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このページは、新藤悦子さんの本の感想のページです。

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「エツコとハリメ-二人で織ったトルコ絨毯の物語」情報センター出版局(2008年2月読了)★★★★

会社を辞めて、学生時代に訪れたトルコに再び渡った新藤悦子さん。男性がいない時のイスラムの女性の大らかで人懐こい素顔、魅力的な笑顔に惹かれた新藤さんは、彼女たちが日頃どのような暮らしを送り、どのようなことを考えているのか知りたくなります。村に長く滞在してみたい、そのためにはカモフラージュのために現地の女性に絨毯の織り方を習うことだと考えた新藤さんは、旧友・アリババに連れられてカッパドキアへ。そしてギョレメ村の真ん中にある大きな絨毯店・ギャラリー・ガルジュの店主の息子・ハッサンに遠縁のおばにあたるというハリメという女性を紹介してもらうことに。最初は無愛想だったハリメと共に絨毯を織って暮らした新藤悦子さんの半年間の記録。

絨毯を織ることを教えてくれる女性がようやく見つかったかと思えば、草木染めがやりたい新藤悦子さんに対してハリメの言葉は「知るもんかい。草木染めだなんて」というもの。村の女性たちも、一応自分の手で糸を染めてはいるのですが、安価でよく染まってしかも綺麗な化学染料しか使っていないというのです。聞いてみるとハリメが絨毯を織り始めた30年以上前から、村で草木染めをする人は誰もいなかったとのこと。しかも手で羊毛を紡ぐことを考えていた新藤さんに対し、ハリメは町の糸屋で工場産の糸を買うことを主張。ピュア・ウールを主張する新藤さんに対して、村中の女性たちが経糸には毛よりも綿の方が安いし織るのも簡単だと説得しようとする始末。何とか若い頃に草木染めをしたというハッサンのおばあさんに会って染色に使う植物の名前を聞き、実際に植物を集めても、全ての糸が染め上がるまでに新藤さんは何度も、突然畑仕事やパン焼きに出かけてしまうハリメに約束をすっぽかされるのです。絨毯を織る作業に入る前から問題だらけ。49歳のハリメは、13歳のセビハ、7歳のファティマ、5歳のスナという3人の娘と一緒に暮らしている未亡人。長女・メリエムは既に嫁いでおり、長男・ユルマズは町に働きに出ているのですが、長男の収入はとても家族を養えるような額ではありません。ハリメには現金収入がどうしても必要なのです。そんなことが徐々に分かってくるにつれ、新藤さんは徐々に村に馴染んでいきます。
絨毯を織るということがまず中心にあるのですが、女性たちのおしゃべりの仲間に入れてもらえた新藤さんは、トルコの女性の日常生活や習慣、特にその恋愛・結婚事情について詳しく知ることになり、それらの話題は読んでいてとても興味深かったです。時には人の恋路のために奔走することも。
とても印象的だったのは、フランス人の女性観光客にせっかくあげた梨を食べてもらえずにがっかりしながらも、セビハやファティマ、スナが外国人観光客は「綺麗だから」好きだと言う場面。彼女たちの「綺麗」は、実際の美しさというよりも、村にはない外の空気のことをさしており、新藤さんにとってみれば、そんな少女たちこそ「綺麗」なのですが…。そしてアルファベットやカタカナの文字を見て「コーランの文字(アラビア文字)と違ってデザインみたい」だと感じたハリメの言葉も印象的。確かに絨毯には織り込みやすいと思いますが、日本人から見ればアラビア文字の方が遥かにデザイン的に見えるはず。文字が読めないというハリメにとっては、アラビア文字も十分デザイン的に見えるのではないかと思っていたのですが、そうでもないのですね。


