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このページは、森谷明子さんの本の感想のページです。

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「千年の黙(しじま)-異本源氏物語」創元推理文庫(2009年7月読了)★★★★★

【上にさぶらふ御猫】…女童のあてきがお仕えしているのは、藤原宣孝と結婚して2年目の藤原香子。香子は既に「源氏物語」の執筆に取り掛かっており、作品を読んだ左大臣・藤原道長から、娘の彰子の入内に当たって女房として仕えるよう何度も熱心な誘いがかけられていました。その頃、出産のために宮中を退出する中宮定子に同行した猫が繋いでおいた紐ごと失踪し、大騒ぎとなります。
【かかやく日の宮】…一度殿中に行きたいとせがみにせがんだ女童は、阿手木と共に九重の宮中へ。阿手木は見事な細工の厨子を大事そうに両手でささげ持ち、案内の女房について後宮の宮様の元へ。女童は気づけば小さな部屋で眠り込んでいたのですが、その局を出たところで高貴な男女に出会います。女童はその殿方に頼まれて、局の中に入ることに。
【雲隠】…一条帝亡き後の物語。「かかやく日の宮」の辿った道が明らかに。

鮎川哲也賞受賞のデビュー作。
平安時代を舞台に、繋いでおいた猫が失踪した事件と、「かかやく日の宮」が失われた理由を探るミステリ作品です。探偵役は紫式部。猫の事件の方は日常の謎系の物語ですが、「かかやく日の宮」が失われた理由を探るのは1つの立派な新解釈。丸谷才一の「輝く日の宮」で書かれていた解釈ほどの大胆な仮説ではないものの、こちらはこちらで1つの仮説となっており、興味深いです。そして「雲隠」の章での、紫式部の道長に対する報復にはにやりとさせられます。
紫式部はもちろんのこと、その夫の藤原宣孝やその上司に当たる藤原道長、道長の娘の彰子中宮といった歴史上の人物も登場し、阿手木やその夫となる義清、阿手木の親しい友達となる小侍従なども賑やかに動き回っており、こちらは物語として面白かったです。平安時代という舞台の雰囲気が堪能できました。そして紫式部の「物語を書くこと」に対する思いは、そのまま森谷明子さんの思いでもあるのでしょうね。作者は自分の心を偽らないように書く、しかし一度作者の手を離れてしまえば、それはもう読者に託すしかない… 全編を通して「物語」に関する印象的な台詞が多かったです。こういった言葉は、デビューして様々なところで様々なことを書かれた作家が書くというイメージがあったのですが… 森谷さんはデビュー作で書いてらしたのですね。人柄が見えてくるような気がします。

P.215「物語というものは、書いた者の手を離れたら、ひとりで歩いていくものです。わたくしのうかがいしれぬところで、どんなふうに読まれてもしかたがない。うっかり筆をすべらせたら、後の世の人がどんなにそしることかと思うと、こわくて身がすくむこともあります」「そう、むずかしいのね。あたしはそんなことは考えない。後の世のことは、神仏でもない身にはわからないもの。ただね、自分の心はいつわらぬようにしよう。あとは自分に子どもが生まれたら、その子にだけは誇ってもらえるようにしよう、と。そしてほかの人にはどう見られようと、かまわないでいようと」


「れんげ野原のまんなかで」東京創元社(2005年4月読了)★★★★

【霜降ー花薄、光る。】…小学生の男の子たちが閉館後の図書館にこっそり居残ろうとするという出来事が続きます。しかもその頃、図書館では意味不明の忘れ物が頻発していました。
【冬至ー杏黄葉】…水曜日の午後になると福祉循環バスで図書館を訪れる「深雪さん」。その深雪さんが、本に妙なコピーが挟まっているのを見つけます。しかも洋書絵本の配架が悪戯されて…。
【立春ー雛支度】…コンビニエンスストアのコピー機の所に、図書館本の利用者の住所氏名と貸し出し本のリストが残されていたと、秋葉が図書館に持参。文子たち図書館員は真っ青になります。
【二月尽ー名残の雪】…大雪が降った日。閉館後に家に帰れなくなった文子は、秋葉邸に一晩泊めてもらうことに。そして秋葉から雪女の話を聞くことになります。
【清明ーれんげ、咲く。】…秋葉の蒔いたれんげの種も、すっかり花が咲き揃います。しかしそんなある日書架に置かれていたのは、古い児童書。それはかつて廃校になった中学校の蔵書だったのです。

