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このページは、松尾由美さんの本の感想のページです。

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「バルーン・タウンの手毬唄」文藝春秋(2003年10月読了)★★★★

【バルーン・タウンの手毬唄】…暮林美央の元を訪れた友永さよりは、バルーン・タウンでの知られざる話を聞くことに。「バルーン・タウンの密室」事件直後、妊婦が睡眠薬を吹き付けられ、手毬唄さながらの装飾をほどこされていたという事件が連発。どの妊婦も母子手帳を奪われていました。
【幻の妊婦】…「手毬唄」の少し後。2時間後に出来上がるはずの美央の原稿を待っていた編集者・木下は、見知らぬ妊婦に公園に誘われます。ピクニックの後、木下は無事原稿を受け取って編集部に電話。しかしその頃、編集長は頭を殴られ昏倒。木下は容疑者にされてしまうのです。
【読書するコップの謎】…「オリエント急行十五時四十分の謎」に感銘を受けた須任真弓は、バルーンタウンを舞台にした本格ミステリの執筆を決意。出来上がった原稿を持って、美央の元を訪れます。
【九か月では遅すぎる】…美央の家に向かう江田茉莉奈が聞いた通りすがりの2人組の会話は、「それにしても、九か月というのはちょっと遅すぎないか」「まして雨の日では」「心配はわかるが、大丈夫だよ。だいいち、ほかに手段もない」。この言葉が、バルーン・タウンの宝石店での窃盗事件へと発展します。

バルーン・タウンシリーズの第3弾。
暮林美央も2人子供を産んで、「もう妊娠はこりごり」と言っているようで、今回は最初の2編が過去の事件の回想、次が須任真弓の書いた本格物のミステリ(舞台はバルーン・タウン)、最後の1編だけが現在進行形で起きているバルーン・タウンの事件となっています。現役の「妊婦探偵」でないところが少々物足りないのですが、しかしやはり妊婦ならではという事件の話は面白いです。妊婦の場合、普通の人間よりも行動が制限されますし、顔立ちなどより、大きくなったお腹の形が妊婦同士を見分ける決め手となります。それにバルーン・タウンにいる妊婦ならではの思考回路も、常人からするとかなりのブラックボックス。そして今回はそれ以上に、既存の名作のパロディといった面が大きいようですね。元ネタはそれぞれ、「悪魔の手毬唄」「幻の女」「九マイルは遠すぎる」。(3作目の「読書するコップの謎」の元ネタだけは、私には分からないのですが… 何なのでしょう?)そして、妊婦のための手毬唄が安定期に入る5ヶ月目からの分しか作られていないとか、シャーロック・ホームズの「ベーカー・ストリート・イレギュラーズ」ならぬ「バルーン・タウン・イレギュラーズ」、「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」ならぬ「皇帝の母子手帳入れ」など、にやりとしてしまうネタも色々あります。
この中では「幻の妊婦」が良かったです。しみじみとした読後感。「九ヶ月では遅すぎる」の最後の茉莉奈の台詞からすると、まだ続編が出そうですね。楽しみです。


「スパイク」光文社(2004年5月読了)★★★★★

事務機メーカーに勤める28歳のOL・江添緑が飼っているのは4歳半の牡のビーグル犬のスパイク。ある土曜日の朝、スパイクのリードを手に下北沢を散歩していた緑は、スパイクとそっくりのやや珍しいレモンカラーのビーグル犬を連れた青年に出会います。その青年は林幹夫。そして彼のビーグル犬は、緑の犬と同じくスパイクという名前だったのです。幹夫は緑と同じく28歳で、ひと駅離れた東北沢に在住。意気投合した2人はオープンカフェでコーヒーを飲んで連絡先を交換し、次の土曜日にまた会うことを約束します。しかしメールで確認をとったにもかかかわらず、東幹夫は次の土曜日には現れなかったのです。