「羊飼いの口笛が聴こえる-遊牧民の世界」朝日新聞社(2008年2月読了)★★★★

トルコの村で絨毯を一枚織り上げた新藤悦子さんは、絨毯に取り付かれたかのように絨毯の産地を巡る旅に出かけることに。そして気づいたのは、自分が惹かれるのは何年もかけて精緻に織り上げられた高価な絹の絨毯ではなく、遊牧民が織る伸びやかな絵柄のウール絨毯であること。絨毯を通して遊牧民の歴史を肌で感じるうちに、遊牧地を訪ねてみたくなった新藤さんは、トルコ西部の山にあるヤージュベディル遊牧民の夏の放牧地ヤイラで羊飼いに挑戦したいと考え始めます。…ヤイラですごした夏と秋の記録、村で織られているヤージュベディル絨毯について、ユルック(遊牧民)と同族と言われるトルクメンに伝わる秘密、そして幻の白い天幕について書かれている本です。

遊牧民は本来、夏の遊牧地ヤイラと冬の遊牧地クシュラを往復する生活。現在は定住化政策によって村で暮らすようになった遊牧民ですが、それで遊牧民(ユルック)の名は未だ返上していません。ヤイラは遊牧民の誇りと憧れだといいます。しかしここで驚いたのは、そんな遊牧民たちの前に実際にヤイラに行きたいと言う新藤さんが現れると、「ヤイラなんて、今はもうないよ」とヤイラの存在を隠そうとすること。新藤さんがヤージュベディル・ユルックの村の1つ、コジョオバ村の社交場であるチャイハネに毎日のように通い、村の男性たちと雑談を親しく交わすようになっても、それでもヤイラの存在は隠されているのです。…一旦ヤイラの存在がばれてしまうと、新藤さんをどのヤイラに送り込むのがいいのか村人たちが話し合い始めるのがとても面白いのですが。そして現実の羊の遊牧は、長閑で牧歌的な昼のイメージとは違い、日没から夜明けまでの夜通しの作業だったのですね。確かに女性にはなかなかきつい仕事ですし、嫁入り前の娘にそんなことをさせていいのか、そもそもなぜそんなことがしたいのかという村人たちの危惧もよく分かります。
そしてこの出来事と同じように印象に残ったのは、幻の白い天幕(ユルト)を見たいという新藤さんに対して、「どうせあとで貧しいと馬鹿にするつもりだろう」と見せるのを断った白い天幕の持ち主・シェヴケットの言葉。その裏には、近頃ドイツではトルコの貧しさを売り物にして悪口を言うようなテレビ番組が増えているという苦々しい現実があったのです。そして「ユルトにクラスというのもいいものですね」などという言葉に対するシェヴケットの言葉は、「冬にここに来れば考えも変わるよ」というもの。
どちらの出来事も、その生活を愛しながらも厳しい現実の壁が立ちはだかっている彼らの姿を如実に伝えてくれるような出来事でした。客人をもてなさないのは恥だと考えているトルコ人ですが、新藤悦子さんは村の女性たちとはあまりに違います。親しく言葉を交わすようになっても、新藤さんが一体どういう考えで「羊飼いになりたい」「白い天幕が見てみたい」と言っているのか、その奥底にあるものまではなかなか分からないのです。そして近年、そんなことを彼らに考えさせてしまうような客の存在が増えているのでしょうね。考えさせられる出来事でした。


「チャドルの下から見たホメイニの国」新潮社(2008年2月読了)★★★★★

1985年の春から秋にかけてトルコのカッパドキア地方のギョレメ村に滞在していた新藤悦子さんは、目的であった絨毯織りも完成し、滞在許可の期限も切れるので、一旦トルコを出ることに。一旦他の国に入国してからトルコに再入国すれば、また3ヶ月トルコにいられるのです。そしてトルコから出てどこに行くかと考えた時。トルコの西隣のギリシャへはもう何度も行ったことがあるので却下。そして査証が必要なブルガリアやソ連、シリアも、手続きをする時間がないこともあり却下。丁度絨毯に興味を覚え、ペルシャ絨毯の産地を訪ねてみたいという気持ちもあったことから、新藤さんは東側の国境を越えてイランへと入国することに。