ススキ野原に囲まれた秋庭市立秋葉図書館。立地条件があまり良くないことから、あまり利用者も多くなく、今居文子や能勢、日野といった図書館職員たちは暇をもてあそぶ毎日。そんな図書館で文子が出会う謎を描いた、日常の謎系の連作短編集。
新米司書の文子もなかなか仕事ができそうですし、能勢や日野といった先輩司書たちも頼り甲斐がある頼もしい先輩。森谷明子さんの描く文子たち司書の描写はとても詳細で具体的。森谷さんご自身が図書館で仕事をされていたのではないかと思うほどです。地元の有力者・秋葉氏もいい味を出していますし、特に水曜日になると図書館を訪れる「深雪さん」がいいですね。今の私の図書館との付き合いは、借りたり返したりするだけなのですが、将来的には彼女のように図書館と関わりたいという気持ちになります。
季節ごとの植物や行事などに関連付けられた作品は、とても繊細で優しい雰囲気ですし、読後にもとても暖かいものが残ります。作中で引き合いに出されていた児童書2冊は、私自身子供の頃から大好きな作品。「本が好き」という強い気持ちが引き起こす明暗のコントラストも鮮やか。図書館という空間が好きな人間にはたまらない作品でしょう。…しかしどこかインパクトに欠けるのです。北村薫さんや加納朋子さんの作品にはあって、この作品には欠けているものは何なのでしょう。何か物足りないものが残ります。「深み」とでも言うようなものでしょうか。…それでもこれだけの雰囲気を作り上げる作家さんですし、これからの活躍がとても楽しみです
最後に能勢夫人が借りた本が気になります。これは何なのでしょうか?


「七姫幻想」双葉文庫(2009年7月読了)★★★★★

【ささがにの泉】…七日の間誰も出て来ず、しかも何の応答もなくなった館。大后はたまりかねて白い糸の標を破って踏み込みます。そこにいたのは大王と衣通姫(そとおりひめ)。しかし大王は既に亡くなっていました。大后は衣通姫を弾劾します。しかし衣通姫は何とも答えないのです。
【秋去衣】…召しだされた語り部の老婆が佐保少納言に語ったのは、遥かな昔、歌も仕上げず衣も織り上げなかった女が、それによって自分の思いを遂げたという「物忌破る機織女の物語」でした。
【薫物合】…年が近く「姉様」と呼んで親しんでいた叔母の夏野の死体が消失。決意を固め、その死を白日のもとにさらしたその晩、少女は夏野が愛していた清原元輔に再会します。
【朝顔斎王】…5歳で賀茂斎院の斎王となった娟子(けんし)は、14歳で父帝の死によって斎王を降りることに。現世の華やかさに馴染めない娟子は、今は静かな河合御所に暮らしていました。
【梶葉襲】…帝の寵愛篤い梅壺の女御だった生子(せいし)も、今は乳母の上総と2人庵に暮らし経文を読む日々。ふと、かつていた滝瀬という名の美しく気の利いた女房の話となります。
【百子淵】…道のゆきどまりにある不二原の村。水無月に入ると1年間誰も手入れをしなかった石道の草が刈られ、14歳の少年たちの水都刃祭「明けの元服」の儀式が行われるのです。
【糸織草子】…同心の清次郎と間には、娘のきぬだけで、まだ息子に恵まれていない志乃。機織をしている時に聞かされた姑の詠子の言葉に心が波立ちます。