2匹のビーグル犬「スパイク」を介在とした、江添緑と東幹夫の恋。松尾さんらしいSF風味が付け加えられていますが、基本的にはほのぼのとした恋物語なのですね。「おせっかい」と同じように、「あちら側」がすぐそばにあるのを知りながらも、直接手を出すわけにいかないという部分がポイントとなってくるのですが、その後の対処方法や展開はまた違います。この物語の最大の特徴は、「それならばこちら側で一体何ができるのか」という部分であり、その部分がとても面白かったです。
もしこの物語が成立するならば、「あちら側」の存在が1つで済むとは到底思えないですし、江添緑にも、この事件がきっかけとなって彼女が接触することになる人々にも、あまり魅力を感じなかったのが少々残念。せっかくの福村康子のおばあさんのエピソードも、もう少し後半にも生かして欲しかったです。それでもやはり素直に面白かったです。ラストは切ないですが、読後感はとても暖かく、余韻が残りました。


「安楽椅子探偵アーチー」創元クライム・クラブ(2003年12月読了)★★★★

【首なし宇宙人の謎】…交差点にいた小学5年生の及川衛は、すぐ近くから聞えてくる誰かの溜息に驚きます。そこにいるのは衛1人。あとは西洋骨董品店のひじ掛け椅子があるだけなのです。気になって戻ってきた衛の耳には、今度は寝息が。衛は11回目の誕生日プレゼントを買うお金で、そのひじ掛け椅子を購入してしまいます。
【クリスマスの靴の謎】…衛の父が拾った片方の靴。横浜駅で酔っ払いに絡まれた男性が、履いていた靴を脱いで酔っ払いを殴ろうとしたのですが、丁度警官が通りかかり、男性はその靴を落としたまま行ってしまったのです。しかも靴を持って追いかけた衛の父を見て、その男性は逃げ出してしまい…。
【外人墓地幽霊事件】…小学校4年と5年の合同の社会見学で横浜へ。外国人墓地を訪れた時、野山芙紗が、立ち入り禁止の英文の文字が、ピンク色のチョークで悪戯されているのに気付きます。
【緑のひじ掛け椅子の謎】…芙紗が衛に見せたのは、雑誌「月間推理世界」の新人賞選考結果発表号。掲載された「緑のひじ掛け椅子の謎」という作品のあらすじは、アーチーが話した2番目の持ち主・市橋信吾の話と非常に似ていたのです。衛と芙紗は、早速月間推理世界の編集部に連絡を取ることに。

現場に行かず、話を聞くだけで事件を解決してしまう探偵を安楽椅子探偵と言いますが、これは文字通り、安楽椅子が安楽椅子探偵になるという物語。この設定自体は、鯨統一郎さんの「Aは安楽椅子のA」(アンソロジー「名探偵は、ここにいる」)「Bは爆弾のB」(アンソロジー「殺意の時間割」)を先に読んでいたので、それほど驚きはしなかったのですが、それでも椅子が人間の言葉を話してしまうという突拍子もないはずの出来事が、松尾さんの筆にかかると、まるで違和感がなくなってしまうのが不思議です。
この椅子は戦前の上海でイギリス人のために作られたもので、作られてから60年ほどの年月が経っています。その年月のせいか、衛との話を聞いているのを読んでいると、まるでおじいちゃんと孫の会話のよう。このアーチーがなんともいい味を出していますね。それにアーチーの持ち主である衛も、アーチーと話す時は他の椅子に座って向かい合うようにするなど、とても良い孫っぷり。衛とコンビを組むことになる野山芙紗の小学生離れしたミステリマニアぶりには笑えますし、小生意気な態度の奥に潜むロマンティストな面もなんとも微笑ましいです。しかし衛の部屋は普通の子供部屋。アーチーの存在は、さぞかし浮いて見えるのでしょうね。(笑)
まるで昔ながらの探偵小説を読んでいるような懐かしい気持ちになれる作品。児童書としても良さそうです。


「雨恋」新潮社(2005年5月読了)★★★

現在30歳でオーディオメーカーに勤めている沼野渉は、仕事面でも恋愛面でも体力面でも停滞中。しかも隣人とのトラブルにも悩まされ、引越ししたいと切実に考えていました。そんな渉に持ち込まれたのは、母の妹の寿美子のマンションに住まないかという話。叔母はロサンゼルス支店への異動が決まり、しかしどのぐらいの期間になるのか予想がつかないため、マンションを売ってしまうわけにもいかず、かといって人にも貸しにくく、渉が住むなら格安の家賃でいいというのです。渉は渡りに船とその話を受け、マンションの月々の管理費を負担し、叔母の2匹の猫の世話をみることになります。渉の通勤時間は短くなり、猫も無事に渉に懐いて快適な日々。しかしそのマンションには、雨の日だけに現れる幽霊がいたのです。