イランもトルコと同じように国民の大多数がイスラム教徒という国ではあるものの、1979年のイスラム革命以来、イスラム法が国の法律となったイランで味わうことになる行動の不自由さは、政教分離で自由な雰囲気のトルコとは大違い。イランでは旅行者でもお酒を飲むことは禁止され、女性はチャドル着用が義務。たとえば高価なカメラをイラン国内で売り払ったりしないようパスポートにはナンバーが控えられ、音楽テープやファッション雑誌など反イスラム的なものは国境で没収されてしまうのだそう。新藤さんもバスの運転手の後ろの一番前の座席に座っていただけで、革命警備隊に言いがかりをつけられ(女性が近くにいると運転手の気が散るからという理由)、父親か夫の同伴なしではホテルにもなかなか泊まれない現実に直面することになります。テヘランでは、チャドル代わりのイスラミックコートを着ていても、ボタンを外して羽織っているだけで、革命警備隊が飛んでくる始末。
それでもそんな状態に徐々に慣れてくるにつれて、イランという国がだんだんとはっきりお見えてくることになります。ペルシャ絨毯織りの現場と、戦場にまで小さな織り機を持参して絨毯を織ろうとする青年。4人までの妻帯が認められる社会の中で、社交辞令ではなく本当に日本人男性と結婚するのが夢だと語る女子大生たち。芸術家たちのほとんどがイランを出ても、イランを出たら絵が描けなくなると、イランイラク戦争の間もイランに留まり続けた画家のキャランタリー氏と、彼の描く「エンプティ・プレイス」や「サッカハーネ(古くは祈りの場となっていた水飲み場)」。そして彼の語るイラン人の持つ「ヘリテージ」が、全ての部分に通じてくることになります。さらにドイツの大学の歯科医学部を卒業し、ドイツでも開業できる資格は持っているにも関わらず、イランに戻るつもりの青年。青年は結婚するならドイツの女の子よりもイランの女の子が良く、住むにもドイツよりもイランの方がいいと語ります。その理由は、ドイツでは常に異邦人の彼もイランではそうではないから。「ビコーズ、イッツ、マイン」という言葉がとても印象に残ります。この本は、自分と自分の国との繋がりを考えさせられる本ですね。
チャドルさえ着ていれば、下は裸身でも問われないし、こっそりカメラを持ち込んでもバレることはないのです。そんな風に形だけを整えて中身に目をやろうとしないのはどうなのかと思いますが、新藤さんはそれを完全に逆手にとって、チャドルに隠れて人々の生活の中に入り込んでいます。そしてそのチャドルの下から、見るべきものはしっかり見ているという感じ。とても良かったです。そういう風に人々の中に入り込んでるからこそ伝わってくるものが沢山ありますし、多くの困難があろうとも行動し続ける新藤悦子さんには頭が下がります。


「イスタンブールの目」主婦の友社(2008年2月再読)★★★★★

トルコには何度も行きながらも、実はイスタンブールはなかなか好きになれなかったという新藤悦子さん。雑踏の喧騒に疲れ、いつまで経っても観光客扱いにされることに不快を感じ、カッパドキアの村に居ついてからは、イスタンブールに戻る気がしなくなったのだそう。しかしそんな時に知り合ったのは、イスタンブールっ子のセラップ。団体旅行客を引き連れるガイドの仕事をしているセラップに親切な言葉をかけられ、イスタンブールに行った時は彼女のアパートに居候するようになり、美しさも醜さもひっくるめたイスタンブールの混沌を愛しているという彼女の影響を受け、徐々にイスタンブールの魅力に開眼していったようです。

