏休みを目前に、家族との時間が増えるのを憂鬱に思っていた「わたし」は、友人の「加世ちゃん」が夏休みに京都の実家に帰省するという話を聞き、留守中のアパートを借りる約束をすることに。「わたし」は、友人の中でただ1人事の次第を打ち明けた高校時代の同級生「キクちゃん」と親しくなります。

第130回芥川賞候補となった作品。その時の受賞者は綿矢りささんと金原ひとみさん。
「わたし」が初めての恋を失い、そして入り込んでしまった深い森を抜けるまでの物語。しかし主人公の「わたし」が、いくらサイトウさんとの恋に破れて壊れてしまったからといって、そんな風にお気軽な男の子たちと適当に付き合わずにいられなくなってしまうような人間には見えず、しかも妊娠という結果に終わったことについて、あまり罪悪感も感じていないようだったのが違和感でした。そんな行動を取らずにはいられなかったほど、サイトウさんを一途に想っていたということなのでしょうけれど…。しかも堕胎のことが作中ではあまり重く扱われていないのですね。
しかしよくよく考えてみると、一見恋愛関係のトラブルとは無縁そうな主人公が実は自暴自棄な行動に出ていて、いかにも軽そうな、夏休みにキャバクラでバイトをしていたキクちゃんの方が、「けど、やっぱり好きじゃない人と寝ちゃだめだな」という発言をするというのが、現代らしさを端的に表しているような気もします。
キクちゃんの兄・雪生との緩やかな付き合いを通して、深い暗い森の中から徐々に周囲が明るくなっていく、どこか希望が満ちてくるところが爽やか。その雪生もまた重いものを背負っているので、「わたし」を受け止めるだけの度量がありそうで、それもまた良かったです。誰か見守ってくれる人がいるだけでいい時、それだけで安心できる時というのは、確かにあるものですね。

P.48 「本当はもう終わっていて、わたしだけがまだ、どうすれば良いのか分かってないんです」

「ナラタージュ」角川書店(2005年3月読了)★★★★★お気に入り
大学2年のゴールデンウィークが終わる頃、工藤泉にかかってきたのは、高校の演劇部顧問の葉山からの電話。3年生が春に卒業して、部員が高校3年生の3人だけになってしまったため、卒業生も芝居を手伝って欲しいというのです。部員は塚本柚子と新堂慶、そして金田伊織。卒業生で泉の他に週1回ほどの練習に参加することになったのは、同学年だった黒川博文と山田志緒、そして黒川の連れてきた小野玲二の3人。脚本は「お勝手の姫」に決まり、練習が始まります。

純粋な恋愛小説です。
いくら好きになっても、たとえいくら相手も自分のことを好きになってくれたとしても、決して幸せな結末を迎えることのない2人。それが分かっていて、それでも尚、相手を求めてしまう泉。こう書いてしまうとごく普通の物語のようですし、実際、特に独創的な展開があるわけではないのですが、それでも淡々と相手を思い続ける泉の姿、そして思わず心情を吐露してしまう泉の率直さがとても切ないのです。あまり感情を表に出さないタイプの泉ですが、その心情や心の揺れ動きはとても良く分かります。それなのに、葉山先生はなぜ泉を選ぶことができなかったのでしょう。こういう男性もいるものだというのは頭では良く分かっていますが、その辺りが今ひとつ伝わって来なかったのが残念。それでも泉にとっては、この結末がむしろとても良かったのだと思います。読み終わってからまた最初に戻ると、冒頭の「きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ」という言葉がしみじみと響いてきました。この男性のように全てを受け止めてくれる人が傍にいてくれるなんて、本当に幸せなことですね。
ナラタージュとは、映画やテレビなどの回想場面でナレーターがストーリーを解説するという意味のフランス語。そう言われてみると、この物語自体が二段階の回想シーン(大学2年の泉と高校3年生の泉)から成り立っていますし、自分のことをどこか客観的、突き放したように眺めているような雰囲気がぴったりですね。

P.360「これしかなかったのか、僕が君にあげられるものは。ほかになにもないのか」

「一千一秒の日々」マガジンハウス(2005年9月読了)★★★★
【風光る】…付き合って4年。哲の提案で、私と哲は珍しく休日に遊園地へ。
【七月の通り雨】…大学の劇団の公演の後、遠山宗一は佐伯瑛子に花束を渡します。
【青い夜、緑のフェンス】…バーテンダー針谷は、太っているのがコンプレックス。
【夏の終わる部屋】…長月は飲み会で知り合った永原操と付き合い始めます。
【屋根裏から海へ】…真琴からの哲と別れたという電話で、加納と真琴はまた会うことに。
【新しい旅の終わりに】…高校時代の恋人・加納と旅行に行くことになった真琴。
【夏めくる日】…数学の宿題をしていた瑛子は、教師の石田に手伝ってもらうことに。

少しずつ繋がりを見せる7つの連作短編集。最初の話の脇役が次の話では主役にまわり、その話の脇役がその次の話の主役になるという繋がりは、かなり好きな形態。あとがきにも書かれているように、「生真面目だったり融通がきかないほど頑固だったりするのに、その反面どこかウカツで変に不器用」という登場人物たちの出会いや別れ、そして恋が描かれていきます。この7編のうち3編は男性視点。考えてみると、島本さんの作品で男性視点というのはこれが初めてだったのですね。男性視点の物語が想像以上に印象的で驚きました。
7編の中では、まず「青い夜、緑のフェンス」が好きです。100キロを越すというバーテンダーの針谷は自分の外見にコンプレックスのある青年。高校の同級生だった「恵ちゃん」と付き合いながらも、「ずっと彼女はなにか勘違いしているのだと僕は疑っていた」というほどです。長月に「あんなに可愛い子が」と言われる一沙からに懐かれながらも、その気持ちに気付くことはありません。一沙にどんなにひどいことを言われようとも受け止められる器の大きさと強さ、優しさの持ち主なのですが、いざ一沙に迫られてみると、「男なのに胸があるんだよ」と触らせてかわしてしまう針谷。これはこれ以上傷つきたくないという彼の弱さ、逃げなのでしょうね。「皺だらけになっても背中が曲がっても私は私なんだからべつにちっとも怖くないんだよ」と言い切ることのできる一沙だからこそ、針谷の良さが分かるのでしょう。本当はいざという時に頼りになる素敵な男の子です。
そして「屋根裏から海へ」「新しい旅の終わりに」に登場する、真琴の高校時代の恋人だった加納くんも良いですね。寡黙で何を考えているか分からないような男の子ながらも、家庭教師先の教え子・弥生の姉の沙紀に迫られるときっぱりと拒絶しますし、真琴と旅行に行くことになった時も、きちんと父親に女の子と行くと説明するような男の子。正しい言葉遣いをし、上辺だけの言葉のやりとりはしないタイプ。彼の誠実さは、時には不器用極まりなくなってしまうのでしょうけれど、安心して信じられる、そんな暖かさががあります。
これまでの作品、特に「ナラタージュ」のような熱さは感じられませんでしたし、あまり幸せな場面ばかりとは言えない作品でしたが、それでも読んでいて心地良い穏やかさがありました。
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