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このページは、鷺沢萠さんの本の感想のページです。

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「帰れぬ人びと」新潮文庫(2002年2月読了)★★★★★
【川べりの道】…毎月同じ日に川べりの道を歩いて、父の家に生活費をもらいに行くのは吾郎の役目。振込みにせずに直接取りに行くのは、姉の時子の意地でした。しかしある日父の家に行った吾郎は、自分達姉弟のことで父と女が喧嘩しているのを耳にしてしまいます。
【かもめ家ものがたり】…京浜急行のほど近いところにある「かもめ屋」。品川にある親方の料亭で修行をしていたコウは、2年前からここの店を一手にまかされています。しかし「かもめ屋」という屋号は、コウたちが店に来る前からの名前。前の持ち主の暖簾が残っていたのです。
【朽ちる町】…「聖光園」というキリスト教系の幼稚園の2階で週3回、小中学生相手の塾の講師をしている英明。しかしこの土地にくると、英明は時々どうしようもなく嫌な臭いを感じるのです。金属の腐るような、温度の高い臭い。しかし生徒に聞いても、皆首をかしげるばかりでした。
【帰れぬ人びと】…翻訳を請け負う小さな会社に、アルバイトで入ってきた知生恵子。彼女を見た村井は、かつて父が騙されて家も会社も失った時、唯一憎悪を見せたのが父の友人の知生だったことを思い出します。果たして知生恵子はその男の娘なのでしょうか。

どの作品も、読んだ後に寂しくなるような切なくなるような物語。出てくる人々は皆、自分の帰る場所を探し求めているのですね。帰る場所とは言っても、具体的に家や土地の場合もありますし、家族や大切な人の待つ場所ということもあります。しかしそういう場所を持っているかどうかで、心の持ちようも違ってくるのでしょう。「自分には帰る場所がない」という喪失感は、何よりも大きな感情なのかもしれません。おそらく「朽ちる町」の英明の感じる「臭い」が、帰る場所を象徴しているのですね。住んでしまっている人にはあまりにも自然で分からなくても、でも確かにそこにあるもの。他人には不快なものかもしれなくても、確かにそこの場所の臭い。
「川べりの道」は、鷺沢さんが18歳の時に最年少で芥川賞を受賞したという作品。10代でこの完成度は本当に凄いですね。

「海の鳥・空の魚」角川文庫(2002年2月読了)★★★★★
短い20の短編を収めた作品集。1つ1つの作品はまるでスケッチのようで、ごく何気ない日常の風景を切り取っているだけのようなのに、どれもとても印象的。何度も読むと、その度に味わいが深まりそうな作品ばかりです。1つ1つの瞬間が、鷺沢さんに切り取られることによって、色鮮やかに見えてきます。
いくつか印象に残った文章があるのですが、その中でも一番印象的だったのは「クレバス」の中の伍長の言葉。「人生には不運な時期があるよ。雪山のクレバスにはまってしまうみたいなね。そういうときはなるべく首を縮めて、時間が上を通り過ぎるのを注意深く待つのさ。次に首を伸ばしたときには、きっと素敵な眺めを見られるものだよ。」…これは今の私にも、これからの私にも大切な言葉となりそうです。また、主人公たちと同じ20歳前後の時の自分ならきっと、「グレイの層」の「スーパーヒーローや黒や白だけで世の中がつくられているわけではない。厚い、優しい、そして本当はいちばん重要なのかも知れない、グレイの層があるのだ。」が、おそらく一番印象的だったんだろうなと思います。
そして、あとがき「海の鳥・空の魚」の冒頭の、「どんな人にも光を放つ一瞬がある。その一瞬のためだけに、そのあとの長い長い時間をただただ過ごしていくこともできるような。」という言葉。これも、今の私には実感を伴って感じられる言葉です。その一瞬にしがみつきたいとは思いませんが、しかしずっと大切に忘れることなく、その存在を感じていたいものです。

収録作品:「グレイの層」「指」「明るい雨空」「東京のフラニー」「涼風」「クレバス」「ほおずきの花束」「金曜日のトマトスープ」「天高く」「秋の空」「月の砂漠」「ポケットの中」「アミュレット」「あたたかい硬貨」「カミン・サイト」「柿の木坂の雨傘」「星降る夜に」「「横顔」「卒業」「海の鳥・空の魚(あとがき)」