トルコについてのフォトエッセイという意味では、次の「トルコ-風の旅」と同じ。どちらも新藤悦子さんご自身が撮った写真を使っており、自分の足で歩いた場所を紹介しているという実感があります。しかしトルコの西や東の端の村まで旅をした「トルコ-風の旅」とは違い、こちらはイスタンブールに特化して紹介していく本。
イスタンブールの夏の風物詩とも言えるピクルスのジュースの屋台、見た目も重視して綺麗にコーディネートされながら干された洗濯物、イスタンブールのファーストフード・鯖サンド、春のボスフォラス海峡、トルコ絨毯、グランド・バザール、夏の断水、ハマム式エステ、トルコ式古本屋などなど、そしてトルコ料理。イスタンブールに行けば見ることができそうな風景を、旅行者というよりも滞在者の目で紹介してくれる本です。
先日「エツコとハリメ」を読んだ影響もあり、トルコ絨毯やキリムにはどうしても興味をそそられますし、ソフラと呼ばれるトルコのちゃぶ台や、お洒落のセンスと手芸の腕前の見せ所だというスカーフの縁飾り「オヤ」のような、トルコの人々の生活が見えてくるような話も楽しいです。写真で紹介されている雑貨や日用品もとても素敵で、高値をふっかけられるのが怖いものの、色々と買い込んでみたくなります。そして自ら食いしん坊だという新藤悦子さん、「わたしの好きなトルコの料理」のページの実に楽しいことと言ったら! このページでは写真だけでなく、可愛らしいイラストでトルコ料理が紹介されており、その簡単なレシピも載っていたりします。トルコでは、若い頃はほっそりとしていた娘さんも、20歳を過ぎるとみるみるうちに太りだすのだそう。「きっとトルコ料理がおいしすぎるせいよ」と新藤悦子さんは言ったそうですが、本当にそうなのかもしれないですね。美味しそうな絵と食欲をそそる文章で、読んでいるとトルコ料理が食べたくて仕方なくなってしまいます。


「トルコ-風の旅」東京書籍(2008年2月読了)★★★★

グランド・バザールの名で観光客に知られる、イスタンブールの屋根つき市場(カパル・チャルシュ)の巨大な迷路を毎日のように歩き回っていた頃に出会った、バクル(銅)屋の少年・オゼイルくん。卓越の手(ケマル・エリ)でカズ山の上からエーゲ海の水を汲んだ聖者・サル・クズと、毎年8月15日に山頂で行われるサル・クズ祭。トルコ絨毯の産地を訪ねる旅の中で訪れたミラスの町。地中海のリゾート地・カシュで聞いたトルコの恋愛・結婚事情。奇岩に雪の降り積もるカッパドキア。真夏のメソポタミアのマルディン。トルコの言葉しか許されていないクルドの村・ドーバヤジットの学校。アルメニアのグルジアの国境に近いアニやダマルの村。トルコを訪れるようになって10年。訪れた町を西の端から東の端まで紹介する新藤悦子さんのフォト・エッセイ。

トルコといえばまずイスタンブール。奇岩群を見るにはカッパドキア。エーゲ海沿岸はヨーロッパの夏の避暑地。一般的なトルコのツアーで訪れるとしたら、この辺りでしょうか。もちろん新藤悦子さんもそういった観光地を訪れていますし、イスタンブールについては「イスタンブールの目」という本があります。しかしそれだけでなく、私たちがトルコに旅行に行ったとしてもなかなか訪れる機会のない小さな町や村をたくさん訪れているのですね。この本は、新藤悦子さんがトルコに出かけるようになって10年のうちに訪ねた場所を、時系列ではなく西から東へと並べていったものです。実際に訪れたことのない私にとっては、東と西の文化の混ざり合うところ、というだけで十分魅力的なトルコですが、トルコの魅力というのは確かに言葉にはしにくいものなのかもしれないですね。あとがきに、トルコのどこに惹かれているのかは上手く説明できないけれど「アナトリアの大地を渡っていく風のなかに立つだけで、こころもからだも深く満たされていく」とあり、その言葉がとても印象的。
もちろん訪れた場所の紹介も、一緒に収められている写真も、それぞれにとても魅力的です。写真を見ているだけでも、色鮮やかにディスプレイされた市場が見てみたくなりますし、地元の人が行くようなお店で買い物をしてみたくなります。トルコ料理を食べたくなりますし、そうなればもちろんチャイを飲みながら味わいのある古い家々を眺めたり、美しいモスクを訪れたくなります。そして新藤悦子さんが写真に切り取ったトルコの人々の表情の魅力的なことといったら。皆それぞれに生気に満ちた表情をしているのですね。もちろん被写体探しでも苦労されたのでしょうけれど、目の力強さが日本人とは全然違う印象。
そして この本の中で一番印象に残ったのは、「雪のカッパドキア」の章の、ホテルのフロントマンの言葉でした。「これだけ積もると、今日はカッパドキアの外に出られませんよ。もちろん外からも入ってこられないでしょう」… 雪のカッパドキアは閉ざされた世界であり、雪景色を見るには自ら閉じ込められなければならないのだそう。そんな贅沢な景色が見てみたくなります。