直前になって自殺するのをやめたのに、自殺と断定されて成仏できなくなってしまった(らしい)小田切千波と、ごく普通の人間の恋物語。そして同時に千波の死の真相を探るミステリでもあります。
松尾由美さんの作品と幽霊というのは、今までにもあった組み合わせなので特に珍しくないのですが、幽霊の現れ方は非常にユニーク。真相が1つずつ明らかになるにつれ、千波が納得する様子が目に見えて分かるようになっているのです。しかし今回驚いたのはこの作品の持つストレートさ。これほど素直な松尾作品がこれまでにもあったでしょうか。さすがに相手が幽霊のせいか、純粋な恋愛小説という意味では少し希薄な感じは否めないのですが、予想した通りの場所に直球ストレート。期限付きの恋ならではの切なさがあります。作品内には毒も潜んでいるのですが、それはいつものようにメインとなるわけではなく、本筋とは少しずれた部分。淡々とした描写が優しい雨の情景と良く似合っていますね。読後感もほんのりと暖かくて良かったです。どちらかといえば、じわりじわりと盛り上がっていく物語だと思うので、帯の「ありえない恋 ラスト2ページの感動」はどうかと思いますが。
ただ、ミステリ部分には不満が残ります。千波が、なかなか語ろうとしない部分に作者の意図が見え隠れしてしまっているようで、これがどうにももどかしかったです。もちろん千波にとってみれば、言いふらしたいようなことではないですし、すぐには話さないのも当然かもしれないのですが…。
読み終わってみると「雨恋」 …「あまごい」というタイトルの意味がとても良く分かります。素敵なタイトルですね。


「ハートブレイク・レストラン」光文社(2005年12月読了)★★★★

【ケーキと指輪の問題】…寺坂真以がまとめようとしていたコラムは、音楽雑誌の編集長の誕生日会での出来事。彼がその日の午後なくした指輪が、ケーキの中から出てきたのです。
【走る目覚まし時計の問題】…真以がファミリーレストランで耳に挟んだのは、自分史を書こうとしている三田村社長が発明した、走る目覚まし時計の謎。
【無作法なストラップの問題】…ファミリーレストランの店長・山田が伯母の紹介で見合いをします。しかし申し分ない女性のはずなのに、時々不自然にだらしないことをするのです。
【靴紐と十五キロの問題】…真以がファミリーレストランにいる時に入ってきた年上の男が突然前のめりに倒れ、真以に向かって「十五キロというのは嘘でしょう? いくらなんでも」と言います。
【ベレー帽と花瓶の問題】…真以が南野に聞いた現在捜査中の謎は、40代の実業家で元アイドルの若い女性と婚約した山本氏が何者かに襲われた謎でした。
【ロボットと俳句の問題】…三田村社長が作ったロボットが詠んだ俳句は「やまなみや だいちは ひがし ひは みなみ」。季語がないためコンテストで失格したというのですが…。

まだまだ駆け出しの28歳のフリーライター・寺坂真以が主に仕事場としているのは、近所のファミリーレストラン。ノートパソコンや手帳、携帯電話などをリュックに詰めて出かけていきます。そしてそこで出会った謎を、幸田ハルというおばあさんの助けを借りて解いていく連作短編集。
ハルおばあちゃんは、ファミリーレストランが建つ前のこの辺り一帯の敷地の持ち主だった女性で、20年前に既に亡くなっています。つまり幽霊ということ。この設定が松尾さんらしいところですね。彼女は生前の暮らしを懐かしんで、時々ファミリーレストランに現れるのですが、全ての人に見えるわけではなく、ハルおばあちゃんが見える人と見えない人がいます。店長の考えによると、心のさびしい人間に見えるのではないかということなのですが、これも定かではありません。
いわゆる日常の謎物なのですが、それをハルおばあちゃんが鮮やかに解いていきます。このおばあちゃんが何とも愛嬌があって可愛いのです。特に「ケーキと指輪の問題」で、せっかく解いた謎が仕事の役には立たなかったと分かった時のおばあちゃんの反応といったら…。あまりに可愛らしくて、一気にファンになってしまいました。店長の言う「幸薄い人間だけがハルおばあちゃんを見れる」という説が証明されたわけではないので、もし真以が幸せになったとしても続編が書けないことはないと思いますし、ぜひ書いていただきたいです。松尾さんらしさはそれほど強烈ではないのですが、逆にこういう作品はファンを広げるかもしれませんね。