「葉桜の日」新潮文庫(2001年10月読了)★★★★
【葉桜の日】…幼い頃に「志賀さん」にひきとられ、19歳になる今まで育てられてきたジョージは、志賀さんに連れられてロクさんという人の所を訪れた時、志賀さんが「賢佑(まさひろ)」というジョージの本名を口にしたのを聞き驚きます。今まで誰も、ジョージをその本名を呼ぶ人はいなかったのです。なぜ自分は皆にジョージと呼ばれているのか、なぜ志賀さんが自分を引き取ってくれたのか、そして自分は一体誰なのかという、ジョージの根底にあった疑問が浮かび上がってきます。
【果実の舟を川に流して】…横浜にあるパパイヤボートというバーで働く健次。県外にも名前がとどろく進学校からストレートで一流大学に進んだ健次でしたが、大学2年の時に母親が亡くなり、学費が払えなくなり、中退。しばらくアジアを放浪した後、帰国してパパイヤボートで飲んでいる時に、女装のサイのような優梨花ママに声をかけられたのです。

どちらの話も、自分とは何者なのかと考えさせられてしまう話。特に「葉桜の日」のジョージは、自分が誰の子供なのかというルーツすら知らないので、自分の本来の姿を知った時の衝撃はかなりのものがあります。今のままでいいという思いと、運命を感じずにはいられないような思い。知らずにいれば、そのまま一生知らずに済んでしまったかもしれないことでも、でもやはり自分のことで、知らなくていいことなんてこの世には何もないのでしょうね。
どちらの主人公も冷静な目で世の中を見つめており、複雑な背景を持ちながらも、「それがなんだ」的な強さをも持ち合わせています。何があろうとも、一番大切なのは「現在」。現在さえ大切に生きていれば、「未来」は自然とそれに伴ってくるのでしょう。

「町へ出よ、キスをしよう」新潮文庫(2002年12月読了)★★★★
鷺沢さんの初のエッセイ集。題名に惹かれて、ずっと読みたいと思っていた1冊です。「町へ出よ、キスをしよう」、本当にいいタイトルですね。そしてその表題作もとても良かったです。私も、街中でもさらっとしたキスならアリだと思いますし、楽しそうな恋人同士を見てると楽しくなるというのも同感。もっと素直になろうよ!と思ってしまいます。もちろん時と場所をわきまえた上の話ですが。
その他にも、微笑ましくなってしまう思い出話や、身の回りで起きた面白い話が満載。
しかし私も引っ越しの回数では、鷺沢さんに決して負けてないのですが、町の匂いを嗅ぎ分ける能力はあまりないかもしれません。ましてや、家が体温を下げるというのも感じたことがありません。そういうのもセンスなのでしょうね。
18歳の時から23歳の時までのエッセイを集めたということで、まだまだ文体や作風が定まってないような印象もありますが、しかしキラキラと光るものを感じます。

P.82「いい人になりたいって思う時点でさ、もういい人にはなれないんだよ。」(イナガキくん)

「愛してる」角川文庫(2001年10月読了)★★★★★
毎晩のように「ファッサード」に集まる仲間たち。特に何が起こるわけではなく、「私」と仲間達の日々が淡々と綴られていきます。16の場面を切り取って並べたような連作短編集です。

とても切なく、でも同時に力強くもなれるような気がする作品。物語の中ではとりたてて何が起きるわけでもないけれど、確かにそこには日々の生活があり、登場人物も台詞も何もかもが生きている感じ。皆、たとえ失恋でボロボロになっても、恋をするのをやめられない、生きることはやめられない。苦しい恋をしている時に、特にハマってしまいそうな作品。私にとっては未知の部分も多いのですが、でも時々物凄く「判ってしまう」のです。何気ない文章が光っていて、さりげないのにずしんときます。「思ったり感じたりした者の勝ちだ」というのは本当に名言ですね。

収録作品:「真夜中のタクシー」「レトルトパウチの恋」「灯りの下に」「Don't Say Don't」「水槽の中」「ハード・シェル」「Two Of Us」「雨に唄えば」「Nothing Will Be As It Was」「傘の花」「階段」「恋と嘘」「奴が消えた日」「鎖の日常」「オムレツを食べよう」「愛してる」