「時をわたるキャラバン」東京書籍(2008年2月読了)★★★

ある6月の雨の日。仕事途中に立ち寄った青山のギャラリーの扉を押し開けた途端、思いがけない芳香に鼻をくすぐられて驚く友香。それは人間の匂いではなく、ギャラリー奥の壁にかけてある小さな布裂から漂ってくる匂いでした。その週、ギャラリーではトルコの染織をテーマに、エスニックなデザインの絨毯や平織りのキリムを展示していたのです。その芳香が忘れがたくて、翌日もその翌日も、ギャラリーに立ち寄る友香。そして展示の最終日。友香はそれらの絨毯やキリムのオーナーに、その布裂は13世紀のコンヤ地方の村で作られたトルコ絨毯の一部であり、オーナーの大切なコレクションなのだと聞かされることに。そして「匂いは、追わないと消えますよ」というオーナーの言葉に後押しされるように、友香は芳香を持つ絨毯を探しにイスタンブルに行くことを決意することに。

匂いに敏感な鼻の持ち主・友香が芳香を持つ絨毯を探して旅をする物語。現代のイスタンブルに飛んだ彼女はそのまま13世紀のビザンティン帝国の首都・コンスタンティノポリスにまで行ってしまうというタイムトラベル物でもあります。嗅覚がポイントになるという設定に最初引きそうになりましたが、匂い(臭い)で相手が信用できるかできないかを判断する友香を見ていると、動物としての基本的な能力を発揮しているだけとも言えますね。
トルコに何度も滞在している新藤悦子さんならではの現在や昔のトルコの描写や絨毯の話もたっぷりですし、トルコのルーム・セルジューク朝の最盛期を築いたスルタン・ケイクバードとニカイア帝国の「千の耳」テオドータの恋を通して歴史的なトルコを見ることもできます。むしろ本筋の友香の物語よりも、そちらの方が楽しかったかもしれません。いずれにせよ、今と昔のトルコの雰囲気がたっぷり味わえる物語です。


「空とぶじゅうたん」1・2 ブッキング(2008年1月読了)★★★★★お気に入り

【糸は翼になって】…じゅうたんを織るのが大好きな4人姉妹。おばあさんの焼いたチーズパイと一番上のお姉さんの入れたチャイを飲みながらの休憩時間。話をねだられたおばあさんは、じゅうたんを織るのがとても上手だったイップという美しい娘と羊飼いのハッサンの話を物語ります。
【消えたシャフメーラン】…その日最後の水汲みから帰ってきたアイシェは、姉のエリフが遠い目をして立っているのに気づきます。このひと月というもの毎日織っていたじゅうたんが完成したのです。
【砂漠をおよぐ魚】…20年ぶりに、イランで一番細かなじゅうたんを織るというムード村を訪れたハミード。以前父と訪れた時に出会った少女・ソラヤに再会したくなったのです。
【ざくろの恋】…アフガニスタンの西の国境を越えようと歩いていたハーシムは、いつの間にか砂漠に迷い込んでしまい、人気のない廃墟で白いターバンを巻いた少年に出会います。
【イスリムのながい旅】…イスファハンの町にデルヴィーシュが現れたという噂が流れ、300年以上前にデルヴィーシュに会ったファルザネはその時のことを思い出します。

旅の伴侶であり、話をつむぎ出す「糸口」そのものだったという絨毯。元々砂漠の遊牧民が生み出したという絨毯は、天幕の中に敷くのはもちろん、天幕のドア代わりにも使われ、小麦や塩を入れる袋となり、時には赤ん坊のおくるみとなり、日常の様々な用途に使われてきたもの。それがトルコやペルシャに広まってからも、旅の時は持ち運べる大切な財産ということに変わりはなく、旅の途中で休憩する時にはさっと敷ける「ポータブルな敷物」。家の中にあってはテーブル掛けとして使うこともあれば、絵のように壁にかけられることもあり、畳ほどの小さなサイズの絨毯は、イスラムの日に5回の礼拝時にも欠かせないものとなっています。そんな日常の生活に欠かせない絨毯にまつわるトルコやイランに残る言い伝えを、新藤悦子さんが物語として織り上げ、こみねゆらさんの絵を添えた絵物語集です。
それぞれにアラビアンナイトの話の1つと言われたらそう思い込んでしまいそうな、雰囲気たっぷりの物語。これはトルコやイランを旅して、実際にトルコで現地のおばあさんと絨毯を織ったこともあるという新藤悦子さんだからこそ書ける物語かもしれないですね。絵本なので、どうしても1つずつの物語が短く、もっとじっくりと読みたくなってしまうのですが…。私が一番惹かれたのは2に収められている「ざくろの恋」ですが、歌を歌うと恋心が糸となって出てくる「糸は翼になって」も、知らない男に嫁がされる哀しみを描いた「消えたシャフメーラン」も素敵。そしてこみねゆらさんによる絵も素晴らしいです。エキゾティックな雰囲気がたっぷりですし、それぞれの物語にはトルコのヤージュベディル絨毯、クルド絨毯、イランのムード絨毯、トルクメン絨毯、イスファハン絨毯といった地方や部族ごとに代々伝わる美しい手織りの絨毯の絵が紹介されいて、それがまた素敵なのです。ことに、それまで赤系がメインだった絨毯の中に登場した青いイスファハン絨毯の美しいことといったら。このイスファハン絨毯は、イランの絨毯の中でも最も美しい絹製の絨毯なのだそうです。本そのものも装幀もとても素敵で、ぜひ手元に置いておきたくなるような本です。


「青いチューリップ」講談社(2008年1月読了)★★★★

1542年。父のカワと共に羊を連れて山の上の草原に来ていた7歳のネフィが、父に教わったばかりのラーレ(チューリップ)の歌を歌っていると、そこに聞こえてきたのは、歌の続きを歌うしゃがれた男の声。それは人に追われて3日3晩飲まず食わずで歩いてきたというバロことバイラムの声でした。オスマンの国からこのクルディスタンの山を越えてペルシアに向かうつもりだというバロは、カワたちに食料と水をもらったお礼に、遥か西にあるオスマンの国の都イスタンブルの話を物語ります。それは、スルタン・スレイマンがぞっこん惚れ込んで1年前に正式な妃にしたフッレムが宮廷の新しいハレムの庭に青いチューリップを欲しがっているという話。そして何年も青いチューリップの研究をし続けているエユップのアーデム教授の話。青いチューリップは都では幻の花とされていました。しかしカワやネフィの来るこの山の中腹では咲いているのです。突然行ってもスルタンには会ってもらえないと考えたカワとネフィは、青いチューリップの球根を持ってエユップへと向かうことに。