「いつもの道、ちがう角」光文社(2006年1月読了)★★★

【琥珀のなかの虫】…OL仲間と休憩していた砂田真世が見つけたのは、クリーム挟む2枚のクッキーのうち1枚が裏返っている製品。そして30代の課長代理・若村がそれを欲しがるのです。
【麻疹】…苗子の1人息子の和之が麻疹にかかります。夫は出張中。和之は大人しく寝ていましたが、4日目の夕方に熱が39度5分を超えた時、おかしなことを言い始めます。
【恐ろしい絵】…通学の途中、自転車が車に接触して足を骨折した洞口美夏。気晴らしと5月の新入生歓迎の劇の脚本を考えるため、松葉杖で桜の綺麗な公園へ。
【厄介なティー・パーティ】…106号室の須崎夫人からお茶の招きを受けたのは、各階の6号室の住人たち。自己紹介代わりに、先週の金曜日の出来事を1人ずつ話し始めることに。
【裏庭には】…住んでいる木造アパートの近所の気になる家。びっしりと植わっている生垣越しには庭はまるで見えず、しかしある時落とした葉書を拾おうとしたとき見知らぬ顔と目が合って…。
【窪地公園】…親が1週間の旅行で息子の靖弘を預けられなかった「わたし」は、子連れで痴呆のシンポジウムに出席します。そして帰る前に市内の公園のイベントを覗くことに。
【いつもの道、ちがう角】…夫が長期出張中に新しい町に引っ越すことになった「わたし」。2ヶ月半ほど経っても、まだ2回行っただけの美容院の担当美容師ぐらいしか知り合いはいませんでした。

ノンシリーズの短編集。いつも不思議な世界を構築して読者を煙に巻いてくれる松尾さんですが、今回は少し珍しいテイスト。ややブラックな短編集です。
一旦ほっとさせておいて最後にゾクリとさせてくれるかと思えば、当然あともう一つ来ると期待して読んでいたオチを見事にかわされてしまったり、オチが予感で終わっている話もあれば、一体その後どうなったのかと思ってしまう話もあり、どこか意図的にずらされてしまっているような話もあります。当然来ると信じているものが来ないというのも、気持ち悪いものですね。それにオチがない物語というのも、案外後を引くものです。文章で読む限り、はっきりとしたホラーではないのですが、これらを映像化すれば、「世にも奇妙な物語」のような不気味な作品になりそうです。


「オランダ水牛の謎-安楽椅子探偵アーチー」創元クライム・クラブ(2006年11月読了)★★★★

【オランダ水牛の謎】…及川衛がその日持って帰ったのは、駅の公衆電話の所にあった大きめの白い書類用封筒。その中には木の枝が入っており、封筒には奇妙な走り書きが。
【エジプト猫の謎】…野山芙紗が衛とアーチーに見せたのは、クレオという名の黒猫。友達の家が窓枠のペンキを塗り替えるので、1週間だけ預かっているというのです。
【イギリス雨傘の謎】…図工の教育実習生の沢尻が、大学の卒業制作の彫刻のイメージモデルとして選んだのは5年生の楠小百合。イギリス帰りの、上品だがどこか変わっている生徒でした。
【インド更紗の謎】…衛と衛の父、そして芙紗の3人は、近所にできたインド料理のレストランに行くことに。そこは非常に信頼できるインターネットのグルメサイトが褒めている店なのです。
【アメリカ珈琲の謎】…本屋に参考書を買いに行った衛は、一息入れようと入ったドーナツショップで、渡辺俊樹という若手翻訳家と知り合いになります。