オムニバス形式の七夕の姫の物語7編。神話の時代の衣通姫は使い神に守られた姫であり、姫の身体には地霊の力が満ち、国つ神の霊力を備えています。そしてその姫のする機織は神事のようなもの。「秋去衣」の軽大郎女(かるのおおいらつめ)も同様。しかし徐々に時代が下がるに従い、社会は変わり、女性の霊力は失われ、機織は日常の仕事となってしまうのが哀しいです。都ほどの急激な変化ではないにせよ、泉の地に住む一族もまた、時代の変化に晒されることになるのですね。それでも、ここに登場する姫たちは、みなそれぞれに様々な制約の中にありつつ、精一杯生きている女性たち。いつの時代の女性たちも男性によって様々な制約を受けているのは変わらないですし、「糸織草子」の姫などは読んでいて痛々しくなってしまうほどなのですが…。この7編の中で私が特に好きなのは「ささがにの泉」と「朝顔斎王」。「ささがにの泉」は神話時代を感じられる独特の雰囲気がとても好きですし、「朝顔斎王」は「源氏物語」の朝顔の斎院と重ね合わせられている、とても可愛らしい作品。
7つの題名は、それぞれに織姫の別名によるもの。(ささがに姫・秋去姫・薫物姫・朝顔姫・梶の葉姫・百子姫・糸織姫) 千街晶之さんの解説によると、折口信夫の論文「水の女」が発想源の1つであることは、ほぼ間違いないだろうとのこと。藤原氏は元々聖なる水を扱う家柄だったという説もあるのだそうです。確かに常に泉の地に住む一族が見え隠れしていますし、「美都波」「瑞葉」「椎葉」「水都刃」…と「みづは」という名前が繰り返し登場するところも暗示的。その論文もぜひ読んでみたくなりますね。そしておそらく他にも様々な暗示的な意味合いが籠められているのでしょう。さらに、実在の人物が多く登場しているので、其処此処に散らばるヒントを元にそこに描かれている人物が誰のことなのか推理するのも楽しいところ。日本史に詳しい読者ほど、一層楽しいかもしれませんね。しかし何も考えずに物語の展開を追って読むだけでも、十分ここに流れる空気を堪能できるはず。幻想的な美しさ、そして物語の最後にゆかりの和歌が添えられているのも、雅な美しさを感じさせる、味わい深い作品です。
以下時代的なネタバレ→「ささがにの泉」では「大王(おおきみ)」の時代の物語。この大王は第19代天皇である允恭天皇(412-453)のこと。都は遠飛鳥宮で、衣通姫が住んでいたのは藤原宮。「秋去衣」は、その時代のことを後の世の語り部が語り伝えます。軽皇子とは木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)のことであり、木梨軽皇子と同母妹である軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)の恋物語。この物語が語られているのは、稗田阿礼による古事記の編纂の少し後の時代。聞き手は佐保少納言大伴家持。第46代天皇・孝謙天皇(718-770)の時代。老婆もまた泉の地に住む一族であったようですね。そしてさらに時代が下る「薫物合」でも、泉の地に住む一族がまだ健在であることが分かります。これは天暦四年、第62代天皇である村上天皇(926-946)の時代の物語。「朝顔斎王」に登場する老女は非常に有名な人物。娟子内親王の恋の相手は源俊房。この物語の舞台となっているのは、第70代後冷泉天皇(1025-1068)の時代でしょうか。そして「梶葉襲」の梅壺の女御はどうやら後冷泉天皇の皇后だったようなので、今は第71代の後三条天皇(1034-1073)。「百子淵」はその数十年後。そして「糸織草子」は、ぐっと時代が変わり江戸時代。与謝蕪村(1716-1784)が高名な俳諧の宗匠となっている時代。彼の弟子であり、強力な後援者でもあった寺村百池(助右衛門)が登場します。光格天皇の時代と思われます。←ここまで。

P.90「大王の二人の御子の哀れな話を、本当にあったこととは思わない。だが、真実でないとも思わない。人のまことは、虚実のあわいにあるものではないか。そなたも、そのくらいのことはわきまえておろうに」

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