2005年度の第38回日本児童文学者協会新人賞受賞作品。新藤悦子さんにとっては、初の児童書となるのだそう。16世紀、トルコ全盛期のスルタン、スレイマン1世が、建築家頭のシナンに命じて、アヤソフィアを凌ぐモスクを建築させようとしていた頃。それまで赤いチューリップしかなかったトルコに現れたという幻の青いチューリップと、そのチューリップをめぐる人々を描いた物語。
冒頭に登場するラーレの歌、「ラーレ、ラーレ、青いラーレ、大地が血で染まろうと、天空に咲くは青いラーレ」という歌詞だけでも不吉な予感をさせるのに、アーデン教授の真っ青なチューリップを見たアイラの言葉は「こんなラーレ、咲かせてはいけない。よからぬことが、かならず起こります」というもの。その言葉通り、人々の心が本来ゆくべき道を微妙にそれてしまったかのように物語は展開します。その頃、実際にトルコでチューリップの交配が盛んになり、その交配熱がヨーロッパを狂騒の渦に巻き込んだことを知っているだけに、とてもリアル。
トルコを良く知っている新藤悦子さんならではの描写も光るのですが、この物語を通して描きたかったことが多すぎて1冊の物語では収まりきれなかったという印象も残ります。本筋は、新しく交配された青いチューリップを巡る喧騒の物語だと思うのですが、アイラとその娘・ラーレ、そしてアイラの母のライラといった3代の女性たちの物語でもあり、アイラやラーレが憧れつつも女だからなれないとされた絵師という職業を巡る物語でもあり、当時トルコで禁止されていた写実的な絵と文様の物語でもあります。そして女性だから宮廷絵師になれなかったアイラやラーレと同様、女だからと長になることを認められなかった女性・カジェも登場。さらにカジェの登場と相まって描かれているのは、地方の人々の暮らしのこと。トルコ全盛期を誇っていたスレイマン1世の時代も、地方にいけばやはり人々は貧困に苦しめられ、奴隷に売られる子供も多く、治安も不安定だったということ。それぞれに繋がりがあるので自然に読めますし、よく整理されているとも思うのですが、もっと青いチューリップと絵のことに焦点を絞っても良かったのではないでしょうか。どうしても内容が盛り沢山に広がってしまっただけに、シャー・クルの一番弟子・メフメットの葛藤などもっとじっくりと読みたかった部分が希薄になってしまったようです。
それでもリアルなトルコを体感できる十分魅力的な物語。「文様にだって生命(いのち)がある。目に映るものを、一度殺して、新たな生命を吹き込む、それが文様というものじゃ」という宮廷の絵画工房長のシャー・クルの言葉、絵師をもてなすのが好きだったカジェの父の「パンは飢えを満たし、絵は魂を満たす」と言う言葉がとても印象に残ります。


「青いチューリップ、永遠に」講談社(2008年1月読了)★★★

1551年秋。ネフィは1年以上ぶりに都に戻り、そしてエユップへ。ラーレと共に都のシャー・クルの屋敷に身を寄せたネフィがエユップへとやって来たのは、アーデム教授から東屋に隠していると聞いたらくだとげという薬草を持ち出すためでした。アーデム教授と別れる時に、薬草のことをもっと教わりたいと言ったネフィに対し、教授は神学校に進んで勉強することと、らくだとげを持ち出すことを薦めたのです。そして都に帰ったネフィは、ユダヤ人医師・モシェの家にシャー・クルの薬を取りに行った時に、印刷された本を初めて目にして、誰もが手軽に手に取って参考にすることができる薬草帳を作ってみたいと考え始めます。

「青いチューリップ」の続編。「青いチューリップ」は、これ1作で勝負、といった気負いが感じられたのですが、こちらは肩の力も抜けたようですね。良い意味でも悪い意味でもシリーズ物らしくなり、盛り沢山度と波乱万丈度は前作よりも低め。やや落ち着いた雰囲気となっています。
今回、ネフィはユダヤ人の医師・モシェに見せてもらったユダヤ教の印刷された本に触発されて薬草帳を書こうと思いつき、シャー・クルによって文様の良さに開眼したラーレはひたすらサズを描くことに没頭。メフメットは相変わらずスレイマニエ・モスクの内部を文様で飾る仕事。
ペリの絵が認められて、ラーレは女絵師としてちやほやされるようになるのですが、そこでビュルビュルという少女に気づかされるのは、「生きている」ことと「生かされている」ことの違い。いくら華やかで美しい世界だろうと、ビュルビュルがケマンチェという楽器を見事に奏でようと、籠の中の鳥よりも空を飛ぶ鳥の方がのびのびと歌うということが、ラーレに気づかされることになります。そんなラーレにとって、空を飛ぶ鳥である型破りなネフィはいかにも魅力的に映るでしょうね。ライバルのメフメットにももう少し魅力的な場面が欲しいところです。

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