安楽椅子探偵アーチーシリーズ第2弾。衛と芙紗は小学校6年生に進級。そして今回はエラリー・クイーンばりに国名シリーズとなっています。
芙紗は私立中学入試のために塾通いを始めてしまい、衛との時間が減っているようですが、代わりに「オランダ水牛の謎」で登場するのは、アーチーの前の持ち主だった鈴木さん。この鈴木さんとアーチーは本当に好一対ですね。2人の会話が楽しいです。そして芙紗が本格的に登場するのは、2話の「エジプト猫の謎」から。ここで芙紗の友達の安倍マコトの猫が登場することによって、衛の微妙な気持ちが表面上に浮上。これがまたとても微笑ましいですね。
どれも楽しい作品でしたが、今回私が特に気に入ったのは、「インド更紗の謎」。インド料理レストランで起きた奇妙な出来事を推理する衛のお父さんが楽しい作品。横浜限定のグルメサイト「アイ・ギア」にばかり気が取られているせいで、彼の推理は穴だらけ。しかし現実的なお母さんにロマンティックなお父さん、という設定がとても生かされていて、不憫ながらも、本当に存在するのかどうかも定かではない「究極の美味」を探し求めるお父さんを応援したくなりました。本当の結末とのコントラストもいいですね。


「九月の恋と出会うまで」新潮社(2007年5月読了)★★★

旅行代理店に勤める北村志織、27歳。一眼レフのカメラでモノクロ写真を撮るのが趣味で、自分のアパートでフィルム現像もこなしています。しかし洗面台の排水口に現像液を流した時の臭いのことで隣人から苦情が来たのをきっかけに、引っ越すことを決意。引越し先に決まったのは、アビタシオン・ゴドーというマンション。オーナーの権藤氏は画家で、色々な事情で部屋を借りにくい芸術関係の人に普通よりも安く貸して援助したいと、よそで3ヶ所以上断られた人という条件で部屋を貸しているというのです。なんとかオーナーの合格が出た志織は、引越しを決めるきっかけとなった茶色の熊のぬいぐるみも購入し、新しい部屋での生活を始めます。同じマンションに住んでいるのは、チェロ奏者の倉さんと女医の祖父江さん、そして事務機器会社に勤める平野さんという3人。しかしある日、ぬいぐるみの熊のバンホーに話しかけていた志織は、壁にあいたエアコンの穴から聞こえた笑い声を聞いて驚きます。しかもその笑い声の主は、1年後の世界にいる平野だというのです。1年後の平野は、1年前の自分を尾行して欲しいと志織に依頼するのですが…。

1年後の世界の人間から突然話しかけられて、現在の彼の尾行をするように言われて戸惑う志織。この辺りは、とても松尾さんらしい始まりです。時間を越えた恋愛物かと思いきや、それが徐々にミステリ的様相を見せていくところも松尾さんらしいところですね。そして結果的には恋愛物として終わることになるのですが、気持ちの良いラブストーリーになっていると言えるのでしょうね。「シラノ・ド・ベルジュラック」の使い方はとても効果的だと思いますし、平野をシラノ・ド・ベルジュラックに重ね合わせているところはとても上手いと思います。あくまでも志織が主人公ながらも、男性側をも濃やかに描いているようです。ただ、SF的な部分はこれでいいのかもしれないのですが、終盤の引越しの時の話し合いや、その後の説明は正直くどすぎるように思えます。平野という人物の造形上から言っても、仕方がないのかもしれませんが、これでは正直、引いてしまいます。オーナーの権藤氏や同じマンションに住む倉や祖父江の方が興味深く、中心となる人々に今ひとつ感情移入できなかったこともあり、どこかすっきりしないまま終わってしまいました。これでは少々期待はずれ。一般的には高い評価をされるかもしれませんが、松尾作品としては浅いような気がします。もっと松尾さんらしい、突き抜けた作品が読みたいですね。


「フリッツと満月の夜」ポプラ社(2008年8月読了)★★

夏休みの最後の3週間を、父と2人で海のそばの小さな町で家を借りて過ごすことになったと聞かされて驚くカズヤ。母がその間ずっと仕事で留守なので、2人で東京にいても仕方がないというのです。カズヤは小学5年生。父は小説家で、母はデザイナー。そして実際にたどり着いた海辺の町は海水浴場などではなく、小さな漁港があるだけの町。カズヤは3軒おいたとなりにある食堂・メルシー軒の1人息子でミステリー好きのミツルと話すようになります。ミツルに聞いた秘密の話は、この町に住んでいた佐多緑子という大金持ちの老婦人の遺産の謎。彼女は亡くなる4日前に全財産を銀行からおろし、亡くなるまで一度も外出せず、訪ねてきた客もいなかったのに、死後、そのお金は屋敷のどこにもなかったというのです。その遺産の半分の権利は自分にあると町長の出川轟三が狙っていたため、緑子は残りを信頼できる7人の仲間に託したというのですが…。2人は早速佐多緑子の遺産はどこに消えたのか考え始めます。