「そんなつもりじゃなかったんです」角川文庫(2002年12月読了)★★★★★
エッセイ集。ハードカバーで出版された時は「THEY THEIR THEM」というタイトルだったという通り、友人ネタ満載の本。ご本人も書かれていますが、本当に「ギャラ(モデル料)よこせサギザワ」とシュプレッヒコールが起こりそう。よくぞこんなに面白い話ばかり集めたなと感心してしまうほどの粒揃いです。読んでいると可笑しくて可笑しくて、気づけばニヤニヤしていました。ご本人にとってはかなり悲惨な話なのかもしれませんが…。(ちなみにご本人が主役として登場する話は、ほんのわずかです)
鷺沢さんもお友達も本当にパワフルでエネルギッシュ。人生を前向きに貪欲に楽しんでいるようです。いくら「あたしたちって、自分をケアする気持ちがどんどん失われていくよね…」などという会話を交わしていても、やはり勢いが違います。お友達と集まっている場面を、こっそり覗き見したくなってしまうほど。人間、失敗した時に人となりが覗きやすいものですし、それを笑い飛ばすには、お互いの信頼関係が必要。笑われる側の器の大きさも必要。本当に羨ましくなってしまうような関係ですね。

「大統領のクリスマス・ツリー」講談社文庫(2002年9月読了)★★
アメリカ留学中のワシントンで出会った治貴と香子。19歳の香子と20歳の治貴は恋に落ち、親の反対を押し切って結婚。お金に困らない日はないぐらいの貧乏生活なのですが、香子は昼も夜も働き、生活を支え続けます。そして治貴は、アメリカ人にとっても難関の司法試験(バー・エグザム)をたったの2回で合格。今では勤めている法律事務所で若手のホープと言われるほどの存在に。希望通りの家も車も手に入れ、子供も生まれ、絵に描いたような幸せな日々。しかし香子は時々、その生活はただの夢ではないかと思ってしまうのです。

物語の中では、香子と治貴は2人でドライブしているだけ。会話も多少ありますが、ほとんどが香子の回想シーンです。この香子の回想がとても鮮やかなため、逆にドライブしているシーンはとても希薄。治貴との現実の会話が出てくると、驚いてしまうほどです。
心が離れてしまうというのは、本人にも他人にもどうしようもないことですね。いくら切なくても哀しくても、ましてや相手を責めても泣いてすがっても、事態は何も変わりません。失恋したことがある人なら、そのことは体に沁みこんでいるはず。(それでも何かせずにはいられない人も多いと思いますし、その別れのシーンこそが、それぞれの付き合ってきた年月を語るものなのだと思いますが。)しかし何も聞いていないふり、何も知らないふりをしていても、一生自分を騙しおおせることなど到底できることではありません。「あなたはあたしのクリスマス・ツリーだったのよ」という台詞が、何とも言えないです。
ただ、良かったのですが、鷺沢さんの作品としては少々印象が薄いです。鷺沢さんでなくても書ける作品、と思ってしまいます。

「ケナリも花、サクラも花」新潮文庫(2002年2月読了)★★★★
20歳を過ぎるまで自分に韓国の血が流れていることを知らなかった鷺沢さん。父方の祖母が韓国人であることを知り、祖母の国の言葉を学ぶために、ソウルの延世大学に留学。韓国で出会った日常の出来事、日本人の留学生や僑胞(在外朝鮮・韓国人)、純粋な韓国人との交流など通して考えたことなどが色々と綴られていきます。

自分の血に他の国の血が混ざっているのを突然知らされるのは、「驚き」を通り越して「驚愕」なのではないかと思います。鷺沢さんの場合は、お祖母さんが結婚する時に日本国籍となっているということで、戸籍的には完全に日本人。完全に日本人として育ってきているので尚更。
日本では韓国人も朝鮮人も皆同じように考えられていることが多いですし、その区別がついていない人も多いはず。「よく判んないけどムズカシイことがあるみたいだからあんまり言わないほうがいいみたい」というのは、良く分かる感覚です。学校では、歴史的に何があったかきちんと教えられず、しかし漠然と「ヤバイ」感覚だけを伝えられていく… しかし小学校の道徳の時間を思い起こしてみると、何もない白紙の状態の所に、差別の存在だけを植え付けることになる危険性も十分あるわけです。ただ単に教えればいいという問題でもないというのが難しい所。戦前・戦中世代はともかく、今の日本人にチョンジャさんが言うような「バカにする」感覚の人はあまりいないのではないかと思いますが、鷺沢さんが書いてらっしゃるように、そう感じる人がいれば、それも1つの真理となってしまうのも事実。
同じように韓国の血が流れていても、純粋な韓国人と僑胞(在外朝鮮・韓国人)は違い、さらに僑胞の場合はどこの国にいたかによってさらに違う、というこの複雑な関係にも驚きました。しかし、考えてみれば当然のことですね。「血による気質」というのは、私もあると思っています。
全てを理解できたわけではないのですが、少しずつ分かってきたような気がします。そして鷺沢さんの作品の根底に流れる物も。表題のケナリとサクラの花に関するくだりがとても素敵です。

「君はこの国を好きか」新潮文庫(2002年9月読了)★★★★★
【ほんとうの夏】…大学生の新井俊之は、恋人の芳佳を大学に送る途中に接触事故を起こし、車に残るという彼女を無理矢理大学へと向かわせます。実は俊之は「朴俊成」という名前の在日韓国人。彼は彼女に、免許証を見せた時の警官の態度の変化を見せたくなかったのです。そしてその事故以来、彼は芳佳に電話できずにいるままに、自分のアイデンティティについて考え始めます。
【君はこの国を好きか】…日本の大学を卒業後、アメリカに留学した李雅美(リ・アミ)、通称・木山雅美。在米韓国人の成真伊(ジニー)に出会った雅美は、自分があまりに韓国という国に関して何も知らないでいたことに気付きます。ジニーに習ったハングル語に強く惹かれ、韓国への留学を決める雅美。しかしいざ留学してみた韓国は、雅美にとってはまるで未知の世界。雅美は母国にどうしても馴染むことができず、拒食症となってしまいます。しかしそれでも彼女は韓国での勉強を続けるのです。

どちらも在日3世の韓国人の若者が主人公。自分が韓国人であるということを頭では知っていても、実際にそれがどういうことなのか、まるで考えたこともなかったという2人です。「君はこの国を好きか」の雅美は、時と場合に応じて2つの名前を使い分けていますが、俊之に至っては、自分の韓国名の読み方すら知らないのです。日本の学校で教育を受け、韓国語は全く話せず、ましてや韓国に行ったこともない韓国人。しかし傍目には日本人としか思えなくても、それでもやはり日本人ではないのです。
豊かな時代に生まれ育っただけに、何も考えずに生きていくことも可能だとは思いますが、韓国人であろうがなかろうが、自分と真剣に向き合う機会はやはり必要ですね。「差別をしないようにしよう」と言ってるうちに、本当に必要な知識を伝えることすらしなくなってしまった日本人も、この辺りで考えを改める必要があると思います。
日本人以上に日本人らしい雅美が、韓国で言いたいことも言えずに自分の中にすべて押し込めているところは、とても痛々しく、見てられなかったです。韓国のあの濃く熱い血は、韓国人の血が流れている雅美にとっても、やはり強烈すぎるほど強烈なはず。しかし資質によって国籍を選ぶことができない以上、彼女もまた、韓国人でしかあり得ないのですね。途中、感情を爆発させる術を覚えた場面には、正直ほっとしてしまいました。ここまで苦労して得た韓国の血、彼女にとって本当はどうなのでしょうか。

「私はそれを我慢できない」新潮文庫(2002年9月読了)★★★★★
ご本人が「怒ってばかりいるようなエッセイ集を作りたいっ」と思ったと書いてらっしゃる通り、怒ってる場面ばかりを集めたエッセイ集。しかし決して理不尽な感情的な怒りではなく、鷺沢さんなりのきちんとした理由付けがあった上での怒り。これが1つ1つ「分かる!」と言いたくなるものばかりなのです。

怒りで人を笑わせるのは、とても難しいのではないかと思います。実生活で自分が怒った話をする時には大抵、「聞いて欲しい」「発散させて欲しい」という思いが前面にあり、笑わせるというのとは、全くスタンスが違うはずです。それなのに、この鷺沢さんのエッセイ集はかなり笑えます。おそらく鷺沢さんが、自分の怒りを第三者的な冷静な目で捉えて書いているからなのでしょうね。入り込みすぎず、突き放しすぎず、絶妙なバランス。そしてその後の話のしめ方も、とても痛快。
それにしても、東京の方なのに関西弁の使い方が上手いですね。ツボが分かっているのでしょう。韓国にいる間に関西出身の友達がたくさんできたそうですが、かなりいいつきあいをしてるんだろうなと感じられます。この笑わせ方は、多分に関西人に通じるものがあるのでは。そういう意味でもとても面白いエッセイでした。

確かに、関西だったらお洒落なレストランで「ビッグ・マックひとつ」と注文したら、「ご一緒にポテトはいかがですか」という切り替えしが返ってくる可能性は高いです!そのぐらいボケとツッコミが生活に密着してるし、身にしみついてますね。むっとされる確率は、他の地方に比べてかなり少ないかと…(笑)
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