ポプラ社のTEEN'S ENTERTAINMENTというYA向けのシリーズの第一回配本作品。
一読して一番感じたのは、題名と中身があまり合っていないということ。題名の「フリッツ」は猫の名前なのですが、この猫は終盤まで前面に登場しないのです。そして「満月の夜」の意味が分かるのも、物語終盤。もちろんそれは物語の中では1つのキーとなる場面ではあるのですが、最重要というわけでもないのです。むしろこの作品は、カズヤとミツルという2人の少年が、亡くなった金持ちの老婦人の遺産の謎を探るというひと夏の冒険物語と考えた方が相応しいですね。もしや書いているうちに路線変更を余儀なくされてしまったのでしょうか。このフリッツの存在こそが松尾由美さんらしさを出す最大のポイントなだけに、あまり生かされていないのがとても残念な気がしてしまいます。
ダビデの星の使い方に関してはなかなか面白いと思ったのですが、ティーンズ向けの作品だけあってミステリのトリックは簡単ですし、それを抜きにしても全体的に物足りなかったです。


「人くい鬼モーリス」理論社(2008年8月読了)★★★

村尾信乃にアルバイトの話を持ってきたのは、継父の「村尾さん」。取引先の社長に、知り合いの10歳のお嬢様が女子高校生限定の家庭教師を探しているという話を聞いてきたのです。無事にその子の家庭教師になれた時の謝礼は、普通の高校生にはかなりの高額。しかしこれまで面接を受けに、その少女が滞在している別荘まで行った高校生のほとんどが、その日のうちに帰されてしまっているといいます。信乃は再婚したての両親を2人きりにさせてあげる意味もあって面接を受けに行くことを決め、早速翌日にはその少女、阿久根芽理沙に会いに行くことに。

普通なら、我侭なお嬢様の家庭教師になった女子高生が別荘地で連続殺人事件に巻き込まれ... というミステリになるはずのところですが、松尾由美さんの作品ですから、一筋縄でいくはずがありません。なにせ「人くい鬼モーリス」が殺人事件に絡んでくるのですから。
この「人くい鬼モーリス」は、実際には何なのかははっきりと分からないものの、この土地が別荘地になる前、普通の村だった頃にも時々目撃されていた存在。芽理沙のお祖父さんもお母さんも、子供の頃に何度も見ています。お祖父さんの観察ノートによると、モーリスは自ら人を殺すことはしないものの、新鮮な人間の死体が大好物。死体を前にお祈りでも捧げるように頭を少し垂れていると、死体が光を放ち始め、金属以外は身体も衣服も全て数秒で消えてなくなってしまうのです。お祖父さんの考えでは、モーリスが食べてるのは生物の残留思念であり、死体が消えてなくなるのは、その副作用のようなもの。そして最大のポイントは、モーリスを見ることができるのは高校生ぐらいまでの子供だけだということ。
この別荘地で起きる殺人事件では、いずれも死体が消滅することになります。読者や主人公にすれば、モーリスが食べてしまったんだろうというところなのですが、実際に推理する大人たちはモーリスの存在をまるで知らないですし、人くい鬼の噂を聞いても信じられるわけもなく...。そもそも死体と一緒に犯人の手がかりとなりそうなものも消えてしまってるだけでも捜査に支障をきたすというのに、死体を移動させられる腕力が犯人の条件になってしまうのですから、ややこしいのです。
全体的には面白く読めたのですが、読んでいてもモーリスの姿があまり鮮明に浮かんでこなかったのが残念でした。この作品は、ある怪獣のお話のオマージュになってるので、それが分かればそちらの絵が出てくるのですが…。そして終盤には、少々唐突だったり、ご都合主義に感じられてしまう部分もありました。本当ならもっと強烈に面白い作品になったはずと思ってしまうと残念なのですが、それでもモーリスの存在というファンタジックな存在が現実的なミステリと上手く絡み合っていて、これはこれでなかなか面白かったです